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43. 夕日
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「もう一度言う。私は人間が嫌いだ」
「はい?」
予想外の台詞に、俺は思わず聞き返した。
「まあ、だからといって動物保護だとか地球に優しくだとか、そういうことを主張したいわけではない。何かの動物や植物が地球から消えようが、私は気にしない。しかし人間となるとこれは難しい。人類に絶滅されては私は困る。私も人類だからね。私はまだ死にたくない」
「は、はぁ……」
何を言っているんだろうこの人は、と聞いていたが、詩日さんの横顔は極めて穏やかなように見えた。というか冷静? どうだろう、詩日さんは、冷静なふりをできる人だろうか?
「人間が嫌いと言っても、両親や詩雨のことは大切に思っている。しかし他の親族や友人は別にどうなろうとあまり気にしない。気にならない。だから私はひとりでいるのが性に合うんだろうと思って20年以上生きてきた。特に苦のない人生だね、今のところ」
「それは……よかったですね……」
もうどこから突っ込んでいいのか分からないが、とりあえずそう言っておいた。
「ところがよくないんだ、最近。何らかの異変が生じている」
「……異変、ですか」
「きみがいないと心許なくなる。悲しくなる。きみがいない時、きみは何をしているかなとか、英会話レッスン以外の繋がりが持てないだろうかと考えてしまう。これはこの二十余年例のない現象で、こうしてきみといると嬉しいし体温が上がる気がする。理由は分からないがどうやら私はきみと一緒にいないと諸々に支障を来す体質のようだ」
「た、体質? 詩日さん、それはもしかして……」
「私自身よく分からないんだ、自分に何が起きているのか。だがあの日、私は吹き矢を持っていないことを心から後悔した。忸怩たる思いだった。そして合点がいった。嫉妬してしまったらしい」
なんか話が分からなくなってきたぞ。
「すみません、『あの日』と『吹き矢』の意味が分かりません」
「きみ、レッスンで私に”th”の発音を教えてくれた翌日に、私服のとても愛らしい女の子とカフェに行かなかったかい?」
あやめだ。あやめと一緒にあのオシャレなカフェに、確かに俺は行った。
「その通りですけど……。吹き矢、とは一体……」
「持っていたら私はその女の子に放っていた、という次第だ。明らかに嫉妬だ」
俺は詩日さんの言葉ひとつひとつを吟味し、あたかも宝石鑑定士になったかのような慎重さで理解に腐心した。
「つまり、詩日さんは、俺が自分以外の女子と一緒にいるのを見かけ、その子に対して嫉妬心を抱いてくださった。そういうこと、です、か?」
「私の自己分析ではそういうことになっている。そして、あの女の子がきみの恋人だったら、と思ったら思考回路がまともに動かなくなった。ただ、希望的観測だったが、あの子はそうではないように見えた。単なる勘だけどね」
「あ、合ってます! 当たってます!! 彼女は単なるクラスメイトです!!」
大声でそう言うと、詩日さんはほんの少し息を吐いた。
「安堵したよ。恋人がいるのに、きみと四六時中一緒にいるわけにはいかない。それで、カラオケでのレッスンの時、確信した。きみが私に壁ドンをしてくれた際、私は目をそらさざるを得なかった。きみの顔がすぐそこにあった。自分が何をするか恐くもあった。だからきみに嫌われるようなことをしでかす前に、自ら退散した」
訥々と詩日さんは続けたが、俺は呆然としていた。
「お、俺は詩日さんが逃げるように帰ってしまったので、てっきり壁ドンを不快に思って、俺のこと嫌いになって出て行ったんだと思って……それから屍のように過ごしました」
「奇遇だね、私もだ」
ここまで互いに勘違いしているのだ、ここはもう素直になって全部伝えた方がいい。
そう思った俺は、左側に座る詩日さんの右手に自分の左手を重ねた。
「詩日さん、実は俺、恋愛というものをしたことがなくて、理解できなかったんです。詩日さんのことしか考えられなくなって、頭がおかしくなったのかとすら思いました。だけど、これが恋愛、恋というものだ、と友人に言われて……。詩雨にも協力してもらって、必死に、その、必死に詩日さんに近付こうとして。ですが、勝手に失恋したと思い込んでいたところを親父に気持ちをちゃんと伝えろと足蹴に……もとい、アドバイスされて、今、ここです。詩日さんに好きですと伝えたくて、ここにいます」
言い切ると、詩日さんはようやくこちらを向いてくれた。
少々目を見開いている。
「信じがたいことだが、きみも初恋というやつか」
「はい! 初恋で……、え、今詩日さん『も』って言いました?」
「言ったね」
詩日さんは、無表情だった。と思ったのは一瞬で、照れ隠しのように髪を掻き上げ俯いた。
俺の鼓動のBPMはとんでもない速度になっていた。
「えーと、野暮なようですが、これ以上の誤解を避けるため、確認させてください。
俺は詩日さんが好きで、詩日さんもその、俺のことを好いていてくれている、という認識でよろしいでしょうか?」
「……多分」
流石にストレートに言いすぎた。詩日さんはもぞもぞと居心地悪そうにしていたが、俺にはそれが物凄く愛らしく映って、気づいたら詩日さんの痩躯を抱きしめていた。
「詩日さん、俺にこうされて嫌ですか?」
「……んー、嫌ではない。多幸感が発生した」
「じゃあ俺たちは、好き同士です! 両思いというやつです!」
俺は詩日さんを離さず宣言した。
「俺と付き合ってください。と言っても俺はちゃんとした交際経験がないので、最初はどうしていいのか分からなくなる可能性が高いですが、詩日さんもこういった関係が初めてなら、二人で、その、探っていきませんか?」
しばらくハグした状態で詩日さんは黙っていたが、俺の顔を見られるまで頭を離し、
「同意する」
とだけ俺の眼を正面から見て言った。
「はい?」
予想外の台詞に、俺は思わず聞き返した。
「まあ、だからといって動物保護だとか地球に優しくだとか、そういうことを主張したいわけではない。何かの動物や植物が地球から消えようが、私は気にしない。しかし人間となるとこれは難しい。人類に絶滅されては私は困る。私も人類だからね。私はまだ死にたくない」
「は、はぁ……」
何を言っているんだろうこの人は、と聞いていたが、詩日さんの横顔は極めて穏やかなように見えた。というか冷静? どうだろう、詩日さんは、冷静なふりをできる人だろうか?
「人間が嫌いと言っても、両親や詩雨のことは大切に思っている。しかし他の親族や友人は別にどうなろうとあまり気にしない。気にならない。だから私はひとりでいるのが性に合うんだろうと思って20年以上生きてきた。特に苦のない人生だね、今のところ」
「それは……よかったですね……」
もうどこから突っ込んでいいのか分からないが、とりあえずそう言っておいた。
「ところがよくないんだ、最近。何らかの異変が生じている」
「……異変、ですか」
「きみがいないと心許なくなる。悲しくなる。きみがいない時、きみは何をしているかなとか、英会話レッスン以外の繋がりが持てないだろうかと考えてしまう。これはこの二十余年例のない現象で、こうしてきみといると嬉しいし体温が上がる気がする。理由は分からないがどうやら私はきみと一緒にいないと諸々に支障を来す体質のようだ」
「た、体質? 詩日さん、それはもしかして……」
「私自身よく分からないんだ、自分に何が起きているのか。だがあの日、私は吹き矢を持っていないことを心から後悔した。忸怩たる思いだった。そして合点がいった。嫉妬してしまったらしい」
なんか話が分からなくなってきたぞ。
「すみません、『あの日』と『吹き矢』の意味が分かりません」
「きみ、レッスンで私に”th”の発音を教えてくれた翌日に、私服のとても愛らしい女の子とカフェに行かなかったかい?」
あやめだ。あやめと一緒にあのオシャレなカフェに、確かに俺は行った。
「その通りですけど……。吹き矢、とは一体……」
「持っていたら私はその女の子に放っていた、という次第だ。明らかに嫉妬だ」
俺は詩日さんの言葉ひとつひとつを吟味し、あたかも宝石鑑定士になったかのような慎重さで理解に腐心した。
「つまり、詩日さんは、俺が自分以外の女子と一緒にいるのを見かけ、その子に対して嫉妬心を抱いてくださった。そういうこと、です、か?」
「私の自己分析ではそういうことになっている。そして、あの女の子がきみの恋人だったら、と思ったら思考回路がまともに動かなくなった。ただ、希望的観測だったが、あの子はそうではないように見えた。単なる勘だけどね」
「あ、合ってます! 当たってます!! 彼女は単なるクラスメイトです!!」
大声でそう言うと、詩日さんはほんの少し息を吐いた。
「安堵したよ。恋人がいるのに、きみと四六時中一緒にいるわけにはいかない。それで、カラオケでのレッスンの時、確信した。きみが私に壁ドンをしてくれた際、私は目をそらさざるを得なかった。きみの顔がすぐそこにあった。自分が何をするか恐くもあった。だからきみに嫌われるようなことをしでかす前に、自ら退散した」
訥々と詩日さんは続けたが、俺は呆然としていた。
「お、俺は詩日さんが逃げるように帰ってしまったので、てっきり壁ドンを不快に思って、俺のこと嫌いになって出て行ったんだと思って……それから屍のように過ごしました」
「奇遇だね、私もだ」
ここまで互いに勘違いしているのだ、ここはもう素直になって全部伝えた方がいい。
そう思った俺は、左側に座る詩日さんの右手に自分の左手を重ねた。
「詩日さん、実は俺、恋愛というものをしたことがなくて、理解できなかったんです。詩日さんのことしか考えられなくなって、頭がおかしくなったのかとすら思いました。だけど、これが恋愛、恋というものだ、と友人に言われて……。詩雨にも協力してもらって、必死に、その、必死に詩日さんに近付こうとして。ですが、勝手に失恋したと思い込んでいたところを親父に気持ちをちゃんと伝えろと足蹴に……もとい、アドバイスされて、今、ここです。詩日さんに好きですと伝えたくて、ここにいます」
言い切ると、詩日さんはようやくこちらを向いてくれた。
少々目を見開いている。
「信じがたいことだが、きみも初恋というやつか」
「はい! 初恋で……、え、今詩日さん『も』って言いました?」
「言ったね」
詩日さんは、無表情だった。と思ったのは一瞬で、照れ隠しのように髪を掻き上げ俯いた。
俺の鼓動のBPMはとんでもない速度になっていた。
「えーと、野暮なようですが、これ以上の誤解を避けるため、確認させてください。
俺は詩日さんが好きで、詩日さんもその、俺のことを好いていてくれている、という認識でよろしいでしょうか?」
「……多分」
流石にストレートに言いすぎた。詩日さんはもぞもぞと居心地悪そうにしていたが、俺にはそれが物凄く愛らしく映って、気づいたら詩日さんの痩躯を抱きしめていた。
「詩日さん、俺にこうされて嫌ですか?」
「……んー、嫌ではない。多幸感が発生した」
「じゃあ俺たちは、好き同士です! 両思いというやつです!」
俺は詩日さんを離さず宣言した。
「俺と付き合ってください。と言っても俺はちゃんとした交際経験がないので、最初はどうしていいのか分からなくなる可能性が高いですが、詩日さんもこういった関係が初めてなら、二人で、その、探っていきませんか?」
しばらくハグした状態で詩日さんは黙っていたが、俺の顔を見られるまで頭を離し、
「同意する」
とだけ俺の眼を正面から見て言った。
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