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かつて神のしもべだったボク。中

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 気がつけば、すっかり人間らしくなっている。その感覚に全くもって嫌悪感を抱くことはない。でも、ボクは知ってしまったんだ。この世界では、どの年齢であったとしても、青春の二文字は人生に於いてかけがえの無い大切な一瞬なのだということ。

「欠かせない一瞬を、キミの青春のページの一端を、ボクは奪ってしまった……」

「ううん、そんな事ないよ」

 いつも、夕陽の降りる頃の時間帯になっては、彼女の前でこうやって毎日謝る日々。神のしもべは、神ではないが、人間そのものの運命に寄り添う事はできた。だからこそ、何かボクにでもこの世界でも出来る事は存在し得るものだと、十六年も生きてきて、未だに勘違いをしていた。

「花梨ちゃんのそばにボクがずっと居る。ただ、それだけしか今はできないけれど……」

「ねえ、アリアちゃん」

 俯いたボクの髪を優しく撫でながら、彼女は意を決した形で口をゆっくりと開く。

「学校、行って欲しいな」

「いやだ。キミに会えないなんていやだ」

「確かに、いつもは会えないかもしれない。けれど、私達の関係って、会っていないだけでそんなに簡単に切れちゃうものなの?」

 そうじゃない。そうじゃないと分かっていても、この先の未来を分かった上でこの行動を取るのには、勇気が要る事も……彼女には到底言えなかった。

「……そんな事ない」

「アリアちゃん」

「うん」

「二人っきりってさ、なんかそわそわしちゃって何しようか?何話そうか?って感覚になるでしょ?」

「うん」

「でもね、二人だけってさ、やっぱり狭い世界なんだよ……たまに、申し訳ないなと思う気持ちと、辛いなと思う気持ちも半分あるんだ」

 私が行ったら……きっと、キミは静かに死を選ぶはずなんだ。

「キミはもう充分その世界で頑張った!だから!……だから、ボクがキミのその辛さを分けてもらうんだ!そしたら——」

「ありがとう……でも、今はその気持ちだけで充分だよ」

「そんな事……」

「アリアちゃんが背負う姿をいつも見ていると、私、悲しくなっちゃうんだよ……」

「……ごめんなさい」

「今日はもう、終わりにしよう。そろそろ、疲れちゃった……」

「うん……また明日、来るね」

「……」

 ボクはベッド横にある椅子から立ち上がって、彼女の顔を見て、またねと言いながら部屋を後にした。花梨ちゃんは、終始俯いたままだった。

「うぅ……うっ……うぅ」

 扉を閉じると、毎日聴こえる彼女の泣き声。ここから、居なくなるべきなのか、それとも、逆の運命に抗うか。究極の選択に、未だ答えを導き出せずに居た。

 その場で崩れて、ボクも膝を抱えながら泣き噦る。こんなに感情が豊かになったのも、言わずもがな花梨ちゃんと友達になってからだ。

「彼女を死なせたくない……だったらボクが死んでやるって?」

 抱えた膝から顔を出して見上げると、そこに立っていたのは中学三年生の時の担任、友徳とものりくんだった。明らかに漂う優しさと僅かな幼さの雰囲気を持つ青年らしい顔立ちを見て、クラスのみんなは彼をともちんと呼んでいた。彼はボクの意思を唯一尊重してくれた人で、良き相談者でもあった。知識量で言えば、ボクの方が断然上だけれど。しかし、人間の心は歳を重ねた者の方が、理解もはやく、器も些か大きいものだと——今ならこの人の場合は感心よりも、尊敬だ。

「ともちん……?」

「アリア、久しぶりだね」

「もしかして、聞いてた?」

 ともちんはこの空気を少しでも和ませようと精一杯の精励でボクの真似で微笑させた。

「本当にごめんねぇ——のあたり位かな?」

「結構前じゃん。ていうか、そんな心に篭ってない言い方してないもん」

「場所、移そうか」

 優しく笑って近くの憩い場へと歩く先生。その顔にはどことなく、ボクに似たような雰囲気を灯していた。明るさを無理矢理表しているわけじゃないけれど、心のどこかで普通の学生とは同じ生活を送らせてあげる事ができない私の同級生に、本当に心苦しく、謝りたい気持ちでいっぱいなのは、ともちんもその点はボクと同じだろう。

 席に座るとボク達は自販機の稼働音だけが静かに流れる空間で、ゆっくりとコーヒーを飲み始める。

「綺麗な赤髪がくすんで見えるよ、もっとほら、笑って。スマイルスマイル」

「……先生はそんなに悲しくないの?」

「僕は悲しんじゃいられないよ。花梨のような子が二度と現れないように、子供達の学校での生活だったりを悔い改めて改善しなくちゃいけないからね」

「でも、それだとともちんまで辛くなっちゃうよ」

「僕はそれでいいんだ。何事もなく日常を送れる。戯れあって、笑って、時には悩んで泣いて、それでもみんな、独りじゃないんだって事をわかって欲しい。例え友達ができなくたって、僕はみんなの勉強を教える先生だけど、別に生徒と友達になっちゃいけないなんて制度はこの国にはないだろ?」

 先生は、両手で支えていた缶コーヒーをそっと包んでボクの顔を見つめて優しく言った。

「だから、アリアも今は笑える努力をすれば良い。それができるまで、僕がついてる。卒業したって、君は僕の大事な生徒だったんだ。……そう、気付くまでに時間がかかってしまった事。本当にごめんな」

 首を横に振る。ボクも今なら少しは分かる。生徒の気持ちを一度に三十人分考えるなんて、一人の辛く深い悩みを聞き入るのと同等、いや、それ以上の過酷さがあるかも知れないというのに。

「顔を下に向けている間は、誰も君の顔を見られない。もちろん、僕も今の君の表情がどんなかは分からない。けれど、気持ちが分かる以上、想像はできる。今は思いっきり泣いていいんだ。そして、花梨ちゃんと、ちゃんと向き合えるように、一緒に考えていこう。これが僕の電話番号、何かあったらここに連絡して」

 先生は、小さなノートの一ページをめくって、ボクにそれを渡してくれた。

「ありがとう……。ともちん」

 ——あれから一週間が過ぎようとしていた。その間、明日という言葉に嘘をついたボクは彼女とこの七日間一度も会わなかった。

 昨日の朝の出来事。病院から一本の電話が入る。

 花梨ちゃんが、合併症を起こしてしまったのだ。それを聞いた時、思わず体が勝手に彼女の元へと連れていった。しかし、顔を合わせる術が無かった。

 六日間、孤独と闘った末に、記憶がいくつか曖昧になってしまったらしい。後に先生から聞いた話だが、若年性アルツハイマー症候群に掛かってしまったという。

「——花梨ちゃん!」

「アリアちゃん、ちょっと……」

 彼女専属の看護師さんに呼ばれて、二人で憩い場へと進む。

「花梨ちゃんは大丈夫なの?」

「今から話すこと、落ち着いて聞いてね」

「……わ、わかった」

「花梨ちゃんはね、記憶があやふやな状態になってしまったの」

「どう……いうこと?」

「その反応になるのも無理ないわね。今から、花梨ちゃんと対面させるけれど、決して絶望してあげないでね。私はまだ希望があると思ってるから」

 瞬く間にボクを彼女の元へと歩く看護師さん。

「ちょ、ちょっと……!」

「ふぅ……失礼します。花梨ちゃーん、ご飯のお時間よー」

 病室の前に置かれていたカートを押しながら、ちょっとごめんという合図でボクから病室のドアを開ける。少し足取りが重くなる。感情を抑えようと必死だったのに、彼女の顔を見ると案外友達が大変なことになっていたら心配になるものだと驚く自分が居た。

「花梨ちゃん!」

「あ、先生。もうごはんのじか——」

「かりんちゃん!かりんちゃん!」

 思わず本意気で抱きしめてしまった。少し彼女も動揺している様だが、そんなに心の中を安定させられる程、まだまだ大人には近づいていないと、その時看護師さんは優しくボクの方を見つめてくれていた。

 しかし、一見無事に見えた彼女への安心感は途端に覆される。

「あ、あの……」

「身体は大丈夫?どこも痛くない?何か飲む?あ、そっかごはんに牛乳ついてるもんね、じゃあいらないか。あはは、ボクが落ち着き無いよね」

「花梨ちゃん……?」

「ねえ、お姉さん早くごはん用意したげなよっ」

 看護師さんの目を見たボクは、

「何固まってるのさ?」

「か、花梨ちゃん、アリアちゃんが来てくれたわよ?」

「いやいや、そんないちいち名前を言わなくたって分かってるでしょそれくらい……」

 看護師のお姉さんから彼女へと目線を戻したその時の、彼女の表情をボクはこれから一生掛けても忘れる事は無いと思う。

「あなた……だれ?」

「……え?」

「アリアって名前なの?変わった名前なのね。ハーフ顔で凄く美人さん、身長はもう少し欲しかったけれど。挨拶が遅れたね、私は花梨、東雲花梨よ」

「な、なにを改まって……」

「どこかで、お会いしたかな?」

「アリアちゃん……うそ、どうして……。昨日までは覚えていたのに……」

 看護師さんさえもろに症状の本質を受けたボクの表情を見て、口を押さえて驚いていた。

「花梨ちゃん、ボクだよ、アリアだよ!わかる?アルビナ・アリア!」

「……ごめんなさい、でも、本当にあなたに会った記憶は私には無いの。申し訳ないけど、また機会があれば会いに来て欲しい、……何故かあなたにはそう思うわ」

 突如として降ってくる心の中の鈍痛が、次第に強さを増していく。どうして?おかしいよ、などと彼女を一蹴する事はできない。けれど、やはりこの心の痛さは本物だった。

 忘れられてしまった。彼女の中に、今までのボクは居ないのだと、ハッキリとそう告げられた様な気がして、気がついた時には彼女のそばを離れようとしていた。

「——お姉さん……ありがとね」

 病室の出口まで重たかった足が、嘘のように軽くなって進んだ。脱力感だろうか。看護師さんが涙を押し殺した声で心配してくれた。

「アリアちゃん……何度も顔を出せば、きっと花梨ちゃんも思い出せるはずだよ」

 だけど、ボクは心のどこかでホッとしてしまったのかもしれない。時には夢にまで現れる事がある、彼女がボクを呪う夢。あの時、ひと声掛けていれば、未来は変わっていたのにと何度思った事だろう。

「これはボクが背負った罪の罰。だから、そこまで気にしていないよ。少し衝撃が強かっただけみたい。……ちょっと、風にでも当たってくる」

「アリアちゃん……」

「どうかしました?あの子は?」

 彼女は花梨ちゃんの肩を軽く撫でながら、二人の友情になるべく亀裂が入らないように宥めた。

「ううん、少し外の風に当たりに行ったみたい」

「そう……、あの子は私を覚えているのね。どうしてかしら?」

「また、顔を見れば思い出すんじゃないかな?」

「どこかで会った事があるのかも——うッ!」

 人は時に残酷な結末、またはその事態を目の当たりにする瞬間が、人生で少なくとも三回は訪れるという。

 一つ、家族が亡くなった時。

 二つ、親友が亡くなった時。

 そして三つ目、自分の醜さに気付く時だ。

 予期せぬ事態に、いつしか時の流れによって形成されていく人生が「こうなる事は仕方のないこと」などと易く片付けてしまう事が多くみられるが、よく考えてみてもこれらが以前から原因の存在しなかったケースなど何一つとして存在しなかったんだ。

 この時の看護師さんは、ここまで進行が早いとは思わなかった程に症状が酷かったという。症状が本格化し出すのは、まだこれから先だというのに。

 そのあまりにも大きなダメージに、思わず屋上の庭園まで走り出し、そこで常設されている天然芝の上で思いきりうずくまって声を上げて泣いた。
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