上 下
62 / 261

10-2

しおりを挟む

まだ本題を切り出せてすらいないのに…。

焦りにより、どんどん手が湿って行くのがわかる。こんなに濡れているのなら、由良さんも気づいているのではないか。手を離せる状況でもないし、どうしよう。

ぐるぐると考えていると、突然、由良さんの足が不自然に止まった。

視線の先にある解説パネルには、”シクリッド”、と書いてある。どうやら聖夜仕様で展示されている魚らしい。

タイトルには、”硬い夫婦の絆。一生ひとりの相手とともに添い遂げる魚”、とあり、説明欄にはその根拠が書かれている。

ある実験で、この魚のつがいのオスを違う水槽に移したところ、残されたメスはふさぎ込んでしまったと言う。なぜ由良さんがここで足を止めたのかはわからなかったが、パネルを見つめる彼の表情は悲しげで、繋いだ手は少し震えていた。

「…ごめん、あんなこと言ったから、気にしているよね。」

威圧感のない低い声で、彼は小さく、俺だけに聞こえるように呟く。

あんなこと…

多分、俺が尋ねようとしてたことと同じだ。由良さんから切り出してくれたんだ。なら、もうここで言うしかない。

彼に聞こえないように深く息を吸い込み、覚悟を決める。けれど、俺が言葉を発する前に、再び由良さんが口を開いた。

「…こんなに汗ばんで、震えて。

…いいんだ。幹斗君にこんな僕は重い。嫌になったら、それでいいんだよ。無理に付き合うことはない。」

ぞっとするほどに悲しい声は、弱々しくすがるような響きを帯びている。

そのまま彼は繋いだ俺の手をすくうように持ち上げ、俺と繋いでいない方の手を、俺の手の甲にふわりと重ねた。愛おしそうに、繊細な氷細工にでも触れるような柔らかな手つきで。

「違います。」

考えるより早く、そう答えていた。

だって、違う。

確かに俺はこれ以上のことを知ろうとしなかったけれど、それはこの関係を続けていくためで、由良さんと離れることなど微塵も考えていなかったのだから。

「由良さんと一緒にいたいから何も触れなかったんです。でも、…よく考えてみたら、それも違うのかなって。

だから、詳しく聞かせてくれませんか?

…それを言いたくてずっと、今日は焦っていたんです。」

由良さんは一瞬驚いたように俺をみたけれど、すぐにその表情は寂しげなものに変わった。

「一緒にいたいのなら、知らない方がいいかもしれない。聞いていて楽しい話じゃないから。」

泣きそうな彼を見て、俺は心底自分を恥じた。胸が締め付けられるような心地がする。

俺は、一体彼の何を見てきたのだろう。多分ずっと、誤解していたのだ。

とんでもなくルックスが良くて、性格は穏やか。気遣いも人一倍できて、プレイの時はガラリと雰囲気が変わる、完璧なDom。

俺の抱いていた彼のその印象は半分正しくて、半分間違っていたのかもしれない。

いつも微笑んでいるのにどこか寂しげで、パートナーになる前だって、”俺なんかが幹斗君と…”という感じのことを言っていた。

ただのうぬぼれだったら恥ずかしいが、案外彼にとって俺は大切な存在なのではないだろうか。

「大丈夫です。どんなことでも受け止めます。

…由良さんが捨てるまで、俺はあなたのものだから。」

自分の口から出たとは思えないほどのはっきりとした言葉に、自分でも驚く。

さらに図々しいことに、周りに誰もいないことを確認し、震える彼の体を抱きしめた。俺は由良さんより背が低いから、抱きつくような格好になってしまったけれど。

「…場所、変えようか。」

数秒の沈黙の後、由良さんがそう言って指差したのは、向こう側にある大きな水槽の前のソファ。二人がけのものが5つ並んでおり、そのうち3つが埋まっている。

座ってみると、なんと天蓋のような仕切りがついており、個室とまではいかなくてもプライベートな空間が演出できるようになっていた。

…さすがカップル向け企画。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

性的イジメ

ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。 作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。 全二話 毎週日曜日正午にUPされます。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

バイト先のお客さんに電車で痴漢され続けてたDDの話

ルシーアンナ
BL
イケメンなのに痴漢常習な攻めと、戸惑いながらも無抵抗な受け。 大学生×大学生

支配された捜査員達はステージの上で恥辱ショーの開始を告げる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男

湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。 何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。

変態村♂〜俺、やられます!〜

ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。 そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。 暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。 必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。 その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。 果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?

風邪をひいてフラフラの大学生がトイレ行きたくなる話

こじらせた処女
BL
 風邪でフラフラの大学生がトイレに行きたくなるけど、体が思い通りに動かない話

処理中です...