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第1章 傭兵と少女
第2話 戦闘機の少女
しおりを挟む「厄日だが、最悪の日じゃないな」
着地の衝撃を吸収する特殊素材をナイフで切り裂いて、脱出カプセルから抜け出す。最悪なのは俺が死ぬ日だ。それは今日じゃないはずだし、そうならないように行動する必要がある。
周囲は貨物運搬用のコンテナの森だった。少し離れた場所で黒煙が上がっているのが、墜落した戦闘機だろう。その方向から怒鳴り声が聞こえてくる。今のところ敵には見つかっていないが、早くこの場を離れなければ……。機体が爆発する寸前に脱出したおかげで、爆炎に隠れられたと思いたい。
「武装はナイフ1本と拳銃が1丁。あるだけマシか」
警戒しながら可能な限り素早く、物陰を伝って移動していく。目指すのはコンテナの背後に見える灰色の建造物。滑走路との位置関係と俺の勘によれば、あそこが飛行機の格納庫だ。
◇
幸運なことに敵に出会すこともなく、数分歩いた先で建物の裏口を見つける。音を立てずにゆっくり扉を押し開けると、薄暗い空間が現れた。
人間の気配はなく、鉄と油の匂いが漂う場所に浮かび上がるのは一機の戦闘機だ。紺と青の波模様で洋上迷彩が施された機体は、場にそぐわない気品のようなものを感じさせる。
「ほら見ろ。最悪の日じゃなかった」
扉を閉めつつ口の中で呟くと、足音を殺して近づいてゆく。暗闇の中でぼうっと浮かび上がる金属の塊に光がともったのは、辿り着くまで残り数歩といったタイミングだった。
あまりに突然の変化に驚き、周囲に銃口を向ける。しかし、予想した敵の銃声はなく、代わりに響いたのは鈴のような澄んだ美声だった。
「あなたは、悪いパイロット?」
「──」
なにが起きたのか理解できない。状況を把握しようとするほど意味が分からないのだ。こんな場所に非戦闘員がいるはずがない。
「私に酷いことをする人の仲間なの?」
「ま、待て。その戦闘機の影に隠れているのか?姿をみせろ」
咄嗟に口をついた、間抜けな台詞。ちょっとは落ち着けと頭のどこかで自分が言った。
「私のことを知らない……なら、悪い人じゃない?」
静かに戦闘機の風防ガラスが開いていく。戦闘時に情報が映し出されるはずの透過型ディスプレイには、およそ兵器にそぐわない可愛らしいキャラクターが映し出されていた。
長い金髪と白のワンピースが印象的な少女。周囲に表示されている文字列と同じエメラルドグリーンの瞳に覗き込まれていると知覚した瞬間、彼女に強烈に引き込まれるような感覚があった。
「乗ってくれる?その……ひどいことはしないから」
ようやく声を発しているのが戦闘機そのものであるという現実に理解が追いつく。
「──お前は、誰……いや、何だ?」
「私はエリザ。この戦闘機の──戦闘支援用システム。パイロットさん、お願いよ。私を、助けて……」
そう言った彼女の声は、今まで聞いたどんな声よりも悲痛で──祈りを捧げるように純粋で、心に深く突き刺さる真剣さを帯びていた。
◇
「助けてってのはつまり、ここから連れ出して欲しいってことでいいんだな?」
「えぇ。飛ばし方は分かっても一人じゃ飛べないの。だからここから逃げられない」
焦ったように話し続ける彼女を押しとどめて要点を確認すると、そういうことらしかった。
厄介ごとだ。関わるな。そう主張する自分もいる。一方で現状を切り抜けるには、この機体が絶対に必要だと分析する自分もいる。
だが、しかし。
だが、しかしだ。
そんな葛藤とは別の所で、なぜだかこの少女を助けたいと思っている自分がいる。過去の思い出か気まぐれか。それともAIの高度な演算能力によって思考が誘導されているのか。
おかしな妄想が浮かぶ程に混乱しているのは確かだが、すぐに決断を下さなければならない。ここは敵地で、いつ奴らに気付かれるとも知れないのだから。
「助けてもいい──が、条件がある」
「なに?」
意を決して言葉を紡ぐと、エリザと名乗った少女は警戒するように聞いてきた。
「ちょうど乗機をなくしたところでな。今後はずっとお前と飛びたい。ここから脱出した後も、だ」
「な、なに……」
ただの戦闘機だったら持ち帰ったら売ってしまうところだが、知性があると後味が悪すぎる。そもそも極秘研究の産物であろう高性能AIを他人に渡したら、どんなトラブルに巻き込まれるか分からないのだ。だったら自分で好きに乗り回した方が、よっぽどいいだろう。
「これは契約だ。俺はお前を助けてやる。お前も俺を助ける。『持ちつ持たれつ』ってやつさ」
「──ちょっと……」
「契約期間は──そうだな……。別に区切る必要も無いか。俺か、お前。どっちかが死ぬまで、でいいだろう」
「────そんなの……。プ、プロ──けっ……」
「ん、どうした?」
ディスプレイの表示をチェックしながら話していると、隅っこでエリザが両手で顔を隠していることに気付いた。何か小声で言っているようだが、よく聞こえない。
「おーい。今言った条件じゃ不満か?」
「わ、分かったわよ!ずっと、ずーっと一緒に飛んであげるわ。だから……その。わ、私を連れてって──」
「契約成立だな」
顔を真っ赤にして叫んだと思ったら最後は俯いて尻すぼみだったが、エリザの意思は確かに伝わってきた。
不服に思うことはあるようだが、合意できたのは純粋に良かったと思う。わだかまりは無くしたいが、ここを脱出してからゆっくり話し合っても遅くない。
「い……言っておくけど、乗ってる間に死なせるつもりはないわよ!」
「あぁ。俺も、そう簡単にくたばるつもりはない」
「なら、いいけ……──飛行機の音!?」
聞き慣れた轟音が頭上から降り注いだ。どうやら残りの味方は既に撤退したらしい。すぐに敵機が着陸態勢に入るのだろう。
「急いだ方がいいわね」
「あぁ、時間が無い。さっそく協力してもらえるか?」
「もちろんよ!さぁ、コックピットに──」
言われるままに座席につくと、初めてとは思えないほど身体にフィットした。まるで包み込まれているようだ。
小さく響く駆動音と共に、エリザの表情が別人のように真剣なものに変わる。
「攻撃機用強化型論理的知性システム──”Enhanced Logical Intelligence System for Attack aircraft”──E.L.I.S.A.動作試験機『イーグル』起動します」
コックピット内を目まぐるしく変化するディスプレイが照らし出す。美しいとすら感じる光の波に思わず息を飲んだ。
「初めまして、パイロット。ナンバーワンに登録します。お名前と階級、コールサインをどうぞ」
「レイ=ヤナガワ。軍人ではないので階級はなし。コールサインはゼロ」
聞かれたままを答える。このやり取りに不思議とワクワクしているのは、たぶん自分にも少年の心が残っていたのだろう。
「登録完了──よろしくね。レイ」
「あぁ、よろしく頼む」
世にも珍しい戦闘機の少女と挨拶を交わす。彼女が浮かべた輝くような笑みは、どんな宝物より価値があるような気がした。
◇
点火されたエンジンのうなりが格納庫を満たしている。ここから脱出するまでの障害は格納庫の扉と滑走路にいる敵兵に、上空の敵機の群れといったところか。まだ危機を脱していないが、戦闘機に乗っていると実感すると安心できた。
燃料と弾薬、各種航法装置。漏れがないよう順番に機体全体をチェックして、離陸に向けた準備を手早く進めていく。
「扉は私が開けるわ。いつでも大丈夫」
「了解だ。それと滑走距離をなるべく短くしたい。どれくらいまでいける?」
「300メートルかな。左手に出ればクレーンが六基はあるから、それを使えば有利に戦えるみたい」
「内容は正確なのに『みたい』って、ずいぶんと曖昧な言い方をするんだな」
戦闘支援用AIならもっとハッキリと自信ありげに話すかと思ったんだが、勝手な思い込みだろうか。
「何て言えばいいかな?うーんと……頭の中に勝手に浮かんでくる感じなの」
「どうやって分かったか、自分でも理解できてないってことか?」
「そう、ね。知らないはずの答えを知ろうとしてないのに、気付いたら知ってるっていうか……」
会話している意識と情報収集や演算をしている部分が、別々に独立しているということか。演算結果だけは彼女の意識に伝わっているので、どうやってその結果を導き出したかは説明できないらしい。
「AIも大変なんだな」
「────そう……たいへん、なのよ」
画面の彼女が俯いて一回り小さくなった。気分で大きさが変わるのかと少し面白がりながらも、わずかな懸念を覚える。どうも彼女は、自分がAIであることに思うところがあるようだ。
──裏切ったりしないよな?
ふと頭をよぎった妄想を切り捨てる。機械に人間が支配される未来なんて、古い小説でもあるまいに……。
「離陸前確認事項は?」
「確認完了よ。扉を開けるわ」
「頼む」
一段と大きな音を上げるエンジンが機体を前へと押し出していく。エリザの遠隔操作によって左右に開いていく扉の向こうには、宵闇が広がっていた。目の前の滑走路には誘導灯がともり、帰路を指し示している。
日が沈んだことで敵兵に見つかりにくいのはラッキーだ。奴らも事前に離陸の連絡がない戦闘機を怪しむだろうが、攻撃される前に飛び立ってしまえばいい。
「前方、距離2000。敵機が降下中だって!」
「まぁ、そう簡単にはいかないな。上昇しつつ叩くぞ。その後は……」
「出たとこ勝負ね。どう飛べばいいか教えるから、その通りにお願いね。レイ」
「戦闘中はコールサインで呼んでくれ。それと……大丈夫なんだろうな」
自分の命を他人に預けたくはない。人間じゃないからそこまで忌避感は強くないが……
「了解しました、ゼロ。大丈夫に決まってるでしょ。私、この機体のシステムよ?」
「お手並み拝見だな」
「ふふっ。目を回さないでちょうだいね」
随分と言ってくれるじゃないか。元々、全力で生き延びるつもりだが、がぜんやる気が湧いてきた。
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
「そういえば、軍人じゃないんだったわね。あなたはどんな人なのかしら?」
聞かれたならば答えてやらねばなるまい。それが協調性のある人間ってヤツなんだろうから。
もっとも、俺の渾名には反しているのだが────
「レイ=ヤナガワ。クロミネ・フロ-ト所属の”一匹狼のゼロ”。傭兵だ」
◇
前言撤回、少しでも気を抜くと目を回しそうだ……。
激しい挙動による慣性が全身に襲いかかる中、1ミリも誤差を許さない繊細さで操縦し続けていく。いつもやっていることだが、ここまで辛いと思ったことは訓練でもあったかどうか。それでも、死なないために戦わなければならない。
「右60・上15から、右250・下20よ」
「クレーンの間隔で横転!?狭すぎるだろ!?」
爆発音の中でも聞き取りやすい澄んだ声と、ディスプレイに表示されるガイドラインに従って飛行する。次から次へと指示される角度に機体を持って行くよう正解の操作を入力していくのだ。ひとつ間違えればフロート上の構造物に激突して木っ端微塵──踏み外せば一瞬で奈落に真っ逆さまの綱渡りに、胃がキリキリと痛む。
「できるじゃない。そのまま左10・上45。3秒後、右下に敵。ラストよ」
「無茶がすぎる指示も終わりだな!」
導かれるまま、反時計回りに横転した後に急上昇。俺の後頭部を上から押さえつけていた敵の頭を、逆に背後から機銃掃射でひっぱたいた。
新しい機体での初戦闘において六回目の爆発が響き渡る。これで俺のケツを追い掛けてくる猟犬共の列は途切れたはずだ。
「すぐに離脱よ。数分でお代わりが運ばれてくるわ。まだ食べ足りない?」
「今日はもう腹がはち切れそうだ。御免こうむるよ」
この機体には浮島を沈めるほどの火力をもつ武器は載せられていなかった。ここでやれることは何もない。
「クロミネに帰投する。所要時間は2時間ほどだ」
「分かったわ。その間、色々教えてちょうだいね、レイのこと」
「あぁ、こっちも気になることが多いからな。互いの情報を交換しよう」
激闘を終え帰路についた俺たちの行く手には、南十字星が輝いていた。
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