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序章

10.妖魔の脅威

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 大気を切り裂く風斬り音とともに、巨大な岩のような拳が凄まじい勢いで咲耶に迫ってきた。擦っただけで人の体など肉片に変えるだけの威力を秘めた巨拳だった。
 咲耶は助走さえせずにその場から垂直に跳躍した。三メートルほどの高さまで跳ぶと、その身を前方に回転しながら<咲耶刀>を上段に構えた。そして、地面に落下する速度を利用して<咲耶刀>を振り落とし、その神速の一閃で鬼の右腕に凄まじい斬撃を与えた。

 グッギャァアッ……!

 二の腕から先を斬り落とされた激痛で、鬼が天を仰ぎながら絶叫を上げた。その機会を逃さずに、咲耶は眼にも留まらぬ速度で鬼に肉迫した。そして、腰だめに構えた<咲耶刀>の左薙ぎで鬼の首を斬り落とすべく、再び跳躍するために屈み込んだ。

「咲希ぃーッ!」
 突然、背後から聞こえてきた叫び声に驚いて、咲耶は動きを止めた。慌てて振り向くと、桐生将成きりゅうしょうせいが必死の表情を浮かべながらこちらに向かって駆けていた。
(何故、彼奴あやつがここにッ……?)
『将成ッ……! 来ちゃダメぇえッ!』
 咲耶と同時に将成の姿に気づいた咲希が、驚愕して絶叫を上げた。

 それが、致命的な隙となった。背後を振り向いた咲耶の左側から、凄絶な唸りを上げて巨拳が襲いかかってきた。
「……ッ! ごふッ……!」
 辛うじて<咲耶刀>で受けたものの、岩も砕く破壊力を持った一撃が咲耶の左半身に激突した。強風にあおられる木の葉のように、咲耶は地面に全身を叩きつけられながら二十メートル以上も吹き飛ばされた。

「咲希ぃーッ!」
 蒼白な表情を浮かべた将成が駆けつけ、咲耶の半身を抱き起こした。
「がはッ! ごほッ……!」
 ガバッと大量の血を吐くと、苦悶の表情を浮かべながら咲耶が激しく咳き込んだ。左腕はズタズタに引き裂かれ、鮮血で真っ赤に染まりながらあらぬ方向を向いていた。十二本ある左の肋骨はすべて粉砕され、そのうちの三本が左肺に突き刺さっていた。

「しっかりしろ、咲希ッ……!」
「逃げ……ろ……」
 驚愕の表情で自分を抱き締める将成に、咲耶が短く告げた。たった三文字の言葉を口にするだけで、全身に凄まじい激痛が走った。

『咲耶ッ! しっかりしてッ!』
 咲耶が体を支配しているときは、咲希は五感を共有していない。だが、自分の体が致命的な損傷を受け、咲耶が瀕死の状態であることは分かった。
(済まぬ、咲希……。油断した……)
 本来、結界内にいるはずのない将成を見て、咲耶は鬼から意識を逸らしてしまったのだ。だが、重傷を負いながらも、咲耶は一言も将成を責める言葉を口にしなかった。

(これからすべての神気を使って、傷を治す……。だが、恐らくはそれでほとんどの神気を使い切るはずじゃ……)
『咲耶……』
 すべての神気を使い切ったら、咲耶が消滅するのではないかと咲希は危惧した。その考えを読み取ったかのように咲耶が告げた。

(心配するでない……。消え去りはせぬ。だが、数年は眠りにつくことになるじゃろう……。傷は治す故、の代わりにお前が鬼族あやつを倒すのじゃ……)
『そんなッ……! 無理よッ……!』
 咲耶の言葉に驚愕して、咲希が叫んだ。

(大丈夫じゃ……。今のお前の神気なら、十分に奴に勝てる。精神を統一して、神気を<咲耶刀>に集めるのじゃ……)
『<咲耶刀>に神気を……?』
(頼んだぞ、咲希……。が目覚めたら、プリンを馳走するのを忘れるでないぞ……)
『咲耶ッ……!』

 次の瞬間、眩いほどの光輝が咲耶の全身を包み込んだ。
 将成の腕の中で、咲耶の体から傷が消滅していった。砕けた骨が修復され、損傷した内臓が回復した。引き千切られた筋肉が甦り、左腕の傷が跡形もなく消えていった。

 そして、咲耶の意識が心の奥底に沈んでいき、完全に消滅した。
(咲耶ッ……! 咲耶ぁあッ……!)
 心話で呼びかけても、咲耶の反応はまったくなかった。

「咲希……傷が……。大丈夫なのか……?」
 眼を開けると、驚愕に茫然としている将成の顔があった。瀕死の重傷を負っていたはずが、瞬く間にすべての傷が治癒したのだ。驚くなと言う方が無理だった。

「大丈夫……。将成、お願い……。今すぐにあたしを置いて、逃げて……」
「馬鹿言うなッ! 逃げるなら、一緒に逃げるぞッ!」
 咲希の左腕を掴み、抱き起こしながら将成が告げた。化け物のような鬼族を前にして、恐怖を感じていないはずがなかった。実際に、将成の顔色は蒼白で、全身が小刻みに震えていた。だが、その状態にも拘わらず、咲希を置いて一人で逃げ出そうとはしなかった。その勇気が、そして、自分を大切に思ってくれている気持ちが咲希には嬉しかった。
 だが、今の咲希にとって、将成の存在は邪魔でしかないことも事実だった。

「お願いッ! あたしに構わず、一人で逃げてッ!」
「何を言って……」
 将成の言葉を遮るように、咲希が大声で叫んだ。
「あなたがいると、戦えないのよッ! 足手まといだって言ってるのが分からないのッ! さっさと逃げてよッ!」
「咲希……」
 自分の存在を否定する咲希の言葉を聞いて、将成が愕然とした表情を浮かべた。

 グッガァアアッ……!

 大地を揺るがすほどの地響きを立てながら、鬼が目前まで迫ってきた。鬼との距離は、五メートルもなかった。
「ごめん、将成ッ……!」
 咲希は将成の胸ぐらを右手で掴むと、後方へ思いっきり投げ飛ばした。女性とは思えぬ圧倒的な力だった。
「うわぁああッ……!」
 悲鳴を上げながら宙を舞うと、将成が十メートル以上もの距離を転がっていった。

 大気を震撼させるほどの咆吼とともに、咲耶に重傷を負わせた巨拳が壮絶な唸りを上げて咲希に襲いかかってきた。凄絶な破壊力を持つ攻撃をかわしながら、咲希は大きく左方向に跳んだ。そして、全力で地面を蹴ると、将成と反対方向に走りながら叫んだ。

「こっちよ、のろまッ! 鬼さん、こちらッ!」
 咲希の予想どおり、将成を無視して鬼は自分だけを追ってきた。きっと、神気に反応しているのだと咲希は考えた。
(体が軽いッ……! 思い通りに動くッ!)
 咲耶が告げたとおり、全身に力がみなぎっているような感覚だった。かつてない速度で手足が動き、今までの倍以上の距離を跳躍できた。

(<咲耶刀>って、どうやって出すのかしら?)
 咲耶が使っていた<咲耶刀>は、彼女の意識が消えるとともに消滅していた。<咲耶刀>のを呼んだり、イメージを脳裏に描いてみたが出てくる気配さえなかった。

(そう言えば、咲耶は言っていた……)
 鬼の攻撃をひたすらかわしながら、咲希は咲耶の言葉を思い出した。

『<咲耶刀>はの神気に反応して具現化する刀じゃ。出すだけであれば、今の咲希にも可能だと思うぞ』

(神気に反応する……確かに、そう言っていたはず……)
 鬼から逃げ回りながら、咲耶は右手の平に意識を集中した。だが、<咲耶刀>が現れる様子はまるでなかった。
(意識じゃない……神気を集中するんだッ! でも、神気ってどうやって出すのよッ!)

『咲希の神気は、すでに普通の人間の何十倍にもなっておるはずじゃ』

(何十倍だか何百倍だか知らないけど、出せなきゃ意味ないじゃないッ! プリンの予約をする時間があったら、神気の使い方くらい教えておきなさいよ、へっぽこ女神ッ!)
 思わず怒鳴った咲希の視線に、目の前に広がる草原と太陽のない青天が映った。
「結界……?」
 今いる場所が、咲耶が張った結界の中であることを咲希は思い出した。

(結界を張ったってことは、神気を使ったってことだわ! この結界のどこかに、咲耶の神気があるはずッ! それを感じ取れれば……)
 人間の限界を超える速度で鬼の攻撃を避けながら、咲耶が精神統一を始めた。これほどのスピードを維持できるのは、全身に神気をまとっているからだ。その神気を感じ取れれば、それをコントロールすることが可能だと咲希は考えた。

(この感じだッ……!)
 結界の中は、心を洗われるような清涼感に満ちていた。それと同時に、どこか懐かしさを覚える温もりを感じた。それはまるで、母親の中で羊水に浸っているような感覚だった。その自分を取り囲む暖かさの中に、力強さと神々しさを感じた。その生命力に満ち溢れたエネルギーは、咲希がよく知るものだった。

(これは、咲耶だッ! 咲耶のそのものだッ!)
 結界の中に充満している咲耶の気配こそが神気であることに、咲希は気づいた。
(神気って、自分の中にあるものじゃないッ! 生きとし生けるものすべてから、力を借りて・・・・・まとうものなんだッ!)

 咲希は後方に大きく跳び退すさった。そして、鬼から十メートル以上の距離を取ると、立ち止まって右手を天に向けて掲げた。
(咲耶……みんな、あたしに力を貸してッ!)
 空から、大気から、草原から……そして、大地から……。生命の源とも呼ぶべきが集まり、神々しい光の螺旋となって咲希の全身を取り巻いた。

 その神気・・が、咲希の体を通じて頭上に掲げた右手に収斂しゅうれんした。大きく開いた手の平が閃光を放つと、ズシリとした重みとともに<咲耶刀>が具現化した。
 白銀の刀身が直視できないほどの光輝に満ち溢れ、超烈な閃光の奔流となって解き放たれた。

 グッガアァアッ……!

 自分の右腕を斬り落とした武器が再び現れたことに気づくと、凄まじい形相で咲希をめつけながら鬼が左腕を大きく振り上げた。そして、壮絶な旋風を巻き起こしながら巨拳を咲希めがけて振り落としてきた。

 巨岩をも一撃で粉砕するその衝撃を、咲希は大きく後方に跳躍して避けた。
「<咲耶刀>ッ……! 行くわよッ!」
 <咲耶刀>を正眼に構えると、咲希は神速の動きで鬼に肉迫した。そして、すべての神気を<咲耶刀>に収斂しゅうれんして、裂帛の気合いとともに突き出した。

「ハァアアッ……!」
 剣道における最強の攻撃技……<突き>が、鋼の筋肉に覆われた鬼の胸板に放たれた。
 <咲耶刀>の刃先から、膨大な光が潮流となって迸った。壮絶な光輝の奔流が、螺旋を描きながら凄まじい勢いで鬼の胸部を貫いた。

 グッギャァアッ……!

 大気を揺るがす絶叫を上げると、自分の胸に開けられた巨大な風穴を鬼が茫然と見つめた。そして、巨大な口から大量の鮮血を吐くと、ガクリと膝を折って地面に両手をついた。
「とどめよッ……!」
 腰だめに<咲耶刀>を構えると、咲希は鬼に向かって大きく跳躍した。眼にも留まらぬ神撃で<咲耶刀>を左下から右上に一閃させると、咲希は居合を放ち終えた体勢のまま動きを止めた。

 次の瞬間、断末魔の声を上げることもできずに、鬼の首が宙を舞った。一瞬の間を置いて、首あとから大量の鮮血が噴水のように舞い上がった。大地を赤黒く染めた血だまりの中に、ズシンという重厚な音を響かせて鬼の体が倒れ込んだ。

 咲希は右手に持った<咲耶刀>で残心の血振りをした。ピシャッっという音とともに、白銀に輝く刃先から真っ赤な血が地面に散った。
 鬼の体が黒い瘴気となって霧散し、結界の中で浄化されていった。残ったのは赤黒く変色した土だけであった。


「倒した……のか……? いったい、何が……?」
 背後から聞こえた声に、咲希がゆっくりと振り向いた。そこには茫然とした表情を浮かべた将成の姿があった。
「将成……」
「咲希……君はいったい……?」
 将成の言葉で、一部始終を見られていたことに咲希は気づいた。だが、何をどこから説明してよいのか、そもそも話してよいことなのか分からなかった。

「将成……あたし……」
 言葉が見つからずに言いよどむ咲希を見つめると、将成は着ていたメッシュタイプのライディングジャケットを脱いだ。そして、咲希に近づくと顔を逸らしながらジャケットを肩にかけた。
「将成……?」
 その行動の意味が分からず、咲希が将成の顔を見つめた。何故か、将成は顔を赤らめて咲希の方を見ようとしなかった。

「着ていろ……。見るつもりはなかったんだけど、つい……」
「えッ……?」
 将成の言葉を聞いて、咲希は自分の格好を見た。咲耶が鬼の攻撃を受けたときに、ブラウスは左肩から破れ、ブラジャーの肩紐は切れてカップが垂れ落ちていた。つまり、露出した左乳房を、将成に見られていたのだ。

「きゃぁあッ……!」
 真っ赤に顔を染めて悲鳴を上げると、咲希は慌ててバイクジャケットの前を重ねて胸を隠した。そして、ジト目で将成を睨むと、恥ずかしそうに文句を言った。
「知っていたなら、早く教えてッ……!」
「わ、悪い……見ようと思って見たわけじゃ……その、つい眼が……」
 ドギマギと慌てる将成の姿を見て、咲希は思わず吹き出した。その咲希の態度に安心して、将成も笑顔を見せた。

「それにしても、ここはどこなんだ……? それに、あの鬼はいったい……?」
「後で説明するから、取りあえずここから出ましょう……」
 咲希自身も色々なことが一気に起こりすぎて、まだ気持ちの整理が追いついていなかった。
「でも、どうやって……?」
「たぶん、こうすれば出られるはずよ……」
 そう告げると、咲希は右手に持った<咲耶刀>を頭上に高く掲げた。

「……! その刀は、いったい……?」
 美しく白銀に輝く<咲耶刀>を見つめながら、将成が驚きに眼を見開いた。それを無視して、咲耶は心の中で祈った。
天照皇大御神アマテラスおおみかみさま……。妖魔おには倒しました。だから、咲耶が作ったこの結界を閉じて、あたしたちを元の世界に戻してください……)
 祝詞のりとなど知らない咲希だが、咲耶が天照皇大御神に祈っていたことだけは分かった。だから、再び精神を統一しながら神気を集めて、自分の言葉・・・・・で天照皇大御神への祈りを捧げた。

 その祈りに答えるかのように、周囲の神気を集めて<咲耶刀>が輝きだした。その光が急激に濃密さを増すと、直視できないほどの閃光が無数の奔流となって放たれた。その奔流が光の乱舞となって結界内に広がっていき、周囲が急速に暗くなっていった。
 次の瞬間、パリンッという音色が響き渡り、結界が完全に消滅した。月明かりに照らされる赤塚公園の遊歩道に、自分たちが立っていることに咲希は気づいた。

「……ッ! な、何なんだ、いったいッ……? 咲希、何をしたんだ……?」
 めまぐるしく変わる状況が理解できずに、将成が混乱しながら咲希に訊ねた。
「ごめん、将成……。さすがに疲れちゃった……。悪いけど、説明は今度にさせて……」
 生まれて初めて神気を使い、強大な鬼を倒したのだ。現実世界に戻った途端、咲希は急激に疲れを感じてグッタリと将成に寄りかかった。

「大丈夫か、咲希……! 歩けるか……?」
「うん……。少し肩を貸してくれれば、何とか……」
 心配そうに体を支えてきた将成に、咲希はニッコリと微笑みを浮かべた。
「公園の前にバイクが置いてある。家まで送っていくよ……」
「うん、ありがとう……」
 将成に体を預けながら頷くと、咲希はゆっくりと赤塚公園を後にした。そして、出口で一度立ち止まり、公園の中を見つめた。

(咲耶……。絶対に戻ってきなさいよ。元気になって帰ってこないと、プリン奢ってあげないからね!)
 咲耶との再会まで、プリン断ちすることを咲希は心に誓った。


「板橋区高島平の赤塚公園内で発生したSA係数の計測が終わったぞ……」
 端末のキーボードから手を離すと、モニターに映し出された数値を見据えながら国城大和くにしろやまとが厳しい表情で告げた。
 短く刈り上げた濃茶色の髪に、角張った輪郭をした彫りが深い容貌の男だった。百八十二センチの堂々たる体躯と相まって、見るからに質実剛健で精悍な男だった。
 年齢は二十六歳。外見に似合わずコンピューターの扱いが得意で、普段はデイトレーダーをしていた。

「どうだったの、結果は……?」
 ややハスキーで、ゾクッとするような色気のあるメゾアルトの声が訊ねた。ウエーブがかかった亜麻色の髪を肩まで伸ばしている絶世の美女だった。彼女の横に並んだら、ファッションモデルやスクリーン女優でさえ見劣りするのは間違いなかった。
 色白で小さめの顔の中には、完璧とも言える造形の高い鼻梁と切れ長で美しい眼があった。瞳の色は少しブラウンがかった黒で、深い知性と生命力の煌めきを放っていた。百七十センチと女性としては長身だが、豊かで起伏に富んだプロポーションが見る者の視線を釘付けにした。年齢は大和より一つ上の二十六歳だった。

「とんでもねえぞ、色葉いろは……。何かの間違いかと思って、三度も計算し直した……」
「前置きはいいから、早く言いなさいよ、大和。すぐにもったいつけるのは、あなたの悪い癖よ……」
 天城あまぎ色葉が冷たい視線で大和を見つめながら告げた。だが、今の大和には色葉の気持ちを忖度そんたくしている余裕はなかった。かつてないほど興奮した口調で、大和が叫んだ。

「驚くなよ……! SA係数九九九だッ!」
「何馬鹿なこと言ってるのよ? そんな数値、出るわけないでしょ?」
 ハアッと疲れたようにため息を付くと、色葉が呆れた口調で言った。そして、自分の端末のモニターに視線を戻して、キーボードを叩こうとした指をふと止めた。
(三回計算し直したって言ったわよね? まさか……そんな……? 本当にSA係数九九九だって言うの?)
 美しい黒茶色の瞳を驚愕に大きく見開くと、色葉は大和の方を振り返った。その視線の先には、ニヤリと笑みを浮かべた大和が得意げな表情を浮かべていた。

 SA係数とは、神社本庁の特殊機関である神社幻影隊|《シュライン・アペックス・ファントム》……通称、S.A.P.が採用している精神評価サイコ・アプレイザル係数のことである。その頭文字を取ってSA係数と呼ばれ、一般的には百前後が平均値だ。
 この係数が高いほど精神感応力が高く、特殊能力が開花しやすいと言われている。だが、特殊能力と言っても人より危険を察知しやすいとか、勘が鋭いとか言ったレベルに過ぎないものが多かった。

 そして、神社幻影隊|《S.A.P.》はSA係数百五十以上の人間のみを集め、能力開花のための専用プログラムを有していた。一年間に及ぶ研修を経てS.A.P.に正式配属される頃には、普通の人間にはない特殊能力や技能を開花させた者も少なくなかった。
 色葉と大和はその数少ないエリート隊員であり、SA係数は色葉が三七五、大和が二九三であった。これは約五十人いるS.A.P.の中でも、紛れもなくツートップを誇っていた。

 だが、大和が告げたSA係数九九九というのは、S.A.P.が保有するSA測定器メジャーメントで計測可能な上限値であった。つまり、大和の計測結果を信じるのであれば、赤塚公園で測定されたSA係数は、九九九以上ということだった。

「間違いないの、大和……?」
 問い質す色葉の声が、普段以上にハスキーに掠れた。
「三度計算し直したって言ったろう? 信じられねえけど、事実だ」
「すぐに確認するわよッ! 一番近くにいる隊員を現場に向かわせてッ!」
 椅子を蹴るように席を立つと、色葉が興奮した声で叫んだ。

「最初に計測を終えたときに、すぐにドローンを飛ばした。そろそろ映像が入る頃だ。メインモニターに投影するから見ていろ……」
 そう告げると、大和は再び端末に向かってキーボードを叩き始めた。

 神社幻影隊|《S.A.P.》のある神社本庁は東京都渋谷区代々木にある。ここから板橋区高島平までの直線距離はおよそ十三キロだ。最大速度時速八十キロのドローンであれば、約十分で赤塚公園に到着する。
 色葉はシートの肘掛けを握り締めながら、ドローンが投影する映像を見つめた。

「この子たちが……?」
 ドローンが高度を落として、赤塚公園入口の映像を映し出した。そこには、まだ高校生くらいの若い男女の顔が映っていた。
 男の方は短めの黒髪をワイルド・アップバンクにしている整った容貌をした青年だった。いわゆる、イケメンだ。そして、女の子は色葉がかつて見たこともないほどの美少女だった。

 長い漆黒の髪を背中まで伸ばし、肌の色は透き通るような白色で陶磁のように滑らかだった。くっきりとした二重まぶたの眼は切れ長で、その瞳は黒曜石のような輝きを放っていた。細く高い鼻梁に続いて、プックリとした愛らしい唇は艶やかな淡紅色だった。
 映画のワンシーンを彩るようなイケメンと美少女の組み合わせに、色葉は驚きのあまり言葉を失った。

(こんな美少女が、SA係数九九九を叩き出したの……?)
 美少女はかなり疲れた様子で、イケメンに支えながら頼りない足どりでゆっくりと歩いていた。その様子から、精神感応力を使ったのは美少女の方だと色葉は推測した。
「あの少女の住所を確認したら、マイナンバーカードからできる限りの情報を取り出してッ! 学校、成績、部活、趣味、交友関係から銀行口座まで、今までの学歴や事件性なども含めたありとあらゆる情報よッ!」
「分かっているッ……!」

 イケメンが美少女をピリオンシートに乗せて、バイクを発進させた。赤塚公園沿いの都道446号線を南下し、すぐに右折した。そして、赤塚公園から三分ほど走った住宅街に入ると、バイクを停めて美少女をシートから下ろした。ヘルメットをイケメンに押し返しながら、美少女が文句を言っているよう見えたが、ドローンのマイクの集音力では聞き取れなかった。
 美少女がイケメンに手を振ると、木造二階建ての家に入っていった。そこが美少女の自宅のようだった。表札には、『神守かみもり』と書かれていた。
 イケメンは美少女が家の中に入ったのを確認すると、ヘルメットを被り直してバイクで走り去っていった。

「検索できたぞ……。彼女は神守咲希かみもりさき、十六歳。成城にある私立聖光学院高等学校の二年生だ。女子剣道部に所属していて、先月のインターハイで女子個人戦準優勝をしている……」
「インターハイ準優勝……?」
 大和が告げた報告を聞いて、色葉は意外に感じた。大人しそうな雰囲気とは異なり、剣道の実力もなかなかであることに驚いたのだ。

「学校の成績は中の上、いや、上の下ってところかな? 一緒にいた男は、同じ高校の三年で男子剣道部主将の桐生将成きりゅうしょうせいだ。二人が恋人同士かどうかまでは、まだ分からない……」
「まあ、この時間まで二人きりなら、付き合っていると思って間違いないわね」
 普通であれば、夜の公園でいかがわしいことをしていたのではと邪推するところだが、SA係数最高値を叩き出した事実の前ではどうでもいいことだった。

「他の情報はメールで送っておいて。後で確認するわ。それと、スケジュールを調整して、できるだけ近いうちに神守咲希とコンタクトを取ってくる。あれほどの逸材を逃がす手はないわッ!」
 神社幻影隊|《S.A.P.》のリーダーとして、SA係数九九九の少女をスカウトしない理由など色葉にはなかった。まして、高校生のうちに青田買いをすれば、契約料も安く済むはずだった。

(神守咲希……。絶対に神社幻影隊|《S.A.P.》に入れてやるから、首を洗って待ってなさいッ!)
 だが、色葉も大和も大きな勘違いをしていることに気づかなかった。SA測定器メジャーメントがSA係数九九九という数値を測定したのは、咲耶が赤塚公園に結界を張った瞬間だったのだ。
 現在の咲希のSA係数は、まだ未知数だったのである。
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主人公ーヒルフェは、唯一の家族である祖母を失くした。 彼女の葬式の真っ只中で、蒸発した両親の借金を取り立てに来た男に連れ去られてしまい、齢五歳で奴隷と成り果てる。 それから彼は、十年も劣悪な環境で働かされた。 だが、ある日に突然、そんな地獄から解放され、一度も会った事もなかった祖父のもとに引き取られていく。 その身には、奇妙なスキル【疲れ知らず】を宿して。

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