ダークヘイヴン

星島新吾

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1章:荒涼たる故郷

21.軟膏

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戦場から逃げてしばらくした後、ナグルファル号の甲板には各船から集められた負傷者が大勢寝かせられ、俺もまたその敷かれた布の一枚に寝転がっていた。

ナグルファル号に乗る医者達が限られた医薬品をやり繰りしつつ、助かる命だけを選別して治療していく。

医者達に助からないと判断された者は、たとえ意識があろうと海へと捨てられた。

俺は船長だし流石に捨てられないだろうと思って横たわっていると、
「流石にダメじゃないか…」や、「ダメでもやるんだ!」という声が聞こえてくる。

誰の事を言っているのか見てやろうと目を開けて首だけグッと上げると、赤い視界の中医者達が俺の顔を覗き込んでいた。

「君たち…俺はすぐに治るから他の船員を見てあげなさい」

怒る気力もなく、そういって持ち上げた首を静かに下した。

(…誰がもうダメだ…俺は絶対に死なないぞ)

目を閉じ、自己治癒力の高まるように呼吸を整えマナを体に循環させる。そしてそれと同時に、繋がっているナグルファル号の破損個所にマナを集中させ直していった。

そうして久々に大きな傷を負ったため起き上がるのに一日を要した。

血まみれの布の上から起き上がると、一瞬貧血でフラリとするも、すぐに波の揺れを利用してフラフラと船長室に戻った。

船長室に戻ると、船長の椅子に座り優雅に黙々とマーマーレードをパンにつけて食べていたカレンスと目が合う。

傷一つない彼女の姿を見て、緊張の糸が少し緩んだように感じると共に体の修復途中だった箇所が裂ける。

そしてそれを見た彼女の顔は驚きに満ちた表情に変わっていった。

「…貴方は化け物ですか?」

パンを飲み込んだカレンスは静かにそういった。

「正真正銘君の叔父様だよ…ところで進路はどうだい」

そう聞くと、カレンスはこの一帯の海図を広げてチェスのクイーンの駒を置いた。

「サーティンさんとお話した時は確かココを通過中とのことでした」

それを見ると幸運なことに大幅な進路変更もないようだった。

「そいつは僥倖…ゴホッ…ゴホッ…」

口が切れていたのか抑えた手に血が付着する。

「本当に大丈夫なんです?」

「心配してくれるなら、まずはそのパンとバターとマーマーレードの乗ったお皿を持って席を譲ってくれない?」

「今食事中なので少し待って下さい」

彼女はそういって立ち上がろうとはしなかったので、怪我人には優しくして欲しいと思いながら、普段カレンスが座っている椅子の方に腰を下ろした。

そして今度コチラの椅子もいいやつにしておこうと思うのだった。



椅子に座ってまたしばらく、完全回復に努めていると、俺が起きたと知ったクルーが扉を叩いて中に入ってきた。

そのクルーは進路変更の際に最も大きな被害を被った船の班長だった。

「オリョールさん!いきなり進路変更するなんて酷いじゃねえかっ!俺たち先行して追い込んでいたっていうのに、いきなり進路変更なんてされでもしたら、各個撃破の憂き目にあうんだぞ?!」

男はそう言って俺のシャツの襟を掴んだ。

どうやら船を守りぬいた負傷者達を代表して俺に異議申し立てをしに来たようである。しっかりと謝罪をせねばならないだろう。

「本当に悪いと思っているよ。金銭での保障はもちろんするけど、まずは謝らせてほしいな」

そういって血まみれの三角帽子をとって深々と頭を下げた。

そして顔を上げると数発顔を殴られ、そして班長にシャツを引っ張られたことで先ほどまで治癒していた胸の傷が開いた。

白いシャツがジワジワと赤く染まっていくのを見て、男はようやく自分のしたことを理解したのか冷静さを取り戻した。

「いや…あぁ、あんたの気持ちは分かった。次の話をしよう」

班長はそういって俺を椅子へと戻した。

今回の相手はまだ理性的で、話がかなり分かるタイプだったが、話の通じない相手にはこれをあと三度繰り返すことになる。

この班長はかなり物分かりのいい相手で助かった。

「有期雇用契約書の―――こっちの生命保険の欄」

机の前に出向前に渡した契約書を出して再度説明を始める。

「怪我した部位に応じて保障が出る。どこを怪我したか申請書に書いてほしい」

片腕が五百万そして片足が一千万、他にも怪我をした箇所に応じて保障が出るようになっていた。

班長は話が終わってさらにまだ何かを言いたげだったが、リスト用の羊皮紙を受け取ると、その後は何も言わずに去って行ってくれた。

すると後ろに立っていたカレンスが帰っていく班長の後ろ姿を見て、

「殴っていうことを聞かせれば良いんじゃないですか」

と、とんでもないことを言いだした。

「カレンスは誰かが殴られているのを見て、自分もそうされないように頑張ろうってタイプかい?」

そういうと彼女は首を横に振って、露骨に眉間にしわを寄せた。

「いえ、私ならそんな船ならすぐに降ります。…なるほど、私みたいな人が多いと乗組員が減っていくんですね」
と言ってうなずいた。

胸の傷を修復しつつ、滝のように流れる汗と火照る体を休ませるため、俺は船長室にある自分の寝台に腰を下ろして横になり再び瞼を閉じた。

そしてそれから椅子に座り敵船で見かけたセイズの魔術師について思い返すことにした。

もし今回の件でこちらが空を飛べることが分かったのなら、次はおそらく対空用に何か策を練ってくるだろう。

相手の資金のことや航路で見ても、次があるとすれば最後の衝突になるはず。

こちらもいくつか対策を立てておくとしよう。

そう思っていると、ヒヤリと何かが額にあたった。

目を少し開くとぼんやりとした視界の先にカレンスがいた。

「どうかしたかい」

食堂にでも行きたいのかと思い、体を起こそうとすると細い腕でそれを止められた。

「軟膏、貰ってきたので」

彼女に言われ額を触るとヌルっとした軟膏の触感が手に伝わる。

カレンスは俺が来てからまだ一度も外には出ていないはず…。ずっと隠して軟膏を持っていたのだろうか。

「カレンス」

「何ですか?」

「君はなんというか…不器用なんだね」

そう言うと、彼女は深いため息をついた。怒らせてしまっただろうか。

「そうですね…やはり似合いませんね。こういうのは」

そういって彼女は軟膏の入った小瓶を船長机に置いた。

“貴族の令嬢が人の看病なんてやったことがないだろうに、見様見真似でよくやるものだ”と、心の中で彼女に感謝した。

「それにこれ塗る量多いよ…」

そして気が緩んだのか、普段は気を付けているはずの嫌味が零れる。後から自分で調整すれば良いものを、なぜ彼女にそんなことを言ったのかと自分でも少し驚いた。

そしてまたしばらく後、ヒヤリとする軟膏が胸の傷を塞ぐように塗られていくのが分かるのと同時に、冷たい声が聞こえてくる。

「貴方が動けないと私が不便なので。早く動けるようになって下さい」

怒っているのか、どういう感情なのか、朦朧とする意識の中でそれは定かではなかったが、彼女はそういって横たわる俺にブランケットをかけた。

「悪くない…」

意識を手放す前にそれだけ伝えると、

「おやすみなさい。叔父様…」

と小さく優しい声が聞こえ、そしてそれを最後に俺の意識は微睡の中に消えた。
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