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第6章 火焔黒剣
2 美しい薔薇には棘がある
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冒険者ギルド・レウルーラ本部に入ると、何故か一階にいる冒険者たちの視線がバッカスに集中した。
(おい、あれ、『猛牛殺し』だよな?)
(ああ、間違いねえ……。だが、何か雰囲気変わったか?)
(鎧が違うからじぇねえか? 高そうな鎧着てやがるな)
(女連れだぜ。あいつが娼婦以外の女連れてるの、初めて見たぞ)
周囲の冒険者たちから聞こえてきた囁きの中で、最後に聞こえた声にアトロポスはムッとした。
(娼婦以外の女って……? バッカスの奴、今までどんな女を連れ回してたのよ!?)
アトロポスは隣りに立つバッカスの顔をジロリと睨んだ。その剣呑な視線にビクンと肩を揺らしながらも、バッカスは平静を装って受付に向かって歩き出した。
「よお、バッカス……。ずいぶんと金回りが良さそうじゃねえか? いいおべべ着て、小娘まで連れ回して……。俺にも味見させろよ」
受付近くにいた冒険者が獰猛な笑いを浮かべながら、バッカスに絡んできた。
(ホントに、本部の冒険者ってこんなのが多いわね。まあ、バッカスも最初は同じような感じだったけど……)
絡んできた冒険者を値踏みするように見つめながら、アトロポスは小さくため息をついた。
その冒険者の身長は、バッカスよりも若干低く、百九十セグメッツェくらいだった。だが、横幅はバッカス以上にあり、ガッシリとした筋肉質の体躯をしていた。背に背負った大盾から盾士クラスのようだった。
禿げ頭に猛禽のような鋭い目つきで、鷲鼻に酷薄そうな薄い唇を持つ残忍な表情の男だった。年齢はバッカスと同じくらいで、二十代半ばのように見えた。
「ずいぶんな挨拶だな、デューク。『黒い死神』の名が泣くぞ。それから、俺の女に手を出したら後悔するぞ!」
獰猛に歯を剥き出しながら、バッカスがデュークを睨みつけた。気の弱い者なら腰を抜かしそうな迫力があった。だが、アトロポスはバッカスの態度より、その言葉に驚いた。そして、抑えきれない嬉しさに、思わず微笑んだ。
(俺の女……。悪くないわね)
「俺の女だぁ? そんな小娘が? てめえ、いつから幼女趣味になったんだ?」
バッカスに負けない獰猛な笑いを顔中に浮かべながら、デュークが嘲笑った。バッカスを貶されたことにムッとして、アトロポスが文句を言おうと一歩前へ出た。その瞬間、アトロポスの脳裏に、バッカスの声が響き渡った。
『俺がリーダーをぶん殴ってパーティをクビになったことは話したよな。こいつが、そのパーティのリーダーだ』
(なるほどね。それ以来、バッカスを目の敵にしているってわけね)
アトロポスはバッカスに頷くと、デュークに向かってニッコリと微笑んだ。
「デュークさん、そんなに凄まないでください。ただでさえ怖い顔なんですから、小娘の私は泣いちゃいそうですよ」
アトロポスのセリフに、周囲の冒険者たちから失笑が漏れた。小柄な美少女から面と向かって喧嘩を売られたことに気づかず、デュークはポカンとアトロポスの顔を見つめた。そして、次の瞬間、顔を真っ赤に染め上げながら、アトロポスに向かって怒鳴った。
「小娘のくせに、デカい口を叩きやがる! おい、バッカスッ! てめえの女の躾くらいできねえのかッ!」
「無理だな。俺は彼女に頭が上がらねえんだ」
激怒の表情で睨んできたデュークに向かって、バッカスが笑いながら告げた。その言葉が本心であることを知っているのは、バッカスだけであった。だが、バッカスの言葉を聞いた冒険者たちから、今度ははっきりと嘲笑が沸き立った。
「てめえら、何が可笑しいッ! バッカスッ! 地下に行こうぜッ! 訓練に付き合えッ!」
デュークのセリフを聞いて、アトロポスは感心した。冒険者同士の私闘は固く禁じられている。この決まりを破った者は、多額の罰金が科せられることになっていた。
(だから、訓練なのね。このデュークって男も、二つ名を持っているってことは盾士クラスAよね? バッカスでも十分に勝てると思うけど、私の男を貶した落とし前はきっちりとつけてあげないとね)
「デュークさん、バッカスに弱い者いじめなんてさせたら、『猛牛殺し』の名に傷がついちゃいます。彼の代わりに、私がデュークさんに訓練をつけてあげます」
「お、おい、アトロポス……」
驚いてアトロポスの顔を見たバッカスが、動きを止めた。ニッコリと笑顔を浮かべているアトロポスの黒瞳に、静かな怒りの焔が浮かんでいることにバッカスが気づいたのだ。
「な、何だとッ! 小娘の分際で、この俺に訓練をつけるだとッ! 上等じゃねえかッ! 訓練場に来いッ!」
(禿げ頭が真っ赤に染まると、本当に茹で蛸みたいになるんだ……)
アイザックやアルフレードの激怒に慣れているアトロポスは、デュークの怒りを正面から受けてもニコニコと微笑んでいた。
(あの娘、やばくねえか?)
(でも、何か妙に落ち着いてるな)
(落ち着いてるってよりも、余裕かましてるぜ)
(何者なんだ?)
(あの『猛牛殺し』が連れているくらいだから、有名な冒険者かもしれねえぞ?)
(面白そうだから、見学に行こうぜ)
周囲から聞こえる興味本位の囁きを耳にして、バッカスは大きくため息をついた。そして、アトロポスの方を振り向くと、意識伝達を放った。
『頼むから、やりすぎるなよ、アトロポス……』
楽しそうな笑みを浮かべながら、アトロポスがバッカスに片目を瞑った。それを見て、バッカスは再び大きなため息をついた。
冒険者ギルド・レウルキア本部の地下訓練場には、四方の壁に沿って十脚ずつの観戦席が備えられている。最大四十人が訓練を観戦できるその席の過半数が、冒険者たちで埋まっていた。正体不明の美少女が、盾士クラスAである『黒い死神』のデュークと訓練すると聞き、暇な冒険者たちが集まって賭けまでしていた。下馬評では、デューク8に対してアトロポス2であった。
訓練場の中央で相対するデュークとアトロポスの間で、バッカスが審判役を務めていた。
『俺も賭けてきていいか?』
こっそりと意識伝達をしてきたバッカスを、アトロポスはジロリと睨んだ。バッカスは肩をすくめると、デュークに向かって告げた。
「デューク、俺はお前を気にくわねえ奴だと思ってたが、今のお前のことは尊敬するぜ」
「何だと、てめえ! 何言ってやがる!」
バッカスの真意にまったく気づかずに、デュークが凄んだ。それを無視して、バッカスがアトロポスに訊ねた。
「どうするんだ?」
本当に模擬戦をするのか、それとも自分の時のように訓練用人形を両断して力の差を見せつけるのか、という意味だった。アトロポスは笑顔を浮かべると、デュークに向かって訊ねた。
「デュークさん、その大盾っていくらしましたか?」
「何だ、いきなり……? これは白金貨二百枚もしたダマスカス鋼製の特注品だぜ!」
アトロポスの質問の意味は分からなかったが、デュークが自慢げに巨大な盾を彼女の前に翳した。
ダマスカス鋼は表面に美しい木目模様が無数に走っており、強度的にも鉄や鋼の数倍の硬度を誇る高級素材だった。デュークの大盾は中央に獅子の横顔が彫られており、縁にも複雑な螺旋状の模様が刻まれていた。彼が言うとおり、白金貨二百枚と言われても納得する逸品であった。
「ダマスカス鋼ですか? 凄いですね。私、まだダマスカス鋼って斬ったことがないんですよ。斬れますかね?」
「バカか、お前? ダマスカス鋼はオリハルコンの次に硬いんだぞ! お前みたいな小娘に斬れるはずねえだろ!」
デュークが見事にアトロポスの煽りに乗ってきた。
「そうなんですか? オリハルコンの次に……。じゃあ、もし斬れたら、この勝負私の勝ちでもいいですか?」
「俺との模擬戦にビビったか? 仕方ねえ。俺も小娘相手に本気を出したら大人げねえからな! この盾に傷一つでも付けられたら、お前の勝ちにしてやるぜ」
デュークの言葉を聞いて、バッカスは笑いを抑えるのに苦労した。
『オリハルコンをバッサリ両断したヤツはどこの誰だっけ?』
脳裏に響いたバッカスの声にニヤリと微笑むと、アトロポスがデュークに向かって続けた。
「でも、私、貧乏だから弁償できませんよ」
バッカスは吹き出しそうになった。一昨日得た火龍の報酬を加えると、アトロポスは白金貨を四十万枚以上もの大金を持っているはずだった。笑いを堪えているバッカスを、アトロポスがたしなめるように睨んできた。
「斬れもしないのに大口叩くと恥かくぞ! まあ、弁償しろなんてケチなことは言わねえから、斬ってみろ!」
「はい。縦、横、斜め、どれがいいですか?」
「え……?」
アトロポスの告げた言葉の意味が分からずに、デュークが間の抜けた表情を浮かべた。
「面倒だから、全部やっちゃいますね」
次の瞬間、ダマスカス鋼の大盾に無数の線が入った。そして、ガラガラと音を立てながら大盾が切り刻まれて崩れ落ちた。
「な……ッ!?」
呆然として言葉を失いながら、デュークはかつて大盾であった物の欠片を見つめていた。欠片の大きさは、大きいものでも一辺が十セグメッツェもなかった。
「な……な、何をした……?」
目の前で起こったことにもかかわらず、デュークの眼には何も見えていなかった。
「何って、大盾を斬っただけですよ」
「ば、馬鹿を言うな……! ダ、ダマスカス鋼だぞ……!?」
愕然とした表情を浮かべるデュークに、バッカスが告げた。
「デューク、俺はお前を尊敬するって言ったはずだぞ。混沌龍を一人で討伐した剣士クラスSに喧嘩を売るなんて、俺にはとてもできない」
「け、剣士クラス……Sだとッ!? 混沌龍を一人でって……? まさか、あの……?」
驚愕のあまり瞳を大きく見開きながら、デュークがアトロポスを見つめた。
「<星月夜>のローズです。二つ名は、『夜薔薇』と言います。ちなみに、バッカスも今は<星月夜>のメンバーですよ」
「あんたがあの『夜薔薇』だと……?」
呆然とするデュークに、アトロポスが追い打ちをかけた。
「私もデュークさんを尊敬します。<星月夜>に喧嘩を売ったということは、あの『妖艶なる殺戮』に喧嘩を売ったと言う意味ですからね」
ニッコリと微笑みながら告げたアトロポスの言葉に、デュークは蒼白になった。次の瞬間、ガタガタと震えながら、デュークが凄まじい勢いでアトロポスに頭を下げた。
「す、すまねえッ! そんなつもりじゃなかったんだッ! 許してくれッ!!」
ムズンガルド大陸最強の魔道士の名は、すべての冒険者にとって恐怖と畏怖の象徴でもあった。
「私は自分じゃ何も決められない小娘なので、今日のことはクロトー姉さんに相談しようと思います」
ニッコリと微笑みながら、アトロポスがデュークに告げた。
「ま、待ってくれッ! いや、待ってくださいッ! 『妖艶なる殺戮』に喧嘩を売るなんて、そんなこと考えてもいませんッ! 許してくださいッ!」
ガバッと身を投げ出すように、デュークが土下座をし、地面に頭を擦りつけた。
「私が小娘だというのは事実だからいいですけど、バッカスのことを幼女趣味とか言いましたよね?」
アトロポスが一番怒っている理由がこれだった。愛するバッカスを貶されたことが許せなかったのだ。
「と、取り消すッ! 取り消しますッ! だから、許してくださいッ!」
巨体を縮ませて土下座を続けるデュークを哀れに感じ、バッカスがアトロポスに言った。
「もう十分だろ、アトロポス?」
「そうね……。デュークさん」
バッカスに頷くと、アトロポスは厳しい視線でデュークを見据えた。
「は、はい!」
全身をビクンッと震わせながら、土下座をしたままでデュークがアトロポスの顔を見上げた。
「私のことは何と言っても構いませんが、バッカスへの暴言は許しません! 二度目はありませんよ!」
そう告げると、アトロポスは<蒼龍神刀>を掴んで居合抜きを放った。漆黒の神刃が凄まじい速度で翔破した。
ズシーンッ……!!
およそ五十メッツェ先にあるアダマンタイト製の練習人形が胸部を両断され、ゆっくりとズレ落ちながら土煙を上げて地面に突き刺さった。
「分かりましたか?」
満面の笑みを浮かべるアトロポスに、デュークはガクガクと震えながら何度も頷いた。
シンと静まった地下訓練場で、観戦席に座る二十数名の冒険者たちの脳裏に『夜薔薇』の名が刻みつけられた。
(おい、あれ、『猛牛殺し』だよな?)
(ああ、間違いねえ……。だが、何か雰囲気変わったか?)
(鎧が違うからじぇねえか? 高そうな鎧着てやがるな)
(女連れだぜ。あいつが娼婦以外の女連れてるの、初めて見たぞ)
周囲の冒険者たちから聞こえてきた囁きの中で、最後に聞こえた声にアトロポスはムッとした。
(娼婦以外の女って……? バッカスの奴、今までどんな女を連れ回してたのよ!?)
アトロポスは隣りに立つバッカスの顔をジロリと睨んだ。その剣呑な視線にビクンと肩を揺らしながらも、バッカスは平静を装って受付に向かって歩き出した。
「よお、バッカス……。ずいぶんと金回りが良さそうじゃねえか? いいおべべ着て、小娘まで連れ回して……。俺にも味見させろよ」
受付近くにいた冒険者が獰猛な笑いを浮かべながら、バッカスに絡んできた。
(ホントに、本部の冒険者ってこんなのが多いわね。まあ、バッカスも最初は同じような感じだったけど……)
絡んできた冒険者を値踏みするように見つめながら、アトロポスは小さくため息をついた。
その冒険者の身長は、バッカスよりも若干低く、百九十セグメッツェくらいだった。だが、横幅はバッカス以上にあり、ガッシリとした筋肉質の体躯をしていた。背に背負った大盾から盾士クラスのようだった。
禿げ頭に猛禽のような鋭い目つきで、鷲鼻に酷薄そうな薄い唇を持つ残忍な表情の男だった。年齢はバッカスと同じくらいで、二十代半ばのように見えた。
「ずいぶんな挨拶だな、デューク。『黒い死神』の名が泣くぞ。それから、俺の女に手を出したら後悔するぞ!」
獰猛に歯を剥き出しながら、バッカスがデュークを睨みつけた。気の弱い者なら腰を抜かしそうな迫力があった。だが、アトロポスはバッカスの態度より、その言葉に驚いた。そして、抑えきれない嬉しさに、思わず微笑んだ。
(俺の女……。悪くないわね)
「俺の女だぁ? そんな小娘が? てめえ、いつから幼女趣味になったんだ?」
バッカスに負けない獰猛な笑いを顔中に浮かべながら、デュークが嘲笑った。バッカスを貶されたことにムッとして、アトロポスが文句を言おうと一歩前へ出た。その瞬間、アトロポスの脳裏に、バッカスの声が響き渡った。
『俺がリーダーをぶん殴ってパーティをクビになったことは話したよな。こいつが、そのパーティのリーダーだ』
(なるほどね。それ以来、バッカスを目の敵にしているってわけね)
アトロポスはバッカスに頷くと、デュークに向かってニッコリと微笑んだ。
「デュークさん、そんなに凄まないでください。ただでさえ怖い顔なんですから、小娘の私は泣いちゃいそうですよ」
アトロポスのセリフに、周囲の冒険者たちから失笑が漏れた。小柄な美少女から面と向かって喧嘩を売られたことに気づかず、デュークはポカンとアトロポスの顔を見つめた。そして、次の瞬間、顔を真っ赤に染め上げながら、アトロポスに向かって怒鳴った。
「小娘のくせに、デカい口を叩きやがる! おい、バッカスッ! てめえの女の躾くらいできねえのかッ!」
「無理だな。俺は彼女に頭が上がらねえんだ」
激怒の表情で睨んできたデュークに向かって、バッカスが笑いながら告げた。その言葉が本心であることを知っているのは、バッカスだけであった。だが、バッカスの言葉を聞いた冒険者たちから、今度ははっきりと嘲笑が沸き立った。
「てめえら、何が可笑しいッ! バッカスッ! 地下に行こうぜッ! 訓練に付き合えッ!」
デュークのセリフを聞いて、アトロポスは感心した。冒険者同士の私闘は固く禁じられている。この決まりを破った者は、多額の罰金が科せられることになっていた。
(だから、訓練なのね。このデュークって男も、二つ名を持っているってことは盾士クラスAよね? バッカスでも十分に勝てると思うけど、私の男を貶した落とし前はきっちりとつけてあげないとね)
「デュークさん、バッカスに弱い者いじめなんてさせたら、『猛牛殺し』の名に傷がついちゃいます。彼の代わりに、私がデュークさんに訓練をつけてあげます」
「お、おい、アトロポス……」
驚いてアトロポスの顔を見たバッカスが、動きを止めた。ニッコリと笑顔を浮かべているアトロポスの黒瞳に、静かな怒りの焔が浮かんでいることにバッカスが気づいたのだ。
「な、何だとッ! 小娘の分際で、この俺に訓練をつけるだとッ! 上等じゃねえかッ! 訓練場に来いッ!」
(禿げ頭が真っ赤に染まると、本当に茹で蛸みたいになるんだ……)
アイザックやアルフレードの激怒に慣れているアトロポスは、デュークの怒りを正面から受けてもニコニコと微笑んでいた。
(あの娘、やばくねえか?)
(でも、何か妙に落ち着いてるな)
(落ち着いてるってよりも、余裕かましてるぜ)
(何者なんだ?)
(あの『猛牛殺し』が連れているくらいだから、有名な冒険者かもしれねえぞ?)
(面白そうだから、見学に行こうぜ)
周囲から聞こえる興味本位の囁きを耳にして、バッカスは大きくため息をついた。そして、アトロポスの方を振り向くと、意識伝達を放った。
『頼むから、やりすぎるなよ、アトロポス……』
楽しそうな笑みを浮かべながら、アトロポスがバッカスに片目を瞑った。それを見て、バッカスは再び大きなため息をついた。
冒険者ギルド・レウルキア本部の地下訓練場には、四方の壁に沿って十脚ずつの観戦席が備えられている。最大四十人が訓練を観戦できるその席の過半数が、冒険者たちで埋まっていた。正体不明の美少女が、盾士クラスAである『黒い死神』のデュークと訓練すると聞き、暇な冒険者たちが集まって賭けまでしていた。下馬評では、デューク8に対してアトロポス2であった。
訓練場の中央で相対するデュークとアトロポスの間で、バッカスが審判役を務めていた。
『俺も賭けてきていいか?』
こっそりと意識伝達をしてきたバッカスを、アトロポスはジロリと睨んだ。バッカスは肩をすくめると、デュークに向かって告げた。
「デューク、俺はお前を気にくわねえ奴だと思ってたが、今のお前のことは尊敬するぜ」
「何だと、てめえ! 何言ってやがる!」
バッカスの真意にまったく気づかずに、デュークが凄んだ。それを無視して、バッカスがアトロポスに訊ねた。
「どうするんだ?」
本当に模擬戦をするのか、それとも自分の時のように訓練用人形を両断して力の差を見せつけるのか、という意味だった。アトロポスは笑顔を浮かべると、デュークに向かって訊ねた。
「デュークさん、その大盾っていくらしましたか?」
「何だ、いきなり……? これは白金貨二百枚もしたダマスカス鋼製の特注品だぜ!」
アトロポスの質問の意味は分からなかったが、デュークが自慢げに巨大な盾を彼女の前に翳した。
ダマスカス鋼は表面に美しい木目模様が無数に走っており、強度的にも鉄や鋼の数倍の硬度を誇る高級素材だった。デュークの大盾は中央に獅子の横顔が彫られており、縁にも複雑な螺旋状の模様が刻まれていた。彼が言うとおり、白金貨二百枚と言われても納得する逸品であった。
「ダマスカス鋼ですか? 凄いですね。私、まだダマスカス鋼って斬ったことがないんですよ。斬れますかね?」
「バカか、お前? ダマスカス鋼はオリハルコンの次に硬いんだぞ! お前みたいな小娘に斬れるはずねえだろ!」
デュークが見事にアトロポスの煽りに乗ってきた。
「そうなんですか? オリハルコンの次に……。じゃあ、もし斬れたら、この勝負私の勝ちでもいいですか?」
「俺との模擬戦にビビったか? 仕方ねえ。俺も小娘相手に本気を出したら大人げねえからな! この盾に傷一つでも付けられたら、お前の勝ちにしてやるぜ」
デュークの言葉を聞いて、バッカスは笑いを抑えるのに苦労した。
『オリハルコンをバッサリ両断したヤツはどこの誰だっけ?』
脳裏に響いたバッカスの声にニヤリと微笑むと、アトロポスがデュークに向かって続けた。
「でも、私、貧乏だから弁償できませんよ」
バッカスは吹き出しそうになった。一昨日得た火龍の報酬を加えると、アトロポスは白金貨を四十万枚以上もの大金を持っているはずだった。笑いを堪えているバッカスを、アトロポスがたしなめるように睨んできた。
「斬れもしないのに大口叩くと恥かくぞ! まあ、弁償しろなんてケチなことは言わねえから、斬ってみろ!」
「はい。縦、横、斜め、どれがいいですか?」
「え……?」
アトロポスの告げた言葉の意味が分からずに、デュークが間の抜けた表情を浮かべた。
「面倒だから、全部やっちゃいますね」
次の瞬間、ダマスカス鋼の大盾に無数の線が入った。そして、ガラガラと音を立てながら大盾が切り刻まれて崩れ落ちた。
「な……ッ!?」
呆然として言葉を失いながら、デュークはかつて大盾であった物の欠片を見つめていた。欠片の大きさは、大きいものでも一辺が十セグメッツェもなかった。
「な……な、何をした……?」
目の前で起こったことにもかかわらず、デュークの眼には何も見えていなかった。
「何って、大盾を斬っただけですよ」
「ば、馬鹿を言うな……! ダ、ダマスカス鋼だぞ……!?」
愕然とした表情を浮かべるデュークに、バッカスが告げた。
「デューク、俺はお前を尊敬するって言ったはずだぞ。混沌龍を一人で討伐した剣士クラスSに喧嘩を売るなんて、俺にはとてもできない」
「け、剣士クラス……Sだとッ!? 混沌龍を一人でって……? まさか、あの……?」
驚愕のあまり瞳を大きく見開きながら、デュークがアトロポスを見つめた。
「<星月夜>のローズです。二つ名は、『夜薔薇』と言います。ちなみに、バッカスも今は<星月夜>のメンバーですよ」
「あんたがあの『夜薔薇』だと……?」
呆然とするデュークに、アトロポスが追い打ちをかけた。
「私もデュークさんを尊敬します。<星月夜>に喧嘩を売ったということは、あの『妖艶なる殺戮』に喧嘩を売ったと言う意味ですからね」
ニッコリと微笑みながら告げたアトロポスの言葉に、デュークは蒼白になった。次の瞬間、ガタガタと震えながら、デュークが凄まじい勢いでアトロポスに頭を下げた。
「す、すまねえッ! そんなつもりじゃなかったんだッ! 許してくれッ!!」
ムズンガルド大陸最強の魔道士の名は、すべての冒険者にとって恐怖と畏怖の象徴でもあった。
「私は自分じゃ何も決められない小娘なので、今日のことはクロトー姉さんに相談しようと思います」
ニッコリと微笑みながら、アトロポスがデュークに告げた。
「ま、待ってくれッ! いや、待ってくださいッ! 『妖艶なる殺戮』に喧嘩を売るなんて、そんなこと考えてもいませんッ! 許してくださいッ!」
ガバッと身を投げ出すように、デュークが土下座をし、地面に頭を擦りつけた。
「私が小娘だというのは事実だからいいですけど、バッカスのことを幼女趣味とか言いましたよね?」
アトロポスが一番怒っている理由がこれだった。愛するバッカスを貶されたことが許せなかったのだ。
「と、取り消すッ! 取り消しますッ! だから、許してくださいッ!」
巨体を縮ませて土下座を続けるデュークを哀れに感じ、バッカスがアトロポスに言った。
「もう十分だろ、アトロポス?」
「そうね……。デュークさん」
バッカスに頷くと、アトロポスは厳しい視線でデュークを見据えた。
「は、はい!」
全身をビクンッと震わせながら、土下座をしたままでデュークがアトロポスの顔を見上げた。
「私のことは何と言っても構いませんが、バッカスへの暴言は許しません! 二度目はありませんよ!」
そう告げると、アトロポスは<蒼龍神刀>を掴んで居合抜きを放った。漆黒の神刃が凄まじい速度で翔破した。
ズシーンッ……!!
およそ五十メッツェ先にあるアダマンタイト製の練習人形が胸部を両断され、ゆっくりとズレ落ちながら土煙を上げて地面に突き刺さった。
「分かりましたか?」
満面の笑みを浮かべるアトロポスに、デュークはガクガクと震えながら何度も頷いた。
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ふとしたことで異世界に飛ばされた中年が、青年となってお金儲けに走ります。
お金は全てを解決する、それはどの世界においても同じ事。
金金金の主人公が、授かった相場スキルで私利私欲の為に稼ぎまくります。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
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