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第1章過去と前世と贖罪と
5.5・地獄神の思案
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「無事に町まで着いたようだね」
闇、果てしない闇が続く空間で、
1人の銀髪の少年がそう呟く。
彼の名は地獄神アビス。
イデアと呼ばれる世界の地獄を統括する神だった。
傍目には銀髪金目の絶世の美少年だが、
この世界が誕生した時から存在している最古の神だった。
それ故、地上でも実態が分からない神とされ、
さらに地獄の神であることから、地上の人間には恐れられ、
簡単にその名を口にすることも、はばかられる存在だった。
地獄の支配者、統べる冠を持つ者、魔神、金眼の魔術王、破壊神…等々。
数々の異名と、通り名を持ち、
その力はその気になるだけで世界を簡単に滅ぼせるとも言われている。
そんな彼は王座に腰掛け、
頬杖をつきながら、1人の人間の様子を見ていた。
宙に浮かぶ四角形の画面に、1人の少女の姿が移し出されていた。
見れば、町に着いたのか、馬車から降りる所だった。
黒髪の小柄な少女の名前は海藤刹那。
別の世界から来た異世界人で、地獄神アビスが特別に力を与えている存在だった。
異世界からの来訪者――――。
そんな存在は別に珍しい存在では無い。
何故なら異なる時空、
次元の世界というのは無数に存在しているから。
そして世界というのは、重なり合うように存在しているのだ。
普段は見ることも、行くことも出来ないが、
ごくまれに別の世界と波長が重なり合う時がある。
そうなると、次元に穴が開き、
近くに居た人や物などが別の世界に流れてしまうのだ。
次元の穴が開くのは一瞬の出来事だ。しかも痕跡を全く残さない。
周囲の人間には、忽然と人が消えてしまったように感じてしまうため、
セツナの世界では、神隠しと呼ばれることもあるらしい。
そうやって神隠しにあった人間が辿る運命は悲惨だ。
次元の穴に落ちると、
そこから来る次元の圧力のせいで、ほとんどの人間は意識を失う。
そして目が覚めた時は別の世界に居るという寸法だ。
セツナの世界では、
そういった異世界に迷い込む物語が人気を博していたようだが、
現実としては、
別の世界からの来訪者というのは、この世界に来た時点で大半は死ぬ。
もし落ちた先が砂漠や荒野や海だった場合、
生き残れる確率はゼロだし、魔物に食われて死ぬことも多い。
運良く人里に着ける人間はごくわずかしかいない。
そして人里に着いたとしても、悪い人間に捕まるケースも非常に多い。
奴隷として売られて、不当な労働を強要されることも多い。
しかも異世界人のほとんどが魔力を持たないため、
そこから逃げ出すこともできない。
そんな状況に悲観して、自殺してしまう人間も多い。
アビスが見たところ、異世界人の大半は、死ぬか、
奴隷かそれに近い役割を強要されるのがほとんどで、
運良く幸せに暮らせる異世界人など、全体の1割にも満たない。
いやもっと少ないかもしれない。
そのため、不幸になりにこの世界に来ているのではと、アビスが思う程だった。
そもそも何故、別世界と次元が重なることがあるのか、
それは神であるアビスも与り知らぬことだった。
自分よりさらに高位の次元を統べる神が引き起こしているのか、
それともただの必然か。
そもそも次元が重なること自体、
全くの不定期に起こるうえに、規則性も無いのだ。
神であるアビスでも、
次にいつどこで起こるのかは、一応予想はできるが、完璧ではない。
そもそも次元の穴の向こうは、本当にセツナの世界とは限らない。
全く別の世界かもしれないのだ。
そのため、セツナに元の世界に帰ることは諦めろと言ったのは、それが原因だった。
セツナには元の世界でも、同じように時間が流れていると言ったが、
実際はそんなに時間が経っていない可能性もあるし、
逆に恐ろしい程、時間が経過しているかもしれない。
それについては、アビスは別の世界にあまり干渉できないので、分からない。
人を送ることができても、その先がどうなっているのかまでは分からないのだ。
だから諦めてこの世界で暮らす方が良いのだ。その方が幸せだ。
まぁセツナはまだ諦めきれていないみたいだが、
そのうち、諦めるだろうと思っている。
どちらにせよ。セツナのカルマを消す旅は、容易ではないだろうから。
10年、20年はかかるだろうと言ったが、それ以上は行くかもしれない。
そもそもこれほどのカルマは一生かかったところで消せはしないのだ。
普通にちまちまと善行を積んだところで、絶対に消せはしない。
だからアビスはそのためにセツナに自分の魔力を与え、
そして様々なスキルを与えた。
地獄神の加護、超回復、各種免疫、言語理解、空間術。
本来であれば、普通の聖眼持ちでもこれほどのスキルは持たない。
だがアビスは与えた。
それはカルマを消す手助けをするだけではなく、様々な思惑と狙いがあった。
セツナは気づいていないことだったが、スキルはこの5つだけではない。
他にも付加させたスキルはある。
もっともそれらはステータス表示されないように、隠匿しているのだが。
セツナは今のところ、それに気付いた様子は無い。
そして記憶を無くしたことにも、
特に違和感を抱いておらず、馴染んでいるようだった。
セツナは異世界人。
そんな彼女を生き返らせることは、アビスにとって大きな賭けだった。
別の世界からの来訪者はアビスにとって珍しい存在では無い。
長く生きると多々、目にすることがあるだけという存在。
故にセツナが異世界人というだけでは、
アビスの感心を引く材料として少し足りなかった。
おそらくそのままの彼女と死後、対面しても、
何ら思わなかったに違いない。
確かに異世界人の持つ知識は素晴らしいが、
それだけではアビスは何も感じなかったろう。
異世界人など、
長い神としての人生の中で、流星のごとく過ぎ去るだけの存在。
――――だったはずなのに。
自分の行動に、アビス自身かなり驚いていた。
本音を言えば、直前まで、彼女を地獄に落とすつもりだった。
もう人間を生き返らせるつもりは無かったからだ。
アビスは今までにも数え切れないぐらい人間を生き返らせてきた。
自殺してしまった者、
過失で人を殺してしまった者、
誰かを守るために罪を重ねた者。
彼らは皆、純真で己の罪を心から悔いていた。
だから地獄行きを回避するための打開措置として、蘇りを提案してきた。
だがそうやって善行を積んで、
カルマを消せた人間はたったの2人しか居ない。
1万年の歴史の中で、たった2人しか成功した者が居ないのだ。
やはり普通の人間には、
善行―――他人に尽くす生き方は荷が重いらしい。
それもそうだ。
誰かのために尽くしたところで、その相手が喜んでくれるとは限らない。
どんな人間も最初は熱心にやるのだが、次第にそんな熱意は消えていく。
自分はこれだけ人のためにやっている。
自分はこれだけのことを人に尽くした。
でも相手は感謝をしてくれない。
利用された。
裏切られた。
人が信じられなくなった。
人間は自分本位な生き物だから、人間は自分主義の生き物だから、
誰かのために、世のため人のためなんて、実践する方がどうかしている。
もう諦めてしまおう。
そうだそれなら、今を楽しもう。
せっかく生き返ったんだ。酒でも飲んで忘れてしまおう。
そうして地獄に落ちて死ぬ程、後悔する人間は多い。
――――人を殺すのは容易い、本当に容易い。
しかしその罪を償うのはなんと難しいことか。
それだったらいっそ地獄に落としてしまった方がいい。
どれだけの事情があろうと、どれだけの理由があろうと、
カルマは等しく地獄の炎で焼かれなくてはならない。
それが地獄のルールである。
しかしセツナと対面して、
彼女の頭を――――心の中を見た時、アビスの中に迷いが生まれた。
セツナは完全なる被害者だった。
そう完全なる被害者。
アビスはそれまで、
被害者などという言葉は都合の良い幻想だと思っていた。
例えば昔、地獄に落とした人間のうち、
殺した人間と殺された人間の両方を同じ地獄に落としたことがあった。
当然殺された人間は不当だと訴えた。
何故殺された自分が地獄に落ちるのかと怒った。
しかしアビスは彼が殺されても仕方がない人間であると見抜いていた。
被害者など、当人の勝手な幻想で、それだけのことをされるのは、
本人にも何らかの非があるケースが多い。
しかし――――。
セツナと対峙して、
これほどまでに被害者という言葉に当てはまる人間も珍しいと思った。
セツナはただ運が悪かっただけだ。
この世界に来てしまったのも、
ヒョウム国の皇帝にカルマを押し付けられたのも、
全ては彼女のせいでは無く、
ただ運が悪かったとしか言いようが無い。
日頃の行いが悪かったわけでも無く、人の恨みを買っていたわけでも無く、
本当に巻き込まれてしまっただけなのだ。
落ちた先がヒョウム国でなければ――。
彼女が自分から異世界人だと言わなければ――。
皇帝がカルマ転移の術を見つけ出さなければ――。
恐らくこんなことにはならなかった。
セツナは本当に被害者なのだ。
そしてそんな彼女が地獄に落ちるということは、
あまりにも、――――あまりにも救いが無さ過ぎる。
だからこそ、アビスはセツナに生き返る提案をした。
しかしその代わり犠牲となるものも、ちゃんと伝えた。
それを伝えた時、
セツナはかなり迷っていたが、結局、生き返ることに決めた。
彼女からすれば、選択の余地は無かったに違いない。
そしてアビスはセツナを生き返らせた。
セツナは困惑していたが、すぐに受け入れたようだった。
元々彼女は前向きな性格をしていたからそれは問題ない。
セツナはきっとこの世界でも、充分やっていけるだろう。
…と思っていたが、
まさかセツナがうっかり森を焼き払うとは、
さすがのアビスも予想していなかった。
最初にそれを見た時、アビスは久しぶりに声を出して笑った。
彼女が森を焼き払ったことが愉快だったわけでは無い。
自分の予想を越える出来事がまだあることに驚き、
そして驚きの感情を持った自分が可笑しくなった。
長く生きていると、驚くということ自体が無くなる。
神は長命故に、ほとんどの出来事は経験し、
ほとんどの出来事は飽きている。
膨大な経験値のおかげで、たいていの出来事の予想はつくからだ。
それゆえ何か起きたとしても、
前例が他にもあるため、対処法などいくらでも思いつく。
だが、まさかセツナが生き返って早々。
森を焼き払うとは、さすがのアビスも予想出来なかった。
今まで生き返らせた人間の中で、セツナのような行動を取った者は居ない。
だからこそアビスは驚いたのだった。
そして自分が驚いたことに、二重に驚いたのだ。
それがアビスには愉快だった。
そしてセツナの前では、
不機嫌を装っていたが、本当を言うと、誉めてやりたいぐらいだった。
――よくぞ、ボクを驚かせたね。
そう誉めたくなったが、魔力を悪用するなと自分から言っておいて、
誉めるなどおかしいにも程があるから黙っておいた。
まぁ本人も反省しているようだったから、
その時は許したが、セツナは少し抜けているところがあるみたいだった。
根は悪い人間では無いが、若干天然で変わり者。
かと思えば頑固で、純粋で優しい面も持っている。
今のセツナは何も塗られていないキャンパスのようなもの。
まっさらな純粋なままの人格――――。
セツナはこの世界に来て悲惨な経験をした。
だがそれについての記憶は彼女は忘れている。
しかし魂や心の深い底の部分では、覚えているようだった。
その証拠にセツナは町で男の冒険者に絡まれた時に、
激しい拒絶反応を見せた。
それでまたカルマを増やしてしまったが、
アビスはそのことを咎めるつもりも、地獄に落とす気も無かった
セツナがちゃんとした悪意を持って、人を傷つけたならともかく、
あれは心の深い部分がフラッシュバックを起こしてしまったせいだろう。
むしろよく相手の男を殺さないでいられたと思う。
おそらく殺してしまわないように、
無意識のうちに加減したのだろう。
セツナは本当に優しい性格をしていると思う。
それは彼女が平和な国で育ったのも大きいが、
あれは彼女自身の性質だろう。
そんな優しい彼女だから、あんな風に利用されてしまった。
ヒョウム国での出来事は、思い出せば必ず善行を積む妨げになる。
あれだけのことを受けてしまったら、
人と関わることが絶対に出来なくなる。
トラウマが、心の傷が、絶対に生きる妨げとなってしまう。
「さてさて、これからどうなることやら」
アビスは未来を見ることもできるが、
未来とは決められた形をしていない。
未来とは状況によって変化し、
本人がその時、何を選択するかで変わる。
それを運命と呼ぶことも多いが、
運命とは川の流れのようなもの。
その流れがどんな方向に行くのか、選ぶのは本人だ。
セツナはこれからどんな選択肢を選ぶのかは、
アビスにも予想はつかない。
だからこそ、賭けなのだ。
彼女はこれからどんな道を進むのか、
そして世界にどんな影響を与えるのか、
できれば悪い影響でなく、良い影響を与えてほしいと思う。
そして、そのためにわざわざ――――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セツナのヒョウム国での記憶を全て“封印”したのだから――――。
「君のこれからに期待しているよ。海道刹那」
闇、果てしない闇が続く空間で、1人の少年の忍び笑いが響いた。
◆◆◆◆◆
はい、ということでセツナの記憶を封印したのは地獄神でした。
理由はセツナが悲惨な過去を持っているので、
それが善行を積む障害になると思ってのことでした。
まぁセツナがどんな目にあったのかは、
そのうち本編でも明らかになると思います。
気に入ってくれたらお気に入り登録や、
コメントをくれると嬉しいです。
では、また次の日曜日に。
闇、果てしない闇が続く空間で、
1人の銀髪の少年がそう呟く。
彼の名は地獄神アビス。
イデアと呼ばれる世界の地獄を統括する神だった。
傍目には銀髪金目の絶世の美少年だが、
この世界が誕生した時から存在している最古の神だった。
それ故、地上でも実態が分からない神とされ、
さらに地獄の神であることから、地上の人間には恐れられ、
簡単にその名を口にすることも、はばかられる存在だった。
地獄の支配者、統べる冠を持つ者、魔神、金眼の魔術王、破壊神…等々。
数々の異名と、通り名を持ち、
その力はその気になるだけで世界を簡単に滅ぼせるとも言われている。
そんな彼は王座に腰掛け、
頬杖をつきながら、1人の人間の様子を見ていた。
宙に浮かぶ四角形の画面に、1人の少女の姿が移し出されていた。
見れば、町に着いたのか、馬車から降りる所だった。
黒髪の小柄な少女の名前は海藤刹那。
別の世界から来た異世界人で、地獄神アビスが特別に力を与えている存在だった。
異世界からの来訪者――――。
そんな存在は別に珍しい存在では無い。
何故なら異なる時空、
次元の世界というのは無数に存在しているから。
そして世界というのは、重なり合うように存在しているのだ。
普段は見ることも、行くことも出来ないが、
ごくまれに別の世界と波長が重なり合う時がある。
そうなると、次元に穴が開き、
近くに居た人や物などが別の世界に流れてしまうのだ。
次元の穴が開くのは一瞬の出来事だ。しかも痕跡を全く残さない。
周囲の人間には、忽然と人が消えてしまったように感じてしまうため、
セツナの世界では、神隠しと呼ばれることもあるらしい。
そうやって神隠しにあった人間が辿る運命は悲惨だ。
次元の穴に落ちると、
そこから来る次元の圧力のせいで、ほとんどの人間は意識を失う。
そして目が覚めた時は別の世界に居るという寸法だ。
セツナの世界では、
そういった異世界に迷い込む物語が人気を博していたようだが、
現実としては、
別の世界からの来訪者というのは、この世界に来た時点で大半は死ぬ。
もし落ちた先が砂漠や荒野や海だった場合、
生き残れる確率はゼロだし、魔物に食われて死ぬことも多い。
運良く人里に着ける人間はごくわずかしかいない。
そして人里に着いたとしても、悪い人間に捕まるケースも非常に多い。
奴隷として売られて、不当な労働を強要されることも多い。
しかも異世界人のほとんどが魔力を持たないため、
そこから逃げ出すこともできない。
そんな状況に悲観して、自殺してしまう人間も多い。
アビスが見たところ、異世界人の大半は、死ぬか、
奴隷かそれに近い役割を強要されるのがほとんどで、
運良く幸せに暮らせる異世界人など、全体の1割にも満たない。
いやもっと少ないかもしれない。
そのため、不幸になりにこの世界に来ているのではと、アビスが思う程だった。
そもそも何故、別世界と次元が重なることがあるのか、
それは神であるアビスも与り知らぬことだった。
自分よりさらに高位の次元を統べる神が引き起こしているのか、
それともただの必然か。
そもそも次元が重なること自体、
全くの不定期に起こるうえに、規則性も無いのだ。
神であるアビスでも、
次にいつどこで起こるのかは、一応予想はできるが、完璧ではない。
そもそも次元の穴の向こうは、本当にセツナの世界とは限らない。
全く別の世界かもしれないのだ。
そのため、セツナに元の世界に帰ることは諦めろと言ったのは、それが原因だった。
セツナには元の世界でも、同じように時間が流れていると言ったが、
実際はそんなに時間が経っていない可能性もあるし、
逆に恐ろしい程、時間が経過しているかもしれない。
それについては、アビスは別の世界にあまり干渉できないので、分からない。
人を送ることができても、その先がどうなっているのかまでは分からないのだ。
だから諦めてこの世界で暮らす方が良いのだ。その方が幸せだ。
まぁセツナはまだ諦めきれていないみたいだが、
そのうち、諦めるだろうと思っている。
どちらにせよ。セツナのカルマを消す旅は、容易ではないだろうから。
10年、20年はかかるだろうと言ったが、それ以上は行くかもしれない。
そもそもこれほどのカルマは一生かかったところで消せはしないのだ。
普通にちまちまと善行を積んだところで、絶対に消せはしない。
だからアビスはそのためにセツナに自分の魔力を与え、
そして様々なスキルを与えた。
地獄神の加護、超回復、各種免疫、言語理解、空間術。
本来であれば、普通の聖眼持ちでもこれほどのスキルは持たない。
だがアビスは与えた。
それはカルマを消す手助けをするだけではなく、様々な思惑と狙いがあった。
セツナは気づいていないことだったが、スキルはこの5つだけではない。
他にも付加させたスキルはある。
もっともそれらはステータス表示されないように、隠匿しているのだが。
セツナは今のところ、それに気付いた様子は無い。
そして記憶を無くしたことにも、
特に違和感を抱いておらず、馴染んでいるようだった。
セツナは異世界人。
そんな彼女を生き返らせることは、アビスにとって大きな賭けだった。
別の世界からの来訪者はアビスにとって珍しい存在では無い。
長く生きると多々、目にすることがあるだけという存在。
故にセツナが異世界人というだけでは、
アビスの感心を引く材料として少し足りなかった。
おそらくそのままの彼女と死後、対面しても、
何ら思わなかったに違いない。
確かに異世界人の持つ知識は素晴らしいが、
それだけではアビスは何も感じなかったろう。
異世界人など、
長い神としての人生の中で、流星のごとく過ぎ去るだけの存在。
――――だったはずなのに。
自分の行動に、アビス自身かなり驚いていた。
本音を言えば、直前まで、彼女を地獄に落とすつもりだった。
もう人間を生き返らせるつもりは無かったからだ。
アビスは今までにも数え切れないぐらい人間を生き返らせてきた。
自殺してしまった者、
過失で人を殺してしまった者、
誰かを守るために罪を重ねた者。
彼らは皆、純真で己の罪を心から悔いていた。
だから地獄行きを回避するための打開措置として、蘇りを提案してきた。
だがそうやって善行を積んで、
カルマを消せた人間はたったの2人しか居ない。
1万年の歴史の中で、たった2人しか成功した者が居ないのだ。
やはり普通の人間には、
善行―――他人に尽くす生き方は荷が重いらしい。
それもそうだ。
誰かのために尽くしたところで、その相手が喜んでくれるとは限らない。
どんな人間も最初は熱心にやるのだが、次第にそんな熱意は消えていく。
自分はこれだけ人のためにやっている。
自分はこれだけのことを人に尽くした。
でも相手は感謝をしてくれない。
利用された。
裏切られた。
人が信じられなくなった。
人間は自分本位な生き物だから、人間は自分主義の生き物だから、
誰かのために、世のため人のためなんて、実践する方がどうかしている。
もう諦めてしまおう。
そうだそれなら、今を楽しもう。
せっかく生き返ったんだ。酒でも飲んで忘れてしまおう。
そうして地獄に落ちて死ぬ程、後悔する人間は多い。
――――人を殺すのは容易い、本当に容易い。
しかしその罪を償うのはなんと難しいことか。
それだったらいっそ地獄に落としてしまった方がいい。
どれだけの事情があろうと、どれだけの理由があろうと、
カルマは等しく地獄の炎で焼かれなくてはならない。
それが地獄のルールである。
しかしセツナと対面して、
彼女の頭を――――心の中を見た時、アビスの中に迷いが生まれた。
セツナは完全なる被害者だった。
そう完全なる被害者。
アビスはそれまで、
被害者などという言葉は都合の良い幻想だと思っていた。
例えば昔、地獄に落とした人間のうち、
殺した人間と殺された人間の両方を同じ地獄に落としたことがあった。
当然殺された人間は不当だと訴えた。
何故殺された自分が地獄に落ちるのかと怒った。
しかしアビスは彼が殺されても仕方がない人間であると見抜いていた。
被害者など、当人の勝手な幻想で、それだけのことをされるのは、
本人にも何らかの非があるケースが多い。
しかし――――。
セツナと対峙して、
これほどまでに被害者という言葉に当てはまる人間も珍しいと思った。
セツナはただ運が悪かっただけだ。
この世界に来てしまったのも、
ヒョウム国の皇帝にカルマを押し付けられたのも、
全ては彼女のせいでは無く、
ただ運が悪かったとしか言いようが無い。
日頃の行いが悪かったわけでも無く、人の恨みを買っていたわけでも無く、
本当に巻き込まれてしまっただけなのだ。
落ちた先がヒョウム国でなければ――。
彼女が自分から異世界人だと言わなければ――。
皇帝がカルマ転移の術を見つけ出さなければ――。
恐らくこんなことにはならなかった。
セツナは本当に被害者なのだ。
そしてそんな彼女が地獄に落ちるということは、
あまりにも、――――あまりにも救いが無さ過ぎる。
だからこそ、アビスはセツナに生き返る提案をした。
しかしその代わり犠牲となるものも、ちゃんと伝えた。
それを伝えた時、
セツナはかなり迷っていたが、結局、生き返ることに決めた。
彼女からすれば、選択の余地は無かったに違いない。
そしてアビスはセツナを生き返らせた。
セツナは困惑していたが、すぐに受け入れたようだった。
元々彼女は前向きな性格をしていたからそれは問題ない。
セツナはきっとこの世界でも、充分やっていけるだろう。
…と思っていたが、
まさかセツナがうっかり森を焼き払うとは、
さすがのアビスも予想していなかった。
最初にそれを見た時、アビスは久しぶりに声を出して笑った。
彼女が森を焼き払ったことが愉快だったわけでは無い。
自分の予想を越える出来事がまだあることに驚き、
そして驚きの感情を持った自分が可笑しくなった。
長く生きていると、驚くということ自体が無くなる。
神は長命故に、ほとんどの出来事は経験し、
ほとんどの出来事は飽きている。
膨大な経験値のおかげで、たいていの出来事の予想はつくからだ。
それゆえ何か起きたとしても、
前例が他にもあるため、対処法などいくらでも思いつく。
だが、まさかセツナが生き返って早々。
森を焼き払うとは、さすがのアビスも予想出来なかった。
今まで生き返らせた人間の中で、セツナのような行動を取った者は居ない。
だからこそアビスは驚いたのだった。
そして自分が驚いたことに、二重に驚いたのだ。
それがアビスには愉快だった。
そしてセツナの前では、
不機嫌を装っていたが、本当を言うと、誉めてやりたいぐらいだった。
――よくぞ、ボクを驚かせたね。
そう誉めたくなったが、魔力を悪用するなと自分から言っておいて、
誉めるなどおかしいにも程があるから黙っておいた。
まぁ本人も反省しているようだったから、
その時は許したが、セツナは少し抜けているところがあるみたいだった。
根は悪い人間では無いが、若干天然で変わり者。
かと思えば頑固で、純粋で優しい面も持っている。
今のセツナは何も塗られていないキャンパスのようなもの。
まっさらな純粋なままの人格――――。
セツナはこの世界に来て悲惨な経験をした。
だがそれについての記憶は彼女は忘れている。
しかし魂や心の深い底の部分では、覚えているようだった。
その証拠にセツナは町で男の冒険者に絡まれた時に、
激しい拒絶反応を見せた。
それでまたカルマを増やしてしまったが、
アビスはそのことを咎めるつもりも、地獄に落とす気も無かった
セツナがちゃんとした悪意を持って、人を傷つけたならともかく、
あれは心の深い部分がフラッシュバックを起こしてしまったせいだろう。
むしろよく相手の男を殺さないでいられたと思う。
おそらく殺してしまわないように、
無意識のうちに加減したのだろう。
セツナは本当に優しい性格をしていると思う。
それは彼女が平和な国で育ったのも大きいが、
あれは彼女自身の性質だろう。
そんな優しい彼女だから、あんな風に利用されてしまった。
ヒョウム国での出来事は、思い出せば必ず善行を積む妨げになる。
あれだけのことを受けてしまったら、
人と関わることが絶対に出来なくなる。
トラウマが、心の傷が、絶対に生きる妨げとなってしまう。
「さてさて、これからどうなることやら」
アビスは未来を見ることもできるが、
未来とは決められた形をしていない。
未来とは状況によって変化し、
本人がその時、何を選択するかで変わる。
それを運命と呼ぶことも多いが、
運命とは川の流れのようなもの。
その流れがどんな方向に行くのか、選ぶのは本人だ。
セツナはこれからどんな選択肢を選ぶのかは、
アビスにも予想はつかない。
だからこそ、賭けなのだ。
彼女はこれからどんな道を進むのか、
そして世界にどんな影響を与えるのか、
できれば悪い影響でなく、良い影響を与えてほしいと思う。
そして、そのためにわざわざ――――。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セツナのヒョウム国での記憶を全て“封印”したのだから――――。
「君のこれからに期待しているよ。海道刹那」
闇、果てしない闇が続く空間で、1人の少年の忍び笑いが響いた。
◆◆◆◆◆
はい、ということでセツナの記憶を封印したのは地獄神でした。
理由はセツナが悲惨な過去を持っているので、
それが善行を積む障害になると思ってのことでした。
まぁセツナがどんな目にあったのかは、
そのうち本編でも明らかになると思います。
気に入ってくれたらお気に入り登録や、
コメントをくれると嬉しいです。
では、また次の日曜日に。
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『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ポーション必要ですか?作るので10時間待てますか?
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