夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第4章 新たなる試練

8 王宮最強の騎士

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「ど、どういうことですか? シルヴァがアストリア共和国と……? 国境に攻め入ったって、いったい……?」
 驚愕と動揺のあまり、アトロポスは身を乗り出しながらダリウスに訊ねた。その様子をじっと見つめていたダリウスは、ため息をつくと小さく首を横に振った。

「知らなかったのか? アトロポス、シルヴァレート王子とは連絡を取っていないのか?」
「はい……。十日前、シルヴァは置き手紙を残して、消息を絶ちました。それ以来、どこで何をしているのか、まったく知りません。本当にシルヴァは、アストリア共和国にいるのですか?」
 ダリウス将軍の口からシルヴァレートに関する情報を聞くなど、アトロポスは予想さえもしていなかった。

「お前とシルヴァレート王子との関係は……?」
「恋人同士……です」
 恋人である自分よりも先にダリウスがシルヴァレートの消息を知っていたことに、アトロポスは唇を噛みしめた。しばらくの間、ダリウスはアトロポスの顔を見つめると、呟くように告げた。
「そうか……。十日前に消息を絶ったと言ったな。伝書鷹で伝えてきた情報では、アストリア共和国が、国境にある我が国のエーデルワイス砦に攻め込んできたのは昨日の朝だそうだ。最後にシルヴァレート王子といた場所はどこだ?」

「ザルーエクの街です。十日前の朝、私が目覚めた時にはシルヴァの姿はなく、置き手紙が残されていました」
「ザルーエクからアストリア共和国との国境までは、通常であれば馬で十四、五日はかかる。よほど馬を飛ばしたのでなければ、計算が合わんな」
 ダリウスの言葉に、アトロポスは違和感を感じた。
(仮に十日でアストリア共和国との国境まで行ったとして、そこからアストリア共和国の重臣たちがいる首都までは何日かかかるはずだわ。それに、軍を動かすとなればそのための軍議や準備、実際に軍が動く日数も必要になるはず……)

「ダリウス将軍の言われるとおり、日数が合いません。エーデルワイス砦に攻め込んだのは、本当にシルヴァなのでしょうか?」
 アトロポスの言葉を聞いて、ダリウスが面白そうに笑みを浮かべた。
「ほう。短期間でずいぶんと成長したようだな、アトロポス。お前の言うとおり、シルヴァレート王子が消息を絶ったのが十日前だとすれば、たしかに日数が合わない。それに、アストリア共和国とは友好的な関係ではなかったにせよ、宣戦布告もせずに攻め込んでくるほどの緊張関係でもなかった。今回の件には裏があるようだ」
「はい……。私もそう思います」
 ダリウスの意見は、アトロポスの考えと概ね一致していた。

「この件は、俺の方でよく調査してみるとしよう。何か分かったら教えてやる」
 マグノリアが退出してから、ダリウスの一人称が私から俺に代わっていた。だんだんと地が出て来たようだった。
「いいんですか? 国家機密では……?」
 アトロポスは驚いてダリウスの顔を見つめた。国家間の戦争など、第一級の機密情報に他ならなかったからだ。
「マグノリアの件ではお前に世話になったからな。その礼だと思え。ただし、他言はするなよ」
 ダリウスがニヤリと笑いながらアトロポスに告げた。

「分かりました。ありがとうございます」
 一度は敵対した男だが、きちんと話をしてみるとさすがに国家の重臣だけあり、尊敬できる人物だとアトロポスは思った。
「ところで、アトロポス。俺がつけた左頬の傷がないな。回復ポーションを使ったのか?」
(そうだ。この人、女の顔に傷をつけたんだっけ?)
 アトロポスは上方修正したダリウスの評価を、再び下降させた。

「はい。シルヴァに上級回復ポーションをもらいました」
 その時の状況を思い出し、アトロポスは顔を赤く染めた。シルヴァレートに朝まで愛され、何度も歓悦の頂点を極めて、官能の愉悦を教え込まれたことを思い出したのだ。
(やだ……こんな時に何を考えてるの、私は……)

「そうか。まあ、あのくらいの傷なら回復ポーションを使えばすぐに治るとは思っていたがな……」
「ちょ……、治ることが分かっていて、わざと女の顔に傷をつけたんですか?」
「お前が噂以上の腕だったので、少し悔しくてな……。まあ、許せ」
「……」
(悔しいからって、そんな理由で顔に傷をつけられたら堪ったもんじゃないわよ!)
 さすがにムッとして、アトロポスはダリウスを睨みつけた。

「では、そろそろ行くぞ、アトロポス」
「どこに行くんです?」
 笑いながら席を立ったダリウスに、アトロポスは不機嫌そうに訊ねた。
「中庭にある訓練場だ。リギアが戻ってくるまでまだ時間もあるし、少し手合わせをしてやる。お前とは一度、きちんと戦ってみたかったからな」
「……分かりました」
(まったく……。アイザックさんといい、アルフレードさんといい、このダリウス将軍といい……。どうして男の人って、意地悪で子供っぽいのかしら?)
 アトロポスは席を立つと、ダリウスの後に続いて応接室から出て行った。


 近衛騎士団本部の中庭にある訓練場は縦横二百メッツェ以上あり、冒険者ギルド・ザルーエク支部の地下訓練場と同等以上の広さがあった。
 王宮最強と呼ばれるダリウス将軍が模擬戦を行うと知った近衛騎士たちが、その周囲を囲むように大勢見学にやって来た。全部で二百人以上の騎士たちに囲まれながら、アトロポスは小さくため息をついた。

(何か、これだけ大勢の見学者がいる中で、わざと負けるのも悔しいわね。そうだ、引き分けにしちゃえばいいじゃない?)
 訓練場の中央でダリウス将軍と対峙しながら、アトロポスはニヤリと笑いを浮かべた。

「武器はその刀を使うか? それとも模擬刀にするか?」
「模擬刀を貸してもらえますか?」
 本当は使い慣れた<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を使いたかったが、二百人を超える近衛騎士たちにブルー・ダイヤモンド製の刀身を見せびらかすわけにもいかず、アトロポスは模擬刀を選んだ。模擬刀の刀身は鉄製で、練習用に刃を潰してあるのだ。

「おい、誰か女性用の模擬刀を一本持って来てやれ。俺にはいつもの模擬剣をくれ」
 まだ十代と思われる若い近衛騎士が走り寄ってきて、アトロポスとダリウスにそれぞれ模擬刀と模擬剣を渡した。
「ありがとうございます」
 とびきりの営業スマイルでそう告げると、その騎士は顔を真っ赤に染め上げた。
(可愛い……。私の笑顔も捨てたもんじゃないわね)

「準備はいいか、アトロポス?」
 ダリウスの言葉に、アトロポスはハッと気を引き締めた。目の前に立つ王宮最強の騎士からは、薄い覇気が立ち上っていた。
(覇気を使える? 以前よりも強くなっているってこと?)
「はい、いつでも構いません」
(最初は天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの速度強化を使わずに様子を見る!)

「いくぞッ!」
 開始のかけ声とともに、ダリウスの体がブレて消えた。次の瞬間、アトロポスの左側から凄まじい斬撃が襲った。
(思ったより、早いわね)
 足捌きだけで体を開くと、アトロポスはその斬撃を紙一重で躱した。だが、ダリウスはそれを読んでいたかのように、アトロポスの右下から逆袈裟に斬り上げてきた。アトロポスは即座に後方へ飛び退いて距離を取った。

「さすがにやるな、アトロポス」
 ニヤリと笑いながら、ダリウスは正眼に模擬剣を構えた。
「この間は手を抜いてくれていたんですか、ダリウス将軍? 速度も威力も、全然違うんですけど……」
「ぬかせ、手を抜いていたのはどっちだ?」
 そう告げると、ダリウスは再び凄まじい速度でアトロポスに肉迫した。

「ハッ!」
 裂帛の気合いとともに、ダリウスが袈裟懸けを放った。それを躱したと思うと、左から横薙ぎが襲い、間髪を入れずに右下から逆袈裟が来た。アトロポスは体捌きだけでダリウスの鋭い連撃を躱し続けた。彼女の模擬刀は、まだ左腰から一度も抜かれていなかった。

「舐めているのか、アトロポスッ! 抜けッ!」
 ダリウスが上段から凄まじい斬撃を放った。まともに受けたら、模擬刀が粉砕されてしまうほどの威力と速度だった。アトロポスは大きく後方へ跳び、宙で一回転してから着地した。

「冗談言わないでください! 抜いている暇がないんですよ!」
 それはアトロポスの本音だった。ダリウスの連撃をすべて躱しているとは言え、速度強化なしではアトロポスに余裕などなかった。アトロポスは左腰の模擬刀に手を掛けると、両脚を大きく開いて居合いの構えを取った。

(将軍の後ろに人はいない。今だッ!)
「ハッ!」
 裂帛の気合いとともに、アトロポスは居合いを放った。次の瞬間、漆黒の神刃しんじんがダリウスの顔めがけて翔破した。
「くッ……!」
 ダリウスが辛うじて顔を左に傾げた。漆黒の神刃はダリウスの右頬を切り刻み、そのまま後方の木を直撃した。

 ズッシーン……ッ!

 直径二メッツェはある巨木が地上から二メッツェ近くの位置で両断され、轟音を立てながら地面に倒れ落ちた。二人の模擬戦を見ていた近衛騎士たちからどよめきが沸き起こった。

「覇気攻撃か? ここまで腕を上げていたとは思いもしなかったぞ!」
 右頬から血を流しながら、ダリウスが嬉しそうに笑った。
「それくらいの傷、回復ポーションですぐに治りますよ」
 アトロポスが笑顔を浮かべながらダリウスに告げた。先ほど、ダリウスから言われた言葉そのものだった。アトロポスは最初から、漆黒の神刃でダリウスの頬に傷をつけることを狙ったのだ。

(さて、顔の傷のお返しはしたし、どうやって引き分けようかな……?)
 アトロポスが次の手を考えようとした時、ダリウスが叫んだ。
「では、今度は俺の番だ。これを受けられるか、アトロポスッ!」
 模擬剣を上段に構えたダリウスの全身から、茶色い覇気が湧き上がった。その覇気が急速に濃度を増していき、濃茶色へと変わっていった。

(土属性の覇気……? これって、やばくない?)
 アトロポスは後ろを振り返った。ダリウスとアトロポスを繋いだ直線上に、十人近い近衛騎士たちがいた。
(何考えてるのよ、ダリウスめ! 私が避けたら、あの人たちに直撃しちゃうじゃない?)
 ダリウスの覇気が上段に構えた模擬剣へと収斂しゅうれんしていった。模擬剣の剣身が濃茶色に染まり、その周囲からオーラのように茶焔が燃え上がった。

(威力はクラスAってところね。仕方ない、相殺するか……)
「行くぞ、アトロポスッ! ハァアアッ!」
 裂帛の気合いとともに、ダリウスが凄まじい速度で模擬刀を振り抜いた。同時に、濃茶色の覇気が螺旋を描きながらアトロポスに襲いかかった。

 アトロポスは一割ほどの覇気を放出し、黒炎を纏うと瞬時に模擬刀に流し込んだ。
「ハッ!」
 短い気合いとともに、模擬刀を左下から右上へと逆袈裟に斬り上げた。ダリウスが放った濃茶色の覇気とまったく同量の漆黒の奔流が迸り、二人の中間で激突した。

 ズドーーンッ!

 中庭を揺るがせる轟音とともに、二つの覇気の奔流が対消滅した。激突した場所の地面が大きく抉られ、土砂と粉塵が舞い上がった。

(よしッ! これで引き分けってことにしよう!)
「凄い攻撃ですね、ダリウス将軍! あんまりやばかったから、私も全力を出し切っちゃいました! ちょうど同じくらいの威力で、うまく相殺できましたね! これで、引き分けってことにしませんか?」
 アトロポスは笑顔を浮かべながら、周囲の騎士たちに聞こえるように大声で告げた。

「そうだな……。模擬戦はここまでとしよう。全員、解散しろ! アトロポスは残れ!」
「はい……」
(何か、機嫌悪い? やっぱり、引き分けじゃなくて、負けないとまずかったかな?)
 ダリウス将軍の命令で、模擬戦を見学していた騎士たちが興奮しながら自分たちの持ち場に戻っていった。全員の姿が消えた後、ダリウス将軍が不機嫌そうな表情でアトロポスに近づいてきた。

「アトロポス、本当の力を見せてみろ!」
「え……? ですから、今のが全力……」
 ダリウスはギロリとアトロポスを睨みながら告げた。
「覇気の相殺というのは、よほど実力に差がないと不可能なことくらい俺でも知っている。時々手合わせをしてくれているアイザック殿でさえ、あそこまで完璧に相殺できない。お前、どれだけの力を隠しているんだ?」
 アトロポスの大根演技は、まったくダリウスに通じていなかったようだった。

「えっと……、すみません、ダリウス将軍」
「謝る必要はない。実力を見せてみろ」
 そう告げると、ダリウスはアトロポスから五メッツェほど離れた。
「あの……」
「早く見せろ!」
 ダリウスの顔を見つめながら、アトロポスが言った。

「ダリウス将軍、もっと離れてもらってもいいですか?」
「何……? このくらいか?」
 アトロポスから十メッツェほど離れると、ダリウスが訊ねた。
「いえ、もっとお願いします。できれば、五十メッツェくらい……」
「な、何だと……?」
 アトロポスの言葉に驚きながらも、ダリウスは言われたとおり五十メッツェ以上下がった。

「では、いきますね。ハァアアッ!」
 アトロポスは丹田に貯めた覇気を一気に解放した。漆黒の覇気がアトロポスの全身から噴出し、次の瞬間巨大な黒炎となった。黒炎の高さは優に二十メッツェを超え、周囲の大気がビリビリと震撼し、アトロポスを中心として直径三十メッツェ以上の地面が大きく抉られた。

「……!!」
 ダリウスは驚愕して言葉を失い、立ち竦んだ。彼が知る唯一の剣士クラスSであるアイザックを、大きく超越するほどの凄絶な覇気だった。
「ふう……。今ので大体、半分くらいです。これ以上やると、近衛騎士団本部に被害が出そうなので……」
 覇気を収めると、アトロポスが照れ隠しに笑いながら告げた。

「は、半分……だと……?」
「はい。あ、一応、この刀を使えば、私の覇気を二十倍まで強化できるんです」
 そう告げると、アトロポスは<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を抜いてダリウスに見せた。
「に、二十倍って……? こ、これは、ブルー・ダイヤモンドか……?」
 驚愕のあまり、ダリウスは濃茶色の瞳を大きく見開いた。刀身すべてがブルー・ダイヤモンドでできている武器など、ダリウスは未だかつて見たこともなかった。

「一応、私の力を知っている人はギルドでもほとんどいないので、他言無用でお願いしますね」
「あ、ああ……」
 まるで魂を抜かれたように、呆然としながらダリウスが頷いた。

「では、私たちもそろそろ戻りませんか? マグノリアも退屈してそうですから……」
 笑顔でそう告げると、アトロポスは<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を納刀して近衛騎士団本部へと歩き始めた。長い黒髪を揺らしながら歩くアトロポスの背を見送りながら、ダリウスは真剣な表情で眉間に皺を寄せた。

(化け物か……? もし、アトロポスがレウルキア王国に敵対したら、全騎士団を集結しても勝てないぞ……)
 ダリウスは、絶対にアトロポスを敵に回さないことを固く心に誓った。
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