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ファースト・ミッション編
拳銃と麻薬とーその⑥
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折原絵里子にとってはその日はこの3年間の間で最も緊張する日だったに違いない。
何故ならば、折角リハビリを終えて復帰したばかりの弟は直ぐ様ヤクザの男と戦っているし、自分を庇ってあの古い家に入っていった石井聡子は未だにあの家の中で連戦を繰り広げている。
絵里子はどうしようもない不安に駆られたのだろう。
彼女らしかねぬ弱気な表情で、
「この先どうなるのかしら?孝ちゃんは上手くやれているのかしら?聡子はどうなの?ああ、残酷過ぎるわ、こんな事ッ!」
絵里子は今、この瞬間の自分をシェイクスピアの四大悲劇におけるヒロインにように思っていたのかもしれない。
一度取り憑かれたヒロイン熱は転んでできたかさぶたのように剥がしにくいものなのかもしれない。
絵里子は一人でそう考えていた。
そんな時だ、先程まで鳴っていた金属同士がぶつかり合っていた音が急速に止まったのだ。
カラスのように気まぐれに止まる事はあるまい。鳥の出す鳴き声とは違って金属のぶつかり合う音はどちらかが倒れない限り止む事はないのだから。
或いは……。絵里子は第三の可能性も視野に入れて、もしものために弟と約束したある方法を実行できる準備を整えて青竜刀の穴の空いた、「ボロボロ」という形容詞の似合う家へと向かう。
「ッ、油断したな……」
中村孝太郎はすべての決着が付いた事を悟った。
理由は至極簡単だ。目の前に青竜刀を突き付けた「剣豪」の男。
そして、仲間の一人である聡子の喉元に青竜刀を向けている白色のトレンチコートを着た女。
この光景を見ればどんな人間にだって自分が負け側にいる事くらい察しが付くだろう。
「まあ、ここらで取り引きをしようや……タバコでもどうだ?」
剣豪のような立派な体格の男は孝太郎に向かってタバコを一本差し出す。
孝太郎はタバコを受け取り、男から火をもらう。
苦い。これまでに味わった中で最も苦いタバコだ。孝太郎は心の底からそう思った。これが「敗北の味」という奴なのだろう。
孝太郎が人生の中で最悪のタバコを蒸していると、トレンチコートの女が口を開き、
「まあ、あたしらの言いたい事は分かるでしょ?刑事さん?」
孝太郎は黙って頷く。そして、女の言いたい事を代弁してやる。
「お前達二人の取り引きを見逃せと言うのだろう?ここまでくりゃあ、バカでもあんたらの取り引きの内容が理解できるぜ、あ、失礼。折角一ヶ月くらいの夏休みがあるのにも関わらずに宿題を溜め込んでて、最終日に大慌てでやるバカなガキには理解できんかもしれんがな」
「それってあたしの事言ってんの?」
聡子は口を尖らせて抗議する。
「特定の人間を示した言ったわけじゃーねーぜ、そんくらいバカな奴だって世の中にはいるって事を比喩表現で分かりやすく言っただけさ」
「あんた……三年前はもう少し上品だったぜ?あのイカレ女に刺されてから、人格まで変わっちまったのか?」
聡子は同情半分からかい半分のような口調で尋ねる。
「さあな、入院中にヤベー夢でも観てたのかもしれんな」
もしかしたら、これが本来のオレなのかもしれないという言葉を孝太郎はギリギリのところで飲み込む。
言ったところで一文の徳にもならないと思ったからだ。
と、そんなやり取りに苛立ったのだろうか、桐野弘之が二人の間に青竜刀を突き立て、
「余計なお喋りはそこまでにしてもらおうかッ!テメェらは取り引きに応じるのか?応じないのか?それだけがオレ達の望む事だッ!訳の分からないお喋りで時間を潰してる余裕はないッ!」
その言葉に孝太郎は両手を上げながら立ち上がって、
「確かにそうだな、これ以上余計なお喋りをするつもりはない……」
「……回答を聞かせてもらおうか?」
「答えはノーだ」
孝太郎はこれ以上ない程のハッキリとした口調で言った。恐らく、大企業の社長や降伏間近の防衛軍の将校に迫る侵略軍の将校でさえもこんなにハッキリとは言えないだろう。
それくらい強い意志の感じる返答だと聡子は考えた。
その孝太郎の意思は相手にも通じたらしく、桐野は口元をフフフと笑い出してから、再び孝太郎の喉元に青竜刀の刃を突き付ける。
「残念だったな、あんたが刑事じゃなかったら、一緒に東海林会で働けたかもしれんのに……」
「オレはお前らなんぞお断りだ」
孝太郎は吸っていたタバコを地面に落とす。
そして、その瞬間を見計らったかのように、マシンガンの弾が古い家の天井を撃ち抜いていく。ベニヤ版のように薄い壁を通して、強い音を立てて天井は穴だらけになっていく。
香蘭はその様子を見て冷や汗を一筋垂らす。何か余程不味い事でも想定したらしい。
「外にいる連中はあたしらを蜂の巣にする目論見だろうね。このままここにいたら、こいつらもろともボニーとクライドにされちまうよ」
弘之はかつて見た『俺たちに明日はない』のラストシーンを思い出す。
二人組の強盗カップルがなす術もなく政府の官憲によって撃ち殺されるシーンは幼い弘之のトラウマに残ったものだった。
それだけにこの状態を看過はできない。弘之は慌てて家の玄関を飛び出す。
香蘭もこのままここにいたのでは殺されてしまうという危機感の方を取ったのだろう。
弘之に次いで家を飛び出す。
その瞬間を見計らったかのようにマシンガンの音は止む。
孝太郎は聡子の手を取って青竜刀と人の通った後のある壁の方へと突っ込む。
勢いがあり過ぎたのだろう。二人は壁を壊して家の外へと放り出される。
香蘭と弘之のいる方向とは上手い具合に反対方向。
孝太郎は勝利の笑顔を浮かべた。
マシンガンを持った姉に向かって笑いかけると、
「姉貴、行こうぜ、オレ達の確実な勝利を収めるためにな……」
絵里子は弟のその言葉に同意して、反対側の入り口方向へと向かって行く。
「大丈夫か?あんた?」
桐野弘之は林香蘭を気遣ってか、手を差し伸べるが、
「問題なしよ……それよりも興味が湧いたわ、あいつら……白籠市のアンタッチャブルとか言ったっけ?中々骨のある子達じゃない、あたしの血がこんなにたぎったのは初めてだわ、面白い……ゾクゾクするの」
「なるほどな、ここで逃げるのはあんたの主義に反対すると?」
「おや、おたくだってそうじゃないの?このまま逃げたら、ボスに酷い目に遭わされるんだろ?それこそ死んだ方がマシなくらいの……」
「そうだ、だからこそ、ここであいつらを追い詰めなければならない」
弘之は手元の青竜刀を陽の光で光らせながら言った。殺しに何の躊躇いもないという目だった。
何故ならば、折角リハビリを終えて復帰したばかりの弟は直ぐ様ヤクザの男と戦っているし、自分を庇ってあの古い家に入っていった石井聡子は未だにあの家の中で連戦を繰り広げている。
絵里子はどうしようもない不安に駆られたのだろう。
彼女らしかねぬ弱気な表情で、
「この先どうなるのかしら?孝ちゃんは上手くやれているのかしら?聡子はどうなの?ああ、残酷過ぎるわ、こんな事ッ!」
絵里子は今、この瞬間の自分をシェイクスピアの四大悲劇におけるヒロインにように思っていたのかもしれない。
一度取り憑かれたヒロイン熱は転んでできたかさぶたのように剥がしにくいものなのかもしれない。
絵里子は一人でそう考えていた。
そんな時だ、先程まで鳴っていた金属同士がぶつかり合っていた音が急速に止まったのだ。
カラスのように気まぐれに止まる事はあるまい。鳥の出す鳴き声とは違って金属のぶつかり合う音はどちらかが倒れない限り止む事はないのだから。
或いは……。絵里子は第三の可能性も視野に入れて、もしものために弟と約束したある方法を実行できる準備を整えて青竜刀の穴の空いた、「ボロボロ」という形容詞の似合う家へと向かう。
「ッ、油断したな……」
中村孝太郎はすべての決着が付いた事を悟った。
理由は至極簡単だ。目の前に青竜刀を突き付けた「剣豪」の男。
そして、仲間の一人である聡子の喉元に青竜刀を向けている白色のトレンチコートを着た女。
この光景を見ればどんな人間にだって自分が負け側にいる事くらい察しが付くだろう。
「まあ、ここらで取り引きをしようや……タバコでもどうだ?」
剣豪のような立派な体格の男は孝太郎に向かってタバコを一本差し出す。
孝太郎はタバコを受け取り、男から火をもらう。
苦い。これまでに味わった中で最も苦いタバコだ。孝太郎は心の底からそう思った。これが「敗北の味」という奴なのだろう。
孝太郎が人生の中で最悪のタバコを蒸していると、トレンチコートの女が口を開き、
「まあ、あたしらの言いたい事は分かるでしょ?刑事さん?」
孝太郎は黙って頷く。そして、女の言いたい事を代弁してやる。
「お前達二人の取り引きを見逃せと言うのだろう?ここまでくりゃあ、バカでもあんたらの取り引きの内容が理解できるぜ、あ、失礼。折角一ヶ月くらいの夏休みがあるのにも関わらずに宿題を溜め込んでて、最終日に大慌てでやるバカなガキには理解できんかもしれんがな」
「それってあたしの事言ってんの?」
聡子は口を尖らせて抗議する。
「特定の人間を示した言ったわけじゃーねーぜ、そんくらいバカな奴だって世の中にはいるって事を比喩表現で分かりやすく言っただけさ」
「あんた……三年前はもう少し上品だったぜ?あのイカレ女に刺されてから、人格まで変わっちまったのか?」
聡子は同情半分からかい半分のような口調で尋ねる。
「さあな、入院中にヤベー夢でも観てたのかもしれんな」
もしかしたら、これが本来のオレなのかもしれないという言葉を孝太郎はギリギリのところで飲み込む。
言ったところで一文の徳にもならないと思ったからだ。
と、そんなやり取りに苛立ったのだろうか、桐野弘之が二人の間に青竜刀を突き立て、
「余計なお喋りはそこまでにしてもらおうかッ!テメェらは取り引きに応じるのか?応じないのか?それだけがオレ達の望む事だッ!訳の分からないお喋りで時間を潰してる余裕はないッ!」
その言葉に孝太郎は両手を上げながら立ち上がって、
「確かにそうだな、これ以上余計なお喋りをするつもりはない……」
「……回答を聞かせてもらおうか?」
「答えはノーだ」
孝太郎はこれ以上ない程のハッキリとした口調で言った。恐らく、大企業の社長や降伏間近の防衛軍の将校に迫る侵略軍の将校でさえもこんなにハッキリとは言えないだろう。
それくらい強い意志の感じる返答だと聡子は考えた。
その孝太郎の意思は相手にも通じたらしく、桐野は口元をフフフと笑い出してから、再び孝太郎の喉元に青竜刀の刃を突き付ける。
「残念だったな、あんたが刑事じゃなかったら、一緒に東海林会で働けたかもしれんのに……」
「オレはお前らなんぞお断りだ」
孝太郎は吸っていたタバコを地面に落とす。
そして、その瞬間を見計らったかのように、マシンガンの弾が古い家の天井を撃ち抜いていく。ベニヤ版のように薄い壁を通して、強い音を立てて天井は穴だらけになっていく。
香蘭はその様子を見て冷や汗を一筋垂らす。何か余程不味い事でも想定したらしい。
「外にいる連中はあたしらを蜂の巣にする目論見だろうね。このままここにいたら、こいつらもろともボニーとクライドにされちまうよ」
弘之はかつて見た『俺たちに明日はない』のラストシーンを思い出す。
二人組の強盗カップルがなす術もなく政府の官憲によって撃ち殺されるシーンは幼い弘之のトラウマに残ったものだった。
それだけにこの状態を看過はできない。弘之は慌てて家の玄関を飛び出す。
香蘭もこのままここにいたのでは殺されてしまうという危機感の方を取ったのだろう。
弘之に次いで家を飛び出す。
その瞬間を見計らったかのようにマシンガンの音は止む。
孝太郎は聡子の手を取って青竜刀と人の通った後のある壁の方へと突っ込む。
勢いがあり過ぎたのだろう。二人は壁を壊して家の外へと放り出される。
香蘭と弘之のいる方向とは上手い具合に反対方向。
孝太郎は勝利の笑顔を浮かべた。
マシンガンを持った姉に向かって笑いかけると、
「姉貴、行こうぜ、オレ達の確実な勝利を収めるためにな……」
絵里子は弟のその言葉に同意して、反対側の入り口方向へと向かって行く。
「大丈夫か?あんた?」
桐野弘之は林香蘭を気遣ってか、手を差し伸べるが、
「問題なしよ……それよりも興味が湧いたわ、あいつら……白籠市のアンタッチャブルとか言ったっけ?中々骨のある子達じゃない、あたしの血がこんなにたぎったのは初めてだわ、面白い……ゾクゾクするの」
「なるほどな、ここで逃げるのはあんたの主義に反対すると?」
「おや、おたくだってそうじゃないの?このまま逃げたら、ボスに酷い目に遭わされるんだろ?それこそ死んだ方がマシなくらいの……」
「そうだ、だからこそ、ここであいつらを追い詰めなければならない」
弘之は手元の青竜刀を陽の光で光らせながら言った。殺しに何の躊躇いもないという目だった。
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