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Episode:1
夢の続き
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____束の間の安らぎだった。
くだらないことでエリカと喧嘩をして、父に諭され、幼馴染みの母は微笑んでくれる。
そんな何気ない日常が幸せだったことを知るのは、後のこと。
そう、悲劇はすぐそこまで迫っていたのだ。
動物や美しい花に囲まれながら、彼女が大好きな本を読む。
あまりにも嬉しそうで、毎度付き合わされることになるリナトも、思わず笑みが溢れた。
つい色々聞いてしまい、子どもらしからぬ意見まで交わしていた程だ。
「そろそろ寒くなってきたな。帰るか」
「そうだね。あんまり遅いと、怒られちゃう」
「ああ、行こう」
リナトはエリカの手を引いた。
ゆっくり、ゆっくり。二人で一緒に、同じ道を歩く。
何も言わず、ただただ歩く。
この時間が、お互いに好きだった。
……が、この日はそれまでと違う。
「…ねぇ」
「ん?」
「それでもわたしは……やっぱり、素敵だと思うな」
読んでいた本の話。
エルフと人間の恋模様。
彼女は、笑顔で話す。
「エルフさんが天に昇ってくるときに、きっとその恋人さんがお迎えに行くの。おかえりなさい、って。そしたら抱きしめ合って、長い間会えなかった分、たくさん言葉を交わして。…わたしはそうだと思うな!」
彼女は笑顔でそう言った。
眩しすぎるほどの笑顔で。
忘れられないくらい、綺麗な笑顔で。
そう言った。
「………いいんじゃないか、それ」
突飛な思いつきの話に、リナトも耐えきれず笑っている。
エリカもまた笑う。
(____あぁ、幸せ、だった)
夢を見るリナトは、噛み締めるように思った。
同時に、夢故に何も手が出せないことに、歯痒さも感じた。
……………
………………
……………………
「あっ!?」
突然、声を上げたエリカが転んだ。
少し大きな石に躓いたらしい。
「あーあ…」と呟いて、リナトは彼女の元にしゃがみ込んだ。
「何やってるんだよ、大丈夫か」
「転んじゃった…。いたた……」
「ったく……お前、そんなドジじゃないだろ」
「う、うん……あんまり普段転ばないんだけど」
「血が出てる。化膿したら面倒だな。見せろ」
頷いた彼女が、擦りむいた膝を前に出した。
リナトがそっと、手を彼女の膝にかざすようにして止める。
すると、鮮やかな光が浮かび上がり、ぽうっと辺りまで照らした。
たちまちエリカの傷は塞がっていき、小さな砂利がまとわりついているのみになる。
「わあ…!相変わらずすごいね…!」
「いつでも俺が傍にいるわけじゃないんだから、気をつけろよ。ほら、砂も落とせ」
「うん!ありがとう、リナト!」
砂を払う姿を見て、もう大丈夫だと立ち上がる。
リナトが発した光は、治癒の魔術によるもの。略して治癒術とも言う。
彼は幼い頃から治癒術に長けており、またあらゆる魔術の才能を持っている。
村では自身の力を活かして、程度に限界はあれど怪我を治したり、焚き火や灯り、採取や狩りの協力など様々な面で力を貸していたのだ。
「歩けるか?」
「大丈夫だよ。……それにしても」
「どうした?」
「…あ、えっと、ごめん。なんだか……、嫌な予感がするの」
「嫌な予感?ぱっとしない答えだな」
「うん、だよね。きっと大丈夫。気のせいだから………」
エリカが困ったように笑った次の瞬間だった。
____ドンッ!!!
…………大きな爆発音が聞こえた。
気づいて、体が強ばる。エリカも動けずにいた。
「っ……なんだ!?一体何が……っ!?」
どさりと、本が落ちる。
「ね、ねぇ……!リナト、あれ…!!」
震えながらエリカが指を差す方向に視線を向ける。____それは。
「…………村だ」
「……っ…!」
「間違いないっ……イベリスだ、俺達の村だ……っ!!」
爆撃のような音がした方向。
住んでいる村から、火と煙が見えている。
幼い二人には、到底受け容れきれない惨状だった。
距離はそう遠くない。
間近で火の手の上がる村。
至る思考はひとつ。
「っそうだ、父さん…っ!!カトレアさん……!!」
「お、お母さっ……!」
「行こう!!」
かたかたと酷く震えるエリカの手を握って、走り出した。
なりふり構わず、無我夢中で走る。
……後ろから聞こえる、漏れるような小さな嗚咽は聞こえないフリをした。
でないと、自身も泣きそうだったから。
走って、走って、走って。
ようやく着いた村は、姿を変えようとしていた。
「…………嘘だろ」
逃げ惑い、響き渡る叫び声。
そして、倒れ伏す見知った村人達。
「なん……なんで、どうしてっ……、」
帰るはずの家を見遣る。
……そこは、強く燃え上がっていた。
「、お母さんっ……!!」
「エリカ!!待て……っ!?」
エリカの家は、リナトの家から少し離れている。
まだ燃えていないように見えるが、時間の問題なのは目に見えていた。
走り出すエリカを追いかけようとするも、突如掴まれた手によって動けなかった。
振り返ると、焦った表情の隣人がいた。……彼の家も当然、燃えている。
「!!ネグさん……!?」
「リナト、ダメだ!!俺らの家はもう間に合わねぇ!!行くな……!」
「なっ……奥さんは!?生まれたばっかの娘さんだっていたろ!?」
「やめろ!!」
「…!?」
「あいつはもう火の海だ!!娘だけ外に放り投げてっ…!助けられたのは娘だけだった!先に避難させてる…っ」
怯えるように、それでも芯を保つように、泣きながら必死に訴える彼に、耐えきれずリナトの顔も歪む。
「じゃあっ……じゃあ父さんは!?今どこに!?こういうとき真っ先に行動しそうな父さんが見当たらないんだよ!!」
「っ…あ、アドニス、さんは……っ!」
言い淀む隣人。
何かがおかしいと、服に掴みかかった。
「その反応、知ってるな!?知ってるんだろ!?教えてくれよ!!父さんは何をしてる!?」
剣幕に耐えかねたのか、ネグの口が開いた。
振り絞るような声だった。
「そんなの俺達が知りてぇよ!!アドニスさんは……っ、アドニスさんが……!!あの人が急に暴れ出して、村に火を放ったんだ!!」
掴みかかった手が、するりと落ちる。
「まるで人間じゃないみたいにおかしくなっちまって……っ!!炎の魔術で村を燃やして、仕舞いには……っ剣で皆を斬り殺しちまって……!!」
「………………………は?」
ネグはこれ以上は無理だと言うように、村の外へと逃げて行く。
呆然とその背中を見送るも、じんわりと広がる何かがリナトを突き動かした。
____冗談じゃない。
「ッ……!!」
気づいたときには、駆け出していた。
(嘘だ、そんなわけない……!!誰よりも優しい父さんが、こんなことをする人なわけがない……!!絶対ありえない!!)
息が切れる。動悸がする。
それでも、父を探す足も、声も、止まらない。
「父さん……っ!!父さん、どこ……!!」
「リナトくんっ!!」
「っあ、カトレアさっ……!?」
聞き覚えのある声がして辺りを見ると、まだ火の手のない家の並ぶ陰にカトレアがいた。……エリカも横にいる。合流していたようだ。
「良かった…っ、本当に無事で良かった…!」
涙を流し、リナトを抱きしめるカトレア。
まるで母のようだった。
ぐっと堪えながら、彼女に問う。
「カトレアさんこそ……っ!怪我は……傷は!?俺が治しますから…!」
「大丈夫、大丈夫よ…!私は何も、どこも痛めてないからっ……」
「それなら……っあ!?そ、そうだ、父さんっ……父さんはどこに!?」
瞬間、びくりとカトレアの体が跳ねた。
「……え、」
「…っ、リナトくんっ、これは」
「まさか……違いますよね?…カトレアさんまで、父さんがこの惨状を招いたなんて、言わない……、ですよね……?」
火の爆ぜる音と、泣き崩れるエリカの声しか聞こえない。
嫌な静寂だった。
「…………わかりました。もう、いいです」
「リナトくん…!?」
「これが父さんの招いたことなら、経緯はどうあれ、父さんのやったことでしかない。……息子の俺も、責任を負うべきだ」
「何を言ってるのっ…!!そんなことが言いたかったんじゃないわ…!ごめんなさい、リナトくんにはなんの罪もない…!!だから、私達と一緒に逃げましょうっ……!?」
「父さんを残して!?」
リナトの怒号に、カトレアはぴたりと止まる。
口をはくはくとさせ、かけられる言葉が見つからなかったようだ。
「……俺は…!父さんだけ残して、逃げるなんてしたくないです、絶対に。…カトレアさん」
「……っ」
「エリカを連れて村の外に逃げてください」
ぱちぱちと、音はどんどん近くなる。
「ちょ、ちょっとまって……!?リナトはどうするの!?だめだよ!?」
突然名指しされたエリカは動揺の表情で叫んだ。
必死に訴えているのが伝わる。
「父さんを探す。……探し出せたところで、何ができるわけでもないけど」
「やめなさいっ!!リナトくん!!」
「いいえ」
強い眼差しに涙を蓄えて、リナトは言い放つ。
「あの人が、まだ俺の父さんであってくれるなら……きっと、きっと、俺の声だけは届いてくれると、そう信じてるから」
全てを悟った顔。
希望を持ったようで諦めてもいるような表情は、悲痛な程に幼い子どもには似つかわしくなかった。
どうしてこんなにも、大人びた決断をしてしまうのだろう。
カトレアは、泣きながらリナトを抱きしめた。
それも一瞬、すぐ離れると、エリカを抱えて走り出す。
「おかぁさんっ!!いやっ!!やめてぇ…!いや、いやだよ!!っ、リナト……!!」
「…………」
「いやぁあぁぁああ!!」
泣き叫ぶエリカの声が響いた。
どうしようもなく辛い。
自身を思って泣いてくれる存在に、本当は心から思う。離れてほしくなかった。
死ぬまで、家族と皆で笑い合っていたかったのに。
ゆっくりと立ち上がる。
外へ外へと走る村人達。
リナトを見て怯える様子も見受けられた。
(どうか……どうか今ある命だけでも、生き延びてほしい)
手を引いてくれる者は誰もいない。
ただ、悲鳴を上げながら走り去る大人達を見つめるのみ。
そうして、たくさんの足音が鳴り止んだ頃。
……背後から、ゆっくりと土を踏みしめる音が聞こえた。
「……っ、とうさ…、」
振り返った先にいたのは、変わり果ててしまった姿の父、アドニスだった。
綺麗だった亜麻色の髪は漆黒になり、まるで堕天でもしたかのように、耳の上には片方だけ折れた状態の角が生えている。
……優しい面影など、微塵もなかった。
「…、父さん、どうしちゃったんだよ……昨日までそんなじゃなかっただろ……はは、もしかして最初から人間じゃなかったとか…?そんな角だって生えてなかったのに」
「っが…、ぅ………」
「………もう、言葉まで発せないのか」
アドニスは手に持った剣を強く握り締め、顎にはぽたぽたと涎を滴らせている。
体中に返り血のようなものが付いているが、恐らく彼のものではない。
思わずむせ返りそうになる匂いに、リナトは顔を顰めた。
「父さん…!目を覚ましてくれ!!」
「ぁ、ぐっ………ウゥ……!」
「もうこれ以上誰も殺すな!!俺が、俺が一緒に償うから……!」
「あ、ぁ……!ぁ、がっ……っぐ、」
「父さん…!?」
アドニスは突如呻き出し、膝から崩れ落ちた。
リナトが慌てて駆け寄り支えると、小さく、息子の名を呼ぶ声が聞こえる。
「……、リ…ナト……」
「父さんっ……目が覚めたのか!?大丈夫か、怪我は!?どうしてこんなことにっ…!!」
「っいい、リナト…ッ、私のことは…、気に、するな…」
治癒術をかけようとしたところを、アドニスは静止する。
「お前は……優しいなぁ……本当に、本当にっ…人思いに、ぅ、育ってくれて………こんな俺を、まだ父と呼んでくれるのか」
「当たり前だ…!!俺の父親はこの世で一人だけだし、これまでもこれからも変わるはずがないだろ…!とにかく治療を…!後のことは一緒に考えよう、二人で必ず報いは受けよう…っ」
再び手を伸ばすも、またアドニスに止められる。
苦しげに微笑んだ彼は、掴んだリナトの腕をゆっくりと離した。
「ごめんな……私はもう、この手でお前を抱き締めてやることも、……できない…っ」
「っ、爪が…!?い、いや、こんなの俺は気にしないから……!」
浮かび上がる思考を止めることができない。
これではまるで、魔物ではないか____
「っぐ、…気味の悪い姿を見せて、悪かった……、私はもう、自我を保つことができなくなってきてる……っ今にもお前を殺してしまいそうだ……だから、…!」
「ど、どうして…!?なんで!?理由は!?こうなった理由を説明しろよ!!さっきから、謝ってばっかりじゃないか…!!」
「お前が…!!お前がっ、止めてくれ、殺して…くれっ…!!」
覚悟が、無かったと言えば嘘になる。
予感はしていた。それほどにリナトは賢かった。
だが、いつでも理性的な行動がとれるほど、父を簡単に見捨てられるほど、精神的に成熟してはいなかった。
(………大人ぶっておきながら、俺は冷静な判断ができなかった。自分を過信していた。その結果、自分も、幼馴染みも、傷つけるとは知らずに)
ただ呆然と、苦しげに息を吐き、もがき、足掻き、死にたがる父を。
見つめることしか、できなかったのだ。
くだらないことでエリカと喧嘩をして、父に諭され、幼馴染みの母は微笑んでくれる。
そんな何気ない日常が幸せだったことを知るのは、後のこと。
そう、悲劇はすぐそこまで迫っていたのだ。
動物や美しい花に囲まれながら、彼女が大好きな本を読む。
あまりにも嬉しそうで、毎度付き合わされることになるリナトも、思わず笑みが溢れた。
つい色々聞いてしまい、子どもらしからぬ意見まで交わしていた程だ。
「そろそろ寒くなってきたな。帰るか」
「そうだね。あんまり遅いと、怒られちゃう」
「ああ、行こう」
リナトはエリカの手を引いた。
ゆっくり、ゆっくり。二人で一緒に、同じ道を歩く。
何も言わず、ただただ歩く。
この時間が、お互いに好きだった。
……が、この日はそれまでと違う。
「…ねぇ」
「ん?」
「それでもわたしは……やっぱり、素敵だと思うな」
読んでいた本の話。
エルフと人間の恋模様。
彼女は、笑顔で話す。
「エルフさんが天に昇ってくるときに、きっとその恋人さんがお迎えに行くの。おかえりなさい、って。そしたら抱きしめ合って、長い間会えなかった分、たくさん言葉を交わして。…わたしはそうだと思うな!」
彼女は笑顔でそう言った。
眩しすぎるほどの笑顔で。
忘れられないくらい、綺麗な笑顔で。
そう言った。
「………いいんじゃないか、それ」
突飛な思いつきの話に、リナトも耐えきれず笑っている。
エリカもまた笑う。
(____あぁ、幸せ、だった)
夢を見るリナトは、噛み締めるように思った。
同時に、夢故に何も手が出せないことに、歯痒さも感じた。
……………
………………
……………………
「あっ!?」
突然、声を上げたエリカが転んだ。
少し大きな石に躓いたらしい。
「あーあ…」と呟いて、リナトは彼女の元にしゃがみ込んだ。
「何やってるんだよ、大丈夫か」
「転んじゃった…。いたた……」
「ったく……お前、そんなドジじゃないだろ」
「う、うん……あんまり普段転ばないんだけど」
「血が出てる。化膿したら面倒だな。見せろ」
頷いた彼女が、擦りむいた膝を前に出した。
リナトがそっと、手を彼女の膝にかざすようにして止める。
すると、鮮やかな光が浮かび上がり、ぽうっと辺りまで照らした。
たちまちエリカの傷は塞がっていき、小さな砂利がまとわりついているのみになる。
「わあ…!相変わらずすごいね…!」
「いつでも俺が傍にいるわけじゃないんだから、気をつけろよ。ほら、砂も落とせ」
「うん!ありがとう、リナト!」
砂を払う姿を見て、もう大丈夫だと立ち上がる。
リナトが発した光は、治癒の魔術によるもの。略して治癒術とも言う。
彼は幼い頃から治癒術に長けており、またあらゆる魔術の才能を持っている。
村では自身の力を活かして、程度に限界はあれど怪我を治したり、焚き火や灯り、採取や狩りの協力など様々な面で力を貸していたのだ。
「歩けるか?」
「大丈夫だよ。……それにしても」
「どうした?」
「…あ、えっと、ごめん。なんだか……、嫌な予感がするの」
「嫌な予感?ぱっとしない答えだな」
「うん、だよね。きっと大丈夫。気のせいだから………」
エリカが困ったように笑った次の瞬間だった。
____ドンッ!!!
…………大きな爆発音が聞こえた。
気づいて、体が強ばる。エリカも動けずにいた。
「っ……なんだ!?一体何が……っ!?」
どさりと、本が落ちる。
「ね、ねぇ……!リナト、あれ…!!」
震えながらエリカが指を差す方向に視線を向ける。____それは。
「…………村だ」
「……っ…!」
「間違いないっ……イベリスだ、俺達の村だ……っ!!」
爆撃のような音がした方向。
住んでいる村から、火と煙が見えている。
幼い二人には、到底受け容れきれない惨状だった。
距離はそう遠くない。
間近で火の手の上がる村。
至る思考はひとつ。
「っそうだ、父さん…っ!!カトレアさん……!!」
「お、お母さっ……!」
「行こう!!」
かたかたと酷く震えるエリカの手を握って、走り出した。
なりふり構わず、無我夢中で走る。
……後ろから聞こえる、漏れるような小さな嗚咽は聞こえないフリをした。
でないと、自身も泣きそうだったから。
走って、走って、走って。
ようやく着いた村は、姿を変えようとしていた。
「…………嘘だろ」
逃げ惑い、響き渡る叫び声。
そして、倒れ伏す見知った村人達。
「なん……なんで、どうしてっ……、」
帰るはずの家を見遣る。
……そこは、強く燃え上がっていた。
「、お母さんっ……!!」
「エリカ!!待て……っ!?」
エリカの家は、リナトの家から少し離れている。
まだ燃えていないように見えるが、時間の問題なのは目に見えていた。
走り出すエリカを追いかけようとするも、突如掴まれた手によって動けなかった。
振り返ると、焦った表情の隣人がいた。……彼の家も当然、燃えている。
「!!ネグさん……!?」
「リナト、ダメだ!!俺らの家はもう間に合わねぇ!!行くな……!」
「なっ……奥さんは!?生まれたばっかの娘さんだっていたろ!?」
「やめろ!!」
「…!?」
「あいつはもう火の海だ!!娘だけ外に放り投げてっ…!助けられたのは娘だけだった!先に避難させてる…っ」
怯えるように、それでも芯を保つように、泣きながら必死に訴える彼に、耐えきれずリナトの顔も歪む。
「じゃあっ……じゃあ父さんは!?今どこに!?こういうとき真っ先に行動しそうな父さんが見当たらないんだよ!!」
「っ…あ、アドニス、さんは……っ!」
言い淀む隣人。
何かがおかしいと、服に掴みかかった。
「その反応、知ってるな!?知ってるんだろ!?教えてくれよ!!父さんは何をしてる!?」
剣幕に耐えかねたのか、ネグの口が開いた。
振り絞るような声だった。
「そんなの俺達が知りてぇよ!!アドニスさんは……っ、アドニスさんが……!!あの人が急に暴れ出して、村に火を放ったんだ!!」
掴みかかった手が、するりと落ちる。
「まるで人間じゃないみたいにおかしくなっちまって……っ!!炎の魔術で村を燃やして、仕舞いには……っ剣で皆を斬り殺しちまって……!!」
「………………………は?」
ネグはこれ以上は無理だと言うように、村の外へと逃げて行く。
呆然とその背中を見送るも、じんわりと広がる何かがリナトを突き動かした。
____冗談じゃない。
「ッ……!!」
気づいたときには、駆け出していた。
(嘘だ、そんなわけない……!!誰よりも優しい父さんが、こんなことをする人なわけがない……!!絶対ありえない!!)
息が切れる。動悸がする。
それでも、父を探す足も、声も、止まらない。
「父さん……っ!!父さん、どこ……!!」
「リナトくんっ!!」
「っあ、カトレアさっ……!?」
聞き覚えのある声がして辺りを見ると、まだ火の手のない家の並ぶ陰にカトレアがいた。……エリカも横にいる。合流していたようだ。
「良かった…っ、本当に無事で良かった…!」
涙を流し、リナトを抱きしめるカトレア。
まるで母のようだった。
ぐっと堪えながら、彼女に問う。
「カトレアさんこそ……っ!怪我は……傷は!?俺が治しますから…!」
「大丈夫、大丈夫よ…!私は何も、どこも痛めてないからっ……」
「それなら……っあ!?そ、そうだ、父さんっ……父さんはどこに!?」
瞬間、びくりとカトレアの体が跳ねた。
「……え、」
「…っ、リナトくんっ、これは」
「まさか……違いますよね?…カトレアさんまで、父さんがこの惨状を招いたなんて、言わない……、ですよね……?」
火の爆ぜる音と、泣き崩れるエリカの声しか聞こえない。
嫌な静寂だった。
「…………わかりました。もう、いいです」
「リナトくん…!?」
「これが父さんの招いたことなら、経緯はどうあれ、父さんのやったことでしかない。……息子の俺も、責任を負うべきだ」
「何を言ってるのっ…!!そんなことが言いたかったんじゃないわ…!ごめんなさい、リナトくんにはなんの罪もない…!!だから、私達と一緒に逃げましょうっ……!?」
「父さんを残して!?」
リナトの怒号に、カトレアはぴたりと止まる。
口をはくはくとさせ、かけられる言葉が見つからなかったようだ。
「……俺は…!父さんだけ残して、逃げるなんてしたくないです、絶対に。…カトレアさん」
「……っ」
「エリカを連れて村の外に逃げてください」
ぱちぱちと、音はどんどん近くなる。
「ちょ、ちょっとまって……!?リナトはどうするの!?だめだよ!?」
突然名指しされたエリカは動揺の表情で叫んだ。
必死に訴えているのが伝わる。
「父さんを探す。……探し出せたところで、何ができるわけでもないけど」
「やめなさいっ!!リナトくん!!」
「いいえ」
強い眼差しに涙を蓄えて、リナトは言い放つ。
「あの人が、まだ俺の父さんであってくれるなら……きっと、きっと、俺の声だけは届いてくれると、そう信じてるから」
全てを悟った顔。
希望を持ったようで諦めてもいるような表情は、悲痛な程に幼い子どもには似つかわしくなかった。
どうしてこんなにも、大人びた決断をしてしまうのだろう。
カトレアは、泣きながらリナトを抱きしめた。
それも一瞬、すぐ離れると、エリカを抱えて走り出す。
「おかぁさんっ!!いやっ!!やめてぇ…!いや、いやだよ!!っ、リナト……!!」
「…………」
「いやぁあぁぁああ!!」
泣き叫ぶエリカの声が響いた。
どうしようもなく辛い。
自身を思って泣いてくれる存在に、本当は心から思う。離れてほしくなかった。
死ぬまで、家族と皆で笑い合っていたかったのに。
ゆっくりと立ち上がる。
外へ外へと走る村人達。
リナトを見て怯える様子も見受けられた。
(どうか……どうか今ある命だけでも、生き延びてほしい)
手を引いてくれる者は誰もいない。
ただ、悲鳴を上げながら走り去る大人達を見つめるのみ。
そうして、たくさんの足音が鳴り止んだ頃。
……背後から、ゆっくりと土を踏みしめる音が聞こえた。
「……っ、とうさ…、」
振り返った先にいたのは、変わり果ててしまった姿の父、アドニスだった。
綺麗だった亜麻色の髪は漆黒になり、まるで堕天でもしたかのように、耳の上には片方だけ折れた状態の角が生えている。
……優しい面影など、微塵もなかった。
「…、父さん、どうしちゃったんだよ……昨日までそんなじゃなかっただろ……はは、もしかして最初から人間じゃなかったとか…?そんな角だって生えてなかったのに」
「っが…、ぅ………」
「………もう、言葉まで発せないのか」
アドニスは手に持った剣を強く握り締め、顎にはぽたぽたと涎を滴らせている。
体中に返り血のようなものが付いているが、恐らく彼のものではない。
思わずむせ返りそうになる匂いに、リナトは顔を顰めた。
「父さん…!目を覚ましてくれ!!」
「ぁ、ぐっ………ウゥ……!」
「もうこれ以上誰も殺すな!!俺が、俺が一緒に償うから……!」
「あ、ぁ……!ぁ、がっ……っぐ、」
「父さん…!?」
アドニスは突如呻き出し、膝から崩れ落ちた。
リナトが慌てて駆け寄り支えると、小さく、息子の名を呼ぶ声が聞こえる。
「……、リ…ナト……」
「父さんっ……目が覚めたのか!?大丈夫か、怪我は!?どうしてこんなことにっ…!!」
「っいい、リナト…ッ、私のことは…、気に、するな…」
治癒術をかけようとしたところを、アドニスは静止する。
「お前は……優しいなぁ……本当に、本当にっ…人思いに、ぅ、育ってくれて………こんな俺を、まだ父と呼んでくれるのか」
「当たり前だ…!!俺の父親はこの世で一人だけだし、これまでもこれからも変わるはずがないだろ…!とにかく治療を…!後のことは一緒に考えよう、二人で必ず報いは受けよう…っ」
再び手を伸ばすも、またアドニスに止められる。
苦しげに微笑んだ彼は、掴んだリナトの腕をゆっくりと離した。
「ごめんな……私はもう、この手でお前を抱き締めてやることも、……できない…っ」
「っ、爪が…!?い、いや、こんなの俺は気にしないから……!」
浮かび上がる思考を止めることができない。
これではまるで、魔物ではないか____
「っぐ、…気味の悪い姿を見せて、悪かった……、私はもう、自我を保つことができなくなってきてる……っ今にもお前を殺してしまいそうだ……だから、…!」
「ど、どうして…!?なんで!?理由は!?こうなった理由を説明しろよ!!さっきから、謝ってばっかりじゃないか…!!」
「お前が…!!お前がっ、止めてくれ、殺して…くれっ…!!」
覚悟が、無かったと言えば嘘になる。
予感はしていた。それほどにリナトは賢かった。
だが、いつでも理性的な行動がとれるほど、父を簡単に見捨てられるほど、精神的に成熟してはいなかった。
(………大人ぶっておきながら、俺は冷静な判断ができなかった。自分を過信していた。その結果、自分も、幼馴染みも、傷つけるとは知らずに)
ただ呆然と、苦しげに息を吐き、もがき、足掻き、死にたがる父を。
見つめることしか、できなかったのだ。
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