上 下
90 / 120
三神官編

女神様の気分

しおりを挟む
寸前のところでポイゾを救い出せたのは運が良かった。危うくポイゾの首の骨が折れるところであった。
それを防ぐことができただけでもよしとするべきだろう。
私は一本の短剣で婦人の弓を防ぎながらそんなことを考えていた。

このままでは決着が付かない。私が焦っていた時だ。婦人が唐突に弓を離し、私は体のバランスを崩して地面の上に倒れ込む。
そして真上から矢を逆手で握って突き刺そうと目論んだのである。

私はその矢を両足で相手の手を蹴り上げることによって回避し、もう一度起き上がって剣を構えていく。
このまま決着がつけてしまおう。私がそう決意した時だ。婦人は至近距離から矢を放って、例の矢で串刺しにしようと目論んだのであった。

このまま私も負けてはいられない。短剣を構えていた時だ。背後からまたしても狼の怪物が襲い掛かったのである。
そればかりではない。ポイゾも再度剣を振り上げて婦人に向かって攻撃を喰らわせようとした。

だが、いずれにしろ婦人の弓と足技の前に敗れ去ってしまったのである。
地面の上を転がる二人。その二人を冷たく青白い光を浮かべて見下ろす婦人。

その姿を見て私は確認した。このままでは二人が殺される、と。
私が剣を構えて突っ込もうと決意した時だ。突然、豪風が吹き荒れて婦人を吹き飛ばしたのである。

婦人は悲鳴を上げながら壁に直撃していく。壁の近くに立っていた兵士たちは巻き込まれなかったものの、謁見の間の壁に強烈なヒビが入ったのは確かだ。
婦人が吹き飛ばされる程の豪風を引き起こしたのはティーだった。あれはティーの魔法なのだ。

ティーはかつての大帝国、デストリアの姫君だ。デストリア皇帝の家系には強力な魔法が受け継がれており、直系の姫君であるティーが強力な魔法を相続したのかもしたのだと考えればあの森の戦いでティーの魔法が恐れられていた理由もわかる。

私がそんなことを考えてティーを見つめていた時だ。ティーは剣を突き付けながら壁の下で苦しんでいる婦人に向かって近付いていく。

「ありえない……こんな強烈な魔法があるなんて……」

婦人は両目を大きく開き、唖然とした様子で口を開いていたが、ティーが近付いてくるにつれて唇を一文字の形に結び、再びティーと対峙していく。
婦人は弓を拾い上げてティーの元に向かっていくが、今度はティーの風に足を取られて地面の上を滑り落ちていく。

「ば、バカな……この私が手も足も出ないなんて……」

「キミも随分と困っているみたいだね。いい気味だ」

ポイゾが腕を組みニヤニヤとした笑みを浮かべながら言った。

「フフッ、……案外、そうでもないかしれないよ」

婦人は弓矢を構えると素早くポイゾに向かって矢を放つ。ポイゾは慌てて矢を交わしたものの、その矢はポイゾのわき腹を掠めて彼を踞らせるには十分であった。痛みに苦しむポイゾに二発目を放とうとした婦人であったが、その前にティーが二度目の豪風を放ったことでその目論見は断念せざるを得なかった。

再び壁に叩き付けられたところを私は短剣を突き立てた。
婦人はそこから黒い煙を立てて地面の上に倒れ込む。

「……無念だわ。まさか、私がこんなところで倒れることになるなんてね……」

「そして、あんたが倒れた後で私たちの手でクーデターを成功させて王の首をすげ替える。あんたの目論みは外れてしまうことになるわけだね」

「……つくづく残念だわ。でも、覚えておいて……近いうちに『神の大粛清』は起きるから……私の打ち出した考え……人と神との共存を呑まなかったことを今のうちに後悔しておくのね……」

「生憎だけれど、あれは『共存』なんて言わないよ。一方的な従属って言った方が正しいと思うな」

「……フフッ、それでも人と天使が共に肩を並べて戦うことができる数少ない方法だったじゃあない。それでよかったと思うけどな……少なくとも『神の大粛清』で人類が全滅するよりも……私に従っておいた方がーー」

彼女がその言葉を最後まで言い切ることはなかった。力が尽きてそのまま倒れてしまったのである。
蒸発してしまった場所を見下ろしながら私は静かな声で私は言った。

「そんなことはあんたに心配されなくてもいいことだよ。『神の大粛清』は私が阻止してみせるから」

その後で私は短剣を構えながら、玉座に居座る女王の元へと向かっていく。
恐怖で側頭部を両手で抑える女王に向かって私は淡々と言った。

「女王の地位を退いてください」

「い、いやよ」

「それはそうでしょうが……けど、あなたも聞いたでしょ?これから『神の大粛清』が起こります。その時に人類が負けたのならば責任を負うのはあなたです。死んだ後で多くの人にあなたは責められ続けられるでしょうね。そればかりじゃあない。あなた様のお父上である先王陛下やその前の国王にも延々と責められ続けるでしょう」

「そ、そんなの嫌……」

女王は涙を流しながら言った。

「なら、女王の地位を明け渡してください。勝てばそれでいいし、負けてもあなたがその件で責められることはなくなるでしょう」

女王は私の言葉を聞いて黙って首を縦に動かす。最後に残っていた黒装束が何かを言いたそうに口を動かしていたが、私はジロリと睨み付けて黙らせた。
私の威圧に屈した女王はとうとうその玉座を明け渡したのである。
もっとも直ぐに座るわけにはいかない。

座るのはあくまでもノーブか、ブレードでなくてはならないのだ。
マリアによって地下牢から解放された二人は玉座の前に連れて来られた。
ブレードは玉座の前で跪く私に向かって一言、優しい声で問い掛けた。

「成功したのかい?」

「えぇ、予定していた計画とは大きく異なりますが」

私は敬語を用いて説明した。こうすることでブレードが既に王族としての地位を得ているのだと周りに集まっている他の人たちに説明したかったのだ。

「わざわざ、タンプルまで来てくれたのかい?」

「えぇ、彼は本来この計画に参加する予定はなかったのですが、今回は計画に参加してもらいました」

私は視線の先に狼の怪物の姿で立っているタンプルを見据えながら言った。

「そっか」

ブレードは優しい笑顔を浮かべた。それから私の頭を優しく撫でて言った。

「……ぼくのためにここまでしてくれたんだね。ありがとう」

その言葉を聞いて確信した。私はブレードならばいい国王になる、と。
それだけでも私たちは報われたような気がした。
しおりを挟む

処理中です...