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第2章 十八歳の軌跡

4.殺生石

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 毎週土曜日は、原則として神社幻影隊S.A.P.の業務を手伝う契約だった。明治神宮前にある『神社本庁 神宮特別対策部』に行き、三階にあるS.A.P.本部で指示された業務を行うことになっていた。
 資料の整理、データの集計や分析など、色葉たちの手が廻らない雑務を処理することが咲希の担当だった。だが、今日の咲希を待っていたのは、今までにない命令であった。

「悪いけど、これから那須まで行ってもらうわ」
 朝九時前にS.A.P.本部に到着すると、咲希は天城色葉に応接室に連れていかれた。何事かと驚く咲希に向かって、色葉は真っ直ぐに黒曜石の瞳を見据えながら告げた。
「え……? 那須、ですか?」
 色葉の言葉に、咲希は黒曜石の瞳を大きく見開いた。S.A.P.の見習いアプレンティスになって一年半経つが、いきなり出張を命じられたのは初めてだった。

「そう……。那須湯本にある殺生石せっしょうせきから、膨大なSA係数が計測されたの。その原因を調査して欲しいと、栃木県神社庁から依頼されたのよ」
「殺生石……?」
 小説やラノベなどでは時々聞くが、実際にそんなものがあることを咲希は初めて知った。

「ハンディタイプのSA測定器メジャーメントで測定できるSA係数は、二千が上限だってことは知ってるわよね?」
「はい……」
 たしか、測定限界値を大きくオーバーすると、SA測定器メジャーメント自体が過負荷になって爆発すると聞いたことを咲希は思い出した。

「昨日、その殺生石が突然真っ二つに割れたの。栃木県神社庁がドローンを飛ばしてSA係数を測定したら、SA測定器メジャーメントが一瞬のうちに爆発したそうよ」
「一瞬って……。それって、SA係数二千を大きくオーバーしているってことじゃ……?」
 測定開始から爆発までどのくらいの時間があったかは不明だが、本当に一瞬で爆発したというのであれば最低でも三千以上のSA係数だったのは間違いなかった。

「送られてきたデータが正しければ、測定開始から爆発までの時間は、0.01秒以下よ。そこから算出されたSA係数は、最低でも五千以上……」
「五千ッ……!」
 現在の咲希のSA係数は、S.A.P.で最大の二一五〇だった。その二倍以上のSA係数が測定されたということだ。

(それほどのSA係数を持つ妖魔U.E.と言えば……)
 咲希は二年前に出逢った三大妖魔の一人、夜叉ヤクシャを思い出して全身をブルッと震わせた。あの時、将成の守護神である建御雷神タケミカヅチが来てくれなければ、咲希は咲耶ともども間違いなく殺されていたのだ。

「殺生石は、安倍泰成あべのやすなりという陰陽師によって封印された九尾の狐の化身だと言われているわ。SA係数五千以上ということから、それが三大妖魔の一人である可能性もゼロではないわ……」
「九尾の狐って……夜叉ヤクシャが言っていた『火焔かえんの女王』九尾狐クミホ……!」
 驚愕に黒曜石の瞳を大きく見開いて、咲希が叫んだ。

「封印されていた殺生石が割れたということは、その九尾狐クミホが復活した可能性もあるってことよ……」
「三大妖魔の復活……」
 三大妖魔がどれほど規格外の存在であるか、咲希は身をもって知っていた。二年前に対峙した夜叉ヤクシャのSA係数が測定できたとしたら、恐らく今の咲希の数十倍は優にあると思われた。

「あなたには、本当に九尾狐クミホが復活したのかどうかを調査して欲しいの……」
「む、無理ですッ!」
 長い漆黒の髪を振り乱して激しく首を振りながら、咲希は大声で叫んだ。もし本当に九尾狐クミホが復活を遂げていたとしたら、咲希など近づいただけで消滅されてしまうことは疑う余地もなかった。

「誰も九尾狐クミホを滅殺しろなんて言ってないわ。その存在の有無を確認してきて欲しいだけよ。今のあなたなら、ある程度の距離からでも相手の妖気を感じ取れるでしょう?」
 美しい貌を蒼白に変えて怯える咲希を見て、色葉が苦笑いを浮かべた。だが、二年前に夜叉ヤクシャに植え付けられた恐怖は、色葉の想像以上に咲希の脳裏に刻みつけられていた。

「絶対に無理ですッ! 本当に九尾狐クミホだとしたら、こちらが気づくよりも早く気づかれますッ! 夜叉ヤクシャしか遭ったことはないですけど、あれは本当に別格なんですッ! 人間がどうにかできるレベルを遥かに超越した存在なんですッ!」
 その恐ろしさを少しでも理解して欲しくて、咲希は必死で色葉を説得した。夜叉ヤクシャを思い出すだけで、全身の震えが止まらなかった。

「そう言えば、二年前に夜叉ヤクシャから逃げられたって言ってたわよね? それほどの存在からどうやって無事に逃げおおせることができたのか、今なら教えてくれるかしら?」
 S.A.P.に加入する前に、咲希と将成は同じ質問を色葉から受けた。その時にはまだS.A.P.を信用しきれずに、将成が説明を拒んだのだった。

「それは……」
 色葉から顔を逸らして、咲希が言葉を濁した。夜叉ヤクシャから逃げられた理由を説明するためには、建御雷神タケミカヅチのことを話すしかなかった。だが、何故建御雷神の存在を知っていたのかと問われたら、咲耶のことまで話さざるを得なかった。

見習いアプレンティスとはいえ、今のあなたはS.A.P.の一員よ。そして、あたしはS.A.P.の主任宮司リーダーよ……。咲希、あなたはあたしの質問に答える義務があるのよ」
 色葉の言い分は間違いなく正論だった。咲希と将成の立場は、色葉の部下だった。当然のこととして、色葉に情報を提供しなければならなかった。

「分かりました……。でも、この話は色葉さんだけにとどめてください。そう約束してくれるのなら、お話しします……」
「大和にも話しちゃだめってことかしら……?」
 S.A.P.の副主任宮司サブリーダーであり、恋人でもある国城大和は色葉にとって誰よりも信頼できる存在だった。

「そうですね……。では、色葉さんと大和さんの二人だけの秘密にしてください。他の人には絶対に漏らさないと約束してもらえますか?」
 二人の関係を知っている咲希は、どんなに口止めしても色葉が大和には話すことを見抜いていた。それならば、最初から二人だけの秘密にしておけば、神宮特別対策部や神社本庁の上層部に漏らすことはないと考えたのだ。

「分かったわ。約束する……」
「ありがとうございます……」
 色葉の黒茶色の瞳を真っ直ぐに見つめながら、咲希が礼を言った。そして、心を落ち着かせるように深呼吸をすると、咲希は二年前の事件の真相を話し始めた。

「あたしが夜叉ヤクシャに殺されかけた話は、以前にお伝えしたと思います。その時、あたしはあるかたに助けられました……」
「ある方……?」
 三大妖魔の一人である『闇の王』夜叉ヤクシャから生命を救われたと聞き、色葉は驚きと同時に興味を抱いた。それほどの力を持つ者がいるのであれば、S.A.P.に勧誘しようと考えたのだ。

「そのお方は、夜叉ヤクシャを上回る神気を持っていました……」
「神気……?」
 初めて聞く言葉に、色葉は首を捻った。その様子を見つめると、咲希が説明を補足した。
「S.A.P.で言う精神評価サイコ・アプレイザル能力と同じだと思ってもらって構いません。もし、その方のSA係数が測定可能だとしたら、数万……またはそれ以上だと思います……」

「す、数万……」
 咲希の説明に、色葉が驚愕のあまり黒茶色の瞳を大きく見開いた。そんな人間がいるとは思えなかった。
「その方は、人間ではありません……」
 色葉の考えを読んだかのように、咲希が告げた。

「人間じゃない……? 妖魔U.E.ってこと……?」
「いえ、妖魔でもありません……」
 咲希はそこで一端、言葉を切った。そして、再び深呼吸をしてからその名前を告げた。
「その方の御名みなは、建御雷神タケミカヅチと言います……」
「タケミカヅチ……?」
 どこかで聞いたような気がしたが、色葉はすぐに思い出せなかった。

高天原たかまがはらにおいて、素戔嗚尊スサノオのみことと並ぶ武神、建御雷神さまです」
「何を言って……?」
 戸惑った表情を浮かべながら、色葉は咲希の顔を見つめた。素戔嗚尊による八岐大蛇ヤマタノオロチ伝説については、色葉も知っていた。だが、それは古事記に書かれている神話だ。当然ながら、素戔嗚尊も実在が確認されていない。

「信じる信じないは色葉さんにお任せします。でも、あたしは事実を話しています。二年前、夜叉ヤクシャから生命を救ってくれたのは、建御雷神さまです。建御雷神さまは、将成の守護神なんです」
「守護神って……」
 色葉は唖然とした表情で、咲希を見つめた。何を言っていいのか、言葉が出てこなかった。

(やっぱり、信じられないわよね……。咲耶がいたら、入れ替わって証明できるんだけど……)
 建御雷神の存在を証明する方法を、咲希は思いつかなかった。そもそも、呼んだからと言って来てくれるとも思えなかった。

「この世界に生きる人々は、八百万の神々によって守護を受けています。その中でも強力な神さまを守護神に持つ人は、神気……つまり、SA係数が高いんです。将成のSA係数が高いのは、建御雷神さまが神々の中でもトップレベルの力を持っているからです」
 信じてもらえる自信などなかったが、咲希は自分の知る事実を色葉に告げた。

「その理屈からしたら、あなたの守護神は建御雷神よりもずっと強力な神様ってことかしら?」
 現在の将成のSA係数は、三二五だった。だが、色葉の三七五に次ぐ強力なSA係数とはいえ、咲希の二一五〇には遠く及ばなかった。
「あたしの場合は、ちょっと特殊な例なんです……」
「特殊……?」
 怪訝な表情で首を捻りながら、色葉が咲希に訊ねた。

「はい……。あたしの守護神は、木花咲耶という女神です。そして、あたしは咲耶の生まれ変わりらしいんです」
「生まれ変わり……?」
「本来、守護神は遠くから人々を守護しているんです。でも、咲耶はあたしの中に住み着いているんです」
 苦笑いを浮かべながら、咲希が告げた。まさか、今は爆睡中だとは言えなかった。

「守護神が自分の中にいるから、咲希のSA係数は他の人よりも高いってことなの?」
「はい。その理解で間違いありません……」
「正直、突拍子がなさ過ぎて信じられないわ……。でも、こんな作り話をしても、咲希には何のメリットもなさそうだし……」
 ハアッとため息を付くと、黒茶色の瞳で咲希を真っ直ぐに見つめながら色葉が告げた。

「まあ、こんな話を急に信じろって言っても無理なことは分かります。でも、今話したことは、すべて事実です……」
(ずいぶんと端折はしょった事実だけど……)
 そのうちに咲耶が目覚めたら証明できるだろうと、咲希は思った。

「それと、あたしにはどの神かまでは分かりませんが、色葉さんと大和さんも強力な守護神がついていると思いますよ。そうじゃなければ、SA係数三七五とか二九三なんて数値があるはずないですから……」
 ニッコリと笑みを浮かべながら、咲希が告げた。だが、色葉は咲希の言葉を鵜呑うのみにはしなかった。

「あたしたちにも守護神がねえ……。まあ、いいわ。取りあえず、咲希はこれから那須に向かってくれるかしら……。九尾狐クミホと戦う必要はないわ。その存在を感じ取ってくれるだけでいいから……」
「ホントにあたし一人で行かせるつもりなんですか……?」
 今度は咲希がため息をつきながら、色葉に訊ねた。三大妖魔である九尾狐クミホに気づかれることなく、その妖気を感じ取ることができるのか、咲希にはまったく自信がなかった。

「将成君も連れて行っていいわよ。交通費と宿泊費は出してあげるから、あとで請求しなさい。九尾狐クミホの調査さえちゃんとしてくれたら、あとは二人でゆっくりと楽しんで・・・・きていいわよ。ただし、ちゃんと避妊はしてもらいなさいね」
「い、色葉さんッ……!」
 ニヤリと笑いながら告げた色葉の言葉に、咲希は真っ赤になって叫んだ。昨日、将成から受けた凄まじいお仕置きを思い出したのだった。


 色葉との話を終えて神社幻影隊S.A.P.本部を出たのは、午前九時四十五分だった。出張の準備をするために、咲希は立川のマンションに戻ることにした。S.A.P.のある代々木駅から自宅マンションまでは、一時間弱で到着できる。急いで泊まりの準備をすれば、午後一時頃には東京駅で新幹線に乗ることができそうだった。
 咲希は待ち合わせをするために、スマートフォンの通話アイコンをタップして将成を呼び出した。

「将成、那須の件は聞いた?」
「たった今、色葉さんから連絡をもらったよ……」
 聞き慣れた声を耳にした瞬間、咲希はカアッと赤面した。無意識に心臓が跳ね上がり、苦しいほど動悸が激しくなった。脳裏に、昨日の凄まじいお仕置きが鮮明に蘇ったのだ。

「今から家に帰って、荷物を取ってくるわ。一時過ぎの新幹線には乗れると思うから、東京駅で待ち合わせましょう」
 恥ずかしい記憶を首を振って追い払うと、咲希は誤魔化すように早口で告げた。
「分かった……。それじゃあ、一時半頃の電車を二人分、予約しておくよ。待ち合わせは一時に銀の鈴にしよう……」

 東京駅の八重洲地下中央口にある待ち合わせスポットを、将成が指定してきた。渋谷のハチ公や池袋のいけふくろうと同じように、有名な待ち合わせ場所だ。
「分かったわ。じゃあ、またあとでね……」
 そう告げると、咲希はスマートフォンの通話終了アイコンをスライドして通話を切った。

(今夜もあんなことされないわよね……? あんなのを何度もされたら、おかしくなっちゃうわ……)
 どこかでお仕置きを期待している自分を、咲希は慌てて否定した。思い出しただけでカアッと顔が赤く染まり、全身が熱く火照ってくるのを感じた。

(今度はあたしが復讐おかえしする番なんだからね! 覚えてなさいよ、将成……)
 だが、その決意と裏腹に、具体的にどうしたらよいのか咲希は何も思いつかなかった。


 那須塩原駅からタクシーでおよそ三十分かけて、二人は色葉が予約してくれたヴィラに到着した。南欧の古民家を連想させる建物で、薔薇が咲く庭の裏には小川が流れていた。中に入ると、異国情緒溢れるロビーが広がっており、まるで中世ヨーロッパに紛れ込んだような印象だった。

「凄いね……」
「ああ……。仕事できたことを忘れそうだな……」
 フロントでチェックインを済ませてから本館に隣接した離れの部屋に入ると、二人は思わず茫然として立ち竦んだ。リビングだけでも二十平方メートルは優にあり、広いベッドルームの中央にはキングサイズのベッドに枕が二つ並んでいた。部屋の奥にはバラ園が見える露天風呂があり、恋人同士が誰にも邪魔されずに入浴を楽しめるようになっていた。

「あとで一緒に入るか……?」
「い、いやよ……」
 笑いながら告げた将成の言葉に、カアッと顔を赤く染めながら咲希が慌てて首を振った。その時、咲希のスマートフォンに色葉からメールが届いた。そこに書かれていた文章を読んだ途端、咲希は耳まで真っ赤に染まった。

「色葉さんからか……? 何だって……?」
「な、何でも……ないわ……」
 慌ててスマートフォンをバッグにしまいながら、咲希はドキドキと鼓動が高まるのを抑えきれなかった。
(何考えてるのよ、色葉さん……)
 色葉からのメッセージが、強烈なインパクトを伴って咲希の脳裏に刻み込まれた。

『危険な任務を押しつけてごめんなさい。その代わりに、お勧めのホテルをキープしておいたわ。素敵な内風呂もあるから、今夜は将成君に思い切り甘えなさい。朝まで愛し合ってもいいけど、任務だけはちゃんとこなしてね。それから、妊娠には注意すること……』

「と、取りあえず、ルームサービスでも頼まない……? あたし、お腹空いちゃったわ……」
 慌てて話題を変えるように、咲希が将成に告げた。
「そうだな……。メニューは……何にする、咲希?」
 マホガニー製のリビングテーブルに置かれていた革のメニューブックを手に取って、将成がメニュー表を咲希に見せながら訊ねた。

「そうね……。子牛のフィレ肉のポワレとモリーユ茸のファルシ……? ポワレとかファルシって何だろう?」
 フランス料理などほとんど食べたことがない咲希が、首を捻りながら言った。
「ポワレって言うのは、皮をカリッと肉はふっくらと焼く調理法だよ。ファルシはピーマンの肉詰めみたいに、野菜や魚の中に別の食材を詰めることさ……」
「さすがに詳しいのね……。誰とどこで勉強しているのかな?」
 すらすらと答えた将成を、咲希がジト目で見つめた。

「何言ってるんだ? 姉貴に仕込まれたんだよ。連れて行ってくれる男がいないからって、コース料理が食べたくなると俺を連れ回すんだ。その度に、ウンチクを聞かされるんだよ」
「お姉さんね……。今度会わせてね。ホントかどうか、聞いてみるから……」
「本当だよ。あんまり疑うと、またお仕置きするぞ……」
 ニヤリと笑いながら告げた将成の言葉に、咲希は真っ赤になりながら慌てて叫んだ。

「い、イヤよッ! あんなこと、二度としないでッ! おかしくなっちゃうわッ!」
「それって、おかしくなるくらい気持ちよかったってことだろう?」
 意地悪そうな笑みを浮かべながら、将成が言った。
「ち、違うわよッ! 今度やったら、許さないからね!」
 一昨日刻みつけられた凄まじい快感を思い出すと、咲希は全身がカアッと熱くなった。限界を超える快絶に、咲希はベッドの上で初めて失神したのだった。

「ハッ、ハッ、ハハッ……! まあ、そういうことにしといてやるよ……」
 楽しそうに笑う将成を見据えて、咲希は心の中で決意した。
(全然悪いことしたって思ってないわ! 頭、来たッ! 今度あんなことをしたら、<咲耶刀>で脅しつけてやるから覚えてなさいよッ!)
 自分の生命が危険に晒されたことに気づかず、将成は嬉しそうに微笑みながらルームサービスを注文し始めた。
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