今を春べと咲くや此の花 ~ 咲耶演武伝 ~

椎名 将也

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序章

8.女神の血筋

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『何じゃ、この人の多さはッ……?』
 渋谷駅ハチ公前広場に到着すると、咲耶が驚愕の声を上げた。
 土曜日の午後一時前ということもあり、待ち合わせをする若い男女やグループで広場はごった返していた。

(土曜なんだから、これくらい普通よ……)
『普通じゃと……? 信じられぬ人の数ではないか? いったい、ここだけで何百人いるのじゃ?』
 咲耶がいた神代じんだいとは、そもそも人口そのものが違うのだろう。初めて眼にする喧噪に、咲耶は茫然とした表情を浮かべていた。

『ハチ公というのは、どこにいるのじゃ?』
(あそこの犬の銅像がハチ公よ。でも、待ち合わせは、ハチ公前の『青ガエル』よ)
『青蛙? こんな人混みに蛙がおるのか? 踏み潰されてしまうではないか?』
 咲希の言葉に、咲耶が驚いた口調で訊ねた。

(何言ってるのよ? 本物の蛙のはずないでしょ。あそこの緑の電車が『青ガエル』よ)
『電車というのは、さっきの乗り物か? でも、あれは動いておらぬではないか?』
 咲耶の言葉に、咲希は思わず吹き出しそうになった。
(あれは使わなくなった車輛を改造して、観光案内所にしてあるのよ。いいから、行くわよ)
 まだ何か言いたそうな咲耶を無視して、咲希は待ち合わせ場所である『青ガエル』に向かった。


「お待たせしました、桐生きりゅう先輩……」
「俺も今来たところだよ。お、今日はずいぶんと印象が違うな……。よく似合っているぞ、神守かみもり
 ワイルド・アップバンクにした黒髪と同じ色の瞳に、優しい眼差しを浮かべながら桐生が微笑んだ。その端正な容貌に思わず見蕩れながら、咲希がカアッと顔を赤く染めて告げた。
「あ、ありがとうございます……。先輩も素敵です……」

 今朝は朝六時に目覚ましをかけて、まだ寝ぼけている咲耶を叩き起こして入れ替わった。そして、シャワーを浴びて髪型を整え、一時間以上もかけてメイクを施したのである。
 その後でクローゼットの服を取っ替え引っ替え引っ張り出し、鏡の前でファッションショーを展開したのだった。フェミコン系のベージュのワンピースに決めて準備を整え終えた頃には、十一時を過ぎていた。今もベッドの上には脱ぎ捨てた洋服が散乱していることは、言うまでもなかった。

 咲希の自宅がある高島平から渋谷までは、都営三田線とJR山手線を使って約四十五分かかる。ドア・トゥー・ドアでは、およそ一時間だった。待ち合わせは午後一時なので、余裕を見て十一時四十五分には家を出たいところだ。
 だが、昨夜買っておいたおにぎり二つをペットボトルのお茶で流し込み、口紅を引き終わった時には十一時五十分になっていた。咲希は鞄を手早く掴むと、飛び出すように家を後にした。

「西条先輩と凪紗なぎさはまだ来てないんですか?」
「まだみたいだな。西条が約束の時間に遅れるなんて、珍しいな……」
 桐生がそう告げた時、二人のスマートフォンがほぼ同時に鳴った。咲希は鞄からスマホを取り出すと、LINEを見て驚愕した。

『ごめん、急にいけなくなっちゃった。西条先輩も用事ができたらしいから、二人で楽しんできて……』
 文末に付けられたハートマークを見て、咲希は凪紗にめられたことに気づいた。恐らく西条と凪紗は結託して、咲希と桐生を二人きりにしたに違いなかった。

「参ったな……。西条の奴、ドタキャンだって……」
「こっちもです。凪紗が用事で来られなくなったみたいです……」
 咲希がそう告げると、桐生は左手で頭をポリポリと掻きながら困ったように告げた。
「やられたな……。悪い、神守……。たぶん、あいつらグルだ……」

「そうみたいですね……。どうしますか……?」
 今日は中止にして帰ろうと言われるかと思い、緊張しながら咲希が訊ねた。急に騒ぎ出した心臓の鼓動が、やけにうるさく聞こえた。
「俺と二人きりでもいいか?」
「……はい」
 桐生の言葉にホッとすると同時に、二人だけのデートになったことを意識して、咲希はカアーと顔を赤らめながら頷いた。

『ほれ、そこで腕でも組んでやらぬか?』
 完全に存在を忘れていた咲耶が、ニヤニヤしながらアドバイスしてきた。
(う、うるさい……! そんなこと、できるわけないでしょ! それより、建御雷神タケミカヅチはいたの?)
此奴こやつが建御雷神の守護を受けていることは間違いない。じゃが、思ったより守護の力が弱いから、建御雷神自身は近くにおらぬようじゃ』
(そう、よかった……。でも、大人しくしていてよね?)

「どうした、ボーッとして……? もし、二人で出かけるのが嫌なら、中止するか?」
 突然告げられた桐生の言葉に、咲希は慌てて答えた。
「い、いえ……。桐生先輩と二人だなんて、凄く嬉しいです!」
「え……?」
 驚いた桐生の顔を見て、咲希は自分が何を口走ったのかに気づいた。

「ち、違うんです……じゃなくて……その……。え、映画って、何を見るんですか?」
 耳まで真っ赤に染まりながら、咲希はしどろもどろになって誤魔化した。
「ああ……。アクション、ホラー、ラブストーリー、アニメ……。神守は何が好き?」
「ア、アクションです……」
 桐生と二人でラブストーリーなんて観たら、心臓が持たないと思って咲希が答えた。

「神守らしいな……。俺もアクション、好きなんだ。今、リバイバルだけど面白いのやっているぞ。それでいいかな?」
「はい。何て言う映画ですか?」
「ダイハードってシリーズだ。知ってる?」
「いえ、初めて聞きました」
 桐生がうまく話を逸らしてくれたことに感謝しつつも、咲希は少し複雑な気持ちになった。

(思わず告白したみたいになっちゃったけど、上手くはぐらかされたのかな?)
『まだ分からぬではないか。映画というのは暗闇で観るものじゃろう? 手でも握って様子を見るのじゃ?』
 独り言のつもりが咲耶に聞かれていたことを知り、咲希は驚いて訊ねた。
(あたしの考えって、全部咲耶に筒抜けなの?)

『当然じゃ。同じ体の中にいるのじゃからな。よからぬことは考えぬ方がよいぞ』
 咲耶が楽しそうに笑いながら告げた。
(プライバシーないじゃないの!)
『プライバシー……? 一人の時間ということか? そんなもの、あるはずなかろう』
 咲耶の言葉に、咲希は小さくため息を付いた。

「じゃあ、行こうか?」
「はいッ!」
 微笑みながら告げた桐生に、咲耶も慌てて笑顔で答えた。
『映画じゃ、映画ッ……! 楽しみじゃなあ! 建御雷神もおらぬようじゃし、今日は全面的に協力してやろうぞ! の言うとおりにするがよい!』
(うるさい! 邪魔しないで、大人しくしててよね!)

 思いもかけず憧れの桐生と二人で出かける嬉しさを、神に感謝しようと思って慌てて止めた。
 咲希の神は、爆弾さくやだったのである。


 道玄坂にあるリバイバル・シアターは、昔のヒット作品を最新技術でリメイクして上映する最先端の体験型4DXシアターだった。
 前後左右や上下に動くモーションシートに座ると、映画のシーンに合わせて様々なスペシャルエフェクトが再現されるのだ。光、風、香りだけでなく、雨、煙、霧や雪、嵐、熱風などが沸き起こり、自分がその場にいるかのような臨場感を体験することができた。

『何じゃ、これはぁあッ……! 本当に血が舞い散ってるではないかぁあッ……!』
(凄いねッ……! ホントに吹雪の中にいるみたいッ! 火薬や血の臭いまでするなんて、こんな映画初めてッ……!)
 爆発が起これば熱い爆風が襲いかかり、雪の中では実際に冷たいミストが降り注ぐのだった。大地の揺れや衝撃に連動してシートが動き、バイブレーションによって体が震動した。
 これまでとは次元の違う映画体験に咲希は驚愕し、咲耶は興奮しっぱなしであった。

 ストーリーがクライマックスを迎えて映画が終了してからも、桐生から声をかけられるまで咲希は茫然としてシートから動けなかった。
「楽しめたみたいだな。立てるかい?」
「は、はい……」
 差し出された手を握って席を立つと、桐生は咲希の右手を握り締めたまま映画館の中を移動した。

(手……握られたままだ……)
『なかなかやるではないか? 此奴こやつ女子おなごの扱いに慣れておるようじゃのう……』
 ニヤリと笑いを浮かべながら告げた咲耶の言葉に、咲希の心臓はドキンッと跳ね上がった。
(そんなこと……ないわよ……。確かに、桐生先輩はモテるけど……)
『よいではないか? 最初はじめては、経験豊富な相手の方がよいぞ』
(へ、変なこと言わないでッ……!)
 ニヤニヤと笑みを浮かべる咲耶に、咲希は真っ赤になりながら叫んだ。

 リバイバル・シアターが入っている建物の八階にある喫茶店に入った頃には、午後四時を回っていた。桐生と向かい合わせに窓際の席に座ると、咲希はモンブランとダージリンティのセットを注文した。桐生はアップルパイとコーヒーのセットだった。
 席に座るまでずっと手を離してもらえず、咲希の心臓はドキドキと早鐘が鳴り続けていた。

「え、映画、すっごく面白かったです。あんな体験、初めてでした」
 緊張に耐えきれず、咲希が舌を噛みそうになりながら話題を振った。
「4DXがあんなに凄いなんて、俺も知らなかったよ。咲希が楽しめたならよかった……」
「え……?」
 初めてファーストネームを呼ばれたことに気づき、咲希が驚いて桐生の顔を見つめた。

「あ……悪い。つい……」
「いえ……。咲希で構いません、桐生先輩」
 カアッと顔を赤らめると、恥ずかしそうに咲希が小声で告げた。
「そうか、じゃあそう呼ばせてもらうよ、咲希。俺のことも将成しょうせいでいいぞ」
「そんな……?」
 まさかファーストネームを呼べと言われるとは思いもせず、咲希は驚きに黒曜石の瞳を見開いた。

「ほら、呼んでみて……」
 ニッコリと笑顔を浮かべながら、楽しそうに桐生が告げた。
「し、将成……さん……」
「だめだめ……。さんはいらないよ。将成だ。もう一回……」
「将……成……」
 消え入りそうなほどの小さな声で将成の名を告げると、咲希は恥ずかしさと緊張のあまり耳まで真っ赤に染まった。

「うん、悪くないな。もう一回、呼んで……」
「し、将成……。もしかして、あたしで遊んでませんか?」
 揶揄からかわれているように感じて、顔を真っ赤にしながら咲希が文句を言った。
「そんなことないよ。名前を呼び合うと、親近感が増すだろう、咲希?」
「そ、そうですけど……。桐生先……し、将成は誰にでもこうやって、名前を呼ばせるんですか?」
 女慣れしていると告げた咲耶の言葉を思い出して、不安に思いながら咲希が訊ねた。

「お袋と姉貴以外で将成って呼ぶ女は、咲希が初めてだよ」
「そ、それって……」
 どういう意味かと聞こうとしたとき、店員が注文したケーキセットを持ってきた。ドキドキと鳴り響く鼓動が将成に聞こえないかと、咲希は心配になった。

『うぉおおッ……! ケーキではないかッ!』
 突然、すべてのムードをぶち壊すような叫び声が脳裏に響き渡った。その元凶に向かって、咲希は思わず怒鳴った。
(ちょっと、何、しゃしゃり出て来るのよッ! 少しは空気読みなさいよッ!)
『何を言っておる! お前たちのおままごと・・・・・よりも、ケーキの方が大事ではないかッ! 早く入れ替わるのじゃ、咲希ッ!』
 将成とのやり取りをおままごと呼ばわりされ、咲希はカチンと頭に来た。

(ふざけないでよッ! 今日一日はあたしでいる約束でしょッ! それにあんたは昨日、ケーキとプリンを食べたじゃない! 今日はあたしの番よッ!)
 そう告げると、咲希はフォークを手に取ってモンブランに突き刺した。そして、骨付き肉でも食べるようにかじり付き、あっという間に完食した。

『あぁああッ……! のケーキをッ……!』
 絶望の悲鳴を上げながら、咲耶がガックリと項垂うなだれた。
(ふんッ! 人の恋路を邪魔するからよッ! もう、引っ込んでなさいッ!)
 勝ち誇ったように告げた瞬間、咲耶は視線を感じてハッと顔を上げた。そこには、茫然とした表情を浮かべている将成の姿があった。

「あ……あの、これは……」
 大口を開けてモンブランをむさぼった姿を見られていたことに気づき、咲耶はしどろもどろになって言い訳を探した。
「あっはっははッ……! 気持ちいい食べっぷりだな! 嫌いじゃないぞ、そういうのは……!」
 腹を抱えて笑い出した将成に、咲希は全身真っ赤になって俯いた。

「アップルパイも食べるか、咲希?」
「い、いえ……。もう十分です……」
 穴があったら入りたい心境で、咲希が顔を伏せた。
「俺も子供の頃、姉貴とよくおやつの取り合いをしたんだ。早く食べないと姉貴に取られるから、口の中に詰め込んでよく喉を詰まらせたよ」
「そ、そうなんですか? 将成って、しっかりして大人っぽいから、全然そういう風に見えないです……」
 将成の意外な面を聞いて、咲希は親近感を覚えた。それ以上に自分の失敗を上手くフォローしてくれる将成に、改めて好感を抱いた。

「そんなことないぞ。よく抜けているって、いつも西条には笑われるんだ。この間も、剣道の練習で何か違和感があると思ったら、西条の竹刀を使ってたし……」
「竹刀を間違えたんですか? そんな人、初めて聞きました!」
 将成の言葉に驚いて、咲希が思わず叫んだ。

 剣道において、竹刀は最も重要と言われている武具だ。刀は武士の魂というが、剣道においてもそれは同様だった。よって、どんな状況でも試合中に竹刀を落とすと反則が取られる。
 咲希も竹刀にはこだわりを持っており、『艶舞』という真竹まだけ古刀の竹刀しか使っていなかった。

「も、もちろん、素振りをしてすぐに気づいたぞ……。だから、そんなに大ごとにはならなかった……」
 咲希の指摘に慌てながら、将成が弁解した。その様子を見て、咲希は楽しそうに微笑んだ。
(意外と可愛いところがあるんだ……。何か、親近感が湧いちゃったな……)
「将成って凄く完璧な人だと思ってたから、それを聞いて何か身近に感じちゃいました」
「そうか……? でも、それって、褒めてなくないか?」
「さあ……、どうでしょう?」
 二人は顔を見合わせて笑い合った。


 喫茶店を出ると夕食にはまだ時間があったため、二人はセンター街にあるゲームセンターに入った。そこは三階建てで、一階がUFOキャッチャーを中心とした様々なクレーンゲーム、二階は対戦型のアーケードゲームが置いてあり、三階は抽選型や競馬のメタルゲームが多数あった。

 見かけによらず将成はクレーンゲームが得意で、アニメのマスコットやお菓子、ぬいぐるみなどを七個もゲットした。そして、咲希に好きな物を一つ選ばせると、荷物になるからと言って残りを親子連れの小さな女の子にプレゼントした。その様子を微笑ましく見つめながら、咲希は選んだアニメのマスコットを大切にカバンの中にしまった。その男の子のマスコットは、どことなく将成に似ていた。

 逆に二階にある対戦型ゲームは咲希の圧勝だった。格闘ゲーム、カーレース、太鼓の達人など、咲希に一度も勝てない将成は本気で悔しがった。最後のシューティングゲームで咲希が手加減して勝ちを譲ると、将成はガッツボーズを決めて子供のように喜んだ。
 普段の落ち着いた雰囲気の裏に、負けん気と純粋さが隠されていることを知って、咲希は将成との距離が近くなったように感じた。

 最初のうち咲耶はニヤニヤとしながら咲希を揶揄からかっていたが、いつの間にか大人しくなっていた。どうやら飽きて寝てしまったようだった。久しぶりに咲耶に邪魔されず、咲希は心から将成とのデートを楽しんだ。

 ゲームセンターを出たのは午後六時を回っていた。一時間以上も遊んでいたことに気づき、咲希は時計を観て驚いた。
「何かあっという間に時間が経ったな。そろそろ夕食にしようか? 好き嫌いはある?」
「特にないです。将成は?」
「俺はピーマンとニンジンがダメ……」
 本気で嫌そうな顔をした将成を見て、咲希は思わず吹き出した。

「あはっはッ……! 子供みたい……!」
「いいだろ、そのくらい……。そんなに笑うことないだろ……」
 照れ隠しの笑いを浮かべながら文句を言う姿を見て、咲希は自分の気持ちが大きく将成に傾いているのを実感した。

「今度、ピーマンとニンジンがたっぷりの野菜炒め作ってあげるから、残さず食べるんですよ、将成ちゃん!」
「あッ、こいつ……!」
「きゃあッ……! やだッ……! やめてぇッ!」
 将成にゴシゴシと頭を撫でられ、咲希は楽しそうに笑いながら叫んだ。

 何なんじゃ、この二人は……? 現世うつしよでは、こういうのをデートと呼ぶのか? よく分からぬのう……。

 咲耶が生暖かい視線で二人の姿を見つめていることに、咲希はまったく気づかなかった。


「うそッ……! 綺麗ッ……!」
 レストランに足を踏み入れると、大きな窓から東京の夜景が一望できた。予想もしていない美しい情景に、感激のあまり咲希は言葉を失った。
「席からはもっとよく見えるぞ。行こう、咲希……」
 茫然と立ち尽くす咲希の手を取って、将成が微笑みながらエスコートした。

 黒服の店員が案内してくれた窓際のカップルシートに腰を下ろすと、都庁を始めとする西新宿の夜景が正面に見えた。地上四十階の展望ラウンジから見下ろす絶景に、咲希は感動のあまり言葉が出てこなかった。

 将成が案内したのは、国道246号線沿いにあるセルリアンタワー東急ホテルの最上階にある展望レストランだった。夜景の見えるレストランに男性と二人で来たのは、もちろん初めての経験だった。感動と緊張で何も話せなくなった咲希に、革表紙のメニューを広げながら将成が訊ねた。

「咲希はアルコールって、飲んだことあるか?」
「お正月に、お父さんの付き合いでお屠蘇とそを少しだけ……。でも、美味しいとは思えなかったわ」
 日本酒の味などよく分からなかったというのが本音だった。
「予約したコースに、乾杯のシャンパンが入ってるんだけど、飲める? 無理そうなら、ソフトドリンクを注文するけど……」

「大丈夫です」と将成に告げながら、咲希は疑問に思った。本来、今日は凪紗と西条を含めた四人で映画を観る予定だったのだ。このようなレストランに二人の予約をしていたことが信じられなかった。
「さっき、映画が始まる前に、予約を入れたんだ。土曜だから満席かと思ったら、ちょうど一組キャンセルが出たみたいだった」
 咲希の考えを読んだように、将成が笑いながら告げた。

「そうだったの……? 凄くビックリしたんだけど……」
 夜景の感動に慣れると、咲希の脳裏に咲耶の言葉が蘇った。
此奴こやつ女子おなごの扱いに慣れておるようじゃのう……』
(将成って、まだ十八歳よね? いくらなんでも、こういうことに慣れすぎてない?)

「このお店、よく来るの……?」
「前に一度だけ、年上の女の人に連れてきてもらったことがあるんだ……」
「年上の……?」
 思わず将成の顔を見つめながら、咲希が茫然と呟いた。
(やっぱり、こういうところに一緒に来る女性ひとがいるんだ……)

 男子剣道部の主将で成績もよく、性格も明るい将成は高校でもかなりモテた。女子の中には将成のファンクラブのようなものもあるらしい。そんな将成なら彼女がいるのも当然だし、年上の女性から見たら母性本能がくすぐられるタイプかも知れないと咲希は思った。実際に将成の負けず嫌いで意外と幼い面を知って、咲希も可愛いと思ったのだ。

「なかなか綺麗な女性ひとでさ、去年の俺の誕生日に連れてきてくれたんだ……」
「そう……。よかったわね……」
 自慢げに告げる将成の態度にムッとして、咲希が短く答えた。
「どう……? 気になる?」
「何であたしが……? 別に将成が誰とどこに行こうが、あたしには関係ないでしょッ!」
 カッとしながら、咲希が思わず声を荒げた。その様子をニヤニヤと笑いながら見つめると、将成が告げた。

「姉貴……」
「えッ……?」
「だから、この店、姉貴に連れてきてもらったの……」
 将成の言葉を聞いた瞬間、咲希はカアッと顔を赤らめた。自分を嫉妬させるために、将成が仕組んだことだと気づいたのだ。そして、見事にその策略にまってしまったことが恥ずかしかった。

「安心した……?」
「し、知りませんッ!」
 耳まで真っ赤に染め上げると、将成の顔を見られずに横を向きながら咲耶が告げた。
「あはっはッ……! ごめん、咲希。ちょっと意地悪した。でも、姉貴に言われたんだ。気に入ったができたら、こういう店でちゃんとエスコートしなさいって……」
「気に入った娘って……」
 驚いて将成の顔を見つめたとき、店員が乾杯のシャンパンを持ってきた。タイミングよく目の前に置かれたシャンパンの泡を、咲希は真っ赤に染まったまま見つめた。

「じゃあ、乾杯しようか?」
「は、はい……」
 将成が掲げたシャンパングラスに合わせて、咲希が自分のグラスを持った。
「遅くなったけど、インターハイ個人戦準優勝おめでとう! 乾杯ッ!」
「あ、ありがとう……ございます……」
 ニッコリと笑顔を浮かべながら、将成がシャンパングラスをぶつけてきた。カチンッと澄んだ音色が店内に響き渡った。テーブルに置かれたキャンドルの炎を映して、琥珀色の泡が幻想的に揺れた。

「それから、これ……。準優勝のお祝い……」
 バッグからリボンのかけられた正方形の箱を取り出すと、将成が咲希の目の前に置いた。
「え……? いいんですか?」
 驚きのあまり茫然と顔を見つめてきた咲希に、将成は微笑みながら頷いた。
「もちろん……。開けてみて……」
「はい……。ありがとうございます……」
 長い漆黒の髪を揺らしながら礼を言うと、咲希は震える手でリボンを解き始めた。

 純白の包装紙を開くと、中から真紅の箱が姿を現した。ゆっくりとその箱を開けた瞬間、咲希は思わず将成の顔を見つめた。
「これって……」
「咲希に似合いそうだなと思って……。よかったら、付けてみて……」
 細いゴールドのチェーンの先端には、室内の照明を反射して美しい輝きを放つダイヤモンドと一緒に、ホワイトゴールド、イエローゴールド、ピンクゴールドの三連リングがあった。通称、トリニティ・ネックレスと呼ばれるタイプだ。その燦然さんぜんたる光輝に、咲希は思わず魅入った。

「こんな高価な物……本当にいいんですか?」
「そんなに恐縮するほどじゃないから、気軽に付けていいよ」
 咲希を安心させるように、将成が笑いながら告げた。だが、それが嘘であることは、咲希にも分かった。ネックレスの包装紙や箱には、カルティエのロゴが刻まれていたのだ。正確な値段は分からないが、咲希の一年分のお小遣いくらいはしそうだった。

 両手で長い黒髪をまとめると、咲希は右胸に流した。そして、ネックレスを手に取って白いうなじに廻すと、引き輪にリングを取り付けた。そして、胸元のトリニティ・リングとダイヤの位置を確認すると、髪を戻して将成の方を恥ずかしそうに振り向いた。
「どうですか……?」
「うん。よく似合ってる。できれば、いつも付けていて欲しいな……」
 カアッと赤くなって思わず頷きそうになったが、咲希は慌てて首を振った。

「む、無理です! こんな高価な物、学校にしていけないです! まして、剣道の練習中に付けるなんて、もったいなさ過ぎます!」
「まあ、練習中は邪魔になるか……。じゃあ、練習中だけ外すとして、普段は付けていて」
 一瞬、残念そうな表情を浮かべたが、気を取り直したように将成が言った。
「そんな……付けたり外したりしたら、なくしちゃいそうですよ!」

「なくしたら、お仕置きな……!」
 咲希の抗議を笑い流すと、将成が楽しそうに告げた。
「お、お仕置きって……」
「キスでもしてもらおうかな?」
「キ、キスッ……!」
 耳まで真っ赤に染まった咲希を見て、将成がその言葉をすぐに撤回した。

「あ、それだと、なくさないとキスしてもらえないか……。別のお仕置きにしよう!」
「な、な、何を……言って……」
 爆発しそうなほど心臓をバクつかせながら、咲希が言葉を失った。
「とにかく、それってマーキングだから、付けてもらわないと意味ないだろ?」
「マ、マーキング……?」
 ニヤリと笑みを浮かべた将成に、咲希が固まりながら訊ねた。

「別の言い方をすれば、オトコよけ……。他の男が咲希に手を出さないようにってこと……」
(それって……)
 完全に思考停止した咲希の脳裏に、笑いを含む言葉が響き渡った。
『何とも……独占欲の強い男じゃな。咲希、お前は自分のものだと言っておるようじゃぞ。どうする……?』
(さ、咲耶ッ……! ど、どうするって……? どうしたらいいの……?)
 生まれて初めて男性から強引なアプローチをされた咲希は、完全にテンパっていた。

『簡単じゃ。この男のものになりたいか、なりたくないかじゃ……』
(将成のものになるって……まだ、告白もされてないのに……)
 その時、咲希と咲耶の会話を聞いていたかのように、将成が告げた。
「咲希、俺と付き合ってくれないか? これからも、咲希と一緒の時間を過ごしたい……」
「し、将成……」
 予想を遥かに超える急展開に、咲希は何が起こったのかよく分からなかった。

『告白されたぞ。どうするのじゃ?』
 ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべながら、咲耶が訊ねてきた。
(ど、どうしたらいいと思う、咲耶……?)
『はいか、いいえしかなかろう? 簡単な二択じゃ……』
(そ、そんな……)
 黙り込んだ咲希の顔を心配そうに見つめながら、将成が訊ねた。

「悪い……。困らせたみたいだな。嫌なら嫌って、はっきりと言っていいよ。咲希に彼氏ができる前にと、焦りすぎたみたいだ……」
 将成が小さくため息を付きながら、申し訳なさそうに告げた。
『ええい、うだうだと煮え切らない奴じゃのう……。此奴こやつも言っていたではないか? これからも一緒にいたいか、いたくないかじゃ。咲希は此奴と一緒にいたいのか?』
(それは一緒に……いたい……)
 咲耶の言葉で、咲希は自分の気持ちに気づいた。そして、将成の黒瞳を見つめると、満面の笑みを浮かべながら告げた。

「ありがとう、将成……。あたしでよければ、よろしくお願いします」
 咲希の答えに、将成が固まった。そして、目の前に置かれたシャンパングラスを手に取ると、一気に飲み干した。そして、全身から喜びを溢れさせると、両手で咲希の左手を取って握り締めてきた。

「滅茶苦茶、緊張したぁあ……! あのはないだろう? 絶対に断られる流れだと思った……」
「将成……」
「ありがとう、咲希ッ! こっちこそ、よろしくッ!」
 満面の笑みを浮かべると、将成が咲希の左手を握り締めながら胸の前に掲げた。

「将成……」
 将成の喜びを知って、咲希の心も嬉しさで一杯になった。握り締められた将成の左手を、咲希が右手で包んだ。
『まったく、世話の焼ける奴じゃ……。まあ、とにかく初手はこれでよいじゃろう。次が楽しみじゃ……』
(次って……?)
 咲耶の言葉の意味が分からずに、咲希が訊ねた。

『決まっておろう。次は、口づけ……。その次は、同衾じゃ……』
(く、口づけ……同衾ってッ……! そんなの、まだ……)
『口づけくらい、今宵にでもしてくるやも知れぬぞ……。その時には、拒むでないぞ』
 咲希の動揺を嘲笑うかのように、咲耶がニヤニヤと笑いながら告げた。次の瞬間、咲希は期待と不安で再び思考停止に陥った。

 その後、せっかくのコース料理の味も分からず、将成とも何を話したのかよく覚えていなかった。恋愛に関しては守護神のポンコツさを十分に引き継いでいたことを、咲希は身をもって実感した。
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