【ブルー・ウィッチ・シリーズ】灼熱の戦場

椎名 将也

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第8章 最期の力

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 ノックの音が響いた。
「どうぞ……」
 オクタヴィアは額にかかるブロンズの前髪を左手でかき上げながら、デスクから顔を上げた。その美しい碧眼が、上品な木目調のドアに注がれた。

「失礼します、オクタヴィア大佐」
 敬礼をしながら、一人の少女が入ってきた。年齢は十七、八歳くらいか。漆黒の髪を腰まで伸ばした美しい少女だった。彼女の黒曜石のように輝く黒瞳が、真っ直ぐにオクタヴィアを見つめた。

「ジェシカ、もう、怪我はいいの?」
 驚いたように、オクタヴィアが訊ねた。彼女の質問に笑顔を浮かべながら、ジェシカ=アンドロメダが告げた。
「ご心配をおかけしました。今日、ドクターから退院許可を頂きました。もう、大丈夫です」
「それは、良かったわ。あなたがいないと、ジェイが寂しがるからね」
「そんなことないですよ。彼は私がいなくて、ゆっくりと羽根を伸ばしてますよ」
 ジェシカが笑いながら答えた。

 オクタヴィアは彼女にソファを勧めると、コーヒーを入れて差し出した。
「ありがとうございます。ところで、ジェイの姿が見えませんが、任務中なんですか?」
 差し出されたコーヒーにシュガーを入れながら、ジェシカが訊ねた。
 彼女はつい一時間前まで、低温睡眠コールド・スリープ治療装置に入っていたのである。二週間前の任務で、銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>のファミリーと闘い、重傷を負ったのであった。

「そうよ。彼は今、惑星ヴァーミリオンにいるわ。例のプライマイオス遺跡のある学術惑星よ。<テュポーン>が、その星に進出し始めたの。何をたくらんでいるか分からないけど、ヴァーミリオンに流入するロド麻薬の量が、飛躍的に増加しているわ」
 オクタヴィアがその美しい碧眼に、深刻さをたたえながら告げた。

 オクタヴィア=アルピオン。年齢は三十四歳。GPS特別犯罪課の司令長官であり、SHスペシャル・ハンターたちを統率する最年少の女性大佐である。ジェイやジェシカを始め、数々の優秀なSHを教育管理してきた実績はGPS内でも高い評価を得ており、女性初の「准将」の地位も近いと噂されているキャリア・ウーマンでもある。

「ジェイのことだから、任務に関する心配はないと思うけど、別の面が心配です。私もヴァーミリオンに行かせてくれませんか?」
「それはいいけれど、あなたはついさっきまでコールド・スリープ治療を受けていたんでしょう。大丈夫なの?」
 オクタヴィアが心配そうに訊ねた。

「彼を一人にしておくと、精神衛生上良くありません。どうせ、可愛い女の子でもひっかけているに決まってるから」
 ジェシカはSHになってから、ジェイと二年間もチームを組んできた。彼の性格はお見通しである。そして、ヴァーミリオンでのジェイの行動は、彼女の予想を裏切ってはいなかったのであった。

「あなたにかかっては、『全宇宙最強のESP』もかたなしね。いいわ、ジェシカ。行ってきなさい」
 オクタヴィアが笑いながら許可を与えた。もともと、ジェイとジェシカは一心同体のパートナーである。彼女が反対する理由はなかった。

「<スピリッツ>は、ジェイが乗っていったわ。そうね、ジェシカ。あの新造艦を使いなさい。名前は<ミューズ>。歴史を司る女神という意味よ。<スピリッツ>の同型艦だし、<漆黒の女神>と呼ばれるあなたに似合いだわ」
「ありがとうございます、オクタヴィア大佐。すぐに出発致します」
 ジェシカが立ち上がり、笑顔で敬礼した。しかし、その新造艦<ミューズ>がこの後、ずっと彼女の愛機となるとは、この時のジェシカは予想さえもしていなかった……。


 無惨という言葉では、その状況を言い表すのに充分ではなかった。
 鮮血にまみれたジェイの足下に、その少女は横たわっていた。彼に背を向け、小刻みに肩を震わせていた。彼女のプルシアン・ブルーの瞳からはとめどなく涙が流れ、コンクリートの床を濡らしていた。白い裸体には無数の擦り傷が刻まれ、引き裂かれた衣服が周囲に散乱していた。

「テア……」
 悲痛な声で、ジェイが彼女の名前を呼んだ。それに答えたのは、彼女の放つ微かな嗚咽だけであった。
 <テュポーン>のバイオ・ソルジャーたちとジャック=アズベールの三人に凌辱され、その美しい顔に大きな裂傷まで刻まれたテアは、意志のない人形のようにジェイに背を向けて横たわっていた。

(死にたい……)
 涙で濡れたコンクリートを見つめながら、テアは思った。
 彼女が生きてきた十六年間で、これほど惨めで衝撃的なことはなかった。彼女を凌辱した男たちは、その行為がすむと侮蔑的なセリフを残して、部屋を出ていった。
「お前は我々の奴隷になるんだ。後でまた、可愛がってやる」
 アズベールの言葉を思い出して、テアは唇を噛み締めた。抑えきれない嗚咽が、彼女の唇から漏れでた。

「テア、すまない……」
 両手を天井から電子手錠ごと吊された状態で、ジェイが血を吐くように告げた。テアは彼の生命を助けるために、自らを犠牲にしたのだった。
「ジェイ……、私を殺して……。もう二度と、あんな思いはしたくない」
 テアが彼に背を向けたまま呟くように告げた。

「テア……」
 ジェイが言葉に詰まった。テアの言葉が彼の胸を抉るように突き刺さった。それは、どんな拷問よりも激しく彼の心を引き裂いた。
 テアがゆっくりと半身を起こした。引きちぎられたブラウスをかき集め、その白い裸体を隠しながらジェイを見上げた。普段は強い意志を秘めているプルシアン・ブルーの瞳が、今にも消え入りそうな光を浮かべていた。

「お願い。あいつらが戻ってくる前に、私を殺して……」
 涙で頬を塗らしながら、テアが哀願した。文字通り、今のテアは精神も肉体もボロボロにされていたのだ。
「今の俺には、その願いさえ叶えてやることができない」
 激烈な怒りと凄まじい悔恨に苛まれながら、ジェイが告げた。テアの願いを叶えられるくらいならば、とっくに彼女を守っていられたはずだった。
(何が、『全宇宙最強のESP』だ。たった一人の少女さえ、俺は守りきれなかった!)

「あなたのせいじゃないわ。これは、私が選んだことなの……。でも、これ以上は耐えられそうもない」
 テアが笑顔を見せた。哀しすぎるほど美しい笑顔を……。
「テア、こんな時にかける言葉を俺は知らない。だが、一つだけ約束する。俺は必ず、あいつらを殺してやる!」
 黒い瞳に紛れもない殺気を浮かべて、ジェイが告げた。それは、彼の生涯で最も烈しい怒りの発現であった。

「ジェイ……」
 彼の胸中で渦巻く想いを受け止めて、テアがゆっくりと立ち上がった。彼女は身体を隠していたブラウスの残骸を床に捨て、惜しげもなく全裸の姿をジェイの前に曝した。
「テア?」
 ジェイが驚きの声を上げた。

 テアの全身は、汗と男たちの唾液にまみれていた。あちこちが擦り切れており、血が滲んでいる。だが、それさえも彼女の美しさをまったく損なっていなかった。
 神々に愛された美の女神の化身。
 絶世の美女という言葉でさえ、今の彼女を表現するには充分でなかった。

「どうせなら、初めては……あなたに抱いて欲しかった……」
 涙に濡れた瞳でジェイを見つめながら、テアが言った。ジェイの怪我を気にかけるように、そっと彼の胸に顔を埋める。
「テア……」
「私、穢されちゃった……」
 鮮血にまみれたジェイの胸に、一筋の涙が流れ落ちた。

「逃げよう」
「えッ?」
「ここから脱出するんだ」
「どうやって?」
 テアが、驚きを瞳に浮かべながら訊ねた。この部屋には窓が一つもない。入り口も一カ所だけである。当然、ドアの向こうには見張りが配置されているはずだった。

「俺のESP抑制リングさえ外せれば、不可能じゃない。俺の右のブーツを脱がせてくれ。その踵にレーザー・ナイフが入っている」
 ジェイの言葉通りに行動したテアは、ペンシル大の超小型レーザー・ナイフを見つけた。
「これのこと?」
「そうだ、その青いボタンを押すんだ。待て、向きが逆だ。そう、そのままボタンを押してくれ」
 テアの指がボタンを押した瞬間、約十センチの鋭利な刃が飛び出した。瞬時にその刀身からバチバチと青い閃光が放たれた。

「それで、俺の額にはめられたリングを切るんだ」
「でも、あなたを傷つけてしまうわ」
 ESP抑制リングは、ジェイの額に沿って隙間なくはめられている。彼を傷つけることなくそれを切断するのは、不可能であった。
「今さら一つくらい傷が増えたところで、どうってことないさ。やるんだ」
 不敵な笑いを口の端に浮かべながら、ジェイが命じた。
「分かったわ、やってみる」
 テアがESP抑制リングに、レーザー・ナイフを近づけた。高熱の超粒子が、少しずつリングを削っていく。

 その時……。
「きゃッ!」
 テアの右手からレーザー・ナイフが弾かれるように飛んだ。ESP波による衝撃が、テアの右手首を襲ったのだ。
「所持品検査もしてないなんて……。呆れたわね」
 驚いて振り向く二人の瞳に、紅い髪の魔女の姿が映った。

 銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>のファースト・ファミリー、ソルジャー=スコーピオンである。彼女の赤みをおびたブラウンの瞳が、笑いをたたえながらジェイたちを見つめた。
「貴様……」
 ジェイが唇を噛み締めた。
 テアは凄まじい怒りを秘めた瞳で、ソルジャー=スコーピオンを睨み返した。彼女の出現により、二人の脱出計画は水泡と化したのである。

「お嬢さん、アズベールたちにられちゃったの?」
 ソルジャー=スコーピオンの視線が、全裸のテアに注がれた。その露骨な嘲笑を耳にした瞬間、テアの全身は羞恥と屈辱で真っ赤に染まった。噛み締めた唇から鮮血が滲んだ。

「あいつらもひどいわね。こんな綺麗な顔に醜い傷をつけるなんて。ジェイ=マキシアン中佐、ご自慢のESPで助けてあげなかったの? ハッハハ!」
「黙れッ!」
 凄まじい怒声で、ジェイが叫んだ。激烈な怒りのあまり、全身が震えている。

「おお、怖い。でも、逃げようなんて考えるだけ無駄よ。今のあんたは、ESPなんて使える状態じゃないんだから」
「さすがにお見通しってわけか。でも、テア一人くらいテレポートさせてみせるさ」
 強力なESPは精神力だけでなく、体力も同時に消耗する。そして、今のジェイには、二人を同時にテレポートできるほどの体力が残されていなかった。ソルジャー=スコーピオンはそれを見抜いたのである。

「ジェイ……、あなた、私一人を逃がすつもりだったの?」
 テアが驚いて訊ねた。彼女はジェイのESP抑制リングを切れば、一緒にテレポートできると考えていたのだ。
「歩くことすら満足にできない今のあんたに、そんなESPが残っていると思っているの? それとも、自分の生命を削ってまで、この娘を助けようってわけ?」
「テアは俺を助けるために、自分を犠牲にしてくれた。そのお礼くらいしなくちゃ、罰が当たるぜ」
 ジェイが不敵に笑った。だが、激しい拷問を受けた彼の身体は正直だった。その直後、ジェイは鮮血を吐いたのである。

「ジェイッ! しっかりして!」
『大丈夫、心配するな』
 テアの脳裏に、ジェイのテレパシーが響いた。
「ジェイ……」
『声を出すな。頭で考えろ。そうすれば、俺に通じる』
(分かったわ)
 テアはソルジャー・スコーピオンに気づかれないように、小さく頷いた。

『お前がさっき、ESP抑制リングにつけた傷のおかげで、ESPを抑制する力が緩んでいる。いいか、俺が合図したら、俺の後ろに落ちているレーザー・ナイフをとれ!』
 ソルジャー=スコーピオンに弾かれたレーザー・ナイフは、ジェイの真後ろ、テアから見て左後方の床に落ちていた。テアはジェイの身体を気遣うふりをして、ナイフの位置を確認した。

「マキシアン中佐、あんたのESPは貴重なのよ。我々にその力を貸すと約束するならば、このお嬢さんの生命は助けてあげる。それだけじゃなく、彼女を凌辱した男たちを差し出してもいいわ」
 紅い髪をかき上げながら、ソルジャー=スコーピオンが告げた。
「残念だったな、テアは俺が守る。そんな交渉は、無意味だ」

『テア、今だ!』
 テアの脳裏を、閃光のごとくジェイの言葉が貫いた。
 同時に、テアの裸体が左後方へ大きく跳んだ。着地するのと同時に左サイドに回転し、床にあるレーザー・ナイフを拾い上げる。
「何を……!」
 呆然としていたソルジャー=スコーピオンが、ハッと我に返って叫んだ。

「ソルジャー=スコーピオン、俺の最期の力だ! よく見ておけッ!」
(ジェイッ? 最期の力って……?)
 テアが愕然として、ジェイの後ろ姿を見上げた。
 その瞬間、紛れもない閃光が、ジェイの全身から発せられた。ESP波……、それも、Σナンバー特有の青い光彩である。

「ジェイッ!」
 その閃光が、テアの全身を包み込んだ。彼女の視界が青色に包まれ、大きく歪んだ。
 テアは、その歪みがテレポートによって引き起こされる現象であることを、瞬時に理解した。
「ジェイ、やめてッ!」
 彼がテア一人を脱出させようとしていることは、明白であった。

「逃がさないわよ!」
 ソルジャー=スコーピオンの身体からも、青い炎が舞い上がる。<テュポーン>のファースト・ファミリーである彼女も、Σナンバーの能力を有していた。
「俺の生命を賭けた最期の力だ! 邪魔をするなッ!」
 ジェイの全身が、正視できないほどの閃光を放った。

「きゃああッ!」
 ソルジャー=スコーピオンの身体がその超烈な閃光の直撃を受け、数メートル後方の壁に吹き飛ばされた。
「ジェーイッ!」
 テアの絶叫が、ジェイの放つ凄まじいESPの奔流に押し流される。次の瞬間、テアの全身が空間の歪みに呑み込まれ、消え去った。
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