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第4章 新たなる試練
1 革職人の採寸
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「ち、ちょっと……冗談ですよね?」
思わず両手で胸を隠すと、アトロポスは冷や汗を流しながら後ずさった。マントや鞄を作るのに、裸にされるなどとは思いもよらなかった。
(何考えてるのよ、この人? 変人どころか、変態じゃないの?)
レオンハルトが変人ハインツと呼んだことを思い出しながら、アトロポスは彼を睨みつけた。
「冗談? 何を言っているんです? あなたの筋肉の動きや肌の弾力が分からないと、いい物が作れないじゃないですか?」
「そ、そこまで調べなくても……サイズ調整の魔法を付与しますから……」
両手を伸ばしながらゆっくりと近づいてくるハインツに、アトロポスは壁際へと追いやられていった。
(まさか、ぶん殴るわけにもいかないし……。でも、このままじゃ絶対にまずい……)
「サイズ調整魔法なんて必要ありません。あたしがあなたにピッタリと合ったマントと鞄を作ってあげますよ。ヒ、ヒッヒッヒッ……」
ドンッと背中が壁に押しつけられた。これ以上後ずさることができなくなり、アトロポスは右手で<蒼龍神刀>の柄を握りしめながら叫んだ。
「それ以上近づくと、私も本気で怒ります! 止まってくださいッ!」
アトロポスの剣幕に驚いたのか、ハインツが足を止めた。そして、憐れみを浮かべたような眼でアトロポスを見据えた。
「採寸させてもらえないと、本当に作れないんですがねぇ……。まあ、裸になるのがどうしても嫌なら、下着は着けていてもいいですよ。少なくても、その革鎧は脱いでください。もし、それも断るのであれば、残念ですがあなたの依頼は受けられませんね。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
(この人、本気で採寸するつもりなの? でも、直接素手で肌を触られるなんて、絶対に嫌だわ……。だけど、クロトー姉さんが紹介してくれた職人だし……。他に革職人なんて知らない……)
しばらくの間、アトロポスはハインツの顔を見つめながら逡巡した。だが、ハインツの人格よりも、クロトーを信じることに決めた。
「分かりました。鎧を脱ぎます。できるだけ手早く採寸をお願いします」
そう告げると、アトロポスは意を決して天龍の革鎧を脱ぎ始めた。白い肌と均整の取れた女性らしい肢体がハインツの目に晒された。
(下着を着けているとは言え、やっぱり恥ずかしい……)
羞恥に顔を赤く染めながら、アトロポスは両手で胸と下腹部を隠した。
「では、こっちに来て、後ろを向いてください。ヒ、ヒッヒッヒッ……」
「……」
言われたとおりハインツに近づくと、アトロポスは彼に背を向けて立った。
「両手を脇に下ろして、動かないように……ヒッヒッヒッ……」
両腕を横に添えると、ハインツの手がアトロポスの肩に触れてきた。ビクンッと体を震わせると、アトロポスは唇を噛みしめながら嫌悪感に耐えた。
「ほう……。これは柔らかくてしなやかですね。弾力性も申し分ありません。あなた、一流の剣士のようですね……」
ハインツの手がアトロポスの僧帽筋から広背筋、脊柱起立筋を撫で下ろしながら腰まで下りていった。両手で臀筋を触られた瞬間、アトロポスは悲鳴を上げた。
「いやッ! どこ触ってるのッ!」
ハインツはアトロポスの抗議を無視すると、両手を前に回してきた。脚の付け根から腹筋を撫で上げながら、大胸筋へと移った。ハインツが両手で乳房を包み込んだ時、アトロポスは再び悲鳴を上げた。。
「ひッ……! そんなとこ、触らないでッ!」
下着の上から胸の先端を擦られた瞬間、アトロポスはビクンッと震撼して顎を突き上げた。だが、ハインツはアトロポスの反応に興味を示さず、両手を三角筋から上腕二頭筋、前腕筋へと下ろしてきた。
「ふむ……。お疲れ様でした。いい筋肉の付き方をしていますよ。おかげでいい物が作れそうです。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
そう告げると、ハインツはアトロポスから離れて満足そうに笑った。
(本当に採寸だけが目的だったみたいね。でも、こんな採寸、二度とお断りだわ……)
アトロポスは急いで革鎧を着込むと、恥ずかしさに顔を赤く染めながらハインツを睨んだ。
「マントの形や色に希望はありますか?」
「フード付きでお願いします。色は黒で……。それと、材料はこれを使ってください」
アトロポスはアイザックから借りた革袋から、混沌龍の鱗と皮、そして宝玉を取り出して机の上に置いた。
「こ、これは……!?」
一流の革職人だけあり、ハインツはひと目見てそれらの価値に気づいた。
「混沌龍の部位と宝玉です。宝玉は、マントの留め金部分に装着してください。細かいデザインはお任せしますが、激しい動きをしても邪魔になりにくい物をお願いします」
あらかじめ決めておいた希望をアトロポスはハインツに告げた。
「これだけの材料を扱うのは、あたしも初めてです。興奮してきましたよ、ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「……」
(人間性は最悪だけど、たしかに腕は立ちそうね……)
アトロポスは品定めするようにハインツを見つめた。
「鞄はどうします? 何か希望は……?」
「この鎧の腰につけられる物をお願いします。こちらも、激しい動きで邪魔にならないデザインと大きさで……」
「さっきの革袋のように、魔法で容量を増やすんですね。分かりました。ご希望に添える物を作りましょう……ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
自信ありげにハインツが大きく頷きながら告げた。
「費用と期間を教えてください」
「そうですねぇ……。材料は持ち込みだから、あたしの技術料として白金貨三百枚でいかがでしょうか?」
正直なところ、白金貨三百枚は高いと思ったが、混沌龍の討伐料である白金貨三十五万枚から比べれば微々たるものだった。下手に値切ってハインツの機嫌を損ねるよりは、そのまま受けようとアトロポスは考えた。
「分かりました。支払いは受け取り時でいいですか?」
「もちろんです、ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「期間は……?」
アトロポスの問いに、ハインツは一瞬考え込んだ後に告げた。
「七日ください。七日後の夜の四つ鐘にもう一度来てもらえますか?」
「分かりました。よろしくお願いします」
アトロポスはハインツに頭を下げると、彼の工房から足早に出て行った。ハインツの職人としての技量は認めたが、その人格は生理的に受け入れられないものだった。
(早く宿を取って、お風呂に入りたい……)
アトロポスはハインツに触られた体を、一刻も早く洗い流すことだけを考えていた。
『ヴンダー革工房』を出たアトロポスは、西シドニア通りを右に曲がり、南インディス大通りに入った。この辺りは、宿屋や酒家が多く並んでいる首都レウルーラ随一の繁華街だった。
アトロポスは『銀の白鳥亭』という宿屋に入ると、白金貨七枚を支払って七日間の宿泊を予約した。『銀の白鳥亭』は三階建ての上級宿で、白亜の王宮をイメージした清楚で優雅な造りの建物だった。
通された三階の東南にある角部屋は百平方メッツェほどの広さがあり、居間と寝室の二室に分かれていた。居間の中央には上品な布張りの応接ソファが置かれていて、そこに座ると正面に飾られた大きな風景画の緑が鮮やかに映った。置いてある家具や装飾品も高級な物が揃えられており、上級宿に相応しい豪奢な雰囲気の中にも洗練された美しさを醸し出していた。
寝室の中央には天蓋付きの大きな寝台があり、大人二人が余裕を持って寝られる広さがあった。寝台の左右に置かれたナイトテーブルは猫足で、美しい木目が天板を引き立てていた。白い壁にあるクローゼットには、ナイトガウンやバスローブ、リネン類などが配置よく並べられていた。
「いい部屋ね。お風呂はどうかな?」
ハインツに触れられた体を早く洗い流したくて、アトロポスは居間のテーブルに荷物を置くと、洗面所の扉を開けた。広い脱衣所には鏡張りの洗面台が設置されており、化粧液や乳液、櫛などが置かれていた。内扉を開いて浴室に入ると、中央に置かれた楕円形のバスタブの白さが目に映えた。満足げな笑みを浮かべると、アトロポスは一度居間に戻った。
荷物の中から着替えを取り出すと、アトロポスは天龍の革鎧を脱ぎ捨てて白い下着姿になり、再び風呂場へと向かった。脱衣所ですべてを脱ぎ捨てて裸身になると、アトロポスは内扉を開けて浴室に入って行った。
壁に設置されている給湯器で浴槽にお湯を溜めながら、アトロポスは手桶に湯を汲んで掛け湯をした。大きな鏡がある洗い場で石鹸を泡立たせると、アトロポスは両手で裸身を洗い始めた。特にハインツに触れられた場所は、念入りに石鹸で洗い清めた。再び手桶にお湯を汲むと、アトロポスはゆっくりと石鹸を洗い流した。
ハインツが残した不快感を拭い去ると、アトロポスは背中まで真っ直ぐに伸ばした黒髪にお湯を掛け、頭髪用石鹸で丁寧に洗い始めた。頭髪用石鹸は貴族が愛用している石鹸で、油分が多く含まれており、洗った後の髪がしっとりと滑らかになるのだ。高価なために一般にはあまり普及しておらず、一部の上級宿にしか置かれていなかった。
「ふう……。気持ちいい……」
全身を綺麗に清め終えると、アトロポスは浴槽に体を沈めた。温めのお湯が肌に優しく、疲れと緊張を解してくれるようだった。十六歳の若い肌が瑞々しい艶やかさを取り戻し、アトロポスは眼を閉じて浴槽に体を横たえた。
十分に入浴を愉しむと、アトロポスは浴室を出て濡れた黒髪と体をバスタオルで丁寧に拭き取った。
(私も、クロトー姉さんみたいになれるかな?)
形よく丸みを帯びた胸を鏡に映しながら、アトロポスはクロトーの豊かな胸を思い浮かべた。
(まだ十六だし……これからよ)
気を取り直して新しい下着を身につけると、アトロポスは素肌の上からバスローブを羽織った。脱いだ下着を小さく纏めるとと、アトロポスは浴室を出て居間に戻った。
(そう言えば、あの時はシルヴァが魔法で氷を出してくれたっけ……)
渇いた喉を潤すために、水筒に入ったぬるい水を飲みながらアトロポスは思い出した。
(シルヴァ……どこで、何をしているのかな?)
金髪碧眼の整った容貌を思い描くと、アトロポスは壁に掛けられた絵画を見つめた。緑溢れる森の中を、白馬に乗った騎士が進んでいく絵だった。いつになったら、この騎士のように迎えに来てくれるのか、アトロポスは不安と寂しさに心が沈んだ。
「落ち込んでいても仕方ないわ。お腹も空いたし、下の食堂に行ってご飯でも食べようっと……」
声に出してそう言うと、アトロポスは天龍の革鎧を身につけた。編み上げ靴の紐をしっかりと結び、左腰に<蒼龍神刀>を差すと、居間にある姿見に全身を映して確認した。
漆黒の鎧が白い肌を引き立てていることに満足して頷くと、アトロポスは食堂に向かうために部屋を後にした。
上級宿の食堂だけあり、客層も一目で裕福な商人や貴族と分かる者が多かった。女性客は両肩を露わにした美しいドレス姿で、大きな宝石の付いたネックレスや指輪を身につけていた。革鎧を着ている冒険者は、アトロポス一人だけだった。
(あんなドレスより、この鎧の方がずっと高いんだからね……。でも、クロトー姉さんならローブ姿でも、きっと一番注目を浴びるわね……)
女としての魅力のなさを痛感すると、アトロポスはいたたまれない気持ちでメニューに目を通した。
「すみません、このBセットと紅桜酒をお願いします」
注文を取りに来た男性店員にそう告げると、アトロポスはこれからの予定を整理し始めた。
(明日は首都レウルーラのギルド本部に行ってみようかな? そこで、面白そうな依頼があったら、受けてみてもいいかも……)
本来は<星月夜>のメンバーであるアトロポスが、個人で勝手に依頼を受けることは禁止されていた。だが、ハインツに会いにレウルーラに向けて出発する時に、クロトーはアトロポスに言ったのだった。
『ちょうどいい機会だから、冒険者ギルド・レウルーラ本部に顔を出してきなさい。マントが出来上がるまでの間なら、何か依頼を受けてもいいわよ。ただし、SS級魔獣の討伐なんて無茶はしないようにね』
笑顔で告げたクロトーの言葉を思い出し、アトロポスは楽しげに顔を綻ばせながら店員が運んできた紅桜酒に口をつけた。
思わず両手で胸を隠すと、アトロポスは冷や汗を流しながら後ずさった。マントや鞄を作るのに、裸にされるなどとは思いもよらなかった。
(何考えてるのよ、この人? 変人どころか、変態じゃないの?)
レオンハルトが変人ハインツと呼んだことを思い出しながら、アトロポスは彼を睨みつけた。
「冗談? 何を言っているんです? あなたの筋肉の動きや肌の弾力が分からないと、いい物が作れないじゃないですか?」
「そ、そこまで調べなくても……サイズ調整の魔法を付与しますから……」
両手を伸ばしながらゆっくりと近づいてくるハインツに、アトロポスは壁際へと追いやられていった。
(まさか、ぶん殴るわけにもいかないし……。でも、このままじゃ絶対にまずい……)
「サイズ調整魔法なんて必要ありません。あたしがあなたにピッタリと合ったマントと鞄を作ってあげますよ。ヒ、ヒッヒッヒッ……」
ドンッと背中が壁に押しつけられた。これ以上後ずさることができなくなり、アトロポスは右手で<蒼龍神刀>の柄を握りしめながら叫んだ。
「それ以上近づくと、私も本気で怒ります! 止まってくださいッ!」
アトロポスの剣幕に驚いたのか、ハインツが足を止めた。そして、憐れみを浮かべたような眼でアトロポスを見据えた。
「採寸させてもらえないと、本当に作れないんですがねぇ……。まあ、裸になるのがどうしても嫌なら、下着は着けていてもいいですよ。少なくても、その革鎧は脱いでください。もし、それも断るのであれば、残念ですがあなたの依頼は受けられませんね。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
(この人、本気で採寸するつもりなの? でも、直接素手で肌を触られるなんて、絶対に嫌だわ……。だけど、クロトー姉さんが紹介してくれた職人だし……。他に革職人なんて知らない……)
しばらくの間、アトロポスはハインツの顔を見つめながら逡巡した。だが、ハインツの人格よりも、クロトーを信じることに決めた。
「分かりました。鎧を脱ぎます。できるだけ手早く採寸をお願いします」
そう告げると、アトロポスは意を決して天龍の革鎧を脱ぎ始めた。白い肌と均整の取れた女性らしい肢体がハインツの目に晒された。
(下着を着けているとは言え、やっぱり恥ずかしい……)
羞恥に顔を赤く染めながら、アトロポスは両手で胸と下腹部を隠した。
「では、こっちに来て、後ろを向いてください。ヒ、ヒッヒッヒッ……」
「……」
言われたとおりハインツに近づくと、アトロポスは彼に背を向けて立った。
「両手を脇に下ろして、動かないように……ヒッヒッヒッ……」
両腕を横に添えると、ハインツの手がアトロポスの肩に触れてきた。ビクンッと体を震わせると、アトロポスは唇を噛みしめながら嫌悪感に耐えた。
「ほう……。これは柔らかくてしなやかですね。弾力性も申し分ありません。あなた、一流の剣士のようですね……」
ハインツの手がアトロポスの僧帽筋から広背筋、脊柱起立筋を撫で下ろしながら腰まで下りていった。両手で臀筋を触られた瞬間、アトロポスは悲鳴を上げた。
「いやッ! どこ触ってるのッ!」
ハインツはアトロポスの抗議を無視すると、両手を前に回してきた。脚の付け根から腹筋を撫で上げながら、大胸筋へと移った。ハインツが両手で乳房を包み込んだ時、アトロポスは再び悲鳴を上げた。。
「ひッ……! そんなとこ、触らないでッ!」
下着の上から胸の先端を擦られた瞬間、アトロポスはビクンッと震撼して顎を突き上げた。だが、ハインツはアトロポスの反応に興味を示さず、両手を三角筋から上腕二頭筋、前腕筋へと下ろしてきた。
「ふむ……。お疲れ様でした。いい筋肉の付き方をしていますよ。おかげでいい物が作れそうです。ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
そう告げると、ハインツはアトロポスから離れて満足そうに笑った。
(本当に採寸だけが目的だったみたいね。でも、こんな採寸、二度とお断りだわ……)
アトロポスは急いで革鎧を着込むと、恥ずかしさに顔を赤く染めながらハインツを睨んだ。
「マントの形や色に希望はありますか?」
「フード付きでお願いします。色は黒で……。それと、材料はこれを使ってください」
アトロポスはアイザックから借りた革袋から、混沌龍の鱗と皮、そして宝玉を取り出して机の上に置いた。
「こ、これは……!?」
一流の革職人だけあり、ハインツはひと目見てそれらの価値に気づいた。
「混沌龍の部位と宝玉です。宝玉は、マントの留め金部分に装着してください。細かいデザインはお任せしますが、激しい動きをしても邪魔になりにくい物をお願いします」
あらかじめ決めておいた希望をアトロポスはハインツに告げた。
「これだけの材料を扱うのは、あたしも初めてです。興奮してきましたよ、ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「……」
(人間性は最悪だけど、たしかに腕は立ちそうね……)
アトロポスは品定めするようにハインツを見つめた。
「鞄はどうします? 何か希望は……?」
「この鎧の腰につけられる物をお願いします。こちらも、激しい動きで邪魔にならないデザインと大きさで……」
「さっきの革袋のように、魔法で容量を増やすんですね。分かりました。ご希望に添える物を作りましょう……ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
自信ありげにハインツが大きく頷きながら告げた。
「費用と期間を教えてください」
「そうですねぇ……。材料は持ち込みだから、あたしの技術料として白金貨三百枚でいかがでしょうか?」
正直なところ、白金貨三百枚は高いと思ったが、混沌龍の討伐料である白金貨三十五万枚から比べれば微々たるものだった。下手に値切ってハインツの機嫌を損ねるよりは、そのまま受けようとアトロポスは考えた。
「分かりました。支払いは受け取り時でいいですか?」
「もちろんです、ヒッ、ヒッヒッヒッ……」
「期間は……?」
アトロポスの問いに、ハインツは一瞬考え込んだ後に告げた。
「七日ください。七日後の夜の四つ鐘にもう一度来てもらえますか?」
「分かりました。よろしくお願いします」
アトロポスはハインツに頭を下げると、彼の工房から足早に出て行った。ハインツの職人としての技量は認めたが、その人格は生理的に受け入れられないものだった。
(早く宿を取って、お風呂に入りたい……)
アトロポスはハインツに触られた体を、一刻も早く洗い流すことだけを考えていた。
『ヴンダー革工房』を出たアトロポスは、西シドニア通りを右に曲がり、南インディス大通りに入った。この辺りは、宿屋や酒家が多く並んでいる首都レウルーラ随一の繁華街だった。
アトロポスは『銀の白鳥亭』という宿屋に入ると、白金貨七枚を支払って七日間の宿泊を予約した。『銀の白鳥亭』は三階建ての上級宿で、白亜の王宮をイメージした清楚で優雅な造りの建物だった。
通された三階の東南にある角部屋は百平方メッツェほどの広さがあり、居間と寝室の二室に分かれていた。居間の中央には上品な布張りの応接ソファが置かれていて、そこに座ると正面に飾られた大きな風景画の緑が鮮やかに映った。置いてある家具や装飾品も高級な物が揃えられており、上級宿に相応しい豪奢な雰囲気の中にも洗練された美しさを醸し出していた。
寝室の中央には天蓋付きの大きな寝台があり、大人二人が余裕を持って寝られる広さがあった。寝台の左右に置かれたナイトテーブルは猫足で、美しい木目が天板を引き立てていた。白い壁にあるクローゼットには、ナイトガウンやバスローブ、リネン類などが配置よく並べられていた。
「いい部屋ね。お風呂はどうかな?」
ハインツに触れられた体を早く洗い流したくて、アトロポスは居間のテーブルに荷物を置くと、洗面所の扉を開けた。広い脱衣所には鏡張りの洗面台が設置されており、化粧液や乳液、櫛などが置かれていた。内扉を開いて浴室に入ると、中央に置かれた楕円形のバスタブの白さが目に映えた。満足げな笑みを浮かべると、アトロポスは一度居間に戻った。
荷物の中から着替えを取り出すと、アトロポスは天龍の革鎧を脱ぎ捨てて白い下着姿になり、再び風呂場へと向かった。脱衣所ですべてを脱ぎ捨てて裸身になると、アトロポスは内扉を開けて浴室に入って行った。
壁に設置されている給湯器で浴槽にお湯を溜めながら、アトロポスは手桶に湯を汲んで掛け湯をした。大きな鏡がある洗い場で石鹸を泡立たせると、アトロポスは両手で裸身を洗い始めた。特にハインツに触れられた場所は、念入りに石鹸で洗い清めた。再び手桶にお湯を汲むと、アトロポスはゆっくりと石鹸を洗い流した。
ハインツが残した不快感を拭い去ると、アトロポスは背中まで真っ直ぐに伸ばした黒髪にお湯を掛け、頭髪用石鹸で丁寧に洗い始めた。頭髪用石鹸は貴族が愛用している石鹸で、油分が多く含まれており、洗った後の髪がしっとりと滑らかになるのだ。高価なために一般にはあまり普及しておらず、一部の上級宿にしか置かれていなかった。
「ふう……。気持ちいい……」
全身を綺麗に清め終えると、アトロポスは浴槽に体を沈めた。温めのお湯が肌に優しく、疲れと緊張を解してくれるようだった。十六歳の若い肌が瑞々しい艶やかさを取り戻し、アトロポスは眼を閉じて浴槽に体を横たえた。
十分に入浴を愉しむと、アトロポスは浴室を出て濡れた黒髪と体をバスタオルで丁寧に拭き取った。
(私も、クロトー姉さんみたいになれるかな?)
形よく丸みを帯びた胸を鏡に映しながら、アトロポスはクロトーの豊かな胸を思い浮かべた。
(まだ十六だし……これからよ)
気を取り直して新しい下着を身につけると、アトロポスは素肌の上からバスローブを羽織った。脱いだ下着を小さく纏めるとと、アトロポスは浴室を出て居間に戻った。
(そう言えば、あの時はシルヴァが魔法で氷を出してくれたっけ……)
渇いた喉を潤すために、水筒に入ったぬるい水を飲みながらアトロポスは思い出した。
(シルヴァ……どこで、何をしているのかな?)
金髪碧眼の整った容貌を思い描くと、アトロポスは壁に掛けられた絵画を見つめた。緑溢れる森の中を、白馬に乗った騎士が進んでいく絵だった。いつになったら、この騎士のように迎えに来てくれるのか、アトロポスは不安と寂しさに心が沈んだ。
「落ち込んでいても仕方ないわ。お腹も空いたし、下の食堂に行ってご飯でも食べようっと……」
声に出してそう言うと、アトロポスは天龍の革鎧を身につけた。編み上げ靴の紐をしっかりと結び、左腰に<蒼龍神刀>を差すと、居間にある姿見に全身を映して確認した。
漆黒の鎧が白い肌を引き立てていることに満足して頷くと、アトロポスは食堂に向かうために部屋を後にした。
上級宿の食堂だけあり、客層も一目で裕福な商人や貴族と分かる者が多かった。女性客は両肩を露わにした美しいドレス姿で、大きな宝石の付いたネックレスや指輪を身につけていた。革鎧を着ている冒険者は、アトロポス一人だけだった。
(あんなドレスより、この鎧の方がずっと高いんだからね……。でも、クロトー姉さんならローブ姿でも、きっと一番注目を浴びるわね……)
女としての魅力のなさを痛感すると、アトロポスはいたたまれない気持ちでメニューに目を通した。
「すみません、このBセットと紅桜酒をお願いします」
注文を取りに来た男性店員にそう告げると、アトロポスはこれからの予定を整理し始めた。
(明日は首都レウルーラのギルド本部に行ってみようかな? そこで、面白そうな依頼があったら、受けてみてもいいかも……)
本来は<星月夜>のメンバーであるアトロポスが、個人で勝手に依頼を受けることは禁止されていた。だが、ハインツに会いにレウルーラに向けて出発する時に、クロトーはアトロポスに言ったのだった。
『ちょうどいい機会だから、冒険者ギルド・レウルーラ本部に顔を出してきなさい。マントが出来上がるまでの間なら、何か依頼を受けてもいいわよ。ただし、SS級魔獣の討伐なんて無茶はしないようにね』
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