跪くのはあなただけ

沈丁花

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ep2

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「明日から一葉には、離れで仕事をしてもらう。他3人は一葉の抜けた穴をしっかりと埋められるように。」

「「「かしこまりました」」」

執事全員が集められた室内で、当主の言い放った一言に一葉の頭は真っ白になった。なんで俺だけが…?

一葉の毎日は、それなりに忙しい。

メイドが本家の人々を起こす1時間半前(大抵は6時)に起床し、身なりを整え着替えた後、他の使用人を起こしてから自らの朝食をとる。

そこから朝食の給仕を行い、その後も酒類、食器の管理をしたり、使用人の仕事振りを見回って確認したり、来客の出迎えをしたりと、 夕食が終わるまでの間はやることが尽きない。

もちろん家の人に呼ばれればいつでも駆けつけるし、彼らや来客と話を合わせられるように、夕食後もニュースや流行のチェックも行なっていて。

簡単な資料の作成や、主人に求められた資料の提供だって、勉強してできるようになった。

15で見習いとして引き取られた時から、一葉の勤務態度は他に引けを取らないくらいに良好であったように思う。

愛染の家に仕える執事は計4人。その中で一葉だけが離れに飛ばされる、だなんて…

しかも明日から。一言の相談もなく、いきなり。

愛染家の離れは広く、掃除こそされているものの誰か住んでいるわけではない。離れの管理は執事の仕事の域ではないのだ。

「かしこまりました。お言葉の通りに。」

動揺を隠せないまま、それでもなんとか我に帰り、礼儀正しく返答をする。

「詳細は夜だ。8時に私の部屋に1人で来てくれるね?ワインでも飲みながら話そうじゃないか。」

「承知いたしました。」

「では全員、持ち場に戻ってくれ。」

主人がパンっと手を叩けば、4人は再び頭を下げ、部屋を出た。

少し1人になりたくて、一葉はほとんど人が足を踏み入れない裏庭の荒れた場所へと向かう。

雑草だらけの庭には一つ、ポツンと二人がけのベンチがあった。

母親に邪魔者扱いされてこの家に来てから、一葉は割とすぐこの場所を見つけたように思う。

嫌なことがあるといつもここにきていた。今でもそう。見つけた経緯などは覚えていないが、なぜかここにいると落ち着いて。

目を瞑ると爽やかな風が頬をかすめ、自分の隣に誰かいるような錯覚に陥る。

そしてどういうわけか人嫌いの一葉が、その感覚だけは愛することができるのだった。




そしてその夜である。当主の部屋に1人で入ることへの緊張と、何かやらかしてしまったのではないかという恐怖で震えながら、一葉は当主の前に腰掛けていた。

当然営業スマイルは引きつっている。

「なんの相談もなしに突然決めて、すまなかったな。まあ、遠慮なく飲んでくれ。」

そして普段はなにがあっても座ることのないふかふかのソファーの上で、見習い期間も含めると10年間も仕えてきた主に笑いながら頭を下げられた。

当主は悪びれもせずにこにこしており、なんというかフレンドリーな空気である。

一葉は肩の力が抜けて、もうどうにでもなれとため息をついた。もちろん心の中での話だが。

「いえ、旦那様の命であれば、従うのが私の務めですから。」

15の何もできない自分を見習いとして雇い、今も引き続き雇用してくれている当主には感謝している。

だから精一杯仕えてきたし、今回の件で辞めようとは思わない。

それでもでも頭を下げることくらい誰にでもできるし、良いワインを開けられたって赤は好みじゃない、とひねくれてしまう自分がいる。

どうせならストレス発散に可愛いSubでも調教したい。早く終わってくれと顔面に満面の笑みを貼り付けた。

「それで、本題なんだが… 」

‘え、今のが本題じゃないの?’と、げんなりする気持ちを必死で隠し、笑みを保つ。

まだ先があるのか。まさか裏庭の草むしりも併せてよろしく、とか言われるのでは…などと考えを巡らせぞっとする。

「単刀直入に言うと、一葉には跡取り専属の執事になって欲しい。」

彼の言葉に一葉はん?と自分の中の記憶を探った。知る限りこの家には令嬢が3人いるだけだ。

「…僭越ながら申し上げますが、愛染の家に御子息はいらっしゃらないはずでは?」

当主は少し気まずそうに目を泳がせる。

「あまり大きな声で言える話ではないんだが、実は他に2つばかり家庭を持っていてね。息子は4人いるんだ。」

4人…と言うことはこの人は最低でも7人子供がいるわけか。

人ってわからないものだな…

「失礼いたしました。」

「いや、構わないよ。私は意図的に隠していたのだから。」

いやでも、それにしたっておかしい。だって…

「失礼ながら、もう1つお尋ねしてもよろしいでしょうか。」

「もちろん。そのために2人で話してるのだから。」

「私は、離れに行くと聞いております。」

次期当主が、離れに…?そんなことがあるのだろうか。

「言葉通りだが?」

「いえ、しかし… 」

それはおかしいのでは…、と言いかけて一葉は口を噤んだ。

家のことに口を出すなど仕事の域を超えている。沈黙は金。黙っているのが一番いい。

「かしこまりました。いつ、ご挨拶に伺えばよろしいでしょうか。」

「行く必要はない。紅司、入りなさい。」

突然当主が一葉の背の方にあるドアに向かって大きな声で呼びかけた。

ガチャリ、とドアが開き、コツコツと革靴の音が近づいてくる。

規則正しい靴音は、一葉の横で静止した。

「よろしく、一葉。」

低く美しい声が凛と響く。声の方を振り返れば、ふしばった大きな手が差し出されて。

「精一杯仕えさせていただきます。」

すっと立ち上がり、自分の手が下になるようにその手をすくい上げた。

安心させる温かさが一葉の手をやんわりと覆う。その温もりにどこか安心する自分がいた。

彼が明日から…いや、今から自分が仕えることとなる人。

緊張した面持ちで一葉はゆっくりと顔を上げる。

背が高いと思った。一葉の目線の高さでは、整った鼻筋までしか見えない。そのまま目線を上げていく。

…どくり、心臓が脈打った。

まずい。この場から早く逃げ出すべきだと本能が警報を鳴らしている。

立場上何も言わずに逃げ出すことはできないから、一葉はちらりと当主を見た。

「では、あとは2人でやってくれ。」

抵抗虚しく当主はそのままソファを立ち、足早にドアの方へと歩いていく。

「またあったな、サッカー少年。」

ばたん、とドアの閉まる音がしたあと、目の前の男は形の良い唇を吊り上げ、一葉にそう言い放った。

この目…間違いない。あの夜一葉の蹴った石が当たったひとだ。

どんな不幸な偶然だよと自分の運命を呪いたくなる。これからこの人の専属になるなんて、本当に勘弁してほしい。

「僭越ながら、なんのことでしょう?」

あの暗がりだ。見つめあった時間もそんなに長くない。一葉は何事もなかったように首を傾げた。

「…まあいい。よろしくな。」

握手が解かれる。

まるでわかっているぞというように意地悪く言われ、終わった、と思った。

どこか冷たい黒い瞳は、一葉をまっすぐに見つめている。

今彼が一言でもcommand命令を発したら、一葉はすぐさま従うだろう。

いっそもう自ら服従してしまいたい。

服をはだけて、
跪いて、
靴を舐めて。

そして紅司もまた、一葉をDomの顔で見つめていた。わずかにglareが漏れていて、一葉はその場から動けなくなる。

彼の唇が開かれるのが、一葉にはスローモーションのように思えた。このまま彼の口からはcommandが…

「今日はもういい、明日は七時に起こしてくれ。」

予想に反し、紅司はあっさりと一葉から目をそらすと、そのままドアの方へ向かってしまった。

「かしこまりました。」

礼をして、その背中を見送る。

誰もいなくなった部屋の中、一葉は呆然と佇んでいた。

いま、俺は何を考えていた?

思い返すだけで恐ろしい。

…やめだやめ。可愛いSubに会いにいこう。俺はDomだ。

…支配されたりはしない。

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