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第3章 蒼龍神刀
6 悪夢の階層
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「ダンジョンって、思ったよりも明るいのね?」
横を歩くノーマに、アトロポスが言った。
「ダンジョンの壁は、ヒカリゴケという魔素を吸収して発光する苔に覆われていることが多いの。だから、ある程度は視界が効くのよ。まあ、中にはヒカリゴケがない場所もあるから、松明を持ってくることは必須だけどね」
「そうなんだ」
ノーマの説明を聞いて、アトロポスは洞窟の壁に視線を移した。たしかに壁全体が発光しているようだった。
「おしゃべりはそこまでだ。早速、お客さんが来たぞ! メルビン、頼む」
先頭を歩いているギルバートの声に、メルビンが背中の矢筒から矢を取り出し、弓につがえた。アトロポスが前方を確認すると、三体のゴブリンがこちらを見て指差していた。
「仲間を呼ばせるなよ!」
「分かってる……」
ギルバートの方を振り向きもせずに答えると、メルビンは矢を射った。矢は中央にいたゴブリンの眉間に刺さり、短い悲鳴を上げて絶命させた。
「左だッ!」
ギルバードは短く叫ぶと、自分は右側のゴブリンに向かって走り出した。次の瞬間、左側のゴブリンの胸部をメルビンの矢が貫いた。仲間が殺されて逃げ出そうとしたゴブリンの背中を、ギルバートが右肩から左腰にかけて両断した。鮮血を噴き上げながら、ゴブリンの体がずれ落ちた。
「お見事ですね」
アトロポスの賞賛に、ギルバートは気を引き締めながら告げた。
「ローズ、安心するな。ゴブリンは例の黒いヤツと同じだ。一匹見かけたら、十匹はいると思った方がいい」
「いたわ! 左奥の岩の陰よ!」
アトロポスと違い、周囲を窺っていたノーマが叫んだ。岩が邪魔してメルビンは矢を射れなかった。
「俺たちが行く! デビット、行くぞ!」
「おう!」
ギルバートが抜き身の長剣を右手に持ちながら走りると、デビットは左手で盾を構え、右手で片手剣を抜きながら駆けた。
岩の上に飛び乗ると、ギルバートは瞬時にゴブリンの居場所を見極めて、上段から剣を振り下ろしながら跳んだ。体重をすべて乗せたギルバートの斬撃に、頭頂から股間までを両断されたゴブリンが左右に分かれて倒れた。
「行かせるかッ!」
逃げ出そうと岩から飛び出してきたゴブリンに盾ごと体当たりをすると、デビットは胸部を剣で貫いて壁に串刺しにした。
(一匹いたら十匹ね……。他には……? あ、いた! 吹き矢? 毒が……?)
「緊急事態なので、加勢します!」
そう叫ぶと、アトロポスは<蒼龍神刀>で居合抜きを放った。漆黒の神刃が飛翔し、二十メッツェ先にいたゴブリンの首を刎ねた。頭部を失った首から鮮血を噴き上げると、ゴブリンはゆっくりと後ろ向きに倒れ込んだ。カランと音がして、吹き矢筒が死体の近くに転がった。
「毒矢か……? 助かった、ローズ。ありがとう」
アトロポスが倒したゴブリンの吹き矢の匂いを嗅ぐと、顔を顰めながらギルバートが礼を言った。
「いえ。近くにはもういないみたいです。魔石を取るんですか?」
「いや、放っておく。F級魔獣のゴブリンの魔石は親指くらいしかないし、持ち帰ってもギルドで買い取りもしてくれないんだ。先に進もう」
ギルバートは残心の血振りをすると、左腰の鞘に剣を収めて進み始めた。
ギルバートが管理事務所で聞いた話によると、『風魔の谷』の一つの階層はザルーエクの街の半分くらいの広さだということだった。一般的なダンジョンと比較して、それが広いのか狭いのかはアトロポスには分からなかった。
入口付近で六匹のゴブリンを倒した後は、一階層に魔獣の気配は見当たらなかった。アトロポスたちは一階層の最奥にある下り坂を進み、二階層へと足を踏み入れた。
(結構いるわね。五十……いえ、百以上の気配を感じるわ)
最初の戦闘でアトロポスは魔獣の気配を探ることは、覇気を感じることと同じであることに気づいた。覇気とは魔力の一種だ。その魔力の大きさと場所を感知することで、相手の居場所や強さを感じ取るのだ。
魔獣は魔素から生まれる。魔素とは魔力の塊のようなものだった。つまり、魔力の塊がどこにあるか、どれだけの大きさかを感じ取れば、魔獣の居場所や強さが分かることをアトロポスは理解した。
「ギルバートさん、今、このダンジョンに入っているパーティの数って訊きましたか?」
「いや、特に訊かなかったが……。入場記録には十以上のパーティ名が書かれていたな。それがどうしたんだ?」
アトロポスの質問の主旨が分からずに、ギルバートが訊ねた。
「この二階層には、百以上の魔獣の気配があります。これって、普通のことですか?」
「百だって……?」
「そんなの、明らかに異常よ!」
ギルバートとノーマが驚愕の表情を浮かべながら言った。
「そのうち、戦闘をしているのが三箇所です。女性の冒険者がいるかどうかまでは分かりませんが、助けた方がいいと思います」
「分かった! 百以上の魔獣は、全部ゴブリンか?」
「魔獣の種類は分かりませんが、魔力の大きさはほとんどがさっきのゴブリンくらいです。ただ、中には二つほど大きな魔力があります」
異常事態が発生していると知り、アトロポスは天龍の革鎧に魔力を流し始めた。アトロポスの全身から漆黒の覇気が立ち上った。
「ローズ、手を貸してくれ! これは、明らかな異常だ!」
「はい! ギルバートさんたちはこの場所にいてください。逃げてきた冒険者がいたら、一階層に逃がしてあげてください!」
「分かった! ローズは?」
アトロポスの言葉に頷くと、ギルバートが訊ねた。
「私一人の方が速く動けます。行ってきます!」
そう告げた瞬間、アトロポスの姿がブレた。次の瞬間、地面に大きな蹴り跡を残して、アトロポスの姿が消失した。
(もう少し右……! まただわ! めんどうね!)
速度強化と筋力強化を三十倍に上げたまま、アトロポスは疾走していた。取りあえず右奥から感じる戦闘の気配に向かっているのだが、その途中に少数のゴブリンの群れがいくつもあるのだ。ギルバートたちの安全のためにも、アトロポスは近くにいるゴブリンの群れを片っ端から倒していた。
「ハァアアッ!」
漆黒の神刃を連続して放ち、七匹のゴブリンの首を刎ねると、アトロポスは最初の目的地に到着した。
「……!」
三人の男の冒険者が地面に倒れており、二人の女性冒険者がゴブリンに犯されていた。それを見た瞬間、アトロポスの全身から黒炎が燃え上がった。
「離れなさいッ!」
右手に握った<蒼龍神刀>を、アトロポスは右から左に水平に振り抜いた。巨大な漆黒の神刃が翔破し、一人の女性を襲っていた二匹のゴブリンの上半身を吹き飛ばした。
「何してるのよッ!」
今度は、<蒼龍神刀>を左下から右上に逆袈裟に斬り上げた。別の女性を凌辱していた三匹のゴブリンが、漆黒の神刃に両断されて絶命した。
順番待ちでもしていたのか、近くには七匹のゴブリンがいた。ゴブリンたちは慌てて吹き矢や棍棒を構えると、アトロポスに向かってきた。
「許せないッ!」
アトロポスの姿がブレると、次の瞬間にはゴブリンたちの背後に現れた。残心の血振りをすると、アトロポスはシャキンッと音を立てて<蒼龍神刀>を納刀した。次の瞬間、七匹のゴブリンたちの頭部が次々と地面に落ち、首から鮮血を噴出しながら倒れ込んだ。
「大丈夫ですかッ?」
アトロポスは最初に助けた女性に駆け寄った。ずたずたに引き裂かれたローブの合間から見える、白い乳房や剥き出された下腹部が痛々しかった。女性は意識を失っていた。アトロポスは彼女の左乳房に耳を押しつけると、確かな鼓動を感じてホッと胸を撫で下ろした。
死角になる場所に彼女を運んで横たえると、アトロポスはもう一人の女性に駆け寄った。
「くッ……!」
その女性は目を見開いていた。口元と下腹部から白濁した液を垂れ流しながら、絶命していた。アトロポスは先ほどの女性の隣りに彼女の遺体を運ぶと、短く祈りを捧げた。
倒れている三人の男性は、いずれも息があった。アトロポスは回復ポーションを持ってきていないことを後悔した。術士であるノーマの顔が浮かんだが、アトロポスは頭を振って彼女の顔を打ち消した。
(こんな危険な場所に、彼女を連れてくるわけにはいかないわ)
再び鎧に魔力を流すと、アトロポスは三十倍に強化した筋力で男性たちを女性の横に運び込んだ。
(悪いけど、助けが来るまでここにいて!)
心の中でそう告げると、アトロポスは次の戦闘をしている場所をめがけて走り出した。
第二の目的地に着いた時、アトロポスは衝撃のあまり黒瞳を大きく見開いた。
十人以上の男女が殺され、犯されていた。ゴブリンたちはビクビクと痙攣を続けている冒険者の腹を剣で切り裂き、内臓を引き出しては笑っていた。三匹のゴブリンが全裸の女性にのしかかり、腰を振りながら涎を垂らしていた。
ひときわ巨大なゴブリン・キングが、坐位のまま裸の女性を貫き犯していた。その女性の股間から流れている鮮血を眼にした瞬間、アトロポスの中で何かが音を立てて切れた。
「貴様ぁああ!」
アトロポスの全身から漆黒の覇気が湧き上がり、爆発するように巨大な黒炎へと昇華した。抜き放った<蒼龍神刀>を上段に構えると、アトロポスは一気に振り抜いた。
漆黒の覇気が奔流と化して、螺旋を描きながらゴブリン・キングの巨体に直撃した。ゴブリン・キングは断末魔の絶叫を上げることもできずに、上半身を消滅させた。
「ハァアアッ!」
裂帛の気合いとともに、アトロポスは漆黒の神刃を連続して放った。冒険者たちを嬲り、犯し、殺していた三十匹以上のゴブリンたちは、首と胴とを斬り放されて次々と絶命した。
アトロポスはゴブリンを殲滅すると、冒険者一人ひとりの手を取って脈を測った。
「……くッ!」
アトロポスは血が滲むまで唇を噛みしめると、無言で立ち上がった。閉じた瞳から涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。
生きている者は一人もいなかった。十二人の冒険者たちの亡骸に、何故もっと早く助けてくれなかったのかと、責められているようにアトロポスは感じた。
(何でこんなことに……!?)
『風魔の谷』は下級ダンジョンだ。本来であれば、狩るのが冒険者で狩られるのがゴブリンだった。それが逆転した。まるで、増長した冒険者たちにダンジョン自体が制裁を加えたかのようだった。
(もう一箇所……)
頬を伝う涙を拭いもせずに、アトロポスは最後の目的地であった場所を目指した。そこにはすでに戦闘の気配などなく、一つの大きな魔力と五十を超える小さな魔力だけが感じられた。
最後の目的地の惨状は、今までの二箇所を遥かに超えていた。それを見た瞬間、アトロポスは嘔吐感に襲われ、その場に座り込むと胃の中の物を吐き出した。
壁際に胡座をかきながら座っている巨大なゴブリン・エンペラーが、串に刺した肉を食い千切りながら咀嚼していた。その大きな手に握られていたのは、股間から口までを槍で串刺しにされた全裸の女性だった。ゴブリン・エンペラーが食べていたのは、その女性の乳房だった。
アトロポスに気づいたゴブリンたちが、指差しながら走り寄ってきた。まるで新しい獲物を見つけたかのように、その醜悪な顔に喜びを浮かべていた。ゴブリンたちの手には、冒険者たちから奪った剣や槍が握られていた。
「許せない……」
アトロポスは左甲で口元を拭うと、ゆっくりと立ち上がって迫り来るゴブリンたちを見据えた。その黒曜石の瞳には、烈火の如き怒りと激しい憎悪の焔が燃えていた。
全身に漆黒の覇気を纏いながら、アトロポスはゆっくりとゴブリンたちに向かって歩き出した。いや、正確には真っ直ぐにゴブリン・エンペラーに向かっていった。
ゴブリンたちの剣が、槍が、鎌が、アトロポスに襲いかかった。だが、それらはアトロポスの残像を斬り裂いたに過ぎず、次の瞬間には彼女を攻撃したゴブリンたちは頭部と体を両断されて地面に倒れ、痙攣しながら鮮血を噴き出していた。
<蒼龍神刀>が一振りされるごとに、三つの頭が宙を舞い、五つの首が地を転がった。アトロポスが一歩進むごとに、無数の漆黒の神刃が周囲を席巻し、ゴブリンたちの体を斬り裂いて細切れにした。
五十匹を超えるゴブリンたちを斬り殺してゴブリン・エンペラーの前に立ったアトロポスは、一滴の返り血さえも浴びていなかった。ゴブリンたちの流す血の一滴までもが憎悪の対象であり、すべてを神速の動きで避けていたのだ。
ゴブリンには様々な変異種が存在する。冒険者ギルドではそれぞれの変異種に命名をし、その危険度によってランク分けをしていた。代表的なところでは次の通りである。
【A級魔獣】
ゴブリン・エンペラー
【B級魔獣】
ゴブリン・キング
ゴブリン・クイーン
【C級魔獣】
ゴブリン・ロード
レッド・ゴブリン
シャーマン・ゴブリン
【D級魔獣】
アーサー・ゴブリン
ゴブリン・ジェネラル
ゴブリン・ナイト
ゴブリン・メイジ
アトロポスの目の前にいるゴブリン・エンペラーは、ガルーダやガーゴイル、オーガ・キングなどと並ぶ紛れもないA級魔獣だった。
身長は五メッツェを超え、体重は六テーゲム以上もあった。アトロポスと比べると、身長では三倍強、体重に至っては百倍以上もあるのだ。
その膂力は人間の頭部など簡単に握りつぶし、拳を振るえば風圧だけで人を肉片に変えるほどであった。A級魔獣の中でもS級に近いとされる凶悪な魔獣であった。
「あんたが親玉ね? 殺された冒険者たち、穢された女性たちに代わって、私があんたを殺してあげるわッ!」
アトロポスが<蒼龍神刀>を上段に構えた。それを嘲笑うかのように、ゴブリン・エンペラーが右拳をアトロポスに向かって振り落とした。空気が震撼し、周囲の大気が衝撃波となってアトロポスに襲いかかった。
だが、アトロポスは微動もせずにゴブリン・エンペラーを見据えると、<蒼龍神刀>を一気に振り落とした。ゴブリン・エンペラーの放った衝撃波を遥かに超える漆黒の奔流が、螺旋を描きながら超絶な闇の暴風と化して周囲を席巻した。
次の瞬間……
ゴブリン・エンペラーの巨体を漆黒の衝撃波が包み込み、蹂躙し、崩壊し、破壊し尽くした。断末魔の絶叫を上げる暇さえも与えられずに、ゴブリン・エンペラーの巨体が爆発しながら肉片と化して周囲に飛散した。その衝撃によって、大地が鳴動し、ダンジョンに激震が走った。
アトロポスは周囲の冒険者たちの遺体に黙祷を捧げると、再び漆黒の覇気を纏いながらギルバートたちの元へと駆けだした。最初の目的地にいた四人の生存者を救出するためだった。
(この階層には、もう魔獣の気配はない。急がないと……)
時間が経てば経つほど、彼らの助かる可能性は低くなることをアトロポスは知っていた。アトロポスは天龍の革鎧の速度強化と筋力強化を最大まで上昇させた。
横を歩くノーマに、アトロポスが言った。
「ダンジョンの壁は、ヒカリゴケという魔素を吸収して発光する苔に覆われていることが多いの。だから、ある程度は視界が効くのよ。まあ、中にはヒカリゴケがない場所もあるから、松明を持ってくることは必須だけどね」
「そうなんだ」
ノーマの説明を聞いて、アトロポスは洞窟の壁に視線を移した。たしかに壁全体が発光しているようだった。
「おしゃべりはそこまでだ。早速、お客さんが来たぞ! メルビン、頼む」
先頭を歩いているギルバートの声に、メルビンが背中の矢筒から矢を取り出し、弓につがえた。アトロポスが前方を確認すると、三体のゴブリンがこちらを見て指差していた。
「仲間を呼ばせるなよ!」
「分かってる……」
ギルバートの方を振り向きもせずに答えると、メルビンは矢を射った。矢は中央にいたゴブリンの眉間に刺さり、短い悲鳴を上げて絶命させた。
「左だッ!」
ギルバードは短く叫ぶと、自分は右側のゴブリンに向かって走り出した。次の瞬間、左側のゴブリンの胸部をメルビンの矢が貫いた。仲間が殺されて逃げ出そうとしたゴブリンの背中を、ギルバートが右肩から左腰にかけて両断した。鮮血を噴き上げながら、ゴブリンの体がずれ落ちた。
「お見事ですね」
アトロポスの賞賛に、ギルバートは気を引き締めながら告げた。
「ローズ、安心するな。ゴブリンは例の黒いヤツと同じだ。一匹見かけたら、十匹はいると思った方がいい」
「いたわ! 左奥の岩の陰よ!」
アトロポスと違い、周囲を窺っていたノーマが叫んだ。岩が邪魔してメルビンは矢を射れなかった。
「俺たちが行く! デビット、行くぞ!」
「おう!」
ギルバートが抜き身の長剣を右手に持ちながら走りると、デビットは左手で盾を構え、右手で片手剣を抜きながら駆けた。
岩の上に飛び乗ると、ギルバートは瞬時にゴブリンの居場所を見極めて、上段から剣を振り下ろしながら跳んだ。体重をすべて乗せたギルバートの斬撃に、頭頂から股間までを両断されたゴブリンが左右に分かれて倒れた。
「行かせるかッ!」
逃げ出そうと岩から飛び出してきたゴブリンに盾ごと体当たりをすると、デビットは胸部を剣で貫いて壁に串刺しにした。
(一匹いたら十匹ね……。他には……? あ、いた! 吹き矢? 毒が……?)
「緊急事態なので、加勢します!」
そう叫ぶと、アトロポスは<蒼龍神刀>で居合抜きを放った。漆黒の神刃が飛翔し、二十メッツェ先にいたゴブリンの首を刎ねた。頭部を失った首から鮮血を噴き上げると、ゴブリンはゆっくりと後ろ向きに倒れ込んだ。カランと音がして、吹き矢筒が死体の近くに転がった。
「毒矢か……? 助かった、ローズ。ありがとう」
アトロポスが倒したゴブリンの吹き矢の匂いを嗅ぐと、顔を顰めながらギルバートが礼を言った。
「いえ。近くにはもういないみたいです。魔石を取るんですか?」
「いや、放っておく。F級魔獣のゴブリンの魔石は親指くらいしかないし、持ち帰ってもギルドで買い取りもしてくれないんだ。先に進もう」
ギルバートは残心の血振りをすると、左腰の鞘に剣を収めて進み始めた。
ギルバートが管理事務所で聞いた話によると、『風魔の谷』の一つの階層はザルーエクの街の半分くらいの広さだということだった。一般的なダンジョンと比較して、それが広いのか狭いのかはアトロポスには分からなかった。
入口付近で六匹のゴブリンを倒した後は、一階層に魔獣の気配は見当たらなかった。アトロポスたちは一階層の最奥にある下り坂を進み、二階層へと足を踏み入れた。
(結構いるわね。五十……いえ、百以上の気配を感じるわ)
最初の戦闘でアトロポスは魔獣の気配を探ることは、覇気を感じることと同じであることに気づいた。覇気とは魔力の一種だ。その魔力の大きさと場所を感知することで、相手の居場所や強さを感じ取るのだ。
魔獣は魔素から生まれる。魔素とは魔力の塊のようなものだった。つまり、魔力の塊がどこにあるか、どれだけの大きさかを感じ取れば、魔獣の居場所や強さが分かることをアトロポスは理解した。
「ギルバートさん、今、このダンジョンに入っているパーティの数って訊きましたか?」
「いや、特に訊かなかったが……。入場記録には十以上のパーティ名が書かれていたな。それがどうしたんだ?」
アトロポスの質問の主旨が分からずに、ギルバートが訊ねた。
「この二階層には、百以上の魔獣の気配があります。これって、普通のことですか?」
「百だって……?」
「そんなの、明らかに異常よ!」
ギルバートとノーマが驚愕の表情を浮かべながら言った。
「そのうち、戦闘をしているのが三箇所です。女性の冒険者がいるかどうかまでは分かりませんが、助けた方がいいと思います」
「分かった! 百以上の魔獣は、全部ゴブリンか?」
「魔獣の種類は分かりませんが、魔力の大きさはほとんどがさっきのゴブリンくらいです。ただ、中には二つほど大きな魔力があります」
異常事態が発生していると知り、アトロポスは天龍の革鎧に魔力を流し始めた。アトロポスの全身から漆黒の覇気が立ち上った。
「ローズ、手を貸してくれ! これは、明らかな異常だ!」
「はい! ギルバートさんたちはこの場所にいてください。逃げてきた冒険者がいたら、一階層に逃がしてあげてください!」
「分かった! ローズは?」
アトロポスの言葉に頷くと、ギルバートが訊ねた。
「私一人の方が速く動けます。行ってきます!」
そう告げた瞬間、アトロポスの姿がブレた。次の瞬間、地面に大きな蹴り跡を残して、アトロポスの姿が消失した。
(もう少し右……! まただわ! めんどうね!)
速度強化と筋力強化を三十倍に上げたまま、アトロポスは疾走していた。取りあえず右奥から感じる戦闘の気配に向かっているのだが、その途中に少数のゴブリンの群れがいくつもあるのだ。ギルバートたちの安全のためにも、アトロポスは近くにいるゴブリンの群れを片っ端から倒していた。
「ハァアアッ!」
漆黒の神刃を連続して放ち、七匹のゴブリンの首を刎ねると、アトロポスは最初の目的地に到着した。
「……!」
三人の男の冒険者が地面に倒れており、二人の女性冒険者がゴブリンに犯されていた。それを見た瞬間、アトロポスの全身から黒炎が燃え上がった。
「離れなさいッ!」
右手に握った<蒼龍神刀>を、アトロポスは右から左に水平に振り抜いた。巨大な漆黒の神刃が翔破し、一人の女性を襲っていた二匹のゴブリンの上半身を吹き飛ばした。
「何してるのよッ!」
今度は、<蒼龍神刀>を左下から右上に逆袈裟に斬り上げた。別の女性を凌辱していた三匹のゴブリンが、漆黒の神刃に両断されて絶命した。
順番待ちでもしていたのか、近くには七匹のゴブリンがいた。ゴブリンたちは慌てて吹き矢や棍棒を構えると、アトロポスに向かってきた。
「許せないッ!」
アトロポスの姿がブレると、次の瞬間にはゴブリンたちの背後に現れた。残心の血振りをすると、アトロポスはシャキンッと音を立てて<蒼龍神刀>を納刀した。次の瞬間、七匹のゴブリンたちの頭部が次々と地面に落ち、首から鮮血を噴出しながら倒れ込んだ。
「大丈夫ですかッ?」
アトロポスは最初に助けた女性に駆け寄った。ずたずたに引き裂かれたローブの合間から見える、白い乳房や剥き出された下腹部が痛々しかった。女性は意識を失っていた。アトロポスは彼女の左乳房に耳を押しつけると、確かな鼓動を感じてホッと胸を撫で下ろした。
死角になる場所に彼女を運んで横たえると、アトロポスはもう一人の女性に駆け寄った。
「くッ……!」
その女性は目を見開いていた。口元と下腹部から白濁した液を垂れ流しながら、絶命していた。アトロポスは先ほどの女性の隣りに彼女の遺体を運ぶと、短く祈りを捧げた。
倒れている三人の男性は、いずれも息があった。アトロポスは回復ポーションを持ってきていないことを後悔した。術士であるノーマの顔が浮かんだが、アトロポスは頭を振って彼女の顔を打ち消した。
(こんな危険な場所に、彼女を連れてくるわけにはいかないわ)
再び鎧に魔力を流すと、アトロポスは三十倍に強化した筋力で男性たちを女性の横に運び込んだ。
(悪いけど、助けが来るまでここにいて!)
心の中でそう告げると、アトロポスは次の戦闘をしている場所をめがけて走り出した。
第二の目的地に着いた時、アトロポスは衝撃のあまり黒瞳を大きく見開いた。
十人以上の男女が殺され、犯されていた。ゴブリンたちはビクビクと痙攣を続けている冒険者の腹を剣で切り裂き、内臓を引き出しては笑っていた。三匹のゴブリンが全裸の女性にのしかかり、腰を振りながら涎を垂らしていた。
ひときわ巨大なゴブリン・キングが、坐位のまま裸の女性を貫き犯していた。その女性の股間から流れている鮮血を眼にした瞬間、アトロポスの中で何かが音を立てて切れた。
「貴様ぁああ!」
アトロポスの全身から漆黒の覇気が湧き上がり、爆発するように巨大な黒炎へと昇華した。抜き放った<蒼龍神刀>を上段に構えると、アトロポスは一気に振り抜いた。
漆黒の覇気が奔流と化して、螺旋を描きながらゴブリン・キングの巨体に直撃した。ゴブリン・キングは断末魔の絶叫を上げることもできずに、上半身を消滅させた。
「ハァアアッ!」
裂帛の気合いとともに、アトロポスは漆黒の神刃を連続して放った。冒険者たちを嬲り、犯し、殺していた三十匹以上のゴブリンたちは、首と胴とを斬り放されて次々と絶命した。
アトロポスはゴブリンを殲滅すると、冒険者一人ひとりの手を取って脈を測った。
「……くッ!」
アトロポスは血が滲むまで唇を噛みしめると、無言で立ち上がった。閉じた瞳から涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。
生きている者は一人もいなかった。十二人の冒険者たちの亡骸に、何故もっと早く助けてくれなかったのかと、責められているようにアトロポスは感じた。
(何でこんなことに……!?)
『風魔の谷』は下級ダンジョンだ。本来であれば、狩るのが冒険者で狩られるのがゴブリンだった。それが逆転した。まるで、増長した冒険者たちにダンジョン自体が制裁を加えたかのようだった。
(もう一箇所……)
頬を伝う涙を拭いもせずに、アトロポスは最後の目的地であった場所を目指した。そこにはすでに戦闘の気配などなく、一つの大きな魔力と五十を超える小さな魔力だけが感じられた。
最後の目的地の惨状は、今までの二箇所を遥かに超えていた。それを見た瞬間、アトロポスは嘔吐感に襲われ、その場に座り込むと胃の中の物を吐き出した。
壁際に胡座をかきながら座っている巨大なゴブリン・エンペラーが、串に刺した肉を食い千切りながら咀嚼していた。その大きな手に握られていたのは、股間から口までを槍で串刺しにされた全裸の女性だった。ゴブリン・エンペラーが食べていたのは、その女性の乳房だった。
アトロポスに気づいたゴブリンたちが、指差しながら走り寄ってきた。まるで新しい獲物を見つけたかのように、その醜悪な顔に喜びを浮かべていた。ゴブリンたちの手には、冒険者たちから奪った剣や槍が握られていた。
「許せない……」
アトロポスは左甲で口元を拭うと、ゆっくりと立ち上がって迫り来るゴブリンたちを見据えた。その黒曜石の瞳には、烈火の如き怒りと激しい憎悪の焔が燃えていた。
全身に漆黒の覇気を纏いながら、アトロポスはゆっくりとゴブリンたちに向かって歩き出した。いや、正確には真っ直ぐにゴブリン・エンペラーに向かっていった。
ゴブリンたちの剣が、槍が、鎌が、アトロポスに襲いかかった。だが、それらはアトロポスの残像を斬り裂いたに過ぎず、次の瞬間には彼女を攻撃したゴブリンたちは頭部と体を両断されて地面に倒れ、痙攣しながら鮮血を噴き出していた。
<蒼龍神刀>が一振りされるごとに、三つの頭が宙を舞い、五つの首が地を転がった。アトロポスが一歩進むごとに、無数の漆黒の神刃が周囲を席巻し、ゴブリンたちの体を斬り裂いて細切れにした。
五十匹を超えるゴブリンたちを斬り殺してゴブリン・エンペラーの前に立ったアトロポスは、一滴の返り血さえも浴びていなかった。ゴブリンたちの流す血の一滴までもが憎悪の対象であり、すべてを神速の動きで避けていたのだ。
ゴブリンには様々な変異種が存在する。冒険者ギルドではそれぞれの変異種に命名をし、その危険度によってランク分けをしていた。代表的なところでは次の通りである。
【A級魔獣】
ゴブリン・エンペラー
【B級魔獣】
ゴブリン・キング
ゴブリン・クイーン
【C級魔獣】
ゴブリン・ロード
レッド・ゴブリン
シャーマン・ゴブリン
【D級魔獣】
アーサー・ゴブリン
ゴブリン・ジェネラル
ゴブリン・ナイト
ゴブリン・メイジ
アトロポスの目の前にいるゴブリン・エンペラーは、ガルーダやガーゴイル、オーガ・キングなどと並ぶ紛れもないA級魔獣だった。
身長は五メッツェを超え、体重は六テーゲム以上もあった。アトロポスと比べると、身長では三倍強、体重に至っては百倍以上もあるのだ。
その膂力は人間の頭部など簡単に握りつぶし、拳を振るえば風圧だけで人を肉片に変えるほどであった。A級魔獣の中でもS級に近いとされる凶悪な魔獣であった。
「あんたが親玉ね? 殺された冒険者たち、穢された女性たちに代わって、私があんたを殺してあげるわッ!」
アトロポスが<蒼龍神刀>を上段に構えた。それを嘲笑うかのように、ゴブリン・エンペラーが右拳をアトロポスに向かって振り落とした。空気が震撼し、周囲の大気が衝撃波となってアトロポスに襲いかかった。
だが、アトロポスは微動もせずにゴブリン・エンペラーを見据えると、<蒼龍神刀>を一気に振り落とした。ゴブリン・エンペラーの放った衝撃波を遥かに超える漆黒の奔流が、螺旋を描きながら超絶な闇の暴風と化して周囲を席巻した。
次の瞬間……
ゴブリン・エンペラーの巨体を漆黒の衝撃波が包み込み、蹂躙し、崩壊し、破壊し尽くした。断末魔の絶叫を上げる暇さえも与えられずに、ゴブリン・エンペラーの巨体が爆発しながら肉片と化して周囲に飛散した。その衝撃によって、大地が鳴動し、ダンジョンに激震が走った。
アトロポスは周囲の冒険者たちの遺体に黙祷を捧げると、再び漆黒の覇気を纏いながらギルバートたちの元へと駆けだした。最初の目的地にいた四人の生存者を救出するためだった。
(この階層には、もう魔獣の気配はない。急がないと……)
時間が経てば経つほど、彼らの助かる可能性は低くなることをアトロポスは知っていた。アトロポスは天龍の革鎧の速度強化と筋力強化を最大まで上昇させた。
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