今を春べと咲くや此の花 ~ 咲耶演武伝 ~

椎名 将也

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第4章 咲耶の軌跡

1.因縁の決闘

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 自分がいつ生まれたのか、彼女は知らなかった。誰が親なのか、どのように生きてきたのか、彼女には何も記憶がなかった。気づいた時には、彼女はそこに存在していたのだ。

 彼女は自分が非常に美しいことに気づいた。腰まで真っ直ぐに伸びた艶やかな黒髪、小さめの顔には、切れ長の眼と星々の輝きを映す黒瞳が完璧とも言える造形を成していた。細く高い鼻梁と魅惑的な唇は見る者を惹きつけ、女性らしい起伏に富んだ肢体は抜けるように白く輝いていた。

 釣り鐘型の乳房は大きく、その中心には淡紅色の媚芯がツンと突き勃っていた。引き締まった細腰に続く柔らかいくさむらに隠された秘唇は、美しく濡れ光っていた。清純な容貌と濃厚な女の色香を放つ曲線は、紛れもなく神々に愛された美の化身そのものであった。絶世の美女という言葉は、まさしく彼女のためにあると言っても過言ではなかった。

 その時代、地上の人口はまだ非常に少なかった。彼女の美しさは、瞬く間に近隣に聞こえていった。
 黄帝に続く伝説の帝王、ぎょうしゅん……。三皇五帝に続き、夏王朝の始祖たる……。夏の最後の天子、けつを斃して殷王朝を開いたとう……。そして、殷の第三十代の王である帝辛ていしんは、後世において紂王ちゅうおうの名で知られる。

 彼女の美貌は、その紂王によって見出された。紂王は弁舌に優れ、頭の回転が速く、力は猛獣を殺すほど強かった。そのため、紂王は臣下が愚鈍に見えて仕方なく、諫言を受けても得意の弁舌で煙に巻いた。
 それにより紂王の増長は極まり、「天王てんのう」を自称するようになった。神々への祭祀をおろそかにし、重税をかけて天下の宝物を自らの物とした。佞臣を重用し、愛妾に溺れて日夜宴会を開いて乱交にふけった。

 その紂王が彼女を「妲己だっき」と呼び、その美貌を何よりも愛した。そして、彼女の言うことは何でも聞き入れ実行した。人肉を天井から吊るして林に見立て、酒を溜めて池と成し、その上に舟を浮かべて女性をはべらせながら、欲しいままにそれらを飲み食いした。人々は怨嗟を込めて、その所業を「酒池肉林」と呼んだ。

 猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸柱を渡し、その灼熱の丸柱を罪人に裸足で渡らせ、渡りきれば免罪し、釈放すると告げた。当然ながら、罪人は焼けた丸柱を必死の形相で渡ったが、油で滑って転落しそうになった。真っ赤に焼けた丸柱にしがみついたが、その熱さに耐え切れず、罪人は猛火へ落ちて焼け死んだ。その様子を見ながら、紂王は妲己と抱き合って笑い転げた。人々は怒りと憎悪を込めて、それを「炮烙ほうらく」と呼んだ。

 彼女……妲己には、何の悪気もなかった。単に退屈を紛らわせるために、紂王に何か楽しいことはないかと訊ねただけであった。その結果が「酒池肉林」であり、「炮烙」であった。

 止まることを知らない紂王の悪政に、地上は怨嗟と悲嘆の声に満ちた。やがて武王が立ち、天下の諸侯は紂王を倒すために立ち上がった。武王は天の声を聞いていったん兵を退かせたが、その二年後に再び軍を起こして両軍は牧野で激突した。
 この時、殷軍は七十万を超える大軍であったが、その多くは戦意がないどころか武王がやってくるのを待ち望んでいた。その日、殷軍はあっという間に大敗を喫した。

 首都の朝歌に撤退した紂王は鹿台ろくだいに上り、焼身自殺をした。その死体は武王によりまさかりで首を断たれた。五百年に及ぶ殷王朝は、ここに滅亡した。殷を滅ぼした武王は、周王朝を開いた。妲己は武王によって捕らえられ、「紂を亡ぼす者はこの女なり」と評された。

 それから二百六十年後、周王朝第十二代の王である幽王は、ほうの地より後宮に入った美女をひと目見て寵愛するようになった。その美女……褒似ほうじは笑うことがなく、幽王はなんとか彼女を笑わせようと思案した。絹を裂く音を聞いて、褒似ほうじが微かに微笑んだことを知ると、幽王は国中の絹を集めて引き裂かせた。

 ある日、幽王は兵乱発生の合図の烽火ろうかを上げさせ、太鼓を打ち鳴らして軍を緊急召集した。駆けつけた将兵が何事もないことを知り困惑する姿を見て、褒似ほうじは初めて笑った。喜んだ幽王は以後しばしば無意味に烽火を上げさせた。何度も無駄足を踏まされた諸将は、次第に烽火の合図を信用しなくなった。。

 蛮族の犬戎けんじゅう軍が反乱を起こして都に迫った時に、幽王は軍を招集するために烽火を上げた。だが、すでに集まる兵は誰一人としていなかった。幽王は驪山りざんふもとで殺され、褒似ほうじは犬戎に連れ去られた。反乱軍は都を略奪して財宝をことごとく奪い去った。滅びた王朝は西周と呼ばれ、新たに東周が興った。

 殷の妲己だっきを始め、夏王朝の末喜ばっき、西周の褒似ほうじ、春秋時代の呉越の西施せいしなど、古代中国史には美貌によって王君を破滅させ、国を滅亡に追いこむ魔性の女性がしばしば現れる。それらの美女は、「傾国傾城」と呼ばれ、魔獣の化身と伝えられた。

 その美女たちがすべて同一の妖女であったことまでは、歴史に伝えられていない。その妖魔の名は、九尾狐クミホと言った。
 日本において九尾狐は、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であった玉藻前たまものまえという名で知られている。玉藻前は妖狐の化身であり、その正体を陰陽師に見破られた後、下野国しもつけのくに那須野原で殺生石せっしょうせきになったと伝えられた。

 その玉藻前……玉藻は三千年を超える長き生の中で、最も凄まじい凌辱を受けていた。己の力を遥かに凌駕する『闇の王』夜叉ヤクシャと、その四天王である無名ムナ火允カインの三人によって、まさに落花狼藉の恥辱を受けていた。


「ひぃいッ……! お願い……もう、許してぇ……!」
「頭が、溶ける……! 狂ってしまうッ……! あッ、あッ、あぁあッ……!」
「また、イクッ……! 死んでしまいますッ……! いやぁあッ! イグぅうッ……!」
 ビックンッビックンッと裸身を激しく痙攣させると、玉藻は壮絶な極致感オルガスムスを極めた。プシャアッという音とともに、秘唇から蜜液が凄まじい勢いで迸り、虚空に大きな弧を描いた。

「はッ……はひッ……はぁッ……もう……許して……」
 真っ赤に染まった目尻から随喜の涙を溢れさせ、熱い喘ぎを放つ唇から白濁の涎を垂れ流しながら玉藻が哀願した。汗で濡れ光る乳房の中心には、淡紅色の媚芯が痛いほど突き勃っていた。秘唇からは失禁したかのように大量の愛蜜が溢れ出て、白い内股をビッショリと濡らしていた。その美しい肢体はビクンビックンッと痙攣を続け、全身の細胞一つ残らずが凄絶な官能に痺れきっていた。

(これ以上されたら……本当に、狂ってしまう……)
 この凄まじい凌辱が始まってから、すでに三時間以上も経っていた。限界を遥かに超える快絶に失神させられ、それを上回る快感で無理矢理意識を覚醒させられた。その終わりのない官能の連鎖に、玉藻は恐怖さえ覚えていた。壮絶な快感を与えて相手を下僕とするはずの淫魔じぶんが、超絶な快美の奔流によってまさに性奴に堕とされそうであった。

「これだけ犯されて、なお正気を保つか? さすがに三千年を生きる大淫魔だけのことはある……」
 ニヤリと口元を歪めながら、夜叉ヤクシャが楽しげに笑った。その口からは、真っ白な乱杭歯が輝いていた。

「お願い……します……。もう、許して……ください……」
 背後から火允カインに貫かれたままの姿勢で、玉藻が哀訴の言葉を口にした。その両腕は背中で拘束され、豊かな乳房は妖糸でX字型に絞り出されていた。長い漆黒の髪は激しい凌辱で乱れ、汗に塗れて頬に貼り付いていた。

「続けろ、火允……」
 夜叉ヤクシャの言葉に、火允が再び腰を動かし始めた。粒だった入口を三度擦り上げ、長大なで最奥まで一気に貫いた。女を狂わせる三浅一深の動きだった。その悪魔の律動に、玉藻は激しく首を振りながら悶え啼いた。長い黒髪が舞い乱れ、濃厚な女の色香を撒き散らした。

「もう、やめてぇッ……! いやぁああッ……! あッ、あッ……んぐッ!」
 無名ムナが玉藻の目の前に立ち、黒髪を掴んで彼女の顔を上げた。そして、熱い喘ぎを放つ口に、猛々しいを咥えさせた。同時に玉藻の乳房を両手で掴むと、激しく揉みしだき始めた。そして、ツンと突き勃った媚芯を指先で摘まみ上げ、コリコリと扱きだした。

(ひぃいッ……! だめぇえッ……! また、イカされるッ! いやぁあッ! イクッ……!)
 数え切れないほど絶頂を極め続けた女体は、玉藻の意志を裏切ってあっという間に燃え上がった。ビクンッビックンッと総身を痙攣させると、玉藻は望まない極致感オルガスムスを極めた。茫然と見開いた黒瞳から、大粒の涙が溢れて白い頬を伝って流れ落ちた。

 その時、玉藻の視線の先に、漆黒のもやが現れた。その中から現れた美しい人影を見て、玉藻はついに自分が狂ったのだと思った。
(こんな幻覚が見えるなんて……)
 その幻覚の美少女が、黒曜石の瞳を驚愕に見開きながら叫んだ。

「玉藻ッ……! 何をやってるのッ! 玉藻から離れなさいッ!」
 白銀に輝く<咲耶刀>を一閃すると、凄まじい神刃が火允めがけて飛翔した。
「……ッ!」
 不意を打たれた火允の首級が、驚愕の表情を浮かべたまま宙を舞った。ズルリと玉藻の中からを引き抜くと、首を失った火允の巨体が地響きを立てながら地面に倒れ込んだ。

「誰だ、お前は……?」
 玉藻の口から猛り勃ったを抜き放つと、目の前で仲間が殺されたにも拘わらず、無名が平然とした口調で訊ねた。
「あたしは、咲希ッ! 玉藻の親友よッ!」
 <咲耶刀>を正眼に構えながら、咲希が告げた。だが、目の前に立つ全裸の男から感じる威圧感に、全身に鳥肌が沸き立った。

(この男、強いッ……!)
 不意を突いて斃した男以上の妖気が、その男の全身から燃え上がっていた。
『咲希、変わるのじゃッ! 此奴こやつ無名ムナじゃ! 恐らく、迦美羅カーミラよりも数段強いぞッ!』
 咲希が感じたプレッシャーを、咲耶も感じ取ったようだった。

(分かったわッ! 玉藻の仇を討って、咲耶……!)
 その思考を最後に、咲希の意識が心の奥へ沈んでいった。その代わりに、神々しい神気に溢れた咲耶の意識が浮上した。

「木花咲耶か……?」
 一瞬で咲希と咲耶が入れ替わったことを、無名が見抜いた。
「咲耶……さま……」
 憔悴しきった姿で地面に横たわったまま、玉藻が咲耶を見つめた。

「遅くなったな、九尾狐クミホ……。許せ……」
 優しい口調で玉藻に頷くと、咲耶は無名とその先に立っている男を真っ直ぐに見据えた。無名の五メートルほど背後には、凄まじい妖気を纏った夜叉ヤクシャの姿があった。
「久しぶりじゃのう、夜叉ヤクシャよ……。ずいぶんとから逃げ回っていたようじゃが、殺される覚悟はできたのか?」
 神々しいほどの神気を全身から発しながら、咲耶が悠然と微笑みながら告げた。

「我に対して大口を叩くようになったな、咲耶……。そもそも、その二人に勝てるのか?」
 夜叉ヤクシャの言葉に、倒れていた火允カインがゆっくりと立ち上がった。そして、両手で斬り放された首級を掴むと、自らの首の上に戻した。火允の目がギロリと動き、咲耶を真っ直ぐに見つめて微笑を浮かべた。

『嘘ッ……? 生き返ったッ……?』
 首を斬り落としたにも拘わらず、何事もなかったかのように笑みを浮かべる火允を見て、咲希が驚愕した。
(当然じゃ……。吸血鬼こやつらは、心臓を貫き、首を斬り落とさねば死なぬと言ったであろう? どちらか一方では、すぐに再生するぞ……)
『そんな……?』
 咲耶の説明を聞いて、咲希が言葉を失った。

「この女狐を抱くのにも、飽きてきたところだ。次はお前を犯してやろう。俺の首を斬り落とした返礼をその身体に刻み込んでやるとしようか……!」
 天に向かってそそり勃つ長大なを左手で扱きながら、火允が告げた。その長さは三十センチ近くもあり、太さは咲希の手首よりも太かった。その巨大な逸物を見ただけで、咲希は恐怖に身体を強張らせた。

(心配するでない、咲希……。があんなモノに貫かれるはずがなかろう……)
 美しい黒曜石の瞳に嫌悪と怒りを映しながら、咲耶が告げた。信頼を込めてその言葉に頷くと、咲希が火允を見据えながら言った。
『お願い、咲耶……。玉藻の受けた屈辱を晴らしてッ!』
(分かっておるッ!)

 夜叉ヤクシャ四天王第二席と言われる火允は、二メートルにも及ぶ巨大な男だった。その全身は長身に見合った鋼のような分厚い筋肉に覆われ、二の腕の太さは咲希の太股よりも太かった。頭髪はなく剃髪で、四角張った巨顔には爛々と輝く黒瞳が赤光を放っていた。耳まで裂けた巨大な口からは、白く光る乱杭歯が生えていた。長い顎髭を蓄えたその巨体は、一見するとまるで僧兵の吸血鬼といった印象であった。

「大人しく俺たちに抱かれればよし! さもなければ、この青龍偃月刀の錆に変えてやろうッ!」
 火允は右手に凄まじい妖気を収斂しゅうれんすると、次の瞬間に巨大な薙刀を具現化させた。その全長は火允の身長を超え、二メートル三十センチは優にあった。五十センチ近い刃の部分は漆黒で、側面には巨大な龍の姿が彫刻されていた。

『青龍偃月刀って、たしか……』
(三国時代に、蜀の武神と呼ばれた関羽雲長が愛用していた神槍じゃ。重さは八十二斤、十八キロはあると言う……)
『十八キロって……!』
 五歳児の平均体重が約十八キロと言われている。<咲耶刀>の重さは一キロもなかった。まともに打ち合ったら、一合と保たずに刀身を折られてしまうことは確実だった。

(じゃが、真に警戒すべきは無名の方じゃ……。SA係数で言うならば火允は一万八千くらいじゃが、無名の妖気は二万を超えておるぞ……!)
『二万ってッ……!』
 咲耶の言葉に、黒曜石の瞳を大きく見開いて咲希が驚愕した。咲耶のSA係数が二万前後だと推測されていたのだ。それと同等の妖気を持つ無名の他に、火允と夜叉ヤクシャまでいるのだ。夜叉ヤクシャのSA係数は二万五千前後だと、以前に玉藻が告げたことを咲希は思い出した。

『咲耶、玉藻を連れて逃げられないの?』
(無理じゃな……。そんなに甘い相手ではない。同時に来られては厄介じゃ。一人ずつ斃すしかないッ!)
 そう告げると、神鞘しんしゅうに納刀した<咲耶刀>のつかを右手で掴み、咲耶は両脚を広げて居合抜きの体勢を取った。

「一人で私たち二人を同時に相手にするつもりか? ずいぶんと自信があるようだな? それとも、相手の力量も読めない愚か者か?」
 居合の構えを取った咲耶を嘲笑うように、無名が言った。だが、肌を突き刺すような凄絶な妖気は、無名の言葉が正論であることを告げていた。

 火允と比較して、無名は痩身の引き締まった身体をした男だった。身長は百八十センチ前後で、彫りが深く目鼻立ちが整った美青年だった。漆黒の髪を肩まで伸ばし、深い闇を思わせる黒瞳が真っ直ぐに咲耶を見つめていた。

 その右手には、<黒牙刀>が握られていた。以前に咲希が斃した武羅奴ブラドが持っていたものと同じ漆黒の妖刀だった。だが、武羅奴と大きく異なるのは、<黒牙刀>が凄まじいほどの妖気を発していることだった。武羅奴では引き出せなかった<黒牙刀>の真の力を、無名は手に持っているだけで解放させていることに咲希は気づいた。

「せっかくまみえたのに残念じゃが、お主らを相手にする時間が惜しい……。一気に決めさせてもらうぞ……!」
 そう告げると、咲耶は右側に立つ火允を見据えた。
 次の瞬間、火允の巨体が右腰から左肩にかけて斬り裂かれ、鮮血を噴出させながら首級が大きく宙を舞った。咲希はその様を、茫然としながら見つめた。

『えッ……?』
 咲希には咲耶の放った居合抜きがまったく見えなかった。火允の心臓を斬り裂き、その首を刎ねたと言うことは、少なくても二回は居合を放ったはずであった。その神速の動きを咲希の眼は捉えることができなかったのだ。咲希に分かったのは、キンッ、キンッという<咲耶刀>を神鞘しんしゅうに納刀した音が二度響いたことだけであった。

 首級を失った火允が膝から崩れ落ち、ズシンと音を立てて地面に倒れ込んだ。その全身が瞬く間に漆黒のもやに包まれ、濃密な闇となって消滅した。それは二度と復活できない完全なる滅殺に他ならなかった。
 咲希は咲耶の実力が、想像を遥かに超えていたことに気づいた。

「何を……した……?」
 整った容貌に驚愕を刻みつけながら、無名が茫然と呟いた。彼にも咲耶の居合抜きがまったく見えていなかったのだ。
「お主らに時間はかけておれぬと申したはずじゃ……」
 そう告げると、咲耶は無名の後方に立っている夜叉ヤクシャを見据えた。咲耶の放った居合抜きを視ていた・・・・夜叉が、ニヤリと満足そうな笑みを浮かべた。

『凄い、咲耶……! 咲耶がこんなに強かったなんて、知らなかったわッ!』
 SA係数一万八千と告げた火允を瞬殺した守護神を、咲希が手放しで褒め称えた。だが、咲耶は厳しい表情を崩さずに、咲希を驚愕させる言葉を吐いた。
(何をはしゃいでおるのじゃッ? SA係数一万や二万の雑魚妖魔を倒せずして、夜叉ヤクシャを相手にできるはずなかろう? 夜叉ヤクシャの妖気は、二十万を軽く超えるぞッ!)

『に、二十万ッ……!』
 以前に玉藻は、夜叉ヤクシャのSA係数を二万五千前後だと告げた。それを大きく上回る数値に、咲希は言葉を失った。
(二千年前、このが全力で戦って倒せなかった相手じゃッ! それに、今の夜叉ヤクシャは当時よりも遥かに力を増しておるッ!)
 咲耶の言葉を聞いて、二千年前の二人の激闘で伊豆諸島に大島が隆起したことを咲希は思い出した。その規模の戦いが再現されたら、近くに倒れている玉藻は間違いなく生命を落としてしまうことに気づいた。

(咲耶ッ……! ここで戦ったら、玉藻が……!)
『分かっておるが、もはや戦いを回避することはできぬッ! 弱っているとは言え、九尾狐クミホは三大妖魔の一人じゃ! 自分で結界を張ってもらうしかない!』
 夜叉ヤクシャを相手にしている最中に、玉藻を守る結界を張ることは咲耶といえども不可能だった。全身全霊をかけて戦っても、勝てるかどうか分からないほどの相手なのだ。

「無名よ、貴様では木花咲耶の相手は荷が重かろう? こちらに下がって、九尾狐クミホを見ておれッ……!」
「はッ……!」
 夜叉ヤクシャの命令を受けてビクンと体を震わせると、<黒牙刀>を構えながら無名がゆっくりと後ずさりを始めた。

「そうはいかぬッ! 九尾狐クミホを人質になど取らせはせぬぞッ!」
 咲耶が両脚を大きく開いて、居合抜きの構えを取った。それを見て、緊張しながら無名が<黒牙刀>を正眼に構えた。それは目にも見えぬ神速の攻撃を、何とか受けきろうとする決死の構えだった。

「勘違いするな、咲耶ッ! 九尾狐クミホに気を取られて全力を出せぬ貴様では、戦っても面白くないだけだ! 九尾狐は無名が結界を張って守るゆえ、貴様はすべての神気を集結して我を楽しませよッ!」
 そう告げた瞬間、膨大な妖気が夜叉ヤクシャの全身から燃え上がった。その巨大な妖気の奔流は大地を焦土と化し、天を灼き焦がした。

「お主らしくもない粋な計らいじゃッ! 二千年ぶりの<咲耶刀>、受けてみるがよいッ!」
 長い漆黒の髪を舞い上げ、黒曜石の瞳に凄まじい戦意を映しながら咲耶が叫んだ。夜叉ヤクシャの妖気に勝るとも劣らない神気が、美しい女神の全身から燃え上がった。

 二千年の時を超えて、今ここに因縁の二人が雌雄を決する戦いの火蓋が切られた。その激闘を制する者がどちらなのか、予想できる者は誰一人としていなかった。
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