虹の戦記

綾野祐介

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第1章 虹

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第1章 虹

1 シャロン慨史

 シャロン公国はロウル=レークリッド第十四代公王が治める大陸東方の国だった。6つの州と3つの公王領があり、各々に太守、治安長官が居る。公国建国時に建国の王マーク=レークリッドと共に戦った3人が公爵として拝領したガリア州、スィール州、アゼリア州はそれぞれガイア=イクスプロウド公爵、カール=クレイ公爵、ヴォルフ=ロジック公爵が治めており、武王と諡されたマークに協力した当時の豪族はほぼそのままグロシア州、プレトリア州、アストラッド州としてそれぞれ、ウラル=ダッシング侯爵、バイロン=レイン侯爵、ディーン=アレス侯爵が治めている。

 公王領としては聖都セイクリッド、公国のほぼ中心にある大湖ルスカ湖周辺のジャスメリア、西方へ通じる辺境地帯のバウンズ=レアがあり、それぞれ治安長官としてアトル=ローランド侯爵、ギヴン=ヴァードック侯爵、公王の実の弟であるトリル=レークリッド侯爵が治めていた。

 シャロン公国としては極東のズィーイ、北方のキースノア、砂漠地帯のノルメルローン、西方のカタニア、さらにロンドニアなどに囲まれているが、ここ数十年間は攻められることもなかった。


2 流星

 シャロン公国の北方と中央の境に座し、世界の屋根とも呼ばれているロゼ山脈の中でも一際高く聳えるアローラ山のほぼ中腹にその村はあった。村の名はノクス。この村に行こうとする者は、まずカウル山脈のウラノまで登り、更にトーアまで出て、北へ北へと山麓を進まなければならない。道はあることはあるが、不慣れな者が決して登れる道ではなかった。

 先代の村長が昨年老齢で逝き、その後を継いでまだ三十歳になったばかりのロームが新しいい村長となった。

 ロームが若くして村長となったことには、相応の訳があった。彼は今彼の前で夜空を見上げ、満天の星を見つめている老人に好かれているのだった。そしてこの村での村長たる条件とはただそれだけだったのだ。

 老人はただ星を見つめている。それがロームには世界の総ての様相を見通しているかの様に見えるのは決して過大評価だとは思わなかった。

 そのロームから見ても老人は決して年齢を判別させない何かを秘めているようだった。彼は天界の塔とも呼ばれるアローラ山の中腹のノクスに数百年前から住んでいると伝えられている魔道師でオーガと呼ばれていたが本当の名前かどうか誰も知らなかった。

「ロームよ見るがいい、星が流れて行くわ。」

「吉兆でございましょうか、老師。」

「このわしにも解けない星があるものよ。」

 オーガはそう云いながらも必死でその流れ星の相を読み取ろうとしていた。

 その時流れていた星は一瞬輝きを増したかと思うと、幾つかに分かれまるでシャロン全土を覆うようにして飛び去った。

「7つ、そうか7つに分かれたのか。」

 そのままオーガは考え込んでしまった。こうなると1週間でも身動き一つしないことをもう数回目の当たりにしているロームは仕方なしに自分の家へと帰るのだった。


3 御前試合

 公王直属の情報機関である「ホーラ」の長官であり、聖都騎士団では准将軍を勤めるリード=フェリエスが今朝急ぎ視察先のマゼランから帰京したのは、年に一回開催される御前試合を観るためだった。その年に十八歳になる若者を公国全土から集め開かれる御前試合は、騎士団への登竜門であり、成績によっては聖都を守護する聖都騎士団にも配属されることがあった。そして、もちろんリードのめがねに適うものはホーラの一員となるのだ。

 暗殺部隊であるキル=ホーラの隊長ネーズ=カーターや辺境調査隊ホーラ=レイの隊長ハデス=ダンガルも何年か前の御前試合の優勝者だった。

 御前試合とは参加資格は年齢だけで、どんな身分の者でも参加できた。例えば現公王のロウル=レークリッドも公太子のとき参加した年に準優勝したのはフロックではなく実力であった。因みにその年の優勝者は現アゼリア州太守の剣聖と呼ばれたヴォルフ=ロジックだ。

 本当は予選の最初から見たかったのだが、リードが着いたときにはもう本選への出場をかけた試合からだった。今年も有力な者の子息として数名が参加していたが、本選に残ったのはガリア州太守ガイア=イクスプロウド侯爵の嫡男シオンと聖都騎士団副団長バーノン=レパード中将軍の次男ロックの2人だけだった。二人は従兄弟同士らしい。

「今年は一人だけだな。」

 リードは呟いた。高官や聖都騎士団の子息風情にろくなものはいないと思っている。リードが見たところラティス=トゥールという青年が優勝しそうだった。まず目が違う。ロックは自分を出し過ぎだ。シオンとなると余りにも生気がなさ過ぎる。ラティスなら非情にならなくてはいけないときには親兄弟でも切り捨てられそうな芯の強さと忠誠が望めそ
うだし、その場の状況の変化に対応できる明敏さも兼ね備えているようだ。

 もう一人、ユダ=ミダスもかなり使えそうだが、この青年も目が暗すぎる。ネーズに任せればそこそこ物になりそうだが、今のところそちらの方には人材は事欠かなかった。どちらかと云うとリード本人の補佐が出来る参謀役とでも云うべき人材を切望していた。

 本選の試合が始まった。リードは公王の少し前の席で観戦していた。声の届く範囲に控えていなければならないのだ。

 最初の試合でシオンが残った。その動きにリードは何か重大な思い違いをしているような違和感に包まれた。

 次の試合はリードが予想した通り進み、ラティスが残った。

 第3試合も予想通りユダが辛うじて残った。

 最後の試合は風のように舞うロックに相手が翻弄され自滅していった。

 二人は予想通りに、他の二人は予想に反して勝ち残った。これほどまでにリードともあろう者が見間違うことは今まで一度もなかった。我が目を疑う始末だ。そしてまず、シオンとラティスの準決勝が始まった。

「ガリア公の息子だからといって手加減してもらえると思うな。」

 ラティスが挑発するがシオンは動かない。数十秒間、二人は身動きひとつしなかった。いや、しなかったのはシオンだけでラティスはできなかったのだ。圧倒的な技量の差だった。他人との試合を見た感触ではラティス自身多少梃子摺るかも知れないが勝てる相手だと踏んでいたのだ。が、いざ剣を構えて向かい合うと、逃げ出したくなるような恐怖感だけがラティスを包んだ。人食い虎と向かい合っていると云うより、死神と向かい合っていると云う方が近いか。

 シオンは今までの試合は、決してその技量を悟られないように注意を払って勝ち残っていたのだ。しかしラティスは流石にリードが見込んだだけあってその力量を出さずには勝てないと思い、本気で構えただけだった。ラティスの技量は確かに抜きん出ていた。去年の優勝者ではとても適わないほどに。しかしそのラティスでさえ、シオンの前では子供同然だった。シオンの技量は或いは公国随一と云われているリードに匹敵するかも知れない。

 これはもうだめだ、とラティスは思ったが、せめて一太刀なりともと間合いを詰めて精一杯のスピードで打ち込んだ。ラティスにしても今までの試合で自らの技量の総てを見せたつもりはなく、相手が過小評価をしてくれれば、不意を突かれてラティスに勝ちが回ってくるかも知れない。

 が、シオンはぞっとするような美しい顔立ちからは想像もつかない程の剛剣でラティスのレイピア(細剣)を真二つに折ってしまった。

「やはりラティスか。」

 試合の結果に反してリードは思った。シオンの剣は余りにも鋭い。その鋭さは危うさをも含んでいる。諸刃の刃と見た。さらにガリア公の嫡男では本人の意思であろうと、ガリア騎士団以外に入れる筈もなかった。

 その点アストラッド騎士団に所属する父を持つラティスは技量や才能はシオンに及ばないかも知れないが、まだまだ磨きようによってはハデスやネーズを超える可能性が大きい。この時点で今年の出場者からホーラに入れる候補としてはラティス=トゥール一人に絞った。

 そしてもう一試合。ユダとロックの試合が始まった。ユダの目は暗い。シオンとは別の意味で相手に恐怖感に似た感触を与える目だ。執拗と云う言葉がその眼差しを表す言葉として最も適当に思える。

 第1試合とは対照的に二人は活発に打ち合った。と云っても打ち込んでいるのはユダの方だけで、ロックはただ受け流しているだけだ。そんなことが数十回続いたところで、ユダの息遣いが荒くなってきた。ロックと云えば飄々としている。時より笑みさえ浮かべながら、ほとんど疲れた様子もなかった。

 この試合を主賓席で見つづけていたシャロン公国ロウル=レークリッド公王は自らが出場した時のことを思い出していた。決して負ける気がしなかったヴォルフに決勝で敗れたのは、いまロックが見せているそのままの戦法を使われ、疲れで自ら自滅してしまったのだった。死神の目を持つ剛剣シオンと剣聖ヴォルフが乗り移ったようなロック。この二人が決勝に残るのは間違いないだろう。公王ロウルは一歳違うことで決して実現しなかった剛剣ガイアと剣聖ヴォルフの対戦を見られそうな予感で子供に帰ったような気持ちであった。

 第2試合は結局ロックが残ったが、右腕に少し手傷を負ってしまった。ほんの一瞬の油断を突かれてしまったのだ。観客席のレイラ=イクスプロウドの姿が目に入った所為だった。レイラはシオンの妹で、ガイアの一人娘だが、彼女が今日セイクリッドに来ているとは聞いていなかったので不思議に思って気を取られてしまったところをユダに打ち込まれたのだ。辛うじてかわしはしたが、ほんの少し剣の先が腕に触れた。たいした傷ではないが決勝の前だけに無傷で勝ちたかったので、ついかっとなってユダを打ちのめしてしまった。

「ヴォルフ伯父に知られたら大目玉だな。」

 凡そ緊張感のない感想を残してロックは控え室に戻った。そこへレイラが入ってきた。

「さすがね、この間の約束通りだわ。」

 レイラはロックより3歳年下なのだが、誰に対しても妙に年上ぶった態度をとるのが常だった。

「ラースから何時出てきたんだ。シオンと一緒じゃなかったのか。ガイア伯父は知っているんだろうな。」

「そんなに一辺に云わないでよ。」

 レイラはふて腐れて椅子に座った。試合前にガイア伯父に逢ったときにレイラはラースに置いてきたと云っていたのだから黙って出て来たに違いない。お転婆姫にも困ったものだとロックは思った。

「ヴェルナーはどうした。よくあいつに隠れて出て来れたな。」

 ヴェルナー=フランクはガリア騎士団の小隊長でシオンやレイラの良き相談相手だ。年はシオンより1つ上なだけだが、頭も切れて剣の腕も確かなので将来ガリア騎士団を担うと云われている。

「フローリアがヴェルナーの葡萄酒に眠り薬をいれたのよ。案外簡単だったわ。」

「無茶するなぁ、ヴェルナーの苦労が思いやられるよ。」

 実際はヴェルナーが気づいていて密かに二人に部下を着けて寄越したひとは確認しなくても手に取るように判った。でなければ世間知らずの二人がセイクリッドまで無事に来られる筈がない。途中で盗賊に襲われてしまうのがおちだ。

「シオンには逢ってないのか。ガイア伯父も会場に来ている筈だか。」

「後でびっくりさせようと思っているんだから、教えちゃ駄目よ。」

 まだまだ子供じみているレイラだった。

「さあ、もう試合が始まる。しかし、お前の兄貴はどうしたって云うんだ。御前試合に出るなんて聞いてなかったし、あいつがレイピアを持っているところを見たことさえないんだぞ。」

「私だってそうよ、父上に着いて来ているだけだと思っていたわ。見に来たら出ているからびっくりしたわよ。」

「優勝するって約束を果たすには、シオンを倒さなければならなくなった。さっきの試合を見た限り相当手強そうだな。まあ、負けないように頑張るよ。」

 実際五分五分だと思っていた。しかしいつ修行をしたのか。レイラに気づかれないようにあのレベルに達したとすれば並大抵な努力ではないだろう。ガイア伯父の太刀筋とも違うようだ。ロックはヴォルフの他にガイアにも稽古を付けてもらったことがあるので判る。

 ロック自身もヴォルフとガイアの他にはその腕を知っている者はないように内密に修行していたので、父のバーノンや兄のブレインさえも知らなかった筈だ。ロックは二人の最良の師に師事したからこそ滅多なことでは引けを取らないまでに到達した。シオンはどんなやり方であのレベルに達したのか。試合が終わったら問い質してやろうと思いつつロックは試合場に向かった。

「リードよ、お主はどう見る?」

 公王に問われてリードは困った。実際リードにも予想がつきかねていたのだ。自分が立合えばシオンには何とか勝てそうな気がする。ロックにはもっと簡単に勝てそうだ。しかし、その二人が立合えばどちらが勝つのか見当もつかなかった。

「公王陛下、私にはどうも予想がつきかねているのですが。」

 正直に答えてみた。公王との会話は時として公王に知的優越感を与えねばならず、かと云ってあまりの追々は無能と取られてしまうので、あまり好んではいなかった。しかし、この時ばかりは一剣士としても有数の腕を持つ公王との会話を何の衒いもなく交わそうと思った。

「ほう、お主にも読めんか。しかし、ガイアの息子がここまでやるとは思わなんだわ。それにあのロックと云う若者、たしか、レパードの次男だったか、あれはヴォルフの手ほどきを受けておるようだな。」

「ヴォルフ公の、確かにそのようですな。」

 リードは昔ヴォルフに剣を教えてもらったことがある。短期間ではあったが適切で得ることが多かった。その後リードは数多くの実戦を潜り抜けて今のレベルに達したのだったが、そうすると、ロックとは兄弟弟子になる訳だ。公王もリードも剣士として非常に興味を引かれている試合が始まった。

 まずはお互いに相手の出方を見ようとしているようで、どちらも動かない。シオンが右に動けばロックも右に動く。ロックが前に出ればシオンは後ろに下がる。その繰り返しだった。剣を合わせること数十回、どちらが優勢とも云い難い内容だった。

(早く決着を着けないと腕が重くなってきたな。)

 ロックはユダとの試合で傷を受けた腕が痺れ出していた。何か薬が塗ってあったようだ。直ぐには現れなかった薬の効果が今ごろ現れてきたのだった。

(何か様子がおかしい。さっきの傷か?そんなに深手には見えなかったが)

 シオンは直ぐにロックの様子に気づいた。妙に右腕が下がってきている。

(では、ロックには悪いがそろそろ決着を着けさせてもらおう。)

 シオンが一歩踏み込んだ瞬間だった。ほんの一瞬の過信をロックは見逃さなかった。シオンの剣を受け流し、そのまま剣を首筋に突き付けたのは打ち込まれた筈のロックだった。

「それまで、ロック=レパードの勝ち。」

 高々と試合終了ファンファーレが響き、今年の御前試合は終わった。


4 時の都ラグ


「漸く気づいたようだの。」

 青年は何処か体が痛いのかぎこちなく身を起こした。目の前の椅子に座っているのはどうも胡散臭そうな老人だ。後頭部が割れるように痛かった。触ってみると瘤ができていた。

「あのう、ここは?」

 青年は恐る恐る聞いてみた。何がなんだか判らない。

「ここは時の都と呼ばれるラグの外れのあばら家じゃ。お主は街道から外れた岩場に捨てられておったのよ。儂でなければ見逃しておったろうな。感謝してもらおうかの、あのままでは死んでおったぞ、お主。」

「そうですか、あなたに助けていただたんですね。ありがとうございます。でも、私は何故そんな所に倒れていたのでしょうか?」

「大方山賊にでも襲われたんじゃろうて。頭を殴られたようじゃの。どうだ、痛むか?」

 確かに頭が痛い。それともっと重要なことに気づいた。

「山賊に?確かにそのようですね。ところで、私は誰なのでしょうか?襲われたときのことも一向に思い出せないんです。」

「自分が誰じゃと。そう言えばそんなことを聞いたことがあるのう。頭を打った拍子にそれまでの記憶がなくなってしまうことがあるとか。」

 青年は記憶を無くしてしまっていた。名前さえも思い出せない。

「それと失礼ですけどあなたは?」

「儂か、儂の名はクロークじゃ。それ以上のものでも、それ以外のものでもないわ。」

「クロークさんですか。改めてありがとうございます。たすけていただいて申し訳ないんですが。」

「なんじゃ、なんでも云ってみるがいい。」

「実は腹が減って。」

 グウと鳴ったタイミングと同時に青年は云った。クロークは思わず笑って、

「そうかそうか、腹が減っていると云うことは生きておる証拠じゃ、よいよい、遠慮するな、お主の食い物ぐらい直ぐに用意してやろう。」

 そう云うとクロークは何か呪文のようなものを呟き手をテーブルの上に翳した。するとどうだろう、そこには飲み物とパンが数種類皿にのって現れた。

「これはいったい?」

 青年は驚いて聞いた。それはそうだろう、何もなかったところに突然食べ物が現れたのだから。

「これは手妻の類じゃな。驚ろかんでも良いわ。安心して食うがいいわ。結構いける筈じゃ。」

 青年はむしゃぶりつく様に食べ出した。

 青年が気づいてから数日、とくに何事もなく順調に回復していた。相変わらず記憶だけは戻らないままに。

 クロークが魔道師であることに青年は非常に興味をもって、その術を教えて欲しいと頼んだ。クロークは特に今まで弟子を取ったことは無かったが、青年の記憶が無いことに関心を寄せていたので記憶が戻るまでの間、剣と魔道を教えることにした。するとどうだろう、青年は元々魔道師であったかのようにやすやすと呪文を覚えていった。普通なら5年はかかるであろう下位ルーン語も簡単に覚えてしまった。

「お主には驚かされることばかりじゃのう。記憶を無くす前は相当高位の魔道師であったかのようじゃて。それに剣の腕前ではとうに儂を追い抜いておろう。儂に遠慮して隠しているようじゃが、儂には隠し事はできんと覚えておくことじゃ。」

 魔道師としてはかなりの上位者であるクロークなので、そちらで追いつかれることは当分なさそうだが、剣の腕前では完全に師匠を追い抜いてしまった。剣では元々かなりの腕前だったらしく、自然と体が動いてしまう。剣と魔道、各々の修練を続けるうち、早や半年が経とうとしていた。

 ある日青年は思いつめた表情で老師の前に立った。流石に自分の記憶が戻らないことを心配し出したからだ。

「老師、まことに申し訳ございませんが、私の相を観ていただけませんでしょうか。」

 青年は恐る恐る申し出た。相を観るとはその人の運勢や未来を予言するようなもので、最下級の魔道師が生業として主に占いなどをやっている。クロークはかなりの上級魔道師なので当然その程度の事はできる。

「わかったわい。やっと言い出しよったか。何時言うかと思っておったが。よいよい、そこに座るがよい。」

 クロークは青年の額に手を当てて徐に呪文のようなものを唱え出した。古代上位ルーン語とか云うらしく、魔道師でもかなりの上位者しか使うことができないらしい。クロークは自慢気に話してくれた。これならかなり正確な予言が出来るはずだ。

「自らを探し放浪するものよ、汝の運命を切り開くにはヴォルフと会い、オーガを探せ。さすれば運命は開けん。」

 それだけで神託は終わった。青年には何が
なんだか判らなかった。

「オーガじゃと、それにヴォルフとはあのヴォルフ=ロジックのことか、お主いったい何者だ。」

「僕に聞かれても困るんですけど。オーガとかヴォルフって誰ですか?」

「それはそうじゃな。儂が知っているオーガとはこのシャロン公国建国時に武王マーク=レークリッドと共に戦ったと云われている伝説の魔道師じゃ。もう四百年以上も前のことになる。ただオーガは今でも生きていてシャロン公国存亡の危機には必ず現れるであろうと云われている。儂の魔道師仲間達でもその存在は知ることが出来ないほどの偉大な魔道師じゃ。我が師であるドーバ老師の師匠でもある。我が師はオーガの12番目の弟子ということじゃった。それとヴォルフとは多分アゼリア州太守のヴォルフ=ロジック公爵のことじゃろう、それ以外には考えられんの。」

 伝説の魔道師、アゼリア公、いったい青年は何者なのだろうか。

「僕はいったい何者なのでしょうか?」

「儂には判らんわ。それならちょうど良い、儂の師匠であるドーバ老師がアゼリア州の州都アドニスに居られるはずじゃ。お主が望むならアドニスに行き我が師ドーバを頼るがよい。ヴォルフ公に逢う算段とオーガを探す手かがりが一度に得られるかもしれんて。儂が手紙を書いてやるからそれを持って行けば悪いようにはしないじゃ。多少個性的すぎるところがあるので、最初は戸惑うかもしれんがの。」

「判りました、ぜひお願いします。」

 青年はクロークに旅の支度をしてもらって直ぐにアドニスに向けて旅立ったのだった。


5 アドニスの邂逅

 その一行は目的がよく判らない奇妙な一行であった。普通旅をしている一行と云えばキャラバン(商人)か吟遊詩人か興行一座ぐらいで、後は精々太守などの庶民とはかけ離れた存在の行列、又は騎士団だけだった。庶民が生まれた街を離れることは厳しく取り締まられていたので、生まれた街を一歩も出ないまま一生を終える人々が圧倒的に多い。そんな中で、その一行は服装を見れば庶民の服装としか見えず、ただ物腰などには多少高貴なものが感じられそうなところがあって、只の庶民とも見えない。

 実は一行の中の二人の娘のうち一人はガリア州太守ガイア=イクスプロウド公爵の娘レイラであった。もう一人の娘は侍女のフローリア、そしてもう一人の青年はロック=レパードであった。

 レイラは御前試合をセイクリッドまで見に行きガリア州の州都ラースまで戻るとすぐに今度は海が見たいと言い出したのだ。セイクリッドに行ったことだけでも相当父親に叱られたのだが、そんなことはお構いなしのお姫様だった。もちろん、今回も許しを得て旅立った訳も無く、勝手に飛び出したのだ。ガイア公も困った娘だとは思いながらも望みを叶えてやりたくて、丁度一緒にラースに来ていたレイラの従兄弟のロック=レパードを追いかけさせた。ロックの腕前は保証付であるし行き先もアゼリア州ロスだと云うのでヴォルフの元なら大丈夫だと考えたのだ。ロックにもヴォルフに御前試合の報告をしなければならないだろうと納得をさせた。

 そんな訳でレイラとロックとフローリアの三人は無事アゼリア州の州都アドニスまで旅をしてきたのだった。

 一行が一休みしようと街中に入っていくと何だか人だかりが出来ている。好奇心旺盛なレイラは早速輪の中に入っていった。

「ねぇ、どうしたの?」

「あの若いのがからまれているんだ。からんでいるのはこの辺りの大ボス、ラバトの手のもの達だが、若い方は見かけない顔だな。」

 見ると丁度ロック達と同じ年くらいの青年が十数人のガラの悪そうな男達に囲まれていた。

「ねぇ、ロック、助けてあげなさいよ。あの子、やられちゃうわよ。」

 しかし、ロックは動こうとしなかった。

「黙ってみてなよ、直ぐにかたが着くさ。」

 乱闘が始まったが誰も青年を捕まえられない。大勢の人数と戦うときに捕まってしまえばそれで終わりである。普通は如何に逃げるかが勝負と云うより囲まれた方の決め手になる筈だが、この青年の場合は違っていた。大勢の中を巧みにすり抜けながら一人、また一人と確実に相手を倒して行く。あと三人になって流石に自分達の不利を悟ったのか、男達は決り文句の捨て台詞を残して逃げ去った。

「凄いわあの子。あら、ロックは?」

 見回すとロックはレイピア(細剣)を抜いて青年に近づいている。そして物も言わずに打ちかかって行った。

「何をするんだ、今の奴らの仲間か?」

 青年はロックのレイピアをあっさりとかわして間合いを取った。

「いやあ、ごめんごめん。つい剣の使い手を見ると腕を試したくなる性分でね。」

 そう云いながらロックは剣を収めた。

「危ない性分ですね、驚きましたよ。」

「何処で見に着けたんだい?、素晴らしい太刀筋だなぁ、正式に立合ってくれないか?」

 ロックは他のことにはあまり興味が無かったが、剣については特に関心をもっている。シャロン公国全土の剣豪たちと手合わせしてもらいたいと望んでいるくらいだ。青年の腕は確かなものだ。誰の手ほどきなのか、かなりの有名な剣豪に違いなかった。

「あなた、変わった人ですねぇ。それだけの腕なら何故助けてくれなかったのですか?」

「君が勝つと判ってたからさ。相手にならないとね。それはそうと誰に教わったんだい?」

「クロークという魔道師です。ラグに住んでいますよ。それじゃ、僕はこれで、急ぎますから。」

 青年は急ぎ足で街中へと向かった。

「君、名前は?」

 ロックが大声で叫んだ。

「判りません!」

 青年は意味不明の言葉を残して去って行った。

「判らないってどんな名前なんだ!」

 青年は教えられたドーバの家の前で途方に暮れていた。玄関の戸に張り紙がしてあったのだ。

「暫らく留守にする。二年は戻らん。待てるものは待て、待てないものは去れ。」

 どうしようもなかった。この張り紙が貼られたのが一体何時なのか。二年前ならもう直ぐ戻ってくるはずだが、貼られたばかりなら後二年は戻らないことになる。近所の人に聞いてみるとほぼ二年前に出て行ったらしい。しかし、二年と書いて二年で戻ってきたこともないらしい。青年は改めて途方に暮れてしまった。

 諦めて宿でも探そうと背を向けたときだった。誰もいない筈の家の中から何か物音が聞こえてきた。ゴソゴソと動いているようだ。

「泥棒かな?」

 青年は閉じられた窓に耳を近づけてみた。やはり誰かが居るようだ。どこか開いている所がないかと探してみると裏口にあたるドアが動いた。

「ここから入ってみよう。」

 辺りはもう薄暗くなりだしていた。家の中はもう灯り無しでは歩けないほどだった。中に入ってみると暗闇の中で人の気配がする。

「誰じゃ!」

 青年が今云おうとした台詞を相手に云われて驚いたその時、急に灯りが点いた。部屋の中は特に荒らされた様子も無く整然としている。そしてテーブルの上に老人が居た。正確には座っているように見えた。実際には老人はテーブルの上に浮いていたのだ。かなり小柄なクロークと比べてもまだ小さい老人だっ
た。

「お主、変わった星を持っておるな。」

 落ち着いた様子から見てこの家の持ち主、すなわち魔道師ドーバに違いなかった。

「あなたがドーバ老師ですか。僕はラグのクローク老師の所から来た者なのですが。」

「クロークじゃと、あの不肖の弟子はまだ生きて居ったか。」

「ここに手紙があります。」

 ドーバは暫らくはクロークからの手紙に見入っていた。

「よく判ったが、よく判らん。まあなんとかするから暫らくはここに居ればよかろう。」

 こうして青年は再び魔道師の家に居候することになった。
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