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ツァトゥグアの恐怖
14 綾野の帰国
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岡本浩太は新山教授から綾野が帰国してい
る、との情報が得られたので、早速綾野の部
屋を訪ねてみた。時間は夜が明けたところだ。
部屋には確かに電気が点けられている。誰
かが居るのだ。浩太は急いで部屋の前まで来
た。
「確かに彼方に命を助けられたことは感謝し
ていますが、かといって彼方の仰ることを総
て信用している、という訳ではないのですよ。
その辺だけは理解して貰わないと彼方に協力
することは出来ないと思ってください。」
確かに綾野の声だったが、どうも誰かを相
手に怒っているようだった。話が見えないの
で岡本浩太は少し様子を窺うことにした。
「彼方の祖父であるマイケル=レイにいては、
私もよく知っています。でも彼方がその孫で
ある証明は何処にもありませんし、もし孫で
あっても彼方の祖父のように奴らと戦ってい
るとは限らないのですから。私の命を助けた
ことも何らかの計画の、一つの歯車に過ぎな
いかも知れないじゃないですか。」
「日本人というものはそれほど疑い深い人種
であったのか。私にも古い日本人の友人が一
人居たが、その男は君のような頑迷にところ
はなかったがな。なるほど、不用意に祖父の
名を出したのが気に入らなかったのかも知れ
んな。だが、私の素性を知ってもらうには君
達ような活動をしている者にはいつも効果的
であったものでね。だが、信用しようとしま
いと私がマイケルの孫であることは紛れもな
い事実なのだよ。そして、私はこの歳になっ
ても祖父の意思を継ぎ、奴らが封印を解かれ
ないように世界中を飛びまわっているのだ。
ただ私はどうも組織というものに馴染めなく
てどこの組織にも属していない。アーカム財
団とは幾度と無く協力関係を結んではいるが
ね。」
綾野が話しているのはどうも初老の外国人
のようだ。話の内容からすると綾野が渡米中
になにか危ない目に遭ったとき、その老人に
助けられたらしい。綾野先生はどうもその老
人に胡散臭いものを感じているようだ。だが、
マーク=シュリュズベリィのようにアメリカ
人には数代に亘ってクトゥルーたちに敵対し
ている家系があるようだ。日本ではまだまだ
一代限りの人が多いのだが。この老人もマイ
ケル=レイの孫ならそれだけで信用できるの
ではないのだろうか。綾野は日本人としての
引け目から疑っているかのような振る舞いを
しているのかも知れない。浩太は思い切って
部屋に入った。
「先生、無事戻っていらしたのですね。」
「岡本君か、心配かけたね。」
岡本浩太は綾野の顔を見てちょっと驚いた。
こんな時間に室内であるにも関わらず綾野は
サングラスを掛けている。
「こちらは私が向こうでお世話になったリチ
ャード=レイさんだ。リチャードさん、彼は
私の教え子で岡本浩太といいます。今回の件
でもかなり深く関わっている子です。」
「はじめまして、ああ、君が一緒に吸収され
たという教え子の一人だね。」
「はじめまして。岡本浩太です。綾野先生が
お世話になったそうで、本当にありがとうご
ざいました。」
「なんだか私の保護者のような口ぶりだ
な。」
「そんなつもりはないんですけど。それより
先生、そのサングラスは?」
「これか、向こうでいろいろあってな。いず
れ詳しく話そう。」
それから、三人はお互いが得た情報を話し
合った。浩太は拝藤女史から得た情報でツァ
トゥグアの封印を解く儀式に必用ないくつか
のものと『サイクラノーシュ・サーガ』とい
う書物のことを話した。アブホースについて
は情報は皆無だった。そして、『サイクラノ
ーシュ・サーガ』については綾野が興奮して
言った。
「ほぼ同じような情報を掴んでいたようだね。
でも拝藤女史がその情報をくれたのなら、な
ぜ私に言ってくれなかったのだろう。それと
も私のところに来た後、彼女(?)もその情
報を掴んだのかもしれない。それとも何か考
えがあったのかも。私はそれでその『サイク
ラノーシュ・サーガ』を探す過程でリチャー
ドさんに救っていただいたんだよ。彼も同じ
ようにその本を探していたらしい。」
「それで、本は見つかったんですか?」
「ああ、所在は確認できた。それで帰国して
直ぐに京極堂に頼んでおいたから、明後日に
も手元に届く筈だよ。」
「その他の物についてはさっき新山教授に無
理を言って頼んできました。一週間のうちに
は揃えていただけるそうです。」
「新山教授か。あの人をあまり信用しない方
がいいよ。自分の研究のためなら人類を売り
かねない性格だから。」
「まさかそんな。」
「新山教授を私や橘と同じように思っていた
ら、酷い目に遭いかねない。何か特別な理由
があるのかも知れないがあの人の研究に対す
る姿勢は異常としか思えないんだ。学長もよ
くあの人を教授職に就けている。それも県立
大学のだよ。私には理解できないね。」
綾野がそれほどいうのなら、そうなのかも
知れない。だが、岡本浩太には新山教授がそ
れほど変わった人間には見えなかった。それ
とも研究となると人が変わってしまうのだろ
うか。
結局本については京極堂さんの連絡待ち、
その他の物については新山教授か杉江統一の
連絡待ちという自分たちだけでは身動きの取
れない状況を確認してその夜は別れた。リチ
ァード=レイさんは綾野先生の部屋に泊まる
ことになったので、浩太は自分のアパートに
戻った。
部屋に戻ってメールをチェックしてみたが、
友人達の彼を心配するメールだけで橘助教授
からの連絡は未だ無かった。綾野先生も心配
していたが、情報は全く得られていない、と
いうことだ。
大英博物館に所蔵されている稀覯書を閲覧
しに行っているだけの筈なのに連絡が取れな
いということは、橘助教授の身に危険が迫っ
ているのか、それとも最悪の事態を考慮に入
れなければならないかもしれない。桂田利明
を救うため、とは言え自らの命を犠牲にしな
ければならなかったのか。浩太は遣り切れな
かった。
翌日には京極堂から綾野へ『サイクラノー
シュ・サーガ』が手に入りそうだと連絡があ
った。『サイクラノーシュ・サーガ』とはそ
の名のとおりサイクラノーシュという人物の
物語だ。サイクラノーシュとは土星の別名の
ように思われがちだが実は人の名前である。
そして、彼の愛した星がサイクラノーシュの
名を与えられて人々の記憶となっているのだ
った。サイクラノーシュは宇宙を旅する旅人
だったが、ある惑星で放置された神殿を見つ
けた。それは遥か古代の人類と呼べるかどう
かも疑わしい者たちが崇拝していたツァトゥ
グアを祀っている神殿だった。
サイクラノーシュはその神殿に入って行っ
た。石造りの神殿は人間のサイズからすれば
到底考えつかないほどの大きさと規模を誇っ
ていた。廊下の幅は優に10mを超え、高さ
は15mほどもあった。ドアは何処にもなか
ったが、このサイズでドアがあったとしたら
サイクラノーシュといえども開けることは出
来なかったであろう。
神殿の奥へ奥へと進んでいくと、蝋燭のよ
うなものが壁の途中から斜めに生えている。
よく観ると蝋と化した人間だった。その頭の
ところには蝋燭の芯のような物が取り付けら
れている。何処から見ても蝋燭だった。
サイクラノーシュは神殿の最も奥まった部
屋に辿り着いた。
その部屋には壁一面に壁画が描かれていた。
それは宇宙の誕生より今日までの歴史絵巻だ
った。原初の宇宙と同じときに生まれたアブ
ホースやウボ=サスラも描かれている。アザ
トースの姿さえ見受けられた。
それらの中に、少し原初の宇宙から時間を
隔てたところにクトゥルーやツァトゥグアが
描かれている。そして、その直ぐ後に旧神と
の壮絶なる戦いがあった。
サイクラノーシュはその中で特にツァトゥ
グアに興味を覚えた。生まれた場所が近いの
かも知れない。そして、気に入った場所も同
じなのかも知れなかった。
サイクラノーシュは特にツァトゥグアが描
かれているところを熱心に探した。そして、
ツァトゥグアがヴーアミタドレス山の洞窟に
封印されるときの様子も詳細に理解した。ツ
ァトゥグアが他の神々たちとは多少違う考え
方を持っていたこと、ツァトゥグアには特に
旧神達に積極的に歯向かう意思があったわけ
ではなかったことなど多くのことを学んだ。
サイクラノーシュはツァトゥグアをその封
印されている場所まで訪ねて行ったのだ。そ
こでいくつかの興味深い話をした後、神殿の
ある惑星に戻ったのだった。
『サイクラノーシュ・サーガ』にはその辺
りのことが事細かに語られている。著したの
はエイボンの書の魔道師エイボンとも言われ
ているが、その真偽は定かではない。
サーガにはその後のサイクラノーシュの活
躍も詳細に語られていたが、ここではあまり
関係が無い。ツァトゥグアを封印するくだり
には封印するときの呪文のようなものと、そ
れに対となる封印を解除する呪文のようなも
のも書かれているのだった。
翌々日になって岡本浩太は綾野から連絡を
受けた。本が手に入ったのだ。そして、それ
を解読している、とのことだった。暗号や遥
か昔に忘れられてしまった言語の解析は、専
門なのでそれほど時間はかからないだろう。
浩太は本以外のものを手に入れるために大
学へ向った。そろそろ準備ができている頃だ
と思ったからだ。生物学の研究室に入ると杉
江統一と新山教授のほか、数人の研究員が忙
しそうにしている。他人に聞かれては拙い話
なので、杉江を外へと呼び出した。
「どうだ、揃いそうか?」
実は岡本浩太に頼まれたものはとっくに揃
っている。
「大丈夫だ。今日にも渡せるだろう。それよ
り、本の方はどうなんだ?」
「本は手に入ったんだ。今、綾野先生が解読
している。一両日中には結果が出るんじゃな
いかな。封印する呪文と封印を解く呪文の両
方が記されている筈なんだ。」
「そうか、それなら3日後には穴に降りてい
けそうだな。是非とも今度は俺も教授もお供
させてもらうぜ。無理して揃えたんだからい
いだろ?」
「でも危険なのはお前も充分判ってるだろう
に。桂田が今どうなっているか、その為に僕
達が下手をすると人類を滅亡の危機に陥れか
ねない事態になってしまっていることを。」
「判っているさ、だからこそ何か力になれた
らと思っているだけだよ。」
杉江統一と新山教授の目的は岡本浩太には
話せない。話せば連れて行ってくれる訳が無
いからだ。それほどまでに二人は冒涜的で危
険な賭けをするつもりだった。
そして、全ての準備が整った初秋の早朝に
綾野、岡本浩太、杉江統一、新山教授とが大
穴に未だに設置されているカーゴに乗り込ん
だ。穴の深さは最後に降りていった時とほぼ
同じ深さのようだった。
底に着いて横穴に暫く進んで行くといつか
の大きな空間へと出られた。そして、今回は
すぐ近くにヴーアミタドレス山が聳えていた
のだ。まるで浩太たちを待ち侘びていたかの
ように
四人はツァトウグアの棲んでいる洞窟へと
入っていった。二度目の綾野と浩太はそれほ
どではなかったが、初めて訪れる杉江と新山
教授は酷い恐怖心が心を蝕み始めていた。ツ
ァトゥグアの影響を受け出したのだった。綾
野と浩太は一度ツァトゥグアに吸収された経
験があるので免疫が出来ているのかも知れな
い。
特に何か得たいの知れないものの体内にし
か思えない、じめじめとした洞窟の壁や天井
が杉江と新山教授の心を徐々に蝕んで行くの
だった。
四人はついにツァトゥグアの洞窟へと辿り
着いた。そこには初めて見たときと同じよう
に特に警戒している風でもなく、かと云って
安心しきって眠りについている風でもない、
一つ一つの腫瘍が体中を覆っているかのよう
に見るに堪えない姿のツァトゥグアがこちら
を向いて蹲っていた。
「よく戻ってきた、人間たちよ。少しこの間
とは違う者達が混じっているようだ。早速で
はあるが我に課せられた封印を解く方法は見
つかったのであろうな。」
ツァトゥグアはストレートに聞いてきた。
桂田利明の姿は確認できない。今でもツァト
ゥグアの体内に取り込まれたままなのだろう
か。
「ツァトゥグアよ、望みのとおりお前の封印
を解く方法と封印を解く儀式に必要なものを
揃えてきたのだから、桂田を開放してもらお
う。」
綾野の言葉を理解したのか、ツァトゥグア
は立ち上がり(綾野と岡本浩太はツァトゥグ
アが立ち上がるのを初めて見た。というか立
ち上がれるとは毛頭思ってもみなかったのだ。
立ち上がってもツァトゥグアの背丈は2m
に満たなかった。ただ、人間とほぼ同じサイ
ズに見えるが故にさらにそのグロテスクな外
見が心象つけられている。ただ、今のサイズ
が本来のツァトゥグアの本当のサイズとは限
らないのだが。
「ここに『サイクラノーシュ・サーガ』があ
る。お前も知っているだろう。遥か悠久の昔
にここを訪ねてきた者の残した本だ。」
ツァトゥグアは少し考えているようだった。
「なるほど、あの者のことが。お前達は昔と
いうが、我にとってはついこの間のことに思
えるわ。戯言はよい。早く始めるがよい
わ。」
「待ってくれ、まず桂田を解放することが先
だ。それを確認しなければ儀式は行わない。
対等の取引ではないことは充分理解したうえ
で言っている。この点について引くつもりは
ない。もし、この条件が飲めないのならば、
また偶然に人間がここを訪れる機会を永遠に
待つことだな。」
綾野はかなり強気に出た。ただ確かにこれ
は引けない条件だった。
ツァトゥグアは綾野を値踏みするかのよう
に睨みつけた。というか睨みつけたように思
えた。実際は何処に視点が合わされているの
か、そもそも眼球のような物があるのかどう
かもよく判らなかった。
「よかろう、お前達がここに居る限り我を裏
切れば元の世界には戻れないと理解しておる
のならな。」
「それは嫌というほど理解しているさ。」
「それにしては、お前達とは別にここを訪れ
ようしている者がいるようだが。」
(しまった。やはりそう簡単にはいかない
か。)
予想はしていたが、ツァトゥグアに隠れて
別働隊を寄越しているのはもう少しばれない
でほしかった、と綾野は思った。こうなった
ら仕方ない。
「彼らは私たちが儀式に使うもので一度に持
って来れなかった物を運んでいるだけだ。別
に騙すともりはない。」
岡本浩太や杉江統一、新山教授は何も聞か
されていなかった。敵を騙すにはまず味方か
ら、という古典的な判断だったのだ。しかし、
神とも崇められているツァトゥグアの結界を
気付かれずに超えることはできなかった。
「まあ、よいわ。気まぐれにお前達全員を屠
ってしまっても、我には未来永劫の時がある
のだ。気にすることはない。存分に足掻くが
よいわ。ではその者達を待ってから儀式とや
らを始めるがよい。」
話の流れから別働隊の到着を待つ羽目にな
ってしまった。
る、との情報が得られたので、早速綾野の部
屋を訪ねてみた。時間は夜が明けたところだ。
部屋には確かに電気が点けられている。誰
かが居るのだ。浩太は急いで部屋の前まで来
た。
「確かに彼方に命を助けられたことは感謝し
ていますが、かといって彼方の仰ることを総
て信用している、という訳ではないのですよ。
その辺だけは理解して貰わないと彼方に協力
することは出来ないと思ってください。」
確かに綾野の声だったが、どうも誰かを相
手に怒っているようだった。話が見えないの
で岡本浩太は少し様子を窺うことにした。
「彼方の祖父であるマイケル=レイにいては、
私もよく知っています。でも彼方がその孫で
ある証明は何処にもありませんし、もし孫で
あっても彼方の祖父のように奴らと戦ってい
るとは限らないのですから。私の命を助けた
ことも何らかの計画の、一つの歯車に過ぎな
いかも知れないじゃないですか。」
「日本人というものはそれほど疑い深い人種
であったのか。私にも古い日本人の友人が一
人居たが、その男は君のような頑迷にところ
はなかったがな。なるほど、不用意に祖父の
名を出したのが気に入らなかったのかも知れ
んな。だが、私の素性を知ってもらうには君
達ような活動をしている者にはいつも効果的
であったものでね。だが、信用しようとしま
いと私がマイケルの孫であることは紛れもな
い事実なのだよ。そして、私はこの歳になっ
ても祖父の意思を継ぎ、奴らが封印を解かれ
ないように世界中を飛びまわっているのだ。
ただ私はどうも組織というものに馴染めなく
てどこの組織にも属していない。アーカム財
団とは幾度と無く協力関係を結んではいるが
ね。」
綾野が話しているのはどうも初老の外国人
のようだ。話の内容からすると綾野が渡米中
になにか危ない目に遭ったとき、その老人に
助けられたらしい。綾野先生はどうもその老
人に胡散臭いものを感じているようだ。だが、
マーク=シュリュズベリィのようにアメリカ
人には数代に亘ってクトゥルーたちに敵対し
ている家系があるようだ。日本ではまだまだ
一代限りの人が多いのだが。この老人もマイ
ケル=レイの孫ならそれだけで信用できるの
ではないのだろうか。綾野は日本人としての
引け目から疑っているかのような振る舞いを
しているのかも知れない。浩太は思い切って
部屋に入った。
「先生、無事戻っていらしたのですね。」
「岡本君か、心配かけたね。」
岡本浩太は綾野の顔を見てちょっと驚いた。
こんな時間に室内であるにも関わらず綾野は
サングラスを掛けている。
「こちらは私が向こうでお世話になったリチ
ャード=レイさんだ。リチャードさん、彼は
私の教え子で岡本浩太といいます。今回の件
でもかなり深く関わっている子です。」
「はじめまして、ああ、君が一緒に吸収され
たという教え子の一人だね。」
「はじめまして。岡本浩太です。綾野先生が
お世話になったそうで、本当にありがとうご
ざいました。」
「なんだか私の保護者のような口ぶりだ
な。」
「そんなつもりはないんですけど。それより
先生、そのサングラスは?」
「これか、向こうでいろいろあってな。いず
れ詳しく話そう。」
それから、三人はお互いが得た情報を話し
合った。浩太は拝藤女史から得た情報でツァ
トゥグアの封印を解く儀式に必用ないくつか
のものと『サイクラノーシュ・サーガ』とい
う書物のことを話した。アブホースについて
は情報は皆無だった。そして、『サイクラノ
ーシュ・サーガ』については綾野が興奮して
言った。
「ほぼ同じような情報を掴んでいたようだね。
でも拝藤女史がその情報をくれたのなら、な
ぜ私に言ってくれなかったのだろう。それと
も私のところに来た後、彼女(?)もその情
報を掴んだのかもしれない。それとも何か考
えがあったのかも。私はそれでその『サイク
ラノーシュ・サーガ』を探す過程でリチャー
ドさんに救っていただいたんだよ。彼も同じ
ようにその本を探していたらしい。」
「それで、本は見つかったんですか?」
「ああ、所在は確認できた。それで帰国して
直ぐに京極堂に頼んでおいたから、明後日に
も手元に届く筈だよ。」
「その他の物についてはさっき新山教授に無
理を言って頼んできました。一週間のうちに
は揃えていただけるそうです。」
「新山教授か。あの人をあまり信用しない方
がいいよ。自分の研究のためなら人類を売り
かねない性格だから。」
「まさかそんな。」
「新山教授を私や橘と同じように思っていた
ら、酷い目に遭いかねない。何か特別な理由
があるのかも知れないがあの人の研究に対す
る姿勢は異常としか思えないんだ。学長もよ
くあの人を教授職に就けている。それも県立
大学のだよ。私には理解できないね。」
綾野がそれほどいうのなら、そうなのかも
知れない。だが、岡本浩太には新山教授がそ
れほど変わった人間には見えなかった。それ
とも研究となると人が変わってしまうのだろ
うか。
結局本については京極堂さんの連絡待ち、
その他の物については新山教授か杉江統一の
連絡待ちという自分たちだけでは身動きの取
れない状況を確認してその夜は別れた。リチ
ァード=レイさんは綾野先生の部屋に泊まる
ことになったので、浩太は自分のアパートに
戻った。
部屋に戻ってメールをチェックしてみたが、
友人達の彼を心配するメールだけで橘助教授
からの連絡は未だ無かった。綾野先生も心配
していたが、情報は全く得られていない、と
いうことだ。
大英博物館に所蔵されている稀覯書を閲覧
しに行っているだけの筈なのに連絡が取れな
いということは、橘助教授の身に危険が迫っ
ているのか、それとも最悪の事態を考慮に入
れなければならないかもしれない。桂田利明
を救うため、とは言え自らの命を犠牲にしな
ければならなかったのか。浩太は遣り切れな
かった。
翌日には京極堂から綾野へ『サイクラノー
シュ・サーガ』が手に入りそうだと連絡があ
った。『サイクラノーシュ・サーガ』とはそ
の名のとおりサイクラノーシュという人物の
物語だ。サイクラノーシュとは土星の別名の
ように思われがちだが実は人の名前である。
そして、彼の愛した星がサイクラノーシュの
名を与えられて人々の記憶となっているのだ
った。サイクラノーシュは宇宙を旅する旅人
だったが、ある惑星で放置された神殿を見つ
けた。それは遥か古代の人類と呼べるかどう
かも疑わしい者たちが崇拝していたツァトゥ
グアを祀っている神殿だった。
サイクラノーシュはその神殿に入って行っ
た。石造りの神殿は人間のサイズからすれば
到底考えつかないほどの大きさと規模を誇っ
ていた。廊下の幅は優に10mを超え、高さ
は15mほどもあった。ドアは何処にもなか
ったが、このサイズでドアがあったとしたら
サイクラノーシュといえども開けることは出
来なかったであろう。
神殿の奥へ奥へと進んでいくと、蝋燭のよ
うなものが壁の途中から斜めに生えている。
よく観ると蝋と化した人間だった。その頭の
ところには蝋燭の芯のような物が取り付けら
れている。何処から見ても蝋燭だった。
サイクラノーシュは神殿の最も奥まった部
屋に辿り着いた。
その部屋には壁一面に壁画が描かれていた。
それは宇宙の誕生より今日までの歴史絵巻だ
った。原初の宇宙と同じときに生まれたアブ
ホースやウボ=サスラも描かれている。アザ
トースの姿さえ見受けられた。
それらの中に、少し原初の宇宙から時間を
隔てたところにクトゥルーやツァトゥグアが
描かれている。そして、その直ぐ後に旧神と
の壮絶なる戦いがあった。
サイクラノーシュはその中で特にツァトゥ
グアに興味を覚えた。生まれた場所が近いの
かも知れない。そして、気に入った場所も同
じなのかも知れなかった。
サイクラノーシュは特にツァトゥグアが描
かれているところを熱心に探した。そして、
ツァトゥグアがヴーアミタドレス山の洞窟に
封印されるときの様子も詳細に理解した。ツ
ァトゥグアが他の神々たちとは多少違う考え
方を持っていたこと、ツァトゥグアには特に
旧神達に積極的に歯向かう意思があったわけ
ではなかったことなど多くのことを学んだ。
サイクラノーシュはツァトゥグアをその封
印されている場所まで訪ねて行ったのだ。そ
こでいくつかの興味深い話をした後、神殿の
ある惑星に戻ったのだった。
『サイクラノーシュ・サーガ』にはその辺
りのことが事細かに語られている。著したの
はエイボンの書の魔道師エイボンとも言われ
ているが、その真偽は定かではない。
サーガにはその後のサイクラノーシュの活
躍も詳細に語られていたが、ここではあまり
関係が無い。ツァトゥグアを封印するくだり
には封印するときの呪文のようなものと、そ
れに対となる封印を解除する呪文のようなも
のも書かれているのだった。
翌々日になって岡本浩太は綾野から連絡を
受けた。本が手に入ったのだ。そして、それ
を解読している、とのことだった。暗号や遥
か昔に忘れられてしまった言語の解析は、専
門なのでそれほど時間はかからないだろう。
浩太は本以外のものを手に入れるために大
学へ向った。そろそろ準備ができている頃だ
と思ったからだ。生物学の研究室に入ると杉
江統一と新山教授のほか、数人の研究員が忙
しそうにしている。他人に聞かれては拙い話
なので、杉江を外へと呼び出した。
「どうだ、揃いそうか?」
実は岡本浩太に頼まれたものはとっくに揃
っている。
「大丈夫だ。今日にも渡せるだろう。それよ
り、本の方はどうなんだ?」
「本は手に入ったんだ。今、綾野先生が解読
している。一両日中には結果が出るんじゃな
いかな。封印する呪文と封印を解く呪文の両
方が記されている筈なんだ。」
「そうか、それなら3日後には穴に降りてい
けそうだな。是非とも今度は俺も教授もお供
させてもらうぜ。無理して揃えたんだからい
いだろ?」
「でも危険なのはお前も充分判ってるだろう
に。桂田が今どうなっているか、その為に僕
達が下手をすると人類を滅亡の危機に陥れか
ねない事態になってしまっていることを。」
「判っているさ、だからこそ何か力になれた
らと思っているだけだよ。」
杉江統一と新山教授の目的は岡本浩太には
話せない。話せば連れて行ってくれる訳が無
いからだ。それほどまでに二人は冒涜的で危
険な賭けをするつもりだった。
そして、全ての準備が整った初秋の早朝に
綾野、岡本浩太、杉江統一、新山教授とが大
穴に未だに設置されているカーゴに乗り込ん
だ。穴の深さは最後に降りていった時とほぼ
同じ深さのようだった。
底に着いて横穴に暫く進んで行くといつか
の大きな空間へと出られた。そして、今回は
すぐ近くにヴーアミタドレス山が聳えていた
のだ。まるで浩太たちを待ち侘びていたかの
ように
四人はツァトウグアの棲んでいる洞窟へと
入っていった。二度目の綾野と浩太はそれほ
どではなかったが、初めて訪れる杉江と新山
教授は酷い恐怖心が心を蝕み始めていた。ツ
ァトゥグアの影響を受け出したのだった。綾
野と浩太は一度ツァトゥグアに吸収された経
験があるので免疫が出来ているのかも知れな
い。
特に何か得たいの知れないものの体内にし
か思えない、じめじめとした洞窟の壁や天井
が杉江と新山教授の心を徐々に蝕んで行くの
だった。
四人はついにツァトゥグアの洞窟へと辿り
着いた。そこには初めて見たときと同じよう
に特に警戒している風でもなく、かと云って
安心しきって眠りについている風でもない、
一つ一つの腫瘍が体中を覆っているかのよう
に見るに堪えない姿のツァトゥグアがこちら
を向いて蹲っていた。
「よく戻ってきた、人間たちよ。少しこの間
とは違う者達が混じっているようだ。早速で
はあるが我に課せられた封印を解く方法は見
つかったのであろうな。」
ツァトゥグアはストレートに聞いてきた。
桂田利明の姿は確認できない。今でもツァト
ゥグアの体内に取り込まれたままなのだろう
か。
「ツァトゥグアよ、望みのとおりお前の封印
を解く方法と封印を解く儀式に必要なものを
揃えてきたのだから、桂田を開放してもらお
う。」
綾野の言葉を理解したのか、ツァトゥグア
は立ち上がり(綾野と岡本浩太はツァトゥグ
アが立ち上がるのを初めて見た。というか立
ち上がれるとは毛頭思ってもみなかったのだ。
立ち上がってもツァトゥグアの背丈は2m
に満たなかった。ただ、人間とほぼ同じサイ
ズに見えるが故にさらにそのグロテスクな外
見が心象つけられている。ただ、今のサイズ
が本来のツァトゥグアの本当のサイズとは限
らないのだが。
「ここに『サイクラノーシュ・サーガ』があ
る。お前も知っているだろう。遥か悠久の昔
にここを訪ねてきた者の残した本だ。」
ツァトゥグアは少し考えているようだった。
「なるほど、あの者のことが。お前達は昔と
いうが、我にとってはついこの間のことに思
えるわ。戯言はよい。早く始めるがよい
わ。」
「待ってくれ、まず桂田を解放することが先
だ。それを確認しなければ儀式は行わない。
対等の取引ではないことは充分理解したうえ
で言っている。この点について引くつもりは
ない。もし、この条件が飲めないのならば、
また偶然に人間がここを訪れる機会を永遠に
待つことだな。」
綾野はかなり強気に出た。ただ確かにこれ
は引けない条件だった。
ツァトゥグアは綾野を値踏みするかのよう
に睨みつけた。というか睨みつけたように思
えた。実際は何処に視点が合わされているの
か、そもそも眼球のような物があるのかどう
かもよく判らなかった。
「よかろう、お前達がここに居る限り我を裏
切れば元の世界には戻れないと理解しておる
のならな。」
「それは嫌というほど理解しているさ。」
「それにしては、お前達とは別にここを訪れ
ようしている者がいるようだが。」
(しまった。やはりそう簡単にはいかない
か。)
予想はしていたが、ツァトゥグアに隠れて
別働隊を寄越しているのはもう少しばれない
でほしかった、と綾野は思った。こうなった
ら仕方ない。
「彼らは私たちが儀式に使うもので一度に持
って来れなかった物を運んでいるだけだ。別
に騙すともりはない。」
岡本浩太や杉江統一、新山教授は何も聞か
されていなかった。敵を騙すにはまず味方か
ら、という古典的な判断だったのだ。しかし、
神とも崇められているツァトゥグアの結界を
気付かれずに超えることはできなかった。
「まあ、よいわ。気まぐれにお前達全員を屠
ってしまっても、我には未来永劫の時がある
のだ。気にすることはない。存分に足掻くが
よいわ。ではその者達を待ってから儀式とや
らを始めるがよい。」
話の流れから別働隊の到着を待つ羽目にな
ってしまった。
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