夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第6章 火焔黒剣

5 青毛の駿馬

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 中庭に場所を移すと、ダリウスは訓練をしていた騎士たちを全員その場から閉め出した。前回と違い、騎士たちに見学さえも許さなかった。覇気による攻撃の巻き添えを喰わせないようにするための措置であった。
 訓練場の中央で対峙するバッカスとダリウスの顔を交互に見据えて、アトロポスが告げた。
「模擬戦は相手が降参するか、私が中止を宣言するまでとします。当然ですが、相手の生命いのちを奪うような攻撃は禁止します。危険だと判断した場合は、すぐに私が介入しますので、そのつもりでいてください」

「分かっている」
「分かった」
 ダリウスは片手模擬剣を、バッカスは両手模擬剣をそれぞれ握りながら頷いた。二人はお互いの力量を探るように、真剣な表情で相手の眼を見据えていた。
「では、三つ数えたら初めてください。三……二……一……始めッ!」
 頭上に掲げた<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を、アトロポスが一気に振り落とした。その瞬間、剣士クラスA同士の模擬戦の火蓋が切られた。


「ハッ!」
 短い気合いとともに、目の前に立つダリウスの体がブレた。次の瞬間、左から凄まじい速度の袈裟懸けが襲ってきた。バッカスは左足を引きながら体を開くと、両手模擬剣でその斬撃を受けた。だが、今度は右側から水平に薙ぎが来た。目視さえ出来ない神速の剣筋を、バッカスは勘で避けた。

(速えな……! 次は……!)
 感心している間もなく、ダリウスの連撃が襲ってきた。左下からの逆袈裟、上段からの唐竹割り、左横からの薙ぎ払い、右上からの袈裟懸け……。そのどれもが、王宮最強の騎士と呼ばれるに相応しい速度と威力だった。

 カンッ、カンッっという音とともに、神速の剣戟を受けていたバッカスが、不意に大きく左斜め後方へと飛び退いた。直前までバッカスがいた空間を、凄まじい破壊力を秘めたダリウスの突きが貫いた。
(やべえ……! あんなの洒落にならねえぞ!)
 バッカスの背中に冷たい汗が流れ落ちた。もし避けていなければ、ダリウスの突きは間違いなくバッカスの胸を貫通していた。

「よく避けたな、バッカス! ハァッ!」
 ニヤリと笑いながらそう告げると、ダリウスが模擬剣を両手で持ち上段に構えた。そして、裂帛の気合いとともに、一気に振り落とした。
(やべえッ!)
 土属性特有の濃茶色の神刃しんじんが、凄まじい速度でバッカスに襲いかかった。バッカスは大きく左に飛び退くと、間一髪その衝撃波を避けた。

 ズシーーンッ!

 バッカスの後方五十メッツェにあった巨木が、濃茶色の神刃の直撃を受けて太い幹が両断され、その上部が地響きを立てながら地面に突き刺さった。それを見送る暇もなく、再びダリウスの連撃が襲ってきた。
 打撃音を響かせて神速の連撃を防いでいたバッカスが、両手模擬剣に真紅の覇気を流し込んだ。

「ウォオオ……!」
 雄叫びとともに放ったバッカスの一撃が、ダリウスの模擬剣を大きく弾き、彼の体ごと十メッツェ以上も吹き飛ばした。
 宙で後方に回転しながらその衝撃を緩和すると、ダリウスが満足そうな笑みを浮かべた。

「やるな、バッカスッ!」
 ダリウスの全身が濃茶色の覇気を纏った。同時に、ダリウスが左下から右上へと逆袈裟に斬り上げた。濃茶色の神刃が模擬剣から放たれ、凄まじい速度でバッカスに襲いかかった。

「ハッ!」
 裂帛の気合いとともに、バッカスが両手模擬剣を上段に大きく構え、一気に振り抜いた。火属性特有の真紅の覇気が、深江色クリムゾンの神刃となって濃茶色の神刃を斬り裂いた・・・・・
 そして、その速度と破壊力を維持したまま、深江色クリムゾンの神刃がダリウスに向かって翔破した。

「く……ッ!」
 辛うじて左に体を開き、ダリウスが深江色クリムゾン神刃しんじんを間一髪避けた。ダリウスの後方にある巨木が深江色クリムゾンの神刃の直撃を受け、縦に真っ二つに裂けた。わずかでも避けるのが遅れていたら、ダリウスの左腕は肩から斬り落とされていたことは確実だった。


「さすがだな、バッカスッ!」
「ダリウス将軍こそッ!」
 二人は同時に大きく後方へ飛び退き、距離を取った。二十メッツェ以上の間合いを確保すると、お互いに模擬剣を上段に大きく構えた。

 ダリウスの全身が土属性特有の濃茶色の覇気に包まれると、炎のごとく燃え上がった。その火焔が模擬剣に収斂しゅうれんし、剣身が濃茶色の輝きを放ち始めた。

 バッカスの巨体から真紅の炎が噴出し、その色が深紅色クリムゾンへと変わった。その紅蓮の炎が上段に構えた両手模擬剣へと吸い込まれ、剣身が緋色の閃光を放った。

「ハァアアッ!」
「ウォオオ……!」
 二つの雄叫びが大気を震撼させると、二人は同時に模擬剣を振り落とした。

 壮絶な破壊力を秘めた濃茶色と緋色の覇気が、螺旋を描きながら巨大な奔流となって激突した!

 ズッドーーーン……!!

 ダリウスとバッカスのほぼ中間で衝突した二つの奔流は、大気を震撼させながら大地を大きく抉り取った。

「くぅうう……!!」
「ウォオオ……!」
 壮絶な破壊力を秘めた二つの覇気は、二人の中間地点でバチバチと雷光を散らしながら拮抗した。お互いが相手の覇気を呑み込もうとし、どちらか一方にわずかな力が加われば一気に相手を凌駕することは確実であった。

「ハァアアッ!」
 バッカスが振り落とした模擬剣を、左下から右上へと斬り上げた。剣身から放たれた緋色の覇気が、凄絶な潮流となって先ほどの奔流を後押しするように翔破した。

 次の瞬間、二つの覇気の均衡が崩れ、緋色の覇気が濃茶色の覇気を一気に呑み込んだ。

 濃茶色の奔流が持つ破壊力エネルギーを吸収した緋色の覇気が、超大な深江色クリムゾンの激流となってダリウスに襲いかかった。その凄絶な衝撃波は、ダリウスの全身を爆散させ消し飛ばすのに十分過ぎるほどの威力を秘めていた。

「グッ……!!」
 ダリウスは咄嗟に模擬剣を正眼に構え、すべての覇気を解放してその激烈な衝撃に身構えた。だが、その程度でバッカスの放った深江色クリムゾンの奔流を防げるものではないことを、ダリウス自身が一番良く知っていた。
(強き者との戦いの中で死ぬなら、それもよしッ!)

「……!」
 死を覚悟したダリウスの目前に漆黒の滝が流れた。長い漆黒の髪を舞い上がらせた一人の少女の後ろ姿が、ダリウスの視界に映った。
(アトロポス……!)

「ハッ!」
 短い気合いとともに、<蒼龍神刀アスール・ドラーク>が上段から振り落とされた。闇よりも深い漆黒の覇気が、超絶な奔流となって深江色クリムゾンの覇気に襲いかかった。

 次の瞬間、凄まじい轟音とともに二つの覇気が爆散し、対消滅を起こした。


「両者、ここまで! この勝負、バッカスの勝利とします! お疲れ様でした!」
 降り注ぐ粉塵の中で長い黒髪を舞い上げながら、アトロポスがよく通る声で宣言した。そして、バッカスに近づくと両手を腰に上げながら、アトロポスが文句を言った。

「バッカスッ! ダリウス将軍を殺す気ッ? 少しは加減しなさいッ!」
「いや……、加減する余裕がなかったんだ。まあ、アトロポスが止めることは分かりきっていたしな……」
 強面の表情にニヤリと笑みを浮かべながら、バッカスが告げた。彼はどんな攻撃をしたとしても、アトロポスがいる限りは絶対にダリウスの身が危険になることはないと確信していたのだ。

「まったく……! 人を当てにするのも大概にしてよね! 覇気のコントロールが出来ないのなら、また特訓するわよ!」
「か、勘弁してくれ……」
 アトロポスの言葉に顔を引き攣らせながら、ダリウスが及び腰になった。上級回復ポーションの使用を前提としたアトロポスの特訓は、命がいくつあっても足りないことをバッカスは嫌というほど良く知っていた。

「俺の完敗だ、バッカス。強いな……」
「ダリウス将軍……、剣技では遠く及びませんでしたよ。やはり、あなたは王宮最強の騎士だ」
 差し出されたダリウスの右手を握りしめながら、バッカスが獰猛な笑顔を見せながら告げた。その笑顔が照れ隠しであることを、アトロポスだけが知っていた。

「約束通り、エクリプスはお前に譲ろう。うまやへ案内する。ついて来い」
 そう告げると、ダリウスはバッカスに背を向けて歩き出した。
「ありがとうございます、ダリウス将軍」
 ダリウスの背中に一礼すると、バッカスはアトロポスと共に彼の後に続いて歩き出した。


 ダリウスが案内した近衛騎士団の厩は、広大だった。何百頭もの馬を囲うように組まれた馬柵ませが、見渡す限り続いていた。
「凄い数……」
「ここは近衛騎士団の第一馬繋場だ。近衛騎士団では騎兵隊を除けば、小隊長以上が馬に乗ることを許されている。ここにはおよそ五百頭の馬が飼われている」
 思わず口にしたアトロポスの感嘆に答えるように、ダリウスが笑いながら説明をした。

「エクリプスを曳いてきてくれ」
 ダリウスは敬礼をしてきた厩務員きゅうむいんに答礼すると、短く命じた。まだ十代の若い厩務員は、近衛騎士団長を前に緊張しながら返事をすると、駆け足で走り去っていった。
「さっきも言ったが、エクリプスとシリウスは兄弟だ。脚の速さではシリウスだが、力はエクリプスの方が強い。バッカスの巨体でも、エクリプスであれば何も問題ないだろう」
 左後ろに立っていたバッカスを振り返ると、ダリウスが彼の巨躯を見つめながら告げた。

「それは助かります、ダリウス将軍」
「私は、早くシリウスの兄弟に会ってみたいです。可愛いあの子シリウスのお兄さんって、どんな馬なのかしら?」
「はっはは……! 可愛い……か?」
 ダリウスがアトロポスの言葉を聞くと、声を上げて笑った。今まで、シリウスを見て「凄い馬」とか「立派な馬」と呼んだ者は数多いが、「可愛い」と言ったのはアトロポスが初めてだった。

 しばらく待っていると、先ほどの若い厩務員が一頭の大きな馬を曳いてきた。そして、ダリウスに敬礼をすると手綱を預けながら告げた。
「エクリプスを曳いてまいりました。どうぞ……」
「ありがとう。本日をもって、エクリプスはこのバッカスに譲ることにした。カイル、今までよく世話をしてくれたな。礼を言う」
 ダリウスがカイルと呼んだ一介の厩務員に頭を下げた。レウルキア王国の侯爵であり、近衛騎士団長であるダリウスに頭を下げられ、カイルが驚いて叫んだ。

「め、滅相もございません! ダリウス将軍、頭を上げてください! それよりも、エクリプスをこちらの方に譲られるというのは本当ですか?」
「ああ。見ての通り、バッカスはこの巨体だからな。並みの馬では、一月ひとつきと経たずに乗り潰してしまう。だから、私はエクリプスをバッカスに譲ることにした」
 驚愕の表情でバッカスを見上げているカイルに、ダリウスが微笑みながら告げた。

「カイル、後は私がやる。仕事に戻っていいぞ」
「ハッ! よろしくお願いいたします!」
 騎士と同じく握りしめた右拳を左胸につけながら、カイルがダリウスに敬礼をした。そして、アトロポスたちに一礼すると他の馬の世話をするために走り去っていった。

 アトロポスは改めてエクリプスの堂々たる体躯を見つめた。
 青鹿毛あおかげであるシリウスとは違い、エクリプスは全身が真っ黒に近い青毛であった。全高はほとんどシリウスと変わらなかったが、全体的に一回り大きかった。ダリウスの言うとおり、全身が筋肉に覆われていて力強さを感じさせた。

(ううぅ……。触りたい……。乗ってみたい……)
 馬好きのアトロポスは、思わずエクリプスに伸びそうになる手を必死で抑えた。新しい主人であるバッカスよりも前に、エクリプスに触れるわけには絶対にいけなかった。エクリプスがアトロポスを主人であると勘違いしてしまうからだ。

「エクリプス、今日からこのバッカスがお前の主人だ。バッカス、乗ってみろ!」
 そう告げると、ダリウスがバッカスに手綱を手渡した。
「はいッ! エクリプス、よろしく頼むッ!」
 ダリウスが黒いたてがみを撫ぜると、その言葉が分かったかのようにエクリプスが大きくいなないた。

「ハッ!」
 バッカスが鐙に足を掛けると、エクリプスに騎乗した。バッカスの巨体を乗せても、エクリプスはまったく微動もせずに、堂々たる姿をアトロポスたちに見せた。
(格好いい……)
 漆黒の巨馬エクリプスを従えるバッカスの雄姿に、アトロポスは胸を高鳴らせながら魅せられた。

「バッカス、競練場を一回りしてこい。エクリプスも新しい主人を乗せて、走りたがっているようだ」
「はい、ダリウス将軍。行くぞ、エクリプス!」
 バッカスの言葉に一声いななくと、エクリプスが目の前の競練場に向かって走り出した。一周一ケーメッツェはある競練場を、バッカスの巨体を乗せたままエクリプスはどんどんと加速して駆けていった。

「凄いですね。本当にシリウス並みの速度です。百ケーゲムもあるバッカスを乗せているとは思えません!」
 エクリプスの疾走する姿を見ながら、アトロポスが興奮して叫んだ。
「短距離ではシリウスに敵わないが、長距離なら体力があるエクリプスの方が速いぞ。まあ、お前とバッカスの体重差を考えれば、同じくらいの速度かも知れないがな……」
 笑顔で告げたダリウスに、アトロポスは感謝した。

「こんな素晴らしい馬をありがとうございます、ダリウス将軍。エクリプスがいれば、バッカスとどこへでも一緒に行かれます」
 アトロポスのその言葉に、ダリウスがニヤリと微笑んで訊ねた。
「お前とバッカスは、同じパーティだと言ったな? お前にとって、バッカスは単なるパーティ・メンバーの一人なのか?」
「え……? も、もちろんです……」
 ダリウスの質問に、アトロポスはカアッと顔を赤く染めた。その様子をしばらく見つめると、ダリウスが笑いながら言った。

「シルヴァレート王子にも大変なライバルが登場したな。まあ、俺には関係ないが……」
「ダ、ダリウス将軍……ッ!」
 耳まで真っ赤に染まったアトロポスの狼狽を笑い流すと、ダリウスは競練場を疾駆するエクリプスの勇姿に向かって、心の中で別れを告げた。
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