207 / 220
第五章『例え、激闘が起ころうとも、旋風が巻き起ころうとも、この私が竜となり、虎となり、全てをお守り致しますわ』
悪徳医師のやり口
しおりを挟む
「怪我なんてありませんよ」
外科医であるはずの医師トラヴィス・キングリッチはいじめられていたはずの少女の母親に向かって淡々と言い放った。
「そ、そんな!」
納得のいかない処置に抗議の言葉を叫ぶ母親を他所にトラヴィスはワインの瓶底のように分厚い眼鏡を怪しく光らせながらどうして自身があからさまな誤診を行ったのかを語っていく。
「いいですか?確かにあんたは街でも評判の菓子屋を営む主人だ。けど、怪我をさせたのは軍務大臣をも務められるミーモリティ伯爵閣下の娘さんなんです。そのお方の娘さんとあんたの娘さん、将来性を比べたらどっちの方が我が国の役に立つとお思いですか?」
「ふ、ふざけないで!腕のいいお方だとお聞きましたが、そんな理由で患者を見殺しになさるんですか!?」
娘にそのようなことを黙っている母親はいない。拳を振り上げながら抗議の言葉を叫んだが、トラヴィスはあくまでも落ち着いた調子で言葉を返していく。
「そんな理由とはなんです。これまで一介の医師にすぎなかった私が上流階級のお方と結び付けるんですよ」
「ふざけるなッ!この野郎ッ!」
女性主人の背後に控えていた若い男性が拳を振り上げながらトラヴィスに殴り掛かろうとしていた。
それを女性主人ともう一人の若い女性が慌てて引き止める。
興奮して鼻の息を荒くしている男性に対し、トラヴィスはゆっくりと椅子の上から立ち上がり、その手に平手打ちを喰らわせたのである。
平手打ちの勢いが凄まじいものであったのは部屋いっぱいにビィィンという音が響き渡ったことからもわかる。
その凄まじさに二人の女性が思わず目を剥いたほどだ。
痛みに悶える若い男性と驚きのあまり彫刻像のように固まってしまっている二人の女性に対してトラヴィスは海の底における水を思わせるような冷ややかな声で告げた。
「なっとらんな。使用人の分際で……貴様、何様のつもりだ?」
トラヴィスはそれから若い男の頬を摩ると、もう一度平手打ちを喰らわせた。
二発目も凄まじいものであったらしい。平手打ちを喰らった若い男が二人に支えられているにも関わらず、崩れ落ちてしまったのだ。
二人が支えなければ男は地面の下に落ちてしまっていたに違いない。
だが、トラヴィスは自分に対して無礼な言葉を発した使用人の男に対して容赦をしなかった。恐らく考えもしなかったに違いない。
トラヴィスは男の元へと近付くと、続けて腹に向かって強烈な蹴りを喰らわせていく。
トラヴィスは悶えた様子で唸り声を上げながら地面の上へと倒れ込む男の姿を冷ややかな目で見下ろしていた。
「る、ルーカス!しっかりして!」
ルーカスという男と同じ使用人だと思われる若い女性が駆け寄っていく。
若い女性は哀れなルーカスを支えながら二発のビンタと一発の蹴りを食らわせたトラヴィスに対して涙を流しながら睨みつけていた。
それに対してトラヴィスは何も言わず、帰るように促すばかりであったのだ。
この時のトラヴィスの心境としては使用人如きに自分の考えを教えてやるのはもったいないと考えたからだろう。
三人は怨恨の詰まった目でトラヴィスを睨み付けながらもその時は立ち去るより他になかった。
後に三人はこの時ことを大きくしなかったことを後悔することになった。
というのも、この時待合室で待たせていた自分たちの大切な人を永久に失ってしまうことになったからだ。
が、そんなことはトラヴィスには関係がないことであった。彼はこの時にできたミーモリティ伯爵家との繋がりを利用して、門閥貴族の家々に医師として出入りすることを許されるようになっており
、そんなことを気にする時間もなかったからだ。いや、仮にあったとしてもトラヴィスは後悔などしなかっただろう。
トラヴィスはそういう男なのだ。
その性格を表すように彼は後ろ盾であったミーモリティ伯爵家が全滅して以降も気にする素振りも見せず、医師としての昇進は留まることを知らなかった。
今では影の王家とさえいわれるホワインセアム公爵家へと出入りすることさえ許されていたからだ。
今日の診察に至ってはホワインセアム公爵家から健康診察の報酬として金のカップを貰っていた。このような宝物が平民に差し出されることは稀だ。こうしたものを貰えること自体、彼が深く信頼されている証拠であったともいえた。
豪華なカップの中にお茶を淹れながら最新の医学書を読むことが今トラヴィスがなさねばならないことであった。
それ故に途中までの道を馬車で送ってもらい、残りの道を駆け足で向かっていたのだが、その肝心の道の前に誰かが立っていることに気が付いた。
急いでいるというのに家の扉の前に誰が立っているのだろうか。
気になったトラヴィスが片手に持っていたランプで扉の前を照らすと、そこには白色の上着の下に緑色の簡素なドレスを着た中年の女性がいた。
見慣れない女性だ。トラヴィスは警戒心を露わにした様子で女性へと問い掛けた。
「お前は何者だ?」
「あっ、あたしですか?あたしは医師のレキシーってもんで」
レキシーと名乗った女性はどこか間の抜けたような口調で言った。
「レキシーだと?」
聞き慣れない名だ。一体誰なのだろうか。トラヴィスが続けて名前を問い掛けると、
「レキシー・トゥルーデと申します」
と、丁寧に頭を下げながら自身の名前を教えた。
「レキシー?そんな名前の医者は知らんな」
嫌味ではない。本心からトラヴィスはその名前を知らなかった。
だが、レキシーはそんなことを気にする様子も見せずに話を続けていく。
「あら、左様でございますか?残念ですねぇ」
「そんなことはどうでもいい。どうして貴様はオレの家の前に立っていたのだ?」
「はい。実はですねぇ。あなた様をとある貴族のお方へとご紹介したいて思いましてね」
トラヴィスはそれを聞いて初めて表情を変えた。そして、目の前のレキシーという医者が自身の家の前を訪れた目的を察したのである。
レキシーは言うなれば自分につながりのある貴族を紹介して、恩を売り、その後で美味い汁を啜ろうという算段なのだ。
それならばレキシーの策に乗ってやろうではないか。
「おい、その貴族と会うことになるのはいつのことだ?」
トラヴィスは横柄な態度で問い掛けた。
「はい、実はですねぇ、今晩なんですよ。ちょいと付き合ってくれませんかねぇ?」
「何!?」
今晩とは予想外であった。近いうちになるとは思っていたが、まさか今夜中になるとは思いもしなかったのだ。
これにはトラヴィスも面食らってしまった。本来であるのならばホワインセアム公爵家から下賜された黄金のカップでお茶を啜りながら医学書を読む予定であったのだ。
だが、貴族との繋がりができるというのならばそれは後に回してこちらを優先しなくてはなるまい。
トラヴィスはレキシーに連れて行かれるまま街の酒場をくぐった。
草木も眠るような遅い時刻だというのに酒場とその周りだけは昼間のように賑やかだ。
どうも夜中にも関わらず、光を照らし続けるというのは眠るのを嫌がってこっそりとランプを照らして夜遊びに耽る子どもを見ているかのようだった。
酒場を見ると、トラヴィスの心の中ではそうした嫌悪感のようなものが湧き上がっていくのであった。
しかし、それでも貴族との繋がりを作る方を優先させレキシーに導かれるままトラヴィスは酒場の奥というあまり人の目につかない場所に座らせられた。
既に酒場の中では一人の若い婦人が酒を啜っていた。
酒場という下品な場所で社交界の夫人のように酒を啜る姿はその場には不釣り合いだと改めて思わされた。
例えるのならば安い宿屋の中に歴史上において名高い画家たちによって記された絵画が飾られているような違和感がトラヴィスの心を襲ったのだ。
しばらく酒場の安い酒を舞踏会に出された上等な酒のように啜る若い婦人を見つめていると、婦人はようやくこちらに気が付いたらしい。
自身の隣に場所を開き、トラヴィスを座らせた。
そして腰を掛けたトラヴィスにその婦人は酒場の酒と思われる赤い液体の入った安っぽいグラスを勧めたのである。
正直にいえば飲みたくはなかったのだが、断って話がややこしくなってしまっても仕方がない。
それ故にトラヴィスは嫌悪感に眉を顰めながらも一気に酒を飲み干し、婦人の隣に腰を掛けたのである。
その向かい側に案内を務めたレキシーが腰を掛けて、満面の笑み浮かべながら婦人に自分のことを紹介していた。
話によれば自身の隣に座っているのはモルダー男爵夫人と呼ばれる門閥貴族の一端を担う家の主人であり、話によれば現国王フィンとも大きな繋がりがあるのだという。
これは期待ができる。不味い酒を我慢して飲んだ甲斐もあったというものだ。
トラヴィスが勝ち誇ったような笑みを浮かべていると、隣に座っていた婦人が貴族に相応しい上品な笑みを浮かべながらトラヴィスへと問い掛けた。
「ねぇ、トラヴィスさんと仰られましたわね?よろしければ武勇伝などがあればお教え願えれば幸いなのですけれども」
トラヴィスは得意げな笑みを浮かべながら今までの自身の武勇伝という名の悪行をひけらかしていく。
そして最後にミーモリティ伯爵に頼まれ、怪我をした少女の事件を隠蔽したことなどを語ったところで急に眠気が襲ってきたのである。
飲みすぎてはいないはずだ。何が起こったのだろう。トラヴィスは頭をクラクラとさせながら目の前の机の上へと突っ伏していく。彼の意識はそこで途絶えた。
気が付けばトラヴィスはどこかの椅子の上へと縛り付けられていた。
「こ、ここはどこだ!?」
だが、その声に答えるものはどこにもいなかった。
しばらくの間トラヴィスが喚き散らしていると、不意に扉が開いてカーラとレキシーの二人が姿を現した。
「な、なんだ!お前たちは何様だ!?なんの権利があってこんなことをする!?」
「……お言葉を返すようですけれどもなんの権利があってあなた様は他の人たちに酷いことをしたんですの?」
「決まっているだろッ!奴らと貴族とでは価値が違うからだッ!」
トラヴィスは歯茎を剥き出しにし、憎悪を露わにしながら叫ぶ。これはいきなり身柄を拘束されたトラヴィスからすれば当然の反応ともいえた。
だが、レキシーの反応は違ったらしい。
「……やれやれ、反省の色はなしか」
と、レキシーは呆れたような口調で言った。
「えぇ、ここまで悪いお方だとは思いもしませんでしたわ」
カーラから発せられる声のトーンが急に低くなる。突然の豹変に不満を覚えたトラヴィスは懸命な声で叫び続けるが、その声が二人に届くことはなかった。
ただ、トラヴィスからすればこの後に悪夢のようなことが自身の身に引き起こされてしまうということだけは間違いのない事実であった。
後日トラヴィスは彼が担当していた貴族の家々によって捜索願いを出されることになったが、未だにその姿は見つかっていない。
トラヴィスの姿が見当たらないまでに彼は『血吸い姫』の怒りを買ってしまったのだ。それは彼女の怒りというものはあまりにも悍ましいということを表すものであった。
だが、犯人である『血吸い姫』は翌日の朝には自身の館へと戻り、何食わぬ顔でベッドの上に横たわっていたのである。
それからのんびりと起き上がって、離れにある屋敷へと朝食を取りに向かったのである。
その後カーラは僅かな睡眠しか取っていなかったのにも関わらず、鼻歌を歌いながらエミリーに向けてのドレスを縫っていくのであった。
糸車の前に腰を掛け、鼻唄を歌いながらペダルを踏んでいくその姿は朗らかそのものであった。
とてもではないが、『血吸い姫』などと巷から恐れられる害虫駆除人の姿には見られなかった。
カーラは大体の形が完成すると、糸車から離れ、手でドレスを手直ししながら昨晩のことを思い起こしていた。
レキシーがトラヴィスを手引きして、自身を紹介させることで油断させ、その後に二人で拉致を行い、相当の仕置きを行わせるというのはカーラ自身が考えたものであった。
しかし、調合した特製の薬草を混ぜた眠り薬をカーラが最初に勧めた酒の中に溶かし、薬の効果が発揮されるまで悪事を自らの口で喋らせるという考えを立案したのはレキシーであった。
いずれにせよ、トラヴィス・キングリッチに相当の仕置きを行うことができたのは二人が力を合わせたからである。
どちらか一人が欠けていればこうした仕置きを行うことは不可能だっただろう。
そんなことを思いながらカーラはエミリーの新しいドレスを完成させていた。
清楚な印象を醸し出させる水色のドレスだ。同じ色の靴を履いていけば社交界の注目はエミリーに集中するに違いない。
少なくとも、カーラの中にはそんな自負があった。
そうした自負の元で新たに縫られたドレスをエミリーはいたく気に入り、明後日の舞踏会で着るのだと張り切って言っていた。
喜ぶエミリーを見て、側付きを務めるメイドのセリーナはカーラに向かって丁寧な一礼を行う。
「ありがとうございます。カーラ様、婚約者の方々に相次いで先立たれ、ご自身をお責めになっておられたエミリー様でしたが、あなた様のおかげで元気を取り戻されましたわ」
「いえ、私はちゃんと仕事をしただけですのよ、そんなに褒められるようなことでもありませんわ」
この時カーラは謙遜していたが、内心では自身のドレスの出来がよかったことを誇らしげに感じていたのだ。
上手く仕事を成し遂げた後の充実感はなんともいえないものだ。
部屋の中央で一人ダンスを踊るエミリーの姿を尻目にカーラはそんなことを考えていた。
その日の夜、カーラはこっそりと館を抜け出し、駆除人ギルドへと昨晩の報酬をもらいに向かった。
駆除人ギルドの扉を開くと、バーカウンターの前でギルドマスターと誰かが言い争う声が聞こえてきた。
気まずそうに酒を啜るレキシーの元を訪れ、カーラは何があったのかを問い掛ける。
「実はねぇ、今度の駆除の件でアルフィーとマスターが揉めてしまってね」
「あら、またですの?」
カーラは呆れたように溜息を吐いていく。
アルフィーというのは駆除人ギルドの中でもベテランの部類に入る駆除人である。
ベテランとはいっても、彼の年齢はカーラや脱退したヒューゴより五、六歳上というくらいであるため年齢としては若い部類に入る。
整った目鼻、ミルクのように白い肌、がっしりとした男らしい体格に短い金髪という姿のアルフィーは誰もが認めるほどの美男子であった。
そんな街を歩けば思わず二、三人が振り返るほどの美男子であったが、顔がいいからという理由でギルドで重宝されているわけではない。
彼の特徴としてはアルフィーという賢い助言者を意味する言葉からもわかるようにこれまでの駆除においても自身の知識を活用して不可能な駆除を成し遂げるというやり方が多かった他、作戦においては他の駆除人と組んで助言を与えるということも多かった。
このように頭脳明晰な面ばかりが目立つアルフィーであったが、決して腕がやわなわけではない。
むしろ彼の剣の腕は既に理由があって駆除人ギルドを脱退してしまったヒューゴやギークも一目を置くほどのものであったのだ。
こうした特徴からギルドマスターからも知と腕の両方を兼ね備えた素晴らしい男だと評判が高かったのだが、ただ唯一の欠点があった。それは彼の持つ独自の正義感である。
どんなに完璧であっても人間であるのならば必ず短所を持っているものだが、彼に関しては短所が長所を塗り替えるほどの出来であったのだ。
彼の持つ正義感によってこれまでに駆除人ギルドの中で揉め事が起こったことは一度や二度では済まない。
むしろこれまでも目立ってこなかっただけで、アルフィーは仕事を引き受ける前や依頼を終えた後に多くのトラブルを引き起こしていた。
それは彼が持つ正義感故の暴走であった。彼自身が持つ独特の正義のためにギルドマスターと衝突したのも今日が初めてではなかった。
カーラはまたかという思いを胸にどこか呆れたような目で二人の喧嘩を見つめていた。
カーラはアルフィーとギルドマスターとのいつ終わるともしれない仁義なき喧嘩に注目の目を向けていたのだが、それはギルドマスターの姪であり、現在は見習いを務めているヴァイオレットによって止められることになった。
ヴァイオレットは半ば強制的に二人を引き剥がし、興奮した様子のアルフィーに水を与えて落ち着かせたのであった。
アルフィーは与えられた水を一気に飲み干し、そのまま怒りの指示を出す人物が消えてしまったかのように落ち着いた調子で酒を啜っていた。
カーラは二人が落ち着いたタイミングを逃すことなく、すかさずギルドマスターへと質問を投げ掛けた。
ギルドマスターはカーラからの質問に重そうな表情を浮かべながら答えていく。
なんでも、二人が起こしていた揉め事というのは次の駆除に関することであった。
次の駆除対象は現在国王フィンに収集報告を行うために王都へと訪れているホワインセアム公爵家の領内において森林業の全てを担うギルドのギルドマスターであった。
この男は森林業を独占し、支配下にある木こりや組合を騙して報酬を不当に入れており、その不正に気が付いた若い木こりを傭兵を雇って始末させたという極悪人であった。
領内の木こりたちは徒党を組み、一連の出来事をギルドマスターが報告に訪れたタイミングを見計らって、王都の警備隊へと訴え出たのである。
そのためこの件が明らかになり次第、ギルドマスターは裁かれるはずであった。
だが、身の危険感じた彼は咄嗟に主人であるホワインセアム公爵家に助けを求めたのである。自身の家から逮捕者が出ては面子が潰れるのだと判断したホワインセアム公爵家は警備隊へと圧力をかけ、森林ギルドのギルドマスターは無罪放免としたのである。
更にそこから虚偽の報告を行ったという理由で訴えを起こした木こりたちを官吏によって冥界王の元へと行くことを命じさせたのだ。その目的は一目瞭然である。口封じだ。
こうして哀れな木こりたちは森林ギルドのギルドマスターの保身とホワインセアム公爵家の面子を保つというそれだけの理由によって葬られてしまったのだ。
なんとも救われない話である。駆除人ギルドのギルドマスターが動くことになったのは木こりたちの頭目である老人から生前に依頼を受けていたことが理由であった。
訴えに出る前日、すなわち昨晩の夜のことであったが、自分たちにもしものことがあれば森林ギルドのギルドマスターを駆除してくれと依頼されたのだ。
依頼の期限は訴えの日より五日。理由は五日以降はその男が離れてしまうというものであったからだ。
駆除人ギルドのギルドマスターはそれを承諾。夕方に貸切という形で店を開いた際にアルフィーにそのことを伝えたのだが、アルフィーが暴走を行ったのはこの時のことであった。
なんとアルフィーはギルドマスターばかりではなく、その後ろ盾であるホワインセアム公爵家までも手に掛けようと主張したのだ。
もちろん依頼の中にホワインセアム公爵家が含まれていれば駆除人ギルドのギルドマスターも動いたのであろうが、木こりたちからはそのような依頼を受けてはいない。
それ故に思い止まるように説得を行ったのだが、アルフィーは聞く耳を持たず、ホワインセアム公爵をも始末しようと主張して喧嘩へと至ったのだ。
「なるほど、そのようなご事情がありましたのね」
「そうだよ、あたしだってそりゃあ貴族の連中は気に食わないけど、お金を貰ってないのに駆除を行うというのは道理に合わないだろ?だから傍観者を貫いてんの」
レキシーはヴァイオレットが出したという白色の蒸留酒を啜りながら答えた。
「しかし、ホワインセアム公爵家とはどこかで決着を付けなくてはならないと思っていましたの。私どもにとっても因縁の深いクリストフ様はあの家のお方ですし」
「わかってくれるか!カーラ!」
アルフィーが歓喜の声を上げる。心の底に隠していたはずの喜びが露わとなり、アルフィーはニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「ですが、お金を受け取っていない駆除というものも私どもの方針に反しますわ」
その言葉にアルフィーの表情が一変した。一目で見てもわかるほど機嫌の悪い表情を浮かべていた。
苦虫を噛み潰したような表情というのは今のアルフィーのことを指して言うのかもしれない。
カーラがそんなことを考えていると、アルフィーが露骨に両眉を顰めながらカーラを睨みながら言った。
「だったらお二人が故郷のついでに寄ったという村での出来事はどうなんですか?あの村の村長一家を誰が駆除しろと言ったんですか?」
「あれは成り行きでそうなってしまったんですの!」
カーラとしてもそこを突かれれば弱い。それ故に反論がお粗末になってしまうのも仕方がなかった。
だが、アルフィーからすればカーラの語る『成り行き』など知るはずがない。
意地悪な姑が若くて綺麗な息子の新妻をいじめる時のように田舎村の一件を持ち出してカーラを責めていくのであった。
レキシーは哀れな義娘を助けてはやりたかったが、反論の言葉が思い浮かばないらしく、気まずそうに視線を逸らしながら酒を啜っていた。
噴火した直後の火山のように興奮していたアルフィーを落ち着かせたのはヴァイオレットであった。
アルフィーの前に高価な酒を差し出し、小さな子を諭すような口調で宥めさせたのであった。
ヴァイオレットの話術と社交術は見事のものだ。恐らく弱気な一面を打ち消して社交界デビューを行えば彼女はすぐ人気者になるだろう。
カーラは酒のせいかそんなくだらないことを考えるようになってしまっていた。
カーラがぼんやりとしていると、またしてもギルドマスターの怒声が飛んだ。
きっかけはアルフィーがまたしても森林ギルドのギルドマスターとホワインセアム公爵家をまとめて始末するという旨のことを語ったことであった。
せっかく上手く纏まりかけていたというのに、どうしてまた火に油を注ぐような真似をしてしまったのだろう。
カーラは酒を啜りながら呆れた顔で二人を見つめていたが、その時に自身の頭の中に素晴らしい考えが思い浮かんだのであった。
それは興奮して我を忘れてしまったアルフィーの代わりに森林ギルドのギルドマスターを駆除するというものであった。
カーラの提案は早速受け入れられ、トラヴィス・キングリッチを仕留めた報酬と共に森林ギルドのギルドマスターを駆除するための前金が支払われた。
このまま処理してもいいのだが、それでは報われないアルフィーを放置してしまうことになる。今後の禍根を断つためにもカーラはアルフィーを放ってはおけなかった。
そのため前金の一部をアルフィーに渡し、彼の耳元で魅力的な提案を囁いたのである。
「ねぇ、アルフィーさん。よろしければ私と共に駆除を成し遂げません?もしかすれば、そのお方はホワインセアム公爵家の中に匿われていますもの。その時にはアルフィーさんのお力が必要になりますわ」
この一言がアルフィーの中に根付くはずであったカーラへの憎悪の念を消し去ったのである。
カーラは自らの駆除の一部をアルフィーに手助けさせることで彼の自尊心を満たし、悔いのないようにしたのである。
詳しい事情は明後日開かれる予定の舞踏会で収集するという旨のことを伝え、明々後日の夕刻にギルドで落ち合うことを決めた。
カーラにとって次の舞踏会は退屈な時間帯ではなく、森林業を司るギルドマスターに関する情報を集めるための有意義な時間となっていたのだ。
カーラは多くの貴族からドレスのことなどを取っ掛かりにして標的である例のギルドマスターについての話題を招集していく。
それによれば例のギルドマスターはホワインセアム公爵家が大金を払って借りた『カリオストロ』という宿屋の一室に引き篭もっているのだそうだ。
かつて自分たちと対立した『ジャッカル』が根城にしていた宿屋に泊まっていることはどこか面白かった。
決着を付ける明日にはこのことを伝える必要があるだろう。
カーラは舞踏会で出される高価な酒を啜りながら密かに笑っていた。
だが、この時カーラは気が付かなかった。ホワインセアム公爵家令嬢のお付きとして同行していたガーネットというメイドにその怪しげな顔を見られていたということを。
あとがき
本日の投稿に関しまして遅くなってしまい誠に申し訳ございませんでした。
リアルの方でのっぴきならぬ事態が巻き起こりまして、どうしてもログインが遅くなったり、手が付かなかったりしてこのような時間帯になってしまいました。
もう一本の話も上げる予定にはなっておりますが、もしかすれば明日にまで伸びてしまうかもしれません。
そのことに関してご容赦願えれば幸いです。
外科医であるはずの医師トラヴィス・キングリッチはいじめられていたはずの少女の母親に向かって淡々と言い放った。
「そ、そんな!」
納得のいかない処置に抗議の言葉を叫ぶ母親を他所にトラヴィスはワインの瓶底のように分厚い眼鏡を怪しく光らせながらどうして自身があからさまな誤診を行ったのかを語っていく。
「いいですか?確かにあんたは街でも評判の菓子屋を営む主人だ。けど、怪我をさせたのは軍務大臣をも務められるミーモリティ伯爵閣下の娘さんなんです。そのお方の娘さんとあんたの娘さん、将来性を比べたらどっちの方が我が国の役に立つとお思いですか?」
「ふ、ふざけないで!腕のいいお方だとお聞きましたが、そんな理由で患者を見殺しになさるんですか!?」
娘にそのようなことを黙っている母親はいない。拳を振り上げながら抗議の言葉を叫んだが、トラヴィスはあくまでも落ち着いた調子で言葉を返していく。
「そんな理由とはなんです。これまで一介の医師にすぎなかった私が上流階級のお方と結び付けるんですよ」
「ふざけるなッ!この野郎ッ!」
女性主人の背後に控えていた若い男性が拳を振り上げながらトラヴィスに殴り掛かろうとしていた。
それを女性主人ともう一人の若い女性が慌てて引き止める。
興奮して鼻の息を荒くしている男性に対し、トラヴィスはゆっくりと椅子の上から立ち上がり、その手に平手打ちを喰らわせたのである。
平手打ちの勢いが凄まじいものであったのは部屋いっぱいにビィィンという音が響き渡ったことからもわかる。
その凄まじさに二人の女性が思わず目を剥いたほどだ。
痛みに悶える若い男性と驚きのあまり彫刻像のように固まってしまっている二人の女性に対してトラヴィスは海の底における水を思わせるような冷ややかな声で告げた。
「なっとらんな。使用人の分際で……貴様、何様のつもりだ?」
トラヴィスはそれから若い男の頬を摩ると、もう一度平手打ちを喰らわせた。
二発目も凄まじいものであったらしい。平手打ちを喰らった若い男が二人に支えられているにも関わらず、崩れ落ちてしまったのだ。
二人が支えなければ男は地面の下に落ちてしまっていたに違いない。
だが、トラヴィスは自分に対して無礼な言葉を発した使用人の男に対して容赦をしなかった。恐らく考えもしなかったに違いない。
トラヴィスは男の元へと近付くと、続けて腹に向かって強烈な蹴りを喰らわせていく。
トラヴィスは悶えた様子で唸り声を上げながら地面の上へと倒れ込む男の姿を冷ややかな目で見下ろしていた。
「る、ルーカス!しっかりして!」
ルーカスという男と同じ使用人だと思われる若い女性が駆け寄っていく。
若い女性は哀れなルーカスを支えながら二発のビンタと一発の蹴りを食らわせたトラヴィスに対して涙を流しながら睨みつけていた。
それに対してトラヴィスは何も言わず、帰るように促すばかりであったのだ。
この時のトラヴィスの心境としては使用人如きに自分の考えを教えてやるのはもったいないと考えたからだろう。
三人は怨恨の詰まった目でトラヴィスを睨み付けながらもその時は立ち去るより他になかった。
後に三人はこの時ことを大きくしなかったことを後悔することになった。
というのも、この時待合室で待たせていた自分たちの大切な人を永久に失ってしまうことになったからだ。
が、そんなことはトラヴィスには関係がないことであった。彼はこの時にできたミーモリティ伯爵家との繋がりを利用して、門閥貴族の家々に医師として出入りすることを許されるようになっており
、そんなことを気にする時間もなかったからだ。いや、仮にあったとしてもトラヴィスは後悔などしなかっただろう。
トラヴィスはそういう男なのだ。
その性格を表すように彼は後ろ盾であったミーモリティ伯爵家が全滅して以降も気にする素振りも見せず、医師としての昇進は留まることを知らなかった。
今では影の王家とさえいわれるホワインセアム公爵家へと出入りすることさえ許されていたからだ。
今日の診察に至ってはホワインセアム公爵家から健康診察の報酬として金のカップを貰っていた。このような宝物が平民に差し出されることは稀だ。こうしたものを貰えること自体、彼が深く信頼されている証拠であったともいえた。
豪華なカップの中にお茶を淹れながら最新の医学書を読むことが今トラヴィスがなさねばならないことであった。
それ故に途中までの道を馬車で送ってもらい、残りの道を駆け足で向かっていたのだが、その肝心の道の前に誰かが立っていることに気が付いた。
急いでいるというのに家の扉の前に誰が立っているのだろうか。
気になったトラヴィスが片手に持っていたランプで扉の前を照らすと、そこには白色の上着の下に緑色の簡素なドレスを着た中年の女性がいた。
見慣れない女性だ。トラヴィスは警戒心を露わにした様子で女性へと問い掛けた。
「お前は何者だ?」
「あっ、あたしですか?あたしは医師のレキシーってもんで」
レキシーと名乗った女性はどこか間の抜けたような口調で言った。
「レキシーだと?」
聞き慣れない名だ。一体誰なのだろうか。トラヴィスが続けて名前を問い掛けると、
「レキシー・トゥルーデと申します」
と、丁寧に頭を下げながら自身の名前を教えた。
「レキシー?そんな名前の医者は知らんな」
嫌味ではない。本心からトラヴィスはその名前を知らなかった。
だが、レキシーはそんなことを気にする様子も見せずに話を続けていく。
「あら、左様でございますか?残念ですねぇ」
「そんなことはどうでもいい。どうして貴様はオレの家の前に立っていたのだ?」
「はい。実はですねぇ。あなた様をとある貴族のお方へとご紹介したいて思いましてね」
トラヴィスはそれを聞いて初めて表情を変えた。そして、目の前のレキシーという医者が自身の家の前を訪れた目的を察したのである。
レキシーは言うなれば自分につながりのある貴族を紹介して、恩を売り、その後で美味い汁を啜ろうという算段なのだ。
それならばレキシーの策に乗ってやろうではないか。
「おい、その貴族と会うことになるのはいつのことだ?」
トラヴィスは横柄な態度で問い掛けた。
「はい、実はですねぇ、今晩なんですよ。ちょいと付き合ってくれませんかねぇ?」
「何!?」
今晩とは予想外であった。近いうちになるとは思っていたが、まさか今夜中になるとは思いもしなかったのだ。
これにはトラヴィスも面食らってしまった。本来であるのならばホワインセアム公爵家から下賜された黄金のカップでお茶を啜りながら医学書を読む予定であったのだ。
だが、貴族との繋がりができるというのならばそれは後に回してこちらを優先しなくてはなるまい。
トラヴィスはレキシーに連れて行かれるまま街の酒場をくぐった。
草木も眠るような遅い時刻だというのに酒場とその周りだけは昼間のように賑やかだ。
どうも夜中にも関わらず、光を照らし続けるというのは眠るのを嫌がってこっそりとランプを照らして夜遊びに耽る子どもを見ているかのようだった。
酒場を見ると、トラヴィスの心の中ではそうした嫌悪感のようなものが湧き上がっていくのであった。
しかし、それでも貴族との繋がりを作る方を優先させレキシーに導かれるままトラヴィスは酒場の奥というあまり人の目につかない場所に座らせられた。
既に酒場の中では一人の若い婦人が酒を啜っていた。
酒場という下品な場所で社交界の夫人のように酒を啜る姿はその場には不釣り合いだと改めて思わされた。
例えるのならば安い宿屋の中に歴史上において名高い画家たちによって記された絵画が飾られているような違和感がトラヴィスの心を襲ったのだ。
しばらく酒場の安い酒を舞踏会に出された上等な酒のように啜る若い婦人を見つめていると、婦人はようやくこちらに気が付いたらしい。
自身の隣に場所を開き、トラヴィスを座らせた。
そして腰を掛けたトラヴィスにその婦人は酒場の酒と思われる赤い液体の入った安っぽいグラスを勧めたのである。
正直にいえば飲みたくはなかったのだが、断って話がややこしくなってしまっても仕方がない。
それ故にトラヴィスは嫌悪感に眉を顰めながらも一気に酒を飲み干し、婦人の隣に腰を掛けたのである。
その向かい側に案内を務めたレキシーが腰を掛けて、満面の笑み浮かべながら婦人に自分のことを紹介していた。
話によれば自身の隣に座っているのはモルダー男爵夫人と呼ばれる門閥貴族の一端を担う家の主人であり、話によれば現国王フィンとも大きな繋がりがあるのだという。
これは期待ができる。不味い酒を我慢して飲んだ甲斐もあったというものだ。
トラヴィスが勝ち誇ったような笑みを浮かべていると、隣に座っていた婦人が貴族に相応しい上品な笑みを浮かべながらトラヴィスへと問い掛けた。
「ねぇ、トラヴィスさんと仰られましたわね?よろしければ武勇伝などがあればお教え願えれば幸いなのですけれども」
トラヴィスは得意げな笑みを浮かべながら今までの自身の武勇伝という名の悪行をひけらかしていく。
そして最後にミーモリティ伯爵に頼まれ、怪我をした少女の事件を隠蔽したことなどを語ったところで急に眠気が襲ってきたのである。
飲みすぎてはいないはずだ。何が起こったのだろう。トラヴィスは頭をクラクラとさせながら目の前の机の上へと突っ伏していく。彼の意識はそこで途絶えた。
気が付けばトラヴィスはどこかの椅子の上へと縛り付けられていた。
「こ、ここはどこだ!?」
だが、その声に答えるものはどこにもいなかった。
しばらくの間トラヴィスが喚き散らしていると、不意に扉が開いてカーラとレキシーの二人が姿を現した。
「な、なんだ!お前たちは何様だ!?なんの権利があってこんなことをする!?」
「……お言葉を返すようですけれどもなんの権利があってあなた様は他の人たちに酷いことをしたんですの?」
「決まっているだろッ!奴らと貴族とでは価値が違うからだッ!」
トラヴィスは歯茎を剥き出しにし、憎悪を露わにしながら叫ぶ。これはいきなり身柄を拘束されたトラヴィスからすれば当然の反応ともいえた。
だが、レキシーの反応は違ったらしい。
「……やれやれ、反省の色はなしか」
と、レキシーは呆れたような口調で言った。
「えぇ、ここまで悪いお方だとは思いもしませんでしたわ」
カーラから発せられる声のトーンが急に低くなる。突然の豹変に不満を覚えたトラヴィスは懸命な声で叫び続けるが、その声が二人に届くことはなかった。
ただ、トラヴィスからすればこの後に悪夢のようなことが自身の身に引き起こされてしまうということだけは間違いのない事実であった。
後日トラヴィスは彼が担当していた貴族の家々によって捜索願いを出されることになったが、未だにその姿は見つかっていない。
トラヴィスの姿が見当たらないまでに彼は『血吸い姫』の怒りを買ってしまったのだ。それは彼女の怒りというものはあまりにも悍ましいということを表すものであった。
だが、犯人である『血吸い姫』は翌日の朝には自身の館へと戻り、何食わぬ顔でベッドの上に横たわっていたのである。
それからのんびりと起き上がって、離れにある屋敷へと朝食を取りに向かったのである。
その後カーラは僅かな睡眠しか取っていなかったのにも関わらず、鼻歌を歌いながらエミリーに向けてのドレスを縫っていくのであった。
糸車の前に腰を掛け、鼻唄を歌いながらペダルを踏んでいくその姿は朗らかそのものであった。
とてもではないが、『血吸い姫』などと巷から恐れられる害虫駆除人の姿には見られなかった。
カーラは大体の形が完成すると、糸車から離れ、手でドレスを手直ししながら昨晩のことを思い起こしていた。
レキシーがトラヴィスを手引きして、自身を紹介させることで油断させ、その後に二人で拉致を行い、相当の仕置きを行わせるというのはカーラ自身が考えたものであった。
しかし、調合した特製の薬草を混ぜた眠り薬をカーラが最初に勧めた酒の中に溶かし、薬の効果が発揮されるまで悪事を自らの口で喋らせるという考えを立案したのはレキシーであった。
いずれにせよ、トラヴィス・キングリッチに相当の仕置きを行うことができたのは二人が力を合わせたからである。
どちらか一人が欠けていればこうした仕置きを行うことは不可能だっただろう。
そんなことを思いながらカーラはエミリーの新しいドレスを完成させていた。
清楚な印象を醸し出させる水色のドレスだ。同じ色の靴を履いていけば社交界の注目はエミリーに集中するに違いない。
少なくとも、カーラの中にはそんな自負があった。
そうした自負の元で新たに縫られたドレスをエミリーはいたく気に入り、明後日の舞踏会で着るのだと張り切って言っていた。
喜ぶエミリーを見て、側付きを務めるメイドのセリーナはカーラに向かって丁寧な一礼を行う。
「ありがとうございます。カーラ様、婚約者の方々に相次いで先立たれ、ご自身をお責めになっておられたエミリー様でしたが、あなた様のおかげで元気を取り戻されましたわ」
「いえ、私はちゃんと仕事をしただけですのよ、そんなに褒められるようなことでもありませんわ」
この時カーラは謙遜していたが、内心では自身のドレスの出来がよかったことを誇らしげに感じていたのだ。
上手く仕事を成し遂げた後の充実感はなんともいえないものだ。
部屋の中央で一人ダンスを踊るエミリーの姿を尻目にカーラはそんなことを考えていた。
その日の夜、カーラはこっそりと館を抜け出し、駆除人ギルドへと昨晩の報酬をもらいに向かった。
駆除人ギルドの扉を開くと、バーカウンターの前でギルドマスターと誰かが言い争う声が聞こえてきた。
気まずそうに酒を啜るレキシーの元を訪れ、カーラは何があったのかを問い掛ける。
「実はねぇ、今度の駆除の件でアルフィーとマスターが揉めてしまってね」
「あら、またですの?」
カーラは呆れたように溜息を吐いていく。
アルフィーというのは駆除人ギルドの中でもベテランの部類に入る駆除人である。
ベテランとはいっても、彼の年齢はカーラや脱退したヒューゴより五、六歳上というくらいであるため年齢としては若い部類に入る。
整った目鼻、ミルクのように白い肌、がっしりとした男らしい体格に短い金髪という姿のアルフィーは誰もが認めるほどの美男子であった。
そんな街を歩けば思わず二、三人が振り返るほどの美男子であったが、顔がいいからという理由でギルドで重宝されているわけではない。
彼の特徴としてはアルフィーという賢い助言者を意味する言葉からもわかるようにこれまでの駆除においても自身の知識を活用して不可能な駆除を成し遂げるというやり方が多かった他、作戦においては他の駆除人と組んで助言を与えるということも多かった。
このように頭脳明晰な面ばかりが目立つアルフィーであったが、決して腕がやわなわけではない。
むしろ彼の剣の腕は既に理由があって駆除人ギルドを脱退してしまったヒューゴやギークも一目を置くほどのものであったのだ。
こうした特徴からギルドマスターからも知と腕の両方を兼ね備えた素晴らしい男だと評判が高かったのだが、ただ唯一の欠点があった。それは彼の持つ独自の正義感である。
どんなに完璧であっても人間であるのならば必ず短所を持っているものだが、彼に関しては短所が長所を塗り替えるほどの出来であったのだ。
彼の持つ正義感によってこれまでに駆除人ギルドの中で揉め事が起こったことは一度や二度では済まない。
むしろこれまでも目立ってこなかっただけで、アルフィーは仕事を引き受ける前や依頼を終えた後に多くのトラブルを引き起こしていた。
それは彼が持つ正義感故の暴走であった。彼自身が持つ独特の正義のためにギルドマスターと衝突したのも今日が初めてではなかった。
カーラはまたかという思いを胸にどこか呆れたような目で二人の喧嘩を見つめていた。
カーラはアルフィーとギルドマスターとのいつ終わるともしれない仁義なき喧嘩に注目の目を向けていたのだが、それはギルドマスターの姪であり、現在は見習いを務めているヴァイオレットによって止められることになった。
ヴァイオレットは半ば強制的に二人を引き剥がし、興奮した様子のアルフィーに水を与えて落ち着かせたのであった。
アルフィーは与えられた水を一気に飲み干し、そのまま怒りの指示を出す人物が消えてしまったかのように落ち着いた調子で酒を啜っていた。
カーラは二人が落ち着いたタイミングを逃すことなく、すかさずギルドマスターへと質問を投げ掛けた。
ギルドマスターはカーラからの質問に重そうな表情を浮かべながら答えていく。
なんでも、二人が起こしていた揉め事というのは次の駆除に関することであった。
次の駆除対象は現在国王フィンに収集報告を行うために王都へと訪れているホワインセアム公爵家の領内において森林業の全てを担うギルドのギルドマスターであった。
この男は森林業を独占し、支配下にある木こりや組合を騙して報酬を不当に入れており、その不正に気が付いた若い木こりを傭兵を雇って始末させたという極悪人であった。
領内の木こりたちは徒党を組み、一連の出来事をギルドマスターが報告に訪れたタイミングを見計らって、王都の警備隊へと訴え出たのである。
そのためこの件が明らかになり次第、ギルドマスターは裁かれるはずであった。
だが、身の危険感じた彼は咄嗟に主人であるホワインセアム公爵家に助けを求めたのである。自身の家から逮捕者が出ては面子が潰れるのだと判断したホワインセアム公爵家は警備隊へと圧力をかけ、森林ギルドのギルドマスターは無罪放免としたのである。
更にそこから虚偽の報告を行ったという理由で訴えを起こした木こりたちを官吏によって冥界王の元へと行くことを命じさせたのだ。その目的は一目瞭然である。口封じだ。
こうして哀れな木こりたちは森林ギルドのギルドマスターの保身とホワインセアム公爵家の面子を保つというそれだけの理由によって葬られてしまったのだ。
なんとも救われない話である。駆除人ギルドのギルドマスターが動くことになったのは木こりたちの頭目である老人から生前に依頼を受けていたことが理由であった。
訴えに出る前日、すなわち昨晩の夜のことであったが、自分たちにもしものことがあれば森林ギルドのギルドマスターを駆除してくれと依頼されたのだ。
依頼の期限は訴えの日より五日。理由は五日以降はその男が離れてしまうというものであったからだ。
駆除人ギルドのギルドマスターはそれを承諾。夕方に貸切という形で店を開いた際にアルフィーにそのことを伝えたのだが、アルフィーが暴走を行ったのはこの時のことであった。
なんとアルフィーはギルドマスターばかりではなく、その後ろ盾であるホワインセアム公爵家までも手に掛けようと主張したのだ。
もちろん依頼の中にホワインセアム公爵家が含まれていれば駆除人ギルドのギルドマスターも動いたのであろうが、木こりたちからはそのような依頼を受けてはいない。
それ故に思い止まるように説得を行ったのだが、アルフィーは聞く耳を持たず、ホワインセアム公爵をも始末しようと主張して喧嘩へと至ったのだ。
「なるほど、そのようなご事情がありましたのね」
「そうだよ、あたしだってそりゃあ貴族の連中は気に食わないけど、お金を貰ってないのに駆除を行うというのは道理に合わないだろ?だから傍観者を貫いてんの」
レキシーはヴァイオレットが出したという白色の蒸留酒を啜りながら答えた。
「しかし、ホワインセアム公爵家とはどこかで決着を付けなくてはならないと思っていましたの。私どもにとっても因縁の深いクリストフ様はあの家のお方ですし」
「わかってくれるか!カーラ!」
アルフィーが歓喜の声を上げる。心の底に隠していたはずの喜びが露わとなり、アルフィーはニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「ですが、お金を受け取っていない駆除というものも私どもの方針に反しますわ」
その言葉にアルフィーの表情が一変した。一目で見てもわかるほど機嫌の悪い表情を浮かべていた。
苦虫を噛み潰したような表情というのは今のアルフィーのことを指して言うのかもしれない。
カーラがそんなことを考えていると、アルフィーが露骨に両眉を顰めながらカーラを睨みながら言った。
「だったらお二人が故郷のついでに寄ったという村での出来事はどうなんですか?あの村の村長一家を誰が駆除しろと言ったんですか?」
「あれは成り行きでそうなってしまったんですの!」
カーラとしてもそこを突かれれば弱い。それ故に反論がお粗末になってしまうのも仕方がなかった。
だが、アルフィーからすればカーラの語る『成り行き』など知るはずがない。
意地悪な姑が若くて綺麗な息子の新妻をいじめる時のように田舎村の一件を持ち出してカーラを責めていくのであった。
レキシーは哀れな義娘を助けてはやりたかったが、反論の言葉が思い浮かばないらしく、気まずそうに視線を逸らしながら酒を啜っていた。
噴火した直後の火山のように興奮していたアルフィーを落ち着かせたのはヴァイオレットであった。
アルフィーの前に高価な酒を差し出し、小さな子を諭すような口調で宥めさせたのであった。
ヴァイオレットの話術と社交術は見事のものだ。恐らく弱気な一面を打ち消して社交界デビューを行えば彼女はすぐ人気者になるだろう。
カーラは酒のせいかそんなくだらないことを考えるようになってしまっていた。
カーラがぼんやりとしていると、またしてもギルドマスターの怒声が飛んだ。
きっかけはアルフィーがまたしても森林ギルドのギルドマスターとホワインセアム公爵家をまとめて始末するという旨のことを語ったことであった。
せっかく上手く纏まりかけていたというのに、どうしてまた火に油を注ぐような真似をしてしまったのだろう。
カーラは酒を啜りながら呆れた顔で二人を見つめていたが、その時に自身の頭の中に素晴らしい考えが思い浮かんだのであった。
それは興奮して我を忘れてしまったアルフィーの代わりに森林ギルドのギルドマスターを駆除するというものであった。
カーラの提案は早速受け入れられ、トラヴィス・キングリッチを仕留めた報酬と共に森林ギルドのギルドマスターを駆除するための前金が支払われた。
このまま処理してもいいのだが、それでは報われないアルフィーを放置してしまうことになる。今後の禍根を断つためにもカーラはアルフィーを放ってはおけなかった。
そのため前金の一部をアルフィーに渡し、彼の耳元で魅力的な提案を囁いたのである。
「ねぇ、アルフィーさん。よろしければ私と共に駆除を成し遂げません?もしかすれば、そのお方はホワインセアム公爵家の中に匿われていますもの。その時にはアルフィーさんのお力が必要になりますわ」
この一言がアルフィーの中に根付くはずであったカーラへの憎悪の念を消し去ったのである。
カーラは自らの駆除の一部をアルフィーに手助けさせることで彼の自尊心を満たし、悔いのないようにしたのである。
詳しい事情は明後日開かれる予定の舞踏会で収集するという旨のことを伝え、明々後日の夕刻にギルドで落ち合うことを決めた。
カーラにとって次の舞踏会は退屈な時間帯ではなく、森林業を司るギルドマスターに関する情報を集めるための有意義な時間となっていたのだ。
カーラは多くの貴族からドレスのことなどを取っ掛かりにして標的である例のギルドマスターについての話題を招集していく。
それによれば例のギルドマスターはホワインセアム公爵家が大金を払って借りた『カリオストロ』という宿屋の一室に引き篭もっているのだそうだ。
かつて自分たちと対立した『ジャッカル』が根城にしていた宿屋に泊まっていることはどこか面白かった。
決着を付ける明日にはこのことを伝える必要があるだろう。
カーラは舞踏会で出される高価な酒を啜りながら密かに笑っていた。
だが、この時カーラは気が付かなかった。ホワインセアム公爵家令嬢のお付きとして同行していたガーネットというメイドにその怪しげな顔を見られていたということを。
あとがき
本日の投稿に関しまして遅くなってしまい誠に申し訳ございませんでした。
リアルの方でのっぴきならぬ事態が巻き起こりまして、どうしてもログインが遅くなったり、手が付かなかったりしてこのような時間帯になってしまいました。
もう一本の話も上げる予定にはなっておりますが、もしかすれば明日にまで伸びてしまうかもしれません。
そのことに関してご容赦願えれば幸いです。
0
お気に入りに追加
187
あなたにおすすめの小説
婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。
桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。
「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」
「はい、喜んで!」
……えっ? 喜んじゃうの?
※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。
※1ページの文字数は少な目です。
☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」
セルビオとミュリアの出会いの物語。
※10/1から連載し、10/7に完結します。
※1日おきの更新です。
※1ページの文字数は少な目です。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
[連載中]蔑ろにされた王妃様〜25歳の王妃は王と決別し、幸せになる〜
コマメコノカ@異世界恋愛ざまぁ連載
恋愛
王妃として国のトップに君臨している元侯爵令嬢であるユーミア王妃(25)は夫で王であるバルコニー王(25)が、愛人のミセス(21)に入り浸り、王としての仕事を放置し遊んでいることに辟易していた。
そして、ある日ユーミアは、彼と決別することを決意する。
[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・
青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。
婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。
「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」
妹の言葉を肯定する家族達。
そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。
※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。
竜帝は番に愛を乞う
浅海 景
恋愛
祖母譲りの容姿の両親から疎まれている男爵令嬢のルー。自分とは対照的に溺愛される妹のメリナは周囲からも可愛がられ、狼族の番として見初められたことからますます我儘に振舞うようになった。そんなメリナの我儘を受け止めつつ使用人のように働き、学校では妹を虐げる意地悪な姉として周囲から虐げられる。無力感と諦めを抱きながら淡々と日々を過ごしていたルーは、ある晩突然現れた男性から番であることを告げられる。しかも彼は獣族のみならず世界の王と呼ばれる竜帝アレクシスだった。誰かに愛されるはずがないと信じ込む男爵令嬢と番と出会い愛を知った竜帝の物語。
悪役令嬢を拾ったら、可愛すぎたので妹として溺愛します!
平山和人
恋愛
転生者のクロエは諸国を巡りながら冒険者として自由気ままな一人旅を楽しんでいた。 そんなある日、クエストの途中で、トラブルに巻き込まれた一行を発見。助けに入ったクロエが目にしたのは――驚くほど美しい少女だった。
「わたくし、婚約破棄された上に、身に覚えのない罪で王都を追放されたのです」
その言葉に驚くクロエ。しかし、さらに驚いたのは、その少女が前世の記憶に見覚えのある存在だったこと。しかも、話してみるととても良い子で……?
「そういえば、私……前世でこんな妹が欲しかったって思ってたっけ」
美少女との出会いが、クロエの旅と人生を大きく変えることに!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる