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第一章 嵐狼

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 アカシア迷宮街に到着したのは、夜の五つ鐘を過ぎて辺りも暗くなった頃だった。宿屋や酒場の看板が道を照らし、冒険者らしい男たちが酒場や娼館に入る姿が眼に入った。ティアとランディは空いている宿を探し回ったが、週末の水銀の日ということもあって一室だけしか空室が見つからなかった。

「ランディさん、宿で泊まってください。私はその辺で野宿しますから」
 さすがに見ず知らずの軽薄な男と同室になる気はティアにはなかった。ラインハルトとの修行の間に、数え切れないほどの野宿を経験させられたティアは抵抗なくそう告げた。
「あんたみたいな美人を外で一人にするわけには行かねえだろう? ティアさん、あんたが宿に泊まるといい。俺ならどこでも寝られる」
(軽薄なわりには、常識的なところもあるわね)
 心の中でランディの評価を少し向上させると、ティアはその言葉に甘えることにした。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
「ああ、気にしないでくれ。それよりも夕飯は食うだろ? それくらい付き合ってくれないか?」
「そうですね。分かりました、ご一緒させてもらいます」
 そう告げると、ティアはランディの思惑に見事に嵌められたような気がした。
(初対面でお茶やお酒を断ったのに、結局食事を一緒にすることになるなんて、何かしてやられた感じがするわ)

 ティアの心の内に燻った不満に気づかずに、ランディが一軒の酒家を指しながら言った。
「あそこの肴は結構いけるんだ。一盃引っかけながら食おう」
 ランディがティアの腰に手を廻して、酒家に向かいだした。女の扱いに慣れきった振る舞いに、ティアは抵抗する間もなくその酒家へ連れて行かれた。


 ティアたちが入った酒家「子猫の槍亭」は、二十人くらいの冒険者で賑わっていてほぼ満席だった。ティアとランディは唯一空いていたカウンター席の奥に二人並んで座った。
「エールでいいかい?」
 店員が渡してくれたおしぼりで手を拭きながら、ランディが訊ねてきた。
「いえ、苦いのが苦手なので……。紅桜酒ありますか?」
 以前にアルフィと初めて飲んだ酒を思い出しながら、ティアが店員に訊ねた。この酒を飲んで、ティアはアルフィと初めて愛し合ったのだった。甘く懐かしい、そして少し恥ずかしい想い出の酒だった。

「ありますよ。今お作りします」
 そう告げると、カウンターの反対側にいる店員が二種類の酒と薄紅色の果汁を混ぜ始めた。最後に檸檬の皮を絞って飛沫を振りかけると、出来上がった紅桜酒をティアの前に置いた。あの時、アルフィと一緒に飲んだものと同じ透明な淡紅色の美しい酒だった。

「へえ。洒落た酒を知ってるんだな。紅桜酒っていうのか。初めて見た」
「以前に知人に教えられたんです。甘くて口当たりがいいんですよ」
「あとで、俺も飲んでみようかな。取りあえず、乾杯……」
「はい。乾杯」
 ティアは紅桜酒の杯を、ランディのエールに軽くぶつけた。キンっという綺麗な音色が響き、紅桜酒が揺れて店内の燭台の灯りを映しこんだ。

「ティアさんが探している知人って、<漆黒の翼>にいるのかい?」
 旨そうに冷えたエールを飲むと、ランディが口元の泡を拭いながら訊ねてきた。
「はい。以前に色々とお世話になったんです」
「へえ。<漆黒の翼>ってランクSパーティだって知ってるよな? ティアさんはクラスCくらいだって言ってたろ? たとえ知人でも、入れてもらうのは難しいんじゃないのかい?」
(そっちが勝手にランクCかDって決めつけたんじゃない? まあ、面白そうだから、このまま惚けておこうかな?)
 ヘテロクロミアの瞳にいたずらそうな光を浮かべると、ティアは話を合わせた。

「そうですよね。やっぱり、無理そうですか?」
「まあ、普通に考えれば無理だろう。ランクSパーティに入りたいなら、せめてクラスAじゃないとな」
「困ったな。ところで、<漆黒の翼>って何人パーティなんですか?」
 情報収集を得意としている盗賊クラスAの実力を探ろうと思い、ティアがランディに訊ねた。目の前にいるティアが『紫音』だと気づいていない時点で、ランディの情報もたかが知れていると思いながら……。

「たしか、三人だったと思う。魔道士でリーダーの『氷麗姫』、盾の『堅盾』、そして剣の『紫音』だな。ただ、『紫音』の噂は最近聞いたことがないから、もしかしたら抜けたのかも知れない」
「そうすると、二人だけかも知れないですね」
(一応、最低限のことは知ってるみたいね)
 ティアの内心の声に気づかずに、ランディが続けた。

「その『紫音』っていうのが、正直よく分からないんだ。何でも、ギルマスが自分の権限でクラスFから一気にクラスSに昇格させたって話だ。噂によると、体を使ってギルマスに取り入ったらしい。それが本当なら、かなりのあばずれだな」
「そ、そうなんですか……」
 そんな噂が飛び交っていることに、ティアは怒るよりも呆れ返ってしまった。

「あくまで噂だが、俺は本当だと思ってる。そうでもなきゃ、最低のクラスFから最高のクラスSになんて一度の昇格試験でなれるはずないだろ?」
 ランディが笑いながらティアの顔を見つめた。
「そ、そうですよね……」

「それと、リーダーのアルフィっていうのが、えらいいい女だって話だ。容姿はもちろんだが、体つきも最高らしい。あんたとどっちが美人か、会うのが楽しみだよ」
(だめだ、この男。アルフィに会ったら殺されるわ)
 性に奔放なアルフィだが、自分を性欲の対象として見られることは嫌っていた。本人の目の前でそんなことを言ったら、間違いなくボコボコにされるとティアは思った。

「ところで、妹さんが誘拐されたと言ってましたが、犯人はランクSの<漆黒の翼>の力が必要なほどやっかいなんですか?」
 ランディに好きに話をさせたら、どんな展開になるか不安だったため、ティアは話題を変えた。

「ああ。かなりやばい連中なんだ。<デビメシア>といって、悪魔崇拝をしている教団らしい。シャロン……妹の名前だが、シャロン以外にも何人もの若い女を誘拐しているらしい。どんな目に遭わされているかと思うと、さすがに心配だ」
 ランディは碧眼に真剣さを映しながら、厳しい表情で告げた。妹を心配していることに嘘はないと思い、ティアが告げた。

「私もアルフィに、ランディさんの依頼を受けるように口添えしますね」
「あんたの知り合いって、アルフィ=カサンドラなのか?」
 ランディは驚きに目を大きく開きながら、ティアの表情を見つめた。
「ええ。噂では色々と言われているみたいですが、アルフィは正義感が強くて面倒見のいい女性ですから、きっと力になってくれると思います」

「あんた、『氷麗姫』とだいぶ親しいみたいだな。クラスCとランクSパーティの接点なんてなさそうだが、どこで知り合ったんだ?」
「私が駆け出しのクラスFの時、ダンジョンでアルフィに助けられたんです。それからしばらくの間、一緒に行動させてもらったんです」
 別に隠すほどのことではなかったため、ティアは事実を告げた。だが、それを聞くとランディは真っ直ぐにティアを見つめて頭を下げた。

「そうか。そんな縁があるなら、ぜひ口利きをお願いしたい。この通りだ」
「ランディさん、頭を上げてください。わかりました。私でよければ、アルフィに話をしてみます。心配しないでください。きっと力を貸してくれますよ」
 ランディが本気で妹の身を案じていることを知り、ティアは彼の評価をまた少し上昇させた。

「ありがとう。お礼にここは俺が持つよ。好きなだけ飲み食いしてくれ」
 そう告げると、ランディが清々しい表情で笑った。さっきまで厳しい表情をしていたランディが笑うと、あどけなさが顔を見せて印象ががらりと変わった。
(なかなか魅力的な男性ね。これは女にもてそうだわ)
 軽薄な面を最初に見せられたため好みではなかったが、一般的な女性受けはよさそうだとティアは思った。

 久しぶりに紅桜酒を三杯飲んで、ティアはかなり酔いが回っていることを実感した。頬が熱くなり、視界が揺れ出していた。
(少し飲み過ぎたわ……)
 以前にアルフィと飲んだ時には、紅桜酒四杯でまともに歩けなくなったのだ。アルフィも言っていたが、紅桜酒は甘くて口当たりがいいが酒分は結構多かった。

「すみません、ちょっと外します」
 カウンター席から立ち上がり、ティアは化粧室に向かった。小用を済ませて洗面台の鏡に映った顔を見ると、目元が赤く染まってヘテロクロミアの瞳がトロンと蕩けていた。
(まずいわ。そろそろ切り上げないと……)
 ふらつき始めた足どりで席に戻ると、飲み干したはずの紅桜酒の杯が満たされていた。
「お帰り。おかわりを頼んでおいたよ。これを飲んだら出よう」
 ランディが笑顔を見せながらティアに告げた。自分もエールのおかわりを手にしていた。

「いえ。結構飲み過ぎたみたいなので、私はもう……」
「そう言うなよ。せっかく頼んだんだ。大した量じゃないし、グッと飲んじゃいなよ」
「はあ……」
(予約した宿もすぐ近くだし、何とかなるわよね)
 ラインハルトと修行に明け暮れた二年間は、当然のことながら酒を口にしたことはなかった。久しぶりに飲む酒の影響を、ティアは甘く考えていた。
「ふう……」
 好みの味で口当たりもよかったため、ティアは一気に杯を空けた。

「おお、いい飲みっぷりだな。もう一盃いくか?」
「いえ……もうやめておきます……」
 視界が回り出し、体から力が抜けていくのが分かった。ティアはカウンターに両腕を置いて寄りかかりながら、トロンと蕩けた瞳でランディを見上げた。
(まずい……ランディさんが二人いる……)

「ほら、おかわりが来たぞ。あんたみたいな美人が杯を呷るところって、すごく絵になるな。もう一回見せてくれないか?」
 ランディが紅桜酒の入った杯をティアの手に握らせながら笑顔で言った。その下心を見抜くには、ティアは酔い過ぎていた。

「そうですかぁ……では……」
 そう告げると、ティアは再び杯を傾けて紅桜酒を一気に飲み干した。
「ふう……ごちそうさまでしたぁ……」
 そう告げると、ティアはパタンとカウンターに突っ伏して眼を閉じた。意識が朦朧として急激に睡魔が襲ってきた。

「ティアさん、大丈夫か?」
 ランディがティアの体を揺さぶったが、一向に起きる気配はなかった。それを確認すると、ランディは口元に笑みを浮かべた。
(ちょろい女だな。いい躰しているし、美味しくいただいてやるよ)
 隣にいるランディの思惑には微塵も気づかずに、ティアは幸せそうな寝息をたて始めた。
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