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第二部『アナベル・パニック』
大和民族浄化計画
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「おはよう雫!」
学校の前で降りた、教団の高級車から降りて来た大樹寺雫に声を掛けたのは同級生の橋本孝美。孝美は気さくな性格であり、それ故にクラスの学級委員を務める立派な人間であった。成績は雫に次ぐ二番目。その上体育まで得意ときたら、人気がある事は確定事項のようなものだ。雫はペコリと頭を下げて、彼女と並んで教室にまで進んで行く。
大樹寺雫の席は教室の端にある山の見える席。ここで勉学に励んでいると6時間という短い時間は春の夜の夢のように一瞬で過ぎてしまう。琵琶法師を気取っているわけではないが、ともかく一瞬で終わっていくのだ。
雫は学生用の鞄から、教科書類や学習ノートを取り出して、机の下に入れて置く。別に鞄の中に入れて置いても教師から文句は言われないのだが、雫は机の下から取り出す方が好きだった。その方が青春を過ごしているという感触がするのだ。
雫が用意をし終えてから、授業が始まるまでの間に本でも読もうかと、家から持ってきた海外の哲学書を開こうとした時だ。不意に教室の扉が開き、若い教師の女性が自身に電話がある事を告げた。
雫は咳から立ち上がり、担任の指示に従い電話を取るために職員室へと向かって行く。
電話の内容は即座に教団に戻ってきてほしいというものだった。また、諸事情による休学届も後ほど出すらしい。
雫は信者たちの勝手な行動に半ば憤りのようなものを感じていたが、教祖という立場もあるために、その場で癇癪を抑えて、先生に休学の旨を告げて荷物を取りに教室に戻っていく。
「バプテスト・アナベル教の悪い噂は山程聞いているよ。匿名掲示板でも脱会信者からの熱い告発が相次いでいますしね。噂だが、あの教団が展開している近くに村がありましてね、そこにあの教団から脱会したい人間が集まっているというのはもっぱらの噂ですぜ」
富士山の麓の街、千一色市に派遣された中年の連邦捜査官、青山俊一郎は言った。青山の右手の人差し指と中指の間にはタバコが挟まれている。どうやら、先程の結論を導き出すために、彼はニコチンの力を借りていたらしい。
四角い眼鏡をかけた壮年の署長はペコペコと頭を下げて、ありがたい教授を受けていた。
自分より年上の署長が揉み手をする様子に気を良くしたのか、青山は連邦捜査機関から自身が派遣された理由までも語り出す。
「それだけじゃあないんですよ。少し前なんですが、あの教団に侵入した公安の刑事が一人行方不明になってましてね。こりゃあいくら何でも不自然だって上の方が勘付いたらしく、オレが派遣されたって寸法なんですよ」
青山の解説に署長はひたすら頭を下げていた。青山はコメツキバッタのようにペコペコと頭を下げる署長にとって、自分は雲の上の人間なのだと理解していた。
ちょうど、古代の中国で仙人に憧れて山奥で修行を行う若者も目の前の署長のような心境だったのかもしれない。
青山が2本目のタバコを吸い終えると、署長は慌ててタバコを差し出す。青山は右手でキッパリと否定して、署長のタバコを断った。いくら何でもそこまでさせては罪悪感も感じてしまうだろう。
青山はタバコを吸うのをやめて、富士山が見える街の窓から夕陽の被さった富士の山を見物した。まさに絶景と言っても良い光景に違いない。
「青山俊一郎?こいつが連邦捜査機関から派遣された連邦捜査官なの?」
雫は写真を手に入れた教団幹部の宮下真紀に尋ねる。
真紀は雫の考えを肯定した。そして、赤い口紅で彩られた可憐な唇を開く。
「ええ、この人間こそが、あなた様の教団の崩壊を図るために、国家から派遣された連邦捜査官で間違いはありません」
真紀は静かな口調で告げた。
「そうなんだ。他のみんなもこの状態は間違いないって言いたいの?」
この会議に集まった全員が首を縦に動かす。雫は全員の瞳の奥に絶対の自信が見える事から、嘘付きはいないと仮定して話を進めていく。
「成る程、わたし達は窮地に追いやられているんだね?よく分かった。それで、誰か関西の白雲組に今更、キリストの微笑みの原材料の中止を言い出せる人は?」
誰も手を挙げない。どうやら、日本のヤクザと更にそのヤクザと繋がり、『キリストの微笑み』なる原材料を断ろうと考える人間は少ないらしい。雫は重い溜息を吐く。
「しょうがないよ。その代わりに白雲組には暫く取り引きを延期してもらうという手に出るのはどうかな?或いは、一回の取り引きでいつもの倍の量を神への献上品として受け取る代わりに、次回以降の取り引きは国家の犬達を片付けるまで待ってもらうという案はどう?」
雫の提案を若い男が交渉人として引き受けるとして立候補した。雫はその様子を見て、ゆっくりと首を頷く。その男が手を挙げるのはあらかじめ予想していたからだ。男の名前は池馬達也。腕っ節の強さから雫はお世辞にも学のある人間とは言えない彼を採用したのだ。いざという時のための実力部隊にするために。
そのために、雫はいつも達也に甘い言葉をかけた。時には豊満な胸を使っての誘惑も試みた。その成果のために、達也は雫の一番の操り人形となり得たのだった。だが、雫は感情的になりにくい女だ。彼に褒美として自分を与えるとしても彼の期待する反応は返ってこないだろう。達也はそんな事など露程も知らずに胸を躍らせながら部屋を出ていく。
恐らく、彼は教団の車を使用して、京都のヤクザと決着をつけるために向かったのだろう。
雫は意気揚々と出ていく達也を見送りながら、
「すごいね。彼の精神は体から心まで完全にわたしのものなんだね。なかなかできる事じゃないよ」
雫はこの場に存在しない達也に褒美の言葉を送ってから、人差し指を掲げて話を続けていく。
「そんな素晴らしい彼の話はさておいて、わたし達は今後は日本政府を相手に戦争を仕掛けるべきだと思う。勿論、先日のトマホーク・コープと同じ轍を踏まないためにも正面からぶつかったりはしないよ。仮に正面からぶつかったとしても、わたし達の悲劇性はアピールできるかもしれないけれど、それでも、それは「物語」になってしまうだけ、パリコミューンとか天草四郎とか、或いは大昔に流行ったアメリカン・ニューシネマのヒーローやヒロイン達みたいにね」
彼女の巧みな比喩表現に全員が唸っている。だが、雫はそれに驕ることなく、相変わらずの淡々とした口調で話を続けていく。
「つまりだね、わたし達は絶対に国家に勝たなければいけないんだよ。そこでわたしが提案したいのが、これ」
何の感動もなく雫が目の前に取り出したウィンドウズを開くと、教団の幹部達の目の前に表示されたのは恐れべき計画の記されたデータ。それを見て言葉を失う幹部たちとは対照的に、雫は何の感動もない声で言った。
「名付けて『大和民族浄化計画』」
学校の前で降りた、教団の高級車から降りて来た大樹寺雫に声を掛けたのは同級生の橋本孝美。孝美は気さくな性格であり、それ故にクラスの学級委員を務める立派な人間であった。成績は雫に次ぐ二番目。その上体育まで得意ときたら、人気がある事は確定事項のようなものだ。雫はペコリと頭を下げて、彼女と並んで教室にまで進んで行く。
大樹寺雫の席は教室の端にある山の見える席。ここで勉学に励んでいると6時間という短い時間は春の夜の夢のように一瞬で過ぎてしまう。琵琶法師を気取っているわけではないが、ともかく一瞬で終わっていくのだ。
雫は学生用の鞄から、教科書類や学習ノートを取り出して、机の下に入れて置く。別に鞄の中に入れて置いても教師から文句は言われないのだが、雫は机の下から取り出す方が好きだった。その方が青春を過ごしているという感触がするのだ。
雫が用意をし終えてから、授業が始まるまでの間に本でも読もうかと、家から持ってきた海外の哲学書を開こうとした時だ。不意に教室の扉が開き、若い教師の女性が自身に電話がある事を告げた。
雫は咳から立ち上がり、担任の指示に従い電話を取るために職員室へと向かって行く。
電話の内容は即座に教団に戻ってきてほしいというものだった。また、諸事情による休学届も後ほど出すらしい。
雫は信者たちの勝手な行動に半ば憤りのようなものを感じていたが、教祖という立場もあるために、その場で癇癪を抑えて、先生に休学の旨を告げて荷物を取りに教室に戻っていく。
「バプテスト・アナベル教の悪い噂は山程聞いているよ。匿名掲示板でも脱会信者からの熱い告発が相次いでいますしね。噂だが、あの教団が展開している近くに村がありましてね、そこにあの教団から脱会したい人間が集まっているというのはもっぱらの噂ですぜ」
富士山の麓の街、千一色市に派遣された中年の連邦捜査官、青山俊一郎は言った。青山の右手の人差し指と中指の間にはタバコが挟まれている。どうやら、先程の結論を導き出すために、彼はニコチンの力を借りていたらしい。
四角い眼鏡をかけた壮年の署長はペコペコと頭を下げて、ありがたい教授を受けていた。
自分より年上の署長が揉み手をする様子に気を良くしたのか、青山は連邦捜査機関から自身が派遣された理由までも語り出す。
「それだけじゃあないんですよ。少し前なんですが、あの教団に侵入した公安の刑事が一人行方不明になってましてね。こりゃあいくら何でも不自然だって上の方が勘付いたらしく、オレが派遣されたって寸法なんですよ」
青山の解説に署長はひたすら頭を下げていた。青山はコメツキバッタのようにペコペコと頭を下げる署長にとって、自分は雲の上の人間なのだと理解していた。
ちょうど、古代の中国で仙人に憧れて山奥で修行を行う若者も目の前の署長のような心境だったのかもしれない。
青山が2本目のタバコを吸い終えると、署長は慌ててタバコを差し出す。青山は右手でキッパリと否定して、署長のタバコを断った。いくら何でもそこまでさせては罪悪感も感じてしまうだろう。
青山はタバコを吸うのをやめて、富士山が見える街の窓から夕陽の被さった富士の山を見物した。まさに絶景と言っても良い光景に違いない。
「青山俊一郎?こいつが連邦捜査機関から派遣された連邦捜査官なの?」
雫は写真を手に入れた教団幹部の宮下真紀に尋ねる。
真紀は雫の考えを肯定した。そして、赤い口紅で彩られた可憐な唇を開く。
「ええ、この人間こそが、あなた様の教団の崩壊を図るために、国家から派遣された連邦捜査官で間違いはありません」
真紀は静かな口調で告げた。
「そうなんだ。他のみんなもこの状態は間違いないって言いたいの?」
この会議に集まった全員が首を縦に動かす。雫は全員の瞳の奥に絶対の自信が見える事から、嘘付きはいないと仮定して話を進めていく。
「成る程、わたし達は窮地に追いやられているんだね?よく分かった。それで、誰か関西の白雲組に今更、キリストの微笑みの原材料の中止を言い出せる人は?」
誰も手を挙げない。どうやら、日本のヤクザと更にそのヤクザと繋がり、『キリストの微笑み』なる原材料を断ろうと考える人間は少ないらしい。雫は重い溜息を吐く。
「しょうがないよ。その代わりに白雲組には暫く取り引きを延期してもらうという手に出るのはどうかな?或いは、一回の取り引きでいつもの倍の量を神への献上品として受け取る代わりに、次回以降の取り引きは国家の犬達を片付けるまで待ってもらうという案はどう?」
雫の提案を若い男が交渉人として引き受けるとして立候補した。雫はその様子を見て、ゆっくりと首を頷く。その男が手を挙げるのはあらかじめ予想していたからだ。男の名前は池馬達也。腕っ節の強さから雫はお世辞にも学のある人間とは言えない彼を採用したのだ。いざという時のための実力部隊にするために。
そのために、雫はいつも達也に甘い言葉をかけた。時には豊満な胸を使っての誘惑も試みた。その成果のために、達也は雫の一番の操り人形となり得たのだった。だが、雫は感情的になりにくい女だ。彼に褒美として自分を与えるとしても彼の期待する反応は返ってこないだろう。達也はそんな事など露程も知らずに胸を躍らせながら部屋を出ていく。
恐らく、彼は教団の車を使用して、京都のヤクザと決着をつけるために向かったのだろう。
雫は意気揚々と出ていく達也を見送りながら、
「すごいね。彼の精神は体から心まで完全にわたしのものなんだね。なかなかできる事じゃないよ」
雫はこの場に存在しない達也に褒美の言葉を送ってから、人差し指を掲げて話を続けていく。
「そんな素晴らしい彼の話はさておいて、わたし達は今後は日本政府を相手に戦争を仕掛けるべきだと思う。勿論、先日のトマホーク・コープと同じ轍を踏まないためにも正面からぶつかったりはしないよ。仮に正面からぶつかったとしても、わたし達の悲劇性はアピールできるかもしれないけれど、それでも、それは「物語」になってしまうだけ、パリコミューンとか天草四郎とか、或いは大昔に流行ったアメリカン・ニューシネマのヒーローやヒロイン達みたいにね」
彼女の巧みな比喩表現に全員が唸っている。だが、雫はそれに驕ることなく、相変わらずの淡々とした口調で話を続けていく。
「つまりだね、わたし達は絶対に国家に勝たなければいけないんだよ。そこでわたしが提案したいのが、これ」
何の感動もなく雫が目の前に取り出したウィンドウズを開くと、教団の幹部達の目の前に表示されたのは恐れべき計画の記されたデータ。それを見て言葉を失う幹部たちとは対照的に、雫は何の感動もない声で言った。
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