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第2章 究極の鎧

9 神速の少女

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 翌日、朝の六つ鐘に、アトロポスはクロトーと待ち合わせをした馬繋場ばけいじょうに向かった。四日ぶりに会ったシリウスは大きくいななくと、甘えるように鼻先をアトロポスに押しつけてきた。

「ごめんね、シリウス。寂しかった?」
 シリウスのたてがみや首筋を優しく撫でてやりながら、アトロポスはシルヴァレートの優しさを実感していた。彼はこの国随一の駿馬であるシリウスを、アトロポスの愛馬として残していってくれたのだ。

「それがローズちゃんの馬? 凄い馬ね」
 純白に近い白馬を曳きながら、クロトーがアトロポスに近づいてきた。
「はい。シリウスです。シルヴァが私に譲ってくれたなんです」
「あたしのメリッサちゃんも結構いい馬なんだけど、シリウスちゃんには敵いそうもないわね」
 クロトーの白馬より、シリウスの方が一回り大きく、全身の筋肉も引き締まっていた。

「でも、クロトーさんの馬も凄く素敵です。ここまで真っ白な白馬って、初めて見ました」
 艶やかな純白の毛並みに覆われたメリッサの体を撫でながら、アトロポスが笑顔で告げた。アトロポスに体を撫でられたことが嬉しかったのか、メリッサがヒヒンッと嘶いた。

「それで、どこまで行くんですか?」
「南西の街道沿いに一ザンほど駆けると、広い草原があるの。そこでその鎧の性能を検証しましょう」
「はい。お願いします」
 そう告げると、あぶみに足を掛けてアトロポスはシリウスに騎乗した。クロトーもメリッサに乗ると、アトロポスに向かって言った。

「あたしが先導するからついてきてね。ハイッ!」
 メリッサの脇腹を軽く足で締め付けると、クロトーはザルーエクの正門から街の外に出て馬を駆けさせた。
「行くわよ、シリウス。ハイッ!」
 メリッサの後に続き、アトロポスも正門を抜けてシリウスを駆けさせた。
 二騎は南西に向かって街道を進み始めた。


「この辺りにしましょう」
 目的地である草原に到着すると、クロトーはメリッサから下りて大きめの木に繋いだ。その横にシリウスを繋げると、アトロポスがクロトーに訊ねた。

「鎧の検証って、何をすればいいんですか?」
「そうね。最初は筋力増強の効果を比べてみましょうか? まずは、助走をつけずにここから向こうへ向かって跳んでみて。高さはいらないから、できるだけ遠くに向かって跳んでくれる?」
「はい。では、いきますね」
 アトロポスは言われたとおりに前方へ跳んだ。元々、騎士としての訓練を受けていたアトロポスは、二メッツェ以上の距離を跳んだ。百六十五セグメッツェのアトロポスにすれば、自分の身長を超える距離だった。騎士としても冒険者としても、一流と言える身体能力だ。

「そこから元の場所までの歩数を測って」
「はい。一、二……だいたい、三歩ですね」
 言われたとおりにアトロポスは跳んだ距離の歩幅を数えた。
「では、次に同じ場所で覇気を纏って跳んでみて。覇気は全力を出して構わないわ。そして、今と同じようにここまでの歩数を数えながら戻ってきて」
「はい」

 アトロポスは眼を閉じると、全身の魔力を丹田に集中した。アトロポスの全身から漆黒の覇気が立ち上り始めた。
「ハァアアッ!」
 気合いとともに、アトロポスは丹田に集中させた覇気を一気に解放した。
 その瞬間、爆発したかのように漆黒の覇気が巨大な黒炎となってアトロポスの体を包み込んだ。黒炎の高さは、二十メッツェを超えた。大気がビリビリと震撼し、圧倒的な魔力が漆黒の奔流となって周囲を席巻した。

(凄い……。何て覇気なの!? あたしの魔力量を確実に超えているわ!)
 想像を遥かに凌駕するアトロポスの覇気に、クロトーが驚愕した。クラスSSとも言われているムズンガルド大陸最強の魔道士が、目の前にいる十六歳の少女に圧倒された。

 次の瞬間、アトロポスの体が消滅した。クロトーには、アトロポスが跳躍した姿を視認することができなかった。眼も開けられないほどの風圧が周囲を席巻すると、アトロポスがいた場所の地面が大きく抉られていた。
 クロトーは前方に視線を移し、アトロポスの姿を探した。遥か遠方に小さくなったアトロポスの背中を見つけたとき、クロトーは戦慄さえも感じて冷たい汗を流した。


「七百四十二、七百四十三、七百四十四……。七百四十五歩です」
 元の位置に戻ってきたアトロポスの報告を聞いて、クロトーは呆然として言葉を失った。
(覇気を纏わなかった跳躍は二メッツェと少し……。それが三歩だったから、ローズちゃんの歩幅はおよそ七十セグメッツェ。七百四十五歩ってことは、五万二千百五十セグメッツェ。つまり、五百メッツェ以上の距離を跳んだことになる……)
 覇気を纏った跳躍が七百四十五歩。覇気を纏わない跳躍が三歩。多少の誤差があるにせよ、アトロポスは二百五十倍の距離を一瞬で跳躍したのだ。

「結構、遠くまで跳べました。やっぱり、この鎧って凄いですね」
 闇属性に変わった天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの性能に、アトロポスは嬉しそうな表情を浮かべていた。だが、クロトーは喜びよりもその危険性を危惧した。
「ローズちゃん、よく聞いて。おおよそだけど、その鎧の速度強化と筋力強化の性能は二百五十倍よ」
「え……? 二百五十……倍?」
 クロトーの言葉に、アトロポスは呆然として固まった。

「覇気を全解放すれば、小指一本で人を殺せるレベルだわ」
「そんな……」
 驚愕するアトロポスに対して、クロトーは冷静に話を聞かせた。
「訓練場でも言ったけど、魔道士クラスSのあたしが、あなたの動きを眼で追うこともできず、気配を感じることもできないのよ。そのあなたが、ドゥリンが全身全霊を込めてきたえたブルー・ダイヤモンドの剣を使ったらどういうことになるか想像できる?」
 クロトーの言わんとしていることを理解し、アトロポスが真剣な表情を浮かべた。

「分かりません……」
「あなたを止められる者が誰もいなくなるのよ。たとえばだけど、あなたが愛しているシルヴァレート王子やアルティシア前王女が殺されたとする。その時、あなたが怒りにまかせて暴れたら、冒険者ランクSパーティはおろか、レウルキア王国の全軍でもあなたを止められないわ」
「そんな……私、どうしたら……?」
 クロトーが抱いている畏怖にも近い感情を理解し、アトロポスはすがるような視線で彼女を見つめた。

「ドゥリンの剣が出来上がるのはいつ?」
「五日くれと言っていたので、あと二日です」
「ローズちゃん、それまでにその鎧を完璧に・・・使いこなせるようになりなさい! どんな精神状態の時にでも、その鎧の力を暴走させないように魔力制御を完全にしなさい! これは、<星月夜スターリー・ナイト>のリーダーとしての命令よ!」
 かつて見たことがないほど真剣な眼差しで、クロトーがアトロポスに告げた。

「はい……。分かりました」
 クロトーの言葉に大きく頷くと、アトロポスは漆黒の瞳に真剣さと決意を映しながら答えた。
「では、ザルーエク支部に戻るわよ。ローズちゃんは地下訓練場で魔力制御の特訓をしていて。あたしはこのことをアイザックに報告するわ。報告を追えたら迎えに行くから、夕食は一緒に食べましょう」
「はい!」
 自分を安心させるために笑顔で告げてくれたクロトーに、アトロポスは感謝した。

 二人は繋いでいた馬を放つと、シリウスとメリッサにそれぞれ騎乗してザルーエクの街を目指した。


「難しいわ、これ……。なかなかうまくできない」
 冒険者ギルド・ザルーエク支部の地下訓練場で、アトロポスは苦戦していた。クロトーに言われた魔力制御の訓練をしているのだが、思い通りに魔力を調整出来なかった。
 魔力を一気に解放することはできるのだが、一定量の放出といった魔力量の調整がなかなか思うようにできないのだ。特に一割や二割といった少量の調整になるほど、魔力制御の難易度が高くなるようだった。

「久しぶりだね、ローズ。何しているの?」
 突然声を掛けられて、アトロポスは驚いて振り返った。そこには淡青色の髪を肩で切り揃えた青年が、自分の身長よりも長い槍を携えて立っていた。
「レオンハルトさん! びっくりした! お久しぶりです」
 慌てて挨拶をすると、アトロポスは彼の持つ槍に目を向けた。

「凄い槍ですね。何て言うか、魔力が溢れ出ているような……」
「へえ、この槍の性能ちからが分かるようになったんだ。短期間でずいぶんと上達したみたいだね。これは僕の愛槍で神槍<ラグナロック>だよ。僕の覇気を三倍に増幅できるんだ。『神明の鍛治士ゴッド・スミス』ドゥリンさんの作だよ」
 レオンハルトは朱色の柄を撫ぜながら笑顔で告げた。柄の持ち手部分は龍皮のような革が巻かれていた。

「ドゥリンさんの槍ですか? どおりで凄い力を感じました」
「へえ、ドゥリンさんを知っているのかい?」
 レオンハルトは驚いた表情を浮かべながら訊ねた。ドゥリンは、ムズンガルド大陸の鍛治士の中でも三本の指に入る超一流の鍛治士だったからだ。

「はい。私も今、ドゥリンさんに刀を作ってもらっているんです。明後日には出来上がる予定なので、楽しみにしているんです」
「それは楽しみだね。ドゥリンさんに鍛冶を依頼できるなんて、誰の紹介だい?」
 気に入らなければ王族の依頼でも断るドゥリンを、レオンハルトは良く知っていた。
「クロトーさんに紹介されました」
 アトロポスの言葉に、レオンハルトは納得の表情を浮かべた。

「おばあちゃんの紹介か? それなら絶対に大丈夫だ」
 レオンハルトの言ったおばあちゃん・・・・・・という言葉をアトロポスは笑って聞き流した。
「そう言えば、それがアイザックさんを激怒させたという噂の鎧かい?」
 レオンハルトは楽しそうな表情を浮かべながら、アトロポスが着ている天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスを見つめた。

「えっと……、噂になっているんですか?」
 心配そうに訊ねたアトロポスに、レオンハルトは笑いながら告げた。
「『銀狼の爪』からの請求書を見たアイザックさんが思わず覇気を解放しそうになって、ギルド職員が慌てて逃げ出したそうだよ」
 面白そうに笑い声を上げながら、レオンハルトが告げた。

(そうだったんだ……。でも、あの時のアイザックさんには本気でビビったわ)
 ギルドマスター室でアイザックに怒られたことを思い出すと、アトロポスはブルッと体を震わせた。
「いったい、いくらだったんだい? 剣士クラスAになったから調子に乗って、白金貨百枚くらいのヤツを買ったのかな?」
「えっと……さんまん……」
 アトロポスは囁くような声でボソリと呟いた。

「え? いくらだって?」
「白金貨三万一千枚……です」
「さ、三万……!?」
 レオンハルトの声が裏返り、その碧眼が驚愕に見開かれた。
「はい……。調子に乗ってました。ごめんなさい!」
 ガバッと頭を下げると、アトロポスはレオンハルトに向かって早口で告げた。

「三万一千って……。アイザックさんが覇気を解放しそうになったのも分かるわぁ。っていうか、よく解放しないで抑えたと思うよ」
 大きくため息をつくと、レオンハルトは呆れたようにアトロポスを見つめた。
「もしかして、四大龍の革鎧とか……?」
「はい。天龍の……です」
 ハアッと大きく息を吐くと、レオンハルトが言った。

「それなら白金貨三万枚以上もするのは当然だ。魔法付与はどうしたの?」
「最初から重量軽減とサイズ調整はついていました。追加で付与したのは、速度強化と筋力強化です」
(【属性転換魔法】のことは言わない方がいいのかな?)
「なるほど……。いい選択だね。ちなみに何倍強化だい?」
「十倍です……」
(それが二百五十倍になっちゃったことも、言ってはいけない気がする……)

「十倍ッ? 普通は二、三倍がいいところだよ?」
「クロトーさんが付与してくれたんです」
(十倍でもこの反応なんだもの。二百五十倍になったって言うのはやっぱり内緒にしておこう)
「なるほど……。おばあちゃん、本気でやったんだな。それでローズは魔力制御の練習をしているのか?」
 色々と納得したように、レオンハルトは頷きながら言った。

「そうだ、レオンハルトさん。魔力制御って、何かコツはありますか? なかなか思うように出来なくて……」
 これ以上聞かれてぼろを出さないように、アトロポスは話を変えてレオンハルトに訊ねた。槍士クラスSSのレオンハルトであれば、何かアドバイスをもらえるかも知れないという期待もあった。

「さっき見ていたら、ダダ漏れのように覇気を解放していたよね?」
「え……?」
(ダダ漏れって……。一割程度に抑えていたつもりなんだけど、全然できてなかったのかな?)
 レオンハルトの言葉にショックを受けながら、アトロポリスは訊ねた。

「そんなに漏れてましたか? 結構、がんばって抑えてたつもりだったんですが……」
「抑えてた? あれで? 体中から真っ黒な覇気をあれだけ出しておいて、抑えているつもりだったの?」
 にべもないレオンハルトの酷評に、アトロポスは言葉に詰まった。

「そうですか……。全然、ダメだったんですか……」
「覇気は……魔力と言ってもいいけど、解放するよりも抑えて少量を出す方が難しいからね」
「そうなんです。何度やっても思うようにならなくて……」
 アトロポスは顔をしかめながら呟いた。

「全解放するときとやり方を変えてみなよ。全解放するときは全身から一気に覇気を放出しているんでしょ?」
「はい」
「そうじゃなくて、少量の覇気をまといたいのなら、一点から出すようにするんだよ。たとえば、人差し指一本から少しだけ覇気を出すみたいな感じで……」
 そう告げると、レオンハルトは手本を見せるように薄らと覇気を纏った。焔星イェンシーの二つ名のとおり、火属性のレオンハルトの覇気は鮮やかな真紅だった。

「なるほど! こんな感じですか?」
 アトロポスは右手の人差し指だけから少しだけ覇気を出してみた。
(できた! たぶん、これが一割くらいの量だわ!)
 初めて成功したことを喜んでいると、レオンハルトが笑いながら首を横に振った。

「全身から真っ黒な覇気が溢れ出ているよ。全解放じゃないみたいだけど、八割以上の覇気を纏っているみたいだね」
(え……? 八割? 一割くらいのつもりなんだけど、まだ多いのかな?)
 アトロポスは更に半分くらいに覇気の放出を抑えた。
「うん、少しは減ったかな? でも、まだ五、六割ってところかな?」
「そうですか……。限界近くまで抑えているつもりなんですが……」
 レオンハルトの感想と自分の感覚との違いに、アトロポスは首を捻った。

「それでかい? まだまだみたいだね。でも、魔力制御のコツは分かったみたいだから、しばらく練習してみるといいよ。僕はアイザックさんに用があるからそろそろ行くけど、がんばってね」
「はい、ありがとうございました」
 レオンハルトに礼を言って別れると、アトロポスは魔力制御の訓練を再開した。

(まだ多いみたいね。人差し指じゃなくて、小指からちょこっと出す感じかな?)
 漆黒の覇気が薄い膜となってアトロポスの全身を包み込んだ。
(うん、いい感じかも? このまま鎧に覇気を流し込んで、少し動いてみよう)
 闇色の覇気を天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスに吸収させると、アトロポスは訓練場の中を縦横無尽に走り出した。
 方向転換する際に一瞬停止することによって残像が残り、まるで分身でもしているかのように何人にも見えていることにアトロポスは気づかなかった。

(これで、覇気を流さない時の十倍くらいの速度かしら? 普段はこのくらいに抑える練習をしてみよう)
 実際には三十倍を超える速度で動いていることに気づかず、アトロポスはその練習を続けた。

 レオンハルトは以前に戦った時のアトロポスの覇気を基準に、まだ五、六割だと言っていたのだった。だが、アトロポスの魔力量はその時と比べて比較にならないほど増大していたことに、レオンハルトは気づいていなかった。彼が五、六割と評価したアトロポスの覇気は、実際には一割にもほど遠い微量の覇気だったのだ。
 レオンハルトがそのことを知るのは、ごく近い未来のことであった。
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