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1章:荒涼たる故郷
3.彫刻の女
しおりを挟むその夜、初日から動いた体を労うため大理石の風呂に入った。
スライド式の扉を開けるとモワァと湯気が立ち込める中、湯船を探すため風呂場の床に足を滑らせるようにして移動を開始する。湯気で自分の手さえ見えないような視界の中、腰を屈めて壁にぶつからないように手を広げて歩く姿は我ながら滑稽である。
そして暫く歩いた後に一段上の浴槽に足先をぶつけウっとした瞬間、湯船の中から女性の声が聞こえる。「ソコを左だよ」と。
先客がいるのかと思いつつ、寒いので風呂桶で足先から頭まで湯をかけるとすぐに風呂につかろうと思い、バシャバシャと体に湯をかけていざ入浴と足をつけようとすると風呂の主に怒られた。
「おいおい、まさかそんな流した程度で風呂に入る気かい?汚いねぇ。ちょっと待ってな。アタシが流してやるよ」
湯船の中からザヴァっと、大きな女が水をまきこみながら洗い場へ上陸をしてきた。俺はその女の姿が三つの頭を持つ化物に見えたが、徐々に彼女が近づくにつれて湯気に包まれていた彼女の恵まれた体が露になった。
そこには彫刻の時空からやってきた美の巨人が立っていた。全身ツルツルで白い肌で背の高い彼女の声が、頭上から聞こえてくる。
「ゴッツイ体に派手なメイクだねぇアンタ。なんだいそのドクロみたいな顔は。海賊かっつーの」
海賊だっつーのと言う前に、頭よりも大きい胸を持つ彼女はソレを揺らしながら快活な声で脳天にチョップを仕掛けて来た。痛くはないが、俺を混乱させるには十分だった。
海賊の俺にこのような事をする命知らずは生まれてこの方初めてである。
「…貴女は?」
「アタシかい?…前領主の愛人さ。それで?アンタは誰なのさ」
見上げるが湯気で顔はよく見えない。しかし膝をつきしゃがんで顔を洗おうとしていた俺に向かって、仁王立ちで立つ彼女は見下ろすようにそう聞いてきた。なんだかヘル女王みたいだ。
「俺は…」
「あ!ちょっと待ちな。当ててあげよう」
彼女の答えを待つ間、俺は顔を洗って待つことにした。
「分かった。従僕だろう」
執事の下で働く人間ではないな、と思いながら湯で顔の顔料を落として首を振る。
「じゃあ使用人かい?」
庭師や御者と言った役職の人間を思い浮かべ、風呂桶にたまった黒い水を流して首を振る。
「まさかヴァレット?」
彼女の言葉に、貴族の傍らに立つ自分を想像して噴き出しそうになるのを抑え咳き込む。
「…ゴホッ、…ご主人様に紅茶を入れるのも、案外悪くないかもね」
霧で顔の見えない彼女に向かってそう言った。
「違うか。うーん…あっ、話は変わるんだけどさ。魔法にかかってるねぇ。アンタ」
正体を探ることに飽きたのか、突然魔法の存在に気づかれたことに少し驚く。
まさかボルの愛人に魔法をかけていることが見破られるとは思ってもみなかった。
「なんだい藪から棒に、役職当てゲームはもういいのかい?」
コイツは危険かも知れない。俺は警戒しつつ、彼女がどこまで気づいているか聞いた。しかしそれに彼女は「秘密」と回答した。
そして「顔怖いよ。ほら、もっと緩めて。お姉さんが背中を洗ってあげるからさ」と言われた。あちらからはコチラの顔が見えるらしい。
それにしても彼女にとって俺が何者かどうかは興味の薄いことだったようで、俺の背中にかけてある魔法の方に興味を引っ張られているようだった。
「随分と戦って来たんだねぇ、傷だらけだぁ」
少しソワソワしながら彼女の言葉に頷く。まさか彼女が魔法を見破ることなんてできないだろうし、余計な心配だと思っていると、彼女はおもむろに背中を洗っていた布を置いた。
「ココの付け根かね…よいしょ【ソーン・アヌレ・マジック】」
彼女が突然肩甲骨の辺りに魔法を打ち消す魔法かけたことに驚き、這って彼女の横に逃げるも既に遅く、背中に隠していた自身の身長よりも大きな一対の鷲の翼が、バサリと開いてしまった。
「うわぁ!おっきい!鷲の獣人とのハーフか面白い!」
彼女は手を叩いて喜んでいるが、それどころではない。
「いきなりなんだよ!……誰か知らないけど怒るぞ。勝手に人の秘密をこじ開けるなんて」
翼で霧を払うと湯気で見えづらかった彼女の顔を俺はみた。
吸血鬼特有の白い肌に牙があり、竜人の鱗が額の隅にある。耳はエルフのように長い。彼女もまた自分と同じように多種族の血を持つ女だった。
「コソコソ魔法で隠しているアンタが気に食わなかったのさ。たかがハーフでなにさ」
彼女はそっぽを向いてそう言った。
種族による変化がどこに出るか分かるからこそ、魔法によって変化していた所に気づいたようだった。湯気の中で精確に位置を把握できたのも吸血鬼の種族特性だろう。
彼女のやり方は多少強引ではあったが、同族を見つけた興奮もあったのだろう。だから許すことにした。
そして同じような境遇であるならばと、俺も全身にかけた全ての魔法を解いた。同じ境遇を持つ仲間で隠しあっても仕方がないことだ。
どうせ風呂は裸と裸の付き合いの場だ。ココは一つ腹をくくるしかあるまい。
「ハーフ?それは勘違いだよ。今見せよう、真の姿を」
彼女が解いた翼の他にかけていた全身の魔法を解いていくと、その姿に次第に彼女は驚いた表情を見せた。
彼女の目には様々な種族の特徴を持つ化物が映っていた。
「嘘…アタシより沢山血の混ざっているヤツなんて初めてだ」
人工的にではあるが、俺の体には大小はあれども全ての種族の身体的特徴が備わっている。自然の物か人工的な物かの違いはあるものの、体に出ている特徴は互いに近しい物があった。
「俺も驚いてる。君は四種族?」
「ああそうさ。竜人、ヴァンパイア、エルフ、人間のクォーター。それによって生まれたこの美貌だ。こんな見た目だから領主様に気に入られちまってね。随分と長いことココにいる。あんたは見たところ五つか六つってとこかい?」
「さっきの四つに加えてあと獣人、ドワーフ、ホビット、トロル、神族」
そう答えると、「…9!?全種族じゃないか」と驚きと共に彼女は口を手で覆った。
互いに全てを見せあったところで彼女は少し申し訳なさそうに「その…お詫びになるか分からないけどさ、背中の翼を洗わせてくれないかい」と言って来た。
ハーフだろうと思って不幸アピールしたら相手が自分よりも血が混じった化物だと知って罪悪感が湧いたらしい。
我が国では血は混じっていればいるほど邪悪なモノとして見られるし、その気持ちも分からないでもない。しかし厚意だけ受け取っておくことにしよう。
「鱗で手を切るかも知れないから止めておいた方がいいよ」
「大丈夫さ。あんたなら分かるだろ」
吸血鬼と竜人の血を持っていると人よりも傷の治りが早い。彼女はそう言いたいらしい。彼女は配置について、強い力で俺を風呂椅子に座らせた。
「…分かった。でも無理ならすぐに止めてもいいからね」
「分かった分かった、さっ、ちゃちゃっと後ろ向いちゃいな」
彼女の厚意に甘え、翼を洗って貰っていると、こんなこともあるんだと展開の速さに今しがた驚きが遅れてやってきていた。
たまたま風呂に入ると、偶然同じ境遇の女性に出会い背中を流して貰う。コレは誰かによって仕組まれたモノかも知れないと疑ってしまう。しかしそんな事を今考えても詮無き事だだろう。
人間何もすることがないと嫌な事が頭をよぎるものだ。そんな時はただ翼を洗われる心地良さに酔いしれるしかない。
「ちょっとキミ。こりゃあマジで汚いぜ。真っ黒じゃないか」
目を瞑っていると、後ろからそんな声が聞こえてくる。後ろに首を回すと、黒い翼が見えた。
「もうずいぶん洗ってないな…」
それから首を戻し少し俯いて目を瞑り、ゴシゴシと布で洗われていくのを背中の振動から感じる。押し洗われているようで、彼女の力に背中がぐらぐらと左右に揺らされながら水を吸って翼がどんどんと重たくなっていくのを感じる。
「こりゃあ長丁場になりそうだわ」
彼女の言葉に反応して床をチラリと見ると、大理石のタイルの間を彼女の血と真っ黒な湯が流れて行っていた。少し長めの航海だったため、数か月分の汚れが溜まっていたらしい。
そんな汚れた翼を彼女は慣れた手つきで傷つきながら羽の一枚一枚に指を通して揉み洗いをしていった。生まれてこの方、翼の中まで洗われたことがなかったため、余りの気持ち良さに半分昇天しかけた。
そんな天に召されようとしていた時、彼女の声で現世に戻された。
「まさか最後にアンタみたいなのと会うとはねぇ」
「…ンぁ?…最後?」
「アタシはこの後すぐに邸を出ていくのさ。新しい領主が来てるらしいんでね」
新しい領主、つまり俺だ。俺が来たことで、立場が危うくなったと言う事だろうか?
前任の愛人ということで使用人達に余り良い目で見られていなくてもおかしくはない。追い出される前に自分から去ろうと言う事のようだが…。
「行く当てはあるのかい?」
「なに古巣へ帰るだけさ。アタシは元々ココの色町から引っ張り上げられてきた女だからね」
石鹸を使い始めたのか、流れて行く湯に茶色い泡が付き流れる。まだまだ汚れが出ていく今の状況を見て自分でさえも今現在翼がどうなっているのかよく分からなかった。
「残ることは難しいのかい?」
そう言うと彼女の手が止まり、湯船から桶で湯を取りに向かい戻ってくる。その湯船と洗い場の行きかえりの間に彼女は、
「残っても仕事がないんじゃ生きていけないだろ?アタシには使用人の仕事なんて出来やしないんだ」
と言った。
確かに使用人の仕事は出来ないかもしれないが、また彼女にはこうして風呂に入って翼を洗って貰いたいと思い何か仕事はないかと考える内に、丁度空いている職業があることを思い出した。
「シャペロンで良いんじゃないか」
上品な人間を相手にしてきたからか、彼女にも気品というモノを感じた。言葉遣いとは裏腹に所作は嘘をつかない。そんな彼女ならカレンスのシャペロンも十分できそうだと思った。
「そりゃ出来るだろうけど、アンタが勝手に決めれることじゃないだろ?ったく」
「なんで俺が決めたら駄目なんだい?」
そう言うと、彼女の洗う力が少し強くなったように感じた。
「そう言うのはハウスキーパーが決めることだからさ」
言わせるなと言いたげだ。確かに女性の上級使用人も家政婦が決める事だろう。だが、更に上の者が言えば通るはずだ。
「領主が決めちゃあ駄目なのかい?」
そう言うと彼女の洗う速度がゆっくり優しくなったように感じた。これでは洗われているような感じがしないので、もっとしっかり洗って貰いたい。
「力が抜けているようだけど?」
そう聞くと、彼女は何かを後悔しているかのような絞った声で、
「アンタまさか…」
と言った。
どうやらこの問いかけの意味を彼女はようやく理解したようだった。鈍感にも程があると思いつつ、「どうする?続けるかい」と聞いたらしっかりと腕に力を入れてゴシゴシと洗い始めたのでこれ以上何も言う事はなかった。
そうして彼女の覚悟が決まる頃には、流れ落ちる湯も石鹸と同じ白色になっていた。
「そう言えば、立場の話で思い出したよ。愛人だと言っていたけど、それならカレンスと仲が悪かったりしないかい?」
愛人と娘なんて相性が悪そうだ。しかしそれを聞いて不思議そうな顔を女はした。
「良いや?確か言ったよね。愛人だって」
彼女は確認を取るように聞いて来た。そう、聞いた通りで間違いない。
「あぁ聞いた。だって前領主ってボルの愛人だろう?だったらカレンスとは…」
と言いかけて、彼女が高らかに笑う声にかき消された。
「ハハハッ、愉快な勘違いだねぇ。アタシと愛人契約があったのはカレンスの方さ」
「ほぉ…」
カレンスは十六歳だ。そして彼女は見た感じ二十歳後半という感じだ。いや、エルフや吸血鬼の血も入っているということはもっと歳をとっていてもおかしくない。そんな歳の離れた二人がそう言う関係なのか。
驚いたが世界は広い。そう言う事もあるのか。あるのだろう。コレは叡智である。
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