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第6章 火焔黒剣

1 闇の外套

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「夕食を食べ損なったから、今朝の朝飯は格別美味かったな。アトロポスはそんなに食べてなかったけど、大丈夫か?」
 三人前は確実に胃袋に納めて、バッカスは満足そうな笑顔で告げた。食後のお茶を飲みながら、バッカスをジト目で見据えると、アトロポスが答えた。
「そうね……。美味しかったわ……」
(信じられない……。このひと、どんな体力しているのよ?)
 アトロポスは昨夜を思い出すと、顔を赤らめながらバッカスを見つめた。

 今朝もバッカスに中級回復ポーションを口移しで飲まされて、意識を回復した。寝台の横には、ポーションの空き瓶が三本もあった。つまり、三回も失神させられたということだった。
(こんなこと続けられたら、絶対におかしくなっちゃうわ。何とかしないと……)
 全身の痙攣が止まらなくなり、アトロポスは「もう許して……」と何度も泣きながら哀願した。歓悦の極みを告げる言葉を何度言わされたのか、アトロポスは覚えていなかった。途切れることのない快感の連鎖に、アトロポスはこのまま死んでしまうのかとさえ恐怖した。

「ここから『ヴンダー革工房』っていうのは近いのか?」
 バッカスの声に、アトロポスはハッとなって思考を中断した。
「西大門の近くにあるわ。ここから歩いて十タルくらいかな?」
「そうか。マントを受け取ったら、後でギルドに顔を出さないか? ギルマスにも挨拶くらいしておきたいしな」
「いいわよ。そうしましょう」
 笑顔でバッカスの意見に頷きながら、アトロポスは心に決めた。
(今晩から、回数制限にしよう。一回じゃ可哀想だから、二回までね。それ以上は禁止よ、バッカス……)

「じゃあ、そろそろ行くか? ここは俺が払っておくよ」
「ありがとう。ご馳走さま」
 伝票を掴んで会計に向かうバッカスは、アトロポスがこっそりと決めた制限のことなど知らずにニヤニヤと笑みを浮かべていた。
(昨夜のアトロポス、可愛かったな。冒険者ギルド最強の女剣士が、泣きながら許しを乞う姿が堪らねえんだよな。今晩もまた可愛がってやるとするか……)
 その不埒な考えが二度と実現しそうもないことを、バッカスはまだ知らなかった。


 大きな革鞄の絵が描かれた看板がある三階建ての建物に到着すると、アトロポスは馬の横顔が彫られた重厚な扉を押しながらバッカスを振り向いた。
「ここが『ヴンダー革工房』よ。バッカスも気に入った鞄があったら買ってみたら? クロトー姉さんに頼めば、収納増加の魔法付与をしてくれるわよ」
「そうか。じゃあ、そうするかな?」
 アトロポスの言葉に頷くと、バッカスは彼女に続いて店の中に入った。

「すみません、ハインツさんにマントと鞄を注文したローズと言います。一昨日あたりに出来上がっているはずなので、受け取りに来ました」
 入口の近くにいた女性店員をつかまえて、アトロポスが声を掛けた。
「ローズ様ですね。ただいま確認して参りますので、少しお待ちください」
 ハインツの名前を出しただけで、女性店員の顔が引き攣ったことをアトロポスは見逃さなかった。
(まあ、あの感じじゃ当然よね?)
 ハインツの採寸を思い出し、アトロポスは思わずブルッと震えた。

「どうした、アトロポス? 気分でも悪いのか?」
 アトロポスの震えに気づいたバッカスが、心配そうに声を掛けてきた。
「ううん、何でもないわ。ちょっと悪寒がしただけよ。もう大丈夫……」
「そうか……。風邪じゃなければいいけど……」
「ありがとう、バッカス。大丈夫よ」
 安心させるように笑顔を浮かべながらバッカスに告げた時、二階からハインツが下りてきた。

「ローズさん、遅かったですね。もう来ないかと思いましたよ、ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「ちょっとザルーエクにいたものですから、約束の日より遅くなってすみません」
 生理的に受けつけがたいハインツの異相と甲高い声に、アトロポスは鳥肌を立てながらも笑顔で告げた。横にいるバッカスが驚いたようにハインツの姿を見つめているのが、気配で分かった。

「こちら、剣士クラスAのバッカスです。後で、彼の鞄も見繕みつくろおうかと思っています」
「バッカスです。よろしく……」
 身長百九十五セグメッツェのバッカスと、百五十メッツェ以下のハインツが並ぶと、大人と子供のようだった。
「あたしはこの『ヴンダー革工房』の革職人でハインツと申します。どうぞ、よろしくお願いします……ヒッヒッヒッ……」

『アトロポス、何だこいつは……?』
 突然、アトロポスの脳裏にバッカスの声が響き渡った。いや、声と言うよりも意思のようなものだった。
(バッカス、これって、もしかして、意識伝達……?)
 驚いてアトロポスがバッカスの顔を見上げた。彼が小さく頷いたことで、アトロポスは自分の考えが正しいことを理解した。
(いつの間にできるようになったんだろう? 凄いわ、バッカス……)

「では、早速、あたしの工房アトリエに来てください。実際に試着してみて、必要なら最終調整を行います。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「はい、よろしくお願いします」
 アトロポスはハインツの後に続いて、階段を上り始めた。その後から、強面の顔を引き攣らせたバッカスが続いた。


「こちらがご注文のマントです。まあ、マントと言うよりも外套と言った方がいいかも知れませんが……ヒッヒッヒッ」
 ハインツの工房アトリエに入ると、その中央にある人形マネキンに漆黒の外套が着せられていた。

 外套のデザインはケープに近く、前を合わせれば中の鎧が隠れて防寒にも役立ちそうだった。アトロポスの希望通り、首の後ろにはフードもついていた。外套の周囲はすべて銀糸で縁取りが成されており、左胸には天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスと同じ銀色の薔薇が刺繍されていた。
 首元……鎖骨のあたりには銀色の止め金具があり、その中央には混沌龍カオス・ドラゴンの宝玉が填め込まれていた。宝玉の形は両端が錐状になっている六角柱で、長さは三セグメッツェ、幅は二セグメッツェくらいの大きさだった。中心部に燃えさかる黒焔のような模様が浮かんでおり、漆黒の輝きを放っていた。

「凄く格好いいですね! 気に入りました! ありがとうございます!」
 満面の笑みを浮かべると、アトロポスは嬉しそうにハインツにお礼を言った。
「あなたはまだ成長期のようですから、一応このすその部分に折り返しを入れておきました。この糸を一本抜くと三セグメッツェ、もう一本抜くと合計で五セグメッツェ長くなります。よほどあなたがおデブさんにならない限りは、サイズ調整魔法は不要です。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
 クロトーの言うとおり、デザインといい、機能と言い、ハインツの革職人としての腕は超一流のようだった。

「それから、合わせの内側にはこのように少し大きめのポケットを用意してあります。もちろん蓋付きですから、激しい動きをしても中身が落ちることはありません。クロトーさんに魔法付与をお願いするのであれば、重量軽減と収納増加をお勧めします。その二つを付与しておけば、大きな物や重たい物を入れても動きを妨げることはありません。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「凄い……」
 予想もしていなかった使い道を教えてもらい、アトロポスは驚きに黒瞳を大きく見開いた。

「それから、その鎧につける小物入れですが、左右の腰にこれをおつけなさい。この大きさならば、激しい動きをしても邪魔になることはほとんどありません。もちろん、このように蓋がついているので、中身が落ちることもありません。内側にはポーションを入れる仕切りをつけてあるので、小瓶同士がぶつかることなく三本差すことができます。小さな物はこの小物入れに、大きな物は外套の内ポケットに入れれば、ほとんど手ぶらでどこにでも行けますよ。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」

 ハインツが手渡してきたのは、両脇に小物入れをつけた細い黒ベルトだった。小物入れは漆黒で、その大きさは縦十セグメッツェ、横二十セグメッツェ、奥行き五セグメッツェくらいだった。蓋の両端には小さな穴が空いており、そこに紐を通して蓋を閉める仕組みになっていた。よく見ると、蓋の中央部には直径一セグメッツェほどの混沌龍カオス・ドラゴンの宝玉が填め込まれていた。どうやら、外套に使った宝玉のあまりを加工して嵌めたようだった。

「凄いですね、本当に……。早速身につけてもいいですか?」
 興奮気味にアトロポスが黒瞳を輝かせながら訊ねた。
「どうぞ、試着してみてください。ヒッヒッヒッ……」
 ハインツの不気味な笑いも耳に入らず、アトロポスは小物入れがついたベルトを身につけた。採寸しただけあり、ベルトはずれ落ちることもなく、アトロポスのウエストにぴったりのサイズだった。

 ベルトを着け終えると、アトロポスは人形マネキンから漆黒の外套を外し、天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの上から羽織ってみた。まだ重量軽減魔法を付与していないため少し重かったが、動きやすさに問題はなさそうだった。試しに<蒼龍神刀アスール・ドラーク>で居合抜きをしてみたが、動きを阻害することは全くなかった。
(これで白金貨三百枚なら、全然安いわ)

「良く似合ってるよ、アトロポス」
「ありがとう、バッカス」
 笑顔で褒めてくれたバッカスに、アトロポスが嬉しそうに微笑んだ。
「これ、このまま着ていきます。決済はどこですればいいんですか?」
「一階の会計にこの羊皮紙を渡してください。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
 手渡された羊皮紙には、約束通り白金貨三百枚と書かれており、その下にハインツのサインがあった。

「それと、余った材料はいただいてもいいですか?」
「どうぞ、ご自由にお使いください」
 アトロポスは笑顔でハインツに告げた。
「ありがとうございます。お買い上げ、ありがとうございました。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
 最後まで不気味な笑いを耳にしながら、アトロポスとバッカスはハインツの工房アトリエを後にした。

 後日、ハインツが余った材料・・・・・で作った革鞄が、白金貨二千枚の価格で売られていたことは、アトロポスには知るよしもなかった。


 一階に戻るとアトロポスは、会計所で白金貨三百枚分の決済を行った。決済を終えると、バッカスと一緒に展示されている鞄を見て廻った。
「バッカス、新しい両手長剣ロングソードは背負うの? それとも腰に差すの?」
 アトロポスはバッカスが背負っている両手剣バスターソードを見ながら訊ねた。
 ドゥリンに特注している両手長剣ロングソードの刃渡りはおよそ百メッツェだった。アトロポスには長すぎるが、バッカスであれば背負わなくても十分に左腰に差せる長さだった。

「まだ決めてないが、どうしてだ?」
「左腰に差すのなら、背中が空くでしょ。それなら、バックパックみたいに背中に背負える鞄の方がいいかなと思って……。急に戦いになっても、邪魔にならないしね」
「なるほど……。それもいいな。
 アトロポスの意見に頷くと、バッカスはバックパックを探し始めた。

「すみません、バックパックタイプの革鞄はどこにありますか? できれば、四大龍クラスの高級革がいいんですが……」
「四大龍ですか? それでしたら、あまり数はございませんが二階に展示が数点あります。こちらへどうぞ……」
 アトロポスが声を掛けた女性店員が、二人を二階の高級鞄売り場へと案内した。

「これなんていいんじゃない? 火龍の革みたいだし、色も火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスに良く合うわ」
 縦長の直方体に近い形の鞄を指差しながら、アトロポスがバッカスの顔を見上げた。アトロポスが背負うには大きすぎるが、バッカスであればちょうどいい大きさだった。

「そうだな。中の仕切りも自由に変更できるのか。あ、これ、ハインツさんの作だぞ。ここに銘が入っている」
「あ、ホントだ。なら、品質も問題ないわよ。ハインツさんってクロトー姉さんの紹介だし、この外套でも分かるように腕も一流よ」
 バッカスが差したハインツの銘を確認しながら、アトロポスが笑顔で告げた。値札を見ると、白金貨五百枚の価格がつけられていた。

「今、この外套をハインツさんに特注して作ってもらったんですが、少し安くなりませんか?」
 ダメ元でアトロポスが女性店員に訊ねた。
「そうですか。それはありがとうございます。では、会員価格を適用して、一割引とさせていただきます。白金貨四百五十枚でいかがでしょうか?」
 女性店員が笑顔で告げた価格を聞いて、アトロポスはバッカスの顔を見つめた。バッカスはアトロポスに頷くと、女性店員に告げた。

「では、それでお願いします。このまま持ち帰るので、包装はいりません。これで決済願います」
 ミスリル製のギルド証を女性店員に預けながら、バッカスが微笑んだ。その笑いを見て、女性店員が顔を引き攣らせた。
(バッカスって、強面だから笑っていても脅しているように見えるのよね……)
 その様子を見て、アトロポスは楽しそうに笑顔を浮かべた。
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