晩夏光、忘却の日々

佐々森りろ

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第七章 たくさん笑おうね

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 涼風の父は、浮気を繰り返すクズでダメな男だった。

 妊娠がわかって涼風がお腹にいた頃には、すでに他にも関係を持つ女がいた。
 浮気をしていることは気が付いていたけれど、どうすることも出来なくて、だけど、この子のためにもあの人のためにも、父親になってくれるように説得した。もしかしたら、我が子が産まれれば変わってくれるんじゃないかと一縷の望みをかけて。結婚を懇願した。

 だけど、あの人は子供が産まれても何も変わらなかった。

 お義母さんは「こんな息子と結婚させてしまってすみません」と何度も謝ってくれた。
 結婚後は、機嫌のいい時は一緒にいてくれたけれど、あの人が家にいることはほとんどなかった。

 泣きたくても泣けない。
 そんな状況が続いて、正直もう、耐えられなかった。苛立ちが募って、涼風にまでキツく当たるようになっていたのは、私自身がよく分かっていた。

『泣いたってしょうがないでしょ!?』

 その言葉は、自分への戒めみたいなものだった。
 もうずっと、こんなに我慢してる。なのにどうして?
 どうしようも出来ない感情の吐き口が、抜け出す場所がどこにもなくて、涼風が泣くと、苛立ちと共につい、口をついて出てしまっていた。
 またやってしまったと、何度も後悔に苦しんだ。
 震える体で、目にたっぷりと涙を溜めて、それでも「お母さん……」と言って縋りついてくる涼風のことを、抱きしめてあげる余裕すらなかった。もう、自分が母親である事にすら、自信を無くしていた。
 このままの感情で、ここから離れて一緒に涼風を連れて行ったとしても、きっとまた怖い思いをさせてしまうと思った。

 だから、一人で離れることを決めた。



 話し終えて、見上げた母は泣いていた。
 月明かりが照らす横顔は、悲しいほどに苦しそうに見える。
 そして、あたしの方を見て、まゆを精一杯に下げた。

「本当に、本当に、ごめんなさい……私は、あなたの母親失格だから……ずっと影から成長を見ていることしかできない、ズルい母親だった……」

 嗚咽が混じるほどに泣く母。
 もう、あの言葉は言わないんだろう。
 だけど、あたしは「ごめんなさい」がほしかったわけじゃない。
 あたしが一番欲しかったのは……

 椅子から立ち上がって、あたしはさっきの西澤くんのお父さんみたいに両手を広げた。

「あたし、ずっとお母さんに抱きしめて欲しかった。そばにいるからねって、言って欲しかったんだよ……」

 込み上げてきた涙が頬を伝う。
 もう、泣いていいんだ。泣くのは悪いことじゃない。西澤くんが教えてくれた。
 目の前が歪んで見えなくなっていく。と、同時に、体全体が柔らかく温かい体温に包まれた。

「涼風、たくさんたくさん、泣いていいんだよね。しょうがなくなんてない。泣きたいなら、泣きたい分だけ泣こう。そしたら、また、前を向いて歩けるから」

 ぎゅうぎゅうに抱き締めてくる母の力は、思ったより強くて。だけど、嬉しくて。あたしは声をあげて泣いた。

 秋の空に、花火の音とバーベキューの煙。そして、虫の鳴く声に混じって、あたしと母の泣き声が舞い上がり、溶けていく。

 花ちゃんや大海くん、大地くんが、「何してんのー?」と、あたしと母に同じように抱きついてくる。みんなでワーワー騒いでいるのを見兼ねた西澤くんとお父さんが、最後にみんなを包み込んだ。

「たくさん泣いたら、次はたくさん笑おうね」

 優しいのは、西澤くんだけじゃなかった。
きっと、母は西澤くんのお父さんに出逢えて、笑顔になれたんだ。
 幸せに、なれたんだ。

 夜空に星が煌めいていく。

 泣き顔なんて、暗がりではもう見えないし、あたしも母も泣いたからお腹が空いたと、みんなで高いお肉や野菜、焼きそばにフランクフルトと、お腹いっぱいになるまでたくさん食べた。

 時刻はあっという間に二十一時を過ぎていて、玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえて、西澤くんのお父さんがそちらに向かって行った。
 しばらくして庭に入ってきたのは、おばあちゃんだった。
 嬉しそうな笑顔をしていて、あたしもその笑顔に笑って応えた。きっと、心配させてしまっていたのかもしれない。

「ごめんね、おばあちゃん一人にさせちゃって」
「良いんだよ。涼風ちゃんが楽しそうで安心したよ」
「……うん、みんないい人達だから」

 庭を駆け回っていた花ちゃんは、リビングに敷かれた布団の上で先ほど電池が切れたみたいにこてんっと眠りについてしまった。
 大海くんと大地くんも、そろそろ限界に近い。箸を持ちながら口に食べ物を運ぶけれど、何度もウトウトしては動きが止まっていた。

「じゃあ、そろそろお開きにしようか」

 西澤くんのお父さんが、あたしと西澤くんの前に来て微笑んだ。

「またいつでもおいでね、涼風ちゃん」
「……はい」
「杉崎さん、また明日学校でね」
「……うん」

 おばあちゃんの隣に並んで、あたしは二人に頭を下げた。片付けをしている母に視線を向けて、あたしは一歩を踏み出す。

「お母さん! また来るね!」

 精一杯の大声で伝えると、あたしは返事が返って来る前にと、急いでおばあちゃんの服の裾を引っ張った。

「行こう、おばあちゃん。ごちそうさまでした、おじゃましました!」

 早口で言って、あたしはくるりと踵を返す。
 ククッと後ろで笑う声がしたけれど、構わず歩き出した。

「あはは、涼風ちゃんって、涼花そっくり。さすが親子だわ」

 西澤くんのお父さんの声が聞こえて、立ち止まりそうになったけれど、あたしは足を止めなかった。
 だって、嬉しいと思ったから。あたしは、母の娘なんだ。だから、親子だと言われたことが、嬉しくて、たまらなかったんだ。


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