虹の戦記

綾野祐介

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第9章 杜の国

サイレンの魔女Ⅱ

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第九章 杜の国

サイレンの魔女Ⅱ

「私の目的ですか。それが自分でもよく判らないのです。というか覚えていない、というのが正しいのかも知れませんね」

「覚えていない、とはどういう意味だ」

「そのままの意味ですよ」

 サイレンは素直にロックに話した。嘘が吐けない、というか嘘を吐いてもロックに見破られてしまうからだ。

 サイレンは血のブランという魔道士に自身を若返らせる魔道の研究をさせていた。そしてそれはある程度成功していたのだが継続、と言う部分が完成できなかった。それでサイレンはこの屋敷で時を止めてブランの帰還を待っていたのだ。

 それと問題は若返りの魔道の副作用で記憶が飛んでしまっている、ということのようだった。魔道を掛けられた時の事を全く憶えていないのだ。

「ブランが死んだことは?」

「知りませんでした」

「じゃあ、あんたの魔道は完成しないじゃないか」

「そうかも知れません。自分では最早判らないのです。何か足りなかったのか、何が間違っていたのか」

「それとあんたが若返りの魔道を掛けてもらったということはたくさんの血が必要だった、と言うことになるんだが、それは憶えているか?」

「本当に事を言いますと全く覚えていません。それは本当の事なのですか?自らの若返りのための大勢の命を奪ったと?」

「エンセナーダでブランがやっていたことは、そうだったな。それで俺たちが追い詰めてブランは死んでしまったんだ」

「あなた達がブランを。そうですか、それで私の魔道は完成しなくなってしまったと」

 サイレンのその言葉と同時に部屋の温度が急に下がりだした。

「そうなるな。あんたのことは当然知らなかったが大勢の若者の血を集めているブランは野放しにはできなかったから仕方ない」

「そうですね、仕方ありません、あなたは知らなかったのですから。でも私の邪魔をしたことは事実」

「確かに事実だ、それでどうする?」

 ロックは挑発している。時を止めてしまうような高位の魔法使いだ、ロックの相手になるかどうか見当が付かない。

 ただ、ロックとしてはサイレンが魔道を発動する前にサイレンの首を落とすことなら可能か、などと物騒なことは考えている。

「どうもしませんよ。あなたはやはり怖い人のようです。私では敵わないでしょう」

「そうかい?試してみないと判らないぜ」

「止めておきましょう。素直にルークさんの帰りを待ちます。あなたも良ければここから出て貰ってもいいですよ。私はここから出られませんので」

 確かにロックがここでサイレンを見張っておかなければいけない理由は無い。サイレンはここから出られないのだ。だだもし出てしまったらどうなるのかは誰にも判らない。

「それで俺もルークも戻らなければ、あんたは未来永劫この部屋から出られないかも知れないが、それでもいいのか?」

「そうですね、私がなぜ若返りたかったのは今はもう自分でも判りませんが、何か理由があったのだと思います。それが叶わないのであれば、この先生きている意味もないのかも知れません。そう言う意味では、いっそどうなってもいいからここを出る、という事も考えなければなりませんね」

「あんたは、それでもいいのか?」

「いいか、悪いかは判断が付かないのですから仕方ありませんよ。どうぞ、ご自由になさってください」

 そうサイレンに言われても、直ぐには出て行く気にはなれないロックだった。



サイレンの魔女Ⅱ②

「あと少しくらいは付き合ってやるさ。ルークとの約束であるしな」

 ルークはサイレンの時を止める魔道を解除できるよう、何か対処方法でも見つけてくれるはずだ。

「でも、問題はそこじゃない。もしルークがあんたをここから出す方法を見付けてきたとしても、素直にあんたを出していいのかどうか、俺がきっちり見極めないとな」

「あなたが私を試験でもしようというのですか?」

「試験、というか、まあ実際には話を聞くだけだが」

「話?何の話をすればいいのですか?」

「だからさっきから言っているだろう、あんたの本当の目的の話さ」

「目的、と言われましても本当に覚えていないのです」

 その言葉には嘘が無さそうだった。魔道の副作用で記憶障害が起こっているのだ。

「ここから出たら思い出せると?」

「それも判りませんね。そもそも自分で魔道を掛けたのかすら判っていないのですから」

 ロックは途方に暮れてしまった。ルークのことだ、事情を聞いた上でサイレンを外に出す選択をするだろう。それが最悪の事態を生んでしまうとしても、このままずっとここに閉じ込められ続けることを良しとはしないはずだ。

「そうだ、身体の調子のどこか可笑しいところはないか?」

「その質問はルークさんにも言われましたが、特に自分では悪い所は無いと思うのですが」

「ちょっと待て、確か時を止めているんだったな?」

「ルークさんはそう仰っていましたが」

「ということは病気の進行も止っているだけじゃないのか?」

「それはそうかも知れませんね。でも病気が進行している途中で止まっているのであれば、やはり体調は悪いということでは?」

「無いとも言えない、というか判らない、というのが正解か」

 血のブランがやった事を考えるとサイレンの場合も同じことだとは思われる。そこまでしても若返りたかった理由が何なのか。単に若い肉体を取り元したかった、とうことであれば、そしてそれによって大勢の命が断たれてしまったのであれはサイレンは許されないだろう。

 ただ問題は本当にサイレンが若返っているのかどうか、という問題もある。血のブランが関わっているとしても若返っているかは判らない。

 ルークなら外に連れ出した上で罪を償わさせる、という結論になることは容易に想像できる。ただその時には外に出したサイレンをルークがちゃんと御せるかどうか、という所に掛かっている。

 魔道士としての格の問題だ。ロックにはルークと外に出た時のサイレンとの差は判断が付かなかった。サイレンは誰かに記憶を奪われてここに閉じ込められているかも知れないのだ。

「いずれにしてもルーク待ち、ということか。でもずっとここに居るんだろ?毎日何をしているんだ?」

「毎日魔道の実験をしているのですよ。最近は冷気を保持する魔道を研究していました」

「なんだ、それは」

「箱の中に冷気を閉じ込めて、そこに腐ってしまうものを入れて、腐らせないようにするためのものです」

「そんなことが可能なのか。多分氷を入れて解けるまでの間しか持たないのが現状だろう。それがずっと持つなら凄いな」

「何かの役に立つのなら、という思いでやっているのですが」

 なんかいい奴なのか?ロックはそう思えてきた。ただロックを騙してしまうほどにサイレンが強《したた》かなのかも知れない。



サイレンの魔女Ⅱ③

 丁度そこにルークが戻って来た。外でどれだけの時間が経過していたのかロックにはほからなかったが、何かしらの解決策を持ってルークが戻って来たのは確信していた。

「お待たせ」

「いや、それほど待ってないさ」

「そうなんだ。やっばり中と外では違うんだね。結構時間が掛かってしまって怒ってるんじゃないかと心配していたんだ」

「外ではどのくらい経ってるんだ?」

「ざっと1週間」

「えっ、そんなに?」

 ルークは外に出て直ぐにアークに頼んでソニーに連絡を付けてもらった。何かいい案が無いか、と頼ってみたのだ。

 しかし、ソニーからはよく判らない、という返事が返って来た。

(おい、困り事か?)

「やあ、久しぶり。無事だったんですね」

 それはジェイだった。シェラック?フィットとユスティニアス=ローランの後を追ってウラノで別れて以来だ。

(もしかして儂のことを忘れておらなんだか?)

「そんなことある訳無いじゃないですか」

(どうだかな)

「それで、二人はどうだったんですか?」

(まあいい、今二人はルーロの街まで来ているぞ。ウラノからトーアまで行ったんだが、そこで大雪に閉ざされてしまって、元の道を戻らざるを得なかったのだ)

「なるほど、それで今ルーロに。トーアの先を目指していたけれど行けなかった、ということだね」

(そうだな。ただ目的地と目的は判らなかった。あまり近づけなかったからな)

「目的地は一つかな。多分地図で見るとトーアの先にはノクスという村しかなかった筈だし。目的は判らないけれど」

 そんな山奥にどんな用があると言うのだろう、と思ったが今のところ答えは見つからなかった。

(多分、そろそろこの街に着くころかも知れんな)

「そうなんだ。ジェイは彼らがルーロを出たからここに来たんだね」

(お前たちが見つからなかったからな。とりあえず街道を進んで来たのだ)

「まあ、一本道だからね。それにしても、ありがとう、ちゃんと無事で戻って来てくれて」

(当り前だろう、儂を誰だと思っておるのだ)

「齧歯類の王?」

(猛禽類の王じゃ)

「はいはい、判りました。彼らにも頼ってみるかな」

(何かあったのか?そういえばロックはどうした?)

「ちょっと面倒なことになっていてね」

 ルークはそれから一連の事情をジェイに説明するのだった。



サイレンの魔女Ⅱ④

(なるほどな)

「ジェイはいい考えがあるかい?」

(すまんが儂には無いな。ただ一つ)

「一つ?何か心当たりでも?」

(心当たりというか、まあ聞いてみたらどうだ?、という相手は居るな)

「本当に?誰です?」

(多分もうすぐこの街に着くだろう、あの男だ)

「ああ、そう言うことね」

 名前を言わずともルークには伝わったらしい。

「確かに師匠筋に氷のノルン老師が居たはず。サイレンも雪を操るんだから同系統の魔道士なら何か知っているかも知れないね」

(そうであろう。儂も役に立つ時があるのではないか?)

「大丈夫、いつも役に立っているよ、看守しているんだから」

(その割には時々完全忘れておらんか?)

 ルークは図星だったのだが、表情には出さない。いや、出さないつもりだったが、ジェイには隠せなかった。

(まあよい、そろそろ街に入りそうだぞ)

「判った、出迎えに行ってくるよ」

 ルークはアークに事情を話して街の入り口までシェラック達を迎えに出た。

「やあ」

「なんだ、ルーク=ロジックではないですか。まだこんなところに居たんですか?もう疾《とっく》の昔にレシフェに着いている頃だと思いました」

「色々とあってね」

「ルークさん、お久しぶりです」

「やあ、ユスティ。それほど久しぶりでもないけどね」

「そうですね。でも結構旅路が過酷だったので」

「それは大変だったね。それはそうと聞いて欲しいことが有って待ってたんだ、少しいいかな?」

 ルークはソニーの母親のことは触れずにサイレンのことだけ説明した。

「サイレン=ウインドか、なるほど」

 シェラック=フィットは自らの記憶を探っているようで反応が無くなった。

「るーくさん、少しお待ちください。多分直ぐに回答を出してくれる筈です」

 ユスティにそう言われては、ルークはその場でただ待つしかなかった。



サイレンの魔女Ⅱ⑤

「少し時間が掛かるが」

 突然シェラックが話し出した。何かを考え付いたようだ。

「どのくらい?」

「そうだな、まあ、5日というところですかね」

「それで何を待つんですか?」

「多分あなたもそれが目的なのではないですか?」

 やはりこの男は頭の回転は速い。それがいいことなのか悪いことなのか。

「そうだすね、それで5日あれば連絡が取れると?」

「というか、ここに来ていただきましょう」

「ノルン老師をここへ?」

「ええ、その方が手っ取り早い。師匠もサイレンのことなら動いてくれるでしょう」

「やはりサイレンはノルン老師の関係者だったんですね」

「ああ、私の兄弟子というところです。姉弟子と言うのが正確ですかね」

 ノルン老師の下《もと》で魔道の修行をしていた同志、ということのようだ。

「時を止める魔道についてはご存じないですか?」

「いや、ノルン老師はそんな魔道を研究していなかったと思いますよ。それにブランは影のガルドの弟子でしょう。しかしガルドが時を止める魔道を使うとも聞いていない。もしかしたら最近習得したのかも知れないですが」

「そうですね、やはり時を止める魔道ならクローク老師でしょうか」

「君の師匠の時のクロークか。でもクローク老師が時を止められるとは、それも聞いたことが無いな。遅くしたり速くしたり時を操る魔道士だと聞いていましたが」

「師匠はそんなことが出来る魔道士だったのですか?」

「なんだ知らなかったんですか?」

「ええ、魔道の基礎しか習わなかったものですから」

「それで今その実力なのですか?何か不自然では?どうも熟練の魔道士の様に見受けられますが」

「言われた日々の修行は怠らなかったので」

「それだけでは説明が付かないと思いますが。まあいいでしょう、とりあえず先にノルン老師に連絡を取ってみます」

 それからノルン老師は4日でサイレンの街に現れた。



サイレンの魔女Ⅱ⑥

「ご無沙汰しておりましたノルン老師。お招きにお応えいただきありがとうございます」

「シェラック=フィット。それとユスティニアヌス=ローラン、でしたか、お久しぶりですね」

 氷のノルン。その瞳は深く蒼く、その肌も透き通るほどに蒼かった。数字持ちの魔道士第9位。数字持ちの中で序列第3位である風のフレアとただ二人の女性魔道士になる。

「はい、ご無沙汰をしておりました、老師」

「そして、そちらが?」

「初めまして、ルーク=ロジックと申します。ご無理をお願いして申し訳ありません」

「いいえ、ルーク、我が弟子であるサイレン=ウインドのことですから私が来るのは当然のことです。それに今回のことは私にも責任の一端はあると思いますので」

 ノルン老師は色々と事情を知っているようだ。それならば対処方法も知っているかも知れない。

「そうでしたか。それでは何かサイレンがあの建物から出られる方法をご存じなのですか?」

「あれを、サイレンをあそこから出す訳には行かないのです」

「それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味ですよ。彼女はあそこから出してはいけない存在なのです」
 
 それからノルン老師はサイレンについて話を始めた。

 サイレンがノルン老師の弟子になったのは相当昔の話だった。

 サイレンは魔道士としての才に恵まれどんどん実力を付けて行ったが、ノルンはその性格に難があると感じていた。サイレンの魔道を追及する根本は自らの欲望であったのだ。

 サイレンの欲望、それは若さと究極の美貌を求めるものだった。その思いがどんどん募っていくのを間近で見ていたノルンはとても危険な物を感じていたのだ。

 若返りの魔法については血のブランの研究が進んでいたことをノルンも知っていたが、その方法は許されることではないと思っていた。

 サイレンがブランと接触し始めたことを知ったノルンは止めるように言いつけたのだがサイレンは聞かなかった。

 結局サイレンを破門、という事になったのだが問題はサイレンがノルンの元を離れても追い求める先は変わらないことだった。

 どうしても言うことを聞かないサイレンをただ破門にするだけではなく記憶を一部奪ってこの館に閉じ込めたのだ。

 ノルンはサイレンのことを知っているどころか、サイレンを今の状況にした張本人だったのだ。

「では、彼女を外に出す方法は」

「勿論《もちろん》判ります。ただ記憶の操作がどこまでできているか、今も有効なのかどうか、それを確認しないと彼女を外に出す訳には行かないのです」

 サイレンが元の記憶を取り戻して元来の目的を果たそうとするのであれば止めなければならない。それは大勢の人間の犠牲の上でしか可能にならないからだ。

「それではノルン老師はサイレンをずっとあの場所に閉じ込めておくつもりだったのですか?」

「そうではありません。彼女の欲望を完全に取り除くことか可能であれば、ただの優秀な魔道士ですから世の役に立つことも可能でしょう」

 ルークは少し違和感を感じていた。出会うまでのノルン老師の印象と今目の前で話をしているノルン老師の印象がズレてしまうのだ。勿論《もちろん》実際に会った印象の方が正しいのだろうが、どうもそれがシックリ来ない。

「とりあえず、まずは相談、ってことですね」

 ユスティが一応その場を纏《まと》めてくれた。



サイレンの魔女Ⅱ⑦

 ノルン老師は当然サイレンを外に連れ出すことが出来る。ただ外に出していいのかどうかを迷っていた。

 血のブランが亡き今、その技を継ぐ者がいるのかどうかは不明だが、サイレン本人がまた掘り返してしまうかも知れない。

 ただサイレンの記憶が戻っていなければ、そして将来に渡って記憶が戻らない保証があるのであれば、という条件付きで外に出すしかないとノルン老師は主張する。

 まだ犯していない罪でサイレンが捌《さば》かれることは理不尽ではあるが、今ここでサイレンを解き放ってしまえば、いつか罪を犯してしまうかも知れない。

「とりあえず中に入ってノルン老師に直接今のサイレンをみていただく、ということでどうでしょうか」

 ルークの提案に一同が合意してノルン老師とルーク、それにシェラック=フィットが中に入ることになった。ユスティやアークはサイレンとは面識がないので外で待つことになった。

「それにしても街の名前がサイレンなのはどうしてなのでしょうか?」

「それは中にいるサイレンとは関係がないんじゃないか。この街は昔からサイレンと言う街の名前だからな。街の名前を親がそのまま名付けた、ということだろう」

 アークの結論にルークも納得した。サイレン本人が街の名前と自分の名前が同じなのを知らなかったのは、知らなかったのではなく記憶の一部が欠落した影響なのだろう。

「では参りましょうか」

 ノルン老師を先頭にして一行が中へと入った。

「お待たせ」

「いや、それほど待ってないさ」

「そうなんだ。やっばり中と外では違うんだね。結構時間が掛かってしまって怒ってるんじゃないかと心配していたんだ」

「外ではどのくらい経ってるんだ?」

「ざっと1週間」

「えっ、そんなに?」

「だからお待たせ、って言ったんだよ」

「そうなのか。まあいい、それでそこに居るのは確かシェラック=フィットじゃないのか?」

 ロックの顔が少し蔭《かげ》る。相変わらずシェラックにいい印象を持ってはいないのだ。

「ロック=レパード、お久しぶりですね」

「ああ、ウラノで別れて以来だな。それほど間は空いてないだろう。それとそちらの方は?」

「ロックさん、はじめまして。私の名はノルン。人は氷のノルンなどと呼んだりします。そこに座っているサイレンの師匠、というところです」

 サイレンの顔がビクッとした。ノルン、という名前に反応したようだ。

「サイレンの師匠で氷のノルン、なるほどそれでシェラックと一緒に入って来たのか。お初にお目に掛ります、よろしくお願いします」

 ロックはサイレンの事情を知らないのでただ師匠が弟子を助けに来たとしか思っていない。サイレンの前では本当の事情は話せないのでロックの前でも詳細は話せなかった。



サイレンの魔女Ⅱ⑧

「サイレン、お久しぶりですね」

 ノルンがサイレンに話しかけるがサイレンの目は死んだまま反応もしなかった。ノルンという名前には反応していたのだが、それは記憶が反応したのではなく魂が反応した、とでもいうところか。

「ノルン老師、サイレンの記憶からは老師のことも消えているのではありませんか?」

 ノルンのことが判らないのであれば弟《おとうと》弟子のシェラック=フィットの事も判らないだろう。

 ただサイレンも何かを感じてはいるようで、どう反応したらいいのか判らない、というところのようだ。それで無反応を貫いているように見える。

「サイレンさん、この方はあなたの師匠であるノルン老師ですよ」

 ルークが優しく声を掛けるとサイレンがルークの方に向きなおした。

「ルークさん、ありがとうございます。ちゃんと戻って来てくださったのですね」

 ルークに対しては普通に反応する。

「ええ。あなたを外に出すことが出来る方をお連れしたんですよ」

「私を外に出せる方、それがその」

「そうです、それがあなたの師匠であるノルン老師なのです」

 その言葉にサイレンの顔が少し曇る。ノルンと直接話をしたくないようだ。ノルンが誰だということは記憶にないが自分を閉じ込めた張本人だということが何となく判っているのかも知れない。

「私が居ることで逆にサイレンの記憶を刺激してしまうかも知れませんね」

「でも老師以外には」

「確かに。そうかシェラックに伝授する、ということにしましょうか」

「私は構いませんが、難しい術式なのですか?」

「そうですね、本当は掛けた私が解除することが一番なのですか」

 その言葉にもサイレンが少し反応する。掛けた私が、という部分だ。ノルンがサイレンに魔道を掛けたと理解したのだろう。そのノルンの言葉が信用できないのは十分あり得ることだ。

「老師、ここでは」

 これ以上サイレンに不信感を与えることは得策ではない。ノルンとシェラックは一旦外に出ることになった。

「中でのことを詳細にメモして行ってくださいね」

「判っていますよ、すぐに戻ります」

 ロックにも一旦外に出てもらうことにしてルークはサイレンと二人になった。

「あの私の師匠と言う方が私をここに閉じ込めたのですか?」

 二人になるとサイレンは直ぐに聞いて来た。一番の疑問なのだろう。

「そうですね、それでないと逆に解除する方法も判らなかったのです」

「そうですか。でも私を一旦閉じ込めておいて、今度は出られるようにしてくださるのは何故なのでしょうか」

「それはちょっと複雑な事情がありまして」

 ルークは肝心な部分を言わずにどこまで辻褄の合う話が出来るか思案していた。



サイレンの魔女Ⅱ⑨

「何か深い事情があるのですね。そしてそれは私には聞かせられないということ」

 サイレンは内容は別として立場は完全に理解していた。

「そうですね、仰る通りです。ですから詳しくは聞かないで貰えると助かります」

 サイレンは納得できないが仕方ないという表情を見せた。ルークならもしかしたら詰問すれば話してくれるかも知れない、とも思ったのだが、流石にそれは止めておこうと思った。


「なるほどな」

 ロックは外で事情を聞いて納得した。確かにそれではサイレン本人には話せない。

「でもそうだとすれば今のサイレンは一度若返った結果ではないのか?」

「そうですね、私の元で修業をしていた頃からは今の姿は変わっています」

 それは大勢の犠牲の下にサイレンが今の姿を手に入れたことになる。

「それでは記憶が戻っているかどうかに関わらず彼女を外に出す訳には行かないんじゃないか?」

 ロックの疑問も尤《もっと》もな話だった。

「万が一記憶が戻ってしまったら、また同じことを繰り返してしまうんじゃないかと思うんだが」

「ルークさんはそれを判った上でサイレンを外へ、と思っておられるようですよ」

 ロックにはルークの思いが理解できなかった。血のブランの所業はロックと同じように憤慨していたはずだった。同じことをしたサイレンは助けるというのはロックにはあり得ないことだった。

「それと多分血のブラン亡き今、若返りの魔道を使いこなせる魔道士は居ないと思います。今後新たに現れる可能性はありますが」

「サイレンの記憶が戻ったとしても二度と繰り返すことは無い、ということか」

 それでもロックは納得か行かなかった。できればルークとちゃんと話をしたかったのだが。

「だが確か血のブランも誰かの指令で動いていた可能性があったんじゃなかったか」

 確かに師匠である影のガルドがブランの魔道を封印した者を解除した存在が居たはずだった。ブランが自ら解いたとは考えられないのだ。

「誰かの指令、若しくは誰かに唆されて、と言うわけですか。それがサイレンだと?」

「そう確信が有る訳ではないが多分ブランは実験の結果をサイレンに報告する手はずになっていたんじゃないか?」

 一度は成功した若返りの秘術が何かの事情で解けてしまうのか、継続できずに元に戻ってしまうとか、何らかの不具合があったのではないだろうか。その対策として今の状況を作り出したとすれば、もしかするとノルンもグルなのではないか?

 ロックの思考は目まぐるしく進化していくが自分でも纏まり切れなかった。やはりルークと話をしたかった。



サイレンの魔女Ⅱ⑩

「そうだ、とりあえず建物の結界は解きますね」

「建物の結界?」

「この中に入ると中での記憶が外に出た時に無くってしまう結界が張ってあるのです」

 どうもサイレンを閉じ込めている結界と記憶を持ち出せない結界は別物らしい。

「それを早く行ってくださいよ、ノルン老師。その結界が解除出来たらこんな手紙を一々書く必要がないじゃないですか」

 シェラックの言い分は最もだった。一番先にやるべきことではなかったのか。

「そうですね、失念していました。とりあえず今結界の一部を解除しました。あとはサイレンを閉じ込めている結界だけです」

「じゃあ、気兼ねなく中に入るとしようか」

 今度は全員で中に入ることにした。

「帰りなさい」

 ルークとサイレンが待つ部屋と一行は戻った。

「で決まりましたか?」

「お前と話してから、ということだ」

「それはちょっと無理では?また外に出るのですか?」


「いや、全てお前に任せる、という意味だ。俺以外の者の意見は知らんがな。但し、お前の意見をちゃんと聞いてから、だ」

「私もルークの意見に従うことでいいですよ」

 ノルン老師がそう言ってしまうとシェラックやユスティに反対することは出来ない。

「なんだ、俺に意見は聞いてくれないのか?

 唯一の地元関係者アーク=ライザーは不満げに言うが実際には反対していない。考えるのはソニーが居ればソニーに任せっきりなのだ。今はソニーが居ないのでルークに任せることに異論はない。

「お前の意見何て誰も聞いてくれないだろうに」

「おい、ロック。それはお前も同じじゃないのか」

「俺はルークに考えることは任せてあるんだ、お前とは違う」

「俺もソニーに任せているんだから一緒だ」

「ソニーは今居ないじゃないか」

「二人とも、その辺りで。もし本当に僕に任せていただけるのであれば、ノルン老師、サイレンを開放してやってくれませんか?」

「それがルーク、あなたの選択なのですね」

「そうです。今の彼女は何も知りません。例え過去にどんな所業を行って来たとしても今の彼女にはその記憶がありません。自分が自覚していないことで断罪されることは問題があるのではないでしょうか」

 ルークの決断はサイレンの開放だった。
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