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第五章『例え、激闘が起ころうとも、旋風が巻き起ころうとも、この私が竜となり、虎となり、全てをお守り致しますわ』
従姉妹同士の会話によりますと
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カーラにとってその日は平穏無事に終わるはずの一日であった。駆除人ギルドが休業状態にあることもあり、駆除の依頼も入っていない。レキシーが経営する診療所の手伝いはすでに終わった時間にある。ノルマとなっていたドレスは既に服飾店に納め終えて報酬ももらっている。カーラとしてはこのまま帰り際にアメリアなどの友人たちの顔を見るため馴染みの菓子店に顔を出そうかと考えていたのだ。
だが、その平穏な一日は自身の忌まわしき従姉妹の一言によって終わりを告げることになってしまったのだ。
平穏な一日の終わりを告げる悪魔の一声が響き渡ったのは意気揚々と店の入り口を踏み出した際のことであった。
「あら、久しぶりね、カーラ。元気そうで何よりだわ」
カーラはこの時心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。それは当たり前である。
なにせ、もう声を掛けられることがないと思っていた従姉妹に声を掛けられたのだから。
カーラは動揺の色を浮かべながらであっても精一杯の作り笑顔を浮かべてエミリーへと向き合ったのである。
「これはこれはエミリー様、このような場所にどのようなご用事なのでして?」
「あら、決まってるじゃない。今度の園遊会の衣装を陛下に買ってもらいに来たのよ」
「園遊会?」
「えぇ、今度また記念の園遊会をなされるらしいから、その時にいつもの衣装じゃダメだと言われて……本当に陛下ってお優しい方ね」
エミリーは全身をくねらせながら頬を自らの手で擦っていく。そんなエミリーの姿はカーラから見れば、いや、誰の目から見ても溺愛という名の愛に溺れているということが窺い知れた。
先日クリストフを失ったばかりだというのにやけに乗り換えが早いような気がする。
それでも、軽はずみな令嬢とは異なり、そうした内心における軽蔑を隠していたのは腕利きの害虫駆除人であるカーラがアンリナ一世から発せられる殺気を察していたというのが大きな理由だ。それを恥じることなど何もない。
というのも、カーラのそうした判断は懸命な判断であったと褒められるべきであるからだ。
もし、カーラがそれを察することができず、あるいは誘惑に負けて口に出していたとするのならばそれエミリーに対する侮辱を公然と口に出していたのだと捉えたアンリナ一世による容赦のないお裁きに掛かってしまっていたに違いない。
先日の舞踏会における令嬢たちへの仕返しがワインを自慢のドレスにぶち撒けるという程度の仕返しで済んだのは彼女たちが貴族であったからだという理由が大きい。
平民であるカーラが自分の愛する令嬢を公然と侮辱していたというのならば当然アンリナ一世はカーラに対してこの場で斬り捨て、いわゆる手打ちを行っていたに違いない。平民などアンリナ一世にとっては取りぬ足らぬ存在であったからだ。
カーラはそのことをアンリナ一世から放たれる殺気から判断し、自身に冷静な判断ができたということに心の内で感謝し、改めてエミリーと向かい合ったのである。
「それで、エミリー様はどのようなお召し物を纏われるおつもりですの?」
「決まっているわ!あなたの縫ったドレスよ!」
エミリーは店頭に飾られているカーラが縫ったドレスを指差しながら叫ぶ。
「私の?」
「えぇ、以前あなたから贈られたドレスは今でも使っているのよ。そのことを陛下に話したら是非ともいうことなので、今日もあなたを手に入れにわざわざこんなところまで来たのよ」
エミリーの無意識な選民思想はこの際許容するとしても、カーラが引っ掛かったのは言葉の中に含まれた『あなたに』という言葉だ。
普通この場合エミリーの口から出てくるのは『あなたのものを』という言葉か、もしくは『あなたのドレスを』という言葉であるはずだ。
そのことが引っ掛かりはしたが、口に出してしまえば先ほどの言葉と同様に面倒な事態が引き起こされかねないような気がしたので、カーラは敢えて無視という選択肢を選ぶことにした。
再び作り笑顔を浮かべながら丁寧な一礼を行う。
「それは光栄ですわ。好きなだけ見ていってくださいませ」
カーラは笑顔を浮かべたまま二人の側を通り過ぎようとした時だ。アンリナ一世によって手を強引に掴まれてしまったのだ。
カーラはその手を無理やり引き離そうとしたのだが、アンリナ一世はカーラの靴の先芯を踏んで手を離そうという無意味な抵抗をやめさせたのである。
靴を踏まれたことによって苦痛に顔を歪めるカーラの腕を更に強く掴んだかと思うと、カーラを乱暴に地面の上へと叩き伏せたのである。
「痛ッ、な、何をなさいますの!」
カーラは自身の体を投げ飛ばすような真似をする乱暴な男を険しい目つきで睨んだものの、男はそんなカーラですら見下ろしながら吐き捨てるように問い掛けた。
「貴様はまだわからんのか?余の婚約者が貴様の服を気に入っているのだ。それを黙ったまま通り過ぎるのは失礼だと思わんのか?」
「あら、これは失礼致しましたわ。エミリー様、本当にありがとうございます」
カーラ言われるがままにお礼の言葉を口に出し、その場を通り過ぎようとしたが、アンリナ一世はまたしても腕を乱暴に掴んで引き留めたのである。
「まだ、何かございまして?」
カーラは不快だと言わんばかりに両眉を顰めながら問い掛けた。
「貴様は本当に間抜けだな。せっかくエミリーが褒めてくれているというのに、その栄誉を捨て去る気か?」
「……仰っている意味が理解できませんが」
「とろい奴だ。このまま貴様をエミリーの専属衣装係にしてやろうというのだ」
カーラは呆れていた。先ほどのやり取りだけでそんなことが察することができればその人は神か何かだろう。どこまで無茶を言うつもりなのだろう。
そこまで考えたところでカーラの口から鉛のような重い溜息が生じた。
そういえば以前にも似たような事を言われたような気がする。あれはネオドラビア教との抗争が続いていた時のことであった。あの時にはっきりと断ったというのにまだ自分が欲しいというのだろうか。
カーラは決意を秘めた目でアンリナ一世を睨みながら言った。
「そのお話でしたら以前と同様にお断りさせていただきますわ。私はどうしても貴族のお家に囲まれていると、上手く針を動かすことができませんの」
「貴様の意思は関係ない。貴様がやりたかろうが、やりたくなかろうが、そんなことはどうでもいいのだ。問題はエミリーが貴様を欲しがっている。それだけのことだ」
(そ、そんなバカな話があるものですか!)
カーラは心の中で反論を口に出していた。そして、言葉には出さないものの、敵意に満ちた両目でアンリナ一世を睨んだ。
ギラリと睨まれた両目はそれを証明するかのように青白い光を帯びていた。
アンリナ一世はその顔が不快であったのか、舌を打ち、それから背後に控えていた親衛隊に号令を出し、カーラを半ば強制的に取り囲んだのである。
辺り一面を槍の穂先で埋められてしまえばいかに腕利きの駆除人といえども抵抗は難しい。ましてや周りには道ゆく人の目まであるのだ。背後の服飾店からも店主や他の針子たちからの目線があった。
こんな様子では抵抗するわけにはいくまい。
カーラはまたしても重い溜息を吐きながら渋々と同行することになったのである。
行き先はホワインセアム家によって郊外に新しく建てられたというリバリー男爵邸である。エミリーの話によればつい先日にアンリナ一世がこの家を宿舎と定めて親衛隊と将軍を引き連れこの家に留まったのだそうだ。
アンリナ一世は余程エミリーのことを気に入ったのだろう。そうでなければわざわざ別国の国王が王宮での暮らしを捨ててまでクライン王国門閥貴族の中でも爵位の低い男爵邸などに滞在したりはしないのが普通だ。
カーラは屋敷を見上げていると背後からまたしても殺気のようなものを感じ取り、慌てて男爵邸の中へと足を踏み入れたのである。
出迎えに現れたのはかつてハンセン公爵家においてもエミリーのお付きを務めていたセリーナと誰だかわからない執事の男性である。
使用人たちは玄関の前で一斉に頭を下げ、主人たちの帰りを出迎えたのであった。
アンリナ一世もエミリーもその歓待を当然だと言わんばかりの顔で通り過ぎ、そのまま二人の愛を見せ合いながら自分たちの部屋へと消えていく。
人を勝手に連れてきておいて随分と勝手なものである。
カーラは部屋に上がる二人を敵意に満ちた目で睨んだ後に慌ててその顔を引っ込め、いつもの済ました顔でセリーナへと声を掛けたのである。
「お久しぶりですわ。セリーナさん」
「お久しぶりです。カーラさん」
セリーナは簡単な挨拶を交わした後で丁寧な一礼を行なっていく。
『様』を用いなかったのはあくまでもカーラと自分の間には身分が存在せずに対等な関係であるからだ。
それでも敬語を使っているあたりはまだ自分が客人であるのだという意識が強くあったのだろう。
セリーナは一礼を行なってからカーラを屋敷の客間へと案内していく。
てっきり親衛隊と将軍とで部屋を占領されてしまっているかと思っていたが、意外なことに空いている部屋はまだ存在していたらしい。
カーラは客間だという屋敷の角の隅にある小さな部屋に通された。部屋の中には大型のベッドと小型の机と椅子、身支度用の鏡と衣装棚が置かれていた。客人が怒り出さない、この部屋で過ごすには十分という程度の部屋であった。これが貴族であったのならば激昂しているところだろう。だが、カーラは以前はどうであったにしろ、現在のところは貴族ではない。
満足した表情を浮かべてセリーナに向かって礼を述べた。セリーナはその礼に答えることなく、呼び出し用だというベルを渡して去っていった。
カーラはセリーナが用意した小さなベルを机の上に置き、自らの体を大きなベッドの上に委ねたのである。
カーラが目を覚ましたのは太陽の光が西へと沈んだ頃合いのことであった。
扉を叩く音が聞こえて、ランプを携えたセリーナが姿を見せた。
「失礼致します。ご主人様が夕食の席にあなたをお呼びしておりますので、どうぞご同席願えないでしょうか?」
カーラはその言葉を聞き頷いてセリーナの跡をついていく。服飾店の帰りに身一つで連れて行かれたのだから準備も何もあったものではない。
カーラはセリーナの後をついて行き、夕食の席へと通された。
夕食が用意されているのは屋敷の一階にある食堂であった。大きなシャンデリアが吊るされ、その下には豪華な夕食が並べられ、清潔な白色のテーブルクロスが掛かった長机が置かれていた。
しかし、広い机の割にはこの前に座れるのは自分一人だけであるらしい。
いや、正確にはあと一人、屋敷の主人であるエミリーである。彼女は大きな机の向かい側にある椅子の上に腰を掛け、余裕のある笑みを浮かべながらカーラを待っていた。
カーラは用意された席の上に腰を掛け、セリーナが入れた食前酒を啜り、エミリーをじっと見つめた。
エミリーは相変わらず可愛らしい笑みを浮かべている。無邪気な子どものような笑顔だ。
本当におめでたい人だ。カーラが何も知らない従姉妹に対して思わず苦笑を漏らしていると、目の前にいるエミリーが目を潤ませながらカーラに向かって呼び掛けた。
「ねぇ、カーラ。お願いよ、私のために衣装を作り続けて、何より私たちは従姉妹でしょ?一緒にいた方がいいのよ!きっと冥界でお暮らしになられておられるお父様やお母様、それにお兄様もそういうに決まっているわ!」
エミリーのいう両親や兄ロバートは冥界王の裁きにかかり、魔犬にその魂を喰われていることは確実である。それは自分たちと同じだ。敢えてそこは言わないでおいた方がいいだろう。
攫われた時と同様に言えば面倒なことになるのは確実だからだ。カーラはそれ故に何も言わずに無表情のまま食前酒を啜っていく。
「お願い!カーラ!何か言ってよ!」
「……では、恐れながら申し上げますわ。エミリー様、ドレスが欲しければお店を通してお買い上げくださいませ。何もわざわざ私を攫わずともそれでことが収まるはずでしょう?」
「そ、そんな、私たちはただ一人残った従姉妹でしょう!一緒にいましょうよ!」
その自分を冷遇していたというのにどの口が言うのだろうか。そうした感情が心の中で渦巻いていたためか、カーラはどこかな冷ややかな反応で言葉を返したのであった。
「……生憎ですけれども、私はお針子のお仕事以外にも他にやらなければならないことがございますのよ。エミリー様のお相手を務めることは光栄でございますけれども、このまま辞退させていただきとうございますわ」
「お、お給金の方なら今の報酬の三倍を約束させてください!」
ここまで食い下がるとは異常だ。だが、カーラにとっては返答は同じであった。
新たに運ばれてきたオードブルをフォークとナイフで切り刻み、一口を口に付け、口を拭った後に両目を見据えてエミリーを睨んで拒絶の意思を突き付けたのであった。
すると、今度は両目と口に手を押し当ててて嗚咽の声を交えていく。
これは泣き落としの作戦である。彼女を溺愛しているアンリナ一世ならばともかく、とっくの昔に僅かに残っていた愛想すら尽き果てた自分には何の意味もないものだ。
カーラが次に運ばれてきたスープを啜りながらその様子を黙って見つめていると、なんの前触れもなく勢いよく扉が開き、凄まじい剣幕を浮かべたアンリナ一世の姿が見えたのである。
「エミリーッ!どうした!?」
アンリナ一世はエミリーの側にいたメイドを跳ね飛ばすと、そのまま泣いているエミリーを優しく宥めていたのである。
それからこのような状況であるというのに悠々と食事を続けているカーラを睨んで叫び声を上げた。
「エミリーに何をした!?この無礼な平民がッ!」
「私は単にお話をしただけです。エミリー様が勝手に泣かれただけですわ」
「貴様ッ!」
あまりにも突き放した一言にアンリナ一世の中にある堪忍袋の尾はとうの昔に切れてしまったらしい。部屋に飾ってあった大型の長剣を握り締めたかと思うと、食事を続けているカーラに向かって斬りかかっていくのであった。
カーラからすればいっそのことこのまま事故を装ってアンリナ一世を始末してしまうことが最善のように思えた。
だが、クライン王国の領内にいるうちに万が一のことがあればその咎を受けるのはフィンである。
カーラとしては国王として大変な重圧を受けているフィンにこれ以上の負担をかけたくはなかった。
それ故に逃げるのが最善だと思われた。カーラは椅子の上から立ち上がり、逃げ出すために足を後ろへと下げたまさに寸前というところでエミリーが声を張り上げたのである。
「お、お待ちくださいませ!わ、悪いのは私なのです!どうか、カーラを責めないで!」
エミリーは泣き腫らしたせいで赤くなってしまった目を拭いながらアンリナ一世に向かって叫ぶ。
愛しの婚約者からの言葉を聞き、アンリナ一世はようやく剣を鞘に収めたらしい。カーラも逃げずに済んだ。
大人しく椅子の上に腰を掛け、残っていたスープを啜っていく。
しかし、状況としてはこれ以上意地を張って断り続けるのもいかがなものではないだろうか。
カーラは未だに泣いているエミリーとそれを宥めるために優しい声で気の紛れそうな楽しい話をしているアンリナ一世を見据えながらそんなことを考えていた。
カーラのふとした考えはスープを啜るのを止めるまでに深いものへと変わっていった。エミリーはともかく、アンリナ一世が危険だという考えに達しった。そこから更にアンリナ一世が自分を脅し、自分の養母であるレキシー、そこから交友関係に至るまでの人質を確保しかねないという考えへと至っていく。
ならば、ここは相手との駆け引きに限る。その上で自分を解放してもらうように仕向けるしかないのだ。カーラは腹を括ることにした。
テーブルの向こうでエミリーを慰め続けているアンリナ一世とそのアンリナ一世に甘え続けているだらしのない従姉妹に向かってカーラは告げた。
「お二人様、私はこの家の専用のお針子になる決心を固めさせていただきましたわ」
その言葉を聞いた二人は驚いて目を合わせていた。だが、すぐにアンリナ一世が正気を取り戻し、低い声で問い掛けた。
「バカに素直だな。何を企んでいる?」
アンリナ一世はこれまでのこともあり、訝しげな表情でカーラを睨む。
「何も企んでなどおりませんわ。私の気が変わった。それだけのことでございましてよ」
牽制の意思を示すアンリナ一世に対し、カーラは真剣な目を向けながら言った。
「なるほど、本物のようだ。よし、ならば早速仕事を言いつける。次の舞踏会までにエミリーが着る新しいドレスをーー」
「しかし、無料でお仕事をお引き受けるするのもどうかと思いますわ」
「……衣食住が揃っているだろう。何が不満なのだ?」
アンリナ一世は両目を尖らせながら問い掛けた。その瞳からは無言の圧さえ感じられた。
だが、カーラはアンリナ一世からの圧力に屈することなく、自身が思い描いた報酬を語っていく。
カーラがエミリーのための仕事をする条件として、エミリーの力を活用して自身を貴族の地位へと戻すこと、それから一度の衣装につき多額の報酬を支払うこと、そして駆除人ギルドのギルドマスターだという容疑を掛けられて現在も城の中に囚われている馴染みの酒場店主にして自身の親しい友人であるゴーネを釈放することなどを要求した。
全ての条件を話し終える頃にはアンリナ一世は怒りでわなわなと震え、エミリーは再び泣き始めていた。
それを見たカーラは勝利を確信した。口元に微かな笑みさえ浮かべていた。
というのも、カーラが二人に提示した条件は全て叶えるのが困難であるものばかりであるからだ。
特に難しいのは二番目の話だ。というのも、カーラ自身が提示した条件というものが一般の門閥貴族の一年における収入の三倍の金額であったからだ。
カーラは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら屋敷を後にしようとした時だ。
「待て」
と、唐突にアンリナ一世が呼び止めたのである。
「わかった。貴様のいう報酬とやらの存在を認めてやろう。条件は貴様に貴族としての地位を与え、馴染みの酒場の店主を釈放させ、高額の報酬を支払うことだったな」
忌々しげに吐き捨てたアンリナ一世の言葉をカーラは首肯した。いや、首肯せざるを得なかったというべきだろう。一字一句そのままとは言わないが、それでもアンリナ一世が述べたのは自分が報酬として要求したものであったからだ。
カーラとしては相手の力を舐めていたような気がしてならなかった。
アンリナ一世は手を叩いて自身の親衛隊を呼び、何やら耳打ちを行う。
それからしばらくの時間が経ってから親衛隊が何やら箱のようなものを持ってカーラの元に向かってきたのである。
「そいつを開けてみろ」
テーブルの向こうからアンリナ一世が命令する。カーラが言われるがままに箱を開くと、そこには金貨と宝石がぎゅうぎゅうに詰まっていたのだ。
唖然とした様子で箱を見つめていると、アンリナ一世は得意げな顔を浮かべながら言った。
「それは私がオルレアンスを立ち去る際に運んできた軍資金の一つだ。ちと少ないが、先に受け取るといい。報酬の前払いだ」
前金を渡され、後金を約束されれば動かなくてはならない。それは害虫駆除人の仕事のみならず他の仕事においても同じことだ。
カーラは条件を呑んで受け入れるしかなかった。だが、最後につなぎくらいは入れておきたい。
カーラは恥ずかしそうな顔を浮かべながら最後にもう一つの条件として、
「最後にお世話になった養母やお友達にご挨拶をさせていただけませんか?流石にお別れも言えずに去るというのはいかがなものかと思いまして」
「もちろんよ!家族と過ごすのはいいことよ。どうか最後の時間を楽しんでね!」
エミリーは無邪気な笑顔を浮かべながらカーラの提示した最後の条件を受け入れた。
最後の条件が受け入れられたことにより、カーラは最後に一度だけレキシーや他の人たちに別れの挨拶を行うことができたのであった。
診療所を訪れ、レキシーを呼び出したカーラはそのままレキシーが引いた椅子の上に腰を掛け、昨夜自分の身に降りかかったことを語っていく。
初めは神妙な顔で話を聞いていたレキシーであったが、話が盛り上がっていくうちにつれ、
「なんだって……あんた、なんでまたそんな……」
と、レキシーは信じられないという顔カーラが告げた別れの言葉を受け取る羽目になってしまっていた。
「申し訳ありませんわ」
カーラは丁寧に頭を下げる。
「バカだよ、あんたは……マスターのことについては内緒にしておくべきだろ?そこから足をつけられたらあたしたちは一巻の終わりだよ」
「ですが、私が従ったことでようやくマスターは釈放されます」
「……その後のことはどうするんだい?」
レキシーは両眼を尖らせながら問い掛けた。
「……レキシーさん、私がどうして貴族としての地位を再び求めたとお思いでして?」
「そりゃあ、無茶な条件を提示して相手を引かせるためだろ?」
「その通りです。ですが、一晩寝るうちに私はもう一つ別の考えを思い付きましたの」
カーラの考えというのは与えられた地位を活用してアンリナ一世陛下を冥界王の元へと送るというものだ。
「なるほど、一理あるね」
レキシーは感心した表情を浮かべながら首を動かしていた。
「つきましてはアンリナ一世に消えてもらいたいというお方はいらっしゃいませんの?」
カーラの問い掛けにレキシーは納得したような顔を浮かべていた。というのも、害虫駆除人というのは大抵が報酬と引き換えに悪人を仕留めるというのが主な業務であるからだ。
現在のところはギルドマスターが拿捕されてしまい、見習いのヴァイオレットでは上手く仕事を回すことができないため、休業状態にあるが、ギルドマスターが釈放されというのならば駆除人ギルドも再開することになるだろう。
その際にはアンリナ一世を仕留めてほしいという依頼が必ず舞い込んでくるはずだ。
その際カーラに連絡を入れれば必ずアンリナ一世を仕留められるはずだ。
レキシーはこれまで自分たちを苦しめてきた黒幕が葬り去れる機会がやってきたのだと安堵の息を漏らしていた。
だが、その平穏な一日は自身の忌まわしき従姉妹の一言によって終わりを告げることになってしまったのだ。
平穏な一日の終わりを告げる悪魔の一声が響き渡ったのは意気揚々と店の入り口を踏み出した際のことであった。
「あら、久しぶりね、カーラ。元気そうで何よりだわ」
カーラはこの時心臓が飛び出しそうになるほど驚いた。それは当たり前である。
なにせ、もう声を掛けられることがないと思っていた従姉妹に声を掛けられたのだから。
カーラは動揺の色を浮かべながらであっても精一杯の作り笑顔を浮かべてエミリーへと向き合ったのである。
「これはこれはエミリー様、このような場所にどのようなご用事なのでして?」
「あら、決まってるじゃない。今度の園遊会の衣装を陛下に買ってもらいに来たのよ」
「園遊会?」
「えぇ、今度また記念の園遊会をなされるらしいから、その時にいつもの衣装じゃダメだと言われて……本当に陛下ってお優しい方ね」
エミリーは全身をくねらせながら頬を自らの手で擦っていく。そんなエミリーの姿はカーラから見れば、いや、誰の目から見ても溺愛という名の愛に溺れているということが窺い知れた。
先日クリストフを失ったばかりだというのにやけに乗り換えが早いような気がする。
それでも、軽はずみな令嬢とは異なり、そうした内心における軽蔑を隠していたのは腕利きの害虫駆除人であるカーラがアンリナ一世から発せられる殺気を察していたというのが大きな理由だ。それを恥じることなど何もない。
というのも、カーラのそうした判断は懸命な判断であったと褒められるべきであるからだ。
もし、カーラがそれを察することができず、あるいは誘惑に負けて口に出していたとするのならばそれエミリーに対する侮辱を公然と口に出していたのだと捉えたアンリナ一世による容赦のないお裁きに掛かってしまっていたに違いない。
先日の舞踏会における令嬢たちへの仕返しがワインを自慢のドレスにぶち撒けるという程度の仕返しで済んだのは彼女たちが貴族であったからだという理由が大きい。
平民であるカーラが自分の愛する令嬢を公然と侮辱していたというのならば当然アンリナ一世はカーラに対してこの場で斬り捨て、いわゆる手打ちを行っていたに違いない。平民などアンリナ一世にとっては取りぬ足らぬ存在であったからだ。
カーラはそのことをアンリナ一世から放たれる殺気から判断し、自身に冷静な判断ができたということに心の内で感謝し、改めてエミリーと向かい合ったのである。
「それで、エミリー様はどのようなお召し物を纏われるおつもりですの?」
「決まっているわ!あなたの縫ったドレスよ!」
エミリーは店頭に飾られているカーラが縫ったドレスを指差しながら叫ぶ。
「私の?」
「えぇ、以前あなたから贈られたドレスは今でも使っているのよ。そのことを陛下に話したら是非ともいうことなので、今日もあなたを手に入れにわざわざこんなところまで来たのよ」
エミリーの無意識な選民思想はこの際許容するとしても、カーラが引っ掛かったのは言葉の中に含まれた『あなたに』という言葉だ。
普通この場合エミリーの口から出てくるのは『あなたのものを』という言葉か、もしくは『あなたのドレスを』という言葉であるはずだ。
そのことが引っ掛かりはしたが、口に出してしまえば先ほどの言葉と同様に面倒な事態が引き起こされかねないような気がしたので、カーラは敢えて無視という選択肢を選ぶことにした。
再び作り笑顔を浮かべながら丁寧な一礼を行う。
「それは光栄ですわ。好きなだけ見ていってくださいませ」
カーラは笑顔を浮かべたまま二人の側を通り過ぎようとした時だ。アンリナ一世によって手を強引に掴まれてしまったのだ。
カーラはその手を無理やり引き離そうとしたのだが、アンリナ一世はカーラの靴の先芯を踏んで手を離そうという無意味な抵抗をやめさせたのである。
靴を踏まれたことによって苦痛に顔を歪めるカーラの腕を更に強く掴んだかと思うと、カーラを乱暴に地面の上へと叩き伏せたのである。
「痛ッ、な、何をなさいますの!」
カーラは自身の体を投げ飛ばすような真似をする乱暴な男を険しい目つきで睨んだものの、男はそんなカーラですら見下ろしながら吐き捨てるように問い掛けた。
「貴様はまだわからんのか?余の婚約者が貴様の服を気に入っているのだ。それを黙ったまま通り過ぎるのは失礼だと思わんのか?」
「あら、これは失礼致しましたわ。エミリー様、本当にありがとうございます」
カーラ言われるがままにお礼の言葉を口に出し、その場を通り過ぎようとしたが、アンリナ一世はまたしても腕を乱暴に掴んで引き留めたのである。
「まだ、何かございまして?」
カーラは不快だと言わんばかりに両眉を顰めながら問い掛けた。
「貴様は本当に間抜けだな。せっかくエミリーが褒めてくれているというのに、その栄誉を捨て去る気か?」
「……仰っている意味が理解できませんが」
「とろい奴だ。このまま貴様をエミリーの専属衣装係にしてやろうというのだ」
カーラは呆れていた。先ほどのやり取りだけでそんなことが察することができればその人は神か何かだろう。どこまで無茶を言うつもりなのだろう。
そこまで考えたところでカーラの口から鉛のような重い溜息が生じた。
そういえば以前にも似たような事を言われたような気がする。あれはネオドラビア教との抗争が続いていた時のことであった。あの時にはっきりと断ったというのにまだ自分が欲しいというのだろうか。
カーラは決意を秘めた目でアンリナ一世を睨みながら言った。
「そのお話でしたら以前と同様にお断りさせていただきますわ。私はどうしても貴族のお家に囲まれていると、上手く針を動かすことができませんの」
「貴様の意思は関係ない。貴様がやりたかろうが、やりたくなかろうが、そんなことはどうでもいいのだ。問題はエミリーが貴様を欲しがっている。それだけのことだ」
(そ、そんなバカな話があるものですか!)
カーラは心の中で反論を口に出していた。そして、言葉には出さないものの、敵意に満ちた両目でアンリナ一世を睨んだ。
ギラリと睨まれた両目はそれを証明するかのように青白い光を帯びていた。
アンリナ一世はその顔が不快であったのか、舌を打ち、それから背後に控えていた親衛隊に号令を出し、カーラを半ば強制的に取り囲んだのである。
辺り一面を槍の穂先で埋められてしまえばいかに腕利きの駆除人といえども抵抗は難しい。ましてや周りには道ゆく人の目まであるのだ。背後の服飾店からも店主や他の針子たちからの目線があった。
こんな様子では抵抗するわけにはいくまい。
カーラはまたしても重い溜息を吐きながら渋々と同行することになったのである。
行き先はホワインセアム家によって郊外に新しく建てられたというリバリー男爵邸である。エミリーの話によればつい先日にアンリナ一世がこの家を宿舎と定めて親衛隊と将軍を引き連れこの家に留まったのだそうだ。
アンリナ一世は余程エミリーのことを気に入ったのだろう。そうでなければわざわざ別国の国王が王宮での暮らしを捨ててまでクライン王国門閥貴族の中でも爵位の低い男爵邸などに滞在したりはしないのが普通だ。
カーラは屋敷を見上げていると背後からまたしても殺気のようなものを感じ取り、慌てて男爵邸の中へと足を踏み入れたのである。
出迎えに現れたのはかつてハンセン公爵家においてもエミリーのお付きを務めていたセリーナと誰だかわからない執事の男性である。
使用人たちは玄関の前で一斉に頭を下げ、主人たちの帰りを出迎えたのであった。
アンリナ一世もエミリーもその歓待を当然だと言わんばかりの顔で通り過ぎ、そのまま二人の愛を見せ合いながら自分たちの部屋へと消えていく。
人を勝手に連れてきておいて随分と勝手なものである。
カーラは部屋に上がる二人を敵意に満ちた目で睨んだ後に慌ててその顔を引っ込め、いつもの済ました顔でセリーナへと声を掛けたのである。
「お久しぶりですわ。セリーナさん」
「お久しぶりです。カーラさん」
セリーナは簡単な挨拶を交わした後で丁寧な一礼を行なっていく。
『様』を用いなかったのはあくまでもカーラと自分の間には身分が存在せずに対等な関係であるからだ。
それでも敬語を使っているあたりはまだ自分が客人であるのだという意識が強くあったのだろう。
セリーナは一礼を行なってからカーラを屋敷の客間へと案内していく。
てっきり親衛隊と将軍とで部屋を占領されてしまっているかと思っていたが、意外なことに空いている部屋はまだ存在していたらしい。
カーラは客間だという屋敷の角の隅にある小さな部屋に通された。部屋の中には大型のベッドと小型の机と椅子、身支度用の鏡と衣装棚が置かれていた。客人が怒り出さない、この部屋で過ごすには十分という程度の部屋であった。これが貴族であったのならば激昂しているところだろう。だが、カーラは以前はどうであったにしろ、現在のところは貴族ではない。
満足した表情を浮かべてセリーナに向かって礼を述べた。セリーナはその礼に答えることなく、呼び出し用だというベルを渡して去っていった。
カーラはセリーナが用意した小さなベルを机の上に置き、自らの体を大きなベッドの上に委ねたのである。
カーラが目を覚ましたのは太陽の光が西へと沈んだ頃合いのことであった。
扉を叩く音が聞こえて、ランプを携えたセリーナが姿を見せた。
「失礼致します。ご主人様が夕食の席にあなたをお呼びしておりますので、どうぞご同席願えないでしょうか?」
カーラはその言葉を聞き頷いてセリーナの跡をついていく。服飾店の帰りに身一つで連れて行かれたのだから準備も何もあったものではない。
カーラはセリーナの後をついて行き、夕食の席へと通された。
夕食が用意されているのは屋敷の一階にある食堂であった。大きなシャンデリアが吊るされ、その下には豪華な夕食が並べられ、清潔な白色のテーブルクロスが掛かった長机が置かれていた。
しかし、広い机の割にはこの前に座れるのは自分一人だけであるらしい。
いや、正確にはあと一人、屋敷の主人であるエミリーである。彼女は大きな机の向かい側にある椅子の上に腰を掛け、余裕のある笑みを浮かべながらカーラを待っていた。
カーラは用意された席の上に腰を掛け、セリーナが入れた食前酒を啜り、エミリーをじっと見つめた。
エミリーは相変わらず可愛らしい笑みを浮かべている。無邪気な子どものような笑顔だ。
本当におめでたい人だ。カーラが何も知らない従姉妹に対して思わず苦笑を漏らしていると、目の前にいるエミリーが目を潤ませながらカーラに向かって呼び掛けた。
「ねぇ、カーラ。お願いよ、私のために衣装を作り続けて、何より私たちは従姉妹でしょ?一緒にいた方がいいのよ!きっと冥界でお暮らしになられておられるお父様やお母様、それにお兄様もそういうに決まっているわ!」
エミリーのいう両親や兄ロバートは冥界王の裁きにかかり、魔犬にその魂を喰われていることは確実である。それは自分たちと同じだ。敢えてそこは言わないでおいた方がいいだろう。
攫われた時と同様に言えば面倒なことになるのは確実だからだ。カーラはそれ故に何も言わずに無表情のまま食前酒を啜っていく。
「お願い!カーラ!何か言ってよ!」
「……では、恐れながら申し上げますわ。エミリー様、ドレスが欲しければお店を通してお買い上げくださいませ。何もわざわざ私を攫わずともそれでことが収まるはずでしょう?」
「そ、そんな、私たちはただ一人残った従姉妹でしょう!一緒にいましょうよ!」
その自分を冷遇していたというのにどの口が言うのだろうか。そうした感情が心の中で渦巻いていたためか、カーラはどこかな冷ややかな反応で言葉を返したのであった。
「……生憎ですけれども、私はお針子のお仕事以外にも他にやらなければならないことがございますのよ。エミリー様のお相手を務めることは光栄でございますけれども、このまま辞退させていただきとうございますわ」
「お、お給金の方なら今の報酬の三倍を約束させてください!」
ここまで食い下がるとは異常だ。だが、カーラにとっては返答は同じであった。
新たに運ばれてきたオードブルをフォークとナイフで切り刻み、一口を口に付け、口を拭った後に両目を見据えてエミリーを睨んで拒絶の意思を突き付けたのであった。
すると、今度は両目と口に手を押し当ててて嗚咽の声を交えていく。
これは泣き落としの作戦である。彼女を溺愛しているアンリナ一世ならばともかく、とっくの昔に僅かに残っていた愛想すら尽き果てた自分には何の意味もないものだ。
カーラが次に運ばれてきたスープを啜りながらその様子を黙って見つめていると、なんの前触れもなく勢いよく扉が開き、凄まじい剣幕を浮かべたアンリナ一世の姿が見えたのである。
「エミリーッ!どうした!?」
アンリナ一世はエミリーの側にいたメイドを跳ね飛ばすと、そのまま泣いているエミリーを優しく宥めていたのである。
それからこのような状況であるというのに悠々と食事を続けているカーラを睨んで叫び声を上げた。
「エミリーに何をした!?この無礼な平民がッ!」
「私は単にお話をしただけです。エミリー様が勝手に泣かれただけですわ」
「貴様ッ!」
あまりにも突き放した一言にアンリナ一世の中にある堪忍袋の尾はとうの昔に切れてしまったらしい。部屋に飾ってあった大型の長剣を握り締めたかと思うと、食事を続けているカーラに向かって斬りかかっていくのであった。
カーラからすればいっそのことこのまま事故を装ってアンリナ一世を始末してしまうことが最善のように思えた。
だが、クライン王国の領内にいるうちに万が一のことがあればその咎を受けるのはフィンである。
カーラとしては国王として大変な重圧を受けているフィンにこれ以上の負担をかけたくはなかった。
それ故に逃げるのが最善だと思われた。カーラは椅子の上から立ち上がり、逃げ出すために足を後ろへと下げたまさに寸前というところでエミリーが声を張り上げたのである。
「お、お待ちくださいませ!わ、悪いのは私なのです!どうか、カーラを責めないで!」
エミリーは泣き腫らしたせいで赤くなってしまった目を拭いながらアンリナ一世に向かって叫ぶ。
愛しの婚約者からの言葉を聞き、アンリナ一世はようやく剣を鞘に収めたらしい。カーラも逃げずに済んだ。
大人しく椅子の上に腰を掛け、残っていたスープを啜っていく。
しかし、状況としてはこれ以上意地を張って断り続けるのもいかがなものではないだろうか。
カーラは未だに泣いているエミリーとそれを宥めるために優しい声で気の紛れそうな楽しい話をしているアンリナ一世を見据えながらそんなことを考えていた。
カーラのふとした考えはスープを啜るのを止めるまでに深いものへと変わっていった。エミリーはともかく、アンリナ一世が危険だという考えに達しった。そこから更にアンリナ一世が自分を脅し、自分の養母であるレキシー、そこから交友関係に至るまでの人質を確保しかねないという考えへと至っていく。
ならば、ここは相手との駆け引きに限る。その上で自分を解放してもらうように仕向けるしかないのだ。カーラは腹を括ることにした。
テーブルの向こうでエミリーを慰め続けているアンリナ一世とそのアンリナ一世に甘え続けているだらしのない従姉妹に向かってカーラは告げた。
「お二人様、私はこの家の専用のお針子になる決心を固めさせていただきましたわ」
その言葉を聞いた二人は驚いて目を合わせていた。だが、すぐにアンリナ一世が正気を取り戻し、低い声で問い掛けた。
「バカに素直だな。何を企んでいる?」
アンリナ一世はこれまでのこともあり、訝しげな表情でカーラを睨む。
「何も企んでなどおりませんわ。私の気が変わった。それだけのことでございましてよ」
牽制の意思を示すアンリナ一世に対し、カーラは真剣な目を向けながら言った。
「なるほど、本物のようだ。よし、ならば早速仕事を言いつける。次の舞踏会までにエミリーが着る新しいドレスをーー」
「しかし、無料でお仕事をお引き受けるするのもどうかと思いますわ」
「……衣食住が揃っているだろう。何が不満なのだ?」
アンリナ一世は両目を尖らせながら問い掛けた。その瞳からは無言の圧さえ感じられた。
だが、カーラはアンリナ一世からの圧力に屈することなく、自身が思い描いた報酬を語っていく。
カーラがエミリーのための仕事をする条件として、エミリーの力を活用して自身を貴族の地位へと戻すこと、それから一度の衣装につき多額の報酬を支払うこと、そして駆除人ギルドのギルドマスターだという容疑を掛けられて現在も城の中に囚われている馴染みの酒場店主にして自身の親しい友人であるゴーネを釈放することなどを要求した。
全ての条件を話し終える頃にはアンリナ一世は怒りでわなわなと震え、エミリーは再び泣き始めていた。
それを見たカーラは勝利を確信した。口元に微かな笑みさえ浮かべていた。
というのも、カーラが二人に提示した条件は全て叶えるのが困難であるものばかりであるからだ。
特に難しいのは二番目の話だ。というのも、カーラ自身が提示した条件というものが一般の門閥貴族の一年における収入の三倍の金額であったからだ。
カーラは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら屋敷を後にしようとした時だ。
「待て」
と、唐突にアンリナ一世が呼び止めたのである。
「わかった。貴様のいう報酬とやらの存在を認めてやろう。条件は貴様に貴族としての地位を与え、馴染みの酒場の店主を釈放させ、高額の報酬を支払うことだったな」
忌々しげに吐き捨てたアンリナ一世の言葉をカーラは首肯した。いや、首肯せざるを得なかったというべきだろう。一字一句そのままとは言わないが、それでもアンリナ一世が述べたのは自分が報酬として要求したものであったからだ。
カーラとしては相手の力を舐めていたような気がしてならなかった。
アンリナ一世は手を叩いて自身の親衛隊を呼び、何やら耳打ちを行う。
それからしばらくの時間が経ってから親衛隊が何やら箱のようなものを持ってカーラの元に向かってきたのである。
「そいつを開けてみろ」
テーブルの向こうからアンリナ一世が命令する。カーラが言われるがままに箱を開くと、そこには金貨と宝石がぎゅうぎゅうに詰まっていたのだ。
唖然とした様子で箱を見つめていると、アンリナ一世は得意げな顔を浮かべながら言った。
「それは私がオルレアンスを立ち去る際に運んできた軍資金の一つだ。ちと少ないが、先に受け取るといい。報酬の前払いだ」
前金を渡され、後金を約束されれば動かなくてはならない。それは害虫駆除人の仕事のみならず他の仕事においても同じことだ。
カーラは条件を呑んで受け入れるしかなかった。だが、最後につなぎくらいは入れておきたい。
カーラは恥ずかしそうな顔を浮かべながら最後にもう一つの条件として、
「最後にお世話になった養母やお友達にご挨拶をさせていただけませんか?流石にお別れも言えずに去るというのはいかがなものかと思いまして」
「もちろんよ!家族と過ごすのはいいことよ。どうか最後の時間を楽しんでね!」
エミリーは無邪気な笑顔を浮かべながらカーラの提示した最後の条件を受け入れた。
最後の条件が受け入れられたことにより、カーラは最後に一度だけレキシーや他の人たちに別れの挨拶を行うことができたのであった。
診療所を訪れ、レキシーを呼び出したカーラはそのままレキシーが引いた椅子の上に腰を掛け、昨夜自分の身に降りかかったことを語っていく。
初めは神妙な顔で話を聞いていたレキシーであったが、話が盛り上がっていくうちにつれ、
「なんだって……あんた、なんでまたそんな……」
と、レキシーは信じられないという顔カーラが告げた別れの言葉を受け取る羽目になってしまっていた。
「申し訳ありませんわ」
カーラは丁寧に頭を下げる。
「バカだよ、あんたは……マスターのことについては内緒にしておくべきだろ?そこから足をつけられたらあたしたちは一巻の終わりだよ」
「ですが、私が従ったことでようやくマスターは釈放されます」
「……その後のことはどうするんだい?」
レキシーは両眼を尖らせながら問い掛けた。
「……レキシーさん、私がどうして貴族としての地位を再び求めたとお思いでして?」
「そりゃあ、無茶な条件を提示して相手を引かせるためだろ?」
「その通りです。ですが、一晩寝るうちに私はもう一つ別の考えを思い付きましたの」
カーラの考えというのは与えられた地位を活用してアンリナ一世陛下を冥界王の元へと送るというものだ。
「なるほど、一理あるね」
レキシーは感心した表情を浮かべながら首を動かしていた。
「つきましてはアンリナ一世に消えてもらいたいというお方はいらっしゃいませんの?」
カーラの問い掛けにレキシーは納得したような顔を浮かべていた。というのも、害虫駆除人というのは大抵が報酬と引き換えに悪人を仕留めるというのが主な業務であるからだ。
現在のところはギルドマスターが拿捕されてしまい、見習いのヴァイオレットでは上手く仕事を回すことができないため、休業状態にあるが、ギルドマスターが釈放されというのならば駆除人ギルドも再開することになるだろう。
その際にはアンリナ一世を仕留めてほしいという依頼が必ず舞い込んでくるはずだ。
その際カーラに連絡を入れれば必ずアンリナ一世を仕留められるはずだ。
レキシーはこれまで自分たちを苦しめてきた黒幕が葬り去れる機会がやってきたのだと安堵の息を漏らしていた。
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