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第3章 蒼龍神刀
1 神明の鍛治士
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二日間にわたる魔力制御の特訓により、アトロポスはかなり思い通りに覇気を纏えるようになった。
特に速度強化と筋肉強化については、およそ三十倍から最大二百五十倍まで自在に使うことができるようになっていた。逆に、五倍とか十倍のような微量の覇気は、未だにうまく操れなかった。それはアトロポスの魔力量が大きすぎるための弊害でもあった。
「久しぶりにドゥリンの顔も見たいし、あたしも一緒に行ってあげるわ」
新しい刀を鍛治士ギルドに取りに行くと言ったアトロポスに、クロトーが笑顔で告げた。
「ホントですか? 嬉しいです!」
クロトーの書斎で一緒にお茶を飲みながら、アトロポスは心から喜びの声を上げた。
二日前から、アトロポスは『雲雀亭』の特別室》をキャンセルして、クロトーの店『銀河の泉』の二階にある客室に移っていた。特別室は一人でいるには広すぎるし、どうしてもシルヴァレートのことを思い出してしまうからだった。
クロトーと一緒にいる時間が長くなったことにより、アトロポスは彼女に対する尊敬と親愛の気持ちがますます強くなっていき、今では実の姉のように慕っていた。
「ドゥリンと会うのも十年ぶりくらいかしら? 元気だった?」
「はい、とっても。こんな大きい杯に入った火炎酒を一気に飲み干してましたよ」
アトロポスの言葉に、クロトーは笑いながら言った。
「相変わらずみたいね。ローズちゃんは火炎酒を飲んでみた?」
「ちょっと口をつけただけで、舌が火傷したみたいに熱かったです」
火炎酒の味を思い出して、アトロポスは思いっきり顔を顰めた。
「あれはドワーフ専用のお酒だからね。酒分が多すぎて、他の種族が飲んだら倒れちゃうわよ」
「やっぱり! シルヴァなんて、私が飲んだのを見て笑ってたんですよ。ひどいと思いません?」
「初めてあれを飲む人を見るのは面白いからね」
「クロトーさんまで……。ひどいです」
プウッと頬を膨らませながら、アトロポスが文句を言った。
「あはは……、ごめんね。ところで、そろそろクロトーさんって言うのやめない? クロトーでいいわよ。あたしも、ローズって呼ぶから」
「え? さすがに呼び捨ては……。クロトー姉さんって呼んでもいいですか?」
洗練された大人の女性であり、憧れと尊敬を抱いているクロトーを呼び捨てることなど、アトロポスにはできなかった。
「いいわよ、ローズ。じゃあ、そろそろ出かけましょうか?」
「はい、クロトー姉さん」
嬉しそうに返事をすると、アトロポスはクロトーの後に続いて書斎を出て行った。
「悪いけど、ドゥリンを呼び出してもらえるかしら? クロトーが来たって伝えてくれる?」
鍛治士ギルドに到着すると、クロトーは受付にいるドワーフの女性に向かってそう告げた。その瞬間、ギルド中の視線がクロトーに集中した。
『神明の鍛治士』の二つ名を持ち、鍛治士クラスSであるドゥリンを呼び捨てにする美女に全員が畏怖と驚愕を感じたのだ。だが、クロトーの持つ妖艶な雰囲気に圧倒され、誰一人として文句を言ってくる者はいなかった。
(やっぱり格好いいな、クロトー姉さん)
アトロポスは右横に立つクロトーの美貌を、憧れの視線で見つめた。
「は、はい。お約束はありますか? ドゥリンはお約束のない方にはお会いしないかと……」
応対をしたドワーフの女性が、クロトーの顔を見上げながら緊張して答えた。
「あら、やっぱりそうなの? 噂どおりね、あいつは……」
「あ、あいつ……?」
クロトーの言葉に、受付嬢が驚愕のあまり目を見開いた。気に入らなければ王族の依頼さえも断るという『神明の鍛治士』をあいつ呼ばわりした美女に、冷や汗さえ流していた。
そのやり取りを見て笑いを噛みしめていたアトロポスが、受付嬢に助け船を出した。
「あの……。ドゥリンさんに怒られないうちに、クロトー姉さんが訪ねてきたことを伝えた方がいいと思いますよ?」
「あ、は、はい……。少々お待ちください」
「じゃあ、あたしたちは隣の食堂にいるから、さっさと来なさいって言っておいてね」
笑顔でそう告げると、クロトーは悠然とした足どりで食堂に向かって歩き出した。アトロポスはクロトーの後に続きながら、受付嬢の方を振り向いた。
ドワーフの受付嬢は可哀想なくらい慌てながら、二階への階段を駆け上っていった。
「あ、姐さんッ! お久しぶりですッ!」
食堂に駆け込んできたドゥリンが、体を投げ出すように床に這うと、ゴンッと音を立てて頭を床にぶつけた。
土下座だった。
鍛治士ギルドにいる全員がその様子を見て、驚愕した。食堂の入口から覗いていたギルドの職員や鍛治士たちも、呆然としてドゥリンの土下座を見つめていた。
『神明の鍛治士』と言われ、鍛治士ギルド・ザルーエク本部で唯一の鍛治士クラスSであるドゥリンは、ギルドマスターよりも大きな影響力を持っていた。その彼がギルド内で頭を下げたところなど、誰一人として見たことがなかったのだ。まして、そのドゥリンが土下座をするなど、天変地異でも起こったような衝撃だった。
「久しぶりね、ドゥリン。そんなとこにいないで、座ったら?」
艶然な微笑みを浮かべながら、クロトーが椅子に座りながら告げた。クロトーとドゥリンの力関係を目の当たりにして、アトロポスも驚きのあまり言葉を失った。
「へ、へいッ! 失礼します、姐さんッ! おい、早く姐さんに火炎酒を持ってこいッ!」
食堂の店員に向かって大声を上げたドゥリンに、クロトーが笑いながら告げた。
「バカね。あんなのあたしが飲むはずないでしょ? 紅桜酒をもらおうかしら? ローズはどうする?」
「では、私も紅桜酒で……」
店員に大声で注文を入れ直すと、ドゥリンは嬉しそうに笑顔を浮かべながら言った。
「それにしても、姐さんは全然変わらねぇなぁ。逆に前より若返ったみたいだ」
「あんたはずいぶんと老けたわね。元気でやってた?」
「もちろんです! さっきまで、この嬢ちゃんの刀を全力で仕上げてましたよ」
豪快に笑い声を立てながら、ドゥリンはアトロポスの方を見つめた。
「今回は色々と無理を言ってすみません、ドゥリンさん」
刀を打ってもらうに当たって、様々な要望を聞いてくれた上、鍛冶代も取ろうとしなかったドゥリンに、アトロポスは深く頭を下げた。
「いいってことよ。こうして姐さんを連れてきてくれたんだ。嬢ちゃん、感謝するのは俺の方だ」
ドゥリンの言葉を待っていたかのようなタイミングで、店員が酒を運んできた。クロトーとアトロポスの前には透明なグラスに入った紅桜酒が、ドゥリンの前には大杯を満たした火炎酒が置かれた。
「では、再会とローズの刀の完成を祝って乾杯しましょう」
「はい、ありがとうございます」
「乾杯ッ!」
クロトーが掲げたグラスに、ドゥリンとアトロポスがそれぞれの杯を触れさせた。店内の灯りを映して、桜色の紅桜酒が美しい煌めきを放った。
大杯を片手で持ち上げ、ゴクゴクと豪快に火炎酒を呷ると、ドゥリンが火の息を吐きながら言った。
「それにしても、姐さん。今回の仕事はやり甲斐があったぜ。蒼炎炭鋼石なんて代物を扱ったのなんて、何十年ぶりか分からねぇ」
「ちゃんといい物を作ったんでしょうね?」
「俺の生涯で最高の出来だッ! きっと嬢ちゃんも満足してくれるぜ!」
そう告げると、ドゥリンは再び大杯を持ち上げて、喉を鳴らしながら火炎酒を飲んだ。
「ところで、ドゥリン。あんた、鍛冶代を取らなかったんだってね?」
「そんなもん、気にしないでくれ。俺はこの仕事ができただけで満足だ」
ガハハッと豪快に笑いながら、ドゥリンが機嫌良く言った。
「鍛治士クラスSがタダ働きじゃ、まずいでしょう? これ、鍛冶代の代わりよ」
そう言うと、クロトーは革袋の中から一本の酒を出してテーブルの上に置いた。
「こ、これは……!」
その酒を見た瞬間、ドゥリンの目が驚きに見開かれた。
「火炎鳳凰酒よ。手に入れるの苦労したんだから、大事に飲みなさいよ」
「か、火炎鳳凰酒……。あの幻の……? いいんですかい、姐さん?」
震える手でその酒を持ち上げると、ドゥリンは舐めるようにラベルを見た。
「本物だ……! それも、三十年物!? ありがとうございます、姐さんッ!」
ゴンッと音を立てて、テーブルに額をぶつけながら、ドゥリンがクロトーに礼を言った。
「クロトー姉さん、火炎鳳凰酒って?」
アトロポスの質問に答えたのは、額を赤くしたドゥリンだった。
「嬢ちゃん、火炎鳳凰酒を知らねぇのか? ドワーフに伝わる伝説の酒だぜ! それも三十年物となれば、白金貨数万枚は下らねぇ!」
「し、白金貨数万枚……?」
クロトーが渡した酒の価値を聞いて、アトロポスが驚愕した。慌てて横を見ると、クロトーは艶麗な微笑みを浮かべながらドゥリンを見つめていた。
「では、そろそろあんたが打った刀を見に行きましょうか?」
優雅な所作で席を立ったクロトーに、ドゥリンが嬉しそうに言った。
「俺の鍛冶場に姐さんを迎えるなんて、今日は最高の日だ! 嬢ちゃん、ありがとうよ!」
差し出されたドゥリンの右手を握りしめたアトロポスは、その手の大きさと硬さに驚いた。それは紛れもなく『神明の鍛治士』と呼ばれる男の手だった。
二階の一番奥にあるドゥリンの鍛冶場に入るのは二回目だった。最初は五日前に、刀の詳細を打ち合わせた時だった。あの時は、シルヴァレートが一緒だった。そして、今はクロトーが横にいる。
(シルヴァもクロトー姉さんも、私にとって大切な人なんだわ)
生まれて初めての自分専用の武器に、その大切な二人が関与してくれたことを、アトロポスは運命のように感じた。
ドゥリンの鍛冶場は、奥に巨大な溶解炉があり、その手前には鍛冶用金床が設置されていた。金床の周囲には使い込まれた数種類のハンマーや鋏が散乱しており、その近くの壁には様々な鉱石や原石が積まれていた。
反対側の壁にはドゥリンが打ったと思われる武器や防具が所狭しと並べられ、部屋中にヤスリや砥石、工具などが散らばっていた。
「ちょっと待っててくれ、今持ってくる」
そう告げると、ドゥリンは溶解炉の右奥にある小部屋に入っていった。そして、すぐに一本の刀を左手に携えながら出て来た。
「これが今回打った嬢ちゃんの刀だ。銘は<蒼龍神刀>と名付けた。刀身はブルー・ダイヤモンド、鞘はオリハルコン製だ。柄には天龍の鞣し革を巻いている。そして、鍔の上にあるはばきには、天龍の宝玉を埋め込んだ」
差し出された刀を両手で受け取ると、アトロポスはその見事な出来映えに驚嘆した。
「凄い……。こんな刀、初めて見ました」
滑らかな光沢を放つ漆黒の鞘は、闇属性のアトロポスを象徴するかのように黒い輝きを放っていた。柄に巻かれた天龍の鞣し革も黒く染色されており、太さもアトロポスにぴったりで、握るとしっとりと手に馴染んだ。鍔の色は燻したような銀色で、漆黒の鞘と柄にこれ以上ないほど良く調和していた。
「抜いてみろ」
ドゥリンの言葉に頷くと、アトロポスは左手で漆黒の鞘を持ちながらゆっくりと刀身を引き抜いた。
「綺麗……ッ!」
抜刀した瞬間、透明な蒼色の刀身が輝くように閃光を放った。まるで宝石でできたような美しい刀だった。
「ブルー・ダイヤモンドは、本来、王族や貴族の装飾品に使われる宝石なのよ。世界で一番硬く、一番美しい宝石よ」
<蒼龍神刀>の刀身をうっとりと見つめながら、クロトーが言った。
「そのはばきに埋め込んである黄色い石が、天龍の宝玉だ。禁呪魔法四発分の魔力を蓄積できる。そして、<蒼龍神刀>自体は魔力増幅五倍の魔法付与をしてある。つまり、嬢ちゃんの魔力を二十倍に増幅した攻撃が可能というわけだ」
さらりと告げたドゥリンの言葉に、クロトーが驚愕して叫んだ。
「ドゥリン、あんた、何てことしてくれたの!?」
「え……? 姐さん?」
突然怒鳴られた理由が分からず、ドゥリンがクロトーの顔を見つめた。
「今でさえ、ローズの魔力量はあたしを超えているのよ! それを二十倍に増幅するなんで、この世界を破滅させるつもりなの!?」
「な、何だって!? この嬢ちゃんの魔力量が姐さんを超える?」
クロトーの言葉に、ドゥリンが驚愕した。ムズンガルド大陸最強の魔道士と呼ばれる『妖艶なる殺戮』以上の魔力量をアトロポスが有するなど、ドゥリンは想像さえもしていなかったのだ。
アトロポスはクロトーとドゥリンの二人から、<蒼龍神刀>に魔力を込めることを固く禁じられた。
特に速度強化と筋肉強化については、およそ三十倍から最大二百五十倍まで自在に使うことができるようになっていた。逆に、五倍とか十倍のような微量の覇気は、未だにうまく操れなかった。それはアトロポスの魔力量が大きすぎるための弊害でもあった。
「久しぶりにドゥリンの顔も見たいし、あたしも一緒に行ってあげるわ」
新しい刀を鍛治士ギルドに取りに行くと言ったアトロポスに、クロトーが笑顔で告げた。
「ホントですか? 嬉しいです!」
クロトーの書斎で一緒にお茶を飲みながら、アトロポスは心から喜びの声を上げた。
二日前から、アトロポスは『雲雀亭』の特別室》をキャンセルして、クロトーの店『銀河の泉』の二階にある客室に移っていた。特別室は一人でいるには広すぎるし、どうしてもシルヴァレートのことを思い出してしまうからだった。
クロトーと一緒にいる時間が長くなったことにより、アトロポスは彼女に対する尊敬と親愛の気持ちがますます強くなっていき、今では実の姉のように慕っていた。
「ドゥリンと会うのも十年ぶりくらいかしら? 元気だった?」
「はい、とっても。こんな大きい杯に入った火炎酒を一気に飲み干してましたよ」
アトロポスの言葉に、クロトーは笑いながら言った。
「相変わらずみたいね。ローズちゃんは火炎酒を飲んでみた?」
「ちょっと口をつけただけで、舌が火傷したみたいに熱かったです」
火炎酒の味を思い出して、アトロポスは思いっきり顔を顰めた。
「あれはドワーフ専用のお酒だからね。酒分が多すぎて、他の種族が飲んだら倒れちゃうわよ」
「やっぱり! シルヴァなんて、私が飲んだのを見て笑ってたんですよ。ひどいと思いません?」
「初めてあれを飲む人を見るのは面白いからね」
「クロトーさんまで……。ひどいです」
プウッと頬を膨らませながら、アトロポスが文句を言った。
「あはは……、ごめんね。ところで、そろそろクロトーさんって言うのやめない? クロトーでいいわよ。あたしも、ローズって呼ぶから」
「え? さすがに呼び捨ては……。クロトー姉さんって呼んでもいいですか?」
洗練された大人の女性であり、憧れと尊敬を抱いているクロトーを呼び捨てることなど、アトロポスにはできなかった。
「いいわよ、ローズ。じゃあ、そろそろ出かけましょうか?」
「はい、クロトー姉さん」
嬉しそうに返事をすると、アトロポスはクロトーの後に続いて書斎を出て行った。
「悪いけど、ドゥリンを呼び出してもらえるかしら? クロトーが来たって伝えてくれる?」
鍛治士ギルドに到着すると、クロトーは受付にいるドワーフの女性に向かってそう告げた。その瞬間、ギルド中の視線がクロトーに集中した。
『神明の鍛治士』の二つ名を持ち、鍛治士クラスSであるドゥリンを呼び捨てにする美女に全員が畏怖と驚愕を感じたのだ。だが、クロトーの持つ妖艶な雰囲気に圧倒され、誰一人として文句を言ってくる者はいなかった。
(やっぱり格好いいな、クロトー姉さん)
アトロポスは右横に立つクロトーの美貌を、憧れの視線で見つめた。
「は、はい。お約束はありますか? ドゥリンはお約束のない方にはお会いしないかと……」
応対をしたドワーフの女性が、クロトーの顔を見上げながら緊張して答えた。
「あら、やっぱりそうなの? 噂どおりね、あいつは……」
「あ、あいつ……?」
クロトーの言葉に、受付嬢が驚愕のあまり目を見開いた。気に入らなければ王族の依頼さえも断るという『神明の鍛治士』をあいつ呼ばわりした美女に、冷や汗さえ流していた。
そのやり取りを見て笑いを噛みしめていたアトロポスが、受付嬢に助け船を出した。
「あの……。ドゥリンさんに怒られないうちに、クロトー姉さんが訪ねてきたことを伝えた方がいいと思いますよ?」
「あ、は、はい……。少々お待ちください」
「じゃあ、あたしたちは隣の食堂にいるから、さっさと来なさいって言っておいてね」
笑顔でそう告げると、クロトーは悠然とした足どりで食堂に向かって歩き出した。アトロポスはクロトーの後に続きながら、受付嬢の方を振り向いた。
ドワーフの受付嬢は可哀想なくらい慌てながら、二階への階段を駆け上っていった。
「あ、姐さんッ! お久しぶりですッ!」
食堂に駆け込んできたドゥリンが、体を投げ出すように床に這うと、ゴンッと音を立てて頭を床にぶつけた。
土下座だった。
鍛治士ギルドにいる全員がその様子を見て、驚愕した。食堂の入口から覗いていたギルドの職員や鍛治士たちも、呆然としてドゥリンの土下座を見つめていた。
『神明の鍛治士』と言われ、鍛治士ギルド・ザルーエク本部で唯一の鍛治士クラスSであるドゥリンは、ギルドマスターよりも大きな影響力を持っていた。その彼がギルド内で頭を下げたところなど、誰一人として見たことがなかったのだ。まして、そのドゥリンが土下座をするなど、天変地異でも起こったような衝撃だった。
「久しぶりね、ドゥリン。そんなとこにいないで、座ったら?」
艶然な微笑みを浮かべながら、クロトーが椅子に座りながら告げた。クロトーとドゥリンの力関係を目の当たりにして、アトロポスも驚きのあまり言葉を失った。
「へ、へいッ! 失礼します、姐さんッ! おい、早く姐さんに火炎酒を持ってこいッ!」
食堂の店員に向かって大声を上げたドゥリンに、クロトーが笑いながら告げた。
「バカね。あんなのあたしが飲むはずないでしょ? 紅桜酒をもらおうかしら? ローズはどうする?」
「では、私も紅桜酒で……」
店員に大声で注文を入れ直すと、ドゥリンは嬉しそうに笑顔を浮かべながら言った。
「それにしても、姐さんは全然変わらねぇなぁ。逆に前より若返ったみたいだ」
「あんたはずいぶんと老けたわね。元気でやってた?」
「もちろんです! さっきまで、この嬢ちゃんの刀を全力で仕上げてましたよ」
豪快に笑い声を立てながら、ドゥリンはアトロポスの方を見つめた。
「今回は色々と無理を言ってすみません、ドゥリンさん」
刀を打ってもらうに当たって、様々な要望を聞いてくれた上、鍛冶代も取ろうとしなかったドゥリンに、アトロポスは深く頭を下げた。
「いいってことよ。こうして姐さんを連れてきてくれたんだ。嬢ちゃん、感謝するのは俺の方だ」
ドゥリンの言葉を待っていたかのようなタイミングで、店員が酒を運んできた。クロトーとアトロポスの前には透明なグラスに入った紅桜酒が、ドゥリンの前には大杯を満たした火炎酒が置かれた。
「では、再会とローズの刀の完成を祝って乾杯しましょう」
「はい、ありがとうございます」
「乾杯ッ!」
クロトーが掲げたグラスに、ドゥリンとアトロポスがそれぞれの杯を触れさせた。店内の灯りを映して、桜色の紅桜酒が美しい煌めきを放った。
大杯を片手で持ち上げ、ゴクゴクと豪快に火炎酒を呷ると、ドゥリンが火の息を吐きながら言った。
「それにしても、姐さん。今回の仕事はやり甲斐があったぜ。蒼炎炭鋼石なんて代物を扱ったのなんて、何十年ぶりか分からねぇ」
「ちゃんといい物を作ったんでしょうね?」
「俺の生涯で最高の出来だッ! きっと嬢ちゃんも満足してくれるぜ!」
そう告げると、ドゥリンは再び大杯を持ち上げて、喉を鳴らしながら火炎酒を飲んだ。
「ところで、ドゥリン。あんた、鍛冶代を取らなかったんだってね?」
「そんなもん、気にしないでくれ。俺はこの仕事ができただけで満足だ」
ガハハッと豪快に笑いながら、ドゥリンが機嫌良く言った。
「鍛治士クラスSがタダ働きじゃ、まずいでしょう? これ、鍛冶代の代わりよ」
そう言うと、クロトーは革袋の中から一本の酒を出してテーブルの上に置いた。
「こ、これは……!」
その酒を見た瞬間、ドゥリンの目が驚きに見開かれた。
「火炎鳳凰酒よ。手に入れるの苦労したんだから、大事に飲みなさいよ」
「か、火炎鳳凰酒……。あの幻の……? いいんですかい、姐さん?」
震える手でその酒を持ち上げると、ドゥリンは舐めるようにラベルを見た。
「本物だ……! それも、三十年物!? ありがとうございます、姐さんッ!」
ゴンッと音を立てて、テーブルに額をぶつけながら、ドゥリンがクロトーに礼を言った。
「クロトー姉さん、火炎鳳凰酒って?」
アトロポスの質問に答えたのは、額を赤くしたドゥリンだった。
「嬢ちゃん、火炎鳳凰酒を知らねぇのか? ドワーフに伝わる伝説の酒だぜ! それも三十年物となれば、白金貨数万枚は下らねぇ!」
「し、白金貨数万枚……?」
クロトーが渡した酒の価値を聞いて、アトロポスが驚愕した。慌てて横を見ると、クロトーは艶麗な微笑みを浮かべながらドゥリンを見つめていた。
「では、そろそろあんたが打った刀を見に行きましょうか?」
優雅な所作で席を立ったクロトーに、ドゥリンが嬉しそうに言った。
「俺の鍛冶場に姐さんを迎えるなんて、今日は最高の日だ! 嬢ちゃん、ありがとうよ!」
差し出されたドゥリンの右手を握りしめたアトロポスは、その手の大きさと硬さに驚いた。それは紛れもなく『神明の鍛治士』と呼ばれる男の手だった。
二階の一番奥にあるドゥリンの鍛冶場に入るのは二回目だった。最初は五日前に、刀の詳細を打ち合わせた時だった。あの時は、シルヴァレートが一緒だった。そして、今はクロトーが横にいる。
(シルヴァもクロトー姉さんも、私にとって大切な人なんだわ)
生まれて初めての自分専用の武器に、その大切な二人が関与してくれたことを、アトロポスは運命のように感じた。
ドゥリンの鍛冶場は、奥に巨大な溶解炉があり、その手前には鍛冶用金床が設置されていた。金床の周囲には使い込まれた数種類のハンマーや鋏が散乱しており、その近くの壁には様々な鉱石や原石が積まれていた。
反対側の壁にはドゥリンが打ったと思われる武器や防具が所狭しと並べられ、部屋中にヤスリや砥石、工具などが散らばっていた。
「ちょっと待っててくれ、今持ってくる」
そう告げると、ドゥリンは溶解炉の右奥にある小部屋に入っていった。そして、すぐに一本の刀を左手に携えながら出て来た。
「これが今回打った嬢ちゃんの刀だ。銘は<蒼龍神刀>と名付けた。刀身はブルー・ダイヤモンド、鞘はオリハルコン製だ。柄には天龍の鞣し革を巻いている。そして、鍔の上にあるはばきには、天龍の宝玉を埋め込んだ」
差し出された刀を両手で受け取ると、アトロポスはその見事な出来映えに驚嘆した。
「凄い……。こんな刀、初めて見ました」
滑らかな光沢を放つ漆黒の鞘は、闇属性のアトロポスを象徴するかのように黒い輝きを放っていた。柄に巻かれた天龍の鞣し革も黒く染色されており、太さもアトロポスにぴったりで、握るとしっとりと手に馴染んだ。鍔の色は燻したような銀色で、漆黒の鞘と柄にこれ以上ないほど良く調和していた。
「抜いてみろ」
ドゥリンの言葉に頷くと、アトロポスは左手で漆黒の鞘を持ちながらゆっくりと刀身を引き抜いた。
「綺麗……ッ!」
抜刀した瞬間、透明な蒼色の刀身が輝くように閃光を放った。まるで宝石でできたような美しい刀だった。
「ブルー・ダイヤモンドは、本来、王族や貴族の装飾品に使われる宝石なのよ。世界で一番硬く、一番美しい宝石よ」
<蒼龍神刀>の刀身をうっとりと見つめながら、クロトーが言った。
「そのはばきに埋め込んである黄色い石が、天龍の宝玉だ。禁呪魔法四発分の魔力を蓄積できる。そして、<蒼龍神刀>自体は魔力増幅五倍の魔法付与をしてある。つまり、嬢ちゃんの魔力を二十倍に増幅した攻撃が可能というわけだ」
さらりと告げたドゥリンの言葉に、クロトーが驚愕して叫んだ。
「ドゥリン、あんた、何てことしてくれたの!?」
「え……? 姐さん?」
突然怒鳴られた理由が分からず、ドゥリンがクロトーの顔を見つめた。
「今でさえ、ローズの魔力量はあたしを超えているのよ! それを二十倍に増幅するなんで、この世界を破滅させるつもりなの!?」
「な、何だって!? この嬢ちゃんの魔力量が姐さんを超える?」
クロトーの言葉に、ドゥリンが驚愕した。ムズンガルド大陸最強の魔道士と呼ばれる『妖艶なる殺戮』以上の魔力量をアトロポスが有するなど、ドゥリンは想像さえもしていなかったのだ。
アトロポスはクロトーとドゥリンの二人から、<蒼龍神刀>に魔力を込めることを固く禁じられた。
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