晩夏光、忘却の日々

佐々森りろ

文字の大きさ
上 下
18 / 72
第二章 忘れていること

1

しおりを挟む
 規則正しい機械音と、なにやら慌ただしそうな雰囲気を感じて目が覚めた。
 まだ重たい瞼を、うっすらと開けてみる。ぼやける視界に映るのは白い天井。どうやら、眠っていたらしい。

「……か……うかちゃん……」

 重苦しい体はぴくりとも言わないけれど、ようやく視界が見えてきて、耳元の声が聞こえる方へ視線を動かした。

「涼風ちゃん!!」

 あたしの名前を叫ぶように呼ぶこの声は、おばあちゃんだ。

「涼風ちゃん! 先生、涼風ちゃんが目を覚ましました!」

 しきりにあたしの名前と先生を呼ぶ声に、ここが病院であることがなんとなく分かった。
 嗅覚が家とは違う匂いを感じる。視界に入ってきた長い管と、それを辿っていくと点滴のようなものを見つけた。
 あたしは、どうしたんだっけ?
 おばあちゃんの呼びかけには、まだ反応する気力がない。だけど、思考は徐々に戻ってくる。

『なぁ、涼風、俺ら別れよう?』

 夏休み直前の帰り道、あたしは古賀くんにフラれたんだ。鮮明に、あの時の記憶が蘇ってくる。
 自分から勇気を出して告白して、初めて出来た彼氏。夏休みにはたくさんやりたいこともあった。それなのに。
 つんざくようなクラクションと車のタイヤが擦れる音が頭の中に響いてきて、真っ暗になる。

 それ以降は、何も思い出せない。
 今、目覚めてここにいるのは、きっとあたしが事故に遭って病院に運ばれたからなんだろう。

 だけど、なんでだろう。
 なんだか気持ちは、軽いような気がする。
 事故に遭って、いろんな蟠りが吹き飛んでいってしまったのだろうか?

 おばあちゃんの呼びかけに出来る限りの笑顔で応えると、ぼやけた視界がゆっくりと見え始めた。泣きながら、おばあちゃんは安心したようにあたしの手を握って、「生きていてくれてありがとう」と笑ってくれた。

「……涼風」

 ふいに、聞きなれない女性の声があたしの名前を呼んだ。おばあちゃんから視線をずらして、後ろを伺う。思うように体が動かせないから、声の主が誰なのかなかなか姿を捉えることができなかった。だけど、おばあちゃんがあたしの手をそっと離すと、入れ替わるように誰かと交代した。
 まだ鮮明ではない視界に、四十代くらいだろうか。目元が赤く涙を拭うような仕草をする女性が映り込む。

「良かった涼風、無事で……」

 小さな声で呟いて鼻を啜ると、女性はすぐにあたしから顔を背けた。

『泣いたってなんにもならない』

 顔を背けて涙を拭うように目元を擦る女性を見て、あたしは母のことを思い出した。
 もしかしたら、この人。
 頭がようやく働くようになって、一瞬だけ見えた顔。歳をとってしまっているけれど、幼い頃にあたしを置いていなくなった母じゃないかと感じた。すぐにおばあちゃんに頭を下げて、女性は行ってしまった。
 泣き顔を、見られたくなかったのかもしれない。だって、もしあの人が母だとしたら、「泣いたってなんにもならない」って思っているはずだから。だけど、一瞬だけ見えてしまった赤く潤んだ瞳。あたしのことを心配して泣いてくれたのかな? なんて、そんなことあるはずないのに、勝手にいいように解釈してしまう。あたしは、とっくに見捨てられたんだもん。今更心配だなんて。おかしいよね。

 意識が戻った次の日、あたしは順調に回復していて、二、三日様子を見て問題がなさそうだったら退院できると言われた。
 幸い、事故の怪我も頭を打ったことによる軽い脳震盪と、まだ痛むけれど手足の擦り傷程度の軽傷だった。ただ、一ヶ月も眠り続けたことが心配された。先生との話し合いで、今後も定期的に病院へ通うことになって、退院の運びとなった。
 まだ大きな絆創膏を貼った手足は周りから見たら痛々しいかもしれないけれど、あたしとしてはもうほとんど痛みも感じないし、傷を隠すために貼っているようなものだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

夏の出来事

ケンナンバワン
青春
幼馴染の三人が夏休みに美由のおばあさんの家に行き観光をする。花火を見た帰りにバケトンと呼ばれるトンネルを通る。その時車内灯が点滅して美由が驚く。その時は何事もなく過ぎるが夏休みが終わり二学期が始まっても美由が来ない。美由は自宅に帰ってから金縛りにあうようになっていた。その原因と名をす方法を探して三人は奔走する。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

アスカニア大陸戦記 黒衣の剣士と氷の魔女【R-15】

StarFox
ファンタジー
無頼漢は再び旅に出る。皇帝となった唯一の親友のために。 落ちこぼれ魔女は寄り添う。唯一の居場所である男の傍に。 後に『黒い剣士と氷の魔女』と呼ばれる二人と仲間達の旅が始まる。 剣と魔法の中世と、スチームパンクな魔法科学が芽吹き始め、飛空艇や飛行船が大空を駆り、竜やアンデッド、エルフやドワーフもいるファンタジー世界。 皇太子ラインハルトとジカイラ達の活躍により革命政府は倒れ、皇太子ラインハルトはバレンシュテット帝国皇帝に即位。 絶対帝政を敷く軍事大国バレンシュテット帝国は復活し、再び大陸に秩序と平和が訪れつつあった。 本編主人公のジカイラは、元海賊の無期懲役囚で任侠道を重んじる無頼漢。革命政府打倒の戦いでは皇太子ラインハルトの相棒として活躍した。 ジカイラは、皇帝となったラインハルトから勅命として、革命政府と組んでアスカニア大陸での様々な悪事に一枚噛んでいる大陸北西部の『港湾自治都市群』の探索の命を受けた。 高い理想を掲げる親友であり皇帝であるラインハルトのため、敢えて自分の手を汚す決意をした『黒衣の剣士ジカイラ』は、恋人のヒナ、そしてユニコーン小隊の仲間と共に潜入と探索の旅に出る。 ここにジカイラと仲間達の旅が始まる。 アルファポリス様、カクヨム様、エブリスタ様、ノベルアップ+様にも掲載させて頂きました。 どうぞよろしくお願いいたします。 関連作品 ※R-15版 アスカニア大陸戦記 亡国の皇太子 https://ncode.syosetu.com/n7933gj/

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...