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第1章過去と前世と贖罪と

外伝・将軍とセツナ②

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「あれで愚王であればよかった」
「え?」

そう言われてギデオンははっとする。
今は夕食の席だった。
そして久しぶりに妻であるアイリーンと食事をとっているというのに、
さっきからどこか上の空だった。

「どうされました?」
「いいや、なんでもない」

優しい妻の問いかけに、
ギデオンは自分の悩みなど告白出来るはずもなかった。
自分の妻子のために、
結果的に1人の少女を見殺しにするなど―――。

将軍職として今まで数多くの人間を殺してきた。
だと言うのに、
たった1人の少女を見捨てることがここまで心が痛むなんて―――。

その原因は確実に昨年生まれた自分の娘のせいだろう。

妻であるアイリーンとの間には、長年子供が出来なかった。
そして諦めかけていた矢先、やっと子供を授かったのだ。
だが残念なことに、生まれてきた子供は女の子だった。
女では家督は継げず、
それゆえ最初に生まれてきた子供が女の子であると落胆する親が多かった。
だがギデオンは生まれてきた子供が女の子だとしても嬉しかった。
やっと生まれてきてくれた自分の子供。
子供が出来れば自然と命にも感謝の感情が生まれた。
命を持っている誰もが尊い存在なのだと思えた。

その変化に自分自身も驚いたが、
この感情は軍隊に所属する者として余計な感情だった。
人を殺さねばならぬ、だと言うのに命が大切などとほざくのだから―――。
それゆえ、ギデオンは自分自身の感情を押し殺して、将軍として働いていた。
それが自分のためであり、国のためなのだから―――。

「何か、悩み事ですか?」
「いやそんなことよりも…体調はどうだ」
「今は比較的落ち着いていますよ」

妻のアイリーンは非常に病弱な身体だった。
医者からも20歳までしか生きられないと言われていた程だった。
そのため、家族からも疎まれていた。
そこをたまたま彼女の実家に訪れたギデオンが、
一目で恋に落ち、結ばれたのだ。
彼女のためにありとあらゆる治療法に頼り、
そのおかげか余命宣告を受けた歳を過ぎても、
アイリーンは元気で暮らしている。
といっても以前に比べて元気というだけで、
まだまだ安静にしておかないといけないが。

「それに私はあなたと出会えて幸せなんです。
他の何よりも誰よりも、あなたと一緒に居られるこの時間が幸せなんです」

そう言うとアイリーンは幸せそうに微笑んだ。

その純真な――あまりにも清らかな笑み。
この笑みを曇らせるような事は絶対に出来ない。
ましてや自分のために殺されてしまうなど―――。

「そうか…」

そして自分も妻と共に居ることが幸せなのだ。
宮中のどろどろとした陰謀渦巻くあの場所に居るよりも、
妻と共に暮らしている方がはるかに癒される。

だが自分はずっと妻と共に居ることは出来ない。
それは将軍の1人として、皇帝を支えないといけないからだ。

だがその皇帝が―――アレでは、忠誠心も薄れてしまう。

他人をゴミのように扱い。
自分の近い場所に居る家臣ですらも、
虫の居所が悪ければ殺してしまう。
そのため宮中にいる誰もが、皇帝を恐れ、皇帝に気を使っていた。

普通ならば、皇帝に反乱の意志を持つ者が集まり、
クーデターを引き起こしてもおかしくないが、
意外なことに―――それは無かった。

皇帝は国の統治は完璧なまでに治めていたからだ。

完璧に反乱の因子は潰し、完璧に国民の心を統治し、
完璧に軍隊を統治し、完璧に国を治めていた。
まさに完璧で絶対的な王だった。

それゆえに表立って皇帝に反乱を起こす者など居なかった。
むしろ現れたとしても国民の理解を得ることなど出来ないだろう。
それほどまでに人心掌握は完璧に出来ていた。

そのため宮中の中では、皇帝に深く心酔する者も少なくなかったが、
ギデオンや一部の兵士などは別だった。
近くにいる彼らは皇帝の恐ろしさと、その歪んだ野望が見えていたからだ。
だが表立ってそれを指摘すれば自分の首が飛ぶ。
だからこそ誰もが本心は隠して、皇帝に従っていた。

それを指摘すれば命が危ういからと。

そのため兵士の中には、出世したくないと思っている者も多い。
出世すれば皇帝の近くで働くことになるからだ。
そうなれば、些細なことで殺されてしまうこともある。

そして誰かに報告されてしまうことを恐れて、その愚痴も言えない。

皇帝は本当に天才だったのだ。
国を治める天才。

反乱分子は早いうちに潰し、懐柔出来そうな人間は金を使って買収し、
そうでない人間は家族など、当人の大切な人を殺すと脅す。

その人心掌握は、もしも彼が善人であれば誰もが幸せになっただろう。

だが残念なことに皇帝は自分以外の命はどうでもいいと思っていた。
それこそが悲劇の始まりだった。





「それは本当ですか…?」
「ああ、本当だ。今度の戦にはセツナを連れて行く」

その言葉に兵士達の動揺は明らかだった。
戦の席に皇帝自らが女を連れて行くなど前代未聞だった。
いやヒョウム国の歴史をたどっても――そんな事例は存在しないかもしれない。

「あやつの知識は確かだ。次の戦は勝てるだろう」

その言葉に誰もが無理だと思った。
ただの女に戦のことなど何もわかるはずがないと――――だが。

「この道は左右を崖に挟まれているのですね」

会議室に現れたセツナは地図を見るなりそう言った。

「そしてこの道はどれぐらいの広さですか」
「およそ縦に人が2人通れるほどかと」
「ならば、崖の上から奇襲作戦をかけましょう。
弓で射撃し、敵の動揺を誘うのです。
この狭い通路では敵も力を発揮出来ないでしょう。
そしてそこをさらに伏兵が攻撃するのです」

そしてセツナの作戦通り、その奇襲作戦は成功した。
本当に見事な程に、成功してしまったのだ。
そして次の戦でも皇帝はセツナを連れて行き、
セツナは誰もが思いつかないような奇抜な作戦を提案。
そして不思議なことにそれが毎回毎回、成功してしまうのだ。

いつしか彼女は戦の女神の化身ではないのかと、
兵士の間でまことしやかに囁かれるようになった。
だが不思議なことにどれだけ戦に勝利したとしても、
セツナが笑顔を見せることなかった。
むしろ何かを焦っているのか、髪をかきむしったり、
爪を噛んでいる姿がよく見られた。
彼女は何に焦っているのか、ギデオンは理解出来なかったが、
何か悩みを抱えていることはよく理解出来た。

そしてそれに呼応するように、
セツナの身の回りでも度々おかしなことが起こるようになり、
しまいには病で倒れてしまった。

あれだけ彼女に入れ込んでいた皇帝も病で倒れたと知った途端、
セツナを遠ざけてしまった程だった。
だがそれでも彼女が軍に残した兵法のおかげで、
ヒョウム国は敵軍との戦いには勝利し続けていた。

そんな中、ギデオンはほとんどの時間を戦場で過ごしていた。
そのため宮中で何が起こっているのかもよくわからなかった。
そしてようやく戦も落ち着き、
国に帰ってきた時にはもう何年も経っていた。

そんな時、セツナが病気になり、
部屋に隔離されているとギデオンは聞いた。

それを聞いてギデオンは心苦しく思った。
すでにギデオンの娘は大きくなっていたし、
セツナも少女のままではないだろう。
だがそれでもセツナを見捨てたということが、
自分の心の中でしこりとして残っていた。

「仕方がない…」

そして長い年月が経ったことによって、
彼は諦めと無力感に支配されていた。

仕方がない。自分では力が無い。
皇帝には逆らえない。どうすることも出来ない。

皇帝が他人を粛清するのも、セツナの境遇も、
――何もかも自分ではどうしようも出来ないことなのだからと。

いやそれはギデオンだけでなく、
皇帝の身の回りにいる良識のある人間は全てそうだろう。
薄々皇帝のやっていることは間違っていると思いつつも、
それに逆らうことが出来ないのだから。

人と言うのは結局のところ自分の身が1番可愛いのだろう。
だからこそ心の中でごめんなさいと謝りながら、背を向けて耳を塞ぐ。
そして目をつぶってしまえば、助けを求めている人の声も聞こえない。

それは歴史をたどれば明白である。
例えばどこそこの王が特定の民族を殺せと命じたとする。
すると国民は嫌だと思いながら、その虐殺に参加するだろう。
周りの空気に流されてこれが正義だと思ってしまうのかもしれない。
そして国のためにと、喜んで同じ人間を殺すだろう。

それが間違っていると、言えるのは状況を何も知らない後世の人間だけだ。
実際にその状況に置かれてしまったら、
多くの人間がギデオンと同じように見て見ぬふりをするだろう。

全員が背を向けて、耳を塞ぎ、目を閉じている。

だからこそ宮中に居る誰もが、
心の中では皇帝には賛同出来ないと思っていても、賛同しているフリをする。
そうでなければ独裁者に支配された国では生き残れない。

それゆえ自分の背後で、
1人の女性が病に苦しんでいても手を差し伸べることはない。

差し伸べられるとしたら―――。
それは、何も知らない部外者か、失う物がない人間だけだ。
すでに多くの物を持っている人間は失うことが恐ろしい。

それゆえ可哀想だとは思っていても、誰もセツナを助けようとしなかった。

ただ1人を除いて―――。
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