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第六章 黒い魔素

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 拳士クラスAのバートンは、冒険者になって四年目の十九歳だった。たった四年でクラスAに昇格するということは本来であれば素晴らしいことなのだが、彼が所属する<黒竜王>は彼以外のメンバーすべてがクラスSだった。年齢も<黒竜王>の中で一番若いこともあり、バートンはエリート意識を持つどころか日々劣等感に苛まれていた。

 幼い頃から拳の修行だけに明け暮れてきたバートンは、首都ゾルヴァラータで今まで見たこともない絶世の美女と巡り会った。漆黒の長い髪を腰まで伸ばし、黒曜石のように煌めく瞳で、その美女はバートンに向かって優しく微笑みながら告げた。
「アスティです。よろしくお願いします」

「バートンです。拳士クラスAです。よろしくお願いします」
 その美しい女性に見蕩れていたバートンは、自分の名前とクラスを告げるだけで言葉が震えた。だが、それ以来毎日のように顔を合わせても、彼女とは挨拶以外に言葉を交わす機会がなかった。バートンは幼い頃から唯一信仰している女神アストレアに祈りを捧げた。
(アスティさんと二人きりで話が出来ますように……)

 その願いは唐突に叶えられた。
「きゃっ!」
「危ない、大丈夫ですか?」
 最上級ダンジョン『龍の下顎』の十五階層で躓いたアストレアがバートンの方に倒れ込んできた。バートンがアストレアの体を支えると、彼女はニッコリと微笑みながら言った。
「ありがとうございます、バートンさん」
 バートンはアストレアが自分の名前を覚えていてくれたことに、有頂天になった。

「いえ、ここは足元が悪いので、気をつけてください。よかったら掴まりますか?」
 バートンは左手をアストレアに差し出すと、自分の振る舞いに照れて赤面し、慌てて手を引っ込めようとした。
「ありがとうございます。少しの間、掴まらせてください」
 天使のような笑顔でそう言うと、アストレアは右手でバートンの手を握りしめてきた。その白魚のような細く美しい指先を見て、バートンは恥ずかしくなった。十年以上も拳術に明け暮れてきたバートンの指は、骨太くゴツゴツとしていたのだ。

「さすがに拳士クラスAですね。凄く強そうな手をされているんですね」
 アストレアの言葉を聞くと、バートンは驚きと嬉しさとが混在した表情を浮かべた。長く苦しい修行の日々は、今日この日のためであったとさえ思った。
「いえ、アストレアさんの手の方が美しくて素敵です」
 素直に口をついて出た言葉に、バートン自身が驚いた。普段の自分はそんなことを口が裂けても言うはずはなかった。

「ありがとうございます。ところで、バートンさんはおいくつなんですか?」
「十九です。<黒竜王>に加入して、まだ一年ちょっとの下っ端です」
 アストレアから話を振ってもらい、バートンは内心ホッとした。自分から話しかけるには、アストレアが美しすぎて話題を振るどころか言葉さえも出て来そうになかったのだ。
「そうなんですか。私はアンナと同じ二十四です。私の方が少し年上ですね」
 ニッコリと微笑んだ美貌を見つめ、バートンはまるで女神のようだと思った。そして、少しでも長くアストレアと話を続けていたいと考えた。

「アンナさんのことは呼び捨てにされているんですね。では、俺のこともバートンと呼んでもらえませんか?」
「え? でも……」
 少し躊躇とまどった表情で、黒曜石の瞳がバートンを見つめてきた。
「ぜひ、お願いします。アスティさんにはそう呼んでもらいたいんです」
 無意識に本音を告げてしまったことに気づき、バートンは再び顔を赤らめた。変に受け取らなかったかとアストレアの顔を見つめると、彼女は少し驚いた表情をしていたがすぐに笑顔を浮かべて言った。

「分かりました、バートン。私のこともアスティと呼び捨ててください」
 ニッコリと微笑みながら告げられたその言葉に、バートンは驚喜した。まさか、名前を呼び捨ててもいいと言われるとは思ってもみなかった。
「ありがとうございます、アスティ」
「うふふ、いいですね、若い男性に呼び捨てにされるのは……。まるで、弟ができたみたいです」
 嬉しそうに告げるアストレアとは対照的に、バートンはガックリと肩を落とした。やはり、恋人候補ではなく弟候補だったかと心の中で叫んだ。

「アスティ、何バートンと浮気しているの? さっきからセイリオスがちらちら見てるわよ」
 先頭でジュリアスとセイリオスの二人と話していたアンナが戻ってきて、笑いながらアストレアに言った。
「アンナさん、別に俺たちはそんな……」
 慌ててアストレアの手を離すと、バートンが真っ赤になってアンナの言葉を否定した。その様子を見てニヤリと笑みを浮かべると、アンナがアストレアに向かって言った。

「アスティ、純情な男の子をからかっちゃだめよ。バートンがその気になったら困るわよ」
「からかうだなんて、そんなことありません。道が悪いので、バートンに支えてもらっていただけです」
 そう告げると、アストレアは微笑みを浮かべながら横にいるバートンを見つめた。

「そ、そうです。アスティが俺のことをからかうなんて、そんなことありません」
 首筋まで赤くなって慌てるバートンを見て、アンナはこれは手遅れだと感じた。
「バートン、アスティはセイリオスのものだって知ってるわよね? 下手に手を出したら、セイリオスに斬り殺されるわよ」
「アンナ、何を言っているんですか?」
 アンナの言葉に赤面しながら、アストレアが慌てて言った。

「セイリオスさんの……。分かってますよ、アンナさん。そんなことありませんから」
 そう告げたが、バートンの脳裏に信じがたい情景が浮かび上がった。
 美しい裸身をセイリオスの物で貫かれ、その美貌を赤く染めながら快感に喘ぐアストレアの姿が、まるで目の前で起こっている光景のように鮮明にバートンには見えたのだった。
(俺の女神をセイリオスが……。絶対に許せない!)

 バートンの心をどす黒い嫉妬が塗りつぶした。そして、最上級ダンジョンのように魔素が濃い場所では、そうした強い負の感情を持つことが非常に危険であることにバートンは気づかなかった。

(セイリオスから女神を取り戻すんだ。いや、アスティをセイリオスから解放するんだ。彼女が俺に声をかけたのは、セイリオスの魔の手から解放されたかったからだ)
 最上級ダンジョンの濃厚な魔素が黒い嫉妬心を増幅させたように、バートンは先を歩くセイリオスの背中を殺気を込めて見つめていた。
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