夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第2章 究極の鎧

10 新しい契約

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 アトロポスが地下訓練場で魔力制御の訓練をしている頃、同じ建物の二階にあるギルドマスター室でアイザックは驚愕の表情を浮かべていた。
「それは本当か、姐御?」
「あんたに嘘をついてどうするの? 間違いなくローズちゃんの鎧は国宝級の性能よ」
 報告された側と違い、報告した側であるクロトーは応接卓に置かれたカップを手に取り、優雅な仕草で口につけた。

「それにしても、二百五十倍の速度強化と筋力強化なんて、聞いたこともない……」
「それだけじゃないわ。明後日にはあのドゥリンが鍛えたブルー・ダイヤモンド製の剣がローズちゃんの物になる」
 クロトーの告げた言葉の重要性に、アイザックは一瞬で気づいた。

「世界最高峰の武器と防具を手に入れた者を、止めるすべなどないぞ」
「それに加えて、ローズちゃん本人は稀少な闇属性よ。それもこの数日でその才能が開花し、魔力が急激に増大しているわ」
 六属性中最強と呼ばれる闇属性は、本来悪魔が有する最強の魔法属性だった。その威力と脅威は他の魔力属性の比ではなかった。

「もし、ローズが暴走したら、姐御なら止められるか?」
「魔力を制御ができていない今のローズちゃんならね……。でも、あたしはあの娘の動きをることどころか、気配さえの感じることができなかった。あの娘が自在に覇気を操れるようになったら、あたしでは無理ね……」
 ムズンガルド大陸最強と呼ばれる魔道士の言葉に、アイザックは絶望の表情を浮かべた。

 アイザック自身も剣士クラスSの冒険者だった。現役を引退したとは言え、そこらの剣士に引けを取るつもりはなかった。そして、このザルーエク支部には焔星イェンシーの二つ名を持つ槍士クラスSSのレオンハルトもいる。だが、二人が協力したとしても、目の前に座る美しいエルフには敵わないのだ。
 そのエルフを超える剣士が現れるなど、アイザックは想像さえもしていなかった。

「ローズちゃんは素直ないい娘よ。目上の者には礼を尽くしてくれるし、相手には優しさを持って接してくれる。彼女が冒険者ギルドやレウルキア王国に敵対するなんて、まずあり得ないわ」
「だが、人は変わる」
 アイザックの言葉に同意するように、クロトーも頷いた。

「彼女が我を忘れるとしたら、その要因は一つよ。愛する者を傷つけられるか、殺されたときね」
 アトロポスが話してくれたことを思い出しながら、クロトーが告げた。最愛のアルティシアを殺されたと思ったアトロポスは、たった一人で近衛騎士団が囲むアルティシアの御首みしるしを奪おうとしたのだった。

「あたしがローズちゃんの力を利用するとしたら、彼女の愛する者を殺して、自分の敵をその犯人に仕立て上げるわ」
 もし、シルヴァレートやアルティシアを殺されたら、アトロポスは絶対にその仇を取ろうとするに違いとクロトーは考えた。

「だが、ローズが大切に思う者たちすべてを、常に俺たちが護ることなんてことは不可能だ」
「もちろん、そんなことをあんたに頼むつもりはないわ。だから、次善の手だけど、あたしができるだけローズちゃんの近くにいるようにする。彼女が暴走しそうになったら、命を賭けてでも彼女を止めてみせる」
 美しい顔に壮絶な決意を浮かべながら、クロトーが告げた。

「姐御……」
「ローズちゃんの鎧に魔法付与をしたのもあたしなら、ドゥリンを紹介してブルー・ダイヤモンドの剣を作らせたのもあたしだからね。その責任くらいは取るわよ」
「分かった……。よろしく頼む」
 アイザックがクロトーに頭を下げた。アイザックは彼女の真意を理解した。万一の時、アトロポスを止めることは、クロトーの言葉どおり命がけとなるに違いなかった。

「でも、一つだけ条件があるわ。三日以上、このザルーエクを離れないという契約を破棄して欲しい。その足かせがあると、ローズちゃんと一緒に行動できないわ」
「当然だ。いつ起こるか分からない危機よりも、目の前の脅威の方が重要だ。たった今を持って、ギルドと姐御の契約は破棄する」
 そう告げると、アイザックは席を立ち、執務机から一枚の羊皮紙を持ってきた。それは、冒険者ギルド・ザルーエク支部のギルドマスターと『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』クロトーとの契約書であった。

「燃やしてくれ」
 契約書をクロトーに手渡すと、アイザックは短く告げた。
「ありがとう、アイザック」
 クロトーは契約書を左手で受け取ると、右の人差し指から小さな炎を出してそれを燃やした。

「これで姐御は自由の身だ。ローズをよろしく頼む」
「分かったわ。もし、ザルーエク支部が重大な事態に巻き込まれたら、できるだけ助けに来てあげるわよ」
「できるだけじゃなく、必ずと言って欲しいんだが……」
 アイザックの言葉に、クロトーは笑いながら告げた。
「できるだけよ。あたしにはローズちゃんの方が大切だからね」

 その時、ノックと同時に一人の男がギルドマスター室に入ってきた。淡青色の髪を肩で切り揃えた美形の青年だった。彼は部屋に足を踏み入れると同時に、驚いた表情を浮かべた。
「あれ、おばあちゃ……ごほん、クロトーさんもいたんだ?」
 クロトーに睨まれると、レオンハルトは慌てて言い直した。

「どうした、レオンハルト? 何の用だ?」
「何の用はひどいな、アイザックさん。せっかく話し相手に来てあげたのに」
 悪びれもせずにそう言うと、レオンハルトは一瞬どちらに座ろうか迷った。
「ここに座りなさい」
 クロトーの言葉に、彼女の隣りに少し距離を置いて・・・・・・・・レオンハルトが腰を下ろした。

「今、地下の訓練場でローズと会ったよ。一生懸命、魔力制御の訓練をしていたね。でも、真っ黒な覇気を全身に纏って、苦労していたよ。あれじゃ、モノにできるまで結構かかりそうだったな」
 笑いながら告げたレオンハルトの言葉に、クロトーがニヤリと笑って訊ねた。
「その覇気はどのくらいだった?」
「そうだね。この間僕を殺しかけた時と比べると、半分くらいだったんじゃないかな?」
「そう。だいぶ制御できるようになったみたいね」
 レオンハルトの話を聞いて、クロトーが楽しそうに言った。

「え? クロトーさん、何言ってるの? 全然、制御できてなかったんだってば……」
「レオンハルト、あんた、クラスSSにもなって、相手の魔力量も感じられないの?」
「え……? 魔力量って?」
 憐れみを浮かべたクロトーの視線に、レオンハルトが驚いて訊ねた。言われてみれば、レオンハルトはアトロポスの魔力量をなかったことに気づいた。

「でも、ローズの魔力量はこの間……」
「そんなことで、よく槍士クラスSSを名乗っているな。クラスSに降格させてやろうか?」
 アイザックの言葉に秘められた意味を、レオンハルトは感じ取った。
「まさか……? つい三日前のことだよ? そんな、馬鹿な……?」
 『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』と呼ばれる魔道士クラスSのクロトー……。
 『雷神アルゲース』の二つ名で知られる剣士クラスSのギルドマスターであるアイザック……。
 この二人の言葉に、偽りなどあろうはずはなかった。

「今のローズちゃんの魔力量は、あたしを超えているわよ」
「そんな、馬鹿な……?」
 驚きのあまり言葉が続かないレオンハルトに、クロトーが告げた。
「そして、ローズちゃんの鎧は速度強化、筋力強化ともに二百五十倍よ。今のあんたじゃ瞬殺されるわね」
「に、二百五十倍……!?」
 驚愕のあまり硬直したレオンハルトに、アイザックがとどめを刺した。

「おそらく、お前の感じたローズの覇気は、彼女の魔力量の十分の一にも満たないものだろう」
「た、たしかにローズは、『限界近くまで抑えているつもり』だと言っていたけど……。信じられない……」
 アトロポスの言葉が本当であれば、彼女の魔力量はクロトーとアイザックが言うとおりであった。先日の魔力量の数倍……いや、数十倍に相当することが確実だった。

「レオンハルト、今の話はこの三人だけの秘密だ。絶対に他言するな」
 アイザックが真剣な眼差しでレオンハルトを見据えながら、厳しく告げた。
「分かったよ、アイザックさん。それにしても、そんなことになっていたなんて……驚いたな」
 疲れ切ったようにソファに体を預けると、レオンハルトは大きく息を吐いた。

「そこで、お前に頼みがある。ちょうど、お前を呼びに行かせるところだった」
「ローズのことは分かったけど、僕に頼みって何?」
 嫌な予感が頭をよぎり、レオンハルトは怪訝そうにアイザックの顔を見つめた。
「姐御の契約を解除した。理由は分かるな? ローズの側にいて、万一の時に備えてもらうためだ」
「万一ね。大丈夫だと思うよ、ローズなら……」
 アイザックの危惧を読み取り、レオンハルトが微笑みながら告げた。

「俺もそう信じたい。だが、ギルドの責任者として、放置できる問題じゃない。そこで、お前には姐御の後任になって欲しい」
「おばあ……クロトーさんの後任って? もしかして、あの契約を僕に押しつけるの?」
 すぐ左横にクロトーがいることに気づき、レオンハルトが慌てて言い直しながら訊ねた。

「そうだ。槍士クラスSSのお前にしか、姐御の後を任せられる奴がいない」
「ま、待ってよ、アイザックさん! クロトーさんの代わりなんて、僕には荷が重すぎるよ!」
 レオンハルトが身を乗り出して叫んだ。もちろん、本音は著しく行動を制限されることを嫌ってのことだった。
(三日以内にザルーエク支部に戻れる距離にしか移動を許されないなんて、冗談じゃないよ!)

「もちろん、タダでとは言わない。月に白金貨二十枚を出そう」
 アイザックの言葉に、クロトーは笑いを噛み殺した。彼女が契約の対価として得ていたのは、月に白金貨百枚の報酬の他に、『銀狼の爪』を初めとする十数店舗との魔法付与契約だった。よって、毎月クロトーの懐に入ってくる金額は、白金貨五百枚を優に超えていたのである。
 そして、ギルドの報酬である白金貨百枚はなくなるが、その代わりに行動の自由を保証され、魔法付与による四百枚以上の収入もそのままだった。何故なら、クロトー以外に高レベルの魔法付与ができる魔道士など、ザルーエク支部にはいないからだ。

「月に白金貨二十枚……。クロトーさん、そんなにもらっていたんだ?」
 白金貨二十枚と言えば、一般的な庶民が半年は暮らせる金額だ。それを毎月何もせずに得られることに、レオンハルトの心は動いた。
「でも、行動が著しく制限されるしな。アイザックさん、もう一声……」
「分かった。白金貨二十五枚に増やしてやる。これで手を打て」
「分かったよ。あとで契約書を交わしてね」

 クロトーはアイザックの眼を見て気づいた。アイザックは初めから、クロトーの四分の一の金額でレオンハルトを使おうとしていたのだ。
(まだまだね、アイザック……。交渉って言うのは、こうやるのよ)
「あら、アイザック。あたしよりも高い金額でレオンハルトを雇うの? 『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』も舐められたものね」

「え……。い、いや、姐御……。それは……」
 レオンハルトの前でクロトーの契約料を言えるはずもなく、アイザックは困ったように言葉に詰まった。
「魔法付与の依頼も最近少ないのよねぇ。どこかに新しいお店でもないかしら?」
「わ、分かった。どこか一軒探しておく」
 アイザックはクロトーの思惑に気づいたが、この場ではそれ以外の返事ができなかった。

 『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』の前では、レオンハルトは当然のこと、老練なギルドマスターでさえ、まるで子供扱いであった。

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