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ep25
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外は雨で、まだ少し肌寒い。
執事の正装はあえて流行から少しだけ遅れている。それは主人を立てるためなのだが、私服の場合はどうすればいいのだろう。
まず、主人と私服で出かけること自体がなかったからわからない。
ジャケットよりカーディガンがいい?シャツはボタン付き?VネックのTシャツ?カラーパンツ?ジーンズ?
「ああもう、やめだやめっ!!」
色々悩んで、考えるのをやめた。別に変な格好をしなければいいではないか。
結局普段外出するときと同様の服装を、普段と同じ通りに来ていくことにした。
一歩足を踏み出すたびに、ぴちゃ、と水を弾く音がする。
一葉はそれにより跳ねた水が、明石の靴にかかってしまわないかが心配で気が気じゃない。
どんよりと空は曇っているが、バケツをひっくり返したように降っていた雨は少し前に止んだ。
紅司の命令で警護人は2人の二歩後ろを歩いている。
紅司に連れてこられたのはショッピング街。車では入れない路地裏を、ゆっくりと進んでいく。
紅司に水がかからないように、慎重に歩いていく。2人の間を長い沈黙が流れていた。
「…ここだ。」
紅司が足を止め、沈黙を破った。
その視線の先には赤いドア。外側からは中が見えない。
コンコン、ノックをして紅司がドアを開ける。
開けた途端に向こう側からバタバタと足音が聞こえてきて、次の瞬間には紅司に長い黒髪の女性が抱きついていた。
「もう、ずっと会いにきてくれないから、寂しかった!!」
状況が飲み込めず、一葉は唖然とする。この女性は彼の恋人だろうか。それとも、婚約者?もしそうならなぜここに自分を連れてきたのだろう。
「悪かったよ、もも。仕事が忙しくて。」
紅司の大きな手がももと呼ばれる彼女の頭を撫でると、彼女の大きな黒目が嬉しそうににっこりと笑う。
紅司の優しげな表情から、彼女が紅司にとって大切な存在であることは明白で。
「…まあ、今日会ったから許す!
で、そちらは?」
問いかけた彼女の目は紅司ではなく一葉を向いていた。冷たい視線を向けられて、一葉はにっこりと微笑む。心のうちではなんなんだ、と毒づきながら。
「紅司様の付き添いで参りました。
現在紅司様の専属執事をしております、真壁一葉と申します。」
「ふーん。まあ、どうぞ中へ。お茶くらいは出すわ。」
渡された一葉の名刺を興味なさそうに一瞥すると、彼女は紅司の手を引いて2人を中に入れた。
カフェのようになっている中の、奥の一角に紅司と隣り合い座るよう勧められる。
少ししてして机の上にケーキと紅茶を運び、彼女は一葉たちの目の前に座った。
「この人がそうなの?」
「ああ。」
紅司と彼女の間でよくわからないやりとりが交わされ、そのあと彼女は一葉に意地悪そうな笑みを見せた。
「…ふーん。
こんにちは、一葉さん。私は紅司の婚約者で、桃香といいます。よろしくね。」
「ちょっ…「だまってて!」
慌てて何か言おうとした紅司を桃香が強い口調で制す。
…紅司に婚約者がいることなど、全く不思議じゃない。
どこかでほっとする自分がいた。
これで、今日彼の元から離れる俺は、少しも彼の枷にならずに済むし、彼は、きっと幸せになる。なるはずなのに…
「よろしくお願いいたします。」
そう言って作り笑いを保った自分の口端が震えるのを感じた。それがわかったのか、桃香はさらに意地の悪い笑みを浮かべる。
「自分勝手で悪い男よね。
婚約者がいながらも貴方をパートナーにしたいと言って、会えない状態の婚約者を放って毎日お楽しみ。
上に立つ立場の男って最低よね?どうせ仕事もテキトーに誰かに押し付けて人のことなんて少しも大切にできないんだわ。」
桃香の口からひっきりなしに出てくる罵詈雑言。一葉がそこに覚えた感情は、怒りだった。
「…ないで…。」
口が勝手に開いて、自分で歯止めをかけようとしたがもう無理だった。
「え?」
彼女が目を丸くして首をかしげる。
「紅司様を侮辱しないでいただきたい。努力を積み重ねてきた人間だ。それに名家の跡取りに婚約者がいるなんて当たり前でしょう。
俺が断らなかったことです。当主様にお願いして役割を変えてもらうことだって、本当はやろうと思えばできたはずだったんだ。」
「一葉っ!!」
突然、大きな声とともに、彼女の目を見て突っかかる一葉の目を、立ち上がった紅司が思い切り塞いだ。
ふしばった指の隙間から、硬直しきった桃香の引きつった顔がのぞく。
…ああ、そうか。意図せずグレアを放つほどに、自分は怒っていたのか。
「申し訳ございません、取り乱してしまいました。」
怒りに任せて行動した反省を込めて、桃香に深々と頭を下げる。
向かいに座る桃香の表情は見えないが、きっと怒っているのだろう。
彼女がすうっと息を吸う音が聞こえる。この後、怒声が飛ぶのだろうか。あるいは殴られるか…
仕方ない。殴られたとしても文句は言えないことをした。
「こうちゃん、いい子だね!」
張り詰めた空気の中、太陽のような明るい声がいきなり響き渡った。
執事の正装はあえて流行から少しだけ遅れている。それは主人を立てるためなのだが、私服の場合はどうすればいいのだろう。
まず、主人と私服で出かけること自体がなかったからわからない。
ジャケットよりカーディガンがいい?シャツはボタン付き?VネックのTシャツ?カラーパンツ?ジーンズ?
「ああもう、やめだやめっ!!」
色々悩んで、考えるのをやめた。別に変な格好をしなければいいではないか。
結局普段外出するときと同様の服装を、普段と同じ通りに来ていくことにした。
一歩足を踏み出すたびに、ぴちゃ、と水を弾く音がする。
一葉はそれにより跳ねた水が、明石の靴にかかってしまわないかが心配で気が気じゃない。
どんよりと空は曇っているが、バケツをひっくり返したように降っていた雨は少し前に止んだ。
紅司の命令で警護人は2人の二歩後ろを歩いている。
紅司に連れてこられたのはショッピング街。車では入れない路地裏を、ゆっくりと進んでいく。
紅司に水がかからないように、慎重に歩いていく。2人の間を長い沈黙が流れていた。
「…ここだ。」
紅司が足を止め、沈黙を破った。
その視線の先には赤いドア。外側からは中が見えない。
コンコン、ノックをして紅司がドアを開ける。
開けた途端に向こう側からバタバタと足音が聞こえてきて、次の瞬間には紅司に長い黒髪の女性が抱きついていた。
「もう、ずっと会いにきてくれないから、寂しかった!!」
状況が飲み込めず、一葉は唖然とする。この女性は彼の恋人だろうか。それとも、婚約者?もしそうならなぜここに自分を連れてきたのだろう。
「悪かったよ、もも。仕事が忙しくて。」
紅司の大きな手がももと呼ばれる彼女の頭を撫でると、彼女の大きな黒目が嬉しそうににっこりと笑う。
紅司の優しげな表情から、彼女が紅司にとって大切な存在であることは明白で。
「…まあ、今日会ったから許す!
で、そちらは?」
問いかけた彼女の目は紅司ではなく一葉を向いていた。冷たい視線を向けられて、一葉はにっこりと微笑む。心のうちではなんなんだ、と毒づきながら。
「紅司様の付き添いで参りました。
現在紅司様の専属執事をしております、真壁一葉と申します。」
「ふーん。まあ、どうぞ中へ。お茶くらいは出すわ。」
渡された一葉の名刺を興味なさそうに一瞥すると、彼女は紅司の手を引いて2人を中に入れた。
カフェのようになっている中の、奥の一角に紅司と隣り合い座るよう勧められる。
少ししてして机の上にケーキと紅茶を運び、彼女は一葉たちの目の前に座った。
「この人がそうなの?」
「ああ。」
紅司と彼女の間でよくわからないやりとりが交わされ、そのあと彼女は一葉に意地悪そうな笑みを見せた。
「…ふーん。
こんにちは、一葉さん。私は紅司の婚約者で、桃香といいます。よろしくね。」
「ちょっ…「だまってて!」
慌てて何か言おうとした紅司を桃香が強い口調で制す。
…紅司に婚約者がいることなど、全く不思議じゃない。
どこかでほっとする自分がいた。
これで、今日彼の元から離れる俺は、少しも彼の枷にならずに済むし、彼は、きっと幸せになる。なるはずなのに…
「よろしくお願いいたします。」
そう言って作り笑いを保った自分の口端が震えるのを感じた。それがわかったのか、桃香はさらに意地の悪い笑みを浮かべる。
「自分勝手で悪い男よね。
婚約者がいながらも貴方をパートナーにしたいと言って、会えない状態の婚約者を放って毎日お楽しみ。
上に立つ立場の男って最低よね?どうせ仕事もテキトーに誰かに押し付けて人のことなんて少しも大切にできないんだわ。」
桃香の口からひっきりなしに出てくる罵詈雑言。一葉がそこに覚えた感情は、怒りだった。
「…ないで…。」
口が勝手に開いて、自分で歯止めをかけようとしたがもう無理だった。
「え?」
彼女が目を丸くして首をかしげる。
「紅司様を侮辱しないでいただきたい。努力を積み重ねてきた人間だ。それに名家の跡取りに婚約者がいるなんて当たり前でしょう。
俺が断らなかったことです。当主様にお願いして役割を変えてもらうことだって、本当はやろうと思えばできたはずだったんだ。」
「一葉っ!!」
突然、大きな声とともに、彼女の目を見て突っかかる一葉の目を、立ち上がった紅司が思い切り塞いだ。
ふしばった指の隙間から、硬直しきった桃香の引きつった顔がのぞく。
…ああ、そうか。意図せずグレアを放つほどに、自分は怒っていたのか。
「申し訳ございません、取り乱してしまいました。」
怒りに任せて行動した反省を込めて、桃香に深々と頭を下げる。
向かいに座る桃香の表情は見えないが、きっと怒っているのだろう。
彼女がすうっと息を吸う音が聞こえる。この後、怒声が飛ぶのだろうか。あるいは殴られるか…
仕方ない。殴られたとしても文句は言えないことをした。
「こうちゃん、いい子だね!」
張り詰めた空気の中、太陽のような明るい声がいきなり響き渡った。
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