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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』
まさか、そのようなことが起きるとは思いもしませんでしたわ
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「ば、バカな!?あ、あの人は……そ、そんな……まさか……」
ジェームズ・アンブリッジは自身の目の前で広がる光景が理解できず、両目を見開いたまま長らく片想いしていたカーラがフレアと対峙している姿を呆然とした様子で見つめていた。
それはクリストフも同様であった。まさか、婚約者の従姉妹が害虫駆除人であるなどとは思いもしなかったのだ。
だが、目の前で行われる光景が信じられずに顔を背けるジェームズとは対照的にどこか納得がいったような思いがあった。
この時、クリストフの頭は自身がそう考えるようになった所以となる過去の記憶へと飛んでいた。それはまだ前国王が健在であった四年前のことである。
四年前、多数決によって廃止されるまではクライン王国内において国王と国中の公爵家で構成される最高位会議が宮殿の中において開かれていた。
最高位会議というのは当時の社会情勢においては珍しく、王宮の一室に設けられた円卓の席の上に国王と各公爵家の当主並びに秘書役を務める子息が当主の横に立ち、政治についての議論を深め合っていくというものだ。
議論も深まっていき、意見がまとまったところに最終的な決断を国王が下すという合議制に基づいた斬新なものである。四年前までは各国から注意を惹かれ、関心を寄せられていたことをクリストフは覚えている。
クリストフは公爵である父親の秘書役として会議に参加し、公爵たちの討論を熱心に聞いていたものである。
クリストフがその最高位会議の中でカーラの姿を見つけ、とあることに気がつくことになったのは酒税に関する議論を行っていたのことであった。
その日、リーバイは不在のまま話が進んでいた。
酒税に関する増税には参加した公爵家のうちの大半が賛成の意思を示し、バロウズ公爵家など少数の家が反対意見を述べるというものであった。
その日の会議で酒税増税の強行派のまとめ役を務めていたのはロッテンフォード公爵家の当主ウィリアムであった。
ウィリアムは力強い声とハキハキとした口調でバロウズ公爵家やそれに追随する公爵家を『賎民の靴舐め係』という身勝手な決め付けを行い、反対する理由を賎民たちから金を貰っているからだ、という理屈で攻撃したのである。
分かりやすい敵を作る手法に周りの貴族たちも同調し、国王も険しい目でバロウズ公爵家を睨んでいたことを覚えている。
こうした空気が一転することになったのは酒税に関する話をまとめるというのにも関わらず、酒を飲んできたのか両頬を赤く染めた様子でいた上にふらふらとした千鳥足で入室した時だ。この時にリーバイを支えていたのが、秘書役として参加したカーラであった。
この時のカーラは汚れのなさを意識させるような白色のドレスに身を包んでおり、その姿が会議に集まった人々の目を引いたことを覚えている。
そんな美しい孫に支えられたリーバイは屈託のない顔でその場に居合わせた全員に笑い掛けていき、自らに用意された椅子をカーラに引いてもらい、彼女に手を貸された状態でよろよろと体を震わせながら腰を掛けたのであった。
しばらくの間、参加者たちは唖然としていたが、やがて正気を取り戻し、最初にリーバイの泥酔ともいうべき姿に憤りを感じたのは既に絶えてしまったハンセン公爵家の嫡男ロバートであった。彼は机を叩いて激しい抗議の言葉を述べたのであった。
「お祖父様ッ!分かっておられるのですか!?今回の会議は酒税に関する重要な議題なのですぞ!それに酔っ払った状態で現れるとは品位ある最高位会議を侮辱しているとしか思えませんぞッ!」
「すまねぇ、すまねぇ、いや、聞いてくれよ、ロバート。昨日な、街の方でよぉ、美味い酒があるって評判の店で飲んでたんだが、それがまた美味くてよ」
相手が孫だということもあり、リーバイはどこか馴れ馴れしい口調で謝罪の言葉を述べていた。
「ば、バカにしているッ!陛下ッ!プラフティー公爵の発言はこの品位ある最高位会議を侮辱するものですッ!ただちに退席をお命じくださいませ!」
席を立ち上がり、人差し指を震わせながらそう主張したのは害虫駆除人によって強制的に家を断絶させられる羽目になったロッテンフォード公爵家の当主ウィリアムであった。
この時酒税増税路線の進行役と化していたウィリアムは顔を小刻みに震わせながら国王に進言したのだが、当の国王といえばそんな抗議などどこ吹く風と言わんばかりの呑気な態度で、
「まぁ、待て、リーバイ、その酒はどこの店にあるのだ?」
と、問い掛けたのである。
この時クリストフは酔っ払っているはずのリーバイの口元の端が微かに吊り上がったのを見逃さなかった。
しかし、その意図は分からない。クリストフが首を傾げていると、朗らかな笑みを浮かべたリーバイが小さく頭を下げて国王に向かって解説を始めていく。
「はい。王都の端の方にある店ですが、安くて美味い酒を飲ませてくれると評判の店でしてな。風の噂を聞いて私が駆け付ければこれが案の定でしてな」
「そうか、そうか」
国王は楽しげな顔を浮かべながらリーバイの話を聞いていた。
それから後は他の公爵たちを放って、二人してその店について語り合っていたのだから呆れるより他にない。
だが、参加者たちは次のリーバイの言葉によって顔を見合わせる羽目になってしまう。
「しかし、陛下、残念なことに、もし酒税が上がってしまうともなればその店で安く美味い酒は飲めくなるでしょうな。それでお客が減って店が潰れてしまえば、その店の酒は永遠に飲めなくなってしまうでしょう」
リーバイのあからさまな誘導を聞いて顔をまだら色に染めて激昂したのはウィリアムである。
「な、何を言うか!これまでは安くて美味いなどという理由で酒を提供していたのだからそのツケを払うことになるのは当然であろう!」
「しかしですよ、ウィリアムさん。酒の税金が上がれば国内の安全な酒が手に入りにくくなってしまいます。そうなれば人々にとって安い酒というのは質の悪い外国産の酒になってしまう。こうなれば商売は上がったりです。私の言う店の客足はますます遠くなってしまうでしょうな」
リーバイの言葉は確信を突いていた。事実酒税の増税というのは街の酒場ギルドにとっても酒の製造ギルドにとっても街の人々にとっても困ったことしか起きない。儲かるのは税金によって干上がった人々に格安の酒を提供することになる外国産の酒を扱う業者とそれを取りまとめるギルドだけだ。
金を持って安全な国産の酒を買える貴族ならば話は別だが、貴族と平民とではその数を比べればどちらが多くなるかは明白である。
必然的にそうした業者やギルドに加入する面々ばかりが儲けてしまうことになるのだ。
ウィリアムはそうした事情を知っていながらも己の懐を満たすためだけに粗悪品の酒を扱うギルドのマスターから大量の賄賂を受け取っていたのだから悪質というより他に表しようがあるまい。
しかし、公爵家の当主とはいえども賄賂の一件が明らかになってしまえば処罰は免れないだろう。
ウィリアムがリーバイの言葉に反論が思い浮かばず、ひたすらに拳を握り締めてワナワナと震えていた時だ。
ロッテンフォード公爵家の使用人と思われる若い男性が血相を変えた様子で部屋に入ってきたのである。
使用人は例え怒鳴り付けられようともそれを無視して、ウィリアムの耳元で何かを囁いたのである。
使用人からの言葉を聞いたウィリアムは思わず口を開けてしまっていたらしい。
余程、衝撃的なことがあったに違いない。クリストフはそう判断した。
後に分かったことであったが、この時に使用人の男が伝えたのは粗悪品の酒を取り扱う業者のギルドマスターが急に亡くなったいうものであったのだ。
賄賂を渡したギルドマスターが居なくなればウィリアムとしてもこれ以上酒の増税にこだわる必要はなくなってしまったわけだ。
リーバイはウィリアムが唖然としている隙を利用して国王にさりげない調子で増税の中止を訴えたのであった。
バロウズ公爵家などはここぞとばかりにリーバイの主張に同調し、他の貴族たちを仲間に引き入れ、会議における反対の声を強くしていったのであった。
国王はなし崩し的に反対の意見を下し、会議は終了することになったのである。
大抵の者は俗にいう『昼蝋燭』と揶揄される婚約者の祖父が会議を仕切ったことに対して怒りを見せていたが、クリストフはその手腕に対して恐れの感情を抱いていた。
この時、彼はこれまでの会議においても平民や農民に対する不利な法案をひっくり返していたことを思い返した。そしてその際には決まって不利な法案を推し進めようとした貴族が何やら神妙な顔をしていたのである。
クリストフは最高位会議そのものがリーバイの手中にあるような気がしてならなかったのだ。その証拠はリーバイは『昼蝋燭』を装いながらその実は口が上手く、国王からの信頼も厚いという貴族の中でも実力派としての地位を築いていることがそうだろう。
いや、プラフティー公爵家に力があることも大きいが、何よりも会議のたびに不利な法案を推し進めようとする貴族が終盤になって何故か口を閉ざしてしまうことがリーバイが有利になる証拠であったともいえるだろう。
ここからはクリストフの推測であったが、リーバイはもしかすれば巷で囁かれる害虫駆除人とやらで、会議の前にそうした部類の人間を討ち取っているのではないだろうか。
もし、そうだとすればこの会議そのものが盛大な茶番劇になってしまう。
クリストフは自身の確信を確かなものとするため慌ててカーラに連れられ、その宮廷から屋敷へと戻ろうとするリーバイの元へと駆け寄っていくのであった。
「お待ちくださいませ!プラフティー公爵閣下!」
「おお、お前さんは」
リーバイはクリストフへと感心したような目を向けた。
「はい、閣下の血縁にあたりますエミリー・ハンセン嬢の婚約者を務めさせていただいております。ホワイアンセアム家の嫡男クリストフと申します」
「そうか、いつも孫がお世話になってるな」
リーバイは気さくな笑みを浮かべながら言った。その顔からはクリストフが想定していたような駆除人のような気配は感じられなかった。
しかし、会議であれだけの立ち回りを見せるリーバイである。油断はできない。
クリストフは先ほどの会議におけるリーバイのようにさりげない風を装って駆除人であるかもしれないということを聞き出したが、それに対するリーバイの回答はといえばにべもつかないものばかりである。
好々爺然とした顔でクリストフの質問を交わしていくのであった。
クリストフはそれでも食い下がり続けようとしたが、その前にカーラが割って入ったのである。
「お待ちくださいませ、私たちはそろそろ帰るところでございますの。お聞きしたところ、大したことがない用事のように思われます。そのような用事で私たちを引き止めるのはおやめくださいませ」
「おい、そんな言い方はねぇだろ?わざわざよぅ、おめぇの従姉妹の婚約者殿が話を聞きに来てくれたんだから」
「でも、お祖父様」
カーラは引き続き抗議の言葉を掛けようとしたが、リーバイは愚かな行為をとる孫娘に対して冷徹な処置を下すこととなった。
鋭い目でカーラを睨み、萎縮させて黙らせたのである。
クリストフはリーバイの威嚇を見て、確信を持つことになった。これは普通の人間が出せるようなものではないのだ、と。
確信を得たクリストフはそのままリーバイの前から立ち去り、その場を後にしたのであった。
これらの重要な事実を今の今まで思い出さなかったのは発端となった最高位会議が終了し、またしても国王と大臣による専制政治へと逆行してしまったこと、それから肝心の本人が既に冥界王の元へと旅立ってしまったこと、他に覚えることが多かったこともあり、すっかりと頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
そのことを思い出した今となってはカーラが祖父の跡を継いだということで駆除人になっていてもおかしくはないという解釈ができるのだ。
クリストフは頭を抱えながら四年後の現在におけるカーラとフレアの立ち回りを夢中になって見つめていた。
得物となる針を構えながらも蝶々のように軽やかに動いて見せるカーラの姿は一度だけ見たリーバイの動きと酷似しているように思えて仕方がなかった。
ここにきてクリストフの意識は再び四年前へと戻っていくのであった。
リーバイは剣が下手なことで知られており、周りの人間もそうした認識を共通のものとして持ち合わせていた。
だが、クリストフだけはリーバイが敢えて剣の腕を敢えて下手に装っていることを見抜いていたのである。
ある時、クリストフはプラフティー公爵家並びにハンセン公爵家主催の合同晩餐会に招かれ、その日の夜に剣を練習するリーバイの姿が見えたのだ。
ひたむきな様子で練習に打ち込むリーバイの姿は老人のそれには見えなかった。
まるで、どこかの鬼神がリーバイという老人の体を乗っ取り、面白半分でそれを動かしているかのような精彩で華麗な動きが見えたのであった。
それと同じ動きをしている。やはり、祖父と孫だ。血は争えないらしい。
クリストフがククッと笑い、隣で自分と共に林の木の陰で待機しているジェームズに同意を求めようとしたのだが、既にジェームズの姿はクリストフの前から姿を消していた。
どこに行ったのだろうかとクリストフが目を凝らしていると、あろうことかジェームズはカーラとフレアの間に割って入っていたのである。
「二人とも武器を収めてくれッ!頼むッ!」
ジェームズの悲痛な叫びが林の中に轟いていく。
「悪いですけれど、それはできないご相談です」
フレアは花に偽装した刃物を突き付けながら言った。
ジェームズは本来であるのならば怖くてたまらなかったはずだ。
それにも関わらず、全身を震わせながらも必死になって戦いを止めようとしていた。
クリストフの目から見ればジェームズは錯乱しているようにしか思えなかった。
駆除人の始末に乗り気であったのはジェームズ本人だったではないか。
それなのにも関わらず、カーラが駆除人だと判明すれば掌を返して戦いを止めようとするなどいささか虫が良すぎるのではないだろうか。
クリストフは体の中に怒りという名のマグマが沸々と湧いてきたことに気が付いた。
クリストフ中において強烈な怒りの炎が沸き起こり、火の海を作り上げているのはこの場における怒りによるものではなく、これまでのジェームズとの経緯も大きかった。
元々クリストフとジェームズはお互いに剣の腕を競い合う仲で、お互いの仲は真冬の雪景色における降り積もった雪の中に埋もれている最下層の雪のように冷え切ったものであった。
そんな二人が仲良くいることができたのは害虫駆除人という共通の敵がいたからだ。
それの排除が頭の中にあった以上はジェームズとトラブルを引き起こすわけにはいかないという理性が激昂するクリストフのブレーキ役となり、計画を上手く進めていたのである。
そのジェームズが二人上手く纏めていた計画を自ら放り出したとあってはもう怒りを抑えることは不可能となったのだ。
クリストフは林の中から飛び出し、ジェームズの背後に斬りかかったのであった。
ジェームズはそれなりの鍛錬を積んだ剣士ではあったが、それでも背後からの攻撃を予知することは難しかったのだろう。左肩に大きな切り傷を受けて地面の上へと倒れ込んでしまう。
クリストフはそのまま倒れたジェームズに止めを刺すべく、逆手で剣を握り締め、突き刺そうとしたが、その前に針を握ったカーラが襲い掛かってきたためにジェームズへの止めは断念せざるを得なかった。
クリストフは舌を打つと、標的を変更することに決めた。新たなる標的は目の前にいるカーラである。
自分が剣を持っているのに対し、相手の武器は針。十分に勝てるはずだ。
クリストフは既に勝った気になっていた。彼は剣を突き付けながら得意気な顔で鼻を鳴らして言った。
「どうだ?人面獣心。お前自身が獲物になった気分は?」
「あら、名門ホワインセアム家の御子息であらせられるクリストフ卿ともあろうお方がレディに向かって『お前』などとは礼儀がなっておりませんのね」
その一言はクリストフの自尊心を刺激するのには十分であった。
彼は眉間に皺を寄せ、全身をプルプルと震わせながら叫んだ。
「ふざけるなッ!何がレディだッ!ものを知らぬのは貴様の方だろう?紳士は獣をレディなどとは呼ばないのだ。そこら辺も学んでおくべきだったな。人面獣心」
クリストフは怒りを悟られないように皮肉も交えて冷静な口調で返したつもりでいたが、言葉からはどうしても隠しきれない怒りの感情というものが溢れていたのである。
「あら、今度は『貴様』?ますますお口が悪くなってきていましてよ。畏れながら申し上げますが、もしクリストフ卿がそのままホワインセアム家の家督を継がれれば建国より名門として名高いホワインセアム家も終わりになってしまいますわね」
これまでの数々の挑発で既に彼の理性という名の鎖は錆び付き拘束力が消えつつあったが、その一言が完全に打ち砕かれ、怒りという名の暴れ竜を暴走させる羽目になってしまったのである。
クリストフはめちゃくちゃに剣を振り回し、カーラを叩き斬ろうとしたが、カーラにはそれらの剣の動きが全て手に取るように分かった。
冷静さを欠き、闇雲に動かす剣などは防がれて当たり前であるのだ。
カーラは剣を掻い潜ったかと思うと、そのままクリストフの背後へと回り込み、針を突き付けた。
そして、その延髄へと針を打ち込もうとしたその瞬間のことだ。
「どうでもいいけれど、私のことを忘れていない?」
と、背後からの声を聞いたので、カーラが振り返ると、そこには自身の首元に花の茎に擬態した刃物を突き付けるフレアの姿が見えた。
「流石はマルリアさんですわ。まさか、裏の裏をかいておられていたとは」
「フフッ、クリストフも馬鹿だけど、あなたも大概ね、普通駆除人だったら私のことも気に留めておくんじゃあないの?」
フレアは悪戯っぽく笑う。小悪魔のような笑顔であった。
ごもっともな指摘にカーラは返す言葉も見つからなかった。
しかし、困ってしまったのは現在の状況である。カーラがクリストフの生殺与奪を握り、フレアがカーラの生殺与奪を握っているという三すくみのような状況にあるのだ。
この状況を打破するためにはどうすればいいのだろうか。しばらくの間カーラは空の上を見上げて思案していた。
だが、この場を切り抜けられるような一言は思い付かない。
しかし、何か口にしないというのも空気が悪くなっているような気がして嫌だった。
それ故に、カーラはわかりきったようなことを問い掛けてしまったのである。
「ねぇ、フレアさん、もし、私がクリストフさんの首にこれを打ち込んだらどうなりますの?」
カーラはフレアに『これ』が何であるのかをハッキリと意識させるため自身の手に握られた針に目をやりながら問い掛けた。
「ハハッ、わかりきったことを言うんだね。その場合は私があなたの首元にこれを突き刺すだけだよ」
フレアはあっけからんとした態度で答えた。
「そうですわよね」
カーラは乾いた笑いを浮かべて言った。このままつまらない冗談を言い続けるような状況が続いてしまうのかと思ったその時だ。なんの前触れもなくカーラの体が動いた。
いや、この場合は衝動的に動いてしまったと評した方が正しいだろう。とにかく、カーラはクリストフを蹴り飛ばし、その反動でフレアにぶつかったのである。
カーラは自らの体を重しにして、フレアを地面の上へと倒すことに成功したのである。
そして、倒れる際に針を口に咥え、フレアの手を強く握り締め、得物を振れなくさせたことも大きかった。
そして、倒れるのと同時に素早く起き上がり、いまだに立てずにいたフレアへと飛び掛かり、額へと針を突き立てようとしたのだが、背後から迫るクリストフの手によって阻まれてしまうことになり、断念せざるを得なかった。
クリストフの剣を避け、今度は深追いすることなく、クリストフと距離を取っていく。
クリストフの隣に得物を構えたフレアが
並び立つ。
カーラはここで仲間の三人を見やる。三人はそれぞれの得物をたがえつつも入り込む好きが見当たらないのか、その場に立っているのみである。
仲間たちに負担は掛けられない。クリストフとフレアは自分一人の手で駆除するべきだ。
カーラは針を片手に握り締め二人と対峙していく。
今この場に居合わせた三人の中に渦巻く共通の認識というものは最初に仕掛けたものが冥界王の元へと旅立ってしまうというものだ。というのも、先に攻撃を仕掛けてしまうと、仕損じてしまった隙を狙われてしまうからだ。
故にどちらも先制攻撃を仕掛けることはできないという状況にあった。
弱ったものだ、カーラは針を片手に苦笑するしかなかった。
あとがき
皆様いつも稚作を読んでいただき誠にありがとうございます。
本日も投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
といいますのも、本日の午前中は体調不良に見舞われてしまい、とてもではありませんが、筆を取る気力になかったことがなかったことが要因です。
せっかく、新たに登録していただいた方もいるというのにも関わらず、誠に申し訳ありませんでした。
また、時間が時間であることや本日は別にも用事があることなどを踏まえ、本日の投稿は一本のみとさせていただきます。
お詫びとして本来は休みである翌日にもう一話を投稿させていただこうと思います。よろしくお願い致します。
ジェームズ・アンブリッジは自身の目の前で広がる光景が理解できず、両目を見開いたまま長らく片想いしていたカーラがフレアと対峙している姿を呆然とした様子で見つめていた。
それはクリストフも同様であった。まさか、婚約者の従姉妹が害虫駆除人であるなどとは思いもしなかったのだ。
だが、目の前で行われる光景が信じられずに顔を背けるジェームズとは対照的にどこか納得がいったような思いがあった。
この時、クリストフの頭は自身がそう考えるようになった所以となる過去の記憶へと飛んでいた。それはまだ前国王が健在であった四年前のことである。
四年前、多数決によって廃止されるまではクライン王国内において国王と国中の公爵家で構成される最高位会議が宮殿の中において開かれていた。
最高位会議というのは当時の社会情勢においては珍しく、王宮の一室に設けられた円卓の席の上に国王と各公爵家の当主並びに秘書役を務める子息が当主の横に立ち、政治についての議論を深め合っていくというものだ。
議論も深まっていき、意見がまとまったところに最終的な決断を国王が下すという合議制に基づいた斬新なものである。四年前までは各国から注意を惹かれ、関心を寄せられていたことをクリストフは覚えている。
クリストフは公爵である父親の秘書役として会議に参加し、公爵たちの討論を熱心に聞いていたものである。
クリストフがその最高位会議の中でカーラの姿を見つけ、とあることに気がつくことになったのは酒税に関する議論を行っていたのことであった。
その日、リーバイは不在のまま話が進んでいた。
酒税に関する増税には参加した公爵家のうちの大半が賛成の意思を示し、バロウズ公爵家など少数の家が反対意見を述べるというものであった。
その日の会議で酒税増税の強行派のまとめ役を務めていたのはロッテンフォード公爵家の当主ウィリアムであった。
ウィリアムは力強い声とハキハキとした口調でバロウズ公爵家やそれに追随する公爵家を『賎民の靴舐め係』という身勝手な決め付けを行い、反対する理由を賎民たちから金を貰っているからだ、という理屈で攻撃したのである。
分かりやすい敵を作る手法に周りの貴族たちも同調し、国王も険しい目でバロウズ公爵家を睨んでいたことを覚えている。
こうした空気が一転することになったのは酒税に関する話をまとめるというのにも関わらず、酒を飲んできたのか両頬を赤く染めた様子でいた上にふらふらとした千鳥足で入室した時だ。この時にリーバイを支えていたのが、秘書役として参加したカーラであった。
この時のカーラは汚れのなさを意識させるような白色のドレスに身を包んでおり、その姿が会議に集まった人々の目を引いたことを覚えている。
そんな美しい孫に支えられたリーバイは屈託のない顔でその場に居合わせた全員に笑い掛けていき、自らに用意された椅子をカーラに引いてもらい、彼女に手を貸された状態でよろよろと体を震わせながら腰を掛けたのであった。
しばらくの間、参加者たちは唖然としていたが、やがて正気を取り戻し、最初にリーバイの泥酔ともいうべき姿に憤りを感じたのは既に絶えてしまったハンセン公爵家の嫡男ロバートであった。彼は机を叩いて激しい抗議の言葉を述べたのであった。
「お祖父様ッ!分かっておられるのですか!?今回の会議は酒税に関する重要な議題なのですぞ!それに酔っ払った状態で現れるとは品位ある最高位会議を侮辱しているとしか思えませんぞッ!」
「すまねぇ、すまねぇ、いや、聞いてくれよ、ロバート。昨日な、街の方でよぉ、美味い酒があるって評判の店で飲んでたんだが、それがまた美味くてよ」
相手が孫だということもあり、リーバイはどこか馴れ馴れしい口調で謝罪の言葉を述べていた。
「ば、バカにしているッ!陛下ッ!プラフティー公爵の発言はこの品位ある最高位会議を侮辱するものですッ!ただちに退席をお命じくださいませ!」
席を立ち上がり、人差し指を震わせながらそう主張したのは害虫駆除人によって強制的に家を断絶させられる羽目になったロッテンフォード公爵家の当主ウィリアムであった。
この時酒税増税路線の進行役と化していたウィリアムは顔を小刻みに震わせながら国王に進言したのだが、当の国王といえばそんな抗議などどこ吹く風と言わんばかりの呑気な態度で、
「まぁ、待て、リーバイ、その酒はどこの店にあるのだ?」
と、問い掛けたのである。
この時クリストフは酔っ払っているはずのリーバイの口元の端が微かに吊り上がったのを見逃さなかった。
しかし、その意図は分からない。クリストフが首を傾げていると、朗らかな笑みを浮かべたリーバイが小さく頭を下げて国王に向かって解説を始めていく。
「はい。王都の端の方にある店ですが、安くて美味い酒を飲ませてくれると評判の店でしてな。風の噂を聞いて私が駆け付ければこれが案の定でしてな」
「そうか、そうか」
国王は楽しげな顔を浮かべながらリーバイの話を聞いていた。
それから後は他の公爵たちを放って、二人してその店について語り合っていたのだから呆れるより他にない。
だが、参加者たちは次のリーバイの言葉によって顔を見合わせる羽目になってしまう。
「しかし、陛下、残念なことに、もし酒税が上がってしまうともなればその店で安く美味い酒は飲めくなるでしょうな。それでお客が減って店が潰れてしまえば、その店の酒は永遠に飲めなくなってしまうでしょう」
リーバイのあからさまな誘導を聞いて顔をまだら色に染めて激昂したのはウィリアムである。
「な、何を言うか!これまでは安くて美味いなどという理由で酒を提供していたのだからそのツケを払うことになるのは当然であろう!」
「しかしですよ、ウィリアムさん。酒の税金が上がれば国内の安全な酒が手に入りにくくなってしまいます。そうなれば人々にとって安い酒というのは質の悪い外国産の酒になってしまう。こうなれば商売は上がったりです。私の言う店の客足はますます遠くなってしまうでしょうな」
リーバイの言葉は確信を突いていた。事実酒税の増税というのは街の酒場ギルドにとっても酒の製造ギルドにとっても街の人々にとっても困ったことしか起きない。儲かるのは税金によって干上がった人々に格安の酒を提供することになる外国産の酒を扱う業者とそれを取りまとめるギルドだけだ。
金を持って安全な国産の酒を買える貴族ならば話は別だが、貴族と平民とではその数を比べればどちらが多くなるかは明白である。
必然的にそうした業者やギルドに加入する面々ばかりが儲けてしまうことになるのだ。
ウィリアムはそうした事情を知っていながらも己の懐を満たすためだけに粗悪品の酒を扱うギルドのマスターから大量の賄賂を受け取っていたのだから悪質というより他に表しようがあるまい。
しかし、公爵家の当主とはいえども賄賂の一件が明らかになってしまえば処罰は免れないだろう。
ウィリアムがリーバイの言葉に反論が思い浮かばず、ひたすらに拳を握り締めてワナワナと震えていた時だ。
ロッテンフォード公爵家の使用人と思われる若い男性が血相を変えた様子で部屋に入ってきたのである。
使用人は例え怒鳴り付けられようともそれを無視して、ウィリアムの耳元で何かを囁いたのである。
使用人からの言葉を聞いたウィリアムは思わず口を開けてしまっていたらしい。
余程、衝撃的なことがあったに違いない。クリストフはそう判断した。
後に分かったことであったが、この時に使用人の男が伝えたのは粗悪品の酒を取り扱う業者のギルドマスターが急に亡くなったいうものであったのだ。
賄賂を渡したギルドマスターが居なくなればウィリアムとしてもこれ以上酒の増税にこだわる必要はなくなってしまったわけだ。
リーバイはウィリアムが唖然としている隙を利用して国王にさりげない調子で増税の中止を訴えたのであった。
バロウズ公爵家などはここぞとばかりにリーバイの主張に同調し、他の貴族たちを仲間に引き入れ、会議における反対の声を強くしていったのであった。
国王はなし崩し的に反対の意見を下し、会議は終了することになったのである。
大抵の者は俗にいう『昼蝋燭』と揶揄される婚約者の祖父が会議を仕切ったことに対して怒りを見せていたが、クリストフはその手腕に対して恐れの感情を抱いていた。
この時、彼はこれまでの会議においても平民や農民に対する不利な法案をひっくり返していたことを思い返した。そしてその際には決まって不利な法案を推し進めようとした貴族が何やら神妙な顔をしていたのである。
クリストフは最高位会議そのものがリーバイの手中にあるような気がしてならなかったのだ。その証拠はリーバイは『昼蝋燭』を装いながらその実は口が上手く、国王からの信頼も厚いという貴族の中でも実力派としての地位を築いていることがそうだろう。
いや、プラフティー公爵家に力があることも大きいが、何よりも会議のたびに不利な法案を推し進めようとする貴族が終盤になって何故か口を閉ざしてしまうことがリーバイが有利になる証拠であったともいえるだろう。
ここからはクリストフの推測であったが、リーバイはもしかすれば巷で囁かれる害虫駆除人とやらで、会議の前にそうした部類の人間を討ち取っているのではないだろうか。
もし、そうだとすればこの会議そのものが盛大な茶番劇になってしまう。
クリストフは自身の確信を確かなものとするため慌ててカーラに連れられ、その宮廷から屋敷へと戻ろうとするリーバイの元へと駆け寄っていくのであった。
「お待ちくださいませ!プラフティー公爵閣下!」
「おお、お前さんは」
リーバイはクリストフへと感心したような目を向けた。
「はい、閣下の血縁にあたりますエミリー・ハンセン嬢の婚約者を務めさせていただいております。ホワイアンセアム家の嫡男クリストフと申します」
「そうか、いつも孫がお世話になってるな」
リーバイは気さくな笑みを浮かべながら言った。その顔からはクリストフが想定していたような駆除人のような気配は感じられなかった。
しかし、会議であれだけの立ち回りを見せるリーバイである。油断はできない。
クリストフは先ほどの会議におけるリーバイのようにさりげない風を装って駆除人であるかもしれないということを聞き出したが、それに対するリーバイの回答はといえばにべもつかないものばかりである。
好々爺然とした顔でクリストフの質問を交わしていくのであった。
クリストフはそれでも食い下がり続けようとしたが、その前にカーラが割って入ったのである。
「お待ちくださいませ、私たちはそろそろ帰るところでございますの。お聞きしたところ、大したことがない用事のように思われます。そのような用事で私たちを引き止めるのはおやめくださいませ」
「おい、そんな言い方はねぇだろ?わざわざよぅ、おめぇの従姉妹の婚約者殿が話を聞きに来てくれたんだから」
「でも、お祖父様」
カーラは引き続き抗議の言葉を掛けようとしたが、リーバイは愚かな行為をとる孫娘に対して冷徹な処置を下すこととなった。
鋭い目でカーラを睨み、萎縮させて黙らせたのである。
クリストフはリーバイの威嚇を見て、確信を持つことになった。これは普通の人間が出せるようなものではないのだ、と。
確信を得たクリストフはそのままリーバイの前から立ち去り、その場を後にしたのであった。
これらの重要な事実を今の今まで思い出さなかったのは発端となった最高位会議が終了し、またしても国王と大臣による専制政治へと逆行してしまったこと、それから肝心の本人が既に冥界王の元へと旅立ってしまったこと、他に覚えることが多かったこともあり、すっかりと頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
そのことを思い出した今となってはカーラが祖父の跡を継いだということで駆除人になっていてもおかしくはないという解釈ができるのだ。
クリストフは頭を抱えながら四年後の現在におけるカーラとフレアの立ち回りを夢中になって見つめていた。
得物となる針を構えながらも蝶々のように軽やかに動いて見せるカーラの姿は一度だけ見たリーバイの動きと酷似しているように思えて仕方がなかった。
ここにきてクリストフの意識は再び四年前へと戻っていくのであった。
リーバイは剣が下手なことで知られており、周りの人間もそうした認識を共通のものとして持ち合わせていた。
だが、クリストフだけはリーバイが敢えて剣の腕を敢えて下手に装っていることを見抜いていたのである。
ある時、クリストフはプラフティー公爵家並びにハンセン公爵家主催の合同晩餐会に招かれ、その日の夜に剣を練習するリーバイの姿が見えたのだ。
ひたむきな様子で練習に打ち込むリーバイの姿は老人のそれには見えなかった。
まるで、どこかの鬼神がリーバイという老人の体を乗っ取り、面白半分でそれを動かしているかのような精彩で華麗な動きが見えたのであった。
それと同じ動きをしている。やはり、祖父と孫だ。血は争えないらしい。
クリストフがククッと笑い、隣で自分と共に林の木の陰で待機しているジェームズに同意を求めようとしたのだが、既にジェームズの姿はクリストフの前から姿を消していた。
どこに行ったのだろうかとクリストフが目を凝らしていると、あろうことかジェームズはカーラとフレアの間に割って入っていたのである。
「二人とも武器を収めてくれッ!頼むッ!」
ジェームズの悲痛な叫びが林の中に轟いていく。
「悪いですけれど、それはできないご相談です」
フレアは花に偽装した刃物を突き付けながら言った。
ジェームズは本来であるのならば怖くてたまらなかったはずだ。
それにも関わらず、全身を震わせながらも必死になって戦いを止めようとしていた。
クリストフの目から見ればジェームズは錯乱しているようにしか思えなかった。
駆除人の始末に乗り気であったのはジェームズ本人だったではないか。
それなのにも関わらず、カーラが駆除人だと判明すれば掌を返して戦いを止めようとするなどいささか虫が良すぎるのではないだろうか。
クリストフは体の中に怒りという名のマグマが沸々と湧いてきたことに気が付いた。
クリストフ中において強烈な怒りの炎が沸き起こり、火の海を作り上げているのはこの場における怒りによるものではなく、これまでのジェームズとの経緯も大きかった。
元々クリストフとジェームズはお互いに剣の腕を競い合う仲で、お互いの仲は真冬の雪景色における降り積もった雪の中に埋もれている最下層の雪のように冷え切ったものであった。
そんな二人が仲良くいることができたのは害虫駆除人という共通の敵がいたからだ。
それの排除が頭の中にあった以上はジェームズとトラブルを引き起こすわけにはいかないという理性が激昂するクリストフのブレーキ役となり、計画を上手く進めていたのである。
そのジェームズが二人上手く纏めていた計画を自ら放り出したとあってはもう怒りを抑えることは不可能となったのだ。
クリストフは林の中から飛び出し、ジェームズの背後に斬りかかったのであった。
ジェームズはそれなりの鍛錬を積んだ剣士ではあったが、それでも背後からの攻撃を予知することは難しかったのだろう。左肩に大きな切り傷を受けて地面の上へと倒れ込んでしまう。
クリストフはそのまま倒れたジェームズに止めを刺すべく、逆手で剣を握り締め、突き刺そうとしたが、その前に針を握ったカーラが襲い掛かってきたためにジェームズへの止めは断念せざるを得なかった。
クリストフは舌を打つと、標的を変更することに決めた。新たなる標的は目の前にいるカーラである。
自分が剣を持っているのに対し、相手の武器は針。十分に勝てるはずだ。
クリストフは既に勝った気になっていた。彼は剣を突き付けながら得意気な顔で鼻を鳴らして言った。
「どうだ?人面獣心。お前自身が獲物になった気分は?」
「あら、名門ホワインセアム家の御子息であらせられるクリストフ卿ともあろうお方がレディに向かって『お前』などとは礼儀がなっておりませんのね」
その一言はクリストフの自尊心を刺激するのには十分であった。
彼は眉間に皺を寄せ、全身をプルプルと震わせながら叫んだ。
「ふざけるなッ!何がレディだッ!ものを知らぬのは貴様の方だろう?紳士は獣をレディなどとは呼ばないのだ。そこら辺も学んでおくべきだったな。人面獣心」
クリストフは怒りを悟られないように皮肉も交えて冷静な口調で返したつもりでいたが、言葉からはどうしても隠しきれない怒りの感情というものが溢れていたのである。
「あら、今度は『貴様』?ますますお口が悪くなってきていましてよ。畏れながら申し上げますが、もしクリストフ卿がそのままホワインセアム家の家督を継がれれば建国より名門として名高いホワインセアム家も終わりになってしまいますわね」
これまでの数々の挑発で既に彼の理性という名の鎖は錆び付き拘束力が消えつつあったが、その一言が完全に打ち砕かれ、怒りという名の暴れ竜を暴走させる羽目になってしまったのである。
クリストフはめちゃくちゃに剣を振り回し、カーラを叩き斬ろうとしたが、カーラにはそれらの剣の動きが全て手に取るように分かった。
冷静さを欠き、闇雲に動かす剣などは防がれて当たり前であるのだ。
カーラは剣を掻い潜ったかと思うと、そのままクリストフの背後へと回り込み、針を突き付けた。
そして、その延髄へと針を打ち込もうとしたその瞬間のことだ。
「どうでもいいけれど、私のことを忘れていない?」
と、背後からの声を聞いたので、カーラが振り返ると、そこには自身の首元に花の茎に擬態した刃物を突き付けるフレアの姿が見えた。
「流石はマルリアさんですわ。まさか、裏の裏をかいておられていたとは」
「フフッ、クリストフも馬鹿だけど、あなたも大概ね、普通駆除人だったら私のことも気に留めておくんじゃあないの?」
フレアは悪戯っぽく笑う。小悪魔のような笑顔であった。
ごもっともな指摘にカーラは返す言葉も見つからなかった。
しかし、困ってしまったのは現在の状況である。カーラがクリストフの生殺与奪を握り、フレアがカーラの生殺与奪を握っているという三すくみのような状況にあるのだ。
この状況を打破するためにはどうすればいいのだろうか。しばらくの間カーラは空の上を見上げて思案していた。
だが、この場を切り抜けられるような一言は思い付かない。
しかし、何か口にしないというのも空気が悪くなっているような気がして嫌だった。
それ故に、カーラはわかりきったようなことを問い掛けてしまったのである。
「ねぇ、フレアさん、もし、私がクリストフさんの首にこれを打ち込んだらどうなりますの?」
カーラはフレアに『これ』が何であるのかをハッキリと意識させるため自身の手に握られた針に目をやりながら問い掛けた。
「ハハッ、わかりきったことを言うんだね。その場合は私があなたの首元にこれを突き刺すだけだよ」
フレアはあっけからんとした態度で答えた。
「そうですわよね」
カーラは乾いた笑いを浮かべて言った。このままつまらない冗談を言い続けるような状況が続いてしまうのかと思ったその時だ。なんの前触れもなくカーラの体が動いた。
いや、この場合は衝動的に動いてしまったと評した方が正しいだろう。とにかく、カーラはクリストフを蹴り飛ばし、その反動でフレアにぶつかったのである。
カーラは自らの体を重しにして、フレアを地面の上へと倒すことに成功したのである。
そして、倒れる際に針を口に咥え、フレアの手を強く握り締め、得物を振れなくさせたことも大きかった。
そして、倒れるのと同時に素早く起き上がり、いまだに立てずにいたフレアへと飛び掛かり、額へと針を突き立てようとしたのだが、背後から迫るクリストフの手によって阻まれてしまうことになり、断念せざるを得なかった。
クリストフの剣を避け、今度は深追いすることなく、クリストフと距離を取っていく。
クリストフの隣に得物を構えたフレアが
並び立つ。
カーラはここで仲間の三人を見やる。三人はそれぞれの得物をたがえつつも入り込む好きが見当たらないのか、その場に立っているのみである。
仲間たちに負担は掛けられない。クリストフとフレアは自分一人の手で駆除するべきだ。
カーラは針を片手に握り締め二人と対峙していく。
今この場に居合わせた三人の中に渦巻く共通の認識というものは最初に仕掛けたものが冥界王の元へと旅立ってしまうというものだ。というのも、先に攻撃を仕掛けてしまうと、仕損じてしまった隙を狙われてしまうからだ。
故にどちらも先制攻撃を仕掛けることはできないという状況にあった。
弱ったものだ、カーラは針を片手に苦笑するしかなかった。
あとがき
皆様いつも稚作を読んでいただき誠にありがとうございます。
本日も投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
といいますのも、本日の午前中は体調不良に見舞われてしまい、とてもではありませんが、筆を取る気力になかったことがなかったことが要因です。
せっかく、新たに登録していただいた方もいるというのにも関わらず、誠に申し訳ありませんでした。
また、時間が時間であることや本日は別にも用事があることなどを踏まえ、本日の投稿は一本のみとさせていただきます。
お詫びとして本来は休みである翌日にもう一話を投稿させていただこうと思います。よろしくお願い致します。
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