晩夏光、忘却の日々

佐々森りろ

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第一章 蝉時雨の出逢い

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 あたしにはしっかり見えている彼の姿。そして、あたしは彼のことを、知っている。
 当然、彼だってあたしのことを知っているはずだ。あまり話したことはないけれど、部活熱心でいつも同じサッカー部の男子が周りを囲んでいるイメージの西澤にしざわ大空たいくくん。
 あたしですらフルネームを知っているんだから、向こうだって知ってくれているはず。いや、一年生の時も確か同じクラスだったし、知っていて欲しいのだが。

 窓を閉めようとして、ふと西澤くんの動きが止まった。

「まだあっついし、冷えるまで開けといた方いいかな……」

 独り言が多い人だなと思って、思わずクスッと笑ってしまう。こちらに気がついて欲しくて、「気付け、気付けー」と念を送りながらじっと見つめてみた。
 カーテンをまとめて留めると、ようやく西澤くんがこちらを振り返った。
 ガッタン!! と、同時に腰を抜かす勢いで窓枠に寄りかかってしまうから、あたしまで驚いてしまった。
 そんな彼とは、今度はしっかり目が合っている気がする。

「……は!? 杉崎さん!? え? いつからいた?」

 思い切り崩れてしまった体勢をゆっくり立て直しながら、顔を赤くして聞いてくる。驚いて腰を抜かしたことが、きっと恥ずかしかったんだろう。
 だけど、あたしだって驚いている。さっきは見向きもしなかったのに、なんで今度は視えているのか。
 不思議に思ったけれど、あたしの名前を知っていてくれたことが、なんだか少し嬉しかった。

「さっきからいたよ?」
「え! そ、そっか?」

 おかしいなと頭を掻く西澤くんは、当たり前のようにあたしの前の席に座った。

「ってかさ、暑くない? 今日夏日更新とか言ってたぞ。クーラーくらい入れろって。窓からの風なんか微々たるもんだろ」

 ワイシャツのボタンを二つ外して、手うちわでパタパタと自分を仰ぎながらこちらを見る。

「……なんだよ?」

 汗の滴る顔で不機嫌そうにして見るから、あたしはハッとして返事を返した。

「あ、いや、西澤くんって、そんな喋る人だったんだ……と、思って」

 なんか、意外だった。
 教室では、確かにサッカー部の男の子たちといつも楽しそうにはしゃいでいるのは見ていたけれど、サッカー部以外の人とはあんまり話しているのを見たことがない。ましてや、女子となんて尚更だ。一人でいる時はイヤホンを付けて、サッカー雑誌片手にノートと睨めっこしていたり、何かを考えているような雰囲気で近寄りがたいイメージだった。

「え? あー……確かに女子とはあんま喋んないかも」
「……え? それってあたしが女子じゃないって言いたいの?」

 なんだかそんなふうに感じで思わず目を細くしてジッと西澤くんのことを見ると、途端に焦り出した。

「は? あ、いや、そんなんじゃないって! 杉崎さんってクラスでもけっこう人気あるし、誰とでも親しみやすい感じだし、話しかけても大丈夫かなぁ……と」

 せっかく引き始めた汗が、また大量に吹き出しているのが目に見えるから、思わず笑ってしまった。

「そーなんだ、あたしって人気者なんだ?」

 当たり障りなく、誰とでも周りの雰囲気に合わせて振る舞っているからね。人気者と言うよりはあたしといると楽なんだろうな、周りのみんなは。あたしは絶対他人の言葉を否定しないから。否定したって仕方がないし、合わせておけば、共感しているふりをしていれば、それだけで仲良くなれる。だから、もし違っていたとしても、あたしは「そうだよね」って頷くんだ。なんにでも。そうやって、周りの子達が離れていってしまわない様にうまく気持ちを偽る。

「成績優秀、美人で優しい、人の悪口言わない、完璧じゃない?」
「おおー、めっちゃ褒めてくれるね、ありがとう」
「いや、みんながそう言ってるから、俺もそうなのかなって思ってるだけ」
「……あ、そう」

 ん? なんか、今の言い方って、俺はそうは思わないけどって感じにも聞こえたんだけど……
 パタパタと手うちわが止まらない西澤くんに、あたしは考え込んでしまうけれど、あたしも西澤くんって人のことはそこまでよく分からないし、考えるのはやめた。
 ようやく冷房が効き始めてきたのか、西澤くんはホッとするような表情をして椅子の背もたれに寄りかかると、寛ぎ始めた。

「で? 西澤くんはここに何しに来たの?」
「……勉強だよ」

 数学の教科書とノート、ペンケースを肩にかけていたトートバッグから取り出して机の上に並べ始めるから、西澤くんがサッカー以外のことをしていることに驚いた。

「杉崎さんこそ、なんでここにいるんだよ?」

 教科書をパラパラと捲りながら西澤くんが聞いてくるから、あたしはすぐ目の前に積まれていた本を手に取って開いた。

「本が、読みたかったからだよ」
「……あ、そう」

 図書室で本を読む。なんて、当たり前なことが口から出まかせのように出た。
 チラリと視線を西澤くんに上げれば、明らかに一瞬眉間に皺が寄る。いや、決して馬鹿にしたわけではない。見て分からないか? と思ったわけでもない。誤解だけはして欲しくないけど、もう言ってしまったものは撤回できない。
 とにかく、あたしは本に視線を戻すことにした。立ち上がった西澤くんは窓を閉めてからペンを手にして、机に向き合い始めた。
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