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ツァトゥグアの恐怖

5 若かりし暴走

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 翌日、私は城西大学の橘助教授に連絡をと
った。再調査の日は明後日なのだが、どうし
ても今日会いたい、と伝えたのだ。

 午後になって橘助教授は琵琶湖大学の綾野
の講師室に到着した。

「どういうことですか、綾野先輩。調査を中
止しろというのは。」

 着くなり橘は捲くし立てた。綾野から調査
を中止して欲しい、理由は会ってしか話せな
い、直ぐに来て欲しい、と連絡を受けたのだ。
何が何だが判らず、とりあえず飛んできたの
だった。

「まあ、待たないか。これから順を追って話
すのだから。」

 それから私は昨日、拝藤女史から聞いた話
を、とりあえずは彼女を信じることを前提と
したうえで話した。最初は懐疑ぎみに聞いて
いた橘だったが、次第にことの重大さに気付
いたのか、多少蒼白な顔になって神妙に聞き
入っていた。最後まで聞いて、直ぐに結論を
出した。

「判りました。その話が本当ならば、調査は
中止するしかないのでしょうね。でも確かな
情報なのでしょうか。その拝藤という女はど
れだけ信用できるのかが一番の疑問ですね。
それとうちの教授や調査を依頼してきた市の
関係者をどう説得するかが問題ですね。まあ、
そっちのほうは私に任せてもらって結構です
けれど、先輩はどうするつもりですか。」

「私はどうもしないよ。それが一番ベターな
選択だろうからね。橘も動かないほうがいい
よ。判っているだろうけれどね。それと拝藤
女史はある程度信用してもいいと思うな。最
近のアーカム財団の調査においても、主神ク
ラスの確執についての文書は数多く確認され
ているようだから。ただ単純な相関関係では
ないようだけれど。」

「その辺は先輩のほうが専門ですから、先輩
の意見に従うことにしますけれど、自分の身
の危険が迫っていると言及されているのに、
少し無用心すぎるのではないですか。」

 綾野もまさかそれほど自分が様々の意味で
注目されているような存在になっているとは、
拝藤女子から指摘されるまで夢にも思ってい
なかった。

 何とか橘助教授を説得した綾野は、もっと
説得しがたい岡本浩太を学内で探した。しか
し、浩太の姿は何処にもなかった。朝の講義
には顔を出していたので、昼から帰宅してし
まったのかも知れない。綾野は浩太のアパー
トに電話をかけてみた。

 しかし、岡本浩太は留守だった。桂田にも
連絡を取ろうとしたがやはり留守であった。

 妙な不安が綾野を包んだ。もしかしたら橘
との会話を聞いていたのかも知れない。調査
が中止になることだけ聞いていたとしたら、
二人のことだ、自分達だけで穴に潜ってしま
うかも知れない。話を最後まで聞いていたと
したら、例え浩太でも無茶はしないはずなの
だが。

 綾野は慌てて穴のあいている現場へと向か
った。穴のあいている現場は、大学から自慢
の愛車(自転車)で10分と近いところにあ
る。直ぐに着いた。案の定、クレーンのワイ
ヤーが穴の中へと伸びている。誰かが穴に入
ったのだ。ワイヤーはカーゴからでも操作で
きるので、二人とも地下へと向かったのだろ
う。穴の形状がどう変化しているかも知らな
いで。

 仕方無しに綾野は橘に連絡を取った。二人
を連れ戻すために自ら地下に降りることを伝
えるためだ。ところが、連絡を受けた橘助教
授は、自分も一緒に行くと言い出した。一人
ではあまりにも危険だ、と云うのだ。

 綾野としては、自分達がもし戻らなかった
ら、事情を理解している橘に後のことを託す
つもりでいたのだが、橘もがんとして聞かな
かった。自分が行くまで待っていて欲しい、
の一点張りだった。

 南彦根駅に着いたところだった橘助教授は
直ぐにタクシーで現場に着いた。

 そして、急場で揃えられるだけの装備を持
って綾野と橘助教授は昨日に続き穴の中へと
降りていったのだった。

「なんか、昨日より穴の深さが浅い気がする
な。」

 岡本浩太と桂田利明は、桂田が綾野の講師
室の前で立ち聞きした話によって穴の調査が
中止されることを知った。直ぐに二人は相談
をし、二人だけでもう一度穴に入ってみるこ
とにしたのだった。

 浩太は昨日調査隊の一員として降下したの
だが、桂田は連れて行って貰えなかった。そ
れが中止ともなると、二度と地下へは潜れな
いかも知れない。情報提供者として、桂田は
浩太を連れ出し、とりあえず最初の底まで降
下することにしたのだった。

「昨日の半分ぐらいしかかかっていないよう
な。」

「どういうことだよ、穴が埋まっちゃったと
でもいうのか。」

「いや、そうじゃない。底の雰囲気は昨日と
同じだけれど何か微妙に違うんだ。」

 浩太は何処か違和感を覚えていた。どうも
昨日と違う。ただ目に入る物は昨日と全く同
じだった。でも何かが違う。

 底からは横穴が続いている。昨日は真西に
300mほど進んだ筈だった。二人は懐中電
灯の明かりを頼りに進んだ。ところが、昨日
発見された新たな縦穴がいつまで経ってもな
かった。

「やっぱり変だ。縦穴が無いよ。」

「ああ、調査が延期になった原因の穴だよな。
同じ様に直径3m位の垂直の縦穴だったんだ
ろ。」

 ちょうど、今降りてきた穴と瓜二つの穴が
ぽっかりと開いていた筈だった。どこに行っ
てしまったのだろうか。

「引き返した方が良さそうだな。綾野先生に
も中止になった理由を確認したいし。利明、
戻ろう。」

「でも、昨日より横に進めるなら、行ける所
まで行って見ようや。俺達が重大な発見をす
るかも知れないんだぜ。地下遺跡の発見者、
岡本浩太と桂田利明って歴史の教科書に載っ
ちゃうかも。」

 桂田は事態の重さが全く認識できていない
のだ。何故最初の縦穴は短くなっているのか、
二つ目の縦穴は無くなっていて横穴が続いて
いるのか。浩太は厭な予感がしたので、桂田
を説得しようとするのだが、どうも危機感が
無い桂田は自分だけでも行くと云って聞かな
い。浩太は仕方無しに一緒に奥へと進むこと
にしたのだった。

 昨日の倍ほど進んだところで、急に桂田が
立ち止まった。前方が明るく開けたのだ。

「なんだ、これは。」

 そこには巨大な空洞があった。

「そんな馬鹿な。どう見てもここの高さはさ
っき降りてきた深さを遥かに越えている
ぞ。」

 巨大な空洞の広さは一目では確認できない
ほどだった。高さも肉眼では確認できない。
上の方は霞んでしまっているのだ。向こうの
方に高い山のような物が見えている。遠近感
が掴みにくいので実際に間近まで近寄って見
ないことにはその高さは計り知れないが、そ
うとうな高さであることは間違いなかった。

「何なんだここは。何でこんな所に巨大な空
間が存在するんだ。」

 さすがの桂田も想像もつかない事態に戸惑
っている。しかし、桂田は事態の本質には未
だ気付いてはいないようで、先に進むつもり
のようだ。浩太には絶対何かが隠されている
筈の場所に思える。たった二人で近づくこと
は自殺行為のような場所に。

 その頃、綾野と橘は穴の入り口に居た。二
人は相談して、とりあえず二人を連れ戻すた
めに穴に入ることにしたのだった。

「まったくもって若い者達の先走りには困っ
たものだな。桂田だけならまだしも、浩太ま
で一緒になって。」

「先輩、人の事は云えないのでは。昔は無茶
をした仲じゃないですか。」

 綾野と2年後輩の橘は帝都大学在学中に岡
本優治ともう一人の四人であちらこちらの遺
跡の発掘を、半ば違法なものも含めてやって
いた。宮内庁のブラックリストに載っている
メンバーだったのだ。綾野は卒業して直ぐに
合衆国に留学してしまったので、橘とはそれ
以来会っていなかった。

「まあ、そう云うなよ。橘も同罪だろうに。
仕方ないな、それじゃあ降りようか。」

 綾野と橘は先行している二人を追って穴の
中へと降りていった。

「あれはなんだ。」

 そこには想像を絶する高さの山が聳えてい
た。地上世界にあるとしてもかなりの高さに
なるだろう。頂上は霞んで見えない。浩太は
山に近づこうとする桂田をどうにか思い止ま
らせた。さすがの桂田も、在り得ない広さの
地下世界に、背筋がぞっとしていた。

「一旦戻ろう、綾野先生たちも連れてもう一
度来ることにしよう。」

 二人は直ちに今きた穴を戻った。しばらく、
口も利けないまま歩いていると、向こうから
懐中電灯の光が近づいてきた。

「あっあれは。」

 綾野と橘だった。

「君達、いったいどういうつもりだ。勝手な
真似をして。」

「綾野先生、それどころの騒ぎじゃないんで
す。縦穴が無くなってしまったと思ったら、
巨大な空間が広がっています。あれは在り得
ない空間です。」

 浩太は会うなり捲くし立てた。綾野は何が
何だが判らなかったが、とりあえずその空間
を見て、確認した上で対策を考えることにし
て今度は四人で奥へと進んだ。

 奥へ奥へと歩いて行くと、程なくさっきの
空間が広がっていた。

「なんなんだ、ここは。」

 普段冷静な橘助教授も、想像もできない広
さの地下空間には驚きを隠せなかった。

「綾野先輩、どういうことだと思います
か。」

「これは、さっきクトゥルーの件でも話をし
たように、どうも旧支配者達が幽閉されてい
たりする空間については、次元が歪められて
いる可能性が高いことの一例なのかもしれな
い。ルルイエが地球の各地に浮上ポイントを
持っていたように、この空間は何者かが幽閉
されている、と見たほうがいいようだな。」

「異次元空間に迷い込んだとでもいうのです
か。」

 四人で合流するまでの間に、多少は綾野た
ちがクトゥルーの復活を阻止した経緯を聞い
ていた橘助教授は、自らが理解できない超自
然現象があり、恐るべき生命体?が存在する
ことについても、ある程度理解しようとは思
っているのだが、どうしても現代の科学で解
決できる範囲での思考になれていることもあ
り、綾野の言葉は容易に納得できることでは
なかった。

 四人が呆然としているときだった。目の前
がなにかぼうっとぼやけてきたと思ったら、
白い靄が広がって1.5mほどの塊になった。
そして、そのなかから、何かが現れた。

「だれだ。」

 それは自然木で造ったと思われる杖をつき、
仙人のような顎鬚をはやした異様な風体の老
人だった。

「だれだ、とは失礼な輩じゃの。久しぶりに
まともな人間に会ったと思ったら、単なる礼
儀知らずだったとは、ほとほとなさけないこ
とじゃ。」

 老人は一人一人を値踏みするかのような目
で一通り眺めた後、徐に綾野に向かって話し
出した。

「お主は、どこぞで会った事が無いかの。ど
うも見覚えがあるような気がするんじゃ
が。」

「いいえ、ご老人。今初めてお目にかかると
思いますが。」

「そうか、よいよい。お主達は本当に運のい
いやつじゃ。その昔、儂が招魂の儀式をしと
ったものを台無しにしよったラリバール・ヴ
ーズとかいうコモリオムの人間をツァトゥグ
ア様への貢物にしてやったことがあった。今
日は虫のいどころもよい。お主達を貢物では
なく、ツァトゥグア様の元に連れて行ってや
ろう。どうせ、ここに来たのはそれが目的じ
ゃろうからの。」

「ツッ、ツァトゥグアが棲んでいる山なので
すか。するとここはヴーアミタドレス山の麓
であると。」

「そうじゃ、ここが魔峰と呼ばれるヴーアミ
タドレス山じゃ。そして、私の名はエズダゴ
ルという妖術師じゃ。それにしてもここに着
くまで、ヴーアミどもににさえも会わなんだ
と云うのか。お主たち、よほどの幸運の持ち
主であろう。でなければ、お主たちのその格
好では、奴らに襲われて命を落とすのがおち
じゃからの。」

 ふと岡本浩太が今来た道を振り返ってみる
と、そこには違う星の地表であるかのような
凸凹とした地表が延々と続いていた。

「綾野先生、あれを。」

「どうしたんだ。」

 同じように振り返った三人は一様に言葉を
失っていた。自分達が来た道は何処にも見当
たらなかった。

「何をごちゃごちゃと言っておるのだ。付い
て来るのか来ないのかはっきりせい。」

 ここはエズダゴルに従うしかない、と誰も
が思った。妖術師と自ら名乗るこの老人は身
なりは襤褸を纏ってはいるが、威厳というか
偉容は疑いないようなので、怒らせてしまっ
ては大変、と素直に付いていくことにした。
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