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第2章 十八歳の軌跡

2.新歓コンパ

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「来たな、サッキーッ! 凪紗なぎさちゃんも……! こっちに座ってッ!」
 出迎えに来た水嶋翔琉かけるが笑顔を浮かべながら告げた。
「サッキーって……? あたしのことですか?」
「もちろんッ! 咲希ちゃんだから、サッキーだよ。可愛いだろう?」
 初めて呼ばれたニックネームに戸惑いながら、咲希が曖昧な微笑を浮かべた。

(咲希でいいじゃない? 何で、サッキーなの?)
 まさかステンレス製のテーブルを破壊した時の『殺気』が語源になっているとは思いもせずに、咲希は案内された席に座った。新入生はばらけるようで、凪紗は少し離れた席に腰を下ろしていた。

 今日は天文旅行同好会<プレアデス>の新入生歓迎コンパだった。新宿歌舞伎町の雑居ビルに入っている居酒屋に、<プレアデス>のメンバーほぼ全員が顔を揃えていた。
 五人の新入生を含めると、全部で三十三人だった。就職活動で来られない二人の四年生を除けば、フルメンバーと言っても過言ではなかった。

 店内は六人掛けのテーブルが六卓並んでいて、将成は咲希の席から島一つ離れた廊下側のテーブルにいた。目が合うと咲希を安心させるように、将成は微笑みながら頷いてきた。だが、将成の隣に小鳥遊たかなし愛華が座っていることに気づくと、咲希は一気に不機嫌になった。

 勧誘の時に顔見知りになった翔琉や会長の藤森朱音も離れた席にいた。咲希の着いたテーブルには、見知った顔が一人もいなかった。右隣は見るからに軽薄そうな茶髪の男性で、両耳にはルビーのような真っ赤なピアスを付けていた。そして、左隣は大柄な男性で、どちらかというと垢抜けていない朴訥ぼくとつな印象だった。

 正面には女性が二人並んでいた。向かって左の女性は黒髪を肩で切り揃えた大人しそうな感じだった。だが、右の女性は見るからに派手な印象で、四月だというのに胸元が大きく開いた黒いカットソーを着ていた。前屈みになると豊かな胸の谷間が、男たちの視線を釘付けにした。

「それでは、これから天文旅行同好会<プレアデス>の新入生歓迎コンパを始めます。私は本日の司会を務める商学部二年の水嶋翔琉です。<プレアデス>では渉外を担当しているので、よろしくお願いします」
 室内の上座に立って、翔琉が挨拶を始めた。どうやらこういった場の司会も渉外の仕事のようだった。

「では最初に、会長の藤森朱音さんからご挨拶をいただきます。藤森会長、お願いします」
 そう告げると、翔琉はマイクを朱音に渡してその場を明け渡した。トントンとマイクを軽く叩いて音声を確認した後、朱音が挨拶を始めた。

「本日はお忙しい中、お集まりいただいてありがとうございます。また、新入生の皆さんは入学おめでとうございます。本日ご参加いただいた新入生は五名です。私の挨拶の後で、簡単に自己紹介をしていただきますのでよろしくお願いします」
(えッ……? あそこに立って、自己紹介するの?)
 どちらかと言えば人見知りが強い咲希は、一気に気が重くなった。新歓コンパは単に親睦を深めるだけだから気楽に参加するようにと、将成から聞いていたのだ。

「<プレアデス>は二十年以上の歴史があるサークルです。先輩の中には、国立天文台に勤められている方もいらっしゃいます。活動内容については勧誘の時に説明しましたので、この場では割愛させていただきます。今日は<プレアデス>のメンバーほぼ全員が集まっていますので、堅苦しいことは抜きにして先輩との交流を楽しんでください。先輩を酔わせて、単位が取りやすい授業を教えてもらったり、こっそりと代返のやり方を聞いても構いません……」
 朱音の言葉に会場のあちこちから笑いが漏れた。さすがに会長だけあり、場を盛り上げる話が上手いと咲希は思った。

「では、挨拶はこのくらいにさせていただき、新入生の皆さんの自己紹介に移りたいと思います。では、水嶋君、よろしくお願いします」
 そう告げると、朱音は一礼してからマイクを翔琉に手渡して席に戻っていった。

「それでは、最初に今年の新入生を代表する方からご挨拶をいただきます……」
 そう告げると、翔琉は新入生五人の顔を順番に見渡した。
(新入生代表って、そんな人いたんだ? 天体の知識でも豊富なのかな?)
 漠然とそう考えていると、翔琉の視線が咲希の上で止まった。そして、大きく息を吸い込むと、会場中に響き渡る声で咲希の名前を叫んだ。

「それは、神守咲希さんですッ!」
「え……?」
 突然、名前を呼ばれて、咲希は驚愕のあまり黒曜石の瞳を大きく見開いた。
「神守さん、こちらへ来てください!」
「は、はい……」
 慌てて席を立つと、会場から一斉に拍手が沸き起こった。茫然としながら、咲希は言われるままに前に出て、翔琉の隣に立った。

「ご覧の通り、神守さんは非常に美人で大人しい女性です。ところが、一度怒らせるとその性格は一変して、恐ろしい殺気を放つ殺戮者クラッシャーに早変わりします!」
「ち、ちょっと……何を……」
 驚いて文句を言おうとした咲希の言葉を遮るように、翔琉が話を続けた。

「皆さん、部室の隅に置かれている壊れたスチール製のテーブルを見たと思います。あれは勧誘の説明をしている時に、神守さんが手刀の一閃で破壊したものです!」
 そう告げると翔琉は咲希を真似て、手刀を作った右手を上から下へ振り落とした。
「その時に放った凄まじい殺気から、我々は愛情を込めて『サッキー』というニックネームを彼女に贈ります! 皆さんも咲希ちゃんではなく、サッキーという名で彼女を呼んでください!」
 一瞬、シンと静まった会場から拍手の嵐と爆笑が沸き起こった。その成り行きを茫然と見つめながら、咲希は言葉を失った。

「では、サッキー、自己紹介をお願いします」
 翔琉が渡してきたマイクを握ると、咲希は顔を引き攣らせながら取りあえず頭を下げた。こんな黒歴史を暴露された後で、どんな自己紹介をすればいいのか分からなかった。

「えっと……、聖光学院高等学校から来ました神守咲希です。学部は、文学部英文科です。高校時代は剣道部に所属していました……」
 そこまで言って、将成の姿を探した。何かあれば、将成にフォローをしてもらおうと考えたのだ。黒曜石の瞳にその意志を秘めながら、咲希は将成の顔を見つめた。

「そちらにいらっしゃる桐生さんは、高校時代の剣道部の先輩です。高校では公私にわたって桐生先輩に色々とご指導をいただきました。剣道だけでなく、バイクの乗り方や他にも色んなことを教えてもらいました……」
「おい、桐生! サッキーにどんな悪いこと教えたんだ?」
 三年生らしい男性が、笑いながら大声で将成を揶揄からかった。言葉に詰まる将成を見て、会場に爆笑が湧き上がった。

「で、ですから、あたしがこんな性格になったのは、ぜんぶ桐生先輩のせいなんです! だから、あたしは桐生先輩に恩返ししてあげます! ピーマンとニンジンが出て来たら、皆さん、桐生先輩にあげてください! ピーマンとニンジンが、桐生先輩の大好物なんですッ!」
 そう告げると、咲希は真っ赤に顔を染めながら翔琉にマイクを手渡した。そして、逃げるように自分の席へ走って戻っていった。

 咲希の自己紹介に、会場は爆笑の渦が巻き上がった。ほとんど全員がお通しに添えられていたニンジンを、次々と将成に分け与えていった。
「咲希のヤツ……」
 目の前に積まれたニンジンの山を見て、将成が恨めしそうに咲希を睨んだ。

 咲希の後に挨拶をした凪紗たち四人は、いずれも平凡な自己紹介だった。というか、咲希の自己紹介のインパクトが強烈すぎて、それに対抗できるネタを誰も持っていなかったのだ。
 新入生五人の自己紹介が終わると、副会長だという三年生の男性が乾杯の音頭を取った。咲希のおかげで、<プレアデス>の新歓コンパは盛り上がりとともに始まった。


「サッキーって、桐生と付き合ってるの?」
 咲希の右前に座っている派手な女性が、いきなり核心を突いてきた。
「い、いえ……そんなんじゃ……」
「あ、あたしは経済学部二年の門倉麗佳かどくられいかよ。桐生と同級生なの」
「将……桐生さんと……?」
 こんなに大人びた美女とクラスもサークルも同じだとは、咲希は聞いたことがなかった。

「それよりも、桐生から剣道とバイク以外に何を教わったんだい? あ、俺は社会学部二年の早海省吾はやみしょうごだ……。どんな悪いことを教わったのか、興味あるなぁ……」
 咲希の右隣にいる省吾が、ビールのジョッキを片手に持ちながらニヤリと笑った。
「た、大したことじゃ……ありません」
 そう告げると、咲希はカアッと顔を赤らめて俯いた。キスの仕方を教え込まれ、女としての悦びを刻み込まれたなどと言えるはずがなかった。

「あいつ、真面目そうに見えるけど、意外と手が早いから気をつけなよ」
「え……?」
(手が早いって……。そう言えば、入学式の日も小鳥遊たかなしさんをナンパしてた……)
 小鳥遊愛華と腕を組みながら現れたことを思い出し、咲希はムッとした表情を浮かべた。その様子を見て、麗佳がニヤリと笑みを浮かべた。

「そう言えば、あたしも桐生に(学食に)誘われたわ。突然、(ラーメンを奢って)やりたいなんて、ストレートすぎよね?」
「や、やりたいって……」
 麗佳の言葉に驚愕して、咲希は黒曜石の瞳を大きく見開いた。

「ああ、桐生君ね。あたしも(お茶に)誘われたことあるわよ。サークル室に二人でいたときに、(コーヒー)しに行こうって……」
「し、しに行こうって……」
 麗佳が咲希を揶揄からかい始めたことに気づき、隣の席にいる黒髪をショートヘアにした女性が面白そうに便乗した。

(な、何なの、将成……? 次々と女を誘ってるの?)
 大学に入ってからの将成の学生生活を知らない咲希は、麗佳たちの言葉で一気に不安になった。
「あんたみたいな真面目な子なんて、桐生から見たら落としやすそうね。裕美ゆみもそう思うでしょ?」
「そうね……。あ、あたしは長谷川裕美よ。麗佳と同じく桐生君のクラスメイトなの。よろしくね」
 麗佳の言葉に頷きながら、裕美が自己紹介をしてきた。

「よ、よろしくお願いします……」
 そう告げると、咲希は目の前に置かれていたビールの中ジョッキを掴んであおり始めた。そして、麗佳たちが止める間もなく一気に飲み干すと、ドンッとジョッキをテーブルに叩きつけて叫んだ。
「お替わりお願いしますッ!」

「ち、ちょっと……。そんな飲み方したらヤバいぞ!」
 慌てて咲希からジョッキを奪おうと、省吾が手を伸ばした。その手をパシッと振り払うと、咲希は店員に向かって空になったジョッキを振りながら叫んだ。
「お替わりお願いしますッ!」
「何かソフトドリンクを……」
 咲希の左隣にいる男が、やって来た店員に向かって声をかけた。だが、咲希は有無を言わさぬ強い口調で店員に告げた。

「あたし、もう子供じゃありませんッ! 一番強いお酒を持ってきてくださいッ!」
「強いお酒ですか……? では、日本酒かウィスキー……カクテルならスクリュードライバーとか……」
 困った表情を浮かべながら、女性の店員が告げた。
「では、そのカクテルお願いします!」
「はい、かしこまりました……」
 注文票に記入して、店員がオーダーを通すために厨房へと向かった。

「サ、サッキー……」
「ま、まずくない、麗佳……?」
 麗佳が顔を引き攣らせ、裕美が冷や汗を流しながら呟いた。ちょっと揶揄からかっただけでこうなるとは、二人の予想を遙かに超えていた。
「俺、桐生と席を替わってくるよ……」
 そう告げると、左側の大男が席を立って将成の元へと向かった。

「お前ら、どうするんだよ、これ……」
 省吾の言葉に、麗佳と裕美が顔を見合わせた。
「どうするって……」
「どうしよう……?」
 将成の方を振り向くと、隣にいる愛華に腕を掴まれていて、すぐにこちらには来られそうもなかった。

「お待たせしました……」
 店員がスクリュードライバーのショートグラスを咲希の前に置いた。それを掴むと、咲希はゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干した。
「これ、美味しいッ! オレンジジュースみたい! お替わりッ! ついでに、二、三杯持ってきてくださいッ!」
 空になったグラスを店員に戻しながら、咲希が笑顔で告げた。

「ちょっと、サッキー……。それって、凄く強いカクテルだって知ってるの?」
「別名、女殺しっていうんだ。確か、アルコール度数十二パーセントだったか? 飲みやすいけど、ビールの倍以上強いんだぞ……」
 麗佳と省吾が慌てて咲希を止めようとした。
「大丈夫です! お父さんに付き合って日本酒も飲んだことありますから……!」
 年に一度、正月にお屠蘇を一口舐めたことを、咲希は自信を持って言い放った。

「まあ、飲めるならいいけど……。あんまり無茶な飲み方するなよ……」
 心配そうに告げた省吾に笑顔を浮かべると、咲希は店員が持ってきた新しいスクリュードライバーのグラスを掲げた。
「先輩、バカ将成なんて放っておいて、乾杯しましょう!」
「バカ将成って……」
 楽しそうに叫ぶと、咲希は省吾、麗佳、裕美のグラスに次々と自分のグラスをぶつけていった。

 愛華を引き離して将成がやってくるまでに、咲希はビールの中ジョッキ一杯とスクリュードライバー三杯を飲み終えていた。


「おい……、これはどういう状況だ?」
 完全に泥酔している咲希を見て、将成が厳しい表情で麗佳たちを見据えた。滅多に怒らない将成が激怒していることが分かり、麗佳たちはビクンッと体をすくませた。
「あ、バカ将成だッ! 分身したってダメだからねッ!」
 どうやら咲希には、将成が二、三人に見えているようだった。

「長谷川さん、悪いけど水をもらってきてもらえるか?」
「は、はい……」
 将成の言葉に、裕美が席を立って店員の元へ急いだ。
「ごめん、桐生……。ちょっと揶揄からかったら、あっという間にこうなっちゃって……」
「悪い……。飲めるって言ってたから、安心してたら……」
 麗佳と省吾が、将成に頭を下げながら謝った。

「将成ッ……! あんたねぇ……!」
「あんた……?」
 完全に目が据わっている咲希の言葉に、将成が驚いた。今まで、あんた呼ばわりされたことなど、一度もなかったのだ。

「門倉先輩と長谷川先輩のこと、誘ったんだって……? 小鳥遊さんのこともナンパしてるし、どういうつもりなのッ!」
 ガバッと将成の胸ぐらを両手で掴みながら、咲希が叫んだ。その声に、会場にいた全員が何事かと思って二人の方を振り向いた。

「あたしにあんなことしておいて、他の女と何しちゃってるのよ!」
「あ、あんなことって……」
 まさかサークル全員がいる前でそんなことを暴露されるとは、将成は思ってもみなかった。
「あたし、将成が初めてだったんだからねッ! あたしのバージ……むぐッ……!」
 将成が慌てて咲希の口を塞いだ。そして、そのまま咲希を立ち上がらせると、抱きかかえるようにして出口に向かった。

「咲希、トイレに行こう。少し、吐いた方がいい……」
「うるさいッ! そんなことより、取っ替え引っ替え女を誘うってどういうことよッ!」
「咲希、何を言って……」
 会場中に響き渡る声で叫ばれ、将成は慌てて咲希の口を塞ごうとした。だが、素早く顔を逸らすと、咲希はとどめの一言を大声で叫んだ。

「あたしのバージン、返してよッ! すっごく痛かったんだからねッ!」

 咲希の叫び声に、室内がシンと静まった。咲希と将成を除いて、<プレアデス>に所属する三十一人全員がその叫び声をはっきりと耳にした。あまりのことに茫然として、将成は言葉を失って立ち尽くした。
 その時、咲希が両手で口を押さえながら床に崩れ落ちた。

「咲希……、大丈夫か?」
「うッ……気持ち、悪い……」
 蒼白な表情で、咲希が呟いた。その額から脂汗が流れていた。
「トイレに連れて行く! 早瀬さん、タオルを何枚か借りてきてくれッ!」
「はいッ!」
 将成の言葉に席を立つと、凪紗が部屋を飛び出して厨房へ向かった。

 将成は咲希を抱き上げると、トイレに向かって走り出した。駆け込んだ男子トイレで、咲希は激しく咳き込みながら何度も嘔吐した。

 その日、『残念美人』という新たなニックネームが咲希に加わった。
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