上 下
59 / 365
第二部『アナベル・パニック』

アナベル人形フェア

しおりを挟む
「聞いてくださいよ!孝太郎さん!」
倉本明美は涙をいっぱいに溜めた目で孝太郎を見つめていた。孝太郎はそのために、自身で作った弁当を口の中にかきこむ機会を失ったが、愚痴を言う暇もなく、丸渕眼鏡の女性は言葉を捲し立てていく。まるで、マシンガンのように。
「うちのベッビシッターがアナベル人形なんて気持ち悪いものを昨日勝手に家に持ち込んでですね!それにうちの子供たちが大泣きしちゃって、それに管理人さんがパニックを起こして、署に慌てて連絡をかけたのをおぼえているでしょ?」
孝太郎は昨日の小さな騒動の事を思い起こす。昨日、ようやく五日前のトマホーク・コープの騒動が収まり、いよいよ加藤の裁判に使用するための証言を集めに出かけようとした矢先の出来事だったので、孝太郎はかつて電車内で死亡した竹田泰徳が何やらやらかしたのだろうと判断して、白籠市のアンタッチャブルを連れて現場へと向かった。
何よりも慌てたのは明美だった。オロオロとした様子で普段の冷静沈着な計算係の姿は何処へやら。輪入道のように怒りの炎に身を包まれているのではないかと孝太郎に危惧させるくらいの怒り様だったので、思わず引いてしまった事を覚えている。それで、蓋を開けてみれば、アナベル人形を怖がった赤ちゃんが大泣きしたと言う話だったので、孝太郎はこの時に大きく肩を落としたのを覚えている。それで、事件は済んだ筈だったのだが、目の前の丸渕眼鏡の計算係は何を怒っているのだろうか。孝太郎は困惑した笑顔を浮かべて話の続きを聞く事にした。
「それで、ですね!今日もあたしがここに来る前にその人が来たんですけれど、その時にアナベル人形は単身赴任中の夫が静岡から送ってきた奴だからって、それが娘に見せても可愛いって言ったからって笑いながら言ってきたんですよ!それに腹が立っててて、信じられない!あの後に上に色々言うのがどれだけ大変だったと思ってるのよ!」
明美が拗ねている事が孝太郎はようやく理解した。小さく溜息を吐いてから諫める言葉を明美に投げかけて、これで話は終わりかと思ったが、好物のチョココロネを食いかけの聡子が口を挟んだ事によって、事態は思いもよらぬ方向に進む。
「そう言えばさぁ~女子高生とアナベル人形で思い出したけれど、最近流行の教団、バプテスト・アナベル教もアナベル人形を使ってるし、何より教祖はあんたのベビーシッターの娘さんと同じ女子高生じゃなかった?」
孝太郎はそう言えばと、昨日のニュースを思い返す。
現役女子高生の教祖は無口を絵に描いたような少女で、取材や家族を教団に取られた被害者とも言える家族の質問には一切答えない事で有名だ。だか、昨日のニュースだけは例外で、彼女は細々とした声で一人のマスコミの質問に答えた。信者の行方不明事件には教団は一切関与していないと明言した。
それだけの反応であったが、普段の受け答えは付き人や幹部に任せる彼女が小さな声とは言え質問に答えた事には衝撃が大きかったに違いないだろう。
孝太郎はその様子を昨日の晩に遅い夕食を摂りながら懸命に見ていた事から、明確に覚えていた。
孝太郎が夕食を食べ終え、食後のタバコを吸おうとした時にはニュースがトマホーク・コープの撤退と日本支社の解体を告げるニュースになっていた事から、マスコミはこの件を重視していない事を孝太郎は確認した。
マスコミは目の前のニュースにしか飛び付かないのだ。いかに未来を脅かすニュースがあろうとも人々の関心を集めさせるようなニュースでなければ飛び付きはしない。つまり、マスコミは宇宙究明学会事件の反省から何も学んでいないと言えよう。孝太郎はそんな事を考えながら、アナベル人形に怒る明美の顔を見つめながら、頭の中でバプテスト・アナベル教の成立の歴史を思い返す。
バプテスト・アナベル教はかつての三大カルト教団と言われた宇宙究明学会を除く教団によって作られた新興宗教団体だ。彼らはイエス・キリストとオシリス神を絶対の神と崇めた宇宙究明学会と類似する点はあるが、相違点の方が多いとも言えるだろう。主な相違点は二つの神を崇める宇宙究明学会とは異なり、彼らはアナベル人形を媒介にイエス・キリストが宿ると信じ、信者の部屋には必ずアナベル人形が置かれ、また集団で修行とやらを行う際にもアナベル人形の目の前で行うらしい。
要するに、人形を媒介に神が宿ると信じているらしい。これはルシファー教のかつての教祖、流子屋栗栖の教え、我々の神は物に宿ると言う教えから引用したらしい。その意味では彼らの信じる神は『悪魔』と断定言えないのでもなかったのだが、それをこの教団の教徒の前で喋ると、たちまちのうちに聖書を盾にお前こそが悪魔だと弾劾するために正しい指摘を言えずにいる。
孝太郎が知る限りのバプテスト・アナベル教の教えはこんな所であり、三年前から家族と教団の対立が激化している事を除けば、特に大きなトラブルを起こす事なく社会に寄与していたと言えるだろう。少なくとも、信者たちの心を救っていると言う面では。
孝太郎が弁当の箸を動かしながら、バプテスト・アナベル教の事を聡子は明美にペラペラと喋っていたらしく、明美が目を輝かせて聡子の話を聞き入っていた。
「そう言えば、親父が少し前に言ってたな、京都の方で妙なアナベル人形をばら撒いている奴がいるって、しかもそいつらは親父の傘下じゃない暴力団と手を組んでるとか組んでないとかで、不穏な動きが大きいらしいぜぇ~明美も気を付けろよぉ~」
脅してから、口元の端を吊り上げる聡子を明美はポカポカと叩く。
「ひ、酷いよ!どうしてそんな事を言うのかな!?あたしは引っかからないよ!そもそも、神なんてどうやってこの世界にいるなんて証明するのよ!わたしは数学じゃ測れないものは信用しない主義だから!」
聡子はそれでもニヤニヤとした笑みを引っ込めようとはしない。
「でもさぁ~仮に旦那が……」
「聡子ちゃんのバカー!」
と、ここで明美はお痛が過ぎた聡子を叱り付けた。軽口を叩き合うこの二人のやり取りを見るのが孝太郎は好きだった。
と、ここで昼休憩の時間が終了した事を孝太郎は手元の端末で確認した。同時にこれまで黙々と食事を取っていた絵里子は全員に食事を片付けて、仕事に戻るように告げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~

うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。 突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。 なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ! ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。 ※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。 ※この小説はなろうとカクヨムへも投稿しております。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

約束のパンドラ

ハコニワ
SF
※この作品はフィクションです。 地球は汚染され、毒の海が約半分広がっている。選ばれた人間だけが惑星〝エデン〟に移住を許され、残った人々は、汚染された地球で暮らすしかない。綺麗でのどかな〝エデン〟に住むことを夢見る少年らは、いつか〝エデン〟に行こうと約束。 しかし、ある事件をきっかけに、約束も夢も果たされぬまま、十年。 空から落ちてきた少女をきっかけに、あの日夢見たあの約束をもう一度叶えようと奮闘。 キャッチコピー『自由』

ガチャと異世界転生  システムの欠陥を偶然発見し成り上がる!

よっしぃ
ファンタジー
偶然神のガチャシステムに欠陥がある事を発見したノーマルアイテムハンター(最底辺の冒険者)ランナル・エクヴァル・元日本人の転生者。 獲得したノーマルアイテムの売却時に、偶然発見したシステムの欠陥でとんでもない事になり、神に報告をするも再現できず否定され、しかも神が公認でそんな事が本当にあれば不正扱いしないからドンドンしていいと言われ、不正もとい欠陥を利用し最高ランクの装備を取得し成り上がり、無双するお話。 俺は西塔 徳仁(さいとう のりひと)、もうすぐ50過ぎのおっさんだ。 単身赴任で家族と離れ遠くで暮らしている。遠すぎて年に数回しか帰省できない。 ぶっちゃけ時間があるからと、ブラウザゲームをやっていたりする。 大抵ガチャがあるんだよな。 幾つかのゲームをしていたら、そのうちの一つのゲームで何やらハズレガチャを上位のアイテムにアップグレードしてくれるイベントがあって、それぞれ1から5までのランクがあり、それを15本投入すれば一度だけ例えばSRだったらSSRのアイテムに変えてくれるという有り難いイベントがあったっけ。 だが俺は運がなかった。 ゲームの話ではないぞ? 現実で、だ。 疲れて帰ってきた俺は体調が悪く、何とか自身が住んでいる社宅に到着したのだが・・・・俺は倒れたらしい。 そのまま救急搬送されたが、恐らく脳梗塞。 そのまま帰らぬ人となったようだ。 で、気が付けば俺は全く知らない場所にいた。 どうやら異世界だ。 魔物が闊歩する世界。魔法がある世界らしく、15歳になれば男は皆武器を手に魔物と祟罠くてはならないらしい。 しかも戦うにあたり、武器や防具は何故かガチャで手に入れるようだ。なんじゃそりゃ。 10歳の頃から生まれ育った村で魔物と戦う術や解体方法を身に着けたが、15になると村を出て、大きな街に向かった。 そこでダンジョンを知り、同じような境遇の面々とチームを組んでダンジョンで活動する。 5年、底辺から抜け出せないまま過ごしてしまった。 残念ながら日本の知識は持ち合わせていたが役に立たなかった。 そんなある日、変化がやってきた。 疲れていた俺は普段しない事をしてしまったのだ。 その結果、俺は信じられない出来事に遭遇、その後神との恐ろしい交渉を行い、最底辺の生活から脱出し、成り上がってく。

星海の運び屋~Star Carrier~

ろんど087
SF
星海を股にかけて、物資を運ぶ「運び屋」サンタと羽衣。 二人がとある惑星で受けた依頼主はシスターの少女。「運び」の依頼品は「彼女自身」だった。 何気ないシンプルな依頼と思っていたその裏には、謎の陰謀がうごめく。 SFファンタジック・コメディです♪

ark

たける
SF
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 【あらすじ】 友人のタルト艦長から、珍しく連絡を貰ったフラム。だがその内容は、彼女の夫、リチャードと離婚しろと言うものだった…… 歪み抑圧されていた想いが、多くの無関係な命を巻き込み、最悪の事態へと転がって行くが…… 士官候補生のジョシュ・デビット達が辿り着いた結末は……? 宇宙大作戦が大好きで、勢いで書きました。模倣作品のようですが、寛容な気持ちでご覧いただけたら幸いです。

処理中です...