夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第1章 運命の女神

4 愛の嵐

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 お互いを求め合う激しい愛の交歓は、アトロポスにかつてない快感をもたらせた。アトロポスは何度も忘我の極みに昇りつめ、数え切れないほど官能の愉悦を噛みしめた。
 行為を終えた気だるさの中で、アトロポスはシルヴァレートの左腕を枕に彼の胸に顔をうずめながら呟いた。

「シルヴァ、体が……動かない……」
 ビクンッビクンッと痙攣が続いたまま、アトロポスは四肢の先端まで甘く痺れて指一本動かせなかった。その様子を微笑みながら見つめると、シルヴァレートは愛しげにアトロポスの前髪をかき上げた。

「気持ちよかったか?」
「知らない……」
 アトロポスは真っ赤に染まった顔をシルヴァレートの胸に押しつけると、拗ねたように答えた。
(恥ずかしい……。あんなになるなんて、私……)
 以前に抱かれた時とは比べものにならないほど激しく乱されたことを思い出すと、アトロポスは恥ずかしさのあまり顔を上げられなかった。

「もうすぐ昼の一つ鐘が鳴る頃だな。着替えたら食事をして冒険者ギルドに行こう。これを飲んでおけ」
 シルヴァレートはサイドテーブルから高さ七セグメッツェほどの青色の液体が入った小瓶を手に取ると、栓を抜いてアトロポスに渡した。

「これは……?」
「上級回復ポーションだ。本来は怪我を治す治療薬だが、体力を回復する効果もある。今のお前にはぴったりのだぞ」
「ばか……」
 震える手で小瓶を受け取ると、アトロポスは一気に中身を飲み干した。

「うそ……? 疲れが……?」
 アトロポスは驚きの表情で空になった小瓶を見つめた。あれほどの重い気だるさが瞬く間に消えただけでなく、全身に力が溢れて新しい自分に生まれ変わったようだった。信じられないほどの効果と即効性だった。

「よく効くだろう。もう立てるよな?」
 満足そうな表情でアトロポスを見つめると、シルヴァレートが嬉しそうに告げた。その笑顔の意味に、アトロポスは気づかなかった。

「ええ……キャッ!」
 寝台から立ち上がろうとした瞬間、自分が全裸であることを思い出すとアトロポスは慌てて毛布で体を隠した。
「何を今更……。もっと恥ずかしい姿を何度も……うぷっ!」
「いいから、後ろを向いてて!」

 シルヴァレートの顔に枕を投げつけると、アトロポスは真っ赤になりながら怒鳴った。そして、慌てて下着を身につけると、寝台から降り立ってクローゼットに向かい、革鎧と革ズボンを取り出した。それらを手早く身につけると、アトロポスはまだ着替えをしているシルヴァレートを振り向いて声を掛けた。
「向こうで髪を直してくるわ」

 寝室を後にして向かい側の居間に入ると、アトロポスは荷物入れからくしを取り出した。首都レウルーラで旅装と一緒にシルヴァレートに買ってもらった柘植つげの櫛だった。
 アトロポスは壁に掛けられた鏡に自分の姿を映すと、髪をかそうとした手を止めて驚愕の表情を浮かべた。

(傷が……消えている?)
 ダリウスに付けられた左頬の刀傷が綺麗さっぱり消えていた。左手で頬を撫ぜても、傷跡さえなかった。
 シルヴァレートの前では気に留めない素振りをしていたが、顔に大きな傷を付けられたことはアトロポスにとって心を抉られたようなものだった。アルティシアを助けるという目的がなければ、本当は誰にも会いたくなかったくらいなのだ。

(凄く嬉しい! でも、何で急に……?)
 アトロポスの脳裏に、シルヴァレートの言葉が蘇った。

『本来は怪我を治す治療薬・・・・・・・・だが、体力を回復する効果もある。今のお前にはぴったりの薬だぞ』

(あのポーションのおかげだわ! 本当に私にぴったりのね!)
 喜びのあまりすぐにでもシルヴァレートに報告しようと走り出したが、アトロポスはすぐに足を止めた。
(どうせなら、ちゃんとした私を見てもらいたい!)
 鏡の前に戻ると、アトロポスは背中まで伸ばした漆黒の髪を丁寧に櫛で梳かし始めた。


「こっちは準備できたわ。どう、シルヴァ?」
 アトロポスは左手で黒髪を耳の後ろにかき上げると、やや右側に顔を向けてシルヴァレートが左頬を見やすいように彼の前に立った。
「ああ、こっちももうすぐだ。あ、お前の細短剣スモールソードはそこに立て掛けてあるから忘れるなよ」
 自分の着替えを鞄に詰め込みながら、シルヴァレートは顔も上げずに答えた。

(ちょっと、恋人が綺麗になって来てやったのに、その態度は何なの?)
 自分の方を一瞥もしないシルヴァレートに、アトロポスはムッとした。左頬の刀傷が消えたことを一緒に喜んでくれると信じていたのに、喜ぶどころか顔を上げもしないなんて許せるものではなかった。

「ねえ、シルヴァ。どうかしら?」
 もう一度だけチャンスを上げようと思い、アトロポスはシルヴァレートに一歩近づいて訊ねた。
「ああ、綺麗だよ、ローズ」
 一瞬だけ顔を上げてアトロポスを見上げると、一言そう告げて再びシルヴァレートは荷物を詰めだした。

(何なのよッ! 全然こっちを見てないじゃない!)
 アトロポスの中で、プチンと何かが切れた。アトロポスは壁際まで歩いていくと、細短剣スモールソードを手に取って左腰の剣帯に差した。そして、再びシルヴァレートの目の前まで行くと、両脚を前後に大きく開いて腰を落とし、右手で細短剣スモールソードの柄を握りしめた。居合抜きの構えだった。

「ハッ!」
 鋭い気合いとともに居合いを放つと、アトロポスはシルヴァレートの右首の皮一枚のところで白刃を止めた。
「え? うわっ! な、何をする……」
 一瞬、何が起こったのか理解できなかったシルヴァレートだが、細短剣スモールソードの刃が首筋に当てられていることに気づくと蒼白になって後ずさった。

「一度モノにした女には見向きもしないつもり? それとも、誰にでも調子のいい言葉を並べているの?」
 笑顔で告げてきたアトロポスの黒瞳がまったく笑っていないことに気づくと、シルヴァレートは驚愕して訊ねた。
「な、何をそんなに怒ってるんだ? 俺が何かしたのか?」
「何もしないから怒っているのよ! 私の顔を見て、言うことはないの?」
 アトロポスは細短剣スモールソードの白刃を突きつけたままシルヴァレートに向かって告げた。

「ダリウスが付けた左頬の傷が消えたんだろ? 良かったな」
「え……? 気づいてたの?」
「当たり前だ。そのために高い金を出して上級回復ポーションを買ったんだからな。お前がポーションを飲んだ時に傷が消えたことはちゃんと確認したさ」
 当然のことのように告げたシルヴァレートの言葉に、アトロポスは慌てて訊ねた。
「そのためって……? あのポーションは疲れを取るためじゃなかったの?」

「お前、上級回復ポーションがいくらするか知っているのか?」
 呆れたようにため息をつくと、シルヴァレートがアトロポスを見上げながら訊いた。
「……知らない」
「一本で白金貨三枚だぞ」
「白金貨三枚……!?」
 普通の中級宿であれば、食事付きで一ヶ月は宿泊し続けられる金額だった。

「上級回復ポーションは、即死でなければ四肢の欠損さえも完全に復元するんだ。だから、お前の刀傷を治すために買ったんだ」
「そ、そうだったの……?」
「恩着せがましいことは言いたくないから黙っていただけなんだが、そのお礼がこれか?」
 シルヴァレートが呆れた表情で首筋に押しつけられた細短剣スモールソードの白刃を見つめた。

「ご、ごめんなさいッ!」
 アトロポスは慌てて白刃を離すと、シャキンと細短剣スモールソードを納刀した。
「まったく……。お前のことだ。傷が治って嬉しいのに、俺が気づきもしないからブチ切れたってところだろう? 違うか?」
「それは……その……ごめんなさい……」
 自分の心理を正確に読み取ったシルヴァレートの言葉に、アトロポスは恥ずかしさと後悔で真っ赤になってうなだれた。

「さすがにこれはお仕置きが必要だな、ローズ」
 アトロポスの様子を見つめていたシルヴァレートが、ニヤリと笑いを浮かべて言った。
「お仕置きって……?」
「こういうことだよ」
 そう告げると、シルヴァレートは寝台から立ち上がってアトロポスに近づいた。そして、彼女の体を抱きしめると口づけをした。

(こんなお仕置きって……)
 濃厚に舌を絡められ、アトロポスは頭の中に白い靄がかかったようにボウッとしてきた。背筋をゾクゾクとした感覚が舐め上げてきて、体中から力が抜けていった。
(まだ、続くの……?)
 膝がガクガクと笑い始め、腰が砕けそうになった。アトロポスは立っていられなくなり、縋るようにシルヴァレートに体を預けた。

(もうだめ……。口づけだけでおかしくなる……)
 閉じた瞼の裏側に白い閃光が走ると、アトロポスはビクンッと大きく全身を痙攣させた。その様子を満足げに感じ取ると、細い唾液の糸を引きながらシルヴァレートが唇を離した。
「いいお仕置きだったろう?」
 彼が手を離した瞬間、アトロポスは崩れるように床にへたり込んだ。

「それじゃあ、冒険者ギルドに行くぞ」
 ニヤリと笑いを浮かべると、シルヴァレートはゆっくりと歩き出した。
「ハァ……ハァ……シルヴァ、まって……」
 トロンと蕩けた黒瞳でアトロポスはシルヴァレートを見上げた。全身がビクッビクッと痙攣をしていて、すぐには動けそうもなかった。

「遅れるなよ、早く行くぞ」
「おねがい、まって……たてないの……」
「だから、お仕置きなんだよ、ローズ」
「そんな……」
 体中に甘い痺れが駆け巡り、アトロポスは黒曜石の瞳に涙を溢れさせながらシルヴァレートに縋り付いた。

「これに懲りたら、もっと俺のことを信用しろ」
「はい……。ごめんなさい、シルヴァ……」
 熱い吐息を漏らしながら、アトロポスが潤んだ瞳でシルヴァレートを見つめた。シルヴァレートはアトロポスを抱き上げると、再び寝台に横たえた。
「でも、元通りの綺麗な顔に戻れてよかったな」
「シルヴァ……」

 二人はお互いの瞳を見つめ合うと、どちらからともなく眼を閉じた。二つの唇が重なり、導かれるように舌を絡め合った。
 二人が特別室スイートを出たのは、それから一刻……ニザンが過ぎてからだった。
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