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第1章過去と前世と贖罪と
外伝・三世目の正直②
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「お見苦しいところをお見せしました」
ようやく大賢者モニカは落ち着き、ロディを解放した。
「いえいえ、お気になさらずに…。
大賢者様に来ていただけで我々は嬉しいのです」
「ありがとうございます」
町の重役にそう言われ、大賢者モニカはニッコリと笑った。
それを見てロディは少しドキっとした。
女性らしい豊満な体型をしているのに、
どこか子供っぽい雰囲気が可愛らしいと感じさせる。
このギャップは変に女らしい女より魅力的かもしれない。
「ところであなたの名前はなんですか」
「へ?」
突然、大賢者モニカに名前を聞かれ、
ロディは困惑したが、素直に答えることにした。
「ロデリック、みんなはロディって言います」
「そうですか、ではロディ君、あなたは――」
「すいませんが、大賢者様。
ここではなく、私の屋敷に移ってください。
皆も大賢者様の顔が見たいと思っているのです」
そう町の重役に言われ、
大賢者モニカは一瞬だけ不愉快そうに顔を歪めた。
それは一瞬のことで、
近くに居たロディですらも錯覚かと思うぐらいに一瞬だった。
「チッ」
そして小さな舌打ちがロディの耳に残った。
驚いて大賢者モニカの顔を見るが、
彼女はさっきのようににこやかな笑みを浮かべていた。
「彼の治療を行ってください」
大賢者モニカがそう呟くと、
さっきから後ろに控えていた彼女の従者の1人が前に進み出る。
白いマントを羽織った女だった。
目深までフードを被っているため、顔は見えないが、
フードから三つ編みにされた鮮やかな金色の髪が見えていた。
「彼女は私の専属の治療医です。
私が原因で怪我をしたようなものなので、彼女の治療を受けてください」
そう言われてロディは仰天した。
宮廷魔法使いクラスの専属の治療医ともなれば、
最早普通の医者とは次元が違う。
1回の治療代にかかる金額はそれこそ家が建つレベルだ。
重症ならともかく、ただの打撲程度で治療する必要は無い。
「そ、そんなの受けられません」
「大丈夫です。もちろんお金を取ったりはしません。
彼女の実力は私が保証しますし、安心して治療を受けてください」
「じゃあ…お願いします」
そう言われては断る理由は見当たらなかった。ロディはそれを承諾した。
「では、治療のために彼の家に向かってください。
私は町の重役と話さなければいけないことがあります」
大賢者がそう言うと従者の女は頷いた。
そしてロディはいったん家に帰り、治療を受けることにした。
◆
従者の女は家に着いて治療を行う間もずっと無言だった。
寡黙な性格なのか、それともロディに関心が無いのかもしれない。
「あの、ありがとうございます」
「少し、驚きました」
その時、唐突に従者の女が喋りだした。
フードを目深まで被っているせいで、表情はよくわからない。
「あの方があそこまで動揺するのは初めて見ました」
「大賢者様が…?」
「あの方は人前では決してあんな姿は見せません。
人の上に立つ者として、自分を律しているのでしょう。
ですがあなたに出会った瞬間、それが瞬く間に決壊しました」
「それは――何でですか?」
「それはわたくしにもよく分かりません。
ただ、そうであるとしたら……」
「えっと、何がですか?」
「それはあなたには教えられません。
まぁ知ったとしてもどうしようもできないことですけど…」
「?」
この従者の女が何を言っているのかさっぱりわからない。
だが従者の女はそれ以上答える事はなく、家を出て行った。
「何だったんだ一体…」
「あー酷い目にあった」
そう思っていると、
従者の女と入れ違いになる形で妹のポーラが入ってきた。
「あ、お兄ちゃん帰って来てたんだ。
また迷子になってるかと思ったよ」
「お前なぁ…。お前のせいで…俺は踏みつけられたんだぞ!
ちょっとは謝れ!」
「でもそのおかげで大賢者様の膝枕が堪能できたでしょう?」
「そ、それは…」
あの時の感触を思い出し、ロディは赤面する。
「それとこれとは話が違うだろ!」
「何よ。バーカ! どうせ鼻の下でも伸ばしてたんでしょ!」
「何だとっ!」
「まぁまぁ落ち着け、お前ら」
その時、現れた父親が2人をなだめる。
「ロディももう今年で12歳になるんだから落ち着きなさい」
「はいはい…」
父にそう言われて引き下がらないわけにはいかなかった。
しぶしぶ2人は喧嘩を止めると、自分の部屋に戻ることにした。
◆
それにしても――どうしていきなり泣き出しただろうか。
あの時の大賢者モニカの姿を思い出し、
ロディはため息をつきながらベットに横になった。
「てっきり、よぼよぼの婆さんかと思ったけど…」
大賢者モニカについてはロディはよく知っている。
その理由は、冒険者だったロディの母は酷く彼女に心酔し、
おとぎ話を聞かせるが如く、
彼女の武勇伝をロディにたくさん聞かせたからだ。
そもそも母が冒険者を目指すきっかけになったのは大賢者モニカの影響だ。
しかし今日見た彼女は想像していた以上に若々しく、
とても自分が生まれる前から存在していた魔法使いには見えなかった。
どう見ても20代ぐらいにしか見えない。
「謎だ…」
そもそも――大賢者モニカはその出自すらも謎に包まれている。
出身国も不明、両親も不明、過去に何をやっていたかも不明。
不明尽くしで非常に謎が多い人物なのだ。
の割には、多くの人が彼女を慕っているのは彼女自身の人徳だろう。
だが気になるのはどうして彼女が突然泣き出してしまったのか。
今思い返すと、あの号泣の仕方はおかしかった。
まるで突然大切な人に死に別れたような――、
あるいは大切な人と再会したような――。
そんな涙だった気がする。
だがロディは彼女とは初対面だ。
泣き出す理由もなく、ましてや大賢者と知り合う理由なんて――。
「まあいいか、考えてても仕方ないし」
そう思うとロディは読みかけの本を読むことにした。
それはどこにでもある冒険小説だったが、ロディのお気に入りの本だった。
女性であるにも関わらず騎士となった主人公が男社会の軋轢に苦しみながらも、
前に進んで行く話しだ。
もうすでに10回以上は読んでいるが、何度読んでも飽きない。
特にこの女騎士の気持ちは深く共感できる気がした。
そんな風に読書をしていると、いつの間にか窓の外が暗くなり始めた。
「そろそろ夕食の時間か…」
ロディがふと顔を上げた時だった。
「ろ、ロディ…」
その時、部屋のドアが開き、父親がやってきた。
「どうしたの?」
「き、来てくれ、父さんにはもう何がなんだか…」
そう言われて、しぶしぶ父親についていくと、
玄関に信じられない人物が立っていた。
「こんばんは。夜分遅くにすみません」
そこに立っていたのは紛れもなく――大賢者モニカだった。
その金色の瞳と、目を引くとんがり帽子は忘れられそうにない。
「な、なんで……」
「昼間、出会ってから気になっていたんです。
怪我は良くなりましたか?」
良くなるどころか、もうすでに跡形もなく打撲は治っている。
そもそも宮廷魔法使いの専属の治療医が治療を行ったのだ。
怪我が治らないわけがない。
つまり大賢者じきじきにここに来る必要が無いのだ。
「あ、あの、どうして…」
「実は昼間ここに来た治療医が忘れ物してしまったみたいなんです。
今日はそれを取りに来たんです」
「え? それで大賢者様が直々に…?」
「ええ、本人はどうやら長旅で気分が悪くなってしまったみたいで、
それで私が」
待て、確かうろ覚えだが大賢者モニカには他に従者が何人も居たはず。
別に本人で無くともその従者に頼めば良かったのではないのか…?
そう思ったが、本人がここに来ている以上、
それを直接指摘するわけにはいかない。
「それで…その忘れ物と言うのは…?」
「これじゃないのか?」
父親が持ってきたのは、1枚のハンカチだった。
細かい刺繍が施されており、一目で高級品だとわかった。
「ああ、それです。助かりましたよ」
大賢者モニカはハンカチを受け取ると、
それを突然、何もない空間にしまい込んだ。
「え? 今の?」
「空間術です。魔法のチカラで空間に物をしまったのです」
なるほど、話には聞いていたが大賢者モニカは本当に強い魔力を持っているのだろう。
空間術と言う希少な魔法を扱えるぐらいなのだから。
「あ、あのそれで、用は済んだんですよね?」
さすがに大賢者にこんなボロい我が家に居てもらうわけにはいかない。
ロディが遠慮がちにそう聞くと、大賢者モニカはいいえと首を振った。
「実はあなた方、町民にお聞きしたいことがあるのです。
私が今回この町に来た理由は視察のためですが、
やはり町の重役に聞いただけではわからない点も数多くあります。
実際にあなた方がどう暮らしていて、
何を求めているのか知りたいのです」
「つまり……偉い人だけじゃなくて、
平民が考えていることも知りたいってことですか?」
父親の問いかけに大賢者モニカは頷いた。
「そういうことです。
しかし私が聞いただけでは、
なかなか権力者は本心を見せてくれませんからね。
領主や重役だけでなく、その下にいる庶民の考えも聞かないと、
本当のことはわからないのです」
その言葉にロディは深い感銘を受けた。
確かにこの人は母親の言っていたように素晴らしい人だと思った。
普通ここまで庶民のことを考えて動ける人はなかなか居ない。
「わかりました。ですがどうして我が家に?」
「まあこれは忘れ物を取りに来るついでです。
迷惑でしたら、無理強いはしませんが…」
「とんでもない迷惑だなんてっ…そんなことありませんよ!」
父親の言葉に彼女はにっこりと、
子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「では協力してくれるということですね」
「は、はい…」
「あれ、どうしたのって…ええ!?」
その時、ポーラが階段から降りてきた。
「聖眼…ってその人はまさか…」
「こんばんは、お嬢さん。
私はモニカです」
「何で?え、本当に、何で?」
ポーラは困惑したようにそう叫んだ。
まさか史上最強魔法使いが我が家に来るとは想像もしていなかっただろう。
「そんなにかしこまらなくていいです。
普通の友人のように接してくれたら良いですよ」
そんなことできるはずがないだろ…とその場にいる誰もが思ったが、
口に出す者は居なかった。
「では、中に入ってください…」
さすがに玄関でずっと立ちっぱなしはよくない。
こんなことならもっと掃除しておくんだったと、
ロディは後悔したがもう遅かった。
とりあえず我が家で一番広い、
居間に来てもらったが、かなり散らかっている。
脱ぎっぱなしにした靴下やら、衣服などは手早く回収して、
大賢者モニカには椅子に座ってもらう。
「すみません。こんな我が家で」
「いえいえ、突然来た私が悪いんです」
宮廷魔法使いクラスともなると、普通の一般庶民とは立場が違う。
こんな築何十年と経つ、
ボロ家に入ることなど屈辱にも等しいことだろう。
だが不思議なことに、
大賢者モニカは端から見てもわかるぐらいに上機嫌だった。
「それに私の実家もここ程ではありませんでしたが、
かなり古かったんです。
だからこういう家はかえって安心するんです」
「え? そうなんですか?」
「そうですよ。
私は広々とした家よりも、
本当はこういう家の方が好きなんです。
ですがなかなか理解されなくて…苦労しているんですよ。
こないだなんて、小屋に住みたいと言ったら、
メイドに怒られてしまいました。
国の象徴である魔法使いが小屋に住んでいたら、
国の威信に関わるのだそうです」
確かに史上最強魔法使いで、
国の英雄でもある賢者が掘っ建て小屋に住んでいたら、
国の威信には関わるだろう。
というかそもそもメイドに怒られたって……噂以上に気安い人なのかな。
「あ、そうだ。
そろそろ夕食時でしたね。お食事はまだでしたか?」
「え? まだですけど」
「そうですか。せっかくですから、私が料理をご馳走しますよ」
「「「はぁ!?」」」
ロディを含む3人の声が見事に重なった。
「だ、大賢者様自らがですか…?」
「ああ、私、趣味は料理なんです。
ふふっ、はりきって作っちゃいますね」
そう言うと止める間もなく、大賢者モニカはキッチンの方に移動する。
「ちょっと待て下さい! そこは――」
流し台の中には洗ってない食器が散乱していた。
男2人に女1人しかいない家庭なのだ。
毎日家事をするにしても大変なので、
食器などはたまってからまとめて洗うようにはしているが、
はっきり言って部外者が見ればかなり汚いだろう。
「ああ、これはちょっとまずいですね。
ですがこの程度、私に片付けられないものではありません」
そう言うと大賢者モニカは何か呪文を唱えると、突然水の塊が宙に現れた。
そして食器がそこに吸い込まれて行き、どんどん綺麗になっていく。
「な、なにこれ?」
「食器洗浄機です。そのうちこの動きを再現した商品を販売する予定です」
ポーラの質問に大賢者モニカはそう答える。
そして時間にして1分にもたたないうちに、瞬く間に食器は綺麗になり、
綺麗に水を切られ、食器棚に勝手に陳列していく。
ちなみに大賢者モニカはその場から1歩も動いていない。
魔法だけで一連の動作をやってのけたのだ。
「さて綺麗になりましたね。
それでは料理を作りましょう」
そう言うと大賢者モニカはおそらく空間術の力によるものだろうか、
どこからか包丁を取り出す。そして次々と食材を取り出していった。
「いっ、そ、それは」
その中には高級食材として有名な食材もあった。
「ちょ、サラマンドラロブスターを丸々使うなんて…」
「あれって確実に世界3珍味の1つだよな…」
本で見たことがある食材が現実に出てきて、ロディはため息をつく。
一般庶民では味わうどころかその姿を見るすらもできない高級食材の数々を、
大賢者モニカは豪快に調理していく。
その姿に3人共、棒立ちするしかなかった。
「あ、座って待っててくれませんか。
ちょっと時間がかかるんで」
そう言われて否定する勇気は無い。
3人はすごすごと居間の方に引き返し、椅子に腰掛けて待った。
「ねぇどういうことなの?
何が起きてるの?」
「こっちの方が聞きたいよ…」
声を潜めたポーラの問いかけに、ロディは頭を抱えながらそう言った。
昼間会った時はこうなるとは思ってはいなかった。
見に行ったことを後悔しかけたその時。
「できました」
憔悴しきっている家族の前に大賢者モニカは現れた。
「ふふふ…はりきって作っちゃいました」
(早っ、まだ3分も経ってないのに…!)
ロディのそんな心の中のツッコミを無視して、
大賢者モニカがそう言うと、キッチンの方から皿に盛りつけられた料理が飛んできた。
そして次々にテーブルの上に乗っていく。
「おい…これ…」
テーブルの上に乗っているのは、茹でられた巨大エビに、
魚介類がふんだんに使われたパスタに、山の幸を豊富に使ったサラダ。
そしてニワトリの丸焼き、さながら高級ホテルのディナーのような…。
ロディのような一般市民が一生味わえないようなそんな料理ばかりだった。
「じゃあ早速食べましょうね。いただきます」
「あ、はい」
そう言われておずおずと、ナイフとフォークを手に取り、
ロディは料理に手をつけていく。
「美味しい!」
そしてその料理は驚くほどに美味しかった。
巨大エビは身が引き締まって美味しく、
そして魚介類のパスタも味が濃厚で美味しかった。
山の幸を豊富に使ったサラダも鮮度がまるで落ちていない。
鶏肉は驚く程柔らかかった。
こんな美味しい料理は今までの人生で初めて食べた。
「良かったです。お口に合ったようで」
「あの、どうしてこんなご馳走を…?」
「私は干ばつになったとしても、
国民が3年は暮らしていける程、食材を持っているんです。
空間術の力で仕舞っておけば、腐る事はありませんからね。
ですが最近、眠らせておくのも不憫かと思って、
人に振る舞うことにしているんです」
「だからこんな高級食材を持っているんですか」
父親の問いかけに、大賢者モニカは頷いた。
「そんなことより、
あなた方に聞きたいことがあるのでよろしいですか?」
そう聞かれ、一家は本来の目的を思い出した。
そうだ。これはただの善意ではないのだ。
これもれっきとした視察の一環なのだ。
気を引き締めないといけない。
「家族は何人家族ですか?」
だが予想していた質問は町のこととは何も関係がなかった。
「私と妻と娘と息子の4人家族です。
ですが妻は、冒険者でして…ここ最近は帰って来ていません」
「そうですか、それではロディ君の趣味は何です?」
やはり視察とは全く何も関係がない質問。
大賢者モニカの意図が読めず、父親は困惑したようにロディを見たが、
ロディにもどういった理由でそんなことを聞くのかわからなかった。
それからも食事の合間に数多くの質問をされた。
聞かれたのは、一家にとって答えるのも難しくは無い質問ばかり、
そしてその質問がどういうわけか――ロディに関する質問ばかりだった。
「あの…」
それにわずかばかり居心地の悪さを感じるロディだった。
さっきから痛いぐらいに家族の視線を感じる。
そしてふと顔を上げれば、大賢者モニカと必ず目が合った。
そして目が合う度に彼女はにっこりと幸せそうに笑ったのだ。
どうして何度も目が合うのだろうかと思っていたが、
考えてみればそれは当然なのだ。
――大賢者モニカはさっきからロディのことしか見ていないのだ。
そして質問もロディに関することばかり、
町の状況がどうなのか聞く事は一度も無かった。
その理由がわからなくて、ロディは困惑しっぱなしだった。
「それでロディ君は何が苦手なんですか?」
また自分に対する質問――。
けれど大賢者モニカがどうして、
自分のことを知りたがっているのか理解ができない。
そしてさっきから彼女の金色の瞳を見る度に、胸がざわつく。
どう考えても初対面なのに、なぜこんなにも胸がざわつくんだろうか。
「ああ、お兄ちゃんは重度の方向音痴なの」
「方向音痴!?」
突然大賢者モニカは立ち上がり、机に手をついた。
「あ、はい。だから生まれ育った町なのにたまに迷子になるんです」
「そうか…方向音痴…」
大賢者モニカの顔に笑顔が広がっていく。
まるで無上の喜びを体感したような、そんな喜色に満ちた笑みだった。
「だとしたらやっぱり…エ……さんで……やっと…私は…」
そしてブツブツと何かをつぶやき始めた。
「大賢者様?」
父の問いかけに我に返ったのか、大賢者モニカははっとした表情をする。
「……すみません。ちょっと考え事していたので…。
そろそろ私は帰りますね」
そう言うと彼女は椅子から立ち上がり、一家も慌てて椅子から立ち上がって、
大賢者を見送った。
「しっかし、何だったんだろう…」
ロディは腑に落ちないものを感じて、眉を潜めた。
庶民の意見を聞きたいと言っていたが、
そのことについて大賢者モニカが質問することはなかった。
もしかして本当の目的は何か別の物だったんだろうか。
「さぁ…知らないけど、料理はおいしかったから、また来てほしいわね」
ポーラの言葉にロディはため息を吐いた。
◆
そしてその夜――。
寝室で寝ていたロディは何かの物音で目を覚ました。
(まさか、泥棒――? この家に取るものなんてないのに)
そう思って薄く目を開けて、仰天した。
悲鳴をあげなかった自分を褒めてやりたい。
窓の外の月明かり――。
そこに照らされて立っていたのは帰ったはずの大賢者モニカだった。
「やっと、やっと会えた…」
まるで恋焦がれるように、まるで愛おしむように、
大賢者モニカはロディの頬に触れた。
「何度も何度も、願ってきたんです。
あなたにただ会うために――」
今にも泣きそうな表情でどうして彼女がそんなことを言うのかわからない。
ただ今、起きない方がいいと直感で悟ったロディはそのまま寝たふりを続ける。
「ごめんなさい。謝る資格なんて無いのはわかっています。
でも――私のせいであなたは二度も死んでしまった。
だからどうしても謝りたかった。ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
そんなに謝らなくていいのに、そう思ったが、
寝たふりを続けているうちに徐々に眠気がやってきて、
ロディはいつの間にか眠ってしまった。
ようやく大賢者モニカは落ち着き、ロディを解放した。
「いえいえ、お気になさらずに…。
大賢者様に来ていただけで我々は嬉しいのです」
「ありがとうございます」
町の重役にそう言われ、大賢者モニカはニッコリと笑った。
それを見てロディは少しドキっとした。
女性らしい豊満な体型をしているのに、
どこか子供っぽい雰囲気が可愛らしいと感じさせる。
このギャップは変に女らしい女より魅力的かもしれない。
「ところであなたの名前はなんですか」
「へ?」
突然、大賢者モニカに名前を聞かれ、
ロディは困惑したが、素直に答えることにした。
「ロデリック、みんなはロディって言います」
「そうですか、ではロディ君、あなたは――」
「すいませんが、大賢者様。
ここではなく、私の屋敷に移ってください。
皆も大賢者様の顔が見たいと思っているのです」
そう町の重役に言われ、
大賢者モニカは一瞬だけ不愉快そうに顔を歪めた。
それは一瞬のことで、
近くに居たロディですらも錯覚かと思うぐらいに一瞬だった。
「チッ」
そして小さな舌打ちがロディの耳に残った。
驚いて大賢者モニカの顔を見るが、
彼女はさっきのようににこやかな笑みを浮かべていた。
「彼の治療を行ってください」
大賢者モニカがそう呟くと、
さっきから後ろに控えていた彼女の従者の1人が前に進み出る。
白いマントを羽織った女だった。
目深までフードを被っているため、顔は見えないが、
フードから三つ編みにされた鮮やかな金色の髪が見えていた。
「彼女は私の専属の治療医です。
私が原因で怪我をしたようなものなので、彼女の治療を受けてください」
そう言われてロディは仰天した。
宮廷魔法使いクラスの専属の治療医ともなれば、
最早普通の医者とは次元が違う。
1回の治療代にかかる金額はそれこそ家が建つレベルだ。
重症ならともかく、ただの打撲程度で治療する必要は無い。
「そ、そんなの受けられません」
「大丈夫です。もちろんお金を取ったりはしません。
彼女の実力は私が保証しますし、安心して治療を受けてください」
「じゃあ…お願いします」
そう言われては断る理由は見当たらなかった。ロディはそれを承諾した。
「では、治療のために彼の家に向かってください。
私は町の重役と話さなければいけないことがあります」
大賢者がそう言うと従者の女は頷いた。
そしてロディはいったん家に帰り、治療を受けることにした。
◆
従者の女は家に着いて治療を行う間もずっと無言だった。
寡黙な性格なのか、それともロディに関心が無いのかもしれない。
「あの、ありがとうございます」
「少し、驚きました」
その時、唐突に従者の女が喋りだした。
フードを目深まで被っているせいで、表情はよくわからない。
「あの方があそこまで動揺するのは初めて見ました」
「大賢者様が…?」
「あの方は人前では決してあんな姿は見せません。
人の上に立つ者として、自分を律しているのでしょう。
ですがあなたに出会った瞬間、それが瞬く間に決壊しました」
「それは――何でですか?」
「それはわたくしにもよく分かりません。
ただ、そうであるとしたら……」
「えっと、何がですか?」
「それはあなたには教えられません。
まぁ知ったとしてもどうしようもできないことですけど…」
「?」
この従者の女が何を言っているのかさっぱりわからない。
だが従者の女はそれ以上答える事はなく、家を出て行った。
「何だったんだ一体…」
「あー酷い目にあった」
そう思っていると、
従者の女と入れ違いになる形で妹のポーラが入ってきた。
「あ、お兄ちゃん帰って来てたんだ。
また迷子になってるかと思ったよ」
「お前なぁ…。お前のせいで…俺は踏みつけられたんだぞ!
ちょっとは謝れ!」
「でもそのおかげで大賢者様の膝枕が堪能できたでしょう?」
「そ、それは…」
あの時の感触を思い出し、ロディは赤面する。
「それとこれとは話が違うだろ!」
「何よ。バーカ! どうせ鼻の下でも伸ばしてたんでしょ!」
「何だとっ!」
「まぁまぁ落ち着け、お前ら」
その時、現れた父親が2人をなだめる。
「ロディももう今年で12歳になるんだから落ち着きなさい」
「はいはい…」
父にそう言われて引き下がらないわけにはいかなかった。
しぶしぶ2人は喧嘩を止めると、自分の部屋に戻ることにした。
◆
それにしても――どうしていきなり泣き出しただろうか。
あの時の大賢者モニカの姿を思い出し、
ロディはため息をつきながらベットに横になった。
「てっきり、よぼよぼの婆さんかと思ったけど…」
大賢者モニカについてはロディはよく知っている。
その理由は、冒険者だったロディの母は酷く彼女に心酔し、
おとぎ話を聞かせるが如く、
彼女の武勇伝をロディにたくさん聞かせたからだ。
そもそも母が冒険者を目指すきっかけになったのは大賢者モニカの影響だ。
しかし今日見た彼女は想像していた以上に若々しく、
とても自分が生まれる前から存在していた魔法使いには見えなかった。
どう見ても20代ぐらいにしか見えない。
「謎だ…」
そもそも――大賢者モニカはその出自すらも謎に包まれている。
出身国も不明、両親も不明、過去に何をやっていたかも不明。
不明尽くしで非常に謎が多い人物なのだ。
の割には、多くの人が彼女を慕っているのは彼女自身の人徳だろう。
だが気になるのはどうして彼女が突然泣き出してしまったのか。
今思い返すと、あの号泣の仕方はおかしかった。
まるで突然大切な人に死に別れたような――、
あるいは大切な人と再会したような――。
そんな涙だった気がする。
だがロディは彼女とは初対面だ。
泣き出す理由もなく、ましてや大賢者と知り合う理由なんて――。
「まあいいか、考えてても仕方ないし」
そう思うとロディは読みかけの本を読むことにした。
それはどこにでもある冒険小説だったが、ロディのお気に入りの本だった。
女性であるにも関わらず騎士となった主人公が男社会の軋轢に苦しみながらも、
前に進んで行く話しだ。
もうすでに10回以上は読んでいるが、何度読んでも飽きない。
特にこの女騎士の気持ちは深く共感できる気がした。
そんな風に読書をしていると、いつの間にか窓の外が暗くなり始めた。
「そろそろ夕食の時間か…」
ロディがふと顔を上げた時だった。
「ろ、ロディ…」
その時、部屋のドアが開き、父親がやってきた。
「どうしたの?」
「き、来てくれ、父さんにはもう何がなんだか…」
そう言われて、しぶしぶ父親についていくと、
玄関に信じられない人物が立っていた。
「こんばんは。夜分遅くにすみません」
そこに立っていたのは紛れもなく――大賢者モニカだった。
その金色の瞳と、目を引くとんがり帽子は忘れられそうにない。
「な、なんで……」
「昼間、出会ってから気になっていたんです。
怪我は良くなりましたか?」
良くなるどころか、もうすでに跡形もなく打撲は治っている。
そもそも宮廷魔法使いの専属の治療医が治療を行ったのだ。
怪我が治らないわけがない。
つまり大賢者じきじきにここに来る必要が無いのだ。
「あ、あの、どうして…」
「実は昼間ここに来た治療医が忘れ物してしまったみたいなんです。
今日はそれを取りに来たんです」
「え? それで大賢者様が直々に…?」
「ええ、本人はどうやら長旅で気分が悪くなってしまったみたいで、
それで私が」
待て、確かうろ覚えだが大賢者モニカには他に従者が何人も居たはず。
別に本人で無くともその従者に頼めば良かったのではないのか…?
そう思ったが、本人がここに来ている以上、
それを直接指摘するわけにはいかない。
「それで…その忘れ物と言うのは…?」
「これじゃないのか?」
父親が持ってきたのは、1枚のハンカチだった。
細かい刺繍が施されており、一目で高級品だとわかった。
「ああ、それです。助かりましたよ」
大賢者モニカはハンカチを受け取ると、
それを突然、何もない空間にしまい込んだ。
「え? 今の?」
「空間術です。魔法のチカラで空間に物をしまったのです」
なるほど、話には聞いていたが大賢者モニカは本当に強い魔力を持っているのだろう。
空間術と言う希少な魔法を扱えるぐらいなのだから。
「あ、あのそれで、用は済んだんですよね?」
さすがに大賢者にこんなボロい我が家に居てもらうわけにはいかない。
ロディが遠慮がちにそう聞くと、大賢者モニカはいいえと首を振った。
「実はあなた方、町民にお聞きしたいことがあるのです。
私が今回この町に来た理由は視察のためですが、
やはり町の重役に聞いただけではわからない点も数多くあります。
実際にあなた方がどう暮らしていて、
何を求めているのか知りたいのです」
「つまり……偉い人だけじゃなくて、
平民が考えていることも知りたいってことですか?」
父親の問いかけに大賢者モニカは頷いた。
「そういうことです。
しかし私が聞いただけでは、
なかなか権力者は本心を見せてくれませんからね。
領主や重役だけでなく、その下にいる庶民の考えも聞かないと、
本当のことはわからないのです」
その言葉にロディは深い感銘を受けた。
確かにこの人は母親の言っていたように素晴らしい人だと思った。
普通ここまで庶民のことを考えて動ける人はなかなか居ない。
「わかりました。ですがどうして我が家に?」
「まあこれは忘れ物を取りに来るついでです。
迷惑でしたら、無理強いはしませんが…」
「とんでもない迷惑だなんてっ…そんなことありませんよ!」
父親の言葉に彼女はにっこりと、
子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「では協力してくれるということですね」
「は、はい…」
「あれ、どうしたのって…ええ!?」
その時、ポーラが階段から降りてきた。
「聖眼…ってその人はまさか…」
「こんばんは、お嬢さん。
私はモニカです」
「何で?え、本当に、何で?」
ポーラは困惑したようにそう叫んだ。
まさか史上最強魔法使いが我が家に来るとは想像もしていなかっただろう。
「そんなにかしこまらなくていいです。
普通の友人のように接してくれたら良いですよ」
そんなことできるはずがないだろ…とその場にいる誰もが思ったが、
口に出す者は居なかった。
「では、中に入ってください…」
さすがに玄関でずっと立ちっぱなしはよくない。
こんなことならもっと掃除しておくんだったと、
ロディは後悔したがもう遅かった。
とりあえず我が家で一番広い、
居間に来てもらったが、かなり散らかっている。
脱ぎっぱなしにした靴下やら、衣服などは手早く回収して、
大賢者モニカには椅子に座ってもらう。
「すみません。こんな我が家で」
「いえいえ、突然来た私が悪いんです」
宮廷魔法使いクラスともなると、普通の一般庶民とは立場が違う。
こんな築何十年と経つ、
ボロ家に入ることなど屈辱にも等しいことだろう。
だが不思議なことに、
大賢者モニカは端から見てもわかるぐらいに上機嫌だった。
「それに私の実家もここ程ではありませんでしたが、
かなり古かったんです。
だからこういう家はかえって安心するんです」
「え? そうなんですか?」
「そうですよ。
私は広々とした家よりも、
本当はこういう家の方が好きなんです。
ですがなかなか理解されなくて…苦労しているんですよ。
こないだなんて、小屋に住みたいと言ったら、
メイドに怒られてしまいました。
国の象徴である魔法使いが小屋に住んでいたら、
国の威信に関わるのだそうです」
確かに史上最強魔法使いで、
国の英雄でもある賢者が掘っ建て小屋に住んでいたら、
国の威信には関わるだろう。
というかそもそもメイドに怒られたって……噂以上に気安い人なのかな。
「あ、そうだ。
そろそろ夕食時でしたね。お食事はまだでしたか?」
「え? まだですけど」
「そうですか。せっかくですから、私が料理をご馳走しますよ」
「「「はぁ!?」」」
ロディを含む3人の声が見事に重なった。
「だ、大賢者様自らがですか…?」
「ああ、私、趣味は料理なんです。
ふふっ、はりきって作っちゃいますね」
そう言うと止める間もなく、大賢者モニカはキッチンの方に移動する。
「ちょっと待て下さい! そこは――」
流し台の中には洗ってない食器が散乱していた。
男2人に女1人しかいない家庭なのだ。
毎日家事をするにしても大変なので、
食器などはたまってからまとめて洗うようにはしているが、
はっきり言って部外者が見ればかなり汚いだろう。
「ああ、これはちょっとまずいですね。
ですがこの程度、私に片付けられないものではありません」
そう言うと大賢者モニカは何か呪文を唱えると、突然水の塊が宙に現れた。
そして食器がそこに吸い込まれて行き、どんどん綺麗になっていく。
「な、なにこれ?」
「食器洗浄機です。そのうちこの動きを再現した商品を販売する予定です」
ポーラの質問に大賢者モニカはそう答える。
そして時間にして1分にもたたないうちに、瞬く間に食器は綺麗になり、
綺麗に水を切られ、食器棚に勝手に陳列していく。
ちなみに大賢者モニカはその場から1歩も動いていない。
魔法だけで一連の動作をやってのけたのだ。
「さて綺麗になりましたね。
それでは料理を作りましょう」
そう言うと大賢者モニカはおそらく空間術の力によるものだろうか、
どこからか包丁を取り出す。そして次々と食材を取り出していった。
「いっ、そ、それは」
その中には高級食材として有名な食材もあった。
「ちょ、サラマンドラロブスターを丸々使うなんて…」
「あれって確実に世界3珍味の1つだよな…」
本で見たことがある食材が現実に出てきて、ロディはため息をつく。
一般庶民では味わうどころかその姿を見るすらもできない高級食材の数々を、
大賢者モニカは豪快に調理していく。
その姿に3人共、棒立ちするしかなかった。
「あ、座って待っててくれませんか。
ちょっと時間がかかるんで」
そう言われて否定する勇気は無い。
3人はすごすごと居間の方に引き返し、椅子に腰掛けて待った。
「ねぇどういうことなの?
何が起きてるの?」
「こっちの方が聞きたいよ…」
声を潜めたポーラの問いかけに、ロディは頭を抱えながらそう言った。
昼間会った時はこうなるとは思ってはいなかった。
見に行ったことを後悔しかけたその時。
「できました」
憔悴しきっている家族の前に大賢者モニカは現れた。
「ふふふ…はりきって作っちゃいました」
(早っ、まだ3分も経ってないのに…!)
ロディのそんな心の中のツッコミを無視して、
大賢者モニカがそう言うと、キッチンの方から皿に盛りつけられた料理が飛んできた。
そして次々にテーブルの上に乗っていく。
「おい…これ…」
テーブルの上に乗っているのは、茹でられた巨大エビに、
魚介類がふんだんに使われたパスタに、山の幸を豊富に使ったサラダ。
そしてニワトリの丸焼き、さながら高級ホテルのディナーのような…。
ロディのような一般市民が一生味わえないようなそんな料理ばかりだった。
「じゃあ早速食べましょうね。いただきます」
「あ、はい」
そう言われておずおずと、ナイフとフォークを手に取り、
ロディは料理に手をつけていく。
「美味しい!」
そしてその料理は驚くほどに美味しかった。
巨大エビは身が引き締まって美味しく、
そして魚介類のパスタも味が濃厚で美味しかった。
山の幸を豊富に使ったサラダも鮮度がまるで落ちていない。
鶏肉は驚く程柔らかかった。
こんな美味しい料理は今までの人生で初めて食べた。
「良かったです。お口に合ったようで」
「あの、どうしてこんなご馳走を…?」
「私は干ばつになったとしても、
国民が3年は暮らしていける程、食材を持っているんです。
空間術の力で仕舞っておけば、腐る事はありませんからね。
ですが最近、眠らせておくのも不憫かと思って、
人に振る舞うことにしているんです」
「だからこんな高級食材を持っているんですか」
父親の問いかけに、大賢者モニカは頷いた。
「そんなことより、
あなた方に聞きたいことがあるのでよろしいですか?」
そう聞かれ、一家は本来の目的を思い出した。
そうだ。これはただの善意ではないのだ。
これもれっきとした視察の一環なのだ。
気を引き締めないといけない。
「家族は何人家族ですか?」
だが予想していた質問は町のこととは何も関係がなかった。
「私と妻と娘と息子の4人家族です。
ですが妻は、冒険者でして…ここ最近は帰って来ていません」
「そうですか、それではロディ君の趣味は何です?」
やはり視察とは全く何も関係がない質問。
大賢者モニカの意図が読めず、父親は困惑したようにロディを見たが、
ロディにもどういった理由でそんなことを聞くのかわからなかった。
それからも食事の合間に数多くの質問をされた。
聞かれたのは、一家にとって答えるのも難しくは無い質問ばかり、
そしてその質問がどういうわけか――ロディに関する質問ばかりだった。
「あの…」
それにわずかばかり居心地の悪さを感じるロディだった。
さっきから痛いぐらいに家族の視線を感じる。
そしてふと顔を上げれば、大賢者モニカと必ず目が合った。
そして目が合う度に彼女はにっこりと幸せそうに笑ったのだ。
どうして何度も目が合うのだろうかと思っていたが、
考えてみればそれは当然なのだ。
――大賢者モニカはさっきからロディのことしか見ていないのだ。
そして質問もロディに関することばかり、
町の状況がどうなのか聞く事は一度も無かった。
その理由がわからなくて、ロディは困惑しっぱなしだった。
「それでロディ君は何が苦手なんですか?」
また自分に対する質問――。
けれど大賢者モニカがどうして、
自分のことを知りたがっているのか理解ができない。
そしてさっきから彼女の金色の瞳を見る度に、胸がざわつく。
どう考えても初対面なのに、なぜこんなにも胸がざわつくんだろうか。
「ああ、お兄ちゃんは重度の方向音痴なの」
「方向音痴!?」
突然大賢者モニカは立ち上がり、机に手をついた。
「あ、はい。だから生まれ育った町なのにたまに迷子になるんです」
「そうか…方向音痴…」
大賢者モニカの顔に笑顔が広がっていく。
まるで無上の喜びを体感したような、そんな喜色に満ちた笑みだった。
「だとしたらやっぱり…エ……さんで……やっと…私は…」
そしてブツブツと何かをつぶやき始めた。
「大賢者様?」
父の問いかけに我に返ったのか、大賢者モニカははっとした表情をする。
「……すみません。ちょっと考え事していたので…。
そろそろ私は帰りますね」
そう言うと彼女は椅子から立ち上がり、一家も慌てて椅子から立ち上がって、
大賢者を見送った。
「しっかし、何だったんだろう…」
ロディは腑に落ちないものを感じて、眉を潜めた。
庶民の意見を聞きたいと言っていたが、
そのことについて大賢者モニカが質問することはなかった。
もしかして本当の目的は何か別の物だったんだろうか。
「さぁ…知らないけど、料理はおいしかったから、また来てほしいわね」
ポーラの言葉にロディはため息を吐いた。
◆
そしてその夜――。
寝室で寝ていたロディは何かの物音で目を覚ました。
(まさか、泥棒――? この家に取るものなんてないのに)
そう思って薄く目を開けて、仰天した。
悲鳴をあげなかった自分を褒めてやりたい。
窓の外の月明かり――。
そこに照らされて立っていたのは帰ったはずの大賢者モニカだった。
「やっと、やっと会えた…」
まるで恋焦がれるように、まるで愛おしむように、
大賢者モニカはロディの頬に触れた。
「何度も何度も、願ってきたんです。
あなたにただ会うために――」
今にも泣きそうな表情でどうして彼女がそんなことを言うのかわからない。
ただ今、起きない方がいいと直感で悟ったロディはそのまま寝たふりを続ける。
「ごめんなさい。謝る資格なんて無いのはわかっています。
でも――私のせいであなたは二度も死んでしまった。
だからどうしても謝りたかった。ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
そんなに謝らなくていいのに、そう思ったが、
寝たふりを続けているうちに徐々に眠気がやってきて、
ロディはいつの間にか眠ってしまった。
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◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
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