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第1章過去と前世と贖罪と

外伝・三世目の正直③

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そして翌日、不思議な気分でロディは目を覚ました。

「夢だったんだろうか…」

自分でもあのことは夢のような気がした。
そもそも幼い頃から、
話に聞かせられていた大賢者モニカが家にやってくるなんて…。
彼女の大ファンであるロディの母親が聞いたら、
地団駄を踏んで悔しがるだろう。
だが、もうあんなことは無いに決まっている。

世界中の王族とも交流を持ち、このバーン王国の英雄。
そんな人と話す機会なんて、
平凡極まりないロディの人生の中でただの一度だけだろう。

そう思っていたのだが―――。

「こんばんは」

大賢者モニカはまた次の晩も、そしてその次の晩も現れた。
そして毎回豪勢な料理を振る舞い、
そして必ずロディの話を聞きたがるのだ。

「それで明日は一緒にロディ君と出かけたいのですが」

その言葉を聞いてロディはフォークを落としかけた。

「大賢者様、それはどうしてですか?
ここのところあなたはロディの事ばかり質問していますが?」
「別に彼が特別というわけではありません。
この国の少年がどのような生活水準で育ち、
どのような人格を形成しているのか、
それも視察の一環なのです。彼が別に特別というわけではありません」

父親の問いかけに大賢者モニカはそう答える。
その言葉に父も妹も納得したようだが。
だが、そんな言葉は方便に過ぎないとロディだけが気が付いていた。

大賢者モニカは――ロディに執着しているのだ。

それがどういった理由なのか分からないが、
どうして一般庶民で、
何の特別な血も引いていないロディにこだわるんだろうか。
その理由が分からずにロディは困惑するしかなかった。

「じゃあ、よろしくお願いします……」
「それじゃあ、明日の10時にこの町の広間で待ち合わせましょう」

そしてロディには断る権利も持ち合わせていなかった。
言われるままに同意するしかなかったのである―――。



「お兄ちゃん、絶対に迷子にならないでね」

妹にそう念押しされながら、ロディはため息を吐いた。
待ち合わせ場所は家から程近い場所の昼間にある。
だから迷うことなどあるはずがない――そう思っていたのだが。

「ここどこだ…?」

気がつけば、見たことも無い入り組んだ路地の中にロディは居た。
生まれ育った町とは言え、
非常に入り組んだ構造になっているこの町は、
住み慣れた者でも迷ってしまうこともある。
方向音痴のロディでは迷うのは無理も無いが、
さすがに大賢者の約束をすっぽかすわけにはいかない。
急いで広間に向かおうと走り出した時、誰かにぶつかった。

「あ、ごめん…って、ええ!?」
「相変わらず、あなたは方向音痴ですね」

そこに立っていたのは――紛れもなく大賢者モニカ、
なのだが、普段と全く雰囲気が違う。
あの目立つ帽子はかぶっておらず、
白いフリルのついたワンピースを着ていた。
今の彼女はまるで魔法使いというよりは、普通の町娘のよう。
その美しさに一瞬だけロディは魅了される。

「あの、どうして…?」
「待ち合わせ場所で待っていたんですけど、
あなたのことだから迷っているかと思って探しに来たんです」

そうにっこりと笑いながら大賢者モニカはそう言った。

「あの、その衣装は何ですか…」
「さすがにあの格好で行くと、目立ちすぎますからね。
それに今日の私は普通の町娘です。
だから私相手に敬語使わなくてもいいですよ」

いや、無理だろとロディは思ったが、
さすがに遅刻してしまった以上、
彼女の言うことを聞かないのはダメな気がした。

「はぁ…わかったよ。大賢者様はそれでどこに行きたいんだ?」

恐る恐るそう言うと、大賢者モニカは、花が咲くように笑顔になった。

「なら、買い物に行きましょう。
それと大賢者様じゃなくて、モニカと呼んでください。
人前で大賢者と呼んだら目立ちますからね」
「わかった。じゃあモニカ…」

そう言われてそれもそうだと思ったので、
ロディは彼女のことを名前で呼んだ。
そして2人は買い物に向かうことにした。



「ふふっ、楽しいです」

その言葉に嘘偽りは無いのだろう。
誰が見ても上機嫌に見える程、大賢者モニカはロディと歩いていた。

「そんなに楽しいのか?」
「楽しいです。本当に楽しいです…」

店に並べられてある商品を眺めながら、彼女はそう言う。
あれだけ目立つ金色の瞳をしているというのに、
町の人間は誰1人それを指摘することもなかった。
そして彼女があの大賢者モニカだと、気が付く人間は居ない。
それを見て、
何か魔法のようなもので姿をごまかしているのだろうかと、ロディは察した。

「何か欲しいものありますか?
何でも買ってあげますよ」
「いやそういうのはないけど…」

こうして店で商品を見回っている彼女は、
とても史上最強魔法使いには見えない。
ただの町娘に見えた。

「あのさ…」
「ん…何ですか?」

ロディは年の割には小柄なため、大賢者モニカとは身長差がある。
そのため、会話をすると彼女を見上げる形になってしまう。

「何でもない…」

何か話したくても、何を話せばいいのやらわからなかった。
この胸を支配する焦燥感が一体何なのか言葉では説明できないのだ。
そんなことを考えていると、大賢者モニカが小さな店を指差した。

「あ、あそこのカフェ可愛いですね。あそこに行ってみましょうよ」
「……わかった」

そうして言われるままにカフェの中に入り、2人用の席に座る。

「コーヒーを1つお願いします」
「僕もコーヒーで」

ウエイトレスにそう注文をし、ロディはあることに気がつく。

「あ、お金持ってきてなかった…」
「それぐらい私が払いますよ。
楽しませてくれたんですから、これぐらいはします」

そう言われ、ロディは眉を潜めた。
そして注文のコーヒーが来た時、話を切り出した。

「モニカは何が目的なんだ?」
「目的?」
「どうして僕なんかに構うんだ?
僕じゃなくて、
他にも話したいって思ってる人は大勢居るはずなのに……」
「言ったはずでしょう。これも視察の一環なんです」
「気が付いてないのか、
あんた僕と話してる時、すごく嬉しそうな顔してる。
ただの視察でそんな顔するはずがないだろう」

そう言われ、大賢者モニカはきょとんとした顔をする。

「そんな顔してましたか?」
「してたよ」

ロディにきっぱりと言われ、はぁとため息をつく大賢者モニカ。

「私、人を探しているんです……」
「え?」
「その人は……もう居ないんですけど…探しているんです。
その人は私の原点になった人です」

それは自分に言っても良いことなのか――?
そうロディは思ったが、構わず話は続いていく。

「世間では私の事を人格者だと言います。
しかしそれは大間違いです。
私が最初に人を助けようと思ったきっかけは自分のためです。
そうしなければ自分自身が危うい状況にあったのです」

そう話す彼女の顔はどこか憂いに帯びていた。
それを見て、
自分では想像することもできない深い孤独を彼女が持っているのだと思えた。

「例えるならば、
知人の大借金を背負わされたような状況だと言えばいいでしょうか。
私本人が原因では無いのに、他人の借金を背負わされてしまったんです。
だから私はその借金を返すために、冒険者になったんです。
と言うより成らざるえなかったというか……。
そうしなければ、自分自身が酷く危うい状況にあったのです。
そしてこの能力は…全て借金を返すためにとある方から頂いたもの…。
だからこそ私は絶対に他人を殺したり、
貶めたりする行動は絶対にできないのです。
そんなことをすれば、私はすぐに死んでしまうことでしょう」

はぁ…と大賢者モニカはため息を吐いた。
借金? 頂いたもの?
その言葉はロディには理解できないことが多かったが、
なんとなく彼女は嘘をついていないということが理解できた。

「ですが私は――能力だけは桁外れでも、
冒険者になったばかりの時は、
常識的なことも、
普通の人が知っていて当たり前のことも知りませんでした。
正直言って最初は右も左もわからなくて…困っていました。
でも、そんな私を助けてくれる人が居たんです……。
そんなことをしても何の得にもならなかったのに、
あの人は私を助けてくれた……」

話している最中、悲痛な表情を彼女はずっと浮かべていた。
苦しそうに、胸の中央を握りしめ、
自分自身の悔恨を吐き出すようにロディに話す。

「その人は本当に強くて気高い人でした……。
今の私でも届きそうにないぐらいに、
強くて、優しくて、そして温かい人でした……。
でもあの人は……あの人は…っ。私のせいで死んでしまった…っ」

ロディは思わず息をのんだ。
絶大な魔力を持ち、多彩な才能持っている大賢者モニカ――。
正直恵まれていると思った。
だけどそんな彼女にまさかそんな過去があったなんて――。

「今でもあの人が死んだ時の事は夢に見ます…。
あの時の私は本当に愚かで、本当に馬鹿でした……。
まさかあの人が死ぬなんて思ってもみなかった…。
まさかまさか、
私はかばって死ぬなんて……想像にもしてなかった……っ。
後悔しても、もうどうしようもできないのはわかっています…。
ですが私はどうしても彼女に謝りたい…。
だから探しているんです…ずっとずっと……」

涙ぐみながらそう言う大賢者モニカ、
今の彼女は大賢者と言うよりは、後悔に苦しむ1人の女性のようだった。
彼女の心の深い部分を見た気がする。そしてその悔恨の念も――。
だがそれを聞いて、ロディはなんと慰めたらいいのか分からなかった。

「ごめん、僕はずっとあなたのこと誤解してた…」

そして正直に自分の心の内を話すことにした。

「僕の母さんは冒険者であなたの大ファンだった。
だからよくあなたの話を聞かせてくれたけど、
僕はあなたのことを冒険者だって理由で毛嫌いしてた」
「え? どういうことですか?」
「僕は冒険者が好きじゃないんだ。
冒険者なんて野蛮で気が短い連中だと思い込んでた。
ただ冒険者だってだけで、嫌う理由にはならないのに…」
「……ちょっと待ってください。冒険者が嫌いってどういうことです?」
「いやだって……母さんは僕のことほったらかしだし、
それに冒険者って何だか好きになれなくて…」
「嘘でしょ…」

大賢者モニカの顔が徐々に絶望に染まっていく。

「そんなことって、ここまで来て…違うなんて…」

生気を失った顔でそう呟く彼女を見て、
ロディは何か危ういものを感じた。

「どうした?」
「あ、何でもありません……。
とりあえず今日はもう帰ります。
お金をここに置いておくので、支払いを済ませておいてください」

そう言うとふらふらとした足取りで彼女は店を出ていった。

「何だったんだ一体?」

結局、どうして自分に執着するのか、その根本的な理由をロディは何も聞けなかった。



「今日は来ないみたいだね」
「そうだな」

その日の晩、来るかと思っていた大賢者モニカは来なかった。
そしていくら待っても来ないので3人で夕食をとっている。

「ひょっとしてお兄ちゃん何かやらかしたじゃないでしょうね?」
「それはそうかもしれないけど…でもただの視察ならもう役目を終えたんだろう」
「そうだけど…」

その時、玄関の方からノックする音が聞こえた。

「あ、ひょっとして大賢者様かな」
「行ってみる」

そうして、玄関の方まで行き、
扉を開くとそこに立っていたのは大賢者モニカではなく、
白いマントを羽織り、目深までフードをかぶった女だった。

「あなたは…」
「モニカなら、今日はここに来ません」

その女は確か大賢者モニカの従者の治療医だ。
前に治療してくれたことがあるので、ロディは覚えている。

「そして明日でこの町を去ります。
本当ならば本人が直接会って話をする方がいいのでしょうが、
今、モニカは人と話せる状況ではないので、
わたくしが代わりに来ました」
「あのそれって…病気ってことですか?」
「違います。まぁ病気等しい執着ですけど、病気ではありません」

意味深な言葉。はっきりしない女の発言にロディは少しイライラとした。

「相当ショックだったみたいです。
やっと探し求めていた人と出会えたと思ったら、違ったんですから…」
「それってまさか、大賢者様の原点となった人ですか?」

その言葉に女は驚いたように口を開いた。

「これは驚いた。まさかモニカがそこまで他人に話すとはねぇ…。
いいでしょう。あなたには特別に教えてあげます。
モニカが何に執着しているのか、そしてあなたとどういう関わりがあるのか」

そう言うと女は扉を開いて外に出る。

「ついて来てください。
ここではいささか、聞かれてはまずいので」

そう言われ、ロディは女と共に外に出て行った。
家の外をしばらく歩いていると、小さな墓地が見えてきた。

「ここでいいでしょう。さてさて何から話したものやら…」

女は顎に手を当ててそう言う。
フードから覗いている金色の三つ編みが月の光を反射する。

「モニカの原点となった人が死んだということを聞きましたか?」
「あ、うん。それは聞いたけど…」
「モニカはね。
冒険者になったばかりの頃は非常に不安定な性格をしていたんです」
「不安定?」
「アレのことを、
生まれつき優れた才能を持っている、
恵まれた人間と思っている輩は数多く居ますが、
実際、そんなに言う程、モニカは恵まれてはいないんです。
彼女は今でこそ恵まれているように見えますが、実際は違います。
能力の代償に故郷と母親を失い、そして酷い迫害を受けたりもした…。
そしてその能力も彼女のものではなく借り物のもの。
その命すらも現在、他者に握られている状況なのです」

女はやれやれと肩をすくめる。

「しかしそんなモニカにも、大切な人間がかつて2人居ました。
1人は牢獄に監禁され、迫害を受けていたモニカを助けようとした男。
そしてもう1人は冒険者になったばかりの彼女に優しく接した、
母親のような女。
しかしその2人共、彼女を守って死にました。
だから彼女はずっと探しているんですよ。
自分自身の後悔の原点となったたった1人の人間を」
「え、2人って言っていたのに1人なんですか?」
「生まれ変わりって知ってますか?」

唐突に女にそう言われ、ロディは何のことか一瞬わからなかった。

「その2人はね。
異なる時代と異なる環境で育ってきた男女ですが、同一人物です。
男はかつてモニカを助けるために命を落としましたですが、
また生まれ変わって彼女の前に現れたんです。
そして今度は女となり、モニカの母親の代わりとなった。
しかし出会ってわずか2か月で女はこの世を去った。
それも魔族から受けた攻撃をモニカからかばって…」
「そんなことが…」
「アレが恵まれているなんてとんでもない。
もしも能力に釣り合う代償があるのだとすれば、
モニカはこの世一番重たい代償を支払っています。
そしてその代償のために人格者にならざる得なかった。
他人を助けるために生きて、
他人のために尽くす人生を歩むしかなかったんです…。
哀れだと思いませんか?」

確かにこの話が本当であれば哀れなのかもしれない。
まさか大賢者と呼ばれる彼女がそのような過去を持っていたなんて――。

「そう。だからこそ彼女は求めているんです。
どうしても会って謝罪したい人。
自分のせいで死んでしまった人の生まれ変わりにね。
だからあなたがそれだと思ったんです」
「僕が…?」
「ええ、といっても違いましたけどね。
人違いだったんですよ。残念ながら」

女はやれやれと肩をすくめる。

「まぁ人違いぐらい誰にでもあることなので、
あなたは気にしなくて結構です。
それにこれまでも、こういうことが何度もあったんですよ。
その度にモニカはとても落胆してきました。
そしてもう限界に達しつつある。
これ以上こんなことが続くようなら、彼女の精神は持たないでしょう」

そして女はロディを見る
(といってもフードで目元が隠れているので、なんとなくだが)。

「本当はあなたが生まれ変わりなら良かったんですけど…。
もういい加減諦めればいいのに……あの一途さだけはどうにもなりませんね。
さすがのわたくしも、辟易するレベルです」

はぁと女はため息を吐く。

「そもそも生まれ変わりといっても、
自分のことを覚えている保証などありません。
生まれ変わりといっても、育ってきた環境が違うのです。
形成している人格も違えば、性別だって違うかもしれません。
…全くの別人なんですよ。
そんな別人を探すなんて、砂漠の中から針一本を探すようなもの。
そもそも探す対象自体がわからないんですから、
どれだけ無謀なことかわかるでしょう?」
「なのに探し続けてるんですか?
自分の大切な人の生まれ変わりを――」
「そうです。
だからこそ…わたくしもいい加減見つかって欲しいとは思います。
この世で最も辛い苦行は、大切な人と死に別れる事。
モニカにとっての大切な人は、もうとっくの昔に死んでしまいました。
その思い出と後悔にずっと彼女は縛られ続けているのです。
それこそ地獄のように…」
「どうしたらその苦しみが消えるんですか?」

それがもし本当であれば、あまりにも辛すぎる過去だ。
どうすればその苦痛が癒えるのだろう。
どうすれば愛しい人に会えるのだろう。

「一番良い方法はすっぱり諦める事ですが、長い年月を探し続けてきたため、
最早引き返せないレベルに達しています。
今更諦めたとしても、きっとモニカは後悔するでしょうね。
そしてもう一つは可能性は極限にまで低くなりますが、
その生まれ変わりの人物を見つけること――。
ですがこれはさすがのわたくしにも見つけることができないのです。
そこまでの力をわたくしは持っていません」

そう言うと女は空を見上げる。空には綺麗な満月が輝いていた。
だがこんな話を聞かされた後では、それがひどく悲しいものに見えた。

「一応言っておきますが、この話は誰にもしないでください。
といってもこんな話、誰も信じないとは思いますが…」
「わかった…」

そう言うと女は墓地を出て、歩いていく。
その後ろ姿を見つめながら、ロディはため息を吐いた。

「僕がその生まれ変わりだったら良かったのに…」

そんな呟きが風にかき消えた。
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