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番外編『血吸い姫現代版!現代のクライン王国にカーラたちの子孫が現れた!』
いよいよ本命の仕置きとさせていただきますわ
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前書き
一日遅れてしまい申し訳ありませんでした。思った以上に手間が掛かってしまいましたが、現代編はこれにて完結となります。
一話完結型ということなので、今回のエンディングはこれからも彼らの活躍が続いていくということを指す形で終わりとなります。
短い間でしたが、もう一度この作品を連載できて幸せでした。また機会があれば再開させていただくことになります。
ありがとうございました!!
煙草や葉巻によって生じた煙が室内に充満して辺りを灰色の匂いで覆い尽くしていく。もしここに煙草を吸わない人間がいれば眉を顰めるのだろうが、生憎ここはそういった愛好者たちが集まるいわゆるスモーキングルーム。それに加えて山奥の別荘地だ。さらにこの場所に集まっているのは煙草や葉巻が好きな人間ばかり。充満した煙を止める人間などいるはずがなかった。
その世間から隔離されたような別荘のスモーキングルームの中にいるのは学生と思われるカッターシャツに黒ズボンという格好をした四人の男たちの他にその中央で絹で仕上げた上等な青色のスリーピースーツを着た白い髭を生やした壮年の男性であった。
男の名はデューク・ハワード。医師会と深い繋がりを持つ貴族院の議員である。
祖先はクライン王国時代からの門閥貴族であったとされ、彼自身も貴族として相応しい帝王学のようなものを身に付けて育ってきた。
だが、昔から庶民からは蛇蝎の如く嫌われてきたずる賢い門閥貴族の子孫だということもあり、普通の人ならば躊躇する裏金作りにも彼は躊躇しなかった。
特に裏金で儲けた金を使い、デュークは父親ですら成し得ることができなかった別荘地の複数購入や年下の美人歌手をパートナーに添えるといった功績を成し遂げていたのだ。彼は裏金を上手く使うことによって物質的な快楽を手に入れることができたが、重要であるのはそればかりではない。彼は自身が所有する貴族院議員としての地位を使い、多くの財界の著名人とも太いコネクションを築き上げてきたのだ。先日別荘地にて冥界王の元へと旅立つことになった社長一家たち全員がハワード議員の知り合いであった。
そんな彼は貴族としての地位に相応しい堂々たる権威を纏ったような存在であった。要するに座っているだけでも絵になるというような人材である、と評するのがこの場合は適切だろう。堂々たる偉丈夫だというのもそれに拍を掛けているように思われた。
そんな彼は葉巻を片手にスモーキングルームの中心にある座椅子に腰を掛けて取り巻きとして使っている四人の医大生たちを見渡していく。
普段ならば五人なのだが、一人は尻尾切りに使われたためこの場にいる取り巻きは四人だけなのだ。
いささか寂しいようにも思われるが、彼はすぐに釈放される手筈となっていた。
というのも、先日冥界王の元へと家族と共に旅立った警察の上役との間に築き上げたコネクションはまだ存在しており、新たに就任した上役との間で新たなコネクションが築き上げられていたのだ。
デュークはそこまで考えたところで葉巻を下ろし、気ままに煙草を咥えている学生たちを見渡してから問い掛けた。
「さてと、お前たちに聞きたい。例えば自分が歩く前に蟻の集団がいたとしたらどうするかね?」
「踏み潰します」
その場にいた全員が声を揃えてデュークに向かって同意の言葉を示した。
学生の返答を聞いたデュークは満足気な笑みを見せて頷く。
「よろしい。実に模範的な回答だ。そこで、お前たちに命令する。医師のレキシーを始末しろ」
「レキシーを?どうして?」
「決まっている。本来であるのならばあいつに罪を着せてやるところだが、今回の一件では監視カメラという決定的な証拠が上がり、それが受理されてしまったからな……ワシといえどもこれ以上の圧力を掛けることは不可能だ」
「なるほど、冤罪で逮捕ができぬのならば口を封じてしまえ、と?」
「その通りだ。わかってるじゃないか」
リュークは学生たちの答えに満足したのか、大きく腹を抱えながら笑っていく。学生たちもリュークに釣られて笑い声を上げていく。
だが、すぐにリュークは顔から笑顔を消し、学生たちを見据えると低く厳格な声で言った。
「いいか、しくじりは許されん。あのババアがまた事件のことで騒ぎ始める前に始末しろ」
学生たちは首を縦に動かす。デュークにとってこの学生たちは自分が自由に動かすことができる兵隊のような存在だった。それでも一方的な従属関係にあるというわけでもない。デュークは学生たちを取り巻きにし、自分にとって始末の悪い相手を片付けてもらう代わりに彼らの悪事をもみ消しているのだ。彼が今回老姉妹の家に遊ぶ金目的の強盗で押し入った際もたった一人に罪をなすり付けることによって彼ら全体を守ったのがその証明のようなものだ。
いうのならばお互いに持ちつ持たれつの関係にある。上下関係はあるもののお互いに甘い汁を啜っている分、上下関係に不満を感じて抜け出すのは困難というものだろう。
そうした密接な関係であるからこそ学生たちが倒れれば自身も損害を受けるし、自身にもしものことがあれば学生たちも破滅に追い込まれる。
こうなれば今の関係を続けるより他にない。デュークは密かにこのシステムを『蟻地獄システム』と呼んでいた。
穴に深く深く潜り込んでいくほど、抜け出すのが困難になる蟻地獄のデュークが命名したのだ。
今後も学生たちには罪をもみ消してやる代わりに自分の手足となって働いてもらおう。デュークは葉巻を片手に密かに口元を歪めていたのだった。
「ミス・ドゥルーテッ!話を聞いているんですか!?」
カーラは担任の教師である中年の女性からの叱責を受けてようやく我に返ることができた。それまでのカーラは窓の外からぼんやりとオレンジの色へと染まっていく空と黄昏時のなんともいえない光に照らされる校庭を眺めて悦に浸っていたのだ。カーラは慌てて首を縦に振る。
中年の女性教師はそれを見て意地悪な笑みを浮かべて言った。
「よろしい。では、たった今読んでいたところを答えなさい」
「はっ、はい!」
カーラは慌てて国語の教科書を開いたのだが、先ほどまで別のことを考えていたせいかどこを喋っていたのかが分からなかった。乾いた笑みを溢すカーラに対して助け舟を出したのは後ろの席に座っていたヒューゴだった。
「15ページの二行目だよ」
カーラはヒューゴの助言に助けられ、二行目からの話を読んでいく。
題材として使われていたのは遠くの島国から輸入され、今ではクライン国の偉大な作家として知られることになったショータロー・イケナミの短編であった。異国の昔の文化を小説を通して学ぶということで現在のクライン国では人気の高い教材なのだ。
教科書に使われているのは時の老中と懇意な関係にある老人の剣士が同じく剣士である息子やその息子と共に事件を解決していくというものだった。
カーラは後に息子の恋人となる男装の麗人が敵の罠によってところまで読み終えると、ようやくそこで教師から音読を辞めることが許された。
それから中年の教師が満足したような顔を浮かべながらホワイトボードの上に今日カーラが音読していたところを纏めていると、授業終了を告げるチャイムの音が鳴り響いていく。
中年の教師はまだ授業を続けたかったようだが、なにせ時間が時間だということなので大人しく引き下がるしかないだろう。
それでもまだホワイトボードに記された内容を写せていない者のために残りは次の先生が消すことになっていた。
カーラがホワイトボードを見て、ノートに授業の内容をまとめていると、ヒューゴがシャープペンシルの先端で背中を突いてきた。
「何をするんですの?」
「確かに決行の時は近付いてきてるけど、あんまりおかしな行動をするなよ。普段通りに振る舞うんだ」
ヒューゴは声を顰めながら忠告の言葉を与えた。
「分かってますわ」
カーラは不満そうにヒューゴを睨んでからホワイトボードに記された内容をノートの上に書き記していく。
ちょうどカーラが写し終えた時のことだ。次の国史を担当する教師とその教師についてきた教育実習生のフィンとが同時にクラスの中へと足を踏み入れた。
フィンがクラスに足を踏み入れた瞬間になってカーラを除いた女子生徒から黄色い声援が上がっていく。まるで、自分の好きなアイドルを応援するかのような声援だ。
容姿端麗でモデルのように引き締まったスタイルをしたフィンはそれだけでも人気なのだが、何よりも実在の王子だというのも女子生徒からの人気を集める要因となっていた。本人は顔や王子という特殊なスペックだけではなく、あくまでも教育実習生だというだけで見られたくなかったようだが、女子生徒からすれば色眼鏡で見るなというのが無理というものだ。
カーラがそんなことを考えていると、今日の授業はフィンが担当するということらしい。女子生徒からはまたしても黄色い声援が上がっていく。
しかも今日の授業は奇しくも現王室にとって中興の祖ともいえる賢王フィンの話であった。
自分に祖先であり、同じ名前であるフィンを教えるという目の前のフィンの気分がどうであったのかは分からないが、授業そのものは質が高く満足のいくものであった。
王室ならではの視点や幼い頃から多くの文献を読まされてきたことから教科書に立たない多角的な視点からフィン王のことが語られ、実に分かりやすい授業であった。先ほどの国語の授業と異なり、ちゃんと時間の範囲内で収めたということも評価としては高く上げるべきだろう。
カーラはそんなことを考えながら今日の授業内容をノートに記していた。カーラがシャープペンシルを走らせていると、授業の終了を告げるチャイムの音が聞こえた。同時に女子生徒たちが質問にかこつけてフィンに擦り寄っていく姿が見受けられた。
フィンがそれを苦笑混じりに応対しているのを見て、カーラも釣られて苦笑してしまう。王子というのも大変だ。ましてや顔も良く、性格も良いという御伽噺に出てくるような王子であったのならば、それだけで女子生徒の心は鷲掴みにされてしまうに違いない。
そういった生徒たちに擦り寄られるのも宿命と言い切ってしまえばそうだが、フィンとしても好きで産まれたわけではないのだからそこは気の毒だ。
カーラは自身がよく読んでいる島国から輸出されたいわゆる悪役令嬢モノの小説に出てくる王子がそのような思いを抱えていることを思い出していた。
結局フィンの周りに集まった女子生徒たちは担任の教師によって強制的に解散させられ、ホームルームが始まることになった。
それが終わると、カーラは学習塾へと向かうためにヒューゴと別れ、校庭に向かっていた時のことだ。
「待ってくれ」
と、背後から声を掛けられた。カーラが振り返ると、そこには弱々しい笑みを浮かべたフィンの姿が見られた。
カーラは悪役令嬢モノのライトノベルに描かれるような淑女らしく制服のスカートの両裾を掴み、一礼を行う。
「あら、これはフィン先生……ご機嫌麗しゅうございますわ」
「なぁ、カーラ。どうしてきみは他の女子生徒みたいにおれの元に来ないんだ?」
迷っているような口ぶりからはフィンが嫌味から先ほどの言葉を言っているわけではないことが理解できた。それでもどこか素直になれなかったのだろう。カーラは唇を尖らせながら意地悪い調子で返した。
「あら、レディならば誰でも素敵な王子であらせられる先生の元へと追い掛けてくるとでもお思いになられましたの?それは少し身勝手な自惚というものではございませんの?」
「……そんなわけじゃない。ただ不思議だっただけだ」
そう答えるフィンの口調はどこか弱々し異モノだった。予想外に自分の回答が鋭過ぎたのかもしれない。思った以上に打ちひしがれる姿を見て少し気の毒になったカーラは先ほどよりも柔らかな口調で言葉を返すことにした。
「フフッ、少し意地が悪うございましたわ。答えは私がアニメいわゆる二次元にしか興味がないからですわ。あっ、失礼、遠い国から輸入されたファンタジー時代劇も好きでしたわ」
カーラはそれだけを言い残すと、学習塾へと向かうためにそのまま姿を消した。手を伸ばして姿を消したカーラの背中を追っていた。
そのまま大きな声でカーラを呼び止めようとした時のことだ。
「諦めな、カーラがあんたに靡くことはないよ」
と、背後から嫌味に満ちた声が聞こえてきた。
「ヒューゴか?」
その問いに対して背後から現れたヒューゴは迷うことなく首を縦に動かした。フィンにとってヒューゴはもはや単なる生徒から王子である自身が見出した将来有望な人物へと変わっていた。
フィンがヒューゴに対してそうした印象を持つようになったきっかけは少し前に何者かの手によって冥界王の元へと旅立った前校長からいじめられっ子を庇ったことによって叱られたという一件とその校長に対して怯むことなく、抗議の言葉を浴びせたというこの二つであった。
だが、そんなフィンからの印象など知る由がないヒューゴは嫌味ったらしい口調でフィンを敢えて挑発的させるようなことを平気で言い放ったのである。
「残念でしたね。カーラがあんたに靡かなくて。生憎だけれど、カーラはアニメかゲームのキャラにしか興味がないんですよ」
「そうか?おれはよくインターネット上ではゲームやアニメのキャラになぞらえられることが多いがな」
自身が抱いている評価はそれとして売られた喧嘩は買うつもりであるらしい。フィンはヒューゴに対して負けじと言い返したのである。
予想外の反撃にヒューゴは面食らったような顔を浮かべていたが、すぐに態勢を取り戻し、反撃を開始したのである。
「中にはそう考える人もいるでしょうけど、カーラはそういう人たちとは違うんです。残念でしたね」
「まだ分からないぞ」
フィンがヒューゴに対して次なる反論を口に出そうとした時、どうして自分がここまでカーラに対して言葉が出るのかが分からなくなっていた。多くの女子生徒が自分に言い寄っていく中でカーラだけが自分を他の実習生と同じ扱いで接してくれているからだろうか。
はたまた自身がヒューゴに好感触を抱いたのと同様にカーラにも同じような思いを抱いていたからだろうか。
ここまで考えてもフィンには結論が出なかった。しかし論戦の途中でヒューゴも同じような疑問を胸に抱いたらしい。
向こうでも首を傾げる様子が見受けられた。お互いに言葉さえ出なくなっていた。このまま永遠に決着が付かないまま終了することになるのかと思われたが、意外にもその決着を付けたのは第三者であった。
「ねぇ、ちょっといいかな?ヒューゴ?」
と、ギークが間に入ってきたのだ。パソコンの入った袋を持っていることから彼が普段所属しているパソコン研究会の帰りであることは間違いあるまい。ギークに手招きされ、ヒューゴはフィンの元から離れていく。
「どうしたんだよ?ギーク?」
「……レキシーさんが何者かに襲撃されたんだ」
単純な一言ではあったが、それはヒューゴを凍り付かせるのに十分であった。ギークに詳細を問うと、ギークは自身の元に届いた携帯端末のメッセージボックスを操作して病院で勤務している最中に何者かによって階段の近くで背中を押されたということを教えていく。
幸いにもレキシーは足を留めて無事だったそうだが、それでも誰かに狙われているのかということは確かなのだ。
このメールはヒューゴにも届いていたらしいが、ヒューゴはフィンとの言い争いに夢中になってメールの着信に気が付かなかったのだ。
「……もしかしたらぼくたちもレキシーさんを狙った人たちに狙われるかもしれないね」
「ば、バカな!?」
だが、そうではないとは言い切れない。自身が何者かによって襲われるということを考えた時ヒューゴは自身の両肩が強張り、狭まっていくのを感じた。
一方、カーラは塾で講義を受けていたということもありレキシー襲撃の報告を受けたのは深夜になり、塾から帰るバスに乗った時のことだ。母親自身によるメールやら仲間たちのメールでようやくそのことを知ったのである。
慌てて自宅に戻ると、そこにはいつも通り和かな顔で夕食を用意するレキシーの姿が見受けられた。
「……よかった」
帰宅するなり出た一言が安堵の言葉であった。そのまま力が抜けたのか、カーラは玄関先で脱力した。それを見たレキシーは何も言うことなく優しくその頭を撫でていく。
カーラはレキシーから夕食として食卓の上に並べられたミートソーススパゲッティとレタスのサラダ、ロールパンをつまみながら襲撃の詳細を聞くことになった。
レキシーはその時病院で自身に割り当てられた部屋で書類を書き終えて、一階にある受付へと向かおうとしていたのだ。
階段を降りようと一段目に足を踏み入れた時に何者かの手によって突き落とされそうになったそうだ。寸前で踏ん張ることができたのはレキシーの運動神経が良かったからだろう。元駆除人であったからこそ咄嗟の異変に応対することができたに違いない。
しかもその時に振り向いてその場から逃げ出そうとする犯人の顔を目撃したらしい。カーラには転んでもただでは起きないというのが逞しい性格をした母らしく思えた。
「……そいつの顔はね、少し前にハワードが医師会の力を使って不正入学させたバカ学生の一人だった。名前は……そう、サムって言ったね」
「でも、どうして私たちの標的であるはずのハワードの取り巻きがお母様を?」
「……こいつは推測だけどね」
レキシーがフォークを片手に自身が狙われる理由を語っていく。それはレキシー自身があの強盗事件の夜に強盗事件を起こした目撃者の一人であるからだということだ。恐らく、これ以上レキシーに騒がれては不味いからという理由でレキシーを口封じに追い込もうとしたのだろう。
それを聞いたカーラは怒りに震えていた。自分たちの都合によって平気で人の命を奪うような議員や学生たちに対して途方もない憎悪を燃やしていたのである。
今すぐにでも自身の得物である針を使って学生たちを仕留めてやりたい衝動に駆られた。
しかしその一方でレキシーは冷静だった。それどころか口元にはうすら笑みさえ浮かべていた。
「お、お母様ッ!正気でして!?あの方々は平気でお母様を手に掛けようとしたのですよッ!」
「だからと言って事前に立てた計画を前倒しにしてもいいことはないよ。こっちの都合が狂うだけさ。ねぇ、カーラ。あんた昔から『美味しいものは最後に取っておく』っていうのが主義だったよね?」
レキシーの目が怪しげに光る。
「え、えぇ、そうですけれど」
「ならば、先に食べず、最後に取っておこうよ。美味しいものっていうのは最後に食べてこそ輝くんだからねぇ」
レキシーの言葉は的を射ていた。カーラはそれを聞いて納得したように首を縦に動かすより他になかった。
それからも学生たちによるレキシーへの襲撃はあの手この手と変えて続けられたが、その度にレキシーは華麗な身のこなしで学生たちの襲撃を交わしていき、反対に学生たちに煮え湯を呑ませ続けていたのである。
次々と手を変えて襲撃を行う学生たちをいなし続けたお陰か、計画実行の準備期間レキシーは常に上機嫌であった。この期間の間に駆除人たちは地図を使ったシュミレーションや得物の扱い方を練習していたのだが、レキシーは仲間たちに向かって朗らかな笑みを向けていたほどであった。
そんなレキシーや駆除人たちとは対照的に学生たちは襲撃を受けても耐え続けるレキシーに対して不満を募らせていたのか、定例として週末に別荘に集まる時も愛車として親に与えられた白塗りの外国製高級車の中で存分に文句を垂れていた。
もちろん大恩あるハワードに不満があるから、と当たり散らすわけにはいかない。しかし適当な人物を拉致して車に引き摺り込もうにも時間は深夜。それに加えて、学生たちが待機しているのは王都の外れ、それも州近くの山へと繋がる暗い道筋だ。人など通るはずがない。よしんば通ったとしてもそれは人ではなく車だ。そのため今回学生たちが鬱憤を晴らす相手として選んだのはいつも呼んでいるコンパニオンであった。
車に乗せ、別荘に着いたらどういう目に遭わせてやろう。そんな邪な野望を抱いていた時のことだ。
学生たちの乗る車の前に袖が付いた派手な赤いドレスを着た見た目麗しい女性の姿が見えた。
ヘッドライトで照らされる姿はステージ上で流行りの曲を歌うアイドルのように美しかった。実際に彼女の服装も美しく素敵な赤いドレスに加えて両手には純白の手袋までも嵌めていた。その彼女が車の前に躍り出たかと思うと、右手を振り上げて車を停めたのである。
「お車を停めていただき誠にありがとうございます。私今回皆様方を楽しませるために『ヘリオス』から派遣させていただきました。レイリア・スコットと申しますわ。本日はよろしくお願い致します」
レイリア・スコットというのはカーラが考えた偽名である。当初は本名を名乗る予定であったのだが、練習の最中に学生たちが狙っているレキシーと同じ苗字だというのは危ないというギークからの提言を受けて変更となったのだ。
なおスコットという苗字は提言を行ったギークから、レイリアという名前はカーラが愛読している島国から輸出されたライトノベルの登場人物から取られている。『ヘリオス』というのはカーラがアニメ雑誌から見つけたクライン国産のアニメ作品の主人公の名前から取った名前であった。
無論そんな事情など知る由もなかった学生たちはレイリア・スコットを名乗る美人コンパニオンを車の中へと招き入れ、下心を隠しながら別荘地へと運んでいく。
その近くの物陰ではカーラが学生たちの車へと乗り込んだことを確認し、距離が取られたのを測ってから助手席に乗ったギークと共にワゴン車を動かした。
その隣には上等の二輪車に腰を掛けたヒューゴが並走していた。
こうしてデューク・ハワード並びにその取り巻きたちを駆除するための計画は幕を開けたのである。
車はしばらくの間人の来ない山道を走っていたが、やがて高地に存在する別荘前の駐車場に辿り着くのと同時にコンパニオンに扮したカーラの手を取ってデュークが待つ別荘へと歩いていった。
学生たちの車が駐車場に停まったのを確認すると、少し離れた場所に三人はそれぞれの乗り物を隠し、己の得物を懐に忍ばせてから闇に紛れて学生たちの背後をつけていく。
にこやかな笑みを浮かべる学生たちはその背後に自分たちの命を狙う存在がいるとも知らずに彼らは上機嫌でこれからのことを考えて、別荘の扉を開いた。
通常ならば長椅子の上でいつもは愛想良く冷やしたワインを持って待ち構えるハワード議員が今日のところはどこか不機嫌な様子で自分たちを待ち構えるデュークの姿が見られた。
「お前たち、ここ最近はずっとレキシーの始末に失敗したというのによくのうのうとワシの前に顔を出せたものだな」
デュークは眉間に皺を寄せ、あからさまに不機嫌な態度を全身から漂わせて言った。そして、
「何をやっていた?」
と、続けられると学生たちも返す言葉が出てこない。反論の代わりに学生の一人が人身御供として赤いドレスを着たカーラをデュークの前に突き出す。
「ほ、ほら見てくださいよ。こんな美人のコンパニオンを道で拾ったんです。オレたちはいいですからハワードさんが楽しんでくださいよ」
女性を物扱いしている学生たちの態度にカーラは反感を覚えたが、あと少しの命だと考えると生暖かい気持ちで見れるというものだ。カーラは学生たちの期待に応えるようにデュークに対して一礼を行っていく。
デュークはドレス姿のカーラを一瞥した後でフンと鼻を鳴らしたものの、思うところはあったらしい。別荘の寝室にカーラを連れてくるように指示を出す。
学生たちはデュークの指示に従うことを決めた。一斉に頭を下げ、カーラの手を引いて寝室へと消えていくデュークの姿を見てから彼らは別荘の居間へと集い、酒盛りを始めていく。
これから学生たちにとってはレキシーを仕留められなかったということやせっかく拾った美人コンパニオンをデュークに横取りされてしまったという憂さを晴らすため、別荘の中に集めていた酒を使っての宴会が始まる予定となっていた。
だが、その宴会は別荘の扉に投げ付けられた小石によって遮られてしまったのだ。
行う予定であった宴会を遮られ、不機嫌になったサムが乱暴な手付きで別荘の扉を開いた。
「誰だ!?」
だが、当然のことに返答は返ってこない。犯人が誰であるのかも分からないため、やむを得ずにサムが扉を閉めた瞬間にもう一度扉に向かって小石が投げられた。二度目の投石に対してサムは堪忍袋の尾が切れたらしい。
居間の暖炉の上に飾られている猟銃を手に取り、携帯端末の懐中電灯機能を用いて犯人探索へと躍り出た。
しばらくの間サムは僅かな光だけを頼りにあちこちを歩き回っていたのだが、その時に不意に口元を押さえ付けられた。
サムは慌てて背後を振り返ろうとしたが、その前に自身の胸を何者かの手によって鋭利な刃物で貫かれてしまいサムは地面の上に倒れ込む。突然のことであった。片手に握っていた猟銃を使う暇もなく倒れてしまったのである。
それでもまだ息はあった。せめて最後に犯人の顔を見て仲間たちに教えてやろう。そんな思いから手を震わせて携帯端末を上げていたが、その前にもう一度鋭利な刃物で喉を貫かれてしまい、今度こそサムは息絶えた。
ここで生死確認のため犯人ーーヒューゴはサムの前にしゃがみ込む。サムの息は完全に絶えていた。自身の得物である剣に付着した血液をサムの服で拭うと、そのまま別荘の近くへと戻っていったのであった。
別荘では残りの三人が居間に用意された長椅子に腰を掛けながらいつまで経っても返ってこないサムを気に掛けていた。
「なぁ、サムのやつ遅くねぇか?」
「確かにな、様子が変だ」
「オレたちの手で見に行くか」
三人はそれぞれが携帯端末を持ち寄り、それに付属している懐中電灯機能を使って夜の闇の中を探索し始めていく。
しばらくの間は三人揃って探索を行なっていたが、やがてそのうちの一人がある提案を行う。
「おい、トム、ケビン、オレはハワード議員の別荘の近くを探す。お前らは奥の方を探しておいてくれ」
「わかった。エリス、お前も気を付けろよ」
こうして三人で別れての探索が行われることになったのである。これに関しては好都合であった。
まず、真っ先に襲われたのは単独行動を行うことになったエリスであった。エリスは闇の中に潜んで仲間と共に別荘の様子を窺っていたヒューゴの手によって突然左横から襲撃を受け、剣で背中を貫かれる羽目に陥ってしまったのだ。
不幸中の幸いか、エリスの背中に貫かれた剣はすぐに引き抜かれた。エリスは自らの拳を振るってすぐに背中からの襲撃者に対して反撃を試みたのだが、胸部を強く蹴られて地面の上に押し倒されてしまった。
地面の上に倒れたエリスはそのままゆっくりと立ち上がっていき、体を起こしたのだが、立ち上がる前に容赦なくその首元に剣を貫かれてしまったのである。
首の正面から剣を受けたエリスは悲鳴を上げることすら許されず冥界王の元へと旅立ってしまうことになった。
ヒューゴは先ほどと同様に事切れたエリスの衣服で剣に付着した血液を拭い取ると、そのまま闇夜に紛れて別荘地を後にした。
トムとケビンはエリスの悲惨な死に際も知らずに呑気な会話を繰り出しながら居なくなったサムを探していた。
「しかしよぉ、トム、サムが見つかったらどうだ?久し振りに研究室にでも顔を出さないか?」
「おっ、いいな」
「それでよぉ、あの気の弱そうななんとかって奴に思いっきりクラッカーをぶちまけてやろうぜ」
「いいなッ!あいつの顔にクラッカーをぶち撒けるなんて想像するだけで笑えるよな」
当然ではあるが人に向かってクラッカーを放ってはならない。クラッカーの説明書にも人に向けてクラッカーを受けてはならないと記されている。それにも関わらず、二人は身勝手な理由で人に向かってクラッカーを放とうとしているのだ。
それ以外にも二人が下賤な話題で盛り上がっていた時のことだ。
「ウォォォォォォ」
と、突然トムが野獣のような悲鳴を上げたのだ。かと思うと、そのまま地面の上に引っ張られるように勢いよく倒れ込んでしまったのだ。
「お、おい!トム!?どうした!?」
異変が発生したトムに対して慌ててケビンが気遣うような態度を示した時のことだ。
「どうもしないよ」
と、背後から声変わりの済んでいない可愛らしい声が聞こえてきた。かと思うと同時に自身の首元に糸のようなものが絡み付いていく。闇夜の中で怪しく光るそれが危険なものであるのかは十分に理解できた。ケビンが慌てて自身の首元に巻き付いたものを両手で解こうとした時のことだ。
それは強い力で引っ張り上げられていき、ケビンの呼吸を奪っていく。
急速にケビンの体が異変を起こしていく。正常であったはずの血流は異変を起こし、ケビンの顔を青く染め上げている。
そればかりではない。正常な呼吸さえも奪っていっているのだ。それでも体を取り返すためにバタバタと暴れ回れたのだから大したものである。
しかし最後の抵抗さえも首元に巻き付いたそれが骨を折った時に終えることになったのである。
ギークはそれを見届けると、ケビンの首元に巻き付いていたピアノ線を回収して懐の中に仕舞い込む。
隣ではトムの体に貫いた短剣を回収して、トムの衣服で短剣に付着した血液を拭い取るレキシーの姿が見られた。
「レキシーさん、お疲れ様、どう?自分を襲ってきた奴らに対して自分で報復を行った気分は?」
ギークは含み笑いを浮かべながら問い掛けた。
「あぁ、最高の気分だね。晴々とした気持ちっていうのは今の状況を指していうのかもねぇ」
「流石はレキシーさん。さて、あとの二人はヒューゴが片付けているはずだし、ぼくらは車に戻ろうか」
レキシーはギークの言葉を首肯した。残りの二人の仕事はカーラがデューク・ハワードを仕留めるまでの時間稼ぎとカーラが駆除を終えた際の送迎係の役だけである。
その役割を果たすために携帯端末や警察の捜査線を撹乱するために車の中に残しているノートパソコンで遠隔操作を行わなければならないのだ。
車から離れた今は自動プログラムに任せているが、あくまでもそれは短時間に限定される。当然ではあるが、自力で遠隔操作を行った方がいいのだ。
ギークは車に戻る道の中でレキシーにパソコンの極意を教えていたが、どうも旧世紀生まれの古い頭を持つレキシーには難しい話題であったらしい。ギークの出す訳のわからない単語に始終肩をすくめることしかできなかった。
デュークが長い語り時間を終えてカーラへと迫り始めたのはギークとレキシーがトムとケビンの両名を仕留め終え、ちょうど車へと乗り込んだ時のことであった。
「さてと、ミス・スコット。キミはこれから私と共に幸福な時間を過ごすことになるんだよ」
「幸福な時間?」
カーラはデュークから渡された赤ワインの入ったグラスを片手に問い掛けた。
「その通りだ。これからキミは今をときめくデューク・ハワードと甘いひと時を過ごすことになるのだよ」
デュークはコンパニオンを相手に長々ともったいぶって意味のない演説を続けた挙句に最後は己の三大欲求に従うという汚職議員ならではの行動に出ようとしていた。
しかも台詞を妙にもったいぶっているのが腹が立った。カーラは侮蔑の色を隠すことなくデュークを睨んでいると、デュークがカーラの異変に気が付いたらしい。眉間に青筋を立てながらカーラへと迫っていく。
「なんだね?その目は?」
「いいえ、ただ長々とワインを片手に無駄話をして生産性がないお方だなぁと思っただけですわ」
カーラの正直な一言はデュークの逆鱗に触れたらしい。両手を震わせながらカーラを寝台の上に押し倒し、その首元を押さえ付けていく。
「黙れッ!平民の小娘が貴族院議員デューク・ハワードを侮辱するのか!?」
デュークの中にもう下心はなかった。彼の心の中に存在しているのは怒りだけだ。平民の小娘こどきが自身を侮辱したという貴族ならではの傲慢な怒りだけが彼をもっとも愚かな行動へと突き動かしていたのである。
デュークは信じ切っていた。事実今自分が憎しみを込めた手で絞め上げている相手が普通のコンパニオンであったのならばきっとデュークは怒りに身を任せた後であったとしても、いつも通りの日常を過ごせていたに違いない。
だが、今回は相手が悪かった。レイリア・スコットことカーラは害虫駆除人なのだ。カーラはデュークが自身の首元を絞め上げている中でも冷静に袖の下に隠していた針を引っ張り出し、そのままデュークの喉頭へと突き刺した。
最初針が喉元に直撃した時デューク何が起こったのか、理解できずにいたが、次第に痛みが全身に伝わっていくと、耐えきれずにベッドの上から転げ落ちていく。そしてそのまま出血元である喉元を両手で抑え地面の上でのたうち回っていく。デュークは喉頭を潰されてしまったために悲鳴を上げることもできなかったのだ。
そんなデュークを見下ろしながらカーラは意地の悪い笑みを浮かべながら問い掛ける。
「どうでして?でも、今の苦しみはあなたが行ってきた悪業の何十分の一ににもなりませんのよ」
カーラの冷たい声に対してデュークは何やら言いたげであったが、喉頭を潰されてしまったために満足に言葉を発することさえできなかった。
それでも生きたいという本能は働いたのか、寝台の近くにあるドレッサーの上に置いていた自身の携帯端末を取り上げて助けを求めようとした。
だが、いくらメッセージアプリからメッセージを送信しようとしても必ずエラーの文字が浮かび出てくるのだ。
夢中になって携帯端末を打っていたデュークに対して針を片手にしたカーラは勝ち誇ったように言い放った。
「あら、私の仲間がこの近くで妨害電波を流しておりますので、通話やメールは一切使えませんのよ」
今のデュークにとって助けを呼ぶことができないという一言は死刑宣告にも近いものだった。その後はやけになったのかカーラへと飛び掛かっていったが、そんな稚拙なものをカーラが喰らうはずがなかった。
カーラは華麗に空を飛ぶ蝶が凶悪な虫の攻撃をその羽でしなやかに交わすようにデュークの攻撃を避け、そしてそのまま延髄に向かって躊躇うことなく針を打ち込んだのである。
ヒュッという短い音が聞こえたかと思うと、そのままデュークは息絶えてしまったのだ。
いくら強い政界や財界に強い力を持つ議員であったとしても人体の急所を打たれれば冥界王の元へと旅立ってしまうものであるらしい。恐らく冥界王の元ではデュークが持っていたコネクションも金も地位も役に立たず、裁かれるだけだろうから後はその魂を魔犬によって食い散らかされるだけとなるだろう。
カーラは針を回収し、袖の下に戻すとかねての約束通り別荘地の近くに停めていた白いワゴン車の中に乗り込む。
助手席ではギークがノートパソコンを相手に何やらカタカタと打っていたので、カーラは必然的に後部座席に座ることになったのである。
「で、どうだい?カーラ?」
「バッチリですわ。延髄を……ね」
娘の意味深な笑いを見たレキシーは同じような笑みを浮かべていく。そしてそのまま白いワゴン車を動かして自宅へと戻っていくのであった。
メッセージアプリにはヒューゴが既に二輪車を使って自宅へと戻っているということが確認されている。そのため残るはギークをどこで下ろすかということだ。
初めレキシーはギークを家の前で下ろすということを計画したが、ギークはその提案に対して首を横に振った。
「家の前だとバレる危険性が高まります。ぼくとしては駅の近くで下ろしてくれれるだけでいいんで」
と、自ら申し出たので、その後は自宅まで歩いていき、こっそりと自室に戻るということだそうだ。ギークの要望に応えて、彼を最寄りの駅まで下ろすと、後は母娘だけだ。そのため自宅までの道の間で積もる話を行なっていた。
「へぇ、ハワードの不正をギークがまとめてねぇ」
「えぇ、今回の事件の捜査が行われるのと同じタイミングで週刊誌やら新聞社やらインターネット上にぶち撒けるそうですわ」
レキシーはそれを聞いて感心した。ギークの手抜かりのなさは完璧である。これによってハワードの恩恵を受けた勢力がこの事件を追及しようとしても追及していくのは難しくなっていくだろう。
更に加えればハワードの力を借りてレキシーから助教の地位を奪い取ったあの男も困惑することになるだろう。ハワードの横暴を黙認した院長も痛い思いをするかもしれない。
そうしたことを想像してしまったからか、レキシーは上機嫌に鼻歌を歌いながらハンドルを切っていた。その後も車は事故もなく自宅へと辿り着いた。
二人が車から降りると、辺りの景色がすっかりと白んでいたことに気が付いた。
「おや、もうこんな時間かい」
「えぇ、どうです?お母様?この後に料理を楽しむというのは?」
「いいねぇ、ちょうど家ン中に買い置きしてた冷凍のパスタがあるんだよ。それと昨日作ったビーフシチューを合わせて食べるってのはどうだい?」
カーラはそれを聞いて両手を叩いた。早めの朝食としては最適のメニューだ。できることならば駆除の疲れを癒すためにそれを平らげた後には自室でゆっくりと眠りたいというのが今のカーラにとっての最大の望みであった。
無論望みはすぐに叶えられたが、問題が発生したのは夜である。夜に目覚めた時に翌日の準備をしていると、課題のことを忘れて大慌てになってしまったことは今後二度と起こしてはならない戒めとなったのであった。
幾ら昼間の間によく眠れたとしても課題の遂行によって寝不足になってしまったことから昨日とは一転して浮かない気持ちで学校に行き、教室に入っていくと、自身の背後にある席で顔を沈めたヒューゴの姿が見えた。
「どうなさったんですの?ヒューゴさん?」
「どうもこうもないですよ」
と、小さな声で吐き捨てたかと思うと、こっそりとカーラの耳元で囁いていく。
「実はさぁ、昨日帰った後にずっと寝てて、起きたのが今日の朝なんです。それで、宿題を忘れちゃったんだよね」
「……本当ですの?」
「そうだよッ!お陰で今日は宿題忘れたことになったということに……」
「なってしまうも何も事実ではございませんの。私みたいに途中で起きられればよかったのに」
「それができれば苦労しないよッ!頼むッ!宿題見せてくれッ!」
ヒューゴの泣き付きに対して鬱陶しいと思いつつも貸してしまうのは駆除人としての仲間意識が働いているからだろうか。
カーラが黙って通学鞄から宿題を渡そうとした時のことだ。
「待て、宿題というのは自分でやってこそ価値があるんだ」
と、背後から聞こえてきたフィンの声によって止められてしまった。
「げっ、フィン先生!?」
「そうだろ?ヒューゴ?」
ヒューゴの驚いた声を無視してフィンは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら問い掛ける。フィンは実習生といえども教師は教師。週末の放課後に予想だにしない口撃を喰らわされた反撃をするつもりなのだろう。担任教師よりも先に教室に入っていたのは何か事情があってのことなのだろうが、それでもフィンにとっては功を奏したことになるだろう。
ヒューゴとしては今回に関しては反撃を行うことができなかった。フィンは教師として正しいことをしただけに過ぎないし、そもそもどのような理由があれ宿題を忘れた方が悪いのだ。反論できずに握り拳を作っているヒューゴを相手にフィンは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
カーラはそんな生徒に対して大人気ない口撃を行なって喜ぶフィンに対して心の中で密かに悪役令嬢モノの小説に登場する某キャラクターから『腹黒ドS王子』という称号を送っていたのである。
カーラが溜息を吐き、頬杖を突きながら目の前を見つめていると、担任の教師が現れてようやくホームルームを始めたのだった。窓からは暖かい日差しが差し込んできた。カーラは暖かい気持ちになれるということもあり、この日差しがカーラは好きだった。
こうして教師の話を聞き、自身の背後で見えない火花を散らして睨み合うヒューゴとフィンの姿を見ていると、あの晩の駆除は夢であったのかとさえ思う。
だが、あれもまた現実に起こったことなのだ。そしてこうして日常を送るカーラも闇夜に紛れて恨みを晴らすカーラも同じ人物であるのだ。
例の島国から伝わってきた言葉に『人は矛盾の上に成り立っている』というものがあるが、まさしく今の自分たちに当てはまる最高の言葉であるように思えた。
普通の人間であるのならばあのようなことを行った後で日常を送ることは難しいだろう。
だが、カーラたちは違う。これからも駆除人として晴らせぬ恨みを晴らしていくことだろう。これは一度ついてしまえばどんなに離れたくても離れられない業のようなものである。
そんな業を負いながらも生きていくのが人間というものだ。こうしてカーラたちの何気ない日常は幕を開けた。
そして、それは次の駆除の機会が巡るまで続いていくのであった。
一日遅れてしまい申し訳ありませんでした。思った以上に手間が掛かってしまいましたが、現代編はこれにて完結となります。
一話完結型ということなので、今回のエンディングはこれからも彼らの活躍が続いていくということを指す形で終わりとなります。
短い間でしたが、もう一度この作品を連載できて幸せでした。また機会があれば再開させていただくことになります。
ありがとうございました!!
煙草や葉巻によって生じた煙が室内に充満して辺りを灰色の匂いで覆い尽くしていく。もしここに煙草を吸わない人間がいれば眉を顰めるのだろうが、生憎ここはそういった愛好者たちが集まるいわゆるスモーキングルーム。それに加えて山奥の別荘地だ。さらにこの場所に集まっているのは煙草や葉巻が好きな人間ばかり。充満した煙を止める人間などいるはずがなかった。
その世間から隔離されたような別荘のスモーキングルームの中にいるのは学生と思われるカッターシャツに黒ズボンという格好をした四人の男たちの他にその中央で絹で仕上げた上等な青色のスリーピースーツを着た白い髭を生やした壮年の男性であった。
男の名はデューク・ハワード。医師会と深い繋がりを持つ貴族院の議員である。
祖先はクライン王国時代からの門閥貴族であったとされ、彼自身も貴族として相応しい帝王学のようなものを身に付けて育ってきた。
だが、昔から庶民からは蛇蝎の如く嫌われてきたずる賢い門閥貴族の子孫だということもあり、普通の人ならば躊躇する裏金作りにも彼は躊躇しなかった。
特に裏金で儲けた金を使い、デュークは父親ですら成し得ることができなかった別荘地の複数購入や年下の美人歌手をパートナーに添えるといった功績を成し遂げていたのだ。彼は裏金を上手く使うことによって物質的な快楽を手に入れることができたが、重要であるのはそればかりではない。彼は自身が所有する貴族院議員としての地位を使い、多くの財界の著名人とも太いコネクションを築き上げてきたのだ。先日別荘地にて冥界王の元へと旅立つことになった社長一家たち全員がハワード議員の知り合いであった。
そんな彼は貴族としての地位に相応しい堂々たる権威を纏ったような存在であった。要するに座っているだけでも絵になるというような人材である、と評するのがこの場合は適切だろう。堂々たる偉丈夫だというのもそれに拍を掛けているように思われた。
そんな彼は葉巻を片手にスモーキングルームの中心にある座椅子に腰を掛けて取り巻きとして使っている四人の医大生たちを見渡していく。
普段ならば五人なのだが、一人は尻尾切りに使われたためこの場にいる取り巻きは四人だけなのだ。
いささか寂しいようにも思われるが、彼はすぐに釈放される手筈となっていた。
というのも、先日冥界王の元へと家族と共に旅立った警察の上役との間に築き上げたコネクションはまだ存在しており、新たに就任した上役との間で新たなコネクションが築き上げられていたのだ。
デュークはそこまで考えたところで葉巻を下ろし、気ままに煙草を咥えている学生たちを見渡してから問い掛けた。
「さてと、お前たちに聞きたい。例えば自分が歩く前に蟻の集団がいたとしたらどうするかね?」
「踏み潰します」
その場にいた全員が声を揃えてデュークに向かって同意の言葉を示した。
学生の返答を聞いたデュークは満足気な笑みを見せて頷く。
「よろしい。実に模範的な回答だ。そこで、お前たちに命令する。医師のレキシーを始末しろ」
「レキシーを?どうして?」
「決まっている。本来であるのならばあいつに罪を着せてやるところだが、今回の一件では監視カメラという決定的な証拠が上がり、それが受理されてしまったからな……ワシといえどもこれ以上の圧力を掛けることは不可能だ」
「なるほど、冤罪で逮捕ができぬのならば口を封じてしまえ、と?」
「その通りだ。わかってるじゃないか」
リュークは学生たちの答えに満足したのか、大きく腹を抱えながら笑っていく。学生たちもリュークに釣られて笑い声を上げていく。
だが、すぐにリュークは顔から笑顔を消し、学生たちを見据えると低く厳格な声で言った。
「いいか、しくじりは許されん。あのババアがまた事件のことで騒ぎ始める前に始末しろ」
学生たちは首を縦に動かす。デュークにとってこの学生たちは自分が自由に動かすことができる兵隊のような存在だった。それでも一方的な従属関係にあるというわけでもない。デュークは学生たちを取り巻きにし、自分にとって始末の悪い相手を片付けてもらう代わりに彼らの悪事をもみ消しているのだ。彼が今回老姉妹の家に遊ぶ金目的の強盗で押し入った際もたった一人に罪をなすり付けることによって彼ら全体を守ったのがその証明のようなものだ。
いうのならばお互いに持ちつ持たれつの関係にある。上下関係はあるもののお互いに甘い汁を啜っている分、上下関係に不満を感じて抜け出すのは困難というものだろう。
そうした密接な関係であるからこそ学生たちが倒れれば自身も損害を受けるし、自身にもしものことがあれば学生たちも破滅に追い込まれる。
こうなれば今の関係を続けるより他にない。デュークは密かにこのシステムを『蟻地獄システム』と呼んでいた。
穴に深く深く潜り込んでいくほど、抜け出すのが困難になる蟻地獄のデュークが命名したのだ。
今後も学生たちには罪をもみ消してやる代わりに自分の手足となって働いてもらおう。デュークは葉巻を片手に密かに口元を歪めていたのだった。
「ミス・ドゥルーテッ!話を聞いているんですか!?」
カーラは担任の教師である中年の女性からの叱責を受けてようやく我に返ることができた。それまでのカーラは窓の外からぼんやりとオレンジの色へと染まっていく空と黄昏時のなんともいえない光に照らされる校庭を眺めて悦に浸っていたのだ。カーラは慌てて首を縦に振る。
中年の女性教師はそれを見て意地悪な笑みを浮かべて言った。
「よろしい。では、たった今読んでいたところを答えなさい」
「はっ、はい!」
カーラは慌てて国語の教科書を開いたのだが、先ほどまで別のことを考えていたせいかどこを喋っていたのかが分からなかった。乾いた笑みを溢すカーラに対して助け舟を出したのは後ろの席に座っていたヒューゴだった。
「15ページの二行目だよ」
カーラはヒューゴの助言に助けられ、二行目からの話を読んでいく。
題材として使われていたのは遠くの島国から輸入され、今ではクライン国の偉大な作家として知られることになったショータロー・イケナミの短編であった。異国の昔の文化を小説を通して学ぶということで現在のクライン国では人気の高い教材なのだ。
教科書に使われているのは時の老中と懇意な関係にある老人の剣士が同じく剣士である息子やその息子と共に事件を解決していくというものだった。
カーラは後に息子の恋人となる男装の麗人が敵の罠によってところまで読み終えると、ようやくそこで教師から音読を辞めることが許された。
それから中年の教師が満足したような顔を浮かべながらホワイトボードの上に今日カーラが音読していたところを纏めていると、授業終了を告げるチャイムの音が鳴り響いていく。
中年の教師はまだ授業を続けたかったようだが、なにせ時間が時間だということなので大人しく引き下がるしかないだろう。
それでもまだホワイトボードに記された内容を写せていない者のために残りは次の先生が消すことになっていた。
カーラがホワイトボードを見て、ノートに授業の内容をまとめていると、ヒューゴがシャープペンシルの先端で背中を突いてきた。
「何をするんですの?」
「確かに決行の時は近付いてきてるけど、あんまりおかしな行動をするなよ。普段通りに振る舞うんだ」
ヒューゴは声を顰めながら忠告の言葉を与えた。
「分かってますわ」
カーラは不満そうにヒューゴを睨んでからホワイトボードに記された内容をノートの上に書き記していく。
ちょうどカーラが写し終えた時のことだ。次の国史を担当する教師とその教師についてきた教育実習生のフィンとが同時にクラスの中へと足を踏み入れた。
フィンがクラスに足を踏み入れた瞬間になってカーラを除いた女子生徒から黄色い声援が上がっていく。まるで、自分の好きなアイドルを応援するかのような声援だ。
容姿端麗でモデルのように引き締まったスタイルをしたフィンはそれだけでも人気なのだが、何よりも実在の王子だというのも女子生徒からの人気を集める要因となっていた。本人は顔や王子という特殊なスペックだけではなく、あくまでも教育実習生だというだけで見られたくなかったようだが、女子生徒からすれば色眼鏡で見るなというのが無理というものだ。
カーラがそんなことを考えていると、今日の授業はフィンが担当するということらしい。女子生徒からはまたしても黄色い声援が上がっていく。
しかも今日の授業は奇しくも現王室にとって中興の祖ともいえる賢王フィンの話であった。
自分に祖先であり、同じ名前であるフィンを教えるという目の前のフィンの気分がどうであったのかは分からないが、授業そのものは質が高く満足のいくものであった。
王室ならではの視点や幼い頃から多くの文献を読まされてきたことから教科書に立たない多角的な視点からフィン王のことが語られ、実に分かりやすい授業であった。先ほどの国語の授業と異なり、ちゃんと時間の範囲内で収めたということも評価としては高く上げるべきだろう。
カーラはそんなことを考えながら今日の授業内容をノートに記していた。カーラがシャープペンシルを走らせていると、授業の終了を告げるチャイムの音が聞こえた。同時に女子生徒たちが質問にかこつけてフィンに擦り寄っていく姿が見受けられた。
フィンがそれを苦笑混じりに応対しているのを見て、カーラも釣られて苦笑してしまう。王子というのも大変だ。ましてや顔も良く、性格も良いという御伽噺に出てくるような王子であったのならば、それだけで女子生徒の心は鷲掴みにされてしまうに違いない。
そういった生徒たちに擦り寄られるのも宿命と言い切ってしまえばそうだが、フィンとしても好きで産まれたわけではないのだからそこは気の毒だ。
カーラは自身がよく読んでいる島国から輸出されたいわゆる悪役令嬢モノの小説に出てくる王子がそのような思いを抱えていることを思い出していた。
結局フィンの周りに集まった女子生徒たちは担任の教師によって強制的に解散させられ、ホームルームが始まることになった。
それが終わると、カーラは学習塾へと向かうためにヒューゴと別れ、校庭に向かっていた時のことだ。
「待ってくれ」
と、背後から声を掛けられた。カーラが振り返ると、そこには弱々しい笑みを浮かべたフィンの姿が見られた。
カーラは悪役令嬢モノのライトノベルに描かれるような淑女らしく制服のスカートの両裾を掴み、一礼を行う。
「あら、これはフィン先生……ご機嫌麗しゅうございますわ」
「なぁ、カーラ。どうしてきみは他の女子生徒みたいにおれの元に来ないんだ?」
迷っているような口ぶりからはフィンが嫌味から先ほどの言葉を言っているわけではないことが理解できた。それでもどこか素直になれなかったのだろう。カーラは唇を尖らせながら意地悪い調子で返した。
「あら、レディならば誰でも素敵な王子であらせられる先生の元へと追い掛けてくるとでもお思いになられましたの?それは少し身勝手な自惚というものではございませんの?」
「……そんなわけじゃない。ただ不思議だっただけだ」
そう答えるフィンの口調はどこか弱々し異モノだった。予想外に自分の回答が鋭過ぎたのかもしれない。思った以上に打ちひしがれる姿を見て少し気の毒になったカーラは先ほどよりも柔らかな口調で言葉を返すことにした。
「フフッ、少し意地が悪うございましたわ。答えは私がアニメいわゆる二次元にしか興味がないからですわ。あっ、失礼、遠い国から輸入されたファンタジー時代劇も好きでしたわ」
カーラはそれだけを言い残すと、学習塾へと向かうためにそのまま姿を消した。手を伸ばして姿を消したカーラの背中を追っていた。
そのまま大きな声でカーラを呼び止めようとした時のことだ。
「諦めな、カーラがあんたに靡くことはないよ」
と、背後から嫌味に満ちた声が聞こえてきた。
「ヒューゴか?」
その問いに対して背後から現れたヒューゴは迷うことなく首を縦に動かした。フィンにとってヒューゴはもはや単なる生徒から王子である自身が見出した将来有望な人物へと変わっていた。
フィンがヒューゴに対してそうした印象を持つようになったきっかけは少し前に何者かの手によって冥界王の元へと旅立った前校長からいじめられっ子を庇ったことによって叱られたという一件とその校長に対して怯むことなく、抗議の言葉を浴びせたというこの二つであった。
だが、そんなフィンからの印象など知る由がないヒューゴは嫌味ったらしい口調でフィンを敢えて挑発的させるようなことを平気で言い放ったのである。
「残念でしたね。カーラがあんたに靡かなくて。生憎だけれど、カーラはアニメかゲームのキャラにしか興味がないんですよ」
「そうか?おれはよくインターネット上ではゲームやアニメのキャラになぞらえられることが多いがな」
自身が抱いている評価はそれとして売られた喧嘩は買うつもりであるらしい。フィンはヒューゴに対して負けじと言い返したのである。
予想外の反撃にヒューゴは面食らったような顔を浮かべていたが、すぐに態勢を取り戻し、反撃を開始したのである。
「中にはそう考える人もいるでしょうけど、カーラはそういう人たちとは違うんです。残念でしたね」
「まだ分からないぞ」
フィンがヒューゴに対して次なる反論を口に出そうとした時、どうして自分がここまでカーラに対して言葉が出るのかが分からなくなっていた。多くの女子生徒が自分に言い寄っていく中でカーラだけが自分を他の実習生と同じ扱いで接してくれているからだろうか。
はたまた自身がヒューゴに好感触を抱いたのと同様にカーラにも同じような思いを抱いていたからだろうか。
ここまで考えてもフィンには結論が出なかった。しかし論戦の途中でヒューゴも同じような疑問を胸に抱いたらしい。
向こうでも首を傾げる様子が見受けられた。お互いに言葉さえ出なくなっていた。このまま永遠に決着が付かないまま終了することになるのかと思われたが、意外にもその決着を付けたのは第三者であった。
「ねぇ、ちょっといいかな?ヒューゴ?」
と、ギークが間に入ってきたのだ。パソコンの入った袋を持っていることから彼が普段所属しているパソコン研究会の帰りであることは間違いあるまい。ギークに手招きされ、ヒューゴはフィンの元から離れていく。
「どうしたんだよ?ギーク?」
「……レキシーさんが何者かに襲撃されたんだ」
単純な一言ではあったが、それはヒューゴを凍り付かせるのに十分であった。ギークに詳細を問うと、ギークは自身の元に届いた携帯端末のメッセージボックスを操作して病院で勤務している最中に何者かによって階段の近くで背中を押されたということを教えていく。
幸いにもレキシーは足を留めて無事だったそうだが、それでも誰かに狙われているのかということは確かなのだ。
このメールはヒューゴにも届いていたらしいが、ヒューゴはフィンとの言い争いに夢中になってメールの着信に気が付かなかったのだ。
「……もしかしたらぼくたちもレキシーさんを狙った人たちに狙われるかもしれないね」
「ば、バカな!?」
だが、そうではないとは言い切れない。自身が何者かによって襲われるということを考えた時ヒューゴは自身の両肩が強張り、狭まっていくのを感じた。
一方、カーラは塾で講義を受けていたということもありレキシー襲撃の報告を受けたのは深夜になり、塾から帰るバスに乗った時のことだ。母親自身によるメールやら仲間たちのメールでようやくそのことを知ったのである。
慌てて自宅に戻ると、そこにはいつも通り和かな顔で夕食を用意するレキシーの姿が見受けられた。
「……よかった」
帰宅するなり出た一言が安堵の言葉であった。そのまま力が抜けたのか、カーラは玄関先で脱力した。それを見たレキシーは何も言うことなく優しくその頭を撫でていく。
カーラはレキシーから夕食として食卓の上に並べられたミートソーススパゲッティとレタスのサラダ、ロールパンをつまみながら襲撃の詳細を聞くことになった。
レキシーはその時病院で自身に割り当てられた部屋で書類を書き終えて、一階にある受付へと向かおうとしていたのだ。
階段を降りようと一段目に足を踏み入れた時に何者かの手によって突き落とされそうになったそうだ。寸前で踏ん張ることができたのはレキシーの運動神経が良かったからだろう。元駆除人であったからこそ咄嗟の異変に応対することができたに違いない。
しかもその時に振り向いてその場から逃げ出そうとする犯人の顔を目撃したらしい。カーラには転んでもただでは起きないというのが逞しい性格をした母らしく思えた。
「……そいつの顔はね、少し前にハワードが医師会の力を使って不正入学させたバカ学生の一人だった。名前は……そう、サムって言ったね」
「でも、どうして私たちの標的であるはずのハワードの取り巻きがお母様を?」
「……こいつは推測だけどね」
レキシーがフォークを片手に自身が狙われる理由を語っていく。それはレキシー自身があの強盗事件の夜に強盗事件を起こした目撃者の一人であるからだということだ。恐らく、これ以上レキシーに騒がれては不味いからという理由でレキシーを口封じに追い込もうとしたのだろう。
それを聞いたカーラは怒りに震えていた。自分たちの都合によって平気で人の命を奪うような議員や学生たちに対して途方もない憎悪を燃やしていたのである。
今すぐにでも自身の得物である針を使って学生たちを仕留めてやりたい衝動に駆られた。
しかしその一方でレキシーは冷静だった。それどころか口元にはうすら笑みさえ浮かべていた。
「お、お母様ッ!正気でして!?あの方々は平気でお母様を手に掛けようとしたのですよッ!」
「だからと言って事前に立てた計画を前倒しにしてもいいことはないよ。こっちの都合が狂うだけさ。ねぇ、カーラ。あんた昔から『美味しいものは最後に取っておく』っていうのが主義だったよね?」
レキシーの目が怪しげに光る。
「え、えぇ、そうですけれど」
「ならば、先に食べず、最後に取っておこうよ。美味しいものっていうのは最後に食べてこそ輝くんだからねぇ」
レキシーの言葉は的を射ていた。カーラはそれを聞いて納得したように首を縦に動かすより他になかった。
それからも学生たちによるレキシーへの襲撃はあの手この手と変えて続けられたが、その度にレキシーは華麗な身のこなしで学生たちの襲撃を交わしていき、反対に学生たちに煮え湯を呑ませ続けていたのである。
次々と手を変えて襲撃を行う学生たちをいなし続けたお陰か、計画実行の準備期間レキシーは常に上機嫌であった。この期間の間に駆除人たちは地図を使ったシュミレーションや得物の扱い方を練習していたのだが、レキシーは仲間たちに向かって朗らかな笑みを向けていたほどであった。
そんなレキシーや駆除人たちとは対照的に学生たちは襲撃を受けても耐え続けるレキシーに対して不満を募らせていたのか、定例として週末に別荘に集まる時も愛車として親に与えられた白塗りの外国製高級車の中で存分に文句を垂れていた。
もちろん大恩あるハワードに不満があるから、と当たり散らすわけにはいかない。しかし適当な人物を拉致して車に引き摺り込もうにも時間は深夜。それに加えて、学生たちが待機しているのは王都の外れ、それも州近くの山へと繋がる暗い道筋だ。人など通るはずがない。よしんば通ったとしてもそれは人ではなく車だ。そのため今回学生たちが鬱憤を晴らす相手として選んだのはいつも呼んでいるコンパニオンであった。
車に乗せ、別荘に着いたらどういう目に遭わせてやろう。そんな邪な野望を抱いていた時のことだ。
学生たちの乗る車の前に袖が付いた派手な赤いドレスを着た見た目麗しい女性の姿が見えた。
ヘッドライトで照らされる姿はステージ上で流行りの曲を歌うアイドルのように美しかった。実際に彼女の服装も美しく素敵な赤いドレスに加えて両手には純白の手袋までも嵌めていた。その彼女が車の前に躍り出たかと思うと、右手を振り上げて車を停めたのである。
「お車を停めていただき誠にありがとうございます。私今回皆様方を楽しませるために『ヘリオス』から派遣させていただきました。レイリア・スコットと申しますわ。本日はよろしくお願い致します」
レイリア・スコットというのはカーラが考えた偽名である。当初は本名を名乗る予定であったのだが、練習の最中に学生たちが狙っているレキシーと同じ苗字だというのは危ないというギークからの提言を受けて変更となったのだ。
なおスコットという苗字は提言を行ったギークから、レイリアという名前はカーラが愛読している島国から輸出されたライトノベルの登場人物から取られている。『ヘリオス』というのはカーラがアニメ雑誌から見つけたクライン国産のアニメ作品の主人公の名前から取った名前であった。
無論そんな事情など知る由もなかった学生たちはレイリア・スコットを名乗る美人コンパニオンを車の中へと招き入れ、下心を隠しながら別荘地へと運んでいく。
その近くの物陰ではカーラが学生たちの車へと乗り込んだことを確認し、距離が取られたのを測ってから助手席に乗ったギークと共にワゴン車を動かした。
その隣には上等の二輪車に腰を掛けたヒューゴが並走していた。
こうしてデューク・ハワード並びにその取り巻きたちを駆除するための計画は幕を開けたのである。
車はしばらくの間人の来ない山道を走っていたが、やがて高地に存在する別荘前の駐車場に辿り着くのと同時にコンパニオンに扮したカーラの手を取ってデュークが待つ別荘へと歩いていった。
学生たちの車が駐車場に停まったのを確認すると、少し離れた場所に三人はそれぞれの乗り物を隠し、己の得物を懐に忍ばせてから闇に紛れて学生たちの背後をつけていく。
にこやかな笑みを浮かべる学生たちはその背後に自分たちの命を狙う存在がいるとも知らずに彼らは上機嫌でこれからのことを考えて、別荘の扉を開いた。
通常ならば長椅子の上でいつもは愛想良く冷やしたワインを持って待ち構えるハワード議員が今日のところはどこか不機嫌な様子で自分たちを待ち構えるデュークの姿が見られた。
「お前たち、ここ最近はずっとレキシーの始末に失敗したというのによくのうのうとワシの前に顔を出せたものだな」
デュークは眉間に皺を寄せ、あからさまに不機嫌な態度を全身から漂わせて言った。そして、
「何をやっていた?」
と、続けられると学生たちも返す言葉が出てこない。反論の代わりに学生の一人が人身御供として赤いドレスを着たカーラをデュークの前に突き出す。
「ほ、ほら見てくださいよ。こんな美人のコンパニオンを道で拾ったんです。オレたちはいいですからハワードさんが楽しんでくださいよ」
女性を物扱いしている学生たちの態度にカーラは反感を覚えたが、あと少しの命だと考えると生暖かい気持ちで見れるというものだ。カーラは学生たちの期待に応えるようにデュークに対して一礼を行っていく。
デュークはドレス姿のカーラを一瞥した後でフンと鼻を鳴らしたものの、思うところはあったらしい。別荘の寝室にカーラを連れてくるように指示を出す。
学生たちはデュークの指示に従うことを決めた。一斉に頭を下げ、カーラの手を引いて寝室へと消えていくデュークの姿を見てから彼らは別荘の居間へと集い、酒盛りを始めていく。
これから学生たちにとってはレキシーを仕留められなかったということやせっかく拾った美人コンパニオンをデュークに横取りされてしまったという憂さを晴らすため、別荘の中に集めていた酒を使っての宴会が始まる予定となっていた。
だが、その宴会は別荘の扉に投げ付けられた小石によって遮られてしまったのだ。
行う予定であった宴会を遮られ、不機嫌になったサムが乱暴な手付きで別荘の扉を開いた。
「誰だ!?」
だが、当然のことに返答は返ってこない。犯人が誰であるのかも分からないため、やむを得ずにサムが扉を閉めた瞬間にもう一度扉に向かって小石が投げられた。二度目の投石に対してサムは堪忍袋の尾が切れたらしい。
居間の暖炉の上に飾られている猟銃を手に取り、携帯端末の懐中電灯機能を用いて犯人探索へと躍り出た。
しばらくの間サムは僅かな光だけを頼りにあちこちを歩き回っていたのだが、その時に不意に口元を押さえ付けられた。
サムは慌てて背後を振り返ろうとしたが、その前に自身の胸を何者かの手によって鋭利な刃物で貫かれてしまいサムは地面の上に倒れ込む。突然のことであった。片手に握っていた猟銃を使う暇もなく倒れてしまったのである。
それでもまだ息はあった。せめて最後に犯人の顔を見て仲間たちに教えてやろう。そんな思いから手を震わせて携帯端末を上げていたが、その前にもう一度鋭利な刃物で喉を貫かれてしまい、今度こそサムは息絶えた。
ここで生死確認のため犯人ーーヒューゴはサムの前にしゃがみ込む。サムの息は完全に絶えていた。自身の得物である剣に付着した血液をサムの服で拭うと、そのまま別荘の近くへと戻っていったのであった。
別荘では残りの三人が居間に用意された長椅子に腰を掛けながらいつまで経っても返ってこないサムを気に掛けていた。
「なぁ、サムのやつ遅くねぇか?」
「確かにな、様子が変だ」
「オレたちの手で見に行くか」
三人はそれぞれが携帯端末を持ち寄り、それに付属している懐中電灯機能を使って夜の闇の中を探索し始めていく。
しばらくの間は三人揃って探索を行なっていたが、やがてそのうちの一人がある提案を行う。
「おい、トム、ケビン、オレはハワード議員の別荘の近くを探す。お前らは奥の方を探しておいてくれ」
「わかった。エリス、お前も気を付けろよ」
こうして三人で別れての探索が行われることになったのである。これに関しては好都合であった。
まず、真っ先に襲われたのは単独行動を行うことになったエリスであった。エリスは闇の中に潜んで仲間と共に別荘の様子を窺っていたヒューゴの手によって突然左横から襲撃を受け、剣で背中を貫かれる羽目に陥ってしまったのだ。
不幸中の幸いか、エリスの背中に貫かれた剣はすぐに引き抜かれた。エリスは自らの拳を振るってすぐに背中からの襲撃者に対して反撃を試みたのだが、胸部を強く蹴られて地面の上に押し倒されてしまった。
地面の上に倒れたエリスはそのままゆっくりと立ち上がっていき、体を起こしたのだが、立ち上がる前に容赦なくその首元に剣を貫かれてしまったのである。
首の正面から剣を受けたエリスは悲鳴を上げることすら許されず冥界王の元へと旅立ってしまうことになった。
ヒューゴは先ほどと同様に事切れたエリスの衣服で剣に付着した血液を拭い取ると、そのまま闇夜に紛れて別荘地を後にした。
トムとケビンはエリスの悲惨な死に際も知らずに呑気な会話を繰り出しながら居なくなったサムを探していた。
「しかしよぉ、トム、サムが見つかったらどうだ?久し振りに研究室にでも顔を出さないか?」
「おっ、いいな」
「それでよぉ、あの気の弱そうななんとかって奴に思いっきりクラッカーをぶちまけてやろうぜ」
「いいなッ!あいつの顔にクラッカーをぶち撒けるなんて想像するだけで笑えるよな」
当然ではあるが人に向かってクラッカーを放ってはならない。クラッカーの説明書にも人に向けてクラッカーを受けてはならないと記されている。それにも関わらず、二人は身勝手な理由で人に向かってクラッカーを放とうとしているのだ。
それ以外にも二人が下賤な話題で盛り上がっていた時のことだ。
「ウォォォォォォ」
と、突然トムが野獣のような悲鳴を上げたのだ。かと思うと、そのまま地面の上に引っ張られるように勢いよく倒れ込んでしまったのだ。
「お、おい!トム!?どうした!?」
異変が発生したトムに対して慌ててケビンが気遣うような態度を示した時のことだ。
「どうもしないよ」
と、背後から声変わりの済んでいない可愛らしい声が聞こえてきた。かと思うと同時に自身の首元に糸のようなものが絡み付いていく。闇夜の中で怪しく光るそれが危険なものであるのかは十分に理解できた。ケビンが慌てて自身の首元に巻き付いたものを両手で解こうとした時のことだ。
それは強い力で引っ張り上げられていき、ケビンの呼吸を奪っていく。
急速にケビンの体が異変を起こしていく。正常であったはずの血流は異変を起こし、ケビンの顔を青く染め上げている。
そればかりではない。正常な呼吸さえも奪っていっているのだ。それでも体を取り返すためにバタバタと暴れ回れたのだから大したものである。
しかし最後の抵抗さえも首元に巻き付いたそれが骨を折った時に終えることになったのである。
ギークはそれを見届けると、ケビンの首元に巻き付いていたピアノ線を回収して懐の中に仕舞い込む。
隣ではトムの体に貫いた短剣を回収して、トムの衣服で短剣に付着した血液を拭い取るレキシーの姿が見られた。
「レキシーさん、お疲れ様、どう?自分を襲ってきた奴らに対して自分で報復を行った気分は?」
ギークは含み笑いを浮かべながら問い掛けた。
「あぁ、最高の気分だね。晴々とした気持ちっていうのは今の状況を指していうのかもねぇ」
「流石はレキシーさん。さて、あとの二人はヒューゴが片付けているはずだし、ぼくらは車に戻ろうか」
レキシーはギークの言葉を首肯した。残りの二人の仕事はカーラがデューク・ハワードを仕留めるまでの時間稼ぎとカーラが駆除を終えた際の送迎係の役だけである。
その役割を果たすために携帯端末や警察の捜査線を撹乱するために車の中に残しているノートパソコンで遠隔操作を行わなければならないのだ。
車から離れた今は自動プログラムに任せているが、あくまでもそれは短時間に限定される。当然ではあるが、自力で遠隔操作を行った方がいいのだ。
ギークは車に戻る道の中でレキシーにパソコンの極意を教えていたが、どうも旧世紀生まれの古い頭を持つレキシーには難しい話題であったらしい。ギークの出す訳のわからない単語に始終肩をすくめることしかできなかった。
デュークが長い語り時間を終えてカーラへと迫り始めたのはギークとレキシーがトムとケビンの両名を仕留め終え、ちょうど車へと乗り込んだ時のことであった。
「さてと、ミス・スコット。キミはこれから私と共に幸福な時間を過ごすことになるんだよ」
「幸福な時間?」
カーラはデュークから渡された赤ワインの入ったグラスを片手に問い掛けた。
「その通りだ。これからキミは今をときめくデューク・ハワードと甘いひと時を過ごすことになるのだよ」
デュークはコンパニオンを相手に長々ともったいぶって意味のない演説を続けた挙句に最後は己の三大欲求に従うという汚職議員ならではの行動に出ようとしていた。
しかも台詞を妙にもったいぶっているのが腹が立った。カーラは侮蔑の色を隠すことなくデュークを睨んでいると、デュークがカーラの異変に気が付いたらしい。眉間に青筋を立てながらカーラへと迫っていく。
「なんだね?その目は?」
「いいえ、ただ長々とワインを片手に無駄話をして生産性がないお方だなぁと思っただけですわ」
カーラの正直な一言はデュークの逆鱗に触れたらしい。両手を震わせながらカーラを寝台の上に押し倒し、その首元を押さえ付けていく。
「黙れッ!平民の小娘が貴族院議員デューク・ハワードを侮辱するのか!?」
デュークの中にもう下心はなかった。彼の心の中に存在しているのは怒りだけだ。平民の小娘こどきが自身を侮辱したという貴族ならではの傲慢な怒りだけが彼をもっとも愚かな行動へと突き動かしていたのである。
デュークは信じ切っていた。事実今自分が憎しみを込めた手で絞め上げている相手が普通のコンパニオンであったのならばきっとデュークは怒りに身を任せた後であったとしても、いつも通りの日常を過ごせていたに違いない。
だが、今回は相手が悪かった。レイリア・スコットことカーラは害虫駆除人なのだ。カーラはデュークが自身の首元を絞め上げている中でも冷静に袖の下に隠していた針を引っ張り出し、そのままデュークの喉頭へと突き刺した。
最初針が喉元に直撃した時デューク何が起こったのか、理解できずにいたが、次第に痛みが全身に伝わっていくと、耐えきれずにベッドの上から転げ落ちていく。そしてそのまま出血元である喉元を両手で抑え地面の上でのたうち回っていく。デュークは喉頭を潰されてしまったために悲鳴を上げることもできなかったのだ。
そんなデュークを見下ろしながらカーラは意地の悪い笑みを浮かべながら問い掛ける。
「どうでして?でも、今の苦しみはあなたが行ってきた悪業の何十分の一ににもなりませんのよ」
カーラの冷たい声に対してデュークは何やら言いたげであったが、喉頭を潰されてしまったために満足に言葉を発することさえできなかった。
それでも生きたいという本能は働いたのか、寝台の近くにあるドレッサーの上に置いていた自身の携帯端末を取り上げて助けを求めようとした。
だが、いくらメッセージアプリからメッセージを送信しようとしても必ずエラーの文字が浮かび出てくるのだ。
夢中になって携帯端末を打っていたデュークに対して針を片手にしたカーラは勝ち誇ったように言い放った。
「あら、私の仲間がこの近くで妨害電波を流しておりますので、通話やメールは一切使えませんのよ」
今のデュークにとって助けを呼ぶことができないという一言は死刑宣告にも近いものだった。その後はやけになったのかカーラへと飛び掛かっていったが、そんな稚拙なものをカーラが喰らうはずがなかった。
カーラは華麗に空を飛ぶ蝶が凶悪な虫の攻撃をその羽でしなやかに交わすようにデュークの攻撃を避け、そしてそのまま延髄に向かって躊躇うことなく針を打ち込んだのである。
ヒュッという短い音が聞こえたかと思うと、そのままデュークは息絶えてしまったのだ。
いくら強い政界や財界に強い力を持つ議員であったとしても人体の急所を打たれれば冥界王の元へと旅立ってしまうものであるらしい。恐らく冥界王の元ではデュークが持っていたコネクションも金も地位も役に立たず、裁かれるだけだろうから後はその魂を魔犬によって食い散らかされるだけとなるだろう。
カーラは針を回収し、袖の下に戻すとかねての約束通り別荘地の近くに停めていた白いワゴン車の中に乗り込む。
助手席ではギークがノートパソコンを相手に何やらカタカタと打っていたので、カーラは必然的に後部座席に座ることになったのである。
「で、どうだい?カーラ?」
「バッチリですわ。延髄を……ね」
娘の意味深な笑いを見たレキシーは同じような笑みを浮かべていく。そしてそのまま白いワゴン車を動かして自宅へと戻っていくのであった。
メッセージアプリにはヒューゴが既に二輪車を使って自宅へと戻っているということが確認されている。そのため残るはギークをどこで下ろすかということだ。
初めレキシーはギークを家の前で下ろすということを計画したが、ギークはその提案に対して首を横に振った。
「家の前だとバレる危険性が高まります。ぼくとしては駅の近くで下ろしてくれれるだけでいいんで」
と、自ら申し出たので、その後は自宅まで歩いていき、こっそりと自室に戻るということだそうだ。ギークの要望に応えて、彼を最寄りの駅まで下ろすと、後は母娘だけだ。そのため自宅までの道の間で積もる話を行なっていた。
「へぇ、ハワードの不正をギークがまとめてねぇ」
「えぇ、今回の事件の捜査が行われるのと同じタイミングで週刊誌やら新聞社やらインターネット上にぶち撒けるそうですわ」
レキシーはそれを聞いて感心した。ギークの手抜かりのなさは完璧である。これによってハワードの恩恵を受けた勢力がこの事件を追及しようとしても追及していくのは難しくなっていくだろう。
更に加えればハワードの力を借りてレキシーから助教の地位を奪い取ったあの男も困惑することになるだろう。ハワードの横暴を黙認した院長も痛い思いをするかもしれない。
そうしたことを想像してしまったからか、レキシーは上機嫌に鼻歌を歌いながらハンドルを切っていた。その後も車は事故もなく自宅へと辿り着いた。
二人が車から降りると、辺りの景色がすっかりと白んでいたことに気が付いた。
「おや、もうこんな時間かい」
「えぇ、どうです?お母様?この後に料理を楽しむというのは?」
「いいねぇ、ちょうど家ン中に買い置きしてた冷凍のパスタがあるんだよ。それと昨日作ったビーフシチューを合わせて食べるってのはどうだい?」
カーラはそれを聞いて両手を叩いた。早めの朝食としては最適のメニューだ。できることならば駆除の疲れを癒すためにそれを平らげた後には自室でゆっくりと眠りたいというのが今のカーラにとっての最大の望みであった。
無論望みはすぐに叶えられたが、問題が発生したのは夜である。夜に目覚めた時に翌日の準備をしていると、課題のことを忘れて大慌てになってしまったことは今後二度と起こしてはならない戒めとなったのであった。
幾ら昼間の間によく眠れたとしても課題の遂行によって寝不足になってしまったことから昨日とは一転して浮かない気持ちで学校に行き、教室に入っていくと、自身の背後にある席で顔を沈めたヒューゴの姿が見えた。
「どうなさったんですの?ヒューゴさん?」
「どうもこうもないですよ」
と、小さな声で吐き捨てたかと思うと、こっそりとカーラの耳元で囁いていく。
「実はさぁ、昨日帰った後にずっと寝てて、起きたのが今日の朝なんです。それで、宿題を忘れちゃったんだよね」
「……本当ですの?」
「そうだよッ!お陰で今日は宿題忘れたことになったということに……」
「なってしまうも何も事実ではございませんの。私みたいに途中で起きられればよかったのに」
「それができれば苦労しないよッ!頼むッ!宿題見せてくれッ!」
ヒューゴの泣き付きに対して鬱陶しいと思いつつも貸してしまうのは駆除人としての仲間意識が働いているからだろうか。
カーラが黙って通学鞄から宿題を渡そうとした時のことだ。
「待て、宿題というのは自分でやってこそ価値があるんだ」
と、背後から聞こえてきたフィンの声によって止められてしまった。
「げっ、フィン先生!?」
「そうだろ?ヒューゴ?」
ヒューゴの驚いた声を無視してフィンは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら問い掛ける。フィンは実習生といえども教師は教師。週末の放課後に予想だにしない口撃を喰らわされた反撃をするつもりなのだろう。担任教師よりも先に教室に入っていたのは何か事情があってのことなのだろうが、それでもフィンにとっては功を奏したことになるだろう。
ヒューゴとしては今回に関しては反撃を行うことができなかった。フィンは教師として正しいことをしただけに過ぎないし、そもそもどのような理由があれ宿題を忘れた方が悪いのだ。反論できずに握り拳を作っているヒューゴを相手にフィンは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
カーラはそんな生徒に対して大人気ない口撃を行なって喜ぶフィンに対して心の中で密かに悪役令嬢モノの小説に登場する某キャラクターから『腹黒ドS王子』という称号を送っていたのである。
カーラが溜息を吐き、頬杖を突きながら目の前を見つめていると、担任の教師が現れてようやくホームルームを始めたのだった。窓からは暖かい日差しが差し込んできた。カーラは暖かい気持ちになれるということもあり、この日差しがカーラは好きだった。
こうして教師の話を聞き、自身の背後で見えない火花を散らして睨み合うヒューゴとフィンの姿を見ていると、あの晩の駆除は夢であったのかとさえ思う。
だが、あれもまた現実に起こったことなのだ。そしてこうして日常を送るカーラも闇夜に紛れて恨みを晴らすカーラも同じ人物であるのだ。
例の島国から伝わってきた言葉に『人は矛盾の上に成り立っている』というものがあるが、まさしく今の自分たちに当てはまる最高の言葉であるように思えた。
普通の人間であるのならばあのようなことを行った後で日常を送ることは難しいだろう。
だが、カーラたちは違う。これからも駆除人として晴らせぬ恨みを晴らしていくことだろう。これは一度ついてしまえばどんなに離れたくても離れられない業のようなものである。
そんな業を負いながらも生きていくのが人間というものだ。こうしてカーラたちの何気ない日常は幕を開けた。
そして、それは次の駆除の機会が巡るまで続いていくのであった。
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