跪くのはあなただけ

沈丁花

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ep8

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「おはようございます。」

耳を掠めるすこし高い声、鼻をくすぐる微かな清潔感のある香り、頰に当てられた、紅司より一回り小さな優しい手…。

重たい瞼をゆっくりと開けば、ぼやける視界の中、すぐ目の前に美しい相貌が映った。

「なぜ、ここに…?」

おかしい。なぜ今自分はベッドの上にいるのだろう。昨夜夕食を食べた後から記憶がない。

「昨夜お倒れになったので、寝室まで運ばせていただきました。医師からは、過労だからゆっくりお休みになるようにと。」

言われて記憶をたどってみる。

‘立てますか?お支えします。寝室まで歩きましょう。’

そういえば華奢な身体に支えられながら、寝室までの道のりを歩いた気が…

「手間をかけたな。すまなかった。」

言いながら上体を起こそうとした紅司は、上手く力が入らずに、わずかに背をバウンドさせることしかできなかった。

横にいた一葉が背に手を入れて、起き上がるのを手伝ってくれる。切りたてのみずみずしい檸檬のような、煌びやかな金の髪がさらりと揺れた。

深い海のような青い瞳が、真っ直ぐに紅司を見つめて、形の良い唇がくすりと笑んだ。

ふと、目が合っただけでSubの顔をしていた一葉が警戒せず自分に触れたことに、紅司は違和感を覚える。

…まあ、そこまで気にすることでもない、か。抵抗なく触れられることは喜ばしい。

「いえ、仕事ですから。それにこうなる前に気づかなかった私にも責任があります。」

起き上がり、服が全て着替えさせられていることに気がついた。一葉が着替えさせてくれたのだろう。

枕元を探り、目に入った時計は午後一時を指していた。

いけない。まだ大量に雑務が残っているのに。

「着替えを用意してくれ。」

「お体に触ります。もう少しお休みになられては。」

多少憔悴して声を荒げた紅司に対し、一葉は冷静にそう告げた。

「それなら自分で用意する。心配は有難いが、やることが多すぎて休んでいられない。」

心配してくれるのは嬉しいが、そうも言っていられないのだ。

愛染家の跡取りの座は、当主の気持ち次第で変わってしまうかもしれない。そして、もし紅司がそこから降ろされれば、一葉を傍に置くことはできなくなる。

ぐっと腕に力を入れ、足をベッドの外へ下ろした。そのまま地面に足を下ろして、ゆっくりと立ち上がって…

しかし、ベッドから立ち上がった途端に立ちくらみと吐き気がして、紅司はそのまま座り込んだ。

力の抜けた身体は、すぐさま一葉にベッドへと戻される。

「いけません。せめて今日1日は、お休みになられてください。」

「しかし… 」

どう反論するかを考えていると、手に何かひんやりと冷たいものを握らされた。ゼリー状の栄養食品だ。

「病人は休むのが仕事です。しっかりと栄養をとって寝てください。

データの解析や資料の作成などは私にもできますので、明日からお手伝いしますから。」

これ以上反論するなと言わんばかりのきっぱりとした口調で、彼はそう告げた。

「俺の仕事を手伝わせるのは気がひける。」

正直1人だと疲れで作業効率も落ちてきていたので本当にありがたい申し出なのだが、執事に自らの仕事を押し付けるなどあり得ない。

ぺちっ

首を横に振った紅司の頬がいきなり、音を立て何か冷たいものに包まれた。

「執事として、主人の体調管理は当然です。それに、そのような仕事をお手伝いするために、本を読みながら習得しました。手伝わせていただけますね?」

彼と視線が交錯する。覗いた瞳は心配そうに、そしてどこか縋るように揺らいでいて。

「…感謝する。」

そう言ってゼリー飲料を口に含むと、彼は満足げに頷き、紅司から目をそらした。

不思議な人だ。世話好きで、優しいくせに、どこか人と関わることに怯えている。

夜道で会ったあの時も、主人として顔を合わせた時も、関係を持ってしまった時も、

彼は紅司に縋るような目をしていた一方で、その瞳には怯えの色が混じっていて。

そんなことを考えながら、飲料を少しずつ吸っていく。

軽く嚥下すれば口内にすっきりとした甘さが広がり、飲み込めばひんやり冷たい感触がつるりと喉を通っていった。

…美味しい。

素直にものをおいしいと思ったのはいつぶりだろうか。

ここにきてからも、ここに来る前もずっと、食事はただの面倒な行為でしかなかったのに。

向こうで一葉が窓を開けたのか、温かな春風が入ってくる。

その優しい風の中、心地よい満腹感に包まれながら、紅司はゆっくりと目を閉じた。
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