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第12章 漆黒の女神
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生と死の狭間。
漆黒の闇と、光の嵐。
男は、その二つの間をさまよっていた。
規則正しく刻まれる鼓動は、力強さを失い、酸素マスクによる強制的な呼吸を強いられながら、男は夢を見ていた。
夢の中で、一人の少女が哀しげに微笑んだ。漆黒の髪を背中まで伸ばした美しい少女である。彼女の黒曜石の瞳から、一筋の涙が溢れた。
『なぜ、泣いている?』
男は、その美少女に手を伸ばした。しかし、彼女はその小さな頭を横に振った。長い黒髪が流れるように靡いた。
『なぜ?』
男は彼女を愛していた。
それなのに……。
『なぜ、俺を避けるんだ?』
男の問いに、彼女が小さく微笑んだ。
それは紛れもなく、<別れ>を告げる微笑みだった。
『なぜだ?』
男が、もう一度訊ねた。
『……。あなたの心は、私から離れてしまった……。もう、二度と戻ってこないわ……』
限りない悲哀を込めて少女が告げた。
『バカな。そんなことはない。俺は、お前を愛している!』
男が叫んだ。
だが、その言葉は彼女に届かなかったのか。少女は彼に背を向ける。
彼女の細い肩が、涙に震えていた。
『ジェシカ、なぜ泣くんだ? 俺は、お前を愛している。嘘じゃない!』
男が彼女の右肩に手を置き、振り向かせようとした。
『違うわ……』
少女の声が、メゾ・アルトからメゾ・ソプラノへと変わっていた。
少女が、ゆっくりと振り向く。
そして、自信に満ちた声で、彼女が男にこう告げた。
『あなたが愛しているのは……、私よ』
『お前は……!』
男の前には、別の少女が立っていた。
淡青色の髪を風に靡かせながら、プルシアン・ブルーの瞳が真っ直ぐに男を見つめた。
「何だって、こんな死に損ないを監視してなくちゃならないんだ?」
コールド・スリープ(低温睡眠)治療カプセルの中で横たわっている男を見下しながら、バイオ・ソルジャーの一人が告げた。
「文句を言いてぇのは、俺の方だぜ、ブライ。お前は昨日、あんないい女を抱いたじゃねぇか。一人でいい目を見やがって。本来なら、お前一人でこんな退屈な役目をやってもいいんだぜ」
「ちぇ、言いたいこと言ってやがる。まあ、あの女、久しぶりに美味かったがな。逃がしちまったのは、勿体なかったぜ」
ブライが心から残念そうに言った。彼は、テアを凌辱した一人だったのである。
「アズベール様も、何を考えてるんだ? こんな死に損ないを、十七人ものバイオ・ソルジャーに監視させるなんて」
「お偉さんは、気紛れなんだろう」
面白くなさそうに、ブライが告げた。
彼らは、重傷を負ったジェイ=マキシアンを監視していたのである。
この治療室の中には、アレンと呼ばれるバイオ・ソルジャーと、ブライの二人が詰めていた。そして、ドアの外には十五人のバイオ・ソルジャーたちが、数メートルおきに立っているはずである。
バイオ・ソルジャーとは、脳と中枢神経の一部以外を全て人工組織に置き換えた強化人間であり、その戦闘力は訓練された兵士の数百人分に当たると言われている。その彼らが十七人も集まって、半死半生の男一人を護衛しているのである。アレンが不満を漏らすのも当然であった。
その時、治療室のドアがノックされた。
「もう、交替の時間か?」
アレンが腕時計を見ながら、小首を傾げる。
「そんなはずはねぇ。まだ、三十分以上あるはずだ」
ブライが怪訝な表情を浮かべた。彼はアレンに目配せすると、右腰のホルスターからレイガンを抜いて怒鳴った。
「誰だ?」
ブライの質問を無視するように、ドアが開かれた。本来であれば、彼は有無を言わさずに、レイガンの閃光を放っているはずである。
だが、レイガンのトリガーにかけられた彼の指は、驚きのあまり動きを止めた。
「誰だ、お前は?」
呆然とするブライの代わりに、アレンが叫んだ。
彼ら二人の目の前には、美しい少女が立っていたのである。
星々のきらめきを映す黒曜石の瞳を真っ直ぐにブライたちに向けながら、少女が唇を開いた。
「彼は、生きているの?」
ブライたちは、彼女の言葉をすぐには理解できなかった。その意味するところが、ジェイ=マキシアンの生死であることに気づいたのは、彼らの全身がESPによって拘束された後だった。
「お、お前は、誰だ?」
強力なESPによって完全に動きを封じられながら、ブライが叫ぶように言った。バイオ・ソルジャーである自分たちを、一瞬のうちに拘束した少女の能力に、彼は驚愕と畏怖を隠しきれなかった。
「あんたたちの仲間は、表で寝ているわ。助けを呼んでも無駄よ」
少女が、ブライの質問を無視して平然と告げる。それを耳にした瞬間、ブライは自分が監視していた男が誰かを、衝撃とともに思い出した。そして、彼のパートナーが何と呼ばれているかも……。
ジェイ=マキシアン。彼こそは、銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>において、ブラック・リストのトップを飾るESPであった。人々は畏敬と恐怖を込めて、彼を『全宇宙最強のESP』と呼ぶ。
そして、彼には美しいパートナーがいた。そのパートナーの名は、ジェシカ=アンドロメダ。<漆黒の女神>と呼ばれるAクラス・ESPである。
「お前は、ジェシカ=アンドロメダか……?」
凄まじい恐怖に駆られながら、ブライが訊ねた。訓練された兵士数百人分の戦闘能力を有するバイオ・ソルジャーを、十五人も倒した事実は、彼の想像を遙かに超えていたのだ。
「私を知っているとは、光栄ね。では、私の質問にも答えて欲しいものだわ。ジェイは、生きているの?」
ジェシカの黒曜石の瞳が、危険な光を放った。ブライの答え次第では、彼らを一人として生かしておかないという決意が、その黒瞳に浮かび上がる。
「い、生きている。俺たちは、ただ、ヤツを護衛しているだけだ」
心臓を直に握られているような錯覚を覚えながら、ブライが答えた。彼の全身を紛れもない戦慄が舐め上げた。
「もう一つ、教えて。彼をこんな目に合わせたのは、誰?」
「し、知らない。俺はヤツの護衛を……ギャアッ!」
ジェシカの瞳が光を放った瞬間、ブライの右腕は圧倒的な力で、肩から引きちぎられた。
「嘘はつかない方が、身のためよ」
「ア、アズベール様だ! ここの遺跡管理局長ジャック=アズベールだ!」
強烈な激痛のあまり、言葉を発することができないブライに替わって、アレンが叫んだ。
「ジャック=アズベール? そいつは、どこにいるの?」
「たぶん、五階の管理局長室にいるはずだ」
「そう、ジェイの怪我を治したら、案内してもらうわ」
そう告げた瞬間、ジェシカの全身がESP波特有の光彩に包まれた。コールド・スリープ・カプセルの蓋を手も使わずに開き、ジェシカはジェイの身体に両手を触れた。彼女を包み込んでいた光彩が、ジェイの全身に広がる。
「ひぃッ!」
ブライたちは悲鳴を上げながら、眼を閉じた。
圧倒的な閃光が、ジェシカとジェイの全身から発せられる。その光の中で、ジェイの傷が徐々に塞がっていった。彼の鼓動が力強さを取り戻し、全身に精気が漲ってくる。
彼女はジェイに、ESP治療を施したのである。
『ジェイ、しっかりして!』
ジェシカが、テレパシーでジェイに話しかけた。それに反応したかのように、ジェイがゆっくりと意識を取り戻した。
強い意志を秘めたジェイの瞳が、開かれた。その瞳に、<漆黒の女神>の微笑みが映る。
「ジェシカ……。どうして、ここに?」
ジェイが半身を起こしながら、彼のパートナーに訊ねた。
「あなたともあろう人が、ずいぶんとやられたわね」
ジェイの額にはめられたESP抑制リングを、テレポート能力の応用で外しながら、ジェシカが微笑んだ。
「助かったよ。ありがとう」
苦笑を浮かべながら、ジェイが立ち上がる。その瞳が、ブライを見つめた瞬間に激烈な怒りを発した。
「貴様ッ!」
「ジェイ、どうしたの?」
驚いて、ジェシカが訊ねる。
「ひ、ひぃッ! ゆ、許してくれッ!」
ジェシカのESPで身動き一つ取れないブライが、激甚な恐怖に青ざめながら叫んだ。
「貴様だけは、絶対に許さん! テアに与えた地獄を、数倍にして返してやるッ!」
ジェイの全身から、青い炎が燃え上がった。ESP波、それも、Σナンバー特有の光彩である。
「ジェイ……?」
呆然とするジェシカを後ろに押しのけながら、ジェイがブライの前に立ちはだかった。
「ジェシカ、こいつを自由にしろ!」
「ち、ちょっと、どういうことなの? 説明してよ」
「説明は後だ。こいつは俺が殺す! ただし、楽には死なせない! 苦しみにのたうちまわらせながら、殺してやるッ!」
紛れもない殺気を瞳に映しながら、ジェイが怒鳴った。彼の怒りに驚愕しながらも、ジェシカは、拘束していたESPからブライを解放する。
「た、助けてくれ! な、何でもする! 殺さないで……ぎゃあああッ!」
後ずさろうとしたブライの左足が、劫火に包まれた。だが、ジェイの怒りの炎は、それにとどまらなかった。
「ぐわあああッ!」
残されたブライの左腕が、肘から切断された。鮮血にまみれながら、ブライが床を転がり廻る。
「ジェイ、やめなさいよ。何があったか知らないけれど、ひどすぎるわよ!」
見かねて、ジェシカが彼を止めようとした。だが、ジェイの一言は、彼女の制止を抑え込むには、充分すぎるものだった。
「こいつは、俺の目の前でテアを凌辱したんだ! 泣き叫ぶ十六歳の少女を!」
「な、何ですって?」
「その上、彼女の顔に、レーザー・ナイフで大きな傷をつけやがった。ジェシカ、お前なら、許せるのか?」
凄まじい怒りに我を忘れて、ジェイが叫んだ。
「もう、やめてくれッ! た、助けて下さい……!」
鮮血と涙で顔を歪ませながら、ブライが哀願した。しかし、ジェイは冷たく言い放った。
「テアも泣きながらそう言った。それを、貴様はどうしたんだッ!」
「ぎゃああッ!」
ブライの身体が、腹から二つに裂けた。切り離された半身から、鮮血が凄まじい勢いで噴出する。
だが、バイオ・ソルジャーである彼は、それでも死ねなかった。その様子を、アレンが腰を抜かしながら見つめている。
「ジェイ。そろそろ、楽にして上げたら?」
呟くように、ジェシカが言った。GPS特別犯罪課特殊捜査官として、様々な闘いや虐殺を見てきた彼女にとってさえ、これほどの光景は見慣れたものではなかったのである。
ジェイが無言で、右手の掌をブライに向けて差し出した。その掌から直視できないほどの凄まじい閃光が迸った。
「死ね……」
その言葉と同時に、ジェイの掌から光の奔流が迸った。
「ぎゃああッ!」
ブライが断末魔の悲鳴を上げた。彼の上半身は、その光を受けた瞬間、灼熱の炎に包まれたのである。
ドサッ。
真っ黒に炭化したブライの上半身が仰向けに倒れ込んだ。
「ひッ……ひぃいい……」
その一部始終を震撼しながら見つめていたアレンが、自分を見つめているジェイの視線に気づき後ずさり始めた。
「動くな! 貴様に聞きたいことがある。テアはどうしている? 捕まったのか? それとも、逃げ切れたのか?」
「つ、捕まっては、いない。あいつは、デザート・タンク二台と、ディア・ハンター二機を破壊して逃げたが……」
恐怖のあまり、アレンは喉をカラカラにしながら言葉を切った。
「逃げ切れたのか?」
「い、いや。最後に、グレネード・ランチャーの直撃を受けて……死んだと聞いている」
「何だとッ!」
ブライに対峙した時以上の殺気を、ジェイが放った。
「ひ、ひいッ! お、俺がやったんじゃねぇよ。こ、殺さないでくれ!」
アレンの全身がガタガタと震えた。死神に魅入られたような絶望の表情を浮かべると、全身に鳥肌を沸き立てながら哀願した。
「俺は、貴様ら<テュポーン>を今日ほど憎んだことはない! 貴様らを全員、地獄へ落とすことを俺はテアに誓う!」
ジェイが怒りのあまり、全身を震撼させながら叫んだ。そして、ゆっくりと右手を広げると、その掌をアレンに向けて突き出した。
「ぎゃああッ!」
次の瞬間、アレンの全身がジェイの放った閃光を受けて劫火に包まれた。炎の中をのたうちまわりながら総身を炭化させると、ビクビクと痙攣しながら絶息した。
「ジェイ……」
鬼神でも見つめるかのように、ジェシカがその瞳に驚愕を浮かべながら呟いた。
「ジェシカ、俺は<テュポーン>を、そして、総統ジュピターを必ず殺す! それを、テアの魂にかけて誓う!」
「ジェイ、一つ聞いていい?」
ジェシカが、怒りに燃えるジェイを見つめながら訊ねた。
「何だ?」
「テアって、誰なの?」
彼女の黒曜石の瞳に大きな不安が広がった。その不安が的中することをジェシカは予感していた。
「ジェシカ……。俺は……」
戸惑いと怖れを黒い瞳に浮かばせながら、ジェイが口ごもった。
(ジェイは、そのテアという少女を……)
ジェシカの不安が深い哀しみに変わった。その感情を抑えつけるように、彼女が告げた。
「いいわ。今は聞きたくない。アズベールという男を捕まえるのが先よ」
「そうだな。管理局長室にテレポートしよう。ただし、ヤツは捕まえない」
「えッ?」
「ヤツも彼女を凌辱した一人だ。この男と同じ目に合わせてやる!」
ジェイの瞳に、再び凄絶な怒りが浮かんだ。
漆黒の闇と、光の嵐。
男は、その二つの間をさまよっていた。
規則正しく刻まれる鼓動は、力強さを失い、酸素マスクによる強制的な呼吸を強いられながら、男は夢を見ていた。
夢の中で、一人の少女が哀しげに微笑んだ。漆黒の髪を背中まで伸ばした美しい少女である。彼女の黒曜石の瞳から、一筋の涙が溢れた。
『なぜ、泣いている?』
男は、その美少女に手を伸ばした。しかし、彼女はその小さな頭を横に振った。長い黒髪が流れるように靡いた。
『なぜ?』
男は彼女を愛していた。
それなのに……。
『なぜ、俺を避けるんだ?』
男の問いに、彼女が小さく微笑んだ。
それは紛れもなく、<別れ>を告げる微笑みだった。
『なぜだ?』
男が、もう一度訊ねた。
『……。あなたの心は、私から離れてしまった……。もう、二度と戻ってこないわ……』
限りない悲哀を込めて少女が告げた。
『バカな。そんなことはない。俺は、お前を愛している!』
男が叫んだ。
だが、その言葉は彼女に届かなかったのか。少女は彼に背を向ける。
彼女の細い肩が、涙に震えていた。
『ジェシカ、なぜ泣くんだ? 俺は、お前を愛している。嘘じゃない!』
男が彼女の右肩に手を置き、振り向かせようとした。
『違うわ……』
少女の声が、メゾ・アルトからメゾ・ソプラノへと変わっていた。
少女が、ゆっくりと振り向く。
そして、自信に満ちた声で、彼女が男にこう告げた。
『あなたが愛しているのは……、私よ』
『お前は……!』
男の前には、別の少女が立っていた。
淡青色の髪を風に靡かせながら、プルシアン・ブルーの瞳が真っ直ぐに男を見つめた。
「何だって、こんな死に損ないを監視してなくちゃならないんだ?」
コールド・スリープ(低温睡眠)治療カプセルの中で横たわっている男を見下しながら、バイオ・ソルジャーの一人が告げた。
「文句を言いてぇのは、俺の方だぜ、ブライ。お前は昨日、あんないい女を抱いたじゃねぇか。一人でいい目を見やがって。本来なら、お前一人でこんな退屈な役目をやってもいいんだぜ」
「ちぇ、言いたいこと言ってやがる。まあ、あの女、久しぶりに美味かったがな。逃がしちまったのは、勿体なかったぜ」
ブライが心から残念そうに言った。彼は、テアを凌辱した一人だったのである。
「アズベール様も、何を考えてるんだ? こんな死に損ないを、十七人ものバイオ・ソルジャーに監視させるなんて」
「お偉さんは、気紛れなんだろう」
面白くなさそうに、ブライが告げた。
彼らは、重傷を負ったジェイ=マキシアンを監視していたのである。
この治療室の中には、アレンと呼ばれるバイオ・ソルジャーと、ブライの二人が詰めていた。そして、ドアの外には十五人のバイオ・ソルジャーたちが、数メートルおきに立っているはずである。
バイオ・ソルジャーとは、脳と中枢神経の一部以外を全て人工組織に置き換えた強化人間であり、その戦闘力は訓練された兵士の数百人分に当たると言われている。その彼らが十七人も集まって、半死半生の男一人を護衛しているのである。アレンが不満を漏らすのも当然であった。
その時、治療室のドアがノックされた。
「もう、交替の時間か?」
アレンが腕時計を見ながら、小首を傾げる。
「そんなはずはねぇ。まだ、三十分以上あるはずだ」
ブライが怪訝な表情を浮かべた。彼はアレンに目配せすると、右腰のホルスターからレイガンを抜いて怒鳴った。
「誰だ?」
ブライの質問を無視するように、ドアが開かれた。本来であれば、彼は有無を言わさずに、レイガンの閃光を放っているはずである。
だが、レイガンのトリガーにかけられた彼の指は、驚きのあまり動きを止めた。
「誰だ、お前は?」
呆然とするブライの代わりに、アレンが叫んだ。
彼ら二人の目の前には、美しい少女が立っていたのである。
星々のきらめきを映す黒曜石の瞳を真っ直ぐにブライたちに向けながら、少女が唇を開いた。
「彼は、生きているの?」
ブライたちは、彼女の言葉をすぐには理解できなかった。その意味するところが、ジェイ=マキシアンの生死であることに気づいたのは、彼らの全身がESPによって拘束された後だった。
「お、お前は、誰だ?」
強力なESPによって完全に動きを封じられながら、ブライが叫ぶように言った。バイオ・ソルジャーである自分たちを、一瞬のうちに拘束した少女の能力に、彼は驚愕と畏怖を隠しきれなかった。
「あんたたちの仲間は、表で寝ているわ。助けを呼んでも無駄よ」
少女が、ブライの質問を無視して平然と告げる。それを耳にした瞬間、ブライは自分が監視していた男が誰かを、衝撃とともに思い出した。そして、彼のパートナーが何と呼ばれているかも……。
ジェイ=マキシアン。彼こそは、銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>において、ブラック・リストのトップを飾るESPであった。人々は畏敬と恐怖を込めて、彼を『全宇宙最強のESP』と呼ぶ。
そして、彼には美しいパートナーがいた。そのパートナーの名は、ジェシカ=アンドロメダ。<漆黒の女神>と呼ばれるAクラス・ESPである。
「お前は、ジェシカ=アンドロメダか……?」
凄まじい恐怖に駆られながら、ブライが訊ねた。訓練された兵士数百人分の戦闘能力を有するバイオ・ソルジャーを、十五人も倒した事実は、彼の想像を遙かに超えていたのだ。
「私を知っているとは、光栄ね。では、私の質問にも答えて欲しいものだわ。ジェイは、生きているの?」
ジェシカの黒曜石の瞳が、危険な光を放った。ブライの答え次第では、彼らを一人として生かしておかないという決意が、その黒瞳に浮かび上がる。
「い、生きている。俺たちは、ただ、ヤツを護衛しているだけだ」
心臓を直に握られているような錯覚を覚えながら、ブライが答えた。彼の全身を紛れもない戦慄が舐め上げた。
「もう一つ、教えて。彼をこんな目に合わせたのは、誰?」
「し、知らない。俺はヤツの護衛を……ギャアッ!」
ジェシカの瞳が光を放った瞬間、ブライの右腕は圧倒的な力で、肩から引きちぎられた。
「嘘はつかない方が、身のためよ」
「ア、アズベール様だ! ここの遺跡管理局長ジャック=アズベールだ!」
強烈な激痛のあまり、言葉を発することができないブライに替わって、アレンが叫んだ。
「ジャック=アズベール? そいつは、どこにいるの?」
「たぶん、五階の管理局長室にいるはずだ」
「そう、ジェイの怪我を治したら、案内してもらうわ」
そう告げた瞬間、ジェシカの全身がESP波特有の光彩に包まれた。コールド・スリープ・カプセルの蓋を手も使わずに開き、ジェシカはジェイの身体に両手を触れた。彼女を包み込んでいた光彩が、ジェイの全身に広がる。
「ひぃッ!」
ブライたちは悲鳴を上げながら、眼を閉じた。
圧倒的な閃光が、ジェシカとジェイの全身から発せられる。その光の中で、ジェイの傷が徐々に塞がっていった。彼の鼓動が力強さを取り戻し、全身に精気が漲ってくる。
彼女はジェイに、ESP治療を施したのである。
『ジェイ、しっかりして!』
ジェシカが、テレパシーでジェイに話しかけた。それに反応したかのように、ジェイがゆっくりと意識を取り戻した。
強い意志を秘めたジェイの瞳が、開かれた。その瞳に、<漆黒の女神>の微笑みが映る。
「ジェシカ……。どうして、ここに?」
ジェイが半身を起こしながら、彼のパートナーに訊ねた。
「あなたともあろう人が、ずいぶんとやられたわね」
ジェイの額にはめられたESP抑制リングを、テレポート能力の応用で外しながら、ジェシカが微笑んだ。
「助かったよ。ありがとう」
苦笑を浮かべながら、ジェイが立ち上がる。その瞳が、ブライを見つめた瞬間に激烈な怒りを発した。
「貴様ッ!」
「ジェイ、どうしたの?」
驚いて、ジェシカが訊ねる。
「ひ、ひぃッ! ゆ、許してくれッ!」
ジェシカのESPで身動き一つ取れないブライが、激甚な恐怖に青ざめながら叫んだ。
「貴様だけは、絶対に許さん! テアに与えた地獄を、数倍にして返してやるッ!」
ジェイの全身から、青い炎が燃え上がった。ESP波、それも、Σナンバー特有の光彩である。
「ジェイ……?」
呆然とするジェシカを後ろに押しのけながら、ジェイがブライの前に立ちはだかった。
「ジェシカ、こいつを自由にしろ!」
「ち、ちょっと、どういうことなの? 説明してよ」
「説明は後だ。こいつは俺が殺す! ただし、楽には死なせない! 苦しみにのたうちまわらせながら、殺してやるッ!」
紛れもない殺気を瞳に映しながら、ジェイが怒鳴った。彼の怒りに驚愕しながらも、ジェシカは、拘束していたESPからブライを解放する。
「た、助けてくれ! な、何でもする! 殺さないで……ぎゃあああッ!」
後ずさろうとしたブライの左足が、劫火に包まれた。だが、ジェイの怒りの炎は、それにとどまらなかった。
「ぐわあああッ!」
残されたブライの左腕が、肘から切断された。鮮血にまみれながら、ブライが床を転がり廻る。
「ジェイ、やめなさいよ。何があったか知らないけれど、ひどすぎるわよ!」
見かねて、ジェシカが彼を止めようとした。だが、ジェイの一言は、彼女の制止を抑え込むには、充分すぎるものだった。
「こいつは、俺の目の前でテアを凌辱したんだ! 泣き叫ぶ十六歳の少女を!」
「な、何ですって?」
「その上、彼女の顔に、レーザー・ナイフで大きな傷をつけやがった。ジェシカ、お前なら、許せるのか?」
凄まじい怒りに我を忘れて、ジェイが叫んだ。
「もう、やめてくれッ! た、助けて下さい……!」
鮮血と涙で顔を歪ませながら、ブライが哀願した。しかし、ジェイは冷たく言い放った。
「テアも泣きながらそう言った。それを、貴様はどうしたんだッ!」
「ぎゃああッ!」
ブライの身体が、腹から二つに裂けた。切り離された半身から、鮮血が凄まじい勢いで噴出する。
だが、バイオ・ソルジャーである彼は、それでも死ねなかった。その様子を、アレンが腰を抜かしながら見つめている。
「ジェイ。そろそろ、楽にして上げたら?」
呟くように、ジェシカが言った。GPS特別犯罪課特殊捜査官として、様々な闘いや虐殺を見てきた彼女にとってさえ、これほどの光景は見慣れたものではなかったのである。
ジェイが無言で、右手の掌をブライに向けて差し出した。その掌から直視できないほどの凄まじい閃光が迸った。
「死ね……」
その言葉と同時に、ジェイの掌から光の奔流が迸った。
「ぎゃああッ!」
ブライが断末魔の悲鳴を上げた。彼の上半身は、その光を受けた瞬間、灼熱の炎に包まれたのである。
ドサッ。
真っ黒に炭化したブライの上半身が仰向けに倒れ込んだ。
「ひッ……ひぃいい……」
その一部始終を震撼しながら見つめていたアレンが、自分を見つめているジェイの視線に気づき後ずさり始めた。
「動くな! 貴様に聞きたいことがある。テアはどうしている? 捕まったのか? それとも、逃げ切れたのか?」
「つ、捕まっては、いない。あいつは、デザート・タンク二台と、ディア・ハンター二機を破壊して逃げたが……」
恐怖のあまり、アレンは喉をカラカラにしながら言葉を切った。
「逃げ切れたのか?」
「い、いや。最後に、グレネード・ランチャーの直撃を受けて……死んだと聞いている」
「何だとッ!」
ブライに対峙した時以上の殺気を、ジェイが放った。
「ひ、ひいッ! お、俺がやったんじゃねぇよ。こ、殺さないでくれ!」
アレンの全身がガタガタと震えた。死神に魅入られたような絶望の表情を浮かべると、全身に鳥肌を沸き立てながら哀願した。
「俺は、貴様ら<テュポーン>を今日ほど憎んだことはない! 貴様らを全員、地獄へ落とすことを俺はテアに誓う!」
ジェイが怒りのあまり、全身を震撼させながら叫んだ。そして、ゆっくりと右手を広げると、その掌をアレンに向けて突き出した。
「ぎゃああッ!」
次の瞬間、アレンの全身がジェイの放った閃光を受けて劫火に包まれた。炎の中をのたうちまわりながら総身を炭化させると、ビクビクと痙攣しながら絶息した。
「ジェイ……」
鬼神でも見つめるかのように、ジェシカがその瞳に驚愕を浮かべながら呟いた。
「ジェシカ、俺は<テュポーン>を、そして、総統ジュピターを必ず殺す! それを、テアの魂にかけて誓う!」
「ジェイ、一つ聞いていい?」
ジェシカが、怒りに燃えるジェイを見つめながら訊ねた。
「何だ?」
「テアって、誰なの?」
彼女の黒曜石の瞳に大きな不安が広がった。その不安が的中することをジェシカは予感していた。
「ジェシカ……。俺は……」
戸惑いと怖れを黒い瞳に浮かばせながら、ジェイが口ごもった。
(ジェイは、そのテアという少女を……)
ジェシカの不安が深い哀しみに変わった。その感情を抑えつけるように、彼女が告げた。
「いいわ。今は聞きたくない。アズベールという男を捕まえるのが先よ」
「そうだな。管理局長室にテレポートしよう。ただし、ヤツは捕まえない」
「えッ?」
「ヤツも彼女を凌辱した一人だ。この男と同じ目に合わせてやる!」
ジェイの瞳に、再び凄絶な怒りが浮かんだ。
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