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しおりを挟むまだ本題を切り出せてすらいないのに…。
焦りにより、どんどん手が湿って行くのがわかる。こんなに濡れているのなら、由良さんも気づいているのではないか。手を離せる状況でもないし、どうしよう。
ぐるぐると考えていると、突然、由良さんの足が不自然に止まった。
視線の先にある解説パネルには、”シクリッド”、と書いてある。どうやら聖夜仕様で展示されている魚らしい。
タイトルには、”硬い夫婦の絆。一生ひとりの相手とともに添い遂げる魚”、とあり、説明欄にはその根拠が書かれている。
ある実験で、この魚の番のオスを違う水槽に移したところ、残されたメスはふさぎ込んでしまったと言う。なぜ由良さんがここで足を止めたのかはわからなかったが、パネルを見つめる彼の表情は悲しげで、繋いだ手は少し震えていた。
「…ごめん、あんなこと言ったから、気にしているよね。」
威圧感のない低い声で、彼は小さく、俺だけに聞こえるように呟く。
あんなこと…
多分、俺が尋ねようとしてたことと同じだ。由良さんから切り出してくれたんだ。なら、もうここで言うしかない。
彼に聞こえないように深く息を吸い込み、覚悟を決める。けれど、俺が言葉を発する前に、再び由良さんが口を開いた。
「…こんなに汗ばんで、震えて。
…いいんだ。幹斗君にこんな僕は重い。嫌になったら、それでいいんだよ。無理に付き合うことはない。」
ぞっとするほどに悲しい声は、弱々しくすがるような響きを帯びている。
そのまま彼は繋いだ俺の手をすくうように持ち上げ、俺と繋いでいない方の手を、俺の手の甲にふわりと重ねた。愛おしそうに、繊細な氷細工にでも触れるような柔らかな手つきで。
「違います。」
考えるより早く、そう答えていた。
だって、違う。
確かに俺はこれ以上のことを知ろうとしなかったけれど、それはこの関係を続けていくためで、由良さんと離れることなど微塵も考えていなかったのだから。
「由良さんと一緒にいたいから何も触れなかったんです。でも、…よく考えてみたら、それも違うのかなって。
だから、詳しく聞かせてくれませんか?
…それを言いたくてずっと、今日は焦っていたんです。」
由良さんは一瞬驚いたように俺をみたけれど、すぐにその表情は寂しげなものに変わった。
「一緒にいたいのなら、知らない方がいいかもしれない。聞いていて楽しい話じゃないから。」
泣きそうな彼を見て、俺は心底自分を恥じた。胸が締め付けられるような心地がする。
俺は、一体彼の何を見てきたのだろう。多分ずっと、誤解していたのだ。
とんでもなくルックスが良くて、性格は穏やか。気遣いも人一倍できて、プレイの時はガラリと雰囲気が変わる、完璧なDom。
俺の抱いていた彼のその印象は半分正しくて、半分間違っていたのかもしれない。
いつも微笑んでいるのにどこか寂しげで、パートナーになる前だって、”俺なんかが幹斗君と…”という感じのことを言っていた。
ただのうぬぼれだったら恥ずかしいが、案外彼にとって俺は大切な存在なのではないだろうか。
「大丈夫です。どんなことでも受け止めます。
…由良さんが捨てるまで、俺はあなたのものだから。」
自分の口から出たとは思えないほどのはっきりとした言葉に、自分でも驚く。
さらに図々しいことに、周りに誰もいないことを確認し、震える彼の体を抱きしめた。俺は由良さんより背が低いから、抱きつくような格好になってしまったけれど。
「…場所、変えようか。」
数秒の沈黙の後、由良さんがそう言って指差したのは、向こう側にある大きな水槽の前のソファ。二人がけのものが5つ並んでおり、そのうち3つが埋まっている。
座ってみると、なんと天蓋のような仕切りがついており、個室とまではいかなくてもプライベートな空間が演出できるようになっていた。
…さすがカップル向け企画。
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