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第1章 神社幻影隊
8.身の上相談
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「おめでとう、咲希……! がんばったなッ!」
「うん、ありがとうッ! 大変だったけど、面白かったわッ!」
昨日までで第二段階の講習をすべて終え、今日の午前中に咲希は無事に卒業検定に合格した。あとは試験場で学科試験を受けて、免許を手にするだけだった。
今週の火曜日から始まった第二段階の技能講習は、学校帰りに毎日二時間ずつ受け続けた。昨日で見きわめに合格し、今日は緊張しながらも卒業検定をパスしたのだった。教習所に通い始めてから十一日……休校日が一日あったので、実質は十二日での教習所卒業だった。学校帰りに通ったことを考えれば、最短と言っても過言ではなかった。
「江東試験場にはいつ行くんだ?」
「土日は休みだから、月曜日ね。あたし、明日はカゼをひく予定なの……」
笑いながら告げた咲希の言葉に、将成も吹き出した。
「朝は早めに行った方がいいぞ。そうすれば、午前中で免許が交付されるから……」
「うんッ! 朝一から並ぶつもりよ。午後にはあたしも、ライダーの一員になってるからね!」
楽しそうな笑顔を浮かべながら、咲希が告げた。
「よし、無事に免許が取れたら、何かお祝いしてあげるよ」
「ホントッ! やったぁッ! 何にしようかなッ?」
胸の前で手を叩きながら、咲希が嬉しそうに叫んだ。その様子を見て、将成が笑顔を浮かべながら告げた。
「ツーリングを兼ねて、近場に旅行にでも行かないか?」
「えッ……? 旅行……?」
将成の言葉に驚いて、咲希が黒曜石の瞳を大きく見開いた。
(旅行って……。二人きりで……? それって、まさか……?)
いくら奥手とは言え、二人で旅行というのが何を意味するのかは咲希にも分かった。カアッと顔を赤らめると、咲希はジト目で将成を見つめた。
「あ、いや……。泊まりじゃなくて、日帰りだよ。鎌倉辺りなら、十分に日帰りできるし……」
咲希の視線を受けて、将成が慌てて手を振りながら告げた。
「あ……、日帰りね……」
「も、もちろんさ……」
お互いの顔を見つめ合うと、二人は気まずそうに視線を逸らせた。咲希はテーブルの上に置かれたアイスミルクティを手に取って、ストローに口をつけた。いつもよりもミルクが多くて、甘いように感じた。
「考えておくわ……。ところで、例の話なんだけど……」
話題を変えるように、咲希が将成の顔を見つめながら告げた。それが、赤塚公園から始まった事件を指していることに気づくと、将成が真剣な表情を浮かべながら訊ねた。
「話しづらい……?」
「うん……。でも、将成には全部話すって決めたの。だから、信じられないかも知れないけど、最後まで聞いて……」
「分かった……」
将成が頷いたのを確認すると、咲希は順を追って話し始めた。
「夏休みが明けた最初の日……九月一日だったわ。部活が終わって高島平に着いたのは、夜八時を回っていた……。その日、普段なら絶対に通らない赤塚公園の中を、あたしは一人で歩いてたの……」
「夜八時って、もう暗いじゃないか? そんな時間にあの公園を一人で……?」
心配そうに訊ねた将成に頷きながら、咲希が続けた。
「うん……。途中で怖くなって駆け出そうとしたら、目の前に男の人が二人現れたの。驚いて逃げようと振り返ったら、後ろにも二人いたわ……」
「大丈夫だったのかッ?」
咲希の話に驚いて、将成が身を乗り出した。
「その中の一人は、スタンガンを持っていたわ……」
「スタンガンだとッ?」
想像以上に危険な状況だったことを知り、将成が真剣な表情を浮かべた。
「あたしは持っていた竹刀で、スタンガンを持っていた男とその隣にいた男の胴を払って逃げ出したの……。でも、出口の直前で、新たに二人の男が目の前に立ち塞がってきたわ」
その後のことを、咲希は話したくなかった。だが、咲耶に助けられたことを告げるには、正直に話すしかないと思った。
「男たちは全部で六人だった。あたしは男たちに茂みの中に連れ込まれ、乱暴されそうになった……」
「大丈夫だったのか、咲希……?」
驚きに眼を見開きながらも、黒瞳に心配そうな光を浮かべながら将成が訊ねた。
「スタンガンを撃たれて全身が痺れ、次々と服を脱がされていった……。とっても怖くて、お父さんやお母さん……将成に助けを求めたわ」
「俺に……。ごめん、咲希……! お前がそんな眼に遭ったなんて、全然知らなかったッ!」
そう叫ぶと、将成は両手をテーブルについて、ガバッと頭を下げた。本気で自分自身を責めている将成に、咲希が優しく告げた。
「ううん……。将成は何も悪くないわ。もうダメだって諦めたとき、あたしの頭の中で声が響いたの……」
「声……?」
「うん。聞き覚えがある懐かしい声だった。その声が告げたのよ。『馬鹿者ッ! 助けを呼ぶ相手が違っておろうッ!』って……」
咲耶の言葉を思い出しながら、咲希が告げた。
「あたしはその声の主をすぐには思い出せなかった。だから、『誰ッ……?』て訊いたの。そうしたら、『誰ではないわ! 早く私の名を呼ばぬかッ!』って怒鳴られたわ……。そして、あたしは彼女の名前を思い出したの……」
「彼女……?」
将成の言葉に頷くと、咲希はその名を告げた。
「咲耶……、木花咲耶よッ!」
「木花咲耶……?」
「そう……。その名前を叫んだ瞬間、あたしの意識は自分の中に沈んでいった……。そして、代わりに咲耶の意識が浮かび上がってきたの……」
「意識が……? どういう意味だ……?」
咲希が告げた意味が分からずに、将成が怪訝な表情を浮かべた。
「それですべてを思い出したの……。生まれたときから、あたしの中にはもう一人の私がいたことを……。その私が、木花咲耶だって……」
「それって……二重人格……?」
将成の言葉に、咲希が小さく頷いた。
「正確に言えば違うんだけど、そう考えた方が分かりやすいかも知れない……。それで、あたしと入れ替わった咲耶が、一瞬のうちに六人の男たちを倒してくれた……」
「六人を……一瞬で……?」
将成は、咲希が夢を見ていたのではないかと思った。その考えを裏付けるように、咲希が告げた。
「咲耶の能力は、人間離れしていたわ。二十メートル以上を跳躍し、眼にも留まらない速さで移動して、神速の動きで男たちを倒していったわ……」
「咲希……、それって……」
「夢じゃないわ。すべて、事実よ。咲耶は人間じゃないの……」
絶対に信じてもらえないと思いながら、咲希が告げた。
「木花咲耶は、あたしの守護神だったのよッ!」
「守護神って……」
あまりに荒唐無稽な話に、将成は言葉を失った。彼の反応は、咲希が思っていたとおりのものだった。自分でも実際に体験していなければ、信じられない話なのだ。将成に信じろという方が無理だと、咲希は思った。
「木花咲耶って名前、聞いたことがある?」
「いや……。初めてだ……」
首を振った将成を見つめながら、咲希が続けた。
「古事記や日本書紀に出てくる美しい女神よ。天照皇大御神の孫嫁で、神武天皇の曾祖母よ……」
誇らしげな微笑を浮かべながら、咲希が告げた。
「神武天皇の……? そんなに有名な女神なのか?」
驚きに黒瞳を見開きながら、将成が訊ねた。その言葉に頷くと、咲希が言った。
「赤塚公園で、最初に鬼と戦っていたのは咲耶よ。あの時、鬼の攻撃を受けて、あたしが重傷を負ったのを覚えている?」
「ああ……。あっという間に傷が治って……今でも信じられない」
突然、将成が現れたことに咲耶が気を取られて、鬼の攻撃を受けたことは言わないでおこうと咲希は思った。
「それは、咲耶が神気を使って治癒したの。それで神気を使い果たした咲耶は、あれ以来ずっとあたしの中で眠っているわ」
「眠っている……ちょっと、待てッ! と言うことは、実際に鬼を倒したのは……」
驚愕に満ちた将成にニッコリと笑いかけると、咲希が頷きながら告げた。
「あたし……よ。咲耶から神気を分けてもらって、何とか鬼退治できたの……」
「鬼退治って……」
茫然とした表情で、将成が咲希を見つめた。目の前の女子高生があの鬼を倒したなど、実際に眼にしていても信じられなかった。
「これが、赤塚公園での事件のあらましよ。信じる信じないは、将成が決めて……」
そう告げると、咲希は黒曜石の瞳で真っ直ぐに将成を見つめた。
「その前に、ひとつ教えてくれ……。あの鬼はいったい何だったんだ?」
「咲耶は、妖魔の一種だって言っていたわ」
「妖魔……?」
将成の疑問に答えるように、咲希が頷きながら告げた。
「日本には八百万の神々がいらっしゃるわ。その神様たちは、それぞれ人間を守護しているらしいの。簡単に言えば、神様は人間の味方ってこと……。それに対して、人間に敵意を持つ存在が妖魔よ。神々と妖魔は、人間を挟んで敵対関係にあるって咲耶は言っていたわ」
自分の話を将成がどこまで信じてくれたのか、咲希には自信がなかった。だが、将成に対して、嘘をつくことだけは止めようと咲希は考えていた。
「正直なところ、あまりにも予想外の話で混乱している。だが、そんな作り話をしても、咲希に何のメリットもないことはよく分かる。だから、たぶん本当のことなんだろうとは思うけど、すぐには信じられないって言うのが本音だよ……」
(当然よね……。逆の立場だったら、あたしも信じられないって思うもの……)
将成の言葉を聞いて、咲希は心の中で苦笑いを浮かべた。
「信じられないついでに、将成にも守護神が付いていることを覚えておいて……」
「俺にも……?」
驚きに眼を見開きながら、将成が咲希を見つめた。
「あたしの咲耶以上に凄い神様よ。建御雷神っていう武神よ」
「タケミカヅチ……?」
「うん。学校の剣道場の神棚に祀られている神様よ。この間、会ったけど、凄い力を持った神様だったわ……」
「会ったって……?」
咲希の言葉に、将成が驚愕しながら訊ねた。
「中原のお通夜の帰りに、将成が澤村君に攫われたでしょ? その時、連れ込まれた『狛江弁財天池特別緑地保全地区』に、滅茶苦茶強い妖魔が出たのよ……」
「何だって……!」
意識を失っていた将成は、その事実を初めて耳にした。
「三大妖魔と呼ばれている一人で、夜叉っていう吸血鬼だったわ。『闇の王』とも呼ばれているみたい……。あれと比べたら、赤塚公園の鬼なんて蟻みたいなものよ」
「蟻って……」
笑いながら告げた咲希の説明に、将成は言葉を失った。
「あたしは咲耶ごと、夜叉に殺されそうになったの。その時に助けてくれたのが、建御雷神さまよ……」
その建御雷神をどうやって呼び出したのかは、絶対に言えなかった。
「そんなことがあったのか……?」
だが、あまりの話に、将成は建御雷神がどうして助けに来てくれたのかまで頭が回らなかった。そして、咲希はそのことから将成の気を逸らすように、話題を変えた。
「さっきも言ったけど、八百万の神々は人間たちを守護しているの。あたしの守護神は木花咲耶で、将成の守護神は建御雷神さまよ」
「俺の中にも建御雷神がいるってことか……?」
興味深そうな表情を浮かべながら、将成が訊ねた。
「残念ながら、いないみたいよ。建御雷神さまは、遠くから将成を守護しているらしいわ。それがこの世界のどこかなのか、神様が住む別の世界なのかは知らないけど……」
「そうなんだ……。でも、それなら何で、木花咲耶は咲希の中にいるんだ?」
不意に疑問に思って、将成が咲希に訊ねてきた。
「それは特別らしいの……。あたしは、木花咲耶の生まれ変わりなんだって……」
葦原中国随一の美女である咲耶の生まれ変わりだと告げて、咲希は恥ずかしそうに顔を赤らめた。それは、自分が絶世の美女だと告げているようなものだからだ。
「そうなんだッ! 女神の生まれ変わりなんて、凄いじゃないかッ!」
咲希の羞恥に気づかずに、将成が手放しで褒めてきた。
「そのおかげで、何回も怖い眼に遭ったわ。咲耶が目覚めたら、絶対に文句を言ってやるんだからッ!」
プウッと頬を膨らませた咲希を見て、将成が楽しそうに笑った。
「とにかく、咲希の話は信じるよ。さっきも言ったけど、こんな大がかりな嘘をついても、咲希には何のメリットもないしな……」
「ありがとう、将成……」
まさか、こんなにすんなりと将成に信じてもらえるとは、咲希は予想さえもしていなかった。最悪は妄想オタクとでも思われて、距離を置かれるかも知れないと思っていたのだ。
「それから、一つ相談があるの……」
神社幻影隊について、将成の意見を聞こうと咲希は考えた。
「何だい……? 今の話に関係することか?」
「うん……。神社本庁って聞いたことある?」
「神社本庁……? いや、初耳だ……」
咲希の質問に首を捻りながら、将成が告げた。
「文部科学大臣が管理している宗教法人らしいんだけど、そこの神宮特別対策部の神社幻影隊という団体が妖魔と戦っているらしいの。頭文字を略してS.A.P.っていうんだって……。そのS.A.P.のリーダーで天城色葉さんって人から勧誘されているの……」
「勧誘……? そのS.A.P.とかいう団体に入れってことかい?」
「うん。ネットで調べたら神社本庁って歴史のある団体だし、天城さんも悪い人じゃないと思う……。どうしたらいいかな?」
あまり先入観を与えずに将成の意見を聞こうと思いながら、咲希が訊ねた。
「正直、初めて聞く団体だから何とも言えないな……。でも、学校や部活があるのに、そのS.A.P.をやってる時間はあるのか?」
「天城さんは学生のうちはアルバイトでいいって言ってくれてるんだけど……。ただ、咲耶がいるせいで、あたしは妖魔に狙われやすいみたいなの。下手にS.A.P.に入ったら、天城さんたちを危険な眼に遭わせるかも知れないと思って……」
美しい眉間に縦皺を刻みながら、咲希が言った。
「逆に、S.A.P.が咲希を守ってくれるってことはないのか?」
「さあ……? でも、この間の夜叉みたいなのが相手だと、S.A.P.がどんなに優秀でも絶対に敵わないと思うわ……」
咲希でも何とか倒せた赤塚公園の鬼程度であれば、S.A.P.の力を借りるメリットはあるが、強力な妖魔相手では危険が大きすぎた。
「さっきも言ったけど、S.A.P.がどんな団体でどういう活動をしているかが分からないと、答えようがないな……。一日か二日、体験入学みたいなことはできないのか?」
「体験入学……? それいいかも……!」
思いもしなかったアドバイスを受けて、咲希が笑顔を浮かべた。それでS.A.P.の業務内容が少しでも分かれば、加入するかどうかの目安になりそうだった。
「契約金もくれるって言ってたから、断るのももったいないなと思って……」
「契約金……?」
「うん。契約金五百万と、月々十万だって……!」
笑顔で告げた咲希の言葉に、将成が固まった。
「ご、五百万ってッ……! かなりヤバい仕事じゃないのかッ?」
女子高生に五百万もの契約金を出す仕事がまともなはずないと、将成は思った。
「さあ……? とにかく、体験入学できるか聞いてみるね!」
「ち、ちょっと待て、咲希……」
(五百万あれば、ヴィトンのバッグ買えちゃうわよね! エルメスのバーキンもいけるかな?)
将成の焦りに気づかずに、咲希の脳裏には『欲しい物リスト』が浮かんでは消えていった。
「体験入学できるようなら、俺も一緒に行くよ……」
咲希の様子にため息を付きながら、将成が告げた。とてもではないが、咲希一人に判断を任せることなどできそうになかった。
「ホントにッ……? 将成が一緒なら、凄く心強いわ!」
満面に笑みを浮かべながら告げる咲希を見つめて、将成は心の中で呟いた。
(咲希ってしっかりしてそうで、どこか天然なんだよな……)
それがへっぽこ女神の生まれ変わりによるものだとは、咲希も将成も気づくことはなかった。
「うん、ありがとうッ! 大変だったけど、面白かったわッ!」
昨日までで第二段階の講習をすべて終え、今日の午前中に咲希は無事に卒業検定に合格した。あとは試験場で学科試験を受けて、免許を手にするだけだった。
今週の火曜日から始まった第二段階の技能講習は、学校帰りに毎日二時間ずつ受け続けた。昨日で見きわめに合格し、今日は緊張しながらも卒業検定をパスしたのだった。教習所に通い始めてから十一日……休校日が一日あったので、実質は十二日での教習所卒業だった。学校帰りに通ったことを考えれば、最短と言っても過言ではなかった。
「江東試験場にはいつ行くんだ?」
「土日は休みだから、月曜日ね。あたし、明日はカゼをひく予定なの……」
笑いながら告げた咲希の言葉に、将成も吹き出した。
「朝は早めに行った方がいいぞ。そうすれば、午前中で免許が交付されるから……」
「うんッ! 朝一から並ぶつもりよ。午後にはあたしも、ライダーの一員になってるからね!」
楽しそうな笑顔を浮かべながら、咲希が告げた。
「よし、無事に免許が取れたら、何かお祝いしてあげるよ」
「ホントッ! やったぁッ! 何にしようかなッ?」
胸の前で手を叩きながら、咲希が嬉しそうに叫んだ。その様子を見て、将成が笑顔を浮かべながら告げた。
「ツーリングを兼ねて、近場に旅行にでも行かないか?」
「えッ……? 旅行……?」
将成の言葉に驚いて、咲希が黒曜石の瞳を大きく見開いた。
(旅行って……。二人きりで……? それって、まさか……?)
いくら奥手とは言え、二人で旅行というのが何を意味するのかは咲希にも分かった。カアッと顔を赤らめると、咲希はジト目で将成を見つめた。
「あ、いや……。泊まりじゃなくて、日帰りだよ。鎌倉辺りなら、十分に日帰りできるし……」
咲希の視線を受けて、将成が慌てて手を振りながら告げた。
「あ……、日帰りね……」
「も、もちろんさ……」
お互いの顔を見つめ合うと、二人は気まずそうに視線を逸らせた。咲希はテーブルの上に置かれたアイスミルクティを手に取って、ストローに口をつけた。いつもよりもミルクが多くて、甘いように感じた。
「考えておくわ……。ところで、例の話なんだけど……」
話題を変えるように、咲希が将成の顔を見つめながら告げた。それが、赤塚公園から始まった事件を指していることに気づくと、将成が真剣な表情を浮かべながら訊ねた。
「話しづらい……?」
「うん……。でも、将成には全部話すって決めたの。だから、信じられないかも知れないけど、最後まで聞いて……」
「分かった……」
将成が頷いたのを確認すると、咲希は順を追って話し始めた。
「夏休みが明けた最初の日……九月一日だったわ。部活が終わって高島平に着いたのは、夜八時を回っていた……。その日、普段なら絶対に通らない赤塚公園の中を、あたしは一人で歩いてたの……」
「夜八時って、もう暗いじゃないか? そんな時間にあの公園を一人で……?」
心配そうに訊ねた将成に頷きながら、咲希が続けた。
「うん……。途中で怖くなって駆け出そうとしたら、目の前に男の人が二人現れたの。驚いて逃げようと振り返ったら、後ろにも二人いたわ……」
「大丈夫だったのかッ?」
咲希の話に驚いて、将成が身を乗り出した。
「その中の一人は、スタンガンを持っていたわ……」
「スタンガンだとッ?」
想像以上に危険な状況だったことを知り、将成が真剣な表情を浮かべた。
「あたしは持っていた竹刀で、スタンガンを持っていた男とその隣にいた男の胴を払って逃げ出したの……。でも、出口の直前で、新たに二人の男が目の前に立ち塞がってきたわ」
その後のことを、咲希は話したくなかった。だが、咲耶に助けられたことを告げるには、正直に話すしかないと思った。
「男たちは全部で六人だった。あたしは男たちに茂みの中に連れ込まれ、乱暴されそうになった……」
「大丈夫だったのか、咲希……?」
驚きに眼を見開きながらも、黒瞳に心配そうな光を浮かべながら将成が訊ねた。
「スタンガンを撃たれて全身が痺れ、次々と服を脱がされていった……。とっても怖くて、お父さんやお母さん……将成に助けを求めたわ」
「俺に……。ごめん、咲希……! お前がそんな眼に遭ったなんて、全然知らなかったッ!」
そう叫ぶと、将成は両手をテーブルについて、ガバッと頭を下げた。本気で自分自身を責めている将成に、咲希が優しく告げた。
「ううん……。将成は何も悪くないわ。もうダメだって諦めたとき、あたしの頭の中で声が響いたの……」
「声……?」
「うん。聞き覚えがある懐かしい声だった。その声が告げたのよ。『馬鹿者ッ! 助けを呼ぶ相手が違っておろうッ!』って……」
咲耶の言葉を思い出しながら、咲希が告げた。
「あたしはその声の主をすぐには思い出せなかった。だから、『誰ッ……?』て訊いたの。そうしたら、『誰ではないわ! 早く私の名を呼ばぬかッ!』って怒鳴られたわ……。そして、あたしは彼女の名前を思い出したの……」
「彼女……?」
将成の言葉に頷くと、咲希はその名を告げた。
「咲耶……、木花咲耶よッ!」
「木花咲耶……?」
「そう……。その名前を叫んだ瞬間、あたしの意識は自分の中に沈んでいった……。そして、代わりに咲耶の意識が浮かび上がってきたの……」
「意識が……? どういう意味だ……?」
咲希が告げた意味が分からずに、将成が怪訝な表情を浮かべた。
「それですべてを思い出したの……。生まれたときから、あたしの中にはもう一人の私がいたことを……。その私が、木花咲耶だって……」
「それって……二重人格……?」
将成の言葉に、咲希が小さく頷いた。
「正確に言えば違うんだけど、そう考えた方が分かりやすいかも知れない……。それで、あたしと入れ替わった咲耶が、一瞬のうちに六人の男たちを倒してくれた……」
「六人を……一瞬で……?」
将成は、咲希が夢を見ていたのではないかと思った。その考えを裏付けるように、咲希が告げた。
「咲耶の能力は、人間離れしていたわ。二十メートル以上を跳躍し、眼にも留まらない速さで移動して、神速の動きで男たちを倒していったわ……」
「咲希……、それって……」
「夢じゃないわ。すべて、事実よ。咲耶は人間じゃないの……」
絶対に信じてもらえないと思いながら、咲希が告げた。
「木花咲耶は、あたしの守護神だったのよッ!」
「守護神って……」
あまりに荒唐無稽な話に、将成は言葉を失った。彼の反応は、咲希が思っていたとおりのものだった。自分でも実際に体験していなければ、信じられない話なのだ。将成に信じろという方が無理だと、咲希は思った。
「木花咲耶って名前、聞いたことがある?」
「いや……。初めてだ……」
首を振った将成を見つめながら、咲希が続けた。
「古事記や日本書紀に出てくる美しい女神よ。天照皇大御神の孫嫁で、神武天皇の曾祖母よ……」
誇らしげな微笑を浮かべながら、咲希が告げた。
「神武天皇の……? そんなに有名な女神なのか?」
驚きに黒瞳を見開きながら、将成が訊ねた。その言葉に頷くと、咲希が言った。
「赤塚公園で、最初に鬼と戦っていたのは咲耶よ。あの時、鬼の攻撃を受けて、あたしが重傷を負ったのを覚えている?」
「ああ……。あっという間に傷が治って……今でも信じられない」
突然、将成が現れたことに咲耶が気を取られて、鬼の攻撃を受けたことは言わないでおこうと咲希は思った。
「それは、咲耶が神気を使って治癒したの。それで神気を使い果たした咲耶は、あれ以来ずっとあたしの中で眠っているわ」
「眠っている……ちょっと、待てッ! と言うことは、実際に鬼を倒したのは……」
驚愕に満ちた将成にニッコリと笑いかけると、咲希が頷きながら告げた。
「あたし……よ。咲耶から神気を分けてもらって、何とか鬼退治できたの……」
「鬼退治って……」
茫然とした表情で、将成が咲希を見つめた。目の前の女子高生があの鬼を倒したなど、実際に眼にしていても信じられなかった。
「これが、赤塚公園での事件のあらましよ。信じる信じないは、将成が決めて……」
そう告げると、咲希は黒曜石の瞳で真っ直ぐに将成を見つめた。
「その前に、ひとつ教えてくれ……。あの鬼はいったい何だったんだ?」
「咲耶は、妖魔の一種だって言っていたわ」
「妖魔……?」
将成の疑問に答えるように、咲希が頷きながら告げた。
「日本には八百万の神々がいらっしゃるわ。その神様たちは、それぞれ人間を守護しているらしいの。簡単に言えば、神様は人間の味方ってこと……。それに対して、人間に敵意を持つ存在が妖魔よ。神々と妖魔は、人間を挟んで敵対関係にあるって咲耶は言っていたわ」
自分の話を将成がどこまで信じてくれたのか、咲希には自信がなかった。だが、将成に対して、嘘をつくことだけは止めようと咲希は考えていた。
「正直なところ、あまりにも予想外の話で混乱している。だが、そんな作り話をしても、咲希に何のメリットもないことはよく分かる。だから、たぶん本当のことなんだろうとは思うけど、すぐには信じられないって言うのが本音だよ……」
(当然よね……。逆の立場だったら、あたしも信じられないって思うもの……)
将成の言葉を聞いて、咲希は心の中で苦笑いを浮かべた。
「信じられないついでに、将成にも守護神が付いていることを覚えておいて……」
「俺にも……?」
驚きに眼を見開きながら、将成が咲希を見つめた。
「あたしの咲耶以上に凄い神様よ。建御雷神っていう武神よ」
「タケミカヅチ……?」
「うん。学校の剣道場の神棚に祀られている神様よ。この間、会ったけど、凄い力を持った神様だったわ……」
「会ったって……?」
咲希の言葉に、将成が驚愕しながら訊ねた。
「中原のお通夜の帰りに、将成が澤村君に攫われたでしょ? その時、連れ込まれた『狛江弁財天池特別緑地保全地区』に、滅茶苦茶強い妖魔が出たのよ……」
「何だって……!」
意識を失っていた将成は、その事実を初めて耳にした。
「三大妖魔と呼ばれている一人で、夜叉っていう吸血鬼だったわ。『闇の王』とも呼ばれているみたい……。あれと比べたら、赤塚公園の鬼なんて蟻みたいなものよ」
「蟻って……」
笑いながら告げた咲希の説明に、将成は言葉を失った。
「あたしは咲耶ごと、夜叉に殺されそうになったの。その時に助けてくれたのが、建御雷神さまよ……」
その建御雷神をどうやって呼び出したのかは、絶対に言えなかった。
「そんなことがあったのか……?」
だが、あまりの話に、将成は建御雷神がどうして助けに来てくれたのかまで頭が回らなかった。そして、咲希はそのことから将成の気を逸らすように、話題を変えた。
「さっきも言ったけど、八百万の神々は人間たちを守護しているの。あたしの守護神は木花咲耶で、将成の守護神は建御雷神さまよ」
「俺の中にも建御雷神がいるってことか……?」
興味深そうな表情を浮かべながら、将成が訊ねた。
「残念ながら、いないみたいよ。建御雷神さまは、遠くから将成を守護しているらしいわ。それがこの世界のどこかなのか、神様が住む別の世界なのかは知らないけど……」
「そうなんだ……。でも、それなら何で、木花咲耶は咲希の中にいるんだ?」
不意に疑問に思って、将成が咲希に訊ねてきた。
「それは特別らしいの……。あたしは、木花咲耶の生まれ変わりなんだって……」
葦原中国随一の美女である咲耶の生まれ変わりだと告げて、咲希は恥ずかしそうに顔を赤らめた。それは、自分が絶世の美女だと告げているようなものだからだ。
「そうなんだッ! 女神の生まれ変わりなんて、凄いじゃないかッ!」
咲希の羞恥に気づかずに、将成が手放しで褒めてきた。
「そのおかげで、何回も怖い眼に遭ったわ。咲耶が目覚めたら、絶対に文句を言ってやるんだからッ!」
プウッと頬を膨らませた咲希を見て、将成が楽しそうに笑った。
「とにかく、咲希の話は信じるよ。さっきも言ったけど、こんな大がかりな嘘をついても、咲希には何のメリットもないしな……」
「ありがとう、将成……」
まさか、こんなにすんなりと将成に信じてもらえるとは、咲希は予想さえもしていなかった。最悪は妄想オタクとでも思われて、距離を置かれるかも知れないと思っていたのだ。
「それから、一つ相談があるの……」
神社幻影隊について、将成の意見を聞こうと咲希は考えた。
「何だい……? 今の話に関係することか?」
「うん……。神社本庁って聞いたことある?」
「神社本庁……? いや、初耳だ……」
咲希の質問に首を捻りながら、将成が告げた。
「文部科学大臣が管理している宗教法人らしいんだけど、そこの神宮特別対策部の神社幻影隊という団体が妖魔と戦っているらしいの。頭文字を略してS.A.P.っていうんだって……。そのS.A.P.のリーダーで天城色葉さんって人から勧誘されているの……」
「勧誘……? そのS.A.P.とかいう団体に入れってことかい?」
「うん。ネットで調べたら神社本庁って歴史のある団体だし、天城さんも悪い人じゃないと思う……。どうしたらいいかな?」
あまり先入観を与えずに将成の意見を聞こうと思いながら、咲希が訊ねた。
「正直、初めて聞く団体だから何とも言えないな……。でも、学校や部活があるのに、そのS.A.P.をやってる時間はあるのか?」
「天城さんは学生のうちはアルバイトでいいって言ってくれてるんだけど……。ただ、咲耶がいるせいで、あたしは妖魔に狙われやすいみたいなの。下手にS.A.P.に入ったら、天城さんたちを危険な眼に遭わせるかも知れないと思って……」
美しい眉間に縦皺を刻みながら、咲希が言った。
「逆に、S.A.P.が咲希を守ってくれるってことはないのか?」
「さあ……? でも、この間の夜叉みたいなのが相手だと、S.A.P.がどんなに優秀でも絶対に敵わないと思うわ……」
咲希でも何とか倒せた赤塚公園の鬼程度であれば、S.A.P.の力を借りるメリットはあるが、強力な妖魔相手では危険が大きすぎた。
「さっきも言ったけど、S.A.P.がどんな団体でどういう活動をしているかが分からないと、答えようがないな……。一日か二日、体験入学みたいなことはできないのか?」
「体験入学……? それいいかも……!」
思いもしなかったアドバイスを受けて、咲希が笑顔を浮かべた。それでS.A.P.の業務内容が少しでも分かれば、加入するかどうかの目安になりそうだった。
「契約金もくれるって言ってたから、断るのももったいないなと思って……」
「契約金……?」
「うん。契約金五百万と、月々十万だって……!」
笑顔で告げた咲希の言葉に、将成が固まった。
「ご、五百万ってッ……! かなりヤバい仕事じゃないのかッ?」
女子高生に五百万もの契約金を出す仕事がまともなはずないと、将成は思った。
「さあ……? とにかく、体験入学できるか聞いてみるね!」
「ち、ちょっと待て、咲希……」
(五百万あれば、ヴィトンのバッグ買えちゃうわよね! エルメスのバーキンもいけるかな?)
将成の焦りに気づかずに、咲希の脳裏には『欲しい物リスト』が浮かんでは消えていった。
「体験入学できるようなら、俺も一緒に行くよ……」
咲希の様子にため息を付きながら、将成が告げた。とてもではないが、咲希一人に判断を任せることなどできそうになかった。
「ホントにッ……? 将成が一緒なら、凄く心強いわ!」
満面に笑みを浮かべながら告げる咲希を見つめて、将成は心の中で呟いた。
(咲希ってしっかりしてそうで、どこか天然なんだよな……)
それがへっぽこ女神の生まれ変わりによるものだとは、咲希も将成も気づくことはなかった。
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