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54. その後
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「さあ、レッドカーペットには続々とオスカーを手にするであろう俳優、女優、監督や脚本家やその他、映画界のそうそうたるメンツが到着しております!
今年のゴールデングローブ賞そしてこのアカデミー賞は、ハリウッド史上稀な戦いになってきています。注目は、何と言ってもリチャード・ダンスタンとその愛娘ルーシー・ダンスタンの親子初共演作『アフターマス』、こちらは先日のゴールデングローブでルーシー・ダンスタンが助演女優賞を勝ち取りました。
そしてもうひとつ忘れてはならないのは、全世界が待ちわびていたミチル・アカツキの、男女両方を演じた主演作『グレイブヤード』、こちらも素晴らしい作品で、ミチルは二度目のゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞、そして監督を務め——
おっと、ひときわ大きな歓声が響いてきました! どうやらダンスタン親子が到着したようです! リチャードがルーシーをリードする形でファンの声援に応えながらゆっくりとレッドカーペットを進んでいきます。『アフターマス』は、ルーシーの婚約者で日本で絶大な人気を誇る小説家シウ・ナカヤマが原作を書いたもので、ダンスタン親子はもちろん、フレデリック・チャールズ監督も原作を忠実に再現したと語る作品、家族の力と申しますか、制作陣が一丸となっているのが映像からも伝わってくるようです。
お! 皆さま今の大歓声が聞こえましたでしょうか? 先ほどのダンスタン親子を上回るほどの絶叫、これはもしかすると……?
キモノを着た女性が若い男性にエスコートされてレッドカーペットに足を踏み入れ……
……あ! た、大変失礼いたしました! ミチル・アカツキです!! 女性用と思われる赤を基調にしたキモノを着て優雅に歩むのは、ミチル・アカツキです!! そしてエスコートしている青年は……『グレイブヤード』の監督、のように見えますが、この距離では確認ができず……。お、ここでミチル・アカツキがスマートフォンを取り出してセルフィを撮り始めました。ファンとも気さくに接していますが……。
今情報が入りました! 今のセルフィと共に、ミチル・アカツキがWEB上に声明を出しました!
『このアカデミー賞のレッドカーペットを愛する息子のエスコートで歩けたことを、僕は死んでも忘れないでしょう。結果は後からついてくるもの。今夜は思い切り楽しみたい』という声明です!
つまり、『グレイブヤード』の監督テル・コウサカは……ミチル・アカツキの息子、ということですね! 何と言うことでしょう! 何という衝撃! テル・コウサカがもしオスカーを手にしたとすれば、史上最年少での受賞となります。それだけでも歴史的快挙ですが、もし、もしもミチル・アカツキが主演男優賞を獲得すれば、親子同時受賞という、これまたとんでもない記録になります! これはまさに、ダンスタン親子とアカツキ親子との対決といえぐっ、あ、噛んだ!!! あー! もうちょっとだったのにぃ!!」
「……親父、何やってんの?」
俺は『暁みちるの部屋』に入ってから親父が何やら熱烈に暗唱している実況中継を聞いていた。
「決まってるだろ! イメトレだよ!!」
……はぁ。
「あのさ、そういう妄想とか自由だけどさ、マジで俺のことは伏せてくれよな。やっと次の舞台演出決まったんだから」
「え! 決まったの? ハコは? 監督は? 俺も見に行ける?」
「下北のちっちゃいハコだし監督も全然無名の人だよ、実力はあるけど。でも親父が来たら大騒ぎになるから来るな」
「ええええぇぇぇぇぇ?!」
なんか、最近こんなんばっかだ。
高校を卒業した俺は、まずは親父が勧めてくれた劇団に役者兼演出家志望という体で入って三年、演じる側の立場からも、演出する側の視点も学び、次の公演から初めて演出家としての役割を担うことになった。
でも、舞台を経験してみても、俺はやっぱり映画を作りたいみたいだ。
だからこの公演が成功すれば、俺もアメリカに飛ぶつもりでいる。役者と演出家の二足わらじの上に、映画製作における日本とアメリカの違い、監督という仕事の差異も勉強して、正直しんどい日々だけど、俺の中では疲れより充実感が勝っていた。
詩日さんは、大学院の入試に落ちて、今は浪人生として勉強している。
俺がワガママなのかもしれないけど、俺は自分の夢と詩日さん、両方を手放したくなかった。だから、もう、先手を打つことにした。
◇
場所は、忘れもしない、例の駅ナカのカフェだった。
「懐かしいねぇ、輝くんが上京してからなかなかこの駅には来てないし」
「そうですね、全席禁煙になってますけど……大丈夫ですか?」
「ん、30分」
「充分です」
「え、30分で済む用事なの?」
「すぐ済みます」
きょとんとしている詩日さんを尻目に、俺はバッグから小箱を取り出した。予想はしてたけど、それを見ても詩日さんはぽかんとしている。
「詩日さん、これ何か分かりますか」
「随分と小さな箱だね。小型の電子機器でも入っているのかな?」
「俺は詩日さんのそういう天然なところも好きです」
言いながら、俺は箱を開け、中で輝くシンプルなシルバーの婚約指輪を見せた。
「なるほど、アクセサリーの容れものだったのか。合点がいった」
「詩日さんは合点がいっても、理解してませんよ」
「理解」
「はい。俺が意味もなく他ならぬ詩日さんにこんな指輪を見せると思いますか?」
「んー、つまりこの指輪には何らかの意味がある、と」
「その通りです」
「これは何かのクイズ?」
「俺の、一世一代のクイズです」
「一世一代とは聞き捨てならないな」
「あのですね、これ普通クイズになりませんよ? 男性が恋人に指輪を渡す、これが何を意味するか、大体の方は分かります」
「そうなのか。では私は大体の人間にはカテゴライズされない、と」
「そうですよ、知ってましたけど」
「んー、降参だ。正解を教えてくれないか」
「はい。左手を出してください」
詩日さんが白くて小さな手を突き出してきた。俺はその薬指に、慎重に、指輪を滑らせるように装着した。どうやら詩日さんも第二関節辺りで気づいたようだ。
「えーと、輝くん、もしかしてこれは——」
「はい、世に言うプロポーズというものです。中山詩日さん、俺と結婚してください。あ、『けっこん』って血液の痕じゃないですからね」
「は……」
詩日さんは口をぱくぱくさせたまま動かなくなってしまった。
「返事は急ぎません。俺は、近い内にアメリカに映画製作の勉強をしに行きたいと思ってます。本音を言えば詩日さんと一緒に渡米したいですが、詩日さんは院試がありますし……」
その瞬間、詩日さんがばっと立ち上がって、飛びかかるように俺に抱きついてきた。テーブルの空のカップが倒れた。
「輝くん、最初に言ったのを覚えていないのか。私はきみといないと諸々に支障を来す体質だって。そんな哀れな体質の私を置いて米国に行くだなんて、よくもまあそんな残酷な真似を!」
「い、いや! だからプロポーズしたんです! 結婚して、正式に、つまり社会的に夫婦となって、香坂詩日として、一緒にアメリカに行きませんか? もちろん、詩日さんの勉学に支障が出るなら別の手を考えますけど……」
「こーさかうたか……」
詩日さんは俺にしがみついたまま、半ば恍惚として呟いた。
「こうさかうたか、コウサカウタカ、甘美な響きだ」
そこかよ。
「輝くん、どうしたら私は『こーさかうたか』になれるのかな」
「俺のプロポーズに『イエス』と答えて、双方の両親に報告して、それからおそらく役所での書類手続きがあって、婚姻届を提出したら、なれます」
「分かった。じゃあ行こうか」
「は?」
「幸い今日は両親共に在宅だ。一緒にウチに来てもらって——」
「詩日さん、その前にイエスかノーか、俺のプロポーズに答えてください」
「イエスって言うだけ? イエスイエスイエス、これでいいかな?」
俺は耐えきれなくなって笑い出してしまった。
「じゃあこれは宿題にしましょう。このままでは俺が詩日さんにイエスと言わせる誘導尋問になってしまいます。詩日さん、『結婚』、『婚姻』、『夫婦』といった言葉の定義を調べてみてください。プロポーズの答えはそれらを理解してからで構いません」
「奥が深い……」
眉間にしわを寄せて真剣に考え込む詩日さんは明らかに変人だが、残念ながら俺はこの変人さんを、心から愛しているのである。
今年のゴールデングローブ賞そしてこのアカデミー賞は、ハリウッド史上稀な戦いになってきています。注目は、何と言ってもリチャード・ダンスタンとその愛娘ルーシー・ダンスタンの親子初共演作『アフターマス』、こちらは先日のゴールデングローブでルーシー・ダンスタンが助演女優賞を勝ち取りました。
そしてもうひとつ忘れてはならないのは、全世界が待ちわびていたミチル・アカツキの、男女両方を演じた主演作『グレイブヤード』、こちらも素晴らしい作品で、ミチルは二度目のゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞、そして監督を務め——
おっと、ひときわ大きな歓声が響いてきました! どうやらダンスタン親子が到着したようです! リチャードがルーシーをリードする形でファンの声援に応えながらゆっくりとレッドカーペットを進んでいきます。『アフターマス』は、ルーシーの婚約者で日本で絶大な人気を誇る小説家シウ・ナカヤマが原作を書いたもので、ダンスタン親子はもちろん、フレデリック・チャールズ監督も原作を忠実に再現したと語る作品、家族の力と申しますか、制作陣が一丸となっているのが映像からも伝わってくるようです。
お! 皆さま今の大歓声が聞こえましたでしょうか? 先ほどのダンスタン親子を上回るほどの絶叫、これはもしかすると……?
キモノを着た女性が若い男性にエスコートされてレッドカーペットに足を踏み入れ……
……あ! た、大変失礼いたしました! ミチル・アカツキです!! 女性用と思われる赤を基調にしたキモノを着て優雅に歩むのは、ミチル・アカツキです!! そしてエスコートしている青年は……『グレイブヤード』の監督、のように見えますが、この距離では確認ができず……。お、ここでミチル・アカツキがスマートフォンを取り出してセルフィを撮り始めました。ファンとも気さくに接していますが……。
今情報が入りました! 今のセルフィと共に、ミチル・アカツキがWEB上に声明を出しました!
『このアカデミー賞のレッドカーペットを愛する息子のエスコートで歩けたことを、僕は死んでも忘れないでしょう。結果は後からついてくるもの。今夜は思い切り楽しみたい』という声明です!
つまり、『グレイブヤード』の監督テル・コウサカは……ミチル・アカツキの息子、ということですね! 何と言うことでしょう! 何という衝撃! テル・コウサカがもしオスカーを手にしたとすれば、史上最年少での受賞となります。それだけでも歴史的快挙ですが、もし、もしもミチル・アカツキが主演男優賞を獲得すれば、親子同時受賞という、これまたとんでもない記録になります! これはまさに、ダンスタン親子とアカツキ親子との対決といえぐっ、あ、噛んだ!!! あー! もうちょっとだったのにぃ!!」
「……親父、何やってんの?」
俺は『暁みちるの部屋』に入ってから親父が何やら熱烈に暗唱している実況中継を聞いていた。
「決まってるだろ! イメトレだよ!!」
……はぁ。
「あのさ、そういう妄想とか自由だけどさ、マジで俺のことは伏せてくれよな。やっと次の舞台演出決まったんだから」
「え! 決まったの? ハコは? 監督は? 俺も見に行ける?」
「下北のちっちゃいハコだし監督も全然無名の人だよ、実力はあるけど。でも親父が来たら大騒ぎになるから来るな」
「ええええぇぇぇぇぇ?!」
なんか、最近こんなんばっかだ。
高校を卒業した俺は、まずは親父が勧めてくれた劇団に役者兼演出家志望という体で入って三年、演じる側の立場からも、演出する側の視点も学び、次の公演から初めて演出家としての役割を担うことになった。
でも、舞台を経験してみても、俺はやっぱり映画を作りたいみたいだ。
だからこの公演が成功すれば、俺もアメリカに飛ぶつもりでいる。役者と演出家の二足わらじの上に、映画製作における日本とアメリカの違い、監督という仕事の差異も勉強して、正直しんどい日々だけど、俺の中では疲れより充実感が勝っていた。
詩日さんは、大学院の入試に落ちて、今は浪人生として勉強している。
俺がワガママなのかもしれないけど、俺は自分の夢と詩日さん、両方を手放したくなかった。だから、もう、先手を打つことにした。
◇
場所は、忘れもしない、例の駅ナカのカフェだった。
「懐かしいねぇ、輝くんが上京してからなかなかこの駅には来てないし」
「そうですね、全席禁煙になってますけど……大丈夫ですか?」
「ん、30分」
「充分です」
「え、30分で済む用事なの?」
「すぐ済みます」
きょとんとしている詩日さんを尻目に、俺はバッグから小箱を取り出した。予想はしてたけど、それを見ても詩日さんはぽかんとしている。
「詩日さん、これ何か分かりますか」
「随分と小さな箱だね。小型の電子機器でも入っているのかな?」
「俺は詩日さんのそういう天然なところも好きです」
言いながら、俺は箱を開け、中で輝くシンプルなシルバーの婚約指輪を見せた。
「なるほど、アクセサリーの容れものだったのか。合点がいった」
「詩日さんは合点がいっても、理解してませんよ」
「理解」
「はい。俺が意味もなく他ならぬ詩日さんにこんな指輪を見せると思いますか?」
「んー、つまりこの指輪には何らかの意味がある、と」
「その通りです」
「これは何かのクイズ?」
「俺の、一世一代のクイズです」
「一世一代とは聞き捨てならないな」
「あのですね、これ普通クイズになりませんよ? 男性が恋人に指輪を渡す、これが何を意味するか、大体の方は分かります」
「そうなのか。では私は大体の人間にはカテゴライズされない、と」
「そうですよ、知ってましたけど」
「んー、降参だ。正解を教えてくれないか」
「はい。左手を出してください」
詩日さんが白くて小さな手を突き出してきた。俺はその薬指に、慎重に、指輪を滑らせるように装着した。どうやら詩日さんも第二関節辺りで気づいたようだ。
「えーと、輝くん、もしかしてこれは——」
「はい、世に言うプロポーズというものです。中山詩日さん、俺と結婚してください。あ、『けっこん』って血液の痕じゃないですからね」
「は……」
詩日さんは口をぱくぱくさせたまま動かなくなってしまった。
「返事は急ぎません。俺は、近い内にアメリカに映画製作の勉強をしに行きたいと思ってます。本音を言えば詩日さんと一緒に渡米したいですが、詩日さんは院試がありますし……」
その瞬間、詩日さんがばっと立ち上がって、飛びかかるように俺に抱きついてきた。テーブルの空のカップが倒れた。
「輝くん、最初に言ったのを覚えていないのか。私はきみといないと諸々に支障を来す体質だって。そんな哀れな体質の私を置いて米国に行くだなんて、よくもまあそんな残酷な真似を!」
「い、いや! だからプロポーズしたんです! 結婚して、正式に、つまり社会的に夫婦となって、香坂詩日として、一緒にアメリカに行きませんか? もちろん、詩日さんの勉学に支障が出るなら別の手を考えますけど……」
「こーさかうたか……」
詩日さんは俺にしがみついたまま、半ば恍惚として呟いた。
「こうさかうたか、コウサカウタカ、甘美な響きだ」
そこかよ。
「輝くん、どうしたら私は『こーさかうたか』になれるのかな」
「俺のプロポーズに『イエス』と答えて、双方の両親に報告して、それからおそらく役所での書類手続きがあって、婚姻届を提出したら、なれます」
「分かった。じゃあ行こうか」
「は?」
「幸い今日は両親共に在宅だ。一緒にウチに来てもらって——」
「詩日さん、その前にイエスかノーか、俺のプロポーズに答えてください」
「イエスって言うだけ? イエスイエスイエス、これでいいかな?」
俺は耐えきれなくなって笑い出してしまった。
「じゃあこれは宿題にしましょう。このままでは俺が詩日さんにイエスと言わせる誘導尋問になってしまいます。詩日さん、『結婚』、『婚姻』、『夫婦』といった言葉の定義を調べてみてください。プロポーズの答えはそれらを理解してからで構いません」
「奥が深い……」
眉間にしわを寄せて真剣に考え込む詩日さんは明らかに変人だが、残念ながら俺はこの変人さんを、心から愛しているのである。
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